
総合評価
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powered by ブクログ戯曲の形をとっている短編集。浅学な私は戯曲の形となっている理由を存じ上げないが、実際普通の小説形式の著述よりもはるかに気味悪さを感じられるから巧妙である。(レビュー記載にあたり調べたら実際の舞台としての公演があり「友達」に至っては直近で2021年に演じられているよう) 世にも奇妙な物語にすらシュールすぎて弾かれそうな作品ばかりだが、「友達」などは当然ながら世にも奇妙な物語における数々の傑作達も軽々超えるような完成度。アイデアと筋書きは当然のこと、何より文章と構成がうますぎる。荒唐無稽な世界観をこれだけリアリティをもって体感させる技術にこそ安部公房の圧倒的な才能を感じる。 というか今更気付いたが戯曲だけあって状況説明の文章(いわゆるト書き?)は最小限で9割方は会話なのだ。個人的に安部公房といえば地の文の圧倒的な上手さが印象に残っているが、会話だけでもこのクオリティを叩き出せるのか…
0投稿日: 2025.10.18
powered by ブクログWOWOWで観た演劇がインパクトあったので原作を読了。 阿部工房の戯曲集。友達のゾワゾワした感覚は今の時代でも。SNSも連帯感みたいなものだもんな。 異常な状況や設定をすんなりと受け入れて話にのめり込めてしまうのは流石の名作。
0投稿日: 2024.05.12
powered by ブクログピースの又吉さんが紹介していたり、至る所で安部公房の名を目にするから読んでみた。 安部公房をみんなが天才と言いたくなる気持ちはわかった。 いわゆる戯曲というものを初めて読んだ。いい経験
0投稿日: 2024.03.07
powered by ブクログ[感想] 『友達』のなんだかわからない世界観に強引に引き込んでいく安部公房の描写力、会話力がすごい。 『棒になった男』の棒とは何か?観客に向けて棒の森と言っているので、現代社会に生きる人々=棒と言っているのか、決まりきった考え方で生き死んでいく人々のことを棒と言っているのか様々な考察ができる作品なっていた。
6投稿日: 2024.01.20
powered by ブクログ『棒になった男』のシュールさ、『友達』の理不尽さ、『榎本武揚』のコミカルな会話劇と、バランスよく安部公房的作品が入った充実の1冊。
1投稿日: 2022.09.27
powered by ブクログ安部公房の戯曲集。 □ 「友達」(1967年) トモダチ、つながり、共有、共生、協働、共同体。切断=孤独からの疎外、接続=関係への疎外。現代はコミュニケーションに包囲されている。あたかも、「断片化」され尽くした諸個人がその失われた「全体性」を回復する回路であるかのような顔をして、そしてそれは結局のところ資本にとって都合のいい消費に結びつけられ「断片化」が一層推し進められるだけでしかないにも関わらず。コミュニケーションの総体は個々人の境界接面を曖昧にし、一旦緩急あれば途端に個人を超えた匿名多数の意志を暴力的に体現しはじめるだろう。それは匿名多数といいながら、必ず特定の政治性を帯びている。コミュニケーションの全体主義。無意識のうちに自分自身がこの全体主義に参画し加担してしまっているかもしれない、という自己懐疑で自分の良識を確認しようとしている、当の者たちによって担われている全体主義。 いま痛切に足りないのは、無表象のなかで独りで在ることではないか。「全体性」だとか「断片化」だとかいう観念それ自体が、コミュニケーションの喧騒の中でコミュニケーションにとっての自己都合で捏造されたものでしかない、と気づかされるかもしれない。孤独は生の根源的無意味を露わにする。それに耐えられない者たちが、その空虚を補填しようと、コミュニケーションのなかで猥雑な物語を喋りだす。 「早く分ってほしいな。孤独が、どんなに嫌なものか……私たちと一緒にいることがどんなに倖せなことか……」(p36)。 「ねえ、ぼくはこうして、ちゃんと戻って来たんだよ、みんなのところに……お互いに信じ合えるということが、どんなに素晴らしいことか……信じ合った者どうしで、暮すことが、どんなに倖せなことか……あの他人ばっかりの恐ろしい世界から戻って来て、痛いほど思い知らされたんだ……みんなを裏切るだなんて、よしてくれよ。こうして手をとり合っていることが、ぼくにとっては、もはや唯一の生きがいなんだからね」(p47)。 □ 「鞄」(1969年) 情況の中心にある空虚、その空虚によって統御されている情況。 □ 「棒になった男」(1969年) 機能を超えた「精神」だとか「人間性」だとか「全体性」だとかいう観念を、素朴に信じていた人間、あるいは懐疑のうちにも信じようとしていた人間が、ついに自己の内なる根源的無意味に、自己自身が実は何者でもないという事態に、則ち実存に、覚醒してしまった姿か。そこではもはや「断片化」という自己認識自体が不可能であるかのような。 「人間の、見せかけの形に、つい迷わされてしまうんだな。しかし、棒はもともと、生きている時から棒だったってことが分ってしまえば……」(p180)。 「おれは、一度だって、満足だったことなんぞありゃしないぞ。しかし、いったい、棒以外の何になればいいって言うんだ。この世で、確実に拾ってもらえるものと言やあ、けっきょく棒だけじゃないか!」(p181)。 「(進み出て、客席をぐるりと指さし)見たまえ、君をとりまく、この棒の森……もっと違った棒にはなりたくても、棒以外の何かになりたいなどとは、一度も思ったことのない、この罪なき人々……裁かれることもなければ、罰せられる気づかいもない、棒仲間……」(p182)。
5投稿日: 2022.08.07
powered by ブクログ友達だけ読み終わった。めっちゃ怖い。よくわからない善意みたいなのをゴリゴリ押し付けてくる感じ。 自分の近くにこういうのある気がする。世間体かな?
0投稿日: 2021.09.20
powered by ブクログありえないのに、否応なく説得させられる感じ。 ❇︎ 作品の中に凝縮されている、世の中…さすが安部公房だなと思います。
0投稿日: 2021.07.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
安部公房さんの本はこれが初めて。素人ながら、簡単な感想を述べたいと思う。 まず『友達』について。 ページをめくるたびにゾッとするような善意の押し付け。主人公の男の話は誰にも信じてもらえず、ただ孤独であることを許されない様子が非常に気味悪く、滑稽でもあった。 「私たち、友達でしょ?」 「誰かと一緒にいた方が幸せに決まってる」 それはそう、それはそうなのだが。 人は、少なくとも自分は、孤独である事よりもそれをまざまざと見せつけられたり、それが許されないことの方が辛い。押し付けられる善意はむしろ迷惑に感じてしまう。 しかし、実際はその迷惑さは伝わらないことが多いのではないか。 親切には変わりないのが、むしろ厄介なことなのかもしれないし、では全く放置されれば良いのかというと、そうでもない。難しいなぁ。 次に『棒になった男』について。 突然棒になってしまった男、新宿。街。 平凡な日常からの乖離、疎外。自分がこの自然から切り離され、ふらふらと彷徨している感じ。 上手く説明は出来ないが、とにかくこの非日常性の雰囲気が安部公房さん独特のものなのだろうなと感じた。 『榎本武揚』も良かった。最初あまりにボロクソに言われていて少し笑ってしまったが。 ボクシング、鞄の話はもっとよく分からなかったが、何回も目を通してみるとまた違った感想が出てくるのかもしれない。
0投稿日: 2021.06.26
powered by ブクログノーベル文学賞にもっとも近かった作家 安部公房さんの初読み「友達」ある日一人暮らしの男の部屋に見知らぬ男女9人の家族が押しかけて居座る。 「棒になった男」ビル屋上から子供の目の前で 飛び降りた中年男が棒もなり落下し男女の地獄調査官による検分を受ける。発想がぶっ飛んでいて不条理な戯曲は海外でも評価が高く米芸術科学アカデミー会員にも。
1投稿日: 2021.02.23
powered by ブクログ何十年ぶりに安部公房の本を手に取る。 高校生の時に現国の先生から、安部公房の作品について聞いて興味を持ち、「壁」最初に読んで虜になった。 高校生の頃に文庫化された作品は全部読んだ。 それ以来30年以上離れていた。今回は、偶然にもアマゾンでタイトルが気になって手に取った。 この作品は当時、文庫化されていなかったので興味を持ったで期待して読んだけど戯曲なので小説と比べると読み辛かった。ちょっと残念。舞台の背景などの説明や指示が途中途中に有る為、作品にのめり込む事が出来ない。 また安部公房を読み直すのも良いかと思った。
0投稿日: 2020.12.13
