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硝子戸の中(新潮文庫)
硝子戸の中(新潮文庫)
夏目漱石/新潮社
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総合評価

98件)
4.1
28
37
17
3
0
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    漱石のエッセイです。兄弟のこと、母のこと、自分のこと、友達のこと、飼い犬のこと・・・・・ 身辺に起きたことを語るその描写は、真面目に言っているのに妙におかしく思えたり。何だろう、このおもしろさみたいなものもあり。それだけでなく、さりげない優しさも文章全体にしみわたっています。 人との会話の中で、自分の主張もするけれど、(それが結構おもしろい)相手への気遣い、思いやりが感じられるのです。メンタルを病んだことのある漱石だからこその温かみのある言葉。「漱石さんて、いい人なんですね」と声をかけたくなります。 他人の死を通して、自分の死を考える描写に、心に訴えかけるものがありました。49歳で亡くなった漱石の晩年の執筆であることから、目に見えない何ものかに、つき動かされているようにも感じてしまいます。 人生の夕暮れの物悲しさが漂う、アンニュイな雰囲気がありながら、木漏れ日が差し込むような明るさも合わせもつ、そんなエッセイでした。 硝子戸ごしに、外をぼんやり眺めている漱石、絵になるなあと思います。

    23
    投稿日: 2025.09.18
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    漱石さんの随想集。読者が訪ねて来たり、手紙を送ってきたり、漱石さんお困りでした。 暗くはないけど、うら寂しい雰囲気が漂っているのが良かった。 ある日、物事の整理ができないという女性が相談に来た。一度他所へ行ってリフレッシュしてみたらいいとアドバイスする漱石さんに女性は、こんがらがっているのは物ではなく心の中だと。情報が入ってくる一方で処理しきれないらしい。 女性から見れば漱石さんの中身は整っているように見える。内臓の位置まで整っているように見える。(なるほど。何となくイメージできる笑) 漱石さんは、そういう悩みは自分のところではなくお寺へ行きなさいと。まともなアドバイスだと思った。 やっぱり漱石さんは情報を処理するのがうまいのでは?と思った。 2、3年前、新宿の漱石山房記念館に行って、原稿や様々な展示を見て数冊本を買ったものの、あまり読めていなかったので、数年ぶりの漱石さん読了でなんだか嬉しい!

    16
    投稿日: 2025.07.01
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    漱石がこれまでにあったことや考えたことを、つらつらと書き綴るエッセイです。 講演の謝礼の話は、拗らせていますねぇ。言わんとしているとはわからなくはないですが、本当に面倒くさい。こうして本で読む分には楽しいですが、実際相手にすると疲れるでしょうね。 岩崎弥太郎の話も面白かった。不愉快だといいながらも、どことなく友情を感じるんですよね。実際に所はどうなのかは分かりませんが。 ヘクトーや飼い猫の話は、漱石のツンデレ加減が笑えます。「文鳥」でもそうなんですが、動物に対してすら素直に心を開けないところが、ある意味かわいらしさを感じます。 「道草」を陰とすると、「硝子戸の中」が陽のような感じを受けました。自分の拗らせ具合を自虐的に書いていますので、一見暗くなりそうな話題も多いですが、不思議と楽しく読めました。

    0
    投稿日: 2025.05.18
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    夏目漱石のこと、少し知れた気がする。時が傷口を癒やす一方で、宝物を奪っていく、というのがよかった。時に抗うには記憶を呼び起こすしかないと…。 勘破、観破、 正直に話してくださいね、というところ、人と人がうわべで話すのではなく、心と心で真摯に向き合おうとするところが見られて良いなと思った。 犬の話もご友人の話も、ご友人の話は漱石の生き生きしたところが垣間見えて、誰にでも気を許した人には穏やかなのだなというところが見えて、家族の回想もどれも手帳をのぞき見したような心地だった。 謝礼の話や貸し本の話、短冊の男の話、人に対する信念と人間らしさが垣間見える気がする。 他の文豪の随筆も読んでみたいな。 3/22?〜3/27

    0
    投稿日: 2025.03.27
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    硝子戸の中で過ごした晩年の漱石の随想集。 硝子戸の中で、漱石は過去の思い出にふけったり、来客と応対したりする。 自身の死を近くに感じながら、死を身近なものとして当たり前のものとして捉える。 「死は生よりも尊い」 そのようには言っても、ただ死を肯定するのではなく、生も肯定する。 最後、硝子戸を開け放った漱石は文章を書くことでの生の肯定を示したかったのではないか、と感じた。

    7
    投稿日: 2025.02.05
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    今はまだ感想をちゃんと言葉で表現できませんが、この後に道草を書いたのはなんだかなるほどな〜繋がってるなーと思いました。 9,10のOとの話が、作者が一緒にいて心地の良い関係を彼と持っているのだなということが伝わってきて好きです。2/12

    0
    投稿日: 2025.01.25
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    いつもの小説にあるようなユーモアはなく、陰鬱でどんよりと死の香りがするエッセイだった。言いたいこともあまり明瞭ではなくて、まとまらないことをとにかく書き出した修作のよう。迷惑な岩崎さんの話は面白かった。

    1
    投稿日: 2024.12.03
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    相手の言ったことを真に受けるのが著者の持って生まれて性情だが、それだと人から騙されたり、その結果馬鹿にされたり、侮辱を受けたりすることもあるだろう。だから初めから相手を疑ってかかる方が安心できるのか。 そんな葛藤が生涯続くとしたら人間は何と不幸なのだろうか。 漱石でさえそういう思いを持ちながら生きていたとしたら、自分が不安で不透明で不愉快で生きていることも不思議なことではないと思う。

    0
    投稿日: 2024.10.14
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    #33奈良県立図書情報館ビブリオバトル「休日」で紹介された本です。 2部構成で第1部は通常回。 2部は、発表のコツと題した観覧者も交えた交流会でした。 2013.9.21 http://eventinformation.blog116.fc2.com/blog-entry-1005.html?sp

    0
    投稿日: 2024.09.25
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    変わりゆく心が鮮明に映し出されている。表現が手に取るように分かるでもなく、私に溶け込むように沈んでくるはような言葉が多々ありました。

    0
    投稿日: 2024.08.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「私の罪は、もしそれを罪と云い得るならば、頗る明るい処からばかり写されていただろう。其処に或る人は一種の不快を感ずるかも知れない。然し私自身は今その不快の上に跨って、一般の人類をひろく見渡しながら微笑しているのである。今までつまらない事を書いた自分をも、同じ眼で見渡して、あたかもそれが他人であったかの感を抱きつつ、矢張り微笑しているのである。」

    0
    投稿日: 2023.11.14
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    つい先日のことですが、知人を駅まで送った折に、駅ビルの本屋さんに立ち寄り……決して懐の寂しさを隠すためではなく……「ワンコイン一本勝負」として500円玉を握りしめて本棚の海を回遊しました……狙い目としては小説の文庫本ですね……流行りの作家や作品に関しては例え小品でも税込500円を切るものを探すのは難しいと思ったので、新潮文庫の棚で古めの作品を探したのですが、これがなかなか難しい。詩歌や戯曲を読む気分ではないなぁなどと勝手なことを独りごちながら、本の厚みを目安に探して最終的に手に取ったのが本体価格340円(税別)の『硝子戸の中』(夏目漱石著/石原千秋解説/カバー装画:安野光雅/新潮文庫)でした。今、寝落ち本の中の一冊として枕元に置いてあるのですが、「寝る間際にちょっとだけ読む」のにちょうどよい内容ですね。一編一編が短い文章の随筆で、騒がず慌てず、ちょっとだけおかしく、ちょっとだけ妙で、ちょっとだけ侘しく。普段の暮らしの中のリアルというものは、こういった「際立った"オチ"のある筈のないもの」でしょう。とてもいい。

