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東京都同情塔
東京都同情塔
九段理江/新潮社
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総合評価

476件)
3.4
70
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48
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    九段さんは旧浦和市出身ということで、私にとっては同郷の方。そんな方の芥川賞作品ということで読んでみました。難易度は高いです。でも、好きなところはこの作品のテーマが言葉についてであり、生成AIやSNSで様々な言葉が氾濫する中でその重さについて問うもので言葉というものへの愛というか執着を感じるものだったからです。なんというか、丁寧。そんな作品が一部生成AIで作られてるという外部的な?要素もまた面白い。言葉について諦めずに考えていこう。そんなメッセージが伝わってきます。

    1
    投稿日: 2026.01.10
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    何言ってるかわからないところもあるけれど、日本語についてのくだりとか共感もあり。しかし、新宿のど真ん中にセレブ刑務所タワーなんて建てちゃったら、そこに入りたい犯罪者が集まりすぎて収拾つかなくなるのでは…?

    1
    投稿日: 2026.01.07
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    "言葉"は、正義やら、理想やら、概念やらを語りまくることが出来る手段ですが、"実"はない。 "塔"は、建ってしまえば現実そのもの"実体"となる。 この本に登場する幸福論者の言う、刑務所の在り方はなんとなく理想的なものに聞こえる。 そういう側面や事情の犯罪者もいるだろうなという気持ちにもなる。 でも、よくよく考えてみると変な話しだなとも思う。 そんなタワー建築を前に、建築家の女性と、イケメンとすごく口の悪い外国人の記者と…そうそうあと、忘れてはいけないのがAI。 登場人物はそれくらいしかいないものの、それぞれのキャラクターから見えてくるなんとも言えないモヤモヤ感が、ほどよい令和感ある言葉で綴られている点が面白い。 どこか腑に落ちない、でも文句も言いにくいテーマってありますよね。 理論としてはわかる。 でも、それでいいのか?と言われると、ちょっと何とも言えない。 人間の中に渦巻く偏見とエゴと多様性が、超立派な塔として街の中にどーんと出現した時に、自分はそこに何を見出して、何を感じるんだろう? そんな事を読み終わってもモヤモヤ考えてしまう一冊。 難解だったという感想を書いている人がいる気持ちもわかるのですが、実体のない言葉と超実体のある(しかも存在感がどデカい)タワーとを並べて物語化しているところとか、時間が理由なく飛んで進んでいくところとか、構えずに読んだ方が楽しめると思います、

    3
    投稿日: 2026.01.01
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    芥川賞でちゃんと読めたの初めてかもしれない。この世の皮肉を広い視点から、現実のような表現で言葉で書かれているのがすごかった。 庭で殴られたときはぞっとした、小さくたくさんゾッとした

    0
    投稿日: 2025.12.28
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    いろんな言葉が入り乱れていて面白く読めました。読者に何が正しいのかを突きつけているでもなく、反応を求めない独白を聞いているような気持ちで読み終えました。東京都同情塔、実際にあってほしいとなぜだか思ってしまいました。

    0
    投稿日: 2025.12.23
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    コンプライアンスの時代に代表されるような、気を使って言葉を発しないといけない現代が持ち得る危うさが、空想的な予測をはらんで未来に向かった結果を表現したような作品に感じた。看護婦という言葉が使われなくなったのと同じベクトルで、犯罪者はホモミゼラビリスに、そしてそこにいたるまでのバックグラウンドにまで気をつかわないといけなくなっている表現方法が面白かった。随所に性を象徴する比喩表現や構造の配置が見られたが、それが何を表現しているのか、自分には深く理解できなかった。テーマは理解できたと思うがそれに深みを与える表現が自分の理解を超越していたので、もっと読解力か感受性を高めてまた読み直したいと感じた。

    0
    投稿日: 2025.11.18
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    「自分の言葉で書かないと彼女の自伝にならない」と言いながら他人の言葉を借用する男の子。コロナが明けたと思ったら、正しい言葉を並べないと他人と対峙できない病気が蔓延しているよな。 本のレビューをかくにしても、他人の評価を見て、自分の見立てが正しいのか確かめないと怖いと感じる。 はっきり言って全然物語は面白くないし、登場人物もイケすかない。ただ黙っていたらその方向に向かっていく未来がある一種の預言書。ただ、日本人はもっと流されやすくて、トランプの再登場でまた違う未来を見てる気もする。

    0
    投稿日: 2025.11.13
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    ザハ設計の国立競技場、1,300億円が高かったのかどうなのか。こんな金額の多少なんて判断する知識もないけど、大谷翔平くんの10年の契約金が1,000億円余りで、ドジャースが2年間で元をとったと報じられるとなんだかねぇ。レビューから逃げております。寛容論だか同情論だかわかんないけど、こんな塔に収容して幸福に生きられるのならば進んで犯罪者になります。そんな作者の思う壺の感想しか浮かばん。ともあれ、AIと問答を重ねるのは面白い。私の下衆な問いかけにすべて応答するAIは健気というか気の毒だ。黙秘の判断を許したい。

    1
    投稿日: 2025.10.30
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    文体の影響か、あっという間に読み終えてしまった。 スト−リ−を追うというより、感覚をずっとなぞっていくようで、スルスルするすると文字が流れていく。なにか大事なことを見落としてると思いながら。 鈴木保奈美の番組に出ていた作者の理知的な言動に、どんな文章を書くのだろうと興味を持ったのが本書を読むきっかけだった。読んでいる間自然と彼女の佇まいとリンクして、その頭の中をずっと覗き込んでいるような感覚だった。 AIとの関係性は今後もっと密になっていくことを改めて予感させるが、何を持って正しいと(もしくはそういうものではないと)判断されていくのか、未来が見えるようでいて見えない。 読み終えてからなにか思索しようとすると、世界平和を願うが隣人を恨む知人のような矛盾を感じ、気づいたら希望とむなしさが相反しながらずっと残っていた。

    12
    投稿日: 2025.10.29
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    独白が多く読みにくい。 お前の考えとか知らんから。 何が言いたいのか全くわからないし、浮雲のようなお話。 これを良いと思う人とは合わない。 今後年下の女性の描く(書くと言いたくない)小説は読まない。

    0
    投稿日: 2025.10.25
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    インタビュー番組を見て、知らなかった作家さんなんですがやっと読んでみました(書店になかなかなかった)。こういう内容って好き嫌いがはっきりしそうですが、私は好きな方です。 まずは倫理観を置いておけば、アイデアが面白いと思いました。 ただもう少し登場人物を膨らませてくれたなら、私は感情移入しやすかったかな。番組で、この本のプレイリストがSpotifyにあると言うので(九段さんが作られた)聴いてみたら、それがなかなか良かったです。読んでいる時に聴くといいかも。

    2
    投稿日: 2025.10.21
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    正直な感想として、わたしには難しかった。 あとから芥川賞候補だったというのを見て納得してしまった。こういう文章もすらすら読めるようになりたい、とも思う。

    0
    投稿日: 2025.10.14
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    MUFGが国立競技場の命名権を買い取ったニュースが偶然にもタイムリーに響き合う。MUFGスタジアムとかにすんのかねー、知らないけども。 日本人が日本語から離れていく、カタカナに逃げていくという感覚は、社会人になってから結構強く感じるようになった。 何かを包摂しようとする語は、何かを排除しうる語を糾弾する。漢字の熟語に比べて、カタカナ語の包摂力の大きさみたいなものは感覚的にわかるが、果たしてそのカタカナで構成された余白の多い語は、本当に包摂されるべきものを掬い取っているのかという疑念の拭えなさが、常にカタカナ語にはついて回るような気もする。牧名はとくに言葉を厳格に使う人間だったが、彼女のうちに住む自己検閲官的存在は、ザハ・バディド案が白紙になって隈研吾の国立競技場が立ちパンデミックの最中プランBの五輪開会式を強行したその後の世界を生きる現代人に、程度の差こそあれど備わっているもの、というか住まわさざるをえなくなっているもの、な気がする。

    3
    投稿日: 2025.10.09
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    全然入ってこなかった。 この関係性がどうにかなるのかな?と思ってページを捲り続けたけど、思ったようにはならなかった感じ。

    7
    投稿日: 2025.10.04
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    近未来の東京、建築家の女性のとある塔の建築プロジェクトを通して、言葉と建築を中心に社会のあり方を描く、、、お話(?)。 芥川賞らしい硬質な文章だったため、ちゃんと理解できているのか不明。ただ何故だかすっと読まされてしまう作品ではあった。 当時AIによる文章生成が話題になっていたけど、そこは特に問題ではなくて、それを主題に捉えて(?)、言葉の大切さを訴えているようなところがステキなことなのだと思う。 オリンピックとかジャニーズ問題とか社会風刺も入っているところはさすがだなぁ、と思いました。

    1
    投稿日: 2025.10.04
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    オーディブルで聴いた 犯罪者が社会的に作られるということや平等とはといった問題に一石を投じているように感じた。 主人公や主要人物の人間像に共感は難しく、物語として面白さは感じられず、また、あまり自分として、問題への思考が深まった感じもしなかった。 彼岸花が咲く島と同様に、芥川賞って何を観点に選ばれてるのかなと素朴に思った。

    1
    投稿日: 2025.09.23
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    AIを0.1%使った、?と発言していた九段理江さん。文学をよく知らずにこの作品をも読んでない人々が「人間のおわり!」だとか「AIに負けた」だとか言っていたけれど、そういう人たちは参政党を支持しているのかなと思った

    0
    投稿日: 2025.09.13
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    設定に惹かれて読んだ 何故なら自分も ザハハディド案が通ったら素晴らしかったのにと思っていたしハディドの建築でオリンピックしてたらどうなってたのかな、などを想像していたから だがしかし、作家の想像力は化け物だった 世界観や言葉選び 文体などに身体をわななかせながら一気読みした 作家の哲学がノイズになって読みにくい体験をいくつかしてきたが、九段理江の言葉に対する哲学はノイズにはならず物語と共振していた 好きな作家に出会ってしまった、一目惚れしちゃった感 非常に芥川賞っぽい作家で好きだ

    4
    投稿日: 2025.09.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    難解な箇所では文章を反復することもあったが、非常に読みやすい印象も残る不思議な文章だった。 国立競技場の描写に違和感を覚え読んでいる途中にネットで検索をして、ザハ案が通ったパラレルワールド的な東京の世界を描いているのだと理解した。 「東京都同情塔」、この塔の是非についてメインキャラたちがどういった考えを持つのかの具体の描写があまりなかったのが少し残念だった。それは塔の是非自体がこの本の主題というわけではないから、というのも理解しつつ、私自身が非常に興味のあるテーマなのでそう感じた。 犯罪者は哀れまれるべき、彼らは環境に問題があっただけ、というのは、社会心理学や犯罪心理学に即した考え方だ。 人間の行動は全て遺伝要因と環境要因によって決定づけられるというのが社会心理学的な考え方で、私もそう解釈している。私は殺人事件の加害者などの生い立ちに日頃から関心を持っていて、時には涙ぐみながらWikipediaを読んでいる時間もあるし、加害者の名前をTwitterで検索して「こいつを今すぐ死刑にしろ」などという安易な書き込みに腹を立てたりもする。 そのため、マサキ・セトの提唱する「ホモ・ミゼラビリス」論には概ね賛成の立場で読んでいた。 ただ「東京都同情塔」については、アメリカ人記者と同じように、鳥肌の立つような嫌悪感を抱いた。 私は犯罪者は哀れまれるべきだとは思うが、だからこそ、更生のために刑務所に入るべき、入らなくてはならないと、自分が思っているのだと知ることができた。 マサキ・セトの理論ではホモ・ミゼラビリスはあくまでホモ・ミゼラビリスであり、ホモ・フェリクスにはなれないのだ。その思想が私に嫌悪感を与えたのだと思う。 マキナ・サラが最終的に「東京都同情塔」を建築すべきではなかったと感じた理由がどこにあるのかは読者の想像に委ねられていたが、もう少し描写してほしいと感じてしまった。 この本の帯にはAI時代の預言の書と書かれていた。徐々にAIに侵食されているような描写もあり薄気味悪くも感じたが、私の日常もAIに侵食されていると最近は感じることもある。 そういった未来でも、やはり思考は人間にしかできないものなのだと信じたい。マキナ・サラのようにとめどなく思考を続けることは、程度はあれど自分らしく生きていくために不可欠であると感じた。 私はマキナ・サラほど賢くはないので烏滸がましいし気恥ずかしいが、何かを考え続けて神経質気味な節があることに共通点を感じたため、比較的好きな登場人物だった。 言葉の持つ効力について考えさせられる一冊だった。