powered by ブクログ安部公房の戯曲集。普段戯曲読まないので最初なかなか慣れないものの読み進めていくうちに世界観にのめり込んでいった。3作収められていて、なかでも「友達」という話が今の時代にも当てはまるような内容で好きだった。ある独身サラリーマンの家に赤の他人である8人家族が押し寄せてきて居座られてしまい屁理屈を浴び続ける。孤独ではいられない、ずっとそこに誰かがいて共感を求められ続けるシチュエーションはSNSと似たようなところがある。クソリプが延々と飛んできているかのような、話が通じない怖さが描かれている場面が一番オモシロかった。たとえば警察がやってきて事情を説明しても主人公1人が言っていることよりも多勢を占める家族たちの意見しか信じられないなど。もしかすると、これは民主主義そのものを揶揄しているのかもしれない。あとがきによると三島由紀夫は「友達」を最高傑作としていたらしい。 「棒になった男」は三幕構成になっていて1つ目の「鞄」という話がとても舞台らしい話、つまり会話の醍醐味が溢れつつ、そのやり取りは少し不思議なトーンがこもっている。なので、大人計画の舞台ですと言われればそのまま信じそうになるくらい好きなテイストだった。三幕目が表題作の「棒になった男」。地獄の使者が登場するという話の内容自体はファンタジーなのだけど、舞台は新宿の街角、具体的にはアルタから大ガードあたりを想起させられて妙にリアルだった。実際に新宿の街角でこんな会話が繰り広げられているのでは?という気持ちにさえなった。安部公房の日常とそこからの飛躍はクセになる味わいなので引き続き読んでいきたい。
1投稿日: 2020.09.20
powered by ブクログ『友達』は友達とは何だ、どこからが友達で何が知り合いで…なんて思う。家族は家族が演じねばならないと感じる。 『棒になった男』は短編としては面白い。けれどこれを(実際に上演するとして)一回にまとめて、この順で上演する必要性がまだわからない。一つずつの面白さは存在するのに。
0投稿日: 2020.08.13
powered by ブクログ難しい。。 メッセージがあるとは思うがはっきり分からない。 映画「マルホランドドライブ」を初めて見たとき以来の謎を感じている。 全体を通して大量消費に基づく、資本主義への皮肉を描いているのか? 第一景 鞄 女と客が資本者で鞄は労働者のメタファーなのか? 鞄の中身が虫だとしても殺虫剤で軽く殺そうとしている描写。虫は労働者の心、人格のメタファーで資本者にとっては取るに足りない、なんの哀れみもなく殺せる、むしろ嫌なモノ。ということを描いている? 第二景 時の崖 ボクサーはサラリーマンのメタファー、 階級は社内の出世のメタファーと考えた。 とすると、ボクサーがランクを上げる際に何人ものボクサーを潰したこと、これからも潰していかないといけない事を考えている描写。 また、チャンピオンになったとしても落ちる時の崖がいちばん急な崖との描写。 これらからは出世競争への皮肉を感じた。 第3景 棒になった男 見た目は違っても98.4%の人は資本者によって使われるしかないモノに過ぎないというメッセージと感じた。 ※「」内は直近で読んだ「暇と退屈の倫理学」を参考にした。 以下は印象に残ったフレーズ 「俺は1度だって満足だったことなんぞありゃしないぞ。しかしいったい棒以外の何になればいいって言うんだ。この世で確実に拾ってもらえるものといや結局、棒だけじゃないか!」 「もし体のどこかが痒くなりでもしたらどうしよう棒が自分で自分の背中を掻くなんてゲートができっこないからねでも案ずる事は無いのですあなたは一人ぼっちでは無いのですみたまえ君を取り巻くこの棒の森もっと違った棒になりたくても|以外の何かになりたいなどとは1度も思ったことのないこの罪なき人々裁かれることもなければ罰せられる気遣いもない棒仲間」
0投稿日: 2020.07.25
powered by ブクログ独特の視点で描かれる世界が奇妙で、「もしかしたらこの世の中のどこかでこんな出来事が起こっているかも?」って心がソワっとしました笑 ただ文体が独特で、残念ながらそこが合わなかったですね。小説というより舞台の台本をそのまま読んでいるような印象でした。たまに演者や舞台についての指示が記載されていますが、ほぼ台詞で構成されています。個人的にはそれが読みにくかった。少し好みが分かれるのでは、と思います。
0投稿日: 2020.01.12
powered by ブクログ安部公房を怖く感じるのは、自分が流されやすいだろうからな。という気付き。 私、突然押し掛けてきた九人の家族に家を乗っ取られてそうじゃない?