    1
    投稿日: 2023.10.21
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     お彼岸も近くなり、なんか漱石が読みたくなり手にした随筆。一つが約3ページの39篇から成る作品。大正時代前期に書かれた文豪のブログを読んでいるよう。さすがに今は見慣れない単語が多いです。  12、13の失礼な男の話が秀逸。些細な事を気にしては悩み、胃潰瘍になり、それらを紛らわすかのように小説を書いた漱石。まだ読んでいない小説を読みたくなりました。  「ある程の 菊投げ入れよ 棺の中」 この句が大塚楠緒に詠んだことも初めて知りました。安野光雅のカバーも素敵です。

    10
    投稿日: 2023.09.21
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    「死は生よりも尊(たっ)とい」p23 晩年、漱石先生が辿り着いた死生観だそうです。 しかし、人に対しては 「もし生きているのが苦痛なら死んだら好いでしょう」と助言ができない自分をもどかしくも思っている。そうして 「もし世の中に全知全能の神があるならば、(中略)私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る」ほど苦しんでいる。p97 これは本当にただの随想集なのでしょうか??  **** 読んでいる間ずっと『こころ』の続編?!という思いを禁じ得ませんでした。(本作は『こころ』の後に書かれたそうです) 「不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう」p98 漱石=〈先生〉が硝子戸の中から見つめていたのは、電信柱でも社会でも他者でもなく、紛れもない自分の「こころ」だったのかもしれません。 本書は『こころ』のアナザーストーリーとしても読めるでしょう。

    12
    投稿日: 2023.09.03
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    小学生の頃に『吾輩は猫である』で挫折して以来の夏目漱石。薄い本なので読めるはずと思い手に取った。 病で床に伏し、閉じこもっている漱石の随筆。何処か志賀直哉の『城の崎にて』を連想させる。解説を読んで気付いたが、テーマが時間や死だったからかもしれない。 この時代の文化に根ざしているので、現代しか知らない我々でははっきりとは理解しかねる描写もあるが、話の大筋である漱石の苦悩には共感しながら読み進めることができる。分かるな〜と思いながら、稀代の作家でもこのように思い悩むのかと思いながら読むと楽しい。

    0
    投稿日: 2023.07.05
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    昔の作家と読者の距離感が、近すぎて怖い。 自分の人生を元ネタに小説を書いてくれとか 『ミザリー』もかくや(°_°) それでまた、そういう人たちにも 真面目に相手をする漱石がすごいわ。 こうやって随筆の「元ネタ」にしてるしね。 子供時分の思い出から、執筆状況や 今の暮らしについて感じること あちこち話題を飛ばしながら 思いついた時に書きつけていたのかなぁ。 なんだかこの文豪が 弟子たちに愛されていた理由がわかる気がする。 読んでいて、ちょっと好きになりましたもの。

    2
    投稿日: 2022.08.21
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    1915年 朝日新聞連載 随筆39回 漱石後期、胃潰瘍大病後、持病を抱えての執筆。 書斎に籠り、硝子戸の中から、世の中を見る。 時折、硝子戸の中に、訪問者がある。 漱石の身近な出来事を綴っている。 死に対する随筆も幾つかあり、後期の死生観を表現しているのだと思うが、私が好きだったものは、漱石が、楽しそうだった以下の2項ですね。 9・10 友人O(太田達人)が、上京して久しぶりに会った楽しそうなひとときの話。漱石の少ない友人の一人で、教師。なかなか、人を誉めない漱石が、人格も頭脳も素直に認めている。 34 頼まれて高等学校等で、生徒達の利益になるように意識して講演をする。それでも、わからなければ、家まで来てくれて良いからと、本当に生徒を自宅に招く。又、他の生徒達から、講義を理解したという手紙をもらって素直に喜ぶ。 いつも物事を俯瞰的に眺めている感じだけど、本当に自身の事を書いている様子が良いなと。

    21
    投稿日: 2022.04.04
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    硝子戸の中で夏目漱石が外の景色を眺めながら執筆している姿が想像できてそれだけで楽しい。 漱石自身の子供の頃や家族の思い出や郷愁、関わった人達との出来事や所感が徒然に綴られていて、漱石の小説に結びつくものの発見もある。 最終話は硝子戸を開け放って春の光に包まれて描き終えているのもいいですね。 『そうした後で、私は一寸肘を曲げて、この縁側に一眠り眠る積である』

    0
    投稿日: 2022.01.13
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    病に臥す。 硝子戸を隔てた内と外。 そこは生と死の暗喩ではないか。 「死は生より尊い」は建前であり、本音の死生観は他にある。母との記憶、人々との回想は、生への後悔・執着とも云える。 「雲の上から見下して笑いたくなった..」 作者の自我が開け放たれた瞬間だった。

    0
    投稿日: 2021.10.28
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    公人、私人の差 作品と随筆の中身 飯のタネ 理想と現実 本音 建前 売れなくなったタレントのヌード集  凋落作家の愚痴

    0
    投稿日: 2021.03.21
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    昔箴言集みたいなやつで見かけた「死ぬまでは誰も生きているのだから」の出典がこちらだと知って読む。ちなみにそれはp69。 幕末から大正に至るあたりの風俗がうかがえる。うっすら全体的に漂う死の匂いがどことなく秋の読書向けかなと思うなど。解説にあったけど晩年にしか書けないというのもなんとなくわかる ナツ

    0
    投稿日: 2020.10.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    (個人的)漱石再読月間。小説15作品と短編集3冊。これにてファイナル。 漱石先生の亡くなる前年に書かれたエッセイ集。病床から外を眺める静かな諦念。思い起こす面倒だったあの人も恋しい母も懐かしい幼なじみももはや亡い。 2020年4月から5月。特別な時間の中で、「いつか、気力的体力的もしくはその他の理由で本が読めなくなる時が来る。その前にこれだけは再読しておきたい。そうすれば読書人生に悔いは残らない」とぼんやり考えていた計画を、いきなり実行に移す時が来てしまった。家にこもってただひたすらに読書読書の日々。 これでほぼ達成。なんとも言えない充実感。 プルースト先生、埴谷先生、漱石先生、ありがとうございました。もういつでもOKです。 さて!ここからは徐々に普段の読書生活に戻していきますよ。(世の中が戻ることが大前提ですが祈)

    2
    投稿日: 2020.05.21
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    漱石先生最後の随筆集。病気がちゆえ、家から出れない最晩年の漱石先生の心持ちが、漱石先生の名文によって丁寧に描写される。まさしくその心情はタイトル通り「硝子戸の中」で、またしても漱石先生に心を鷲掴みにされる。 漱石先生の足元にも及ばないが、少しでも漱石先生の洞察力に近づくことが出来たらと、今回も思わずにはいられなかった。

    0
    投稿日: 2020.03.16
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    漱石晩年の随筆集。 幼少期の思い出から生と死に関する話題まで、39の随筆が収録されている。 他人の日記を読んでいるようで面白かった。 私が漱石の作品に対して抱く肯定的な感情が、文章に滲む彼の思想への共感なのか、はたまた100年も昔の生活に対する擬似的なノスタルジーなのかよくわからないなと思う。 1つ1つの内容が独立していて文量も少ないので、漱石の美しい文章を手軽に楽しめる作品だった。

