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神なき時代の「終末論」
神なき時代の「終末論」
佐伯啓思/PHP研究所
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総合評価

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    最近、飛行機の遅延が多いが何とか旅程をこなしながら、南に北にと移動を繰り返している。本を読むには飛行機の遅延時間が捗る。 さて、神なき時代の「終末論」というと鎌倉末期の末法思想を思い出したのだが、末法とは仏の教えは残っていても、誰もそれを正しく実践できず、悟りに至れない時代のことで、神にすがりもしない現代と似たものとはやはり言えない。現代は、神に何もかも押し付ける時代ではない。 本書で考えさせられたのは、日本人の「根源感情」への問いかけ。われわれの無意識の思考を突き動かしているものとは何なのか。本書に書かれる通り、旧約聖書的な世界観や歴史観は、われわれの深層価値のどこを見渡しても、まずでてきそうもない。他方、ダイバーシティが進んでも、日本人に共通する感受性というのは存在する。つまり、〝同じ神“を見ている。 神に比べれば人間なんて些細なものだ。だから、神にその意思があるならば、人間なんて奴隷にしても構わない。ヤーウェの神は、イスラエルの民に徹底した律法遵守の正しい生活を求めた。イスラエル人は、長きにわたって苦難を耐え忍ばなければならないのか。救いはないのか。選民思想の特異性は、人と人との契約のような対等なものではなく、神が一民族を自らの僕とするといういわば主従契約によって生みだされたのだ。 神が消滅するなら、神の真似事も消滅するのか、あるいは、人間がその代理を果たそうと機能移譲が進むのか。これらは対立しない。機能移譲により人間そのものが神になるに連れ、真似事の必要性がなくなるからだ。例えば、奴隷制の廃止は、真似事の消滅だろう。人間は機械の奴隷を量産する事で、擬似的な神の座を得始めた。 フランシスフクヤマは、「歴史の終わり」に何故「最後の人間」というニーチェの用語を付け足したのか。ニーチェは近代化の果てに、人間はもはや人間ではなくなる、と述べた。文明が高度化して自由も平等も豊かさも手に入れれば、人間はただただうまいものを食って満足し、穏やかで平和愛好的で従順な家畜のごとき存在になってしまうと。 全知全能とは完全な充足を可能とする、つまり擬似的な神とは家畜化の事だった。即ち、神は、人間に都合良く創造された、思弁上の家畜であった。ここで「神=思想上の家畜」、家畜とはつまり人間のために都合よく作られた存在とする。その家畜から搾取したものこそ、戒律。 ー 奴隷の身分に甘んじて生命を保障されるよりも、尊厳を求めて戦死するほうがよい。名誉とは命以上の価値を掲げ、そのために命を悪ける戦いである。生命を賭して戦う先に自由がある。それはまた生命を失うという死の意識を前提としたものであった。死の自覚こそが自己意識の極みなのである。「生命を懸けることによってのみ自由は得られる」とヘーゲルは述べるが、それは、自分は死など恐れていないということを示すからである。もちろん死を恐れることは人間の自然な情念である。だからこそ、自分は自然の情念の奴隷ではなく、それを克服することで、人間は、自然を超え、情念を超えた存在であることを示すのだ。そこに人間としての尊厳がある。自然の情念に従うのは、ただ生きることだけを目的とする文字通りの奴隷の生であり、そこに自由はない。自分の命を積極的に危険にさらすこと、ここに動物ではなく、「人間」の歴史が始まる。 経済成長は豊かさを齎し、人間を神のごとき快適な生活に誘うが、それは家畜化と変わらない。その過程には意思なき奴隷的労働からの解放があるが、結局、意思なき快楽奴隷に行き着くのであった。問題は、意思をどう取り戻すかだ。