0投稿日: 2019.03.03
powered by ブクログ「安部公房だから」とちょっと気合いを入れて読み始めたのだけど、地の文がないためか案外さらさらと読めた。 『友達』は実際に起こっても不思議がないような変な説得力があった。 『棒になった男』のボクシングシーンは赤子に読み聞かせた。 『榎本武揚』は俺にもうちょっとレディネスがあれば楽しめたのかも。
0投稿日: 2017.11.12
powered by ブクログ初めての戯曲だっけど、そんなに違和感はなかった。 「友達」は闖入者が原作とすぐわかったので、 闖入者を読んだ時のほうがインパクトが強かった。
0投稿日: 2016.08.19
powered by ブクログ『友達』が特にいい。家族の個性あふれる挙動・言動がおもしろい。「男」とその「婚約者」とのあいだの間もさすがだ。
0投稿日: 2015.12.31
powered by ブクログ「友達」のみ読了。安部公房の世界観は抽象的で分かりにくい。それでいてどこまでも不気味だ。この男は私で、家族は社会だ。社会はいつだって正しい顔をする。優しく微笑みながら毒の入った牛乳を飲めという。彼女はそれが私のためだと信じて疑わず、だから私は死ぬしかしない。けれども私が孤独に耐えられなくなった時、私もまた知らずのうちに誰かに牛乳を差し出しているのだろう、と気付いて絶望した。
0投稿日: 2015.07.04
powered by ブクログ本人が亡くなって20年経った今になって、すっかり安部公房ワールドのファンになってしまった。 氏の文章はあらゆるものに対して「なんかみんな常識、常識って言ってるけど、それ、ほんと?」という疑問を投げかけるような内容のものが多いのですが、ここではおよそ物語と名の付くものが持ちがちな人情至上主義に対して同じ疑問を投げかけている(ように見えた)。親切心とか、人は一人でいてはいけないとか、忠義とか。 で、普通の作家がそういう事を描こうとすると、とかく不良や犯罪者といったアウトサイダーな人物に乱暴を働かせながらこれ見よがしに言う、という形になりがちですが、安部公房の場合、至って普通とされる人が異常な状況に巻き込まれてだんだん常識に疑問を持つ、となるパターンが多い。だから身につまされるのかな…。
0投稿日: 2014.10.13
powered by ブクログ安部公房の戯曲。 表題作、冒頭の『友達』は、とっても苦手な話でした。 ずけずけと知らない人に立ち入れられるっての、物凄く神経に障るんです。 結局萎えたまま読了。。。
0投稿日: 2014.01.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
3篇の戯曲を収録。巻頭の『友達』は、不条理劇ではあるものの、劇のどこにも深刻さが感じられない。それどころか、きわめて喜劇的なタッチであるとさえ言えるだろう。そして、それ故にこそ安倍公房に特有の不条理が醸し出されるという奇妙な味わいの劇。続く『棒になった男』は寓話劇と見ればわかりやすくはあるのだが、そうすると第1幕をどう位置付けるのかが難しいところ。それによって解釈が変わりそうだ。最後の『榎本武揚』は、一見したところは安倍公房らしからぬ普通の劇に見える。この作品は、特に戯曲よりも舞台で見る方が楽しめそうだ。
0投稿日: 2013.09.25
powered by ブクログ戯曲3編を収録。表題作のひとつ「友達」は限りなく不気味だ。ある日突然ひとつの家族が自分の家に押し入ってくる。“隣人愛”を説く彼らは自分たちが正しいと信じて疑わないようなそぶりで主人公を追い詰めていく。是非とも舞台で見たい作品だ。「棒になった男」は小説という体で読んで見たい作品。2013/249