    0
    投稿日: 2020.01.07
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    漱石晩年に執筆された回顧談、追想、随想集とよべるもの。漱石の人生への鋭い洞察が随所にちりばめられる。以下、印象に残った箇所。 不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつつある私は、自分の何時か一度到達しなければならない死という境地に就いて常に考えている。そうしてその死というものを生よりは楽なものだとばかり信じている。ある時はそれを人間として達しうる最上至高の状態だと思うこともある。 「死は生よりも尊い」 こういう言葉が近頃では絶えず私の胸を往来するようになった。 p20 私は凡ての人間を、毎日々々恥を掻く為に生れてきたものだとさえ考える事もあるのだから、変な字を他(ひと)に送ってやる位の所作は、敢えてしようと思えば、遣れないとも限らないのである。 p30 私は宅へ帰って机の前に坐って、人間の寿命は実に不思議なものだと考える。多病な私は何故生き残っているのだろうかと疑って見る。あの人はどういう訳で私より先に死んだのだろうかと思う。p.55 この最後の一言(いちごん)で、私は今まで安く買い得たという満足の裏に、ぼんやり潜んでいた不快、-不善の行為からくる不快-を判然(はっきり)自覚し始めた。そうして一方では狡猾い私を怒ると共に、一方では二十五銭で売った先方を怒った。どうしてこの二つの怒りを同時に和らげたものだろう。私は苦い顔をしてしばらく黙っていた。p80 極めてあやふやな自分の直覚というものを主位に置いて、他を判断したくなる。そうして私の直覚が果して当ったか当らないか、要するに客観的事実によって、それを確める機会を有たない事が多い。其所にまた私の疑いが始終靄のようにかかって、私の心を苦しめている。もし世の中に全知全能の神があるならば、私はその神の前に跪ずいて、私に毫髪の疑を挟(さしはさ)む余地もない程明かな直覚を与えて、私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る。でなければ、この不明な私の前に出てくる凡ての人を、玲瓏透徹な正直なものに変化して、私とその人との魂がぴたりと合うような幸福を授け給わん事を祈る。今の私は馬鹿で人に騙されるか、或は疑い深くて人を容れる事が出来ないか、この両方だけしかできない様な気がする。不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう。p84

    0
    投稿日: 2020.01.01
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    漱石晩年の随筆集。朝日新聞に連載されていたようで読みやすかった◎ 両親や母のことを書いているところがよかった。 自分は両親の晩年に生まれた子で、2回里に出されたが事情があり家に帰ってきたこと。だからずっと両親のことを祖父母だと思っていたこと。ある夜、女中さんがこっそり「あの2人はあなたの祖父母でなくて両親ですよ」と教えてくれたこと。それがうれしかったこと。その事実ではなく、女中さんが親切にもそれを教えてくれた事実がうれしかったこと。 夢でうなされたときに母が助けにきてくれて、安心して眠れたこと。 私も、大きくなって夢でうなされてたしか「助けて!」って叫んだら隣の部屋からお父さんが「どうした?!」って起きて駆けつけてくれたこと、思い出したな〜。笑

    1
    投稿日: 2019.09.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    夏目漱石の家を訪れた人、過去の友人や知人、家族などの思い出を淡々と書き連ねた作品。 今風で言うところの"自分語り"と揶揄できるかもしれないが、読んでいると目の前で漱石が自分に語りかけているような感覚を覚える。 この本を読めば、漱石の思想に直接的に触れることができる。 圧倒的語彙力は同作でも健在で、夏目漱石は日本語の天才だと改めて思う。

    0
    投稿日: 2019.03.20
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    夏目漱石は読みにくいと、勝手に決めていたところがあった。私には彼の思想についての理解はほとんどないに等しいが、本作品はエッセイとしてみると、とてもフランクで漱石を身近に感じられる素朴さがあった。 身体の調子が思わしくなく、随所に死を意識するような文章が出てくるが、あまり堅苦しくなく、ユーモラスに軽いタッチで触れているので読みやすかった。

    0
    投稿日: 2019.02.05
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    漱石を、こんなに身近に感じたのは初めて。読んでよかった。もっと早く読めばよかったのかもしれないが、若い頃に読んでも、この随筆を面白くは感じなかったように思う。 漱石が晩年、病気がちになってからの随筆。過去や懐かしい人を振りかえる内容が、とても多い。年齢を重ねた今だからこそ、漱石の寂しさもなんだか共感できて、しみじみ味わえる本のように思う。 漱石を訪ねてきた読者や知人、学生にたいして、とても丁寧に誠実に接していたことがよくわかった。こういうまじめな誠実な人だったんだなあ。 死にまつわる話題も多く、なんだか今にも世を去りそうな、儚げな随筆。しかしこのあと「道草」「明暗」を書いた、というのはちょっと驚いた。

    1
    投稿日: 2019.02.04
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    夏目漱石が、主に生と死について書いた随筆集。夏目漱石が謙虚で誠実な人だったということが伝わってくる。読み物として普通に面白いからおすすめ。 100年も昔の文章なのに、何の違和感もなく読めてすごいなあと思う。誰にでも読める文章で詩的に、生死というものを書き表している。

    0
    投稿日: 2018.12.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

    夏目漱石晩年のエッセイ。 解説に詳しく書いてありましたが病気をしながらも 何とか生き長らえている自分に対比して いつの間にか亡くなってしまう知人を思い 生への執着について哲学的に述べているところが印象に残りました。 また漱石の生い立ちや日々の生活が垣間見えて 親しみを感じました。 それにしても漱石は思慮深く、その考えを的確な表現を 用いて述べているので理路整然としており その頭の良さを再認識させられました。 個人的には人間は死ぬまで自分は死なないと思っている みたいな文章の部分が特に印象深く残っています。

    0
    投稿日: 2018.03.17
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    丁寧な文章で漱石の身の回りの事が語られており、漱石がなどんな生活をどんな考えを持ちながら執筆活動をしていたのかが伝わってきた。 ふだんの生活の中の何気ない会話でも一つ一つに物語が感じられてじわじわとくる作品。

    0
    投稿日: 2018.02.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

    知人などが死んでいく話も多いが淡々としている。 自分の歴史を小説にしてほしいと言ってきた女とのやり取りが特に印象に残っている。流れに身を任せて、大切な記憶が薄れていっても平凡でも、生きるほうが適当としたその判断が心を打った。 平凡でも生きている。悩み尽くし疑い尽くしたが故の平凡なのではないか。 魂を自由に遊ばせるという表現が、軽やかで好きだ。 最後、春の景色と心の状態が穏やかに描かれており読んでいて心地よい。満足感が見える。

    0
    投稿日: 2017.08.30
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    硝子戸の中(がらすどのうち)とは、漱石が読書したり執筆活動を行ふ書斎のことであります。漱石は次のやうに述べてゐます。 「いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起つて来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離してゐるこの硝子戸の中へ、時々人が入つて来る。それが又私にとつて思ひ掛けない人で、私の思ひ掛けない事を云つたり為たりする。私は興味に充ちた眼をもつてそれ等の人を迎へたり送つたりした事さへある」「私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思ふ」 漱石はこんなものは他人には関係なくつまらないだらうとか、ここで自分が書けばより他人が興味を持つ記事が押し退けられるとか、いささか自虐的に言ひ訳してゐますが、恐らく内心は「俺が書く以上、下らぬ物は書くまい。読者よ、まあ期待してくれ」くらゐの自信はあるのでせう。勝手に忖度してゐますが。 掲載紙は『虞美人草』以降続いてゐる朝日新聞。順番で言ふと、『こころ』と『道草』の間に連載されたことになり、まあ晩年の作品の一つと申せませう。 漱石には「小品」などと呼ばれる一ジャンルがありますが、この『硝子戸の中』は小品と随筆の中間でせうか。「思ひ出す事など」に比べて肩の力が抜けて、洒脱さが増し、仄かなユウモワさへ感じられるのであります。 笑顔の写真を断る話、愛犬ヘクトーの話、相談に来た女に「それなら死なずに生きていらつしやい」と語る話、友人Oと再会した話、自分の書いたものを読んでほしいといふ女性に「正直にならなけば駄目ですよ」と諭す話(漱石はかういふ、見知らぬ人からの依頼になるたけ応へやうとしてゐます。真面目で律儀であります)、播州の岩崎なる困つた人の話(漱石は随分我慢をしてゐます)、若い女の珍妙な相談に乗る話、母の思ひ出話(漱石は実の父母を祖父母として育てられた)、「病気は継続中です」といふフレーズに欧州の戦争を想起する話、太田南畝の書物を25銭で買つたが、安すぎるから返してくれと頼まれる話(漱石は本のみ返して代金は受け取らなかつた)、世の中の人々との交渉について悩み考察する話、学生相手に講演した時の反応についての話(本当に漱石は誠実で真面目な人だなあと思ひます。かかる人だから胃弱になるのか)等等......漱石の筆にかかると、大して変哲のない硝子戸の中に於ける出来事も無限の広がりを見せます。 かと言つて、無理矢理本作に寓意を求める必要もございますまい。野暮といふものです。何より文章そのものを味はふのが一番であります。(多分意図的に)平易な語や言ひ廻しを採用し、当時の新聞読者に対する配慮がなされてゐますので、現代人が読んでも難解な事は全くございません。わたくしのお気に入りの一冊と申せませう。 http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-718.html