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    投稿日: 2025.08.09
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     ずっと佐伯節を読んで来た私にとっては、一気に読める内容でした。  現代日本人が日々漫然と受け取る世界の情報と言えば、戦後やむなく組み込まれたアメリカを中心とする西側諸国の価値観に基づく情報だろう。  余程意識して多面的な情報を入手しようとの心がけがなかったら、一面的で、薄っぺらでステレオタイプの情報に洗脳されてしまう。  現在展開されているロシア・ウクライナ問題、イスラエル・パレスチナ問題の裏側に潜む掘り下げた問題意識を持てるきっかけになる一つの見識だろうと思う。  佐伯啓思さんの考え方の「ものさし」、ギリシア哲学、ユダヤ・キリスト教を基盤とし、そして、西欧社会の過去・現在・未来を分析・予言してきた歴史的な文明論車・哲学の言説を読み解き、一定の見解としたものが、系統だって披瀝された本である。 内容 第1章 現代によみがえる終末論  第1節 われわれが置かれている分岐点   楽観主義者たち  拡大路線の現状  方法的悲観主義――意図的な脱成長主義   「神」はいる?  第2節『旧約聖書』と終末論   『歴史的・文化的基底』の存在  イスラエルの民と神との契約  ユダヤの黙      示思想とキリスト教  旧約聖書的世界観 第2章 「はじめの人間」と「おわりの人間」  第1節 グローバリズムの歴史意識   グローバル化が進んだ三つの時期  「人間の観念が歴史を動かす」という信念   「胃袋が満たされればよい」という観念  第2節 歴史のはじまりに立つ「最初の人間」   ヘーゲル。コジェ―ヴ、そしてフクヤマへ 「承認欲求」がやがて「対等願望」   に  「テューモス(気概)」が歴史を作りだした  第3節 「自由」の意味の大転換   ホッブスの国家契約論  戦いは永遠に続く  第4節 ニーチェの洞察とリベラルの崩壊   フクヤマのリベラリズムへの絶望   あらゆる言説は「権力への意思」を有す――フーコー   フランス革命はルサンチンマンの産物――ニーチェ   ユダヤ教の「他民族への優越」が受け継がれた 第3章 文明の四層構造  第1節 冷戦後の世界秩序の崩壊   善悪二元論という価値観  戦前の日本と現在のロシアの共通点  アメリカの         経済派遣戦略  「もっとも経済的に成功したのは共産主義国家」という皮肉  第2節 「歴史の終わり」が「文明の衝突」を生みだす   トランプによる異形の民主主義  「自由・民主主義」から宗教へ――ハンチン   トン  歴史の「四層」の構造  ロシア・ウクライナ戦争にある価値の二重性   ネオコンの影響力はなぜ続くのか  第3節 ロシアの挫折と、プーチンの屈辱   「二流国」という屈辱  第4節 西欧近代を作ったユダヤ・キリスト教   宗教改革から西欧近代へ  「市民的資本主義」と「ユダヤ的資本主義」   西欧近代が生みだした二つの大国  第5節 文明の「根源感情」   ヨーロッパの根源感情 アメリカの根源感情 近代思想の限界 第4章 アメリカとロシアを動かすメシアニズム  第1節「文明」と「文化」の論理   シュペングラーの「予言」  ハンチントンの予測  第2節 西欧文明とスラブ文明の軋轢   「西欧かぶれ」こそ悪の根源 二つの文明の「フォルトライン」が走る   ウクライナ  第3節 ロシア的な憂鬱   自然と人間の魂の血のつながり ロシア革命に潜む宗教意識   ロシアには「宇宙論的認識」があった  終末への熱狂  第4節『旧約聖書』の影響下にある世界   終末論的な気分  ネオコン型のメシアニズム 終章 もうひとつの歴史観  「リベラルな価値」の真価とは  支配されるものの知恵  「時効の原理」と宗教的精神 人間を突き動かす価値観 佐伯さんにかかれば、アメリカもロシアも根は同じで、ユダヤ・キリスト教の考え方を遡れば、紛争の原因は読み解けると。 ロシア・ウクライナ問題の根の部分もよく理解できた一冊でした。 特別対談 「資本主義」への異論のススメ   斉藤幸平×佐伯啓思 所謂、「保守」と「革新」の違いはあれど、マルクス経済学から影響を受けた二人が混迷を続ける日本の資本主義の未来・あるべき姿を模索し合う対談、メチャクチャ愉快に楽しく読めました。     