0投稿日: 2013.09.04
powered by ブクログ「友達」怖し。 非現実世界の中にいるようでいて、そこには確実に現実世界の様相が多分に含まれており、 序盤では可笑しさに機能していたユーモアも、 終盤に差し掛かるにつれ徐々に恐怖感を助長し、不安をも煽る事に。 父「一般的に狂人は自分の事を正気だと言い張るものらしいじゃないですか」 …一家の「善意」に戦慄が走った。
0投稿日: 2012.09.11
powered by ブクログ「友達」 面白かった。小説形式でやってもらいたかったな。友達一家の浮かべる「親切な笑顔」は、はたして…。二女の行動から察するに、武器としての笑顔なんだろな。あの一家はわざとやってたはず。 世間の繋がりがバラバラになった現代の都会人は、病気なのだろうか。孤独は弱さなのだろうか。 覆いかぶさってくるしがらみこそが人類の病巣のような気がする。 「棒になった男」 鞄、時の崖、棒になった男の三作。「鞄」は「家」の変形版。「時の崖」はそのままで、「棒になった男」は同名の短編を改編した戯曲。 鞄、くたびれたおっさんであることがとってもユーモラス。そのおっさんを挟んだ女二人のやり取りが笑いを誘う。 時の崖、あっと言う間に崩れていく。 棒になった男、小説形式より分かりやすかった。大量に生産されていく、汎用性の高い棒、優秀につまんない棒。でも男の子にとっては、大事な棒。 「榎本武揚」 日本史に疎いのでノーコメントで…。
0投稿日: 2012.05.27
powered by ブクログ安部公房の作品は変だ。読み進めていくうちに迷子になる。ちゃんと舗装された道路を通ったはずなのに。 『友達』の展開は訳が分からない。それなのに納得してしまう。そして、そら恐ろしくなる。闖入した一家が、例えばこんな論理で説得してくるのだ。 "兄弟は他人の始まりっていうじゃないか。つまり、他人をさかのぼって行けば兄弟になるということでもある。"(19頁、『友達』より)。 これを劇場で見た観客は何を思っただろうか? 『榎本武揚』は、安部公房先生にしては珍しい歴史・人物モノである。とはいえ展開がシュールなのは変わらない。幕末ファンかつSF好きには興味深い一品なのではないだろうか。
2投稿日: 2012.03.23
powered by ブクログ安部公房の戯曲集を初めて読んだけれど、やっぱり安部公房であって、現実の中の非現実、日常の隣にある非日常に誘う作品です。このなんともいえない不思議な世界観にいつも感嘆するばかり。素敵です
0投稿日: 2012.03.18
powered by ブクログおすすめされて読んだ本。 どれも不気味で、不条理で、それが面白くもあり。 全5篇の戯曲形式のお話。 表題作の「友達」は侵入してくる家族の理不尽な親切心が とても不気味。彼らが話す言葉は一見正論。 だからこそ反論する余地がなく、受け入れさせられてしまう。 それは「棒になった男」内の「鞄」も同様。 登場人物たちのココロの有り様、揺れ動きの様が いつかどこかで見たような、感じたようなことがあるのだろう。 それが不快感に繋がっているのかな? 「棒になった男」も何故突然に棒に??と疑問が付きまとう。 推測するしかないのだけれども、だからこそ地獄の男の 最後の台詞にゾクッとさせられた。 「友達」「棒になった男」ともに同じく新潮文庫から 出ている「無関係な死・時の崖」に小説バージョンで 収録されているらしい。 いつかこちらも読んでみよう。
0投稿日: 2012.02.18
powered by ブクログ古い読書記録より。 象徴性が全面に出ている作品。中学時代、「モチーフを読みとく」ことの快感を教えてくれた一作。この作品をするする読みといたとき、物語をばらばらにしてふわけできた痺れのようなものが背筋をかけていったことをいまも覚えている。 別話戯曲のほうも読んでみたけれど、劇場での展開が目に浮かぶようだった。普段戯曲を読むことがないのでいい体験だった。