    0
    投稿日: 2017.08.19
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    晩年の夏目漱石の随筆。死についての随筆が多い。太田達人との会話を契機に、美しい破滅や死 から 生への執着や則天去私へ 心境の変化が起きていると思う タイトルの意味は 狭い硝子戸の中にいる漱石の身近な出来事を筆に随って書いた本ということ

    0
    投稿日: 2017.08.10
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    「私は凡ての人間を、毎日々々恥を掻く為に生まれてきたものだとさえ考えることさえある」と綴っているが、凡ての人間とまでは言わなくても、殆どの人間は恥を感じることなく生きているように感じる。俺が感じている生き辛さの正体はまさしく生きていることが恥ずかしいという実感である。硝子戸の外に出ると、他(ひと)との交わりが意識の上に昇ってきて、他と話している自分の表情や発する言葉、全ての交わりがぎこちなく感じられて、生きていることが恥ずかしいと感じるのである。

    0
    投稿日: 2017.08.05
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    茂木健一郎氏お勧め本 古典は苦手なのだが、「心が美しいというのは、どういうことかを知りたいときは、この本を読むべき」と言われれば読んでみようと思う。 エッセイなのかな?その当時の生活がどんな感じだったのかが伝わってくると言う意味では良いが、改めて思ったのがこの話の中に「私にとっての特別なもの」を見つけられないのだろう。 当時の人の感覚の違いが、共感できず自分ごとに出来ない、距離を感じてしまう。 #茂木健一郎氏お勧め本

    0
    投稿日: 2017.05.16
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    全編穏やかで静かな文体ながら、内容は死を意識したものや、今は亡き人々の思い出が多い。 中でも飼い犬のヘクトーの死は印象的。意外にも猫よりも犬が好きだったらしい。 また夏目先生ともなると、さすがに様々な人から勝手なお願いをされることが多かったのだなと改めて知った。 子供のころの思い出、両親とのこと、母への想いなども知ることが出来て、興味深かった。

    3
    投稿日: 2017.03.10
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    夏目漱石の、随筆としては最後の物ということだ。 “随筆としては”ということわり書きは、その後に「道草」と「明暗」が書かれているからということ。 風邪で寝込んで、硝子戸の中から外を見ている…という心持なのだが、内容は、今見ている物というより、回顧録に近い。 とりとめない。 写真に撮られるときに笑わなくてはいけないことへの抵抗感。 ヘクトーという名の犬の事。猫が有名になったけど、本当は犬の方が好きなのだと知人に漏らす。 身の上話をする女。 作品を見て欲しいという人たち。実は「どこかに掲載して欲しい」つてを求めているのが真実。 厚かましく、しつこい依頼をする男(頭おかしいな。漱石先生かわいそう) 好意で行ったつもりの講演に対しての金銭の御礼についての考察。 哲学的なことを言う女。 子供のころに住んだ家。 養子に出された過去。 名主の家だったから玄関が立派だった実家。 漱石は気難しくて、家族は戦々恐々としていたというのを読んだことがあるけれど、なるほど面倒くさい人であったようだ。 ただ、文章をモノする人は皆面倒くさいとは思うのだけれど。 お金に対して潔癖で見栄っ張り。 というか、確固とした信念がある。 みみっちいのは嫌だから払うけど、後でそのことにずっとこだわっている。 隠れ吝嗇? 人との接し方にも悩む。 居丈高にするべきかへりくだるべきか。 講演の意味が分からなかったと一人の学生が言ったというのを伝聞しては落ち込み、(多分、理系だったから?) 別の学校の講演で「分からない事があったら家までいらっしゃい」と言い添えたら大いに反響があって(文系だったから?)喜び… つまり、ある意味小心な人柄で、こまやかだったのだろう。 胃潰瘍で命を落とすというのも、さもありなんである。 2016年は、漱石生誕100年であり、没後50年の記念の年だった。

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    投稿日: 2017.02.02
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    初読時のような感興は得られず。 寧ろ、奥歯に物が挟まったような言い方、悟ったふり、今風に言えば天然ぶっているような。 好きではある。

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    投稿日: 2016.12.28
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    【人の心の機微をここまで美しく表現できるのか】 大正4年、夏目漱石が亡くなる前年に「朝日新聞」に39回に渡って連載された、最後のまとまった随筆です。漱石が自身のことや日常のことを語ること自体珍しく、晩年に病で自宅療養がちだった漱石をたずねて来る人々との交流を通して、心のやりとりや漱石の心の揺れ動きが大変細やかに描写されています。特筆すべきは、たとえそのやり取りが気持ちの良いものだったとしても、不満や後悔の残るものだったとしても、なお美しいと感じさせる文章でしょう。自身や登場人物の微細な心の動きの“表現”そのものに美しさを感じます。 語られるエピソードからは漱石の人となりも見え隠れします。短冊や詩を書いてよこせと横柄に頼んでくる読者にいらいらしながらも何度も応える彼のお人よしな性格。恋愛に関する女性の人生の痛みに心から寄り添い、それでも生きるように諭す真摯な姿勢。複雑な家庭環境の中で、祖父母だと思っていた人たちが実は父母であることを、こっそり教えてくれた下女への感謝の思い。ある高校の講演で聴衆の一人から「難しくてわからない」と言われ憤慨しつつ、後々他の生徒が講演内容を実践するための教えを請いにやってくると、そのひたむきさに心を打たれる純粋さ。 巻末の解説でも述べられていることですが、全編を通してみると、漱石が人との物理的、人間的な交流をこえて、心の琴線の触れ合いのようなものを求めていたように思えてなりません。そして、それがなかなかに頻繁に叶うことでもない故に、また自身の中にも不器用で愚かな思いがあることも知っているために、葛藤や苦しみも多かったことが窺えます。巻末、漱石自身も「私の罪は、もしそれを罪と言いえるならば、すこぶる明るい処からばかり移されていただろう」と評し、自分の愚かさの面を自身が思うほどには書ききれていないことを告白しています。 また、漱石の死生観も窺い知ることができます。「死は生よりも尊い」としながらも、それでもなお今日を生きていく他なく、そうやって「生きる」という範囲の中でこそ、人はあらゆることを選択していくべきだ、と語られます。 最後の第39回は、心の描写から漱石の日常の描写に切り替えられ、何気ない日曜朝の風景をここまで美しく描けるのか、と正直驚きました。春の訪れとともに、葛藤の先を見出したかのように硝子戸が開け放たれる様は、まさに清々しい、の一言です。人の心を感じたくなったとき、静かに穏やかな時間の中で、ゆっくりとページを捲りたい一冊です。

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    投稿日: 2016.10.11
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     明治の文豪、夏目漱石の最後の随想集。大正4年1月13日から2月23日まで、『朝日新聞』に掲載された39編の小品文の集まりである。  『こゝろ』が紙面で連載されたのが大正3年4月20日から8月11日まで。その後、同年9月中旬から10月下旬にかけて、4度目の胃潰瘍で床に臥す。小回復後、『私の個人主義』という講演を11月25日に行い、翌年に本小品群を発表する。その後、同年に『道草』を、翌大正5年には『明暗』を執筆し、同年11月9日に胃潰瘍悪化のため、49歳で没した。  つまり、本作は夏目漱石が死去する前年に書かれたものであり、晩年の漱石の飾らない心情が吐露されている。特に高校国語教科書必掲の『こゝろ』執筆から約1年後というのは興味深い。  病気のため硝子戸の中から世間を眺め、心に浮かぶよしなしごとをそこはかとなく書きつけているため、それぞれの文章にさしたる繋がりもなく、明確なメッセージもない。しかし連載終了間近の(三十六)では兄のことに、そして(三十七、三十八)では母千枝のことにそれぞれ言及している。最後は家族、そして生みの母へと帰着するのだ。  また注目すべきは最終編(三十九)。晩年、漱石が目指したと言われる境地「則天去私」の出発点がここにあるように私には感じられた。 「自分の馬鹿な性質を、雲の上から見下して笑いたくなった私は、自分で自分を軽蔑する気分に揺られながら、揺籃の中で眠る小供に過ぎなかった。」  自分の愚かさを自覚し、自然という揺籃に身を委ねる。 文豪・夏目漱石が身近に感じられる随筆集である。