    1
    投稿日: 2025.09.07
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    中学(およそ10年)振りくらいに小説らしい小説を読了した。 ブランクありまくりの自分でも、とても読みやすかったと感じた。 高校時代はほぼ読んでおらず、大学に入り少し読み始めた。 ほとんど加納さんの本(といっても2,3冊)だけだと思うけど。 おそらくこの本も加納さんが薦めていたと思う。 もう序盤から引き込まれた。 『シンパシータワートーキョー』 この言葉のモヤモヤ感を言葉のニュアンスで表現。 ここが伝わるか、理解できるかどうかがこの本を好きになれるかのポイントだと思う。 もうこの序盤で小説を語れるほど全く小説読んでないが、おそらく普通の小説ではない、少し異質な小説だと思う。 加納さんの本も少し異質。 同時に伊坂幸太郎の『重力ピエロ』をそれこそ中学ぶりに読んでるが、すんごい小説感ある。 (電車の中では持ち運びやすい文庫の重力ピエロを読み、授業の間などで東京同情塔を読んでる。家では勿論読めない。) 本を読まなくなり、大学に入ってからは映画にハマった。 当たり前だが映画と小説は全く違うなと。 『TENET』を小説にしたら全く面白くないだろうし、『東京同情塔』を映画にしたら多分面白くない。 映画は心情などを映像、画角、音などで表現することが多い。未だに自分もあらゆるシーンが何を表しているのか分からない。そしてなんと言っても迫力を出すのに映画は最適だ。アクション映画を小説にするなんて有り得ない。 小説は全て文字。当たり前だけど。 映画より若干分かりやすいのではとすら思った。中学の自分に言ったら驚くだろうな。 特にこの本は登場人物が語り手のため、登場人物の心情、性格が全て分かる。 この本の特徴はその語り手が複数いること。 全員個性豊か。映画で長々これを表すの難しいだろう。 犯罪者は環境によって犯罪者にならされた。酷く共感。 麻原彰晃が俺と同じ人生の歩みを送ってたら麻原彰晃になってなかっただろう。 犯罪者の考え方等は非常に面白かった。重力ピエロもそのような話をしており、とても考えさせられる。 物語を通し、とても説得力があり、本当にこういう人や事象が起きてもおかしくないととても感じる。 この小説は3人に渡って語り手が移動するが、自分の読んだ感じ、外国人以外は塔についての是非は語られて無かった気がする。 ある程度の反論は既に本書の中でされてる気がする。 そこら辺も改めて凄いな。 このニュースが出たら、ヤフコメで出てくるであろう意見は大抵網羅されてる気がする。 その中でも、この塔が終身刑用施設ではないかというのは自分では思いつかなかった。 塔の外に出れない代わりに無償でタワマン生活。 この話は塔が完成した2030年から半年後までの出来事しか描かれていない。 出たいと言ったら出れるんだっけ? なんか作中では『出たいという人はいない』という記述があった気がしたけど、どうだろう。そんな訳は無いだろうな。 自分の全ては環境が作り出したと思ってる。 自分の身体やある程度の性格は両親から。家族はあまりにも強すぎる環境だ。そして学校や友達、場所。 当たり前だがその環境は千差万別。同じ両親の元に生まれたって年代が違ければ全く違うものになる。双子ですらそうだ。 そこで生まれる不公平さはもうどうしようもない。 目が悪い人は一生メガネ代やコンタクト代はかかるし、花粉症の人は一生花粉症の薬を買い続けなければならない。(一生でどれだけの出費になるんだろうね。) そもそも紛争地帯や貧しい国に生まれた場合、自分がそういう立場だと分かりもせず亡くなる場合だってある。それも全部環境のせいだ。 しゃあない。しゃあないんだよ。 森羅万象のものは生まれてきたら自由に生きていいはずなんだ。 だが世界ではある程度、善悪が決まっている。ルールが決まってる。頭の良い人間がどうしたら全員が過ごしやすい世界が作れるだろうと長年考えてできた最先端の世界が今だ。 悪を善にしたら秩序が壊れるだろう。 環境のせいだが、この世界で決められた悪事を働いたら、罰せられるでこの世界はギリギリ成り立っている。 悪を善にしたら、今までの善が悪になる可能性が大いにある。 塔は倒れるだろう。 最後の文は難しかったな。 我々は建築物。