0投稿日: 2011.12.28
powered by ブクログ安部公房の戯曲集。 表題作『友達』は非現実的な世界観が、主人公を通じて日常的なものへと錯覚させられる、読み進めていくうちに思わず引き込まれていく作品でした。 日本社会において、個性や個人という考え方を維持することが難しく、全体主義、連帯責任というものに押さえつけられてしまうという現状を表現したものであり、これは現在の日本社会でも通じるとことだと思った。
0投稿日: 2011.09.13
powered by ブクログ「友達」「棒になった男」「榎本武揚」の三つの戯曲集。 戯曲ははじめて読んだけど、会話形式なのでサクサク読めて楽しめた。相変わらずブラックな笑いのセンスが抜群の「友達」がお気に入り。
0投稿日: 2011.07.17
powered by ブクログ人類みな友達、この言葉で済ませたい。飄々とした人たちが、やらかしちゃう物語、「友達」。「棒になった男」はいきなり降ってくるとこからナイス。文学的幅を示した、才能あふれる作者の戯曲。他者と自己の関係を恐ろしくも滑稽に描いた、日本昔話的表現にジーンっ。
0投稿日: 2011.05.12
powered by ブクログほら、あるでしょ。 クイズに不正解だったお笑い芸人が、突き落とされて小麦粉まみれになるやつ。 あと、少しズレちゃうんだけど、その時自分は面白く無いのにTVの向こうではわざとらしい笑い声がゲラゲラ入ってて、何かから取り残されちゃったなーって感覚。 その傍観者でいたはずの自分てのも、その実当事者であったりするわけで、知らず知らずに小麦粉まみれの芸人やわざとらしいゲラゲラになってる可能性のが高いんだよね。 そんな意思は無くても。 そこがなんか怖くて腹が立つ。
0投稿日: 2011.02.27
powered by ブクログまたまた安部公房の「有り得そう」と錯覚させてくれる作品。特にこれは戯曲だから、変にリアルなの! いくつか作品が収録されているけど、私は「友達」が1番好き。 無茶苦茶な家族がいい具合に有り得ない。でもだんだん、本当にこの家族が存在するような錯覚に陥る。まさに安部公房の魔法。 実際に上演されるなら絶対観てみたいな。
0投稿日: 2010.10.22
powered by ブクログ読み中の感想>>一幕「鞄」が気持ち悪い。三幕だったか、高校の現代文とかで読んだ記憶があるのだが、それも異質だった。 その時、教員がなんとなく流行りもの系的な言い方で紹介したため私の中で公房は一昔前の流行、寂れた感のあるものとなってたんだが実際に触れるとちょっとイメージが違うかもしれない。 前はショートショート的な、謎かけのような哲学を持った作品なんだと思ってたんだけど「鞄」を読んだ限りでは、シュールというイメージがぴったりくる。古典的とは言えなくも無いが、さすがにノーベル文学賞候補まで行っただけあって時代に残る確立されたものを感じた。 なにが気持ち悪いって、頭の中の会話みたいなのだ、女と客、そして鞄が。 ちょっと「七色インコ」読んだ影響が出てるかもしれないけど、私の頭の中にも、こんな何かを追求しようとしてそれについて談義する者たちがいて、どっちかが追求しても、それをとめ、戸惑い、苛苛して、たまに立場が逆転し…という図を繰り返す。 で、意味のわからないことをいうやつもいる。 自分がそこに見えると同時に、他者という得体の知れない存在も感じる。 夫もそうだし、得体の知れないという意味では鞄も、そして自分の中にいたはずの客も。 いつのまにか客は帰ってしまい、女、私はつまらない、とるにたらない問題を追求し終える。 その後冷淡な感じにラーメンを頼む女がなんか気持ち悪い。本当、気持ち悪い。 なんだっけ、別役実ちょっと近いかもしれない。気持ち悪さ的に。 でもあれはまだ血肉がある感じだ。これは三角と四角と丸とって世界。数学的といってもいいような気がする。 ドキドキもわくわくもしないで淡々と気持ち悪いんだ。いや、話の流れに抑揚はあるんだけど。なんだ、いい言葉が思い浮かばない。 人間がやってるだろうに、なんとなく幾何学模様のようにキンとした空気がある気がする。正直、ちょっと今はまだわからない。 鞄がなぜ「先祖」なのか。私たちが使うのと同じの意味で「先祖」なのか。女と客は何者か。全三幕で構成されているが、三幕で謎は解けるのだろうか。 頭が悪い。ああ、よくなりたいなぁ。 読了>>『棒になった男』難しい…。 二場が、なんだろう、あれは。時の崖から、たぶんボクサーは落っこちてしまったんだろうけど…。 謎かけされてるのかと裏を読みたくなる。 素直に読んでしまってはいけない気にさせられる、安部公房。 ボクサーの心の流れるままの混沌とした意識の声を描写してるんだろうか。なんかボクサーが何かの象徴なんだろうか。 最後に川(水?)の中に落ちたって、崖から落ちて、海か川か湖か、とにかく水の中に落ちたんだろうか。 すごく気持ち悪い。
0投稿日: 2010.09.30
powered by ブクログ『友達』『棒になった男』『榎本武揚』の三部作からなる、安部公房の戯曲集。 安部公房の戯曲集を読んだのは初めてですが、安部公房の地の文が好きな自分としては、いまひとつ物足りない。 おそらく、セリフと簡単な舞台指定しかなされていない分、想像力が必要とされてくるからなんでしょうね。 あらすじを読んで、『友達』にかなり期待をしていたのですが、ぱっと読んだ時点では理解が追いつきませんでした。 もちろん、安部公房作品を読んだ時に理解できるなんてことは普段無いんですが、字を追うだけで終わってしまう、という点で。 舞台で観たら観たで、きっと全く違う印象で面白かったんでしょうが、想像力の足りない自分に残念です。 あと、安部公房の作品の中で『榎本武揚』という歴史上の人物をモデルにした戯曲があったことが、自分の中では意外でした。
0投稿日: 2010.09.12
powered by ブクログ全部戯曲。 友達:さからいさえしなければ、私たちなんか、ただの世間にしか過ぎなかったのに・・・ すごい。由紀夫ちゃんお勧め 棒になった男:すごい。有能にして誠実な棒たち。確認はされるが登録はされない、棒になった男たち。棒の形に閉じ込められて、不幸ではないから幸福な彼。 よのなかのぜんいんを棒め、と思っているけれど、そんな私はきっとフーテン男女とおなじくゴムホースでしかないのだろう。もっとずっと無能で誠実すらもちあわせないゴムホース。わーああ。
0投稿日: 2010.02.23
powered by ブクログ「友達」「棒になった男」「榎本武揚」の三作の戯曲が収録されています。 表題作である「友達」は、『水中都市・デンドロカカリヤ』の「闖入者」が原型であり、「棒になった男」は『R62号の発明・鉛の卵』の「棒」が原型のようです。 いずれも以前に読んでいるので、比較しながら読みました。 戯曲のために登場人物の数などを一部変えてありますが、大筋は同じです。 やっぱり、「友達」は理不尽で好きです。 いや、嫌いなんだけど、好きです。 「榎本武揚」はそんなに面白くなかった・・・というのが私の印象です。実際に劇で見たら全然違うと思います。 読み手の問題ですが、登場人物が多すぎて、途中から混乱してしまいましたw
0投稿日: 2009.07.05
powered by ブクログ安部公房の戯曲集。 劇団を主宰していたにも関わらず、彼の戯曲を読んだのは初めて。 戯曲でも公房ワールドは変わっていなかった。 「友達」は読んでてイライラしてしまうくらい、家族が怖かった。 孤独というものに疑問を抱いてしまう、そんな作品。 「棒になった男」は各幕のつながりが全く分からなくて、少し戸惑った。 それぞれの幕も不思議な感じ。 公房の世界観を味わうならこれがピッタリ。 最後の「榎本武揚」は公房にしては珍しく歴史もの。 逆に新鮮だった。 歴史ものなんだけど、公房らしさが出ててるところは流石。 唸らされた。
0投稿日: 2009.03.14
powered by ブクログ安部公房は初めてなのだけど…、 戯曲は基本嫌いなのだけど…、 しみじみ面白かった…。 久々の充実感。 最近読んでいた本って軽かったんだなーと。 すごい演劇的なストーリーだと思う。 当たり前だけど。 その全体の理不尽さがすごい演劇っぽい。 表題の『友達』は、 ちょっと私が不得意なタイプの理不尽物語でした。 私にはちょっと辛い。 そして怖い。 でもこの世界観。 他の安部公房を読んでみたい。 全作品素晴らしいのですが、 私は『棒になった男』が一番好きです。 収録作品 ・友達 ・棒になった男 ・榎本武揚
0投稿日: 2009.03.07
powered by ブクログ他の作品とは違って、台本をテキスト化したものなのでちょっと特殊な文体です。この事によって、普通は不可能である、人物が同時に別行動をするという表現が可能なので、短文でありながらも人物の表情や仕草を捉える事が出来る。ちょっと不思議な感じです。 <友達>ある一人暮らしの男の部屋に、見知らぬ9人の家族が上がり込んでくる。出ていけと迫る男に堂々と、自分達がどれだけ大切な存在か、貴方が必要としているかと説き、訳も分からぬまま住み着かれる。大衆とは世間とは、ただの他人の集まりでしかないという恐怖を描いた作品。 <鞄>ある新婚の女性が、悩みを友人に打ち明けるが.........それはとてつもなく大きな悩みでもあり、そうでもない気もする悩みでもあり・・・・・・実際にこんな鞄があったら、やっぱり気になりながらも開けれないだろうなぁ。この話のモナリザの詩が凄く好き。 <時の崖><棒になった男>は他の短編にも掲載されていますが、『棒になった男(棒)』はやはり好きですね。人間ってやっぱりそういうものなのかな〜と、ふわふわと頭の中で浮かびます。
0投稿日: 2008.09.08
powered by ブクログ戯曲3編集。相変わらず不思議な世界が繰り広げられている。「友達」に登場する謎の一家にはイライラしか感じられなかったが、もうそれは惹き込まれてしまった後の話。人間が理想として求める孤独とは何か?人間が美しいとする隣人愛とは何か?果たして、人間は1人では本当に生きていけないのか?社会の中での人間生活における「個」と「集団」という概念を、まったく斬新な視点から強く訴えかける作品。「棒になった男」は高校の現代文の授業で読んで意味不明だったので再チャレンジしてみたが、やっぱり難しい。でも戯曲化された文章だったので少し読みやすかった。これは是非、舞台を観てみたい!ありえない現実。非常識な常識。もっともっと著書を読んでいきたい。
0投稿日: 2007.09.02
powered by ブクログ現実にはありえないような話ばかりだけど、それぞれに含まれたメッセージは非常に現実的なもの、という感じがしました。 自分がもっと成長したときに、また読みたい。
0投稿日: 2005.10.24
powered by ブクログまともすぎる光景に愕然として 爪を噛み、歯を鳴らす あたまのうえでは狂った人間が くるくると回転しているのがみえます
0投稿日: 2004.10.13