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    投稿日: 2016.06.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

     神奈川県立近代文学館で漱石の企画展をやっていたので、行きの電車の中で読んだ。横浜、遠かったわぁ。  少しその企画展の感想が混ざってしまうが、漱石ほどの作家が、わざわざよく知らない人の小説の添削をしてあげたり、短冊に俳句を書いて返送してあげていた、ということに驚く。なんとなく、神経質で気難しそうなイメージがあったけれど、けっこう気さくなところもあったらしい。とりわけ、文学を志す若者には親切だったのではないか、という風に思った。  私は中でも雑誌「ニコニコ」の写真の話が好きだ。本人は、笑顔に修整したように見えたということを書いていたけれど、私は自然と笑っていたんじゃないか、と勝手に思っている。(上記の企画展で、その写真も展示されていた。笑っている漱石の写真はそれだけらしい)  『硝子戸の中』は小説ではなく随想集で、漱石の日常や人となりを思わせる。  もちろん多少の脚色は加えられているだろう。それがどの辺りなのか、想像するのも楽しい。  何を大げさに書いたのか、ごまかしたのか、書かずに隠したのか、本当に書いた人のすがたが現れるのは、そういうところだと思うからだ。

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    投稿日: 2016.05.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    なんとも優しい気持ちになれる漱石最晩年のエッセイ。こんなのがあるなんて寡聞にして知らなかったなぁ。  死の前年の1月から2月にかけて朝日新聞に連載したものをまとめたもの。 ”則天去私”の心境に達していたという晩年、負惜しみ好きの変わり者(漱石)の面影はない。大病を経て、胃潰瘍で自宅療養が長引く頃のエッセイなだけに、穏やかな、少しとぼけた老人然たる趣がある。  原稿を読んで欲しいという依頼に応じて時間の許す限り読む漱石。でも実は読んで欲しいだけでなく相手はそれを新聞や雑誌に推薦してほしい、あわよくば金になればと持ち込んでくる。それを好意的に読んでやったのになんということだと疲れ果てていく様は、ホントか嘘か実にお茶目でおかしい。  世間ずれしていない老人っぽい趣がある・・・が、享年が49歳なのだから、まだ47,8の頃の話だ。昔の人はよほど老成していたとも思わせるが、時々のぞく負けん気や大人げない意地っ張り具合も微笑ましい。  依頼された講演を済ませたら、後日謝礼が届く。それをどうしても受け取れないと来客相手にゴネているのだ(送りつけた相手にではないあたりが可愛い)。 本業(原稿を書くこと)以外のことは好意でやったに過ぎない、相手にその気持ちが通じればそれがなによりの報酬だと。 ”「もし岩崎とか三井とかいふ大富豪に講演を頼むとした場合に、後から十円の御礼を持つて行くでせうか」” と、もはやほとんど屁理屈のような理屈をこねくり回す。聞く方の相手も半ば冗談と思って聞いているのか、 ”「よく考へて見ませう」と云ったK君はにやにや笑ひながら帰つて行つた。”  と、ユーモラスに締めくくる。清廉潔白とまでは言わないが、誠実で徳に篤い漱石の人柄が偲ばれるストーリーだ。  特に、原稿を見て欲しいと訪ねてくる女性客とのやり取りは、まるで見事な短編を読むかの如し。原稿を見て欲しいというのは方便で実は身の上相談。しかもそうとう思い詰めていると察した漱石は、登場人物の去就になぞらえて自分の将来を問うていると察して、その結末について「何方(どちら)にでも書けると答へ」るあたり、なんだろうこの心の機微の微妙やり取りは!と唸らされる。  そればかりか、、、うーん、この後は是非本書を読んで確かめて欲しい。こんなに心温まる話はちょっとないぞ。  美しい心や、人への優しさがここまで表れているエッセイにはお目にかかったことがない。しかも新聞に連載したひと月余の日々の中で起きているというのだから、人生を通じどれほどの人に生きる希望を与えたことだろうか。  時代は第一次世界大戦の頃。日本がおかしな方向へと舵を切っていく(既に切り始めている)頃だ。 「日本でも其戦争の一小部分を引受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来たるべき総選挙は政治界の人々にとっても大切な問題になってゐる。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、何処でも不景気だ不景気だと零してゐる。」  その戦争の一部分を引き受ける???‐集団的自衛権発動か?  来たるべき総選挙??? -まさに今年だ。 米が安くなり過ぎ? -TPPのせい? 時代は巡るようで空恐ろしい。  最後の一文はこう締めくくられる: 「家も心もひつそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放つて、静かな春の光に包まれながら、恍惚(うっとり)と此稿を書き終わるのである。さうした後で、私は一寸(ちょっと)肱(ひじ)を曲げて、此縁側に一眠り眠る積りである。」  ちょっと肱を曲げて、というのは有名な肖像写真のあのポーズのようではないか。 日本はまた太平の眠りを覚まされることになるのか。漱石のポーズをとりながら案じてみる。

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    投稿日: 2016.04.04
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    漱石を身近な人に感じる。若い頃に読んだのではそのように感じはしなかっただろう。老いていく私にとってはタイムリーに読めた。

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    投稿日: 2016.02.24
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    脳科学者・茂木健一郎さんが、著書『頭は「本の読み方」で磨かれる』の中で、大きく推薦していた夏目漱石の随筆集。淡々と日常が語られるなかに明治の東京の町が自然に浮かんでくる。 中でも、入院中に亡くなってしまった楠緒さんとのエピソードは、「一期一会」という言葉が浮かび考えされられた。

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    投稿日: 2016.02.03
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    漱石の晩年の作で、胃潰瘍のために自宅に引き篭もっていたときに「朝日新聞」に連載したもの。 作家らしいデテールの描写がさすがに上手い。しみじみと情感もあり、事件もありだが、私は(二十五)の大塚楠緒との出会いが印象的だった。明治期の随筆の傑作といえよう。

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    投稿日: 2015.11.03
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    夏目先生が日常どれだけものを思っていたのか、そしてそれらがどれだけ作品にも表れているのか、そういったことを再確認した気がした。 本文を読むに、かつて新聞に載ったもののようだが、リアルタイムでこれを読めた人が羨ましい。 今の私には、夏目先生の考えを追うことはできても、共に考えている気分には浸れないから。 こうした文豪が息をしていたその時代に生きていたら、どんなに面白かっただろう。 ただ、正直、一つ確信していることもある。 小心者の私は、まず間違いなく近所に住んでいたって、直接お会いすることはできないだろう、ということだ。 せいぜいファンレターを送るか(近くに住んでいても、きっと郵便ポストに投函していることだろう)、用事を作ってその家の前を通るくらいなものだろう。 時折登場する人たちのように相談なんて、逆立ちしたってできる気がしない。 だから、何十年経ってから本を読むのも大差ないのだろう。 それでも、同じ時にいるかそうでないかは、やっぱり決定的に違う気がするのだ。

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    投稿日: 2015.10.07
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    題名通り、漱石が硝子戸の中で自由に思索を膨らませ、身の回りや社会の出来事について論じた随筆。漱石は死について、死は生よりも尊いとしながらも土壇場で死を肯定するわけにはいかなかった。そうした経緯が諸所に含まれている本。硝子戸の中で静かに死を見つめながら、ゆっくりと時を過ごしていた漱石を一番に感じることができる本あった。