    0
    投稿日: 2025.08.29
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    注 内容に触れていますが、それを読んでもこのお話がつまらなくなることはないと思うので、敢えてネタバレ設定にしていません 読み終わって見た、表紙の「QDAN RIE」に、QDANって“糾弾”? それとも、たんに、「くるり」の英語表記がQuruliみたいなもの? あー、でも、「くるり」の英語表記がなぜQuruliなのか知らない(^^ゞ 図書館で借りたので、表紙をめくると帯が貼り付けてある。 「Q あなたは犯罪者に同情できますか?」 「Q あなたはなぜ犯罪者ではないのですか?」 えぇーっ! これって、そういうお話だったっけ? ……。 ……。 ……。 全っ然っ、違うだろっ!(爆) まー、あられもなく帯で煽って本を売りたい出版社のマーケティング手法にツッコんでもしょうがないので感想に行く┐(´д`)┌ AIには興味を持っていて、何年か前に放送していた松尾豊が出てくる番組はホント楽しく見ていた。 だから、この本が芥川賞をとった時に著者が言っていた「生成AIを5%ほど使って書いている」には、結構コーフンした。 ただ、その後、いくつかインタビューとかを見ていたら、生成AIを5%ほど使って書いたというのは、生成AIに物語らせたということではなくて。 おそらくは、お話の中に出てくる生成AIの回答を、実際の生成AIに質問してみたってことなんだろうなぁーと。 であれば、ま、芥川賞だしw 文庫になってから読めばいいやって思っていたのに、読んじゃったのは、何を血迷ったか? ウン十年ぶりにブンガクに目覚めちゃったからだ(爆) ま、ウン十年ぶりといっても、ブンガクwに目覚めていたのは高3の秋くらい〜大学1年の間くらいなんだけどね(^^ゞ ただ、思い返してみると、その期間は超個人的横溝正史ブームでもあった。 つーか、高3の秋といったら、そもそも受験シーズンじゃん(^_^;) 文学だの、横溝正史だの読んでるヒマあったら、勉強しろよ!って話だ。 何を言いたいかっていうと、この本を読むのを、結構楽しみにしていたということ(^^)/ つい最近も、(生成AIを5%じゃなくて)95%を生成AIで書いた(小説を書くためにAIと対話しながら書いたというべきか?)短編『影の雨』を執筆中、著者が感じた、“(AIには)新しいものを見たいという欲求がない。人間のクリエィティビティーって、もっと違うものを見たい。もっと新しいものを見たいとか、もっと遠くに生きたいっていう欲求が、今この世界の形をつくっていると、わたしは思うわけです”、というインタビューをテレビで見ていたこともあって。 「この人、面白いなぁー」と、著者にすごく好感を持ったのだ。 それなのに、(今まで一度も読んだことのないw)芥川賞の本を読んでみようと、図書館で選んだ3冊の中にこの本がなかったのは、一つには、これは文庫になるのを待って、買って読もうかな?と思ったのと。 なにより、この本についての著者のインタビューを何度か見ている内に、なんとなぁ〜くだけど、どういうお話なのか想像がついてしまった……、というのがあるかもしれないw でー、読んでみて思ったのは、「うん、まぁ…、想像通り?」みたいな(^^ゞ いや。構成が、登場人物3人の語りになっているなんてことは全く想像していなかったし。 ストーリーも、お話そのものの雰囲気とかも、全く想像したものとは違う。 ただ、こんなことを書くと著者に怒られるかもしれないがw、テレビ等で見た著者のインタビューから、著者の主義主張…、というと大げさになっちゃうんだけど、そこまではいかない、ものの見方、あるいは実際に現在見て思うことって、自分のそれとちょっと近いところがあるのかな?と思っていたこともあって。 それを踏まえた上で、芥川賞当時のテレビの本の紹介の記憶、あるいは流域面積世界最大の川にある、この本の内容紹介、“日本人の欺瞞をユーモラスに描いた…”、“寛容論が浸透したもう一つの日本”を見ていると、この本を読んでも自分が思っていることの追認でしかないんだろうなぁーと思っていたら、その通りだった、ということだ。 だからといって、全部が全部、自分が思っていることの追認だったということではない。 というのは、この本を読んで著者の意図をおおよそ理解出来たか?というと、そこまでの自信はないし。 ていうか、途中から、この小説が言っていること(著者が言いたいこと?)を敢えて批判するように読んだと言うのもある。 また、読んだのが例の参議院議員選挙のすぐ後だったこともあって、この本に書かれていることって、例のナチスと言うよりはタリバンに近い人たちwの主張の根拠にされそうで怖いな、とも思った。 というか、まさか著者、何年後かにタリバン兵に闇落ちしちゃうなんてことないよね?なんて(爆) まぁ、いっくらなんでも、そんなパァ〜な人じゃないとは思うけど(^^ゞ ただ、頭のいい人が自らの理屈に縛られ、何も見えなくなっちゃった末に愚かな人たちの先頭に立ってしまうというのはよくあることだからなぁー(ーー;) この前の『Schoolgirl』といい、これといい。 著者の小説を低く評価しまくっている自分だけどw、著者の才気煥発さは結構ファンなので(^^)/ 「ダース・クダン」のような悪夢はカンベンしてほしい(爆) というわけで、感想に移るがw まず思ったのは、このお話が、例の最初に決まった国立競技場が建てられている世界になっている設定の意味がわからないこと。 ただ、前に見た、ネットにあったインタビュー(何だったっけ?w)には、確か「まず、unbuildをテーマに書きたかった」みたいなことがあったように記憶しているので。 一転不採用になっちゃった、例の果物カゴみたいな競技場wが建っている世界というのが先にあって。そこに、寛容すぎるのはいかんようーwみたいな、著者の憂慮がくっついたということなんだろうか? ていうか、果物カゴw 果物カゴとはいえ、お話の舞台の情景として、あのアーチは映えるよね(^^ゞ ただ、個人的には、実際に建っているものの方が好きだけどなぁー。 2021年の東京オリンピックは、新型コロナもあって、いまや全国民的にクソミソ扱いだけど(爆) エンブレムといい、競技場といい。一度決まって不採用になったデザインは、いかにも「高度成長期(のオリンピック)よ、再び!」みたいなデザインだったのに。 実際に使用したものは、ユニークさのあるよいデザインになったのは面白いなぁーと思う。 「シンパシータワートーキョー」という設定は、あくまで寓話としての設定だと思うので。 そこにツッコミ入れてもしょーがないんだけどw、ホモ・ミゼラビリスなる人たち(設定ではそこに”入居”出来るのは犯罪者だけではなく、たんに一般社会に適応出来ない人も“入居”出来るようだ)を一般社会から隔絶された環境で快適に暮らさせるのが目的なら、土地が高い都心ではなく、地方の自然豊かな場所に建てられるだろうし。 いくら寛容すぎる日本wとはいえ、ない袖は振れないわけだから。 (土地の高い)都心に71階建て(だっけ?)のタワーを建てられるということは、その世界の日本経済はバブルの頃のように豊かで、政府(東京都?)にもたんまりお金があるということなんだろう。 であれば、ホモ・ミゼラビリスなる連中が快適に暮らそうが何だろうが、一般社会から隔絶されるならばそれでいいんじゃない? そりゃ、こっちはこのクソ暑さの中、「エアコンのスイッチ入れようか? でも、電気代かかるんだよなぁー」なんてやきもきしながら暮らしているのに、ホモ・ミゼラビリスどもはオレたちの税金で涼しく暮らしてんだろうなぁーと思っちゃったら、ハラたつけどさ(爆) ただ、大事なのは、殺人鬼や強盗、泥棒や詐欺犯に性犯罪者、万引きに露出狂、ネットでデタラメ吐き散らした挙句に人を殺しておいてカエルの面に小便顔みたいな、ありとあらゆる悪い連中が一般社会と一切関われないようになるということでしょ? であれば、それでいいじゃん(^^)/ そういえば、お話の中に、ベーシックインカムの実験みたいなこともチラッと出てきたけど。 ホモ・ミゼラビリスどもwの楽しみって、普通に考えたら、買い物しかないわけじゃん(お話の設定のお勉強や読書、DVD鑑賞に勤しんであらせられるというのはともかくw)。 つまり、ホモ・リゼラビリスどもにベーシックインカムでお金を支給したとしても、貯金されることはなく(使われない死に金にならずに)、1ヶ月で全部使い切るだろうから、経済全体にはむしろプラスになるんだと思うのだ。 買い物ばっかりしていると、物は溜まる一方だろう。 たぶん、フリマか何かで売っちゃう仕組みがあるはずで、一般社会に発売されて間もない良質な中古品が安価に供給されるというメリットもある。 その他、ホモ・ミゼラビリスどもwの毎日の食事や掃除洗濯、医療等はおそらく民間業者が担うんだろから。 出入りの業者には安定した収入が約束されるはずだし、そもそも、タワーで働く雇用も生まれる。 塔のような刑務所と言われて、思い浮かぶのは、葛飾区の東京拘置所だけど(タワーではないけどw)。 前に何かのテレビ番組で、東京拘置所の収監者に面会する人が差し入れの品を買う店を見たことがあるが、そういうお上のお目溢しっぽい必要最低限ではなくて。積極的に刑務所で金儲けw(というよりはそこに人がいればこその経済活性)みたいな仕組みはあってもいいように思う。 ていうか。 (寓話にツッコミ入れても意味ないんだけどw)ホモ・ミゼラビリスどもがシンパシータワートーキョーの中で至れり尽くせりの快適な環境で暮らしているものの、自分の自由意志でそこから出ることが出来ないという状況って、高齢者施設に入っている人の状況とほぼ同じんなんだよね。 ま、そんなこと書くと、「高齢者と犯罪者を一緒にするのか!」と鬼の首取ったように怒り出す変な人wがいるのかもしれないけどさ(^_^;) ただ、そのシンパシータワートーキョーの設定を読んでいて、著者はもしかしたら身近な人、例えば祖父や祖母、あるいは親戚に高齢者施設に入った人がいるのかなぁーと思ったんだよね。 身近でそういう高齢者を見ていたからこそ、夏涼しく冬は暖かく暮らせて、至れり尽くせりのサービスを受けられるその環境が、実は、外に出る自由がないという一点において、人という生き物にとってはものすごい苦痛なんだということを想像して書いたのかな?と思ったのだ(ステイホームが苦痛だった人は多いらしいからわかるよね?)。 ま、そんなことを書いたら、高齢者施設で働いている方々は不快な思いをするのかもしれないけどさm(_ _)m とはいえ、実際にそこで働いている人だからこそ、自分の自由意志で外に出られないところで暮らすしかないという絶望を知っているような気がするんだけどな。 (そういえば、シンパシータワートーキョーでの暮らしは、『ユートロニカのこちら側(小川哲著)』に出てきた「アガスティアリゾート」での暮らしとどこか似ている) だからこそ、シンパシータワートーキョーの設計者であることで、それに反対する人たちから脅迫を受けていることでホテルに身を隠して暮らしているマキナ・サラが、ある夜、一人ホテルを出て、自由に付近を散歩するシーンがあるんじゃない? マキナ・サラは、タワーに反対する人に殺されるかもしれない立場にある。 だけど、マキナ・サラは自由にそこを出て、自由に外を歩き回ることが出来る。 外を自由に散歩して、何か食べたければ自由に店を選んで、自分で稼いだお金で好きなものを食べることだって出来る。 思い立って、タワーで働いているタクトと連絡をとって。次の朝、一緒に朝食を食べる約束をすることだって、自分の意思で自由に出来るのだ。 でも、ホモ・リゼラビリスどもは、タワーで至れり尽くせりの生活を“おくらされて”いても、マキナ・サラのように気ままに散歩したり、店を選んで食事をする自由は許されていない。 お買い物によって日本経済を回すことを科せられた、コマネズミでしかないのだ。 繰り返すようだけど、このお話は寓話だ。 寓話の設定にツッコミを入れてもしょうがない。 であれば、犯罪を犯した悪い連中が、税金で一般社会の中流以上の暮らしを謳歌しているのは許せない!と読者は思うべきなんだろう(^^ゞ ただ。 このお話の著者は九段理江なのだ。 読者は、絶対そのことを忘れてはダメなんだって(爆) 著者の面白さっていうのは、(100%よい意味で)自分たちは正しくて賢いと思い込んでいる一般社会のバカっぽさを鼻で笑っているところにあると思うのだ(^_^;) ちなみに言っておくが、自分は著者のファンだw だって、才気煥発な若い才能っていうのは見ていてワクワクする。 “ちょっとずつ、ちょっとずつ、常識の外側にあることに挑戦していかないと、やっぱり芸術っていうものは廃れていってしまうと思うので、うーん…、そうですね。みなさんの期待に反することをあえて実験的にやってみる”という、『影の雨』のインタビュー(NHK)を見た時は、思わずテレビの前で「うっひょー!」って踊りまわっちゃったくらいだ。←実際には踊ってないw ま、鼻で笑っているは、いさかか“映え”を狙いすぎた表現なんだけどさ(^^)/ それはそれとして(←なにが、それはそれだ!w)、この著者の小説の場合は、小説の言っていることと、著者が本当に言いたいことが真逆である可能性があることを、常に想定しながら読まなきゃならないような気がするのだ。←勘ぐりすぎ?w いや、おそらくは、このお話が言っている、寛容“すぎる”ことを無意識に「絶対正しいこと(絶対正しいんだから反対意見は絶対悪とされる)」と誰もが思っている、今の日本社会の空気や、外国語の言葉を安直に使いたがる風潮によって日本人のアイデンティティがおかしくなっている(ような気がする?)ことは、著者も多かれ少なかれ憂慮しているんだろう。 ただ、それらって、「それは日本人のアイデンティティに関わることだからやめましょう」といってやめられるような単純なことじゃないわけじゃん。 外国語の言葉を安直に使いたがるのは、大陸の文化や文明(文字や言葉、食べる物の種や栽培方法や料理方法も)取り入れる、弥生時代の後期くらいからずっと続く伝統、そして、それは明治以降は西欧に変わることになる当たり前のこと、つまり、それこそが日本人のアイデンティティであるからだろうし。 