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    投稿日: 2025.01.02
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    保守の思想家佐伯啓思氏による現代の批評とでもいう感じの本。イスラエルによるガザ侵攻のまえに書かれたようでそのことへの言及がないのが残念ではあるけれど、敷衍して考えることはできる。話はややこしくて、近代・個人・資本主義を明確に打ち出してくる西欧リベラルと、ロシアに代表される土着の文化と結びつきながらも理想郷をもとめる思想が、ともにユダヤ・キリスト教的な終末思想、メシアニズムに裏打ちされていて、ともに拡大主義の路線をとっている。金や情報が金を呼び、自然や文化を壊している現状や権威主義的な体制が復古しつつある現代社会は限界を迎えているようにも思えるけれど、かと言って一気に解決するような革命的な方策は取らないし無理というのが巻末の斎藤幸平氏との対談で示した著者の考えと理解したがどうか。結局は漸進的な方法しかないようにも個人的にも思ってはいる。しんどいけれど。

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    投稿日: 2024.08.25
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    めずらしく書店ではじめて見つけて、立ち読みをし、最後の斎藤幸平さんとの対談があるから購入したのだったと思う。しばらく積読していたので、その対談のことを忘れていて、佐伯先生はやはり分かりやすいなあ、などと思いながら、でも自分の体調とかもあるのか、4章は頭に入らないなあなどと思いながら読み進んだ。で、ハンチントンの話を読んでいるあたりで違和感があった。それは、日本のことが書かれていないように思ったからだ。わざと避けていたのか、いやところどころに出ていたのか、読み返してみようとは思わないけれど、とにかくそう思った。ハンチントンはわりと日本のことを持ち上げてくれていたような記憶があったが、それは僕の妄想だろうか。だいたいこのあたりの話は僕の中では梅棹忠夫先生の書いていることが染みついているので、それとごっちゃになっているのかもしれない。そして、最後の最後に、佐伯先生は考えたいのは日本のことだと書かれている。しかしそれは、また今度、ということで、次作を期待して待つしかない。そう思っていたら、齋藤さんとの対談の中で、日本についてもいくらか触れられている。僕は、それほど外国のことを知っているわけではないけれど、日本ていうのはまあまあいい国だと思う。僕たちの常識からすると、子どもだけで学校には通えないなんていう国はどうかしている。食べるものは、それほど高価でなくとも、まずまず美味しいし、病気をしても、そんなに大金を払わなくても、まあ普通に治療が期待できる。もちろん、上を見れば、いろいろあるとは思うが、まあ満足ができている。そう、こうして、ほどほどで満足できるのが日本人の特質なのかもしれない。もともと自然災害が多いというのが影響しているのか。まあ、なるようにしかならないと思える。だから、少し問題を見つけても、無理矢理ねじ曲げようとは思わない。ほどほどでいい。激しく議論をして白か黒か決めなくてもいい。グレーで別にいい。あえて言うなら、もう少し自然に任せたらいいと思う。ロゴスよりもピュシス。草木国土悉皆成仏。あらゆるものの中に神は宿る。論理でねじ曲げようとしない方がいい。なすがままに。どうせ地震はやってくる。気候変動はゆらぐのが当たり前だ。人の力でどうにかしようとは思わない方がいい。なるようにしかならない。まあ、そんな気分で本書を読み終えました。

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    投稿日: 2024.07.26
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    投稿日: 2024.07.07