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    投稿日: 2015.09.11
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    ”「生きるという事を人間の中心として考えれば、そのままにしていて差支ないでしょう。然し美くしいものや気高いものを一義に置いて人間を評価すれば、問題が違って来るかも知れません」 「先生はどちらを御択びになりますか」  私は又躊躇した。黙って女のいう事を聞いているより外に仕方がなかった。 「私は今持っているこの美しい心持が、時間というものの為に段々薄れて行くのが怖くって堪らないのです。この記憶が消えてしまって、ただ漫然と魂の抜殻のように生きている未来を創造すると、それが苦痛で苦痛で恐ろしくって堪らないのです」”

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    投稿日: 2015.07.11
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    三浦しをんの「しをんのしおり」を読んでいました。 どうもついていけません、途中で投げ出しました(⌒-⌒;) 彼女ってこんなに飛んでいましたっけ!? 随筆なんですが話題が私にはナウイ過ぎて、どうも~ じゃあ、同じ本の厚さということで、 夏目漱石の随筆「硝子戸の中」を引っ張りだしました。 こんなにも違うものでしょうか! この両書の時代差は100年ぐらいあるのでしょうか? 執筆時の年齢差もあるかもしれません、 漱石のこの本には「死」という言葉がやたらと出てまいります。 学生時代に読んだ時はなんと陰気臭い本だなという感想がありましたが、 今の私にはなにかしっくりきます。私も年取ったんですね~ 『「じゃ絶交しよう」などと酔った男が仕舞に云い出した。 私は「絶交するなら外で遣ってくれ、此処では迷惑だから」と注意した。 「じゃあ外へ出て絶交しようか」と酔った男が相手に相談持ちかけたが、 相手が動かないので、とうとうそれぎりになってしまった。』 もう一つ 『次の曲り角へ来たとき女は 「先生に送って頂くのは光栄で御座います」と又云った。 私は「本当に光栄とおもいますか」と真面目にに尋ねた。 女は簡単に「思います」とはっきり答えた。 私は「そんなら死なずに生きていらっしゃい」と云った。 さすがですね~、『生きていらっしゃい』 これからは、「さすが」という漢字は「漱石」にして、 「流石」という漢字はローリングストーンズにあてたら如何でしょう(笑)

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    投稿日: 2015.06.06
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    漱石の晩年の作品で、胃潰瘍のため自宅に引き篭もっていた頃に新聞連載したもの。数多い随筆の中では一番読みやすく、得意のウンチクはほとんど無しで日常の出来事を綴っているのがいい。ちなみに自分の事は「余」から「私」と表現も変えている。死亡した猫の次に飼った犬のヘクトーの話が、漱石の動物への愛情を感じさせる。

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    投稿日: 2015.05.22
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    ん〜なんといったらよいか。 ここまで枯れたような心情にはまだなれないので、イマイチ読んでもピンときませんでした。 もっと歳を重ねてから読むべきかな。

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    投稿日: 2014.10.25
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    結婚式に出席する際、途中の電車で読む本を急いで探していた。かさばらないように薄手の本であることが条件だったので、買いためた漱石の本の中から未読だった本書を選んだ。新聞に連載されたエッセイということ。ふだんの何気ない出来事が書かれている。ちょっとびっくりなのは、読者ファンが漱石の家を訪ねたり、手紙でいろいろとやり取りをしているということ。まあ、村上春樹だって、期間限定でもメールでやり取りをしたりしているようだから、そういうことがあっても不思議でないのか。ただ、今から考えると、超大物の漱石だからなあ・・・ということになってしまう。よくも訪ねて行ったり、頼みごとをしたりできたものだ。そうやって考えると、当時はまだまだ敷居が低かったということなのかもしれない。そんなことを考えながら読んだ。

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    投稿日: 2014.10.10
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    漱石が晩年苦しんだ胃潰瘍の合間に書いた随筆とのことで、この本はきっと具合の悪い時に読んだらダメだ!元気のいい時に!と意気込んだものの、そんなどんより話じゃなかった。 有名税の話があったなー。誰を信じたらいいのか、みんな信じちゃいけないのか。単純でいたいのに複雑になって行く。難しいですね。 東京住いなので、仕事の関係上知ってる東京の地名が多数出てくるのですが何と無くテンションあがった。

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    投稿日: 2014.05.28
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    夏目漱石の随筆集。 過去のことに思いを馳せることが多い。人との関わりの中でどのような考え方をもって、どういう行動を取ってきたのかということに、少し触れることができる。 (九)と(十)の太田達人との交流がとても好きだった。ささやかなやりとりにときめきを感じた。 また折があれば読み返したいと思った。 『硝子戸の中』という、自分の書斎から眺める外の世界という題名が、自己の内と他者という関係の象徴に感じて、なんだか切なく思う。

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    投稿日: 2014.05.25
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    脱力エッセイ、だなと思いながら読み終えました。 夏目漱石の作品群を一回りしてから、もう一度戻ってこようと考えています。

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    投稿日: 2013.12.01
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    夏目漱石の随筆。 病臥した部屋のうちで、つらつら考えたことを並べたような語り。 動けないで考えることは似てくるものなのか、外に過敏になっちゃっているような感じに覚えがある。 それでも一定のひとづきあいを切らさない人の強さがあるからほっとする。 師弟の付き合いをするからには裏を読まずに忌憚なく話し合わなければなりませんという部分に、これは理想なのか誠実さなのかとちょっと考える。コミュニケーションとしては理想の形。 で、どうでもいいような哲学的なような話の語り口は美しい。 風景の描写に時代を感じたり、思い出に江戸の香りを感じたり、 犬の飼われかたに厳しい自由を感じたり、 人の不幸な人生を観劇のように消費してしまった自分を嫌悪するとか 人を信じて騙されるのも人を疑って傷つけるのも嫌だ、とこぼす潔癖さに好感を持ったり。 これはゆっくり味わって楽しみたいなと思ったんだけど、つい全部読んでしまった。 薄い本だし面白いんだもの。 空気を楽しむ・内容を楽しむ。 興味深く考えるのと、ただ雰囲気を味わうのと、どっちもできる本は珍しい。 私が読んだのは、津田青楓装幀「色鳥」より と書かれたカバーのもの。 昭和五十三年には120円で買えたらしいよ。 評論風の注と、ほぼあらすじの解説はあんまり好きじゃなかった。

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    投稿日: 2013.09.21
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    夏目漱石の随筆集。今で言うエッセイ。 夏目漱石の人柄がわかり、面白かった。 兎に角、真面目なのでストレスで胃が悪くなったんじゃないかと思う。 飼い犬の死、飼い猫の死、知人の死…。 生と死について、多く語られている。 以下、一部要約して引用↓ ○「死は生よりも尊とい」 然し現在の私は今まのあたりに生きている。私は依然としてこの生に執着しているのである。(P23ー24) ○「他の死ぬのは当たり前のように見えますが、自分が死ぬという事だけは到底考えられません」私も恐らくこういう人の気分で、比較的平気にしていられるのだろう。それもその筈である。死ぬまでは誰しも生きているのだから。(P64ー65) 漱石の生死の哲学を知り、理解した上で作品を読むとまた感じ方が変わるかもしれない。 私はまともに読んだのは『こころ』だけなので、まずは再読をしようかな。 本当は何作品か読んでから、『硝子戸の中』を読む方がよかったかも。作品傾向を分かってから読む方がエッセイって面白いような気がする。理解していない私は、ちょっとおいてかれてる感じがあった(笑) ☆あらすじ☆ 硝子戸の中から外を見渡しても、霜除けをした芭蕉だの、直立した電信柱だののほか、これといって数えたてるほどのものはほとんど視野に入ってこない ――。宿痾の胃潰瘍に悩みつつ次々と名作を世に送りだしていた漱石が、終日書斎の硝子戸の中に坐し、頭の動くまま気分の変るまま、静かに人生と社会を語った随想集。著者の哲学と人格が深く織りこまれている。

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    投稿日: 2013.03.22
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    漱石は、猫よりも寧ろ犬の方が好きだと書いているのは意外だった。 飼い犬のヘクトーの話には、漱石の繊細な優しさが滲んでいるように感じた。

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    投稿日: 2013.01.15
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    漱石が病床で綴った手記、「世の中に住む人間の一人として、私は全く孤立して生存する訳に行かない。自然他と交渉の必要が何処からか起ってくる。時候の挨拶、用談、それからもっと込み入った懸合-これ等から脱却する事は、如何に枯淡な生活を送っている私にもむずかしいのである。」この書き込みの段が私には漱石が単に皮肉っているだけでなく他者を観るときの葛藤を書いていて切実に受け取ることが出来た。時々読み直したいし私も鋭い直感が欲しく思う。

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    投稿日: 2012.12.22
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    (amazonより) 写真撮影、講演、原稿持込、吾輩ハ不機嫌デアルーー。 人生と社会を静かに見つめる、晩年の日常が綴られた随筆39編。 亡くなる前年の大正4(1915)年、朝日新聞における連載。 「漱石山房」の硝子戸の中から外を見渡しても、霜除けをした芭蕉だの、直立した電信柱だののほか、これといって数えたてるほどのものはほとんど視野に入ってこない――。 宿痾の胃潰瘍に悩みつつ次々と名作を世に送りだしていた漱石が、終日書斎に坐し、頭の動くまま気分の変るまま、静かに人生と社会を語った随想集。著者の哲学と人格が深く織りこまれている。ある日、作品のファンだという女性に、自分の身の上を小説に書いてくれと頼まれて……。 用語、時代背景などについての詳細な注解、解説を付す。 2000.04.14購入 文庫: 120ページ 出版社: 新潮社; 改版 (1952/07)

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    投稿日: 2012.11.23
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    この作品は、胃潰瘍に悩みながらも夏目漱石が書斎の硝子戸の中で、頭の動くままに人生と社会を語った随想集です。 全三十九に分かれているのですが、 まるで日記のような自然な語り口調で書かれています。 また、彼自身の人間性も垣間見れ、なかなか面白く思いました。

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    投稿日: 2012.09.30
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    夏目漱石の本は、何故か年末年始に読みたくなる。 私的には、ちょっとフライング気味に読んでしまった随筆。 おそらく時代だと思うけど、ゆっくりした時間が流れている。 微笑ましく笑えるほのぼの話が多くあって、刺激の多い現代モノに疲れたときに読みたい。

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    投稿日: 2012.09.11
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    夏目漱石の、エッセイみたいな本です。 漱石は、心配性で『こころ』みたいな本も書いていたり、自分の中で生きることについていろいろ考えるところもあったと思うのに、「生きてらっしゃい」と思い切りのよいことを言っていて、漱石の中にはいろいろ葛藤があったのだろうな、と思いました。 やっぱり、生きていてほしいな、という気持ちが、漱石の背中を押したのだと思います。 漱石は、ところどころに人間的な優しさとか悩みとかがあって、そこがいいところだと思います。全体的に。

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    投稿日: 2012.07.27
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    つれづれなるまゝに、日くらし、硯(スズリ)にむかひて、心に移りゆくよし なし事(ゴト)を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ、とは徒然草の書き出しからだが、本書もまさにそんな感じ。 ただ、ありふれた日常生活の中に隠された静かで深い洞察が漱石の文体で表現されているところに本書の意義がある。 個人的には6・7章の女と漱石の話が大好きで、これだけで5つ星にしてもいいと思う。

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    投稿日: 2012.04.04
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    74点。第一次世界大戦開戦から一年が経った大正四年。著者は『こころ』を発表した後、四度目の胃潰瘍で病臥していた。亡くなる一年前である。終日硝子戸の中に坐し、頭の動くまま静かに人生と社会を語る随想集。 原稿を読むことについて書いた11章がいい。著者の実直な人柄、教育者としての人格がうかがえる。 次に発表する小説ではもっと自分に切り込んだこと書くからな、と次作『道草』の予告編としても読める。

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    投稿日: 2012.03.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    漱石が身近になる1冊。教科書で出会った、東京帝大出の荘厳な文豪の姿はそこにはなく、落語が好きで江戸庶民文化のまっただ中で育ったバイリンガル、という姿が浮かび上がってくる。 一番心に残ったのは「書いたものを見て欲しい」という女性に対して漱石が言う言葉。教わる方は自分をさらけ出しオープンであるべき、と彼は言う。「その代り、私のほうでもこの私というものを隠は致しません。有のままを曝け出すより外に、あなたを教える途はないのです」 確かに、そのとおり。しかし、漱石の言う通りに自分をさらけ出して人を教えている教師が、今どれだけいるだろうか、と思うと、自分は今まで教えるふりをしている人から学ぶふりをしてきただけなのかもしれないと、思いに沈んだりもするのであった。

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    投稿日: 2011.10.06
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    漱石が死の約一年前に綴った随筆集。 朝日新聞に、一ヶ月と少しの期間連載されたらしく、 「私のどうでもよい話が、 今、この国で起こっている重大なニュースと 肩をならべるなんてとてもとても・・・。」と 最初に一応謙遜してみせているが、 いやいやさすが漱石先生、 一つ一つの文にきちんと彼しか出せない味わいがある。 短い文にもプロの「文章家」の仕事が光ってる。 当時、様々な分野において日本は急激な変化が求められ、 一般市民の大切な情報源であった 新聞は、読者の熱狂や不安を煽ったり、 時に緊張を強いるものだったに違いないが、 そんな中で漱石先生の書いたエッセイは、 「この先、わが国はどうなってしまうのか、 不透明な状況は続き、不安にもなるが、 このように大変なご時勢であっても、 人付き合いにああだこうだ悩んだり、 人間誰しもいつかはやってくる死について考えたり、 日常生活で起きる雑事に目を留め、心を留め、 一日一日をコツコツと生きている。 そんな悪く言えば「ガンコ」、 よく言えば「揺るがない」人間もいるのだ。」 といった、ある意味安心感を与えていたのではないかと思う。 当時の新聞の購読者達も 「どうでもいい話なんだけど ついつい読んじゃうんだよなぁ。」とか 「これを読まないと一日が終わらないんだよ。」なんて 人もいたのでは。

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    投稿日: 2011.10.03
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    高校時代の教科書。 新聞にコラムとして載せていたものをまとめたものらしい。(授業の記憶) 晩年の漱石の穏やかな時間の流れを感じさせてくれる。 当時の人たちはどんな想いで読んでいたのかな?

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    投稿日: 2011.09.07
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    漱石の身の回りに起きる事を徒然なるままに綴った記。 「今の私は馬鹿で人に騙されるか、或は疑い深くて人を容れる事ができないか、この両方だけしかない様な気がする。不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯続くとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう。」(p97-98) 人間の狭間で揺れ動く漱石が垣間見えた

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    投稿日: 2011.09.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    私にとって他に代えがたい珠玉の随筆です。 繰り返される短いセンテンスの美しさに何度読み返してもうっとりしてしまいます。 幼い日の思い出や愛娘に注ぐ眼差しに触れ、心の中に温かい火が灯ったような気がします。 屁理屈をこねて友人ににやにや笑われるといった可笑しな経験談の数々に微笑します。 突然現れる淋しいエピソードや数々の死に自分の人生を考えます。 生きること、死ぬことについて思いを馳せたいときに手に取っていただきたい一冊です。

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    投稿日: 2011.08.18
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    図書館から借りました  エッセイ。  夏目漱石が私事をつらつらと書きつづったもので、読みやすかった。おもしろいかどうかは、また別だろうけれど。  犬の話。猫の話。  病に伏せったりして、室内から出られず、硝子戸の向こうの代わり映えしない景色を見ながら、つらつらと。  図々しい人からの手紙に辟易したり、友人との思いでをつらつらと書いたり、姉や兄のことを書いたり。    その時代の空気や、人々の様子がよくわかる。  それにしても。  子猫潰しちゃった話は、痛々しすぎ。(布団に潜ってて、気がつかずに踏んじゃった、という・・・)

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    投稿日: 2011.05.29
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    人とのつながりを描いた漱石のエッセイ。 ふとしたときに、手にとってみたくなる魅力がある。 漱石をふつうのおっちゃんに感じることのできる一冊。

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    投稿日: 2011.01.06
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    晩年の大正4年連載エッセイ。全体的に「ほんわり」してた。この心境はやがて則天去私にまで通じるのではないか…と解説に書いてあって、納得。

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    投稿日: 2010.07.22
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    漱石の生活観(もしくは生活感)がよくわかる。 なんというか、漱石の目線で世界が見られたら無常だけれど面白そうだな、と思う。

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    投稿日: 2010.07.14
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    ずっと前から知っていたのに、なぜ読まなかったのだろう。 手にとって初めて、その新鮮さに驚かされた。 漱石の日常。 「凡てを癒す「時」の流れ」 私はこの「時」にどれだけ癒されたことだろう。 どの人間にも平等に流れる「時」によって、癒される傷もある。 この作品に出会って「時」を経た今、ふとそう思った。

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    投稿日: 2010.07.10
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    一気に読破。頁自体少ないし、難しいことを言っていないし、非常に読みやすい。それに「ああ、こういうこと思うよ」と夏目漱石という大御所先生とでもいうのか、もの凄い人が身近な人に感じられた。気軽(ということもないだろうが、今の私からすれば)に漱石先生に会えたという当時の人が実にうらやましい。会って話がしたいなと思わせてくれる本です。

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    投稿日: 2010.07.04
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    明治に朝日新聞に連載されていたエッセイ。 文豪・漱石も普通の人なんだな、と思える日常の話、 漱石ってやっぱりちょっと偏屈…?とも思える話、 漱石の元を訪ねてきたちょっと変わった人の話… 高校の授業で読んで、今再び読み返しました。 少し親近感が湧く大好きな一冊です。

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    投稿日: 2010.06.13
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    大学の講義で「八」を読み、気付けば夢中でノートに書き写していました。文庫を買った今も、その切れ端を捨てられずにいます。漱石の中で一番好きな作品。淡々とうつくしいです。

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    投稿日: 2010.04.22
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    飾らないとか等身大とかありのままとか、安い言葉しか思い付かない自分が情けないけど ただある姿をただ書くことの偉大さに何度も震えた。 漱石の魅力は小説も随筆も全く同じところにある。

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    投稿日: 2010.04.20
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    生きるということを人間の中心点として考えれば、そのままにしていて差支えないでしょう。然し美しいものや気高いものを一義に置いて人間を評価すれば、間違ってくるかもしれません。 死は生よりも尊い。 私の瞑想はいつまで座っていても結晶しなかった。

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    投稿日: 2010.03.20
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    日常のことがつらつらと書いてある、それだけなんだけど、 とても面白かった。家の中、庭先、表の通の様子など、目に浮かんでくる。 明治の文豪も、私と同じようなことで悩んでいたりしたのだなぁ。 今回これ、図書館で借りたのだけれど かなり前に発行されたもので、140円ナリだった。

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    投稿日: 2010.02.05
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    一度先生の家に伺いたい。 講釈の説明を求めるのではない、自分の著作を頼みだすのでもない、短冊を書かさせるのも。 ただこう三代目のくろにゃんこに面会を得し、先生周囲の雰囲気を感じたい。 その子供の出ている時に閑静な住まい、髭が伸びっていてぼんやりと黙想している先生、それはどんな匂いがするのかしら。 窓から覗いて、冬も、春も、誰が戸をぐぐって入るのだろう。 どんな会話、どんな喧嘩が起こるの。 原稿用紙を見て緑に染み透されるの。 淋しい時、一緒にうつらうつらでいいの。

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    投稿日: 2009.05.05
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    「がらすどのうち」。「なか」じゃなくて「うち」なんですな。 夏目漱石本人萌えにはたまらない、エッセイです。 気難しい人の印象が強い漱石先生ですが、本人は本人なりにいろいろと妥協して生きているんだなあということが分かる一冊。 踏み潰された三代目猫が哀れ(-人-)

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    投稿日: 2009.01.31
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    硝子戸の中から見た、風景と思い出と、それを見ている自分に関する随想。 専門家でもないのに、こんなことを書いて恐縮ですが、 この方は、きっと死ぬまでこんなことを考え続けてらしたのではないかな、という気がします。 それだけ、作者さまから直接出てきた声だと感じられる文章たちです。

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    投稿日: 2008.08.11
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     晩年の漱石が身辺を綴ったエッセー。「時の流れ」というのが全体を通したテーマとなっているかと思う。全体を覆う懐古的な雰囲気の中に、様々な人間観が散見される。  とりわけ私が好きなのは第「八」回である。《「死は生よりも尊い」》と考えながらも、結局「生」の上にしか何事をもなせないでいる、というその姿には酷く惹かれるものがあった。  他にも善意でやっている講演に礼金を出すのは失礼じゃないかとか、子どもの時分に友達から買ったものをやっぱり返せと言われて返金を断って品物だけ返すなど、どこか自分に近しい意見が多くあり、久しぶりに非常に楽しい読書であった。

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    投稿日: 2008.08.05
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    自らのことをあまり語らない夏目漱石の貴重なエッセイです。自宅療養中に硝子戸から眺める雑然とした情景描写が繊細でとても素敵です。ほっと心温まる場面があったり、死についての深いメッセージが込められていたり、夏目漱石の日常を垣間見るのはとても興味深いことです。「そんなら死なずに生きていらっしゃい」という言葉が印象的。

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    投稿日: 2007.12.11
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    自己を語ることに寡黙であった漱石が「自分以外にあまり関係のない詰らぬ」事を書くとことわって書いた連作エッセイ。

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    投稿日: 2007.09.19
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    エッセイなので読みやすい。 日常生活や昔の出来事が淡々と綴られているのだけど、どこか淋しげな感じがしていい。

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    投稿日: 2007.06.25
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    硝子戸の中から外を見渡しても、霜除けをした芭蕉だの、直立した電信柱だののほか、これといって数えたてるほどのものはほとんど視野に入ってこない――。

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    投稿日: 2007.05.24
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    漱石のエッセイ。エッセイは嫌い、でも「雲」を読むまでのツナギとして安いし、薄いし、と読み始めると、これが意外に面白かった。まあ私が漱石という人間に興味があるから面白かったんだろうけど。三代目にゃんこの話や、夏目家のわんこヘクトーの話、「そんなら死なずに生きていらっしゃい」の名文句などなど。最後の穏やかな夏目家の一ページなんか和みました。

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    投稿日: 2006.12.19
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    夏目漱石の晩年の作品で 風景描写がとても美しい。 言葉の1つ1つにとても 重みがあり、自然と背筋がのびるんです。

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    投稿日: 2006.11.23
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     意外に知られていない漱石のエッセイのようなもの。  私の尊敬する人が、好きな言葉として上げていた。  『どういう風に生きて行くかという狭い区域のなかでばかり、私は人類の一人として他の人類の一人に向かわなければならないと思う。すでに生の中で活動する自分を認め、又その生の中に呼吸する他人を認める以上は、互の根本義は如何に苦しくても如何に醜くてもこの生の中に置かれたものと解釈するのが当たり前であるから』

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    投稿日: 2006.08.31
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    「そんなら死なずに生きていらっしゃい」なんて、漱石のことば。沢山の人に触れて欲しいなあ、と思います。

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    投稿日: 2006.05.26
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    初めて(学校以外で)読んだ夏目本。作品はあまりよんでないけど これを読んだ事で、すっかり夏目漱石大好きになりました。

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    投稿日: 2005.11.05
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    本の内容を克明に憶えている場合とそうでない場合があります。この本は後者です。そういう作品に限って、ある特定のシーンが強烈に脳裏に浮かんだりするから不思議です。僕が繰り返し思い返すのは、漱石の「そんなら死なずに生きていらっしゃい」という言葉。だいぶ、この台詞に励まされてます。

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    投稿日: 2004.10.28
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    晩年に新聞連載していたエッセイ。 こんな風に、静かにゆるやかにひとと繋がっていられたら、と思います。

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    投稿日: 2004.09.23