そもそも、横文字の言葉をサラッと使って、周りからカッコイイと思われたい(or一人悦に入りたい)のは誰しも同じだろうw また、寛容“すぎる”ことが現在絶対正しいことだと誰もが思っているのは、いつの世も一般庶民というのは小難しいことは考えずに楽をしたい…、つまり、何もしないでSNSやネット動画を無為に見続けていたいからだ(or日々の暮らしに追われているから憂さ晴らしというのもあるw)。 だから、マスコミやネットで誰かが「それが正しい」と言ったことを安直に自らの考えとして取り入れ、それに沿った行動をすることで、自分が世間から外れていない正しい人なんだと思って暮らしていられるわけじゃん(^^ゞ さらに言えば、自分の考えとして選んだ、他の人が言っていた「絶対正しいこと」が世間の空気になっていることで、それに反した人に一切後ろめたさを感じずに批判できる楽しみもあるw 今も昔も一般庶民というのは、そういうものだし。 その一般庶民が構成する社会というものも、そういうものだ。 ただ、この本の著者は、たぶんそれとはちょっと違う面を持っている。 だから、この著者は面白いんだよ(^^)/ つまり。 このお話が言っている、寛容“すぎる”日本人というのを、著者が思っているのは確かだと思うのだ。 でも、その寛容“すぎる”日本人の寛容さというのは、日本人(or日本社会が)にすごく包容力があるから寛容ということではなくて。 日々の忙しさにかまけていて、自分でちゃんと考えるのは面倒くさいから、自己主張して称賛を浴びたいだけの誰かがいかにも正しいっぽく言ったことを鵜呑みにし、安直に自分の考えとしちゃうことで安穏と暮らしているからこその‘寛容”にすぎないわけだ(爆) いや、著者はそうは書いてないよ。 でも、九段理江ともあろう人がそれをわかっていないはずはないだろう。 つまり、寛容“すぎる”日本人というのは、その寛容の対象が自分とは関係ない人やこと、あるいはキレイゴトだからこそ、寛容“すぎる”日本人なのだ。 それは、それが自分と関係があれば、寛容“すぎる”日本人は途端に不寛容になるということだ(だから、日本版タリバンのお題目である「日本人ファースト」が猖獗をきわめたわけでしょ?w) だから、それが自分と関係あると思った人たちは、タワーの建設に“不寛容”な態度を示して反対デモを起こすわけだし。 マサキ・セトが殺されたのも、マキナ・サラが身の危険を感じてホテルに隠れているのも、人々が寛容“すぎる”日本人なんかではないからだ。 むしろ、自分の意に反する人や者は許さない。みんなで寄って集って、殺してしまうことだって辞さない。 それが、寛容“すぎる”日本人の正体なんだろう。 (もっとも、それは日本人に限らず、どこの国、いつの時代でも、一般庶民というものはそういうもので。一般庶民というのは、自己の幸せや利益のために生きているのが普通だ) その一方、タワーの入口近くで「ここが刑務所(プリズン)であることは知っていますか?」というマックス・クラインの問いに、「プリズンじゃないですよ」と訂正した上で「刑務所を探しているんですか? 刑務所に行きたいなら府中、拘置所なら小菅っていうところなんだけど…。ここは刑務所じゃなくて、ドージョートーなんです」と答える、若い母親が出てくる。 若い母親は、「あの中にいる犯罪者が怖くないんですか?」と問うマックス・クラインに、「何が怖いんですか? 塔内だろうが塔外だろうが、みんな同じ世界に生きる、同じ人間ですよ」と答える。 まさに、寛容“すぎる”日本人なのだが。 ただ、その若い母親が本当に寛容“すぎる”日本人、…つまり自分では何も考えずに、誰かがもっともらしく言った“キレイゴトというデタラメ”を鵜呑みにしているだけの人なのか? それとも、塔の中にいるホモ・ミゼラビリスを「怖くない」とちゃんと理解した上で、そう言ったのか?ということだろう。 読者に、そのことが徐々に明かされていくのは、そのすぐ後。 マックス・クラインが、ドージョートーがベーシック・インカムの実験場だという見解を支持すると一人語りしたり。 今はタワーで働くタクトから、「法律に違反していなくても、日本国籍を取得して、かつ同情に値すると認められれば、マックスさんにも塔に住む権利はあります。罪を犯さざるを得ないほど不憫な生い立ちなら、誰にでも、誰にでも。同情テストを受けてみますか?」と聞かされたりする。 同情テストのことはマックス・クラインも知っていて。 Q 親から暴力を受けたことがありますか? Q 経済的に困窮したことがありますか? Q 他人より極端に容姿が劣っていると感じますか? Q 自分以外の人間になりたいと思うことはありますか? “…等の陰鬱なアンケートに答え、真に同情すべき人間がどうかをクソAIが診断してくれる”とマックス・クラインが一人語りを続ける。 読者はここで、「タワーにいるのがどういう人たちなのか?=ホモ・ミゼラビリスとはどういう人たちなのか?」ということが朧げにわかってくる。 法律に違反した者、つまり犯罪者だけではなく、「同情テスト」によってAIが“真に同情すべき人間”と診断された人もタワーにいる(自らの意思で入居している)ことがわかるのだ。 ということは、タワーにいる犯罪者は犯罪者でも、「同情テスト」の回答で「同情に値する」とAIが判定した者たちのみが入っていることになる。 つまり、法を犯した者というのは、親から暴力を受けていたり、経済に困窮した経験があったり等々の犯罪者、言ってみれば、最近の日本のミステリー小説に出てくる王道パターンの犯人なのだ(というよりはワンパターン?w)。 そういったミステリー小説の中で犯人は酷い犯罪を犯すが、犯人の子どもの頃からの境遇が明かされるにつれ、読者は犯人に同情や共感を示すようになる。 そういったミステリー小説が今多いように思うが、つまり、タワーの中にいるのは、子どもの頃からおくってきた境遇に、人々が思わず”同情”しちゃう、そんな犯罪者たちということだ。 さらに。 タクトによればさらに、タワーに入るのは法を犯した者だけでなく、“日本国籍を取得して、かつ同情に値すると認められれば塔に住む権利”があるのだと。 親から暴力、経済的に困窮、容姿へのコンプレックス、自分以外になりたい願望等々の質問に当てはまる項目がありやなしやで言ったら、おそらくほとんどの人がかなりの項目に該当するはずだ。 つまり、働きたくない人、社会と関わりたくない人、あるいは人生を投げちゃった人は、形だけの「同情テスト」さえ受ければ、自動的にシンパシータワートーキョーに入居出来て。 外出の自由こそないものの、三食昼寝+小遣い付きの至れり尽くせりの生活をおくれるということだヽ(^o^)丿 とはいうものの、普通のまともな人は、自らの自由が拘束されるそんな場所に入りたいとは絶対思わないだろう。 それは、新型コロナによる「ステイホーム」に、ものすごくストレスを感じた人が多かったのを見ても明らかだ。 でも、例えば、働くのが嫌な人だとか、社会に嫌気が差して家にずっとこもっていたい人なんかだと、タワーに入った方がいいと思うのかもしれない。 タワーに入っている人というのが、そういう人たち、つまり、同情の余地がある犯罪者、あるいは働くのが嫌だったり、家から出たくない人たちなんだとしたら、マックス・クラインの問いに、若い母親が「プリズンじゃないですよ」と答えるその背景が見えてくるし。 「刑務所を探しているんですか? 刑務所に行きたいなら府中、拘置所なら小菅っていうところなんだけど…。ここは刑務所じゃなくて、ドージョートーなんです」という意味もわかる。 つまり、刑務所があるのは府中、拘置所は小菅で。 タワーは刑務所でもなければ、拘置所でもない。 タワーは、みんなから同情される…、つまり、一般庶民が自分の立場から見て毒にも薬にもならない「弱者」が入る場所(というより、毒にも薬にもならないと言うよりは、一般社会では箸にも棒にもかからない人たち→だから同情するべき人たち、というような認識の方が正しいのかもしれない)。 だから、若い主婦は「(前略)塔内だろうが塔外だろうが、みんな同じ世界に生きる、同じ人間ですよ」と答えるわけだし。 だからこそ、タワーに入った人で、そこから出た人(出所者)はいないということだろう。 さらに言えば、タワー内では誰もが自由にネットで好きな服を買えるはずなのに、入所者が買っているのがファストファッションばかりなのも、あぁ、そういう意味か…、って(^^ゞ (当たっているかはともかく)そこまで見えてくると、マキナ・サラが「東京都同情塔」ならよくて、「シンパシータワートーキョー」がなぜダメなのかが、「もしかしたら、こういうこと?」みたいな感じで想像出来る。 ちなみに、マキナ・サラはこう言っている。 「『東京都同情塔』なら建ててもいいよ」。「でも『シンパシー』は許容することはできない。日本人が本格的にばらばらになっちゃうもの」と。 そうなると、その“シンパシー”とはなんぞや?ということだ。 ということで、あらためてネットで見てみると、 「sympathy」とは、他者の感情や状況に対して共感や同情を示す概念である。日本語では「同情」と訳されることが多い。 とある(Weblio辞書より) つまり、だとすると、マキナ・サラは、(東京都同情塔の語感のことは横において)「東京都同情塔」はいいけど、「東京都共感塔」はダメ。なぜなら日本人がばらばらになるから、と言っていることになる。 カンタンに言うなら、「同情塔」は許容出来るけど(一般社会が働きたくないから働かないという人を同情するまでなら容認出来る)。でも、「共感塔」では日本人がバラバラになるからダメ!ということだ(一般社会が働きたくないから働かないという人を共感してしまったら社会が成り立たなくなるからダメ)。 「共感」というのは、ある意味、現在の日本社会において絶対正しい言葉だ。 共感する、共感される、というのは誰もが正しいことだと認識していて。共感を否定するのは絶対悪いことみたいな、一種のファシズム的な空気さえある(^^ゞ マキナ・サラは(著者は)、タワーが「共感塔」という名称なのだとしたら、それは、社会が共感を示したことで、社会がそれが正しいこと認めたということとイコールなのだ、と言っているということなのか? ぶっちゃけ、「東京都“いいね!”タワー」みたいなのだけはカンベンして!みたいな?(爆) うーん…。 それが全然ないってこともないような気がするけど……w というよりは、タワーの入所者が、同情の余地はあるとはいえ(被害に遭った人がいる)犯罪者、さらに、働きたくないとか家にずっとこもってたい人であるとするならば、その人たちを自分たちの税金でいい暮らしをさせることに「No」の人と「Yes」の人の間で分断が起きて。 さらに、働かなくても国からお金貰って豊かな暮らしが出来るなら、オレ/わたしもそこで暮らす!という人ばかりになることを恐れたのか? だとすると、マキナ・サラがタクトに「私には未来が見えているんだよ」、「このパンって明日の朝食に出てくると思う?」と言ったことの意味がわかる。 ただ、「ねぇ、死んだ従弟と、夏休みに、海辺で砂のお城をつくって遊んだときの楽しい記憶がね、さっきから頭を離れないのよ、ずっと。自分が大人になれないことを、彼は知ってた」というのが宙に浮いちゃって、どの文脈に入るのかわからない。 いや、なんとなくわかるような気はする。 マキナ・サラはおそらく、“自分が大人になれないことを知っていた”従弟を、大人なった今でも自分が(世間的な意味での)大人になれないことを知っているホモ・ミゼラビリスになぞらえているのだろう。 ただ、それがそうだとしても、「日本人が日本語を捨てて、日本人じゃなくなる未来」ということが、具体的にどういう状況を指しているのか?、が見えてこない。 だから、マキナ・サラのその言葉というのは、未だ自分ながらにあやふやなんだよね。 ちなみに、自分は「日本人」というのは、旧石器時代よりもさらに前から江戸時代の少し前くらい(?)まで、大陸やあちこちからこの島に流れてきた人たちの”雑種”にすぎなくて。 その“雑種”であることこそが、日本人を日本人たらしめているアイデンティティなんだと思う方だw 「日本人」というのは存在するし、「日本文化」というのもある。 でも、それらは、様々な人や文化、モノが、現在は日本と言われている島々で混ざりあって生まれたもので。 それこそが、我々が誇るべき日本人のアイデンティティなんだと思うのだ。 つまり、例の「日本人ファースト」が100%間違いなのは、それが日本人が日本人であることを放棄するのと同じということなんだよ。 ということで。 おそらく、著者は著者の持つ知識で「sympathy」に相当な意味合いを込めているんだろう。 残念ながら、自分に著者の込めたそれを理解できるまでの教養はない(^^ゞ よって、とりあえず「今回はここまで」ということかな?(^^)/ あ、そう。 悔しまぎれに言わせてもらうとw、著者の才気は魅力的で、すごく面白いと思うんだけどさ。 その面白さが、お話の面白さと巧く噛み合っているかと言うと、まだ何かイマイチなだよなぁーw なんて言うか、七転八倒さがまだ足りない? 六転七倒しかしていないって言うか、あと一つずつ増やして、八転九倒しなきゃダメって言うか。←九段だけに?(爆) ちゃんちゃん(^^ゞ 追記 今、ウィキペディアを見たら、前より結構追加されていて。 「Rie QUDAN」の「Q」について、“ローマ字表記の場合の「Rie QUDAN」の理由としてQuestion や、Queenなどの好きな言葉の頭文字であることを理由としてあげている。”とあった。 また、“「エリンダーク」の名義でフィメールラッパー活動をすることを仄めかしているが現在も活動はしていない。そのことについて九段自身は「需要を確信したら本気を出す」と回答している。”ともあり、もしかしたら、「ダース・クダン」の悪夢はラッパーという形で現実化するのかもしれない(爆) もしかして。 著者って、意外と出たがりタイプなのかな? クィーンが好きらしいことといい、もしかしたら、自分はあまり好きじゃないタイプの人なのかな?とも思った(^^ゞ

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    投稿日: 2025.08.24
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    牧名沙羅の思考が独特で面白かった。死んだ従兄弟に似てるウェイトレスとか特に深い意味のない描写ばかり印象に残って少し難しかった。

    0
    投稿日: 2025.08.17
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    この本の文章、好きだった。まわりくどいめんどくさい感じの登場人物も好きだし、結局何が言いたいのかわかんない、ちょっと気持ち悪い感じも好き。5年後に読んだらまた別の戦慄走ったりして。示唆回収に恐怖かつ期待。また読もう。

    1
    投稿日: 2025.08.16
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    全体の5%ほどが生成AIで作られた文章をそのまま使用して、芥川賞を受賞した作品(実際は5%も使っていないかも・・との本人談もあるが) ポリコレ、言葉狩りといった現代におけるコミュニケーションが題材とされており、「日常的な言葉遣い」と向き合うきっかけとなった。 AIとの共作という点も話題になっているが、実際に自分でChatGPTにプロンプトを打ち込めば、それっぽい作品が出来上がる時代になっていて驚愕する。人文学や倫理が、AI侵食の防波堤になりうるのか、とても興味深いところ。

    1
    投稿日: 2025.08.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    なかなか面白さがわからなかった、、 言葉の使い方、難しい言葉を分かりやすい形で伝える表現は良いなと思った。 他の方の感想を見て、面白さポイントを見つけたい。

    0
    投稿日: 2025.07.30
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    あるかもしれない近未来 現代でも耳障りの良いカタカナ語に言葉を置き換える風潮が見られるが、行き過ぎるとこうなるのだろうなと思った。現代的なテーマで考えさせられる一冊でした。

    1
    投稿日: 2025.07.28
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    さらっと読んだだけでも面白かったが、内容は重層的にいろいろな問題を扱っているようで、じっくり読んで考えたい本だ。 ザハ案の国立競技場が立っているという設定自体が強烈な印象。 建築と言葉という二つの大きな題材も、「バベルの塔」で私の頭の中にも一応結びつくのだが、それぞれが大きすぎて私には消化しきれない。 AIについても同様だ。 「自分自身が心から同意していないプロジェクトに協力するべきではなかった」と後悔しているところに惹かれてしまった。意にそまない仕事をやり遂げて、「死ね」とか批判されたら、あるいは賞賛してくれている人の方が多かったとしても、どっちにしてもやり切れない。つまりは彼女の言うようにやるべきではなかったということになる。でも、小説を離れて考えても、誰が「心から同意してないからこの仕事はできない」なんて言えるだろう。

    1
    投稿日: 2025.07.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「都内に建てられる刑務所ユートピア」という、いかにも妄想っぽいアイデアが、巧みな筆致によってリアルに頭の中に構築された。 牧名沙羅は非常にこだわりの強い、自己主張の上手な女性だと認識した。建築家のことはよく分からないが、彼女のような人間がいるならちょっと喋ってみたいと思った。こちらに関心を寄せてもらえないかもしれないけど笑

    0
    投稿日: 2025.07.22
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    マキナ・サラは最初国籍が分からなかった。マサキ・セトは日本人ぽいけど性別が分からなかった。 そこら辺に著者のセンスを感じる

    0
    投稿日: 2025.07.12
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    audiobookでながら聞きしていたら、場面の切り替えがわかりづらく、現実とAIとの対話等との区別するのに時間がかかって、理解しづらかった。独特な言い回しもあり、書籍で文字を追って読むとまた印象が違うかも。いづれにせよ、いまの自分には難解な内容だった。

    3
    投稿日: 2025.07.01
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    文章内の、言葉遣いが独特だと思った。読んでいて、著者の思考がそのまま文章として構成されているような感じがした。

    0
    投稿日: 2025.06.28
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    めっちゃくちゃ面白い 私のこういうのを読みたかったって気持ちに応えてくれる小説 ザハ案の国立競技場が建てられた世界線の東京 一人の建築家女性が新宿に東京都同情塔(刑務所)を設計する話 刑務所と言っても従来の価値観とは違う意味づけをされた囚人が入居し、そこはさながらユートピアのよう 新しい価値観への馴染めなさ、頭の中でされる検閲、繰り返されるAIとの対話、日本語や日本人の気持ち悪さ、寛容、キレる白人笑、性的同意、今直面してる事をこれでもかと盛り込むのにすんなり頭に入ってきて頷かされる 東京都同情塔は、ユートピアかディストピアか 恐ろしい場所だよ

    2
    投稿日: 2025.06.27
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    この本の登場人物が、思ったこと感じたことを真っ直ぐの表現で伝えてくれたことで、日本人が持つ特有の「気持ち悪さ」に気づいた。 言葉を介している時点で、その人の本心は純度を失って伝わっている。そのことを踏まえると「真っ直ぐの表現」と用いたのは矛盾であるのかもしれない。

    0
    投稿日: 2025.06.27
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    タイトルについて、なんともよくわからん...と思ってたけど、タクトが東京都同情塔といったときに霧が晴れたようにびかーーっと塔が雲から出てきた くらいには言葉の並べ方が綺麗だなって思った。 一つの場面でいろんな考えができて、もっと丁寧に読んだら芋づる式に考え事ができそうな本だった

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    投稿日: 2025.06.27
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    タイトル深。 設定がぶっ飛んでるけど、大好き。 文章が緻密なのに、すごく読みやすくて、すらすらすらすら頭の中で音読されていく。 これまでの作品(芥川賞受賞作)で、わりかし、考えさせられるタイプだった。 犯罪者は同情すべきか。 そうした環境が必ず悪くないというわけではないが、真理を知らず、ただ道徳的に見える行為を積み重ねた先にある世界かと思うと少しゾッとさせられる。 本当のユートピアとは、神の下の調和と、進歩を兼ね備えた世界だと、知ることが大切なのではないか。 上辺だけの善意は恐ろしい。

    1
    投稿日: 2025.06.23
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    このレビューはネタバレを含みます。

    人工知能との対話の壁打ちは良くも悪くも自己の壁を厚くするっていう話。 もやっとしてて角が立ってない雰囲気が自分にはあまり合わず。 この言葉とかこの一文というのではないけど、面白い文章や表現はたくさんあった。 p. 3 バベルの塔の再現。シンパシータワートーキョーの建設は、やがて現々の言葉を乱し、世界をばらばらにする。ただしこの混乱は、健築技術の進歩によって傲慢になった人間が天に近付こうとして、神の怒りに触れたせいじゃない。各々の勝手な感性で言葉を濫用し、捏造し、拡大し、排除した、その当然の帰結として、互いの言っていることがわからなくなる。 喋った先から言葉はすべて、他人には理解不能な独り言になる。独り言が世界を席巻する。 大独り言時代の到来。

    0
    投稿日: 2025.06.22
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    言語化するのにとても時間かかった なんとなくこの本を読んで考えたことを書く 全体的な本の命題みたいなものが、 この社会の中にある答えのない問題だったように感じた!大きくは以下3つのことがあるかなと ・犯罪者について ・言葉について ・AIについて どれも本当に人によって異なる答えがあるから、この本を読んでたぶん思うことは読者によって全然違うんだろうなと面白かった 個人的には、主人公が建築家女性という同じ肩書だからこそ下二つの問題について考えた。 そして、日本に唯一のザハ作品新国立競技場ができたという世界線の設定とそこに建つ東京都同情塔のあり方を考えるストーリーがものすごく興味深かった。 私も仕事しながら思うけど、建築家であることとしてはやっぱり設計が本職であって、他のことに口出すこと(この本で言うトーキョーシンパシータワーとか)は建築家の役割ではないとわかっていながら(実際どうすることもできないし)、根本的にこの建物は必要とされているのかとか建てるべきなのかをすごく考えちゃうことがある。 建物って良くも悪くもその場所や環境や人を一瞬で変えてしまう影響力を持ってる。 そう言う根本があると、建築としてそこを利用したり関係する人たちにとっての最適解を設計するべきだとは思うけど、建築家として本当にそれで正解なのかはずっとわかんない。 んで、それはAIにも関係してきてて、AIってたくさんの情報から人々が求めてる最適解を解答するから、大半の人にとっては"正解"の回答が出るわけで、でもそこに人間味がないと感じるのは、それと反対する強い意見みたいなものをやっぱ人間が求めてるからな気がするんだな。人間は議論したい生き物なんだと思う。 だから建築を設計する建築家としてこの本を読んだ時、やっぱり私はAI的な"みんなにとっての正解"と言う設計よりは、"私が思う正解"を設計したいなと思った。難しいけどやっぱりいい建築と感じるものはどれだけ建設反対の意見があったものでも、できた時それを覆すくらいの言葉では説明できない、威厳とかかっこよさとか迫力を備えてるとこもうから。 結局なんだかまとまらない文章だけど、この一つのストーリーからすごく沢山のことを考えられた本で最高でした

    3
    投稿日: 2025.06.22
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    建築から逃げたくなってしまったわたしが建築を見直せた作品。 建築という名の「ひと」だけれど。 だから、建築をやっていない人にももちろん読む価値は十分すぎるほどある。 あとカバーの下が高校の数学の教科書と同じ柄でアツい。笑

    1
    投稿日: 2025.06.20
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    2030年に新宿に立つ新しいタイプの刑務所、東京都同情塔(シンパシータワートーキョー)の設計者の物語。AIへの問いかけが多く出てくることで読んでは見たもののとても難解。

    0
    投稿日: 2025.06.11
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    言葉は言葉でしかない。 人間やAIから表示される言葉は ただの言葉でしかない事実に 気づかされる本でした。 その言葉から生まれた感想も 沢山の異なるただの言葉でしかないことも。

    0
    投稿日: 2025.06.10
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    読み始めてはみたものの、初めの数ページ何が書いてあるのかもわからず、ただ混乱していた。無理に読み進めていくうち、ようやく刑務塔の建設について書かれているらしいことがわかった。 犯罪者が快適な空間で快適に暮らすことの意義は、私には理解できないが、外部との接触を絶たれた快適な閉鎖空間で時間を過ごすうちに、意思を伝える言語を失うという非現実(と思いたい)に背筋が凍る。 牧名沙羅が再び建築に取り組む世界が続くことを祈る。 ところで トーキョードージョートーよりトーキョートドージョートーの方が良いと感じる感性が私にはないなあ‥と。

    4
    投稿日: 2025.06.01
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    読んだ。良く分かんないので2回読んだ。 …このふわふわの頼りなさを楽しむのが読書。 現実世界で色んな疑惑に塗れた2020東京オリンピックがほぼ当初計画のまま行われた想定の東京都。 そこで進行中の新たなモニュメントとなる巨大塔建設計画に関わる建築家、牧名沙羅。 彼女の創る塔は現代のバベルの塔として人々の意思の疎通を虚しくさせるのか? タワーが出来た後のストーリーは、今ホテルでコンペ用のドローイングに精を出している牧名沙羅に見えている未来図なのだと解釈。 幸福学者に欺瞞の精神世界への扉を開いたA子さんの23回の行き止まりの果てに生を受けた拓人は忍びやかに沙羅の世界を往来して、彼女の精神世界に血と肉を供給し続ける。

    0
    投稿日: 2025.05.31
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    ザハ案が採用された国立を見てみたかった。 オリンピックのレガシーとして、内外のたくさんの人をしあわせにした可能性にかけてみたかった。

    0
    投稿日: 2025.05.19
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    オーディブルで! 文章の雰囲気が独特で面白かったー!新国立競技場が元々の案で施工された世界線という設定がめっちゃいい。ディストピアとまではいかないけど、AIが広まった世界観が現実と地続きな感じがして、東京都同情塔が本当にあるような気がしてきた。

    0
    投稿日: 2025.05.17
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    ★ 本日のレビューは、少し趣向を変えてスタートしたいと思います ★  “九段理江さんの「東京都同情塔」の感想を150字以内で述べてください” この質問をChatGPTさんにポンと投げかけてみましょう。さてどうなるでしょうか。はい、よろしくお願いします。  ChatGPTさん: “九段理江さんの「東京都同情塔」は、現代都市に生きる孤独や疎外感を鮮烈に描いた作品です。同情塔という象徴が、人間関係の複雑さや共感の難しさを表現しており、読者に深い思索を促します。美しい言葉と緻密な構成が織り成す物語は、都市生活の背後に潜む切なさを伝え、読み終えた後も心に残ります。人々のつながりの重要性を再考させられる一冊です。” いや〜すごいですね。ちょっと文字数オーバーな気もしますが、あっという間に答えが返ってきました。そんな内容なんだ!と感心してもしまう、まさに完璧な感想ですね。では、これをもちまして本日のレビューを終わらせていただきます。では、またの機会に、みなさまごきげんよう!サヨウナラ。  (^_^;)\(^。^。) オイオイ.. すみません。そうですよね。これで終わっちゃあ、さてさてが今日までレビューを書き続けてきた意味がありません。『AI』さんの進歩はすざまじい限りですが、人間がいらなくなったわけでは当然ありません。『AI』と上手くつき合っていく、これがこの先の私たちに求められてもいくものです。では、『AI』とつき合うというのはどういったことを指すのでしょうか? さてここに、”大体全体の5%くらい生成AIの文章を使っている”と作者が裏事情を明かす物語があります。まさかの『AI』の生成文が登場するこの作品。えっ!と驚く前提設定の上に描かれるこの作品。そしてそれは、2023年下半期という時代を象徴するかのように芥川賞を受賞された九段理江さんが綴る”生成AI時代の予言の書”な物語です。 『シンパシータワートーキョー』、『名前のことを考えるのはもちろん建築家の仕事の範疇を超えていたし、疑問を持ったところで状況を変える権限もない』ことはわかっていたにもかかわらず、その『音、文字の並び、意味、タワーの周囲を取り囲む権力構造、何もかもが気になり始めて、もう元には戻れなくなった』と思うのは主人公の牧名沙羅(まきな さら)。『それまで私の内部では単に「タワー」と呼んでいて、何も不足はなかった』し、『コンペの話が舞い込んできてからも、事務所内では「例のタワー」で話は済んでい』たと思う沙羅。『今後、「タワー」が何と呼ばれようと、エキセントリックな名称候補が出揃い世間を騒がせようと、知ったことではない』し、そもそも『デザインコンペの参加条件に、建築家がタワープロジェクトに同意しているか否かは含まれていない』と考えていた沙羅ですが『「タワー」が突如「シンパシータワートーキョー」に取って代わられると、それは急に質感を獲得してべたべたと粘つき脳みその皺にへばりついた』と感じます。『「有識者」が寄って集まり、散々に知恵を絞って、議論を尽くしたであろうその結果、なぜリゾートホテルみたいな語感の言葉に辿り着いてしまった?』と疑問に思う沙羅は、『「シンパシータワートーキョー」が体の中に入ってくることを全身が拒んでいる。そうだ、さっきから何かに似ていると思ったらこれは、レイプされている気分だ』と思います。とはいえ、『とにかく、私が考えなくてはいけないのはのは器なのだ』という現実を思う沙羅は『器の形状、構造、素材、予算、工期。器の中にどんな中身を入れ、思想を込めるかを決めるのは他人の仕事なのだ。社会の問題なのだ。私は建築家なのだ。放っておけばよい』と思います。そんな中、『約束の十八時』となり、『よそ行きの服に着替えてエレヴェーターでロビーに降りると』『二、三人掛けソファを独占するように斜めに腰かけ』『誰も話しかけるなというオーラを出している』拓人の姿がありました。『吐き気がするんだ』と話し始めた拓人は、『この暑さ異常でしょ。本当にこんなところでオリンピックをやったなんて信じられない』と語ります。『「あら、ごめんなさい」なぜかとっさに謝罪の言葉』を口にした沙羅。『拓人と二人で会うのは三回目だった』という沙羅は、『かわいそうに。熱中症?』と『彼の小さな頭に手を乗せ』ます。『かも。新宿駅から御苑の中を歩いてきたんだ。デモで、すごい人混み』、『タワー建設反対のデモ』と語る拓人の言葉に『入口の自動扉に目をやる』沙羅ですが、『デモの喧騒はさすがにホテルまでは届』いていません。『青山のレストランを取っておいたんだけれど、キャンセルしましょうか…部屋のベッドで休んでもいいけれど。実はシングルが取れなくて、ベッドが二台ある』と提案する沙羅に、『そうさせてもらってもいいかな』と『小さな声で言う』拓人。『元々そのホテルを予約したのは、新宿御苑を南方面から眺めるのに一番近い建物だった』からでしたが、『予約時にシングルが空いていなくて仕方なく』『ツインルーム』を取った沙羅は、『しかしかえって、思いがけない幸運に恵まれ』ました。『予約が取れた部屋は二面採光の角部屋で、間近に国立競技場と御苑とを室内から同時に見ることができ』、『スタジアムを外側から鑑賞するのに、これ以上の特等席は他に思いつかない』と喜ぶ沙羅は、『拓人がベッドで休んでいるあいだの二時間ほど』を『ひとりでビールをあけて、黄昏時に刻一刻と豊かに表情を変えていくスタジアムの屋根に陶然と浸』ります。『ザハ・ハディドが東京に遺した流線形の巨大な創造物からは、何か特別な波動みたいなものを感じずにはいられない』、『まるでひとりの女神が、もっとも美しく、もっとも新しい言語で、世界に語りかけているかのようだ』と思う沙羅。『それは建つべくして建ち、あるべくしてある。私はそう思う』という沙羅。そんな沙羅が設計を手がけることになる『シンパシータワートーキョー』という建物に思いを深めていく様が描かれていきます。 “ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられることに。犯罪者に寛容になれない建築家・牧名は、仕事と信条の乖離に苦悩しながらパワフルに未来を追求する。ゆるふわな言葉と、実のない正義の関係を豊かなフロウで暴く、生成AI時代の預言の書”と内容紹介にうたわれるこの作品。2023年下半期の第170回芥川賞を受賞した九段理江さんの代表作です。 芥川賞受賞作はページ数が少ないものが多いと思いますが、この作品も例に漏れず144ページとそれだけ聞くとあっという間に読めてしまう文章量です。しかし、実際に読み始めてみるといかにも芥川賞受賞作らしくそう簡単には頭に入ってこない混み入った構成がなされていることがわかります。切り口が多すぎてどうレビューしていったら良いか難しいところですが、私の興味に叶う部分から二つを厳選して取り上げてみたいと思います。 まず一つ目は、ブクログで他の方も言及されていらっしゃる『AI』という側面です。ここしばらく『AI』という言葉を私たちは急に耳にすることが多くなりました。もちろん相当以前から『AI』という言葉は一般社会にありはしましたが”AI元年”と言われる2023年から私たちの生活に一気に『AI』がなだれこんで来た、そんな感があります。当初おっかなびっくりというところもありましたが、私も仕事で少しずつ『AI』の利用を始めています。新しい企画を練る際、もしくは現状を見直す際に、前提条件を細かく定義した後に、”このことについて、5つの提案をしてみてください”というような感じで『AI』に質問を投げかけています。その答えには、自分が考えていたことが列挙されて思わずニンマリすることもあれば、これは思いつかなかった!という提案の出現にそのことを詳しく調べていく…そういった展開もままあります。そもそも『AI』の活用は、WEBサイトの情報を一つひとつ調べていくことと比べても格段に効率が上がりますし、その便利さを実感してもいます。そんな『AI』ですが、ついにそれが小説の世界にもやってきた…という一つの起点となったのがこの九段さんの作品のようです。そんな九段さんは芥川賞受賞会見でこのようなことをおっしゃられています。  “大体全体の5%くらい生成AIの文章を使っているところがあり、これからもうまくつき合っていきたい” “AI元年”と言われる年の芥川賞受賞作としてこれは歴史に残る象徴的な事象だと思います。とは言え、勘違いしてはいけないのがこの作品が『AI』によって書かれたものではないということです。あくまで作者の九段さんが『AI』とつき合いながら書かれたものだということです。では、九段さんがどんな風に『AI』を取り入れられたかを見てみましょう。この作品では『AI』の文章が使われている箇所が区別して記されています。九段さんが『AI』の記述と特定されていらっしゃる箇所を見てみましょう。  Sara: 【君は、自分が文盲であると知っている?】  AI-built:【いいえ、私はテキストベースの情報処理を行うAIモデルですので、文盲ではありません…】 『AI』に対して主人公の沙羅が問いかける内容です。この『AI-built』に続く文章が『AI』の生成文そのもののようです。しかし、この作品の本文ではこの先にこんな文章がさらに続いていきます。  本文: 『そして「文盲」は、侮辱や軽蔑の意味合いを持つ可能性のある差別的表現です。相手を傷付ける可能性があるため、使用を避けるべきです。』 しかし、九段さんの投げかけに対する『AI』の本来の回答は、異なっています。  『AI』オリジナル: “人間の知識や言語の理解を模倣するために設計されたプログラムですので…を持つわけではありません。” 『AI』が生成した一文以降に記されている内容は全く異なることがわかります。上記で私が仕事で『AI』を活用していることに触れさせていただきましたが、九段さんもあくまで『AI』を上手く作品創作に利用されていらっしゃるのであって、決して『AI』が生成した文章をそのまま丸写ししていらっしゃるわけではないということがわかります。また、九段さんは登場人物の台詞の内容に一貫性があるかどうかや、読者が混乱しないかといった文章表現の評価をしてもらったり、添削してもらったりといったことも『AI』を利用して行われたそうです。これはすごいです。新時代の作家さんの仕事のあり方!そんなイメージも浮かびます。そんな『AI』活用の成果を九段さんはこんな風に説明されていらっしゃいます。  “登場人物がChatGPTだったり、AIの言語に浸食されていく話ですけれど、それがすごくリアリティーが出せたなという意味で活用していい効果がでたと思ってます”。 なるほど。『AI』の利用がリアリティーを出すことに繋がっているというわけですね。作家さんは小説を書くに当たってその分野に精通されていらっしゃる方に取材をされたり、その舞台となる現地に取材に赴かれることがあると思いますが、ある意味でこの『AI』の利用はそれと似たような行為なのかもしれない、そんな風に思いました。いずれにしても作品中で『AI-built』と記され、沙羅が『AI』に問いかけを行っていく様子が多々描かれていくこの作品の構成はまさしく今の時代を象徴するものと言えます。そして、これこそがこの作品の一つの魅力になってもいる、そう思いました。 次に二つ目は、この作品が近未来を取り上げた作品だということです。SF映画で描かれるようないかにもな遠い未来の世界の話ではなく、あくまでちょっと先の未来である近未来は普段SFとは縁遠いと思われる作家さんも多々手がけられていらっしゃいます。例えば、”最高気温30度超えの日が下手すると十月まで続く”という2025年が描かれる一穂ミチさん「きょうの日はさようなら」(2015年刊)、”町と都心を結ぶリニアモーターカーの路線が建設中”という2027年が描かれる山本文緒さん「落花流水」(1999年刊)、そして、”いじめの問題って今はないんだよね”、”はい。学校もセンサーだらけですぐにバレます”という2040年が描かれる森絵都さん「カザアナ」(2019年刊)など近い未来だからこそ逆にリアルさが増す作品群の魅力は格別です。もちろん、時代が追いついて早晩嘘になってしまう危険はありますがそれもご愛嬌です。そして、この九段さんの作品にはこんなことが記されています。  『ホモ・ミゼラビリス 同情されるべき人々 完全版 マサキ・セト    ○完全版に寄せての序文 「ホモ・ミゼラビリス 同情されるべき人々」の刊行から、もうすぐ十年が経とうとしています…。   …信じ続けることの重要性を、彼女が私に教えてくれたのです。     二〇二六年 夏 千駄ヶ谷の自宅にて』 はい、2026年と時代を特定する表現が登場しました。この作品は2024年1月に刊行されています。2年先とは言え近未来が描かれていることに違いはありません。しかし、上記した3人の作家さんの作品が描く近未来とこの作品が描く近未来は似ているようで全く異なっているのです。上記した作家さんの作品が今の世の中の延長にある、やがて来るであろう未来を予言して記されているのに対して、九段さんのこの作品では、九段さんがこの作品を発表された時点で絶対に来ることがないと確定している、あり得ない未来を描いているのです。その二つのあり得ないことが以下の二つです。順に見てみましょう。  ①『ザハ・ハディドの新国立競技場』が現実のものとして存在している! この作品の前提と現実は以下の箇所で分かれます。  『ザハ・ハディド案による新国立競技場の建設が白紙撤回となる可能性が報じられたのは、ザハ案がコンペで最優秀賞に選ばれ、三年ほど経ってからのことだ』。 ここで私が改めて書くでもなく、『総工費の最終的な見積りが「三千億円」と報道され』たことを機に『反対運動』が盛り上がり『ザハ・ハディド案』は葬りさられました。これまた改めた書くでもなく、リアル世界でそこに建っているのは隈研吾さんの設計による『競技場』です。しかし、この作品では、原案通り『ザハ・ハディド案』による『競技場』が竣工、そこに当たり前にある前提で物語が描かれているのです。これはとても興味深い未来です。では、そんな『競技場』がどんな威容を見せているかを見てみましょう。  ・『外縁をぐるりと取り囲む、流麗な曲線のスカイブリッジを遊歩する人々…』  ・『黄昏時に刻一刻と豊かに表情を変えていくスタジアムの屋根…』 『新宿御苑を南方面から眺めるのに一番近い』ホテルの部屋から『ザハ・ハディド案』による『競技場』を見下ろす主人公の沙羅が見る『ザハ・ハディド案』の『競技場』が描かれていきます。とにかく巨大!という完成イメージが私の頭にも蘇りますが当然それは今や実現しなかった未来です。一方でこの作品の主人公・沙羅はそれをホテルの窓から見下ろしているのです。これはなんとも奇妙な感覚です。そんな沙羅の心の内がこんな風に描写されます。  『ザハ・ハディドが東京に遺した流線形の巨大な創造物からは、何か特別な波動みたいなものを感じずにはいられない…その屋根はある種、崇高で神秘的なエネルギーを私にもたらしていた』。 リアル世界で竣工した隈研吾さんの『競技場』もその維持費の高さが問題にされています。当初の予定通り『ザハ・ハディド案』による『競技場』が現実のものとなっていたとしたら…タラレバを話しても仕方ないかもしれませんがなかなかに興味深い前提を見せてくれる作品だと思いました。そして、この作品はそんな『ザハ・ハディド案』が現実でなければ続かない世界を前提に描かれていくのです。では、もう一点です。  ②『東京オリンピック』は予定通り2020年に開催された! この作品の前提と現実は以下の箇所で分かれます。  『東京を訪れるのは三度目だ。一度目はちょうど十年前、二〇二〇年の東京オリンピック開催時、感染症対策の隔離期間と合わせて六十日間滞在した…』。 ある人物が記す文面の中にこの記述が登場します。『感染症対策』という言葉が出てくる以上、コロナ禍は現実と同じく存在したことになります。しかし、『東京オリンピック』は延期されなかったというのがこの作品の大前提です。あのコロナ禍の中で世界中から人を集めて『オリンピック』を延期せずに強行したの?という驚愕な話ですが、そこにはこんな会話も存在します。  『僕が憎んでいるのは二〇二〇年にやったスポーツ大会の方。オリンピックさえなければ死なずに済んだ人がいっぱいいる』 コロナ禍初期に強行開催した結果論がさりげなく描かれています。なんとも興味深いものがあります。 ということでこの作品に描かれる近未来は作家さんが作品執筆時点でないことが確定していた先に描かれたもの、ということでとても特異な立ち位置をとります。これはまさしく”パラレルワールド”を描いたものと言って良いでしょう。”パラレルワールド”というとまさしくSFですが、2026年という近未来での設定がその大袈裟感を中和し、この独特な作品世界を形作っているとも言えます。まさしく私好みの設定であり、とても興味深い作品だと思いました。 そんなこの作品は上記した二点の他にも現代社会で話題になるさまざまな事がらに触れていきます。それは、『カタカナの増殖』のことであったり、『行き過ぎた多様性の受容』のことであったり、さらには『言葉狩り』のことであったりと非常に多々、幅広く、ある意味飛び火していきます。そして、それらの起点となるのが主人公の思いです。本来建築家である沙羅は自身の立ち位置をこう理解しています。  『とにかく、私が考えなくてはいけないのは器なのだ。器の形状、構造、素材、予算、工期。器の中にどんな中身を入れ、思想を込めるかを決めるのは他人の仕事なのだ。社会の問題なのだ。私は建築家なのだ。放っておけばよい』。 まさしくそうなのだと思いますが、物語では、設計を委ねられた『タワー』に『シンパシータワートーキョー』という名称が付けられる想定となったことで沙羅の心の中に疑問を抱かせることになります。  『「シンパシータワートーキョー」はどうなのだろう?』 『疑問を持ったところで状況を変える権限もない』ことは分かってはいるものの『何もかもが気になり始めて、もう元には戻れなくなった』という沙羅。物語は、そんな沙羅の思いの先をさまざまな切り口から描いていきます。  『私は本当に倒れてしまうまで、目を閉じていようかと思う。頭の中の想像と、頭の外の現実との、答え合わせをしてみたいのだ。しかしそのとき、自分自身の瞼の暗闇の中に、まったく新しい未来が見える。私は倒れない。私はこのまま立ち続ける』。 そんな思いを抱く主人公の沙羅。「東京都同情塔」という、訪れないことが確定した近未来を舞台に描かれたこの作品。そこには、『AI』が他人事でなくなった今の世だからこそ、逆に身近に感じもする人のリアルな思いを見る物語が描かれていたのだと思いました。  『ねぇ、私は今日この部屋で、タワーの名前について、ずっと考えていたんだよ』。 設計を手掛ける建物に『シンパシータワートーキョー』という名が付けられることを知った建築家の沙羅。この作品には、そんな沙羅がその付けられようとしている名前に思いを深めていく様が描かれていました。来ないことが確定している”パラレルワールド”な近未来が前提になるこの作品。『AI』を作品に取り入れるという”AI元年”の申し子のようなこの作品。 さまざまに取り上げられる数多の話題とともに、”パラレルワールド”なとても興味深い世界を見ることのできた、そんな作品でした。

    302
    投稿日: 2025.05.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    上手く言葉にするのは難しいけれど、劇的なことは起こらずただただ風刺的な会話で成り立たせてしまう著者の手腕に脱帽。 複数回読まないと上手く感想はまとまらないけれど、言葉によって人間を定義するという点へのこだわりは虐殺器官にも近いものがある気がする。 犯罪者を犯罪者として扱わない。 誰しもが言葉によって自由になる。 中々会話がハイレベルなのでもう1度読んで整理したいが、かなりの読み応えでした。

    3
    投稿日: 2025.05.08
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    最初は読みにくそうな印象だったけれど、面白い世界観だった!言葉と建築って私の中ではあまり繋がらないんだけど、繋がっていたなあ。 読みながら、数年前の東大入学式での祝辞で上野千鶴子先生が、頑張ったら報われると思えることは努力の成果ではなく、環境のおかげだということを仰っていたのを思い出した。 犯罪者とまではいかなくとも、昨今嫌でも目に入る誹謗中傷を繰り返す人たちなど、そもそもの思考の前提が違うと感じるので、犯罪者を出自やパーソナリティが不憫な同情されるべき人=ホモ・ミゼラビリスと再定義する発想は、わりと共感できる。 だからと言って、そんな人たちに温情をかける必要など全くないと思っているが。  

    1
    投稿日: 2025.05.05
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    犯罪者を犯罪者とせず、同情すべきものとして受け入れ毒牙を抜く、このアイデアは柔道のようだと感じた。心理的柔道、アンガーマネジメント、アサーションの究極版。 このアイデアを建築家を通して描くという奇妙さでありおもしろさ。おそらくオリンピックへの批判が、作中に登場する新国立競技場というランドマークに対して拡大したことに着想を得たのだろう。私も建築を生業としているが、マキナサラの思考は建築家として自然に思えた。

    1
    投稿日: 2025.05.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    塔を自分自身に置き換えて表現しているところが、物語の終盤になるに連れて美しい物に思えて来た しかし、同情塔のコンセプトと自分の考えは違かったのかな? それに段々と気づき、気づいたからこそ「建築を続けたい」「考え続けなければならない」と生き方の答えを見つけることが出来たんだと思った

    0
    投稿日: 2025.04.30
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    あなたは、犯罪者に同情できますか? 「私やあなたがこれまで「犯罪者」にならずに済んでいるのは、私やあなたが素晴らしい人格を持って生まれたからではありません。あなたの生まれた場所がたまたま、素晴らしい人格を育むことが可能な環境だったからです。」 そんなわけとか思いつつ妙に納得してしまう言葉ですよね。正直な感想としては全体的に極端だなと思いました。でも言いたいことが分かってしまう、考えてしまう、そんな作品でした。 最初の質問の答え。僕はNOです。自殺しようと飛び込んできた人を引いてしまった運転者、虐待を受けている子どもが反撃したなど、同情してしまうケースもありますが、やはり作中のような犯罪者の待遇は納得できるものではなくNOと言わざるを得ないです。それでもこの問題について考えてしまう頭が少なからずあるということは…ってことですよね。 非常に面白いテーマ、設定ですがまさかのちょっぴりSFで話に中々入っていけず、本題以外のところを理解するのが難しい。 (文学系YouTuberのベルさんの動画を見て内容理解しました笑)

    1
    投稿日: 2025.04.27
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    バベルの塔の再現。神は、天に近付こうとした人々の高慢を咎め、言語を混乱させて塔の建設を妨げた。 シンパシータワートーキョー。便利なカタカナ。美しさもプライドも感じられない味気ない直線である上に、中身はスカスカで、そのくせどんな国の言葉も包摂しますという厚顔でありながら、どこか一本抜いたらたちまちただの棒切れと化す構造物。 言葉を軽視し、濫用した結果、互いの言っていることが分からなくなる。喋った先から言葉はすべて、他人には理解不能な独り言になる。 言葉で自分を建築する。とても面白かった。

    1
    投稿日: 2025.04.26
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    このレビューはネタバレを含みます。

    芥川賞受賞作。 本当は受賞されたのをニュースで見てすぐ図書館で予約したのに… 届いたときは丁度読む本が溜まっていた頃で、そのまま読まずに返してしまったのを最近思い出したので。 率直に言えばすごく難しいというか…、帯にある「Qあなたは、犯罪者に同情できますか?」というのから考えさせられる。 牧名沙羅が自問自答のような話し方をしているとか、強い自分の考えを持っているところが好き。 この本は同情とか言葉とかAIとか様々なテーマが隠れている気がするが、私が1番心に残ったのは「言葉」について。 最初から最後まで、ひとつひとつの言葉にはちゃんと意味があるんだなぁということを思い知らされた感じ。 二周目を読んだら、また違う感想を持つと思う。 ここからは私の心になんとなく残ったところ。 別にページ数と行数だけ書けばよかったのはちゃんとわかってるのに書きたかっただけなのでお気になさらず。 P12「マットの上で、仕事に取りかかる前のルーティンのロングヴァージョン──ピラティス→ビョークの「カム・トゥー・ミー」をフルコーラス歌唱→座禅を組みエロティックな妄想を膨らませる→妄想を抑圧するための太陽礼拝三周→オリジナルのマントラをゆっくりと八回唱える。「私は弱い人間です。私は私の弱さを知っています。私は私の欲望を完全にコントロールできます。私を動かすものは常に私由来の意志であり、私は私の言葉、行動すべてに責任を取らなければいけません」。呼吸を整え、今日も仕事ができますようにと強く念じてスケッチブックを広げる。空白に全神経を集中する。」 P27「そして細心の注意を払ったナンパはナンパとは言わない。『デートを申し込んだ』が正しい。洗練された申し込み方ではなかったかもしれないけど事実としてはそう。『牧名沙羅は自信家の建築家か?』、YES。『牧名沙羅は色んなことを気にせず生きているか?』、完全にNO。『仕事中に気持ち悪いババア客から食事に誘われた笑 クレカの名前調べたら牧名沙羅とかいう建築家だったんだけど』って、写真付きで拡散される未来が見えなかったわけじゃない。私には未来が見える。でも私は勇気を出した。たくさんのものを失う未来が見えていたが勇気を出すべき場面だと思ったからそうした。つまり、『たゆまぬ努力によって、後天的に自信のようなものを身につけた建築家は、色々なことを気にしながら生きているが、勇気を出して素敵なショップスタッフにデートを申し込んだ』。これが君の知るべき真実」

    10
    投稿日: 2025.04.22
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    建設関係の話が長ったらしいのと、あまり 惹きつけない 文章がある しかしながら、人の頭の中を細かく 覗けるのは楽しかった 私自身を見つめ直す きっかけにもなった 私自身の口癖に気づいた 私は「しちゃだめだ」ではなく「しなければならない」と思う タイプだ

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    投稿日: 2025.04.21
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    芥川賞受賞作品を読んでみたくなり、図書館で借りました(これまで、読んだことある芥川賞受賞作品は又吉先生の『火花』のみ)。生成AIを用いて作成したという部分もあり、非常に興味深い作品でした。 メタファーとか、そういう小難しいことは、よくわからないですが、この本を読んで、思い出したのは、「やたら横文字使う人いるよなあ」ということです。 エビデンスとか、ダイバシティーとか、コンセンサスとか、ソリューションとか…。それぞれ日本語には単語としてあるはずなのに、なんで、わざわざ、横文字を使う必要があるのだろうかと思いました。職場の会議等でそういう言葉を使って、いかにも自分は知識人ですみたいな顔して、マウントとってくるやついるよなって思ってしまいました。ただ、横文字の方が、「なんだか価値が上がっているような気がする」と思ってしまっている自分もいます。 「日本人が日本語を捨てたら、日本人じゃなくなる」という言葉に表されるように、筆者は外国語も自国の言葉として受け入れられる日本人の広すぎる寛容性に警鐘をならしているのだろうなと感じました。 SDGsをはじめ、「多様性」という言葉がここ10年で急に、頻出用語になった気がしますが、「多様性」とはなんなのか、改めて考えさせられる作品でもありました。日本人の寛容さと多様性という言葉が、結合すると、なんでもかんでも受け入れてしまうことになってしまうのではないか、筆者はそんな点に危機感を覚えているのではないでしょうか。気がついたら、犯罪者すら多様性の一つとして、受け入れてしうのではないか、そんな未来予想図を、皮肉を交えて、描写しているのではないかという印象を受けました。「ナンバーワンにならなくてもいい、もっともっと特別なオンリーワン」と、刷り込まれてきた、我々の成れの果てというのは、まったく他人と比較しない世の中になってしまうのではないかと。果たして、比較のない世の中というのは、本当に幸せなのでしょうか?そういった問題提起をされているようにも感じました。 クリスマスやハロウィンに始まり、宗教や他国の文化慣習の良い部分だけを摘み食いしてきた日本人ですが、広すぎる寛容性の弊害で、自国の美しい言語や文化が損なわれていくのではないかと、筆者は訴えているのだと思いました。 自分なりの推測を書きましたが、「日本人とはどういうものなのか」ということを書いている点で、少し前に読んだ遠藤周作の『海と毒薬』を思い出したました。 芥川賞受賞作品だけあって、芸術性が高く、私には理解できない部分も多々あったのですが、色々と考えさせてくれる小説でした。

    11
    投稿日: 2025.04.21
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    新しいタイプの刑務所、シンパシータワートーキョーの建築コンペに応募しているマキナ。犯罪者は加害者であるとともに被害者であると言う考えのもと入ったら出たくなる心地よい空間である高層建築がタワーである。 その考えにもネーミングにも反対のマキナが主人公の話し。近未来の話を描いている。多様性の社会で、言葉の一つですぐに炎上してしまう。この小説は、生成AIを使い書かれていることがまた、すぐ炎上する現代を皮肉っているように思った。

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    投稿日: 2025.04.18
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    “犯罪者は同情されるべき”という考えのもと 犯罪者が快適に暮らすための構想タワーが建てられたパラレル・トーキョーの物語_ 私には難しかった…!笑 社会の平等意識が行きわたりすぎる世界で “差別的な呼び方だし同情すべき存在だよね…”となる物語の発想も現実的にあり得る状況に いつかなるかもしれないっ!!と想像すると ぞっとして とても考えさせられる作品でした ちゃんと九段さんの想い… 受け止められたか自信ないな…!笑 それでも 言葉も人も建築物に喩える感性に圧倒され… 言葉のリズムが軽快で まるでロックの音楽を 聴いた心地にもなりました 九段さんも小説を書いているときは いつも音楽が流れてくる…とお話されている通りに 私にも畳みかけてくるリズムが聴こえてきました 生成AIを活用して描かれたことで話題の 芥川賞受賞作_ 架空の日本の物語だけど とても考えさせられる物語で 久々に頭がパニックになりながら 読む読書時間でした!笑 たまにはいいね…!笑

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    投稿日: 2025.04.16
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    犯罪者は罰すべきなのか、法を犯さざるを得なかった身の上を同情するべきなのかーという価値観を揺さぶってくるテーマだった。 村田沙耶香の『コンビニ人間』味を感じる。 平成生まれの私は、東京タワーの名前の有力候補が「昭和塔」「日本塔」「平和塔」「富士塔」「世紀の塔」であったことに驚いた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 第170回芥川賞受賞作! 日本人の欺瞞をユーモラスに描いた現代版・バベルの塔 ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられることに。犯罪者に寛容になれない建築家・牧名沙羅は、仕事と信条の乖離に苦悩しながらパワフルに未来を追求する。ゆるふわな言葉と、実のない正義の関係を豊かなフロウで暴く、生成AI時代の預言の書。

    0
    投稿日: 2025.04.16
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    読むのは疲れたけれど、そういうものほど好き。犯罪者が悪いんじゃなくて、そうせざるを得なくさせる社会が云々の考え方は大嫌い。 レイプをレイプでなかったことにしてしまう言葉。それを自分も歪曲する代わりに自信が揺るぎない建築になることを夢見るマキナ。

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    投稿日: 2025.04.11
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    多様性の行き着く先、言葉狩り?。脳内の検閲者がうるさいの、分かるなあ。文章生成AIのことを「文盲」と呼ぶのに驚いた。面白い。 内容は難しいけど、文章が心地よかった。拓人君が海辺で砂の城を永遠に建てていたいなあとぼんやりしているシーンが夢のようで好き。実際寝起き。 東京都同情塔は「あり得ない」と一笑に伏せないかも〜と思いながら読んだ。可能性があるなら日本より先に外国に似たような施設ができそう、とか。 良い悪いは置いといて日本人は勧善懲悪が好きで、死刑制度も残っている国だし、「罪を犯した」ことには厳しい価値観を持っていると思う。

    0
    投稿日: 2025.04.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    文章が優しくてさらっと自分の中に落とし込めた。こんな塔が建ったら犯罪を助長しかねないから現実にはあり得ないので、あり得ないことをつらつら書き連ねていて結局何が言いたいのかよく分からなかった。私は〜だと思う、など曖昧な表現をよくしてしまうので、そこはまきなさんを見習いたい。

    0
    投稿日: 2025.04.05
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    面白くてすぐに読み終えてしまった。 社会の平等思想が行きわたり過ぎて、いや呼び方差別的じゃん同情すべき存在だよね、となる物語の骨子となる発想も、現実にあり得る状況で面白い。 言葉も人も建築物に喩えられる感性や、人の言葉を拝借して文章を構築するAIに対する捉え方、無限に脳内の言葉が湧き出てるように感じる描写も面白かった。

    7
    投稿日: 2025.04.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    テンポが良く、とても面白く読ませてもらった。 登場人物である建築家の女も、容姿の良い若い男も、冷静に俯瞰的に物事を考え判断し、レイプをされた事実やネグレクトを受けていた事実を事実としてしか捉えておらず、その時の感情を敢えて文章にのせないことで淡々とした語り口調となっているので、さらりとしていて読み易い。 そこに悲壮感は全くない。しかし、この2人は被害者であることが共通点である。その2人が、加害者の理想郷を作るという何とも皮肉な話であった。 ただ、この2人が自らが何らかの犯罪の被害者である点において、この『東京都同情塔』を視ることはなかったように思う。罪を罪として、加害者とは切り離して考えているように感じた。 決して『シンパシータワートウキョー』の理念に賛同しているのではなく、あくまでも『東京都同情塔』に関わっているのみ、建築家は建築のみを、若者はただの仕事としてこなすのみで、本来の目的である理念には興味がない。 どんな社会問題でも、人は自分の興味のある範囲でしか考えられないものなのかなと思った。 AIの文章を一部のみ使用したことで話題になったが、AIの書く文章と、人間の書く文章の対比が面白かった。 文章にも感情の起伏をのせることができるし、書いている人のキャラクターが出るものだということは後半に出てきた米国人(?)記者の文章が分かりやすい。 私自身、人間の書く文章の面白さにまだまだ惹きつけられるので、読書をやめられないなと感じた。

    1
    投稿日: 2025.03.30
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    ・読んだ理由 AIで5%書いてる!と聞いて気になっていた。 東京都同情塔というタイトルも良い! ・一言キャッチコピー 1回目で理解できなくても大丈夫! 私も分かりませんでした。リベンジしましょう笑 ・感想 犯罪者に同情しましょう。 言いたいことは分かる。 けど、素直に肯けないとこも多々あるかなり・・・ ちょっと難しくて最後の方から適当になってしまった‬。 九段さんのインタビューとかを見てもこだわりが強い方なんだろうなーという印象。 直木賞を狙った構成だったそうなので、次回作品以降は少し変わってくるかも? タイミングみて再読リベンジ!

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    投稿日: 2025.03.29
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    言葉の在り方というものに対してのこだわり、言葉があって初めて産み出される意識や思想。同じ言葉でも受け取る人によって定義が変わり、ニュアンスが変わり、感情が変わる。 それが人間を変え、社会を変え、歴史を変える。 SNS全盛の今を生きる私たちへの警告の書であり、その悲しみと決意に思いを馳せた文章に息苦しくなったりもする。 みたいなことを感じればよかったのか?? 正直、よくわからなかったです。すいません。

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    投稿日: 2025.03.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ザハハディド案の新国立競技場が建設された世界線という設定が興味深く面白かった。 主人公の性格を表すように文章が固く厳密である点も珍しくて面白かった。 一方で、展開があまりなかったためