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教養を深める
教養を深める
森本あんり/PHP研究所
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総合評価

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    ー ChatGPTで教養は得られない 人類学者の長谷川眞理子との対談での一言。「見つめ合う」事で、オキシトシンが出て愛着が強まるという。確かに、心が動かされた時の記憶の強い定着は確かだ。しかし、AIから教養は得られないとは、少し言い過ぎではなかろうか。 教養とは何か。本書で引用される児童教育の専門家であったハイム・ギノットは言う。強制収容所では、優れた技術者がガス室を作り、教育のある医師が児童に毒を盛った。熟練した看護師に幼子が殺され、大学出の知識人に女と子どもが撃たれて焼かれた。だからわたしは教育というものに懐疑的だ、と。大学教育に対する断罪だと著者はいう。核兵器をどのように扱うか、という問題の類型であろう。 一問一答、絵合わせのような知識を組み合わせ、教科書を叩き込んで、近代兵器を作る事も可能なまでになる。しかし、それと教養は別だ。 長谷川眞理子の言葉の意味が少し分かり始める。AIで与えられるのは、アルゴリズムによる反応であり、一問一答と変わらない。心の反応を得なければ、そこに教養は宿らない。 チンパンジーは、肉食動物のように狩りが得意ではない分、相手を一撃で仕留めることができず、なぶり殺しにする。観察するこちら側の気が滅入ってしまうのだという。 人間は、そうではない。どこかに利他、互助や共感の本能を残さねば、動物的な腕力主義、AI的な知識偏重な価値観となり、教養を見失う。本書における対談相手は色々だが、教養を軸にした化学反応を味わえる中身だった。

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    投稿日: 2025.08.01
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    エリートによるいやらしい本のように感じてしまうところもあるが、よく考えながら読み進めると、どんな人も様々な分野に興味を持って、その人なりに学ぼうという話と理解した。

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    投稿日: 2025.03.16
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    「今日の世界を覆っている戦争と貧困、抑圧と不正義のなかで、それでも人間らしくあることを貫こうとすれば、やはりどこかで腹をくくる覚悟が必要になります。リベラルアーツとは、人が人であるのとを貫くために必要な精神の力を養う学びのことです。」(「はじめに」)  対談(五木寛之、藤原正彦、上野千鶴子、長谷川眞理子)を含む森本先生の言葉に光明を見いだす気持ちに。

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    投稿日: 2025.01.02
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    混乱の時代にあっても、人間がより人間らしくあるために必要な知の営みリベラルアーツ。 4人の識者とリベラルアーツの本質に迫る。

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    投稿日: 2024.08.29
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    アリストテレスが、1つの徳だけに秀でるのは良くない(≒ギフテッドではなくラウンデッドであるべき)と考えていたという話は興味深い。スペシャリストやエキスパートであることが称揚されるが、そうなるなという教えは結構衝撃を受ける。 人々を挑発する知がリベラルアーツだという宣言は、森本あんりらしくて好きかもしれない。また、教養というのはアクセサリーのように付けたり外したりと「身につける」ようなものではなく、自分の中で育むものだというのはおっしゃる通りかと。 後半の4人の識者との対談も面白いけれど、AIの捉え方が画一的というか、執筆時期も関係しているのかもしれないけれど、ちょっと敵対的に見る傾向が強いなと思った。全てをAIに委ねてしまおうとするのは色々と問題がある気がするけれど、気づきを与えてくれたり、さらに学びを深めようという気持ちにさせてくれたりする側面もあると個人的には感じているので、そういう点では教養を深めることにも有用なのでは?と感じた。 藤原正彦さんとの対談で新渡戸稲造について触れている。1906年に一高の校長についたあと、西洋的教育を推進して逆に武士道精神を日本から遠ざけたと指摘されているのは面白い。それでも、新渡戸の一校時代の教え子の田中耕太郎(文部大臣)や南原繁(東大総長)が日本の戦後の教育改革や、一般教育の導入という形でのリベラルアーツの振興を率いたというのは、単に西洋vs日本みたいな図式では表しきれない、知識の広がりの奥深さを感じる。 また、生まれが明治20年(1887年)を境として、国柄を重視する知識人と西洋を見据える知識人とに二分されるという指摘も、厳密にはどうなのか分からないけれど、興味深い。

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    投稿日: 2024.04.16
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    森本あんり先生が、五木寛之、藤原正彦、上野千鶴子、長谷川眞理子という、錚々たるメンバーと教養について対話する本。 情報が氾濫し、価値が揺らぎ、予測不能なこの時代に本当に必要なものは決してファスト教養のようなペラペラの外観ではない。真の教養とは何か、AIが台頭してきている世の中で我々は何を考えるべきか、これから社会が必要とする力はどのようなものであり、教育は何を果たすべきか。碩学たちの熱い思いが伝わってくる良書。 「何かを解決するためではなく、そもそも解決など不可能だということに気がつくために考える。答えを見つけるためではなく、探し続けるために問う。 人間がどんな時にも人間性を失わずにいることができるのは、そういう人間存在の本質にごく一部ながら自分もあずかっている、と信じられるからです。絶対的なものはない。だかそれでも、はるかに高く憧憬の矢を射るよう、人びとを挑発する。」 「たんに知識を得ることではなくて、自由を獲得するためにな「戦う技術」と言えそうです。」 「生前の岡崎久彦さんに「外交官として最終的に大事なものは何ですか」と尋ねたら、言下に「教養と人間性」と答えていましたよ。」 「多様な分野を股にかけ、多元的な価値尺度をもって学び、知識を蓄積していくことで、ノイズの発生装置をつくる。」 「リベラルアーツや教養の基本は、いま教えられている常識をそのまま受け入れず、「なぜ」と問いかける批判的精神です。」

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    投稿日: 2024.03.18
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    最近巷でよく聞く「教養を身に着けたい!」という声。 が、その内実をよくよく聞くと知識人ぶって一目置かれたいだとか世界のエリートがやっているから身につけなくちゃというものが多い。 でも、それってホントに教養なの? という疑問から始まった本書。 本書でいう教養とは 良き市民をつくるためのベースである。 そのため、知識を付ければ良いというものでなく それらから影響を受けて醸成されて人格を形成せねばならないため必ず時間がかかる。 という内容をベースに様々な社会的潮流について4人の学者と対談している。 教養の意義については手放しで賛成ではあるが、せっかく日本人の議論なのに東洋哲学・思想の出てくる場面が少なかったのと、大学という人の一生からすれば極短い期間のみを討論対象にしていたのが少し残念。 むしろ教養の必要性を感じる壁にぶつかるのは社会人になってからが圧倒的に多いからだろうに。。

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    投稿日: 2024.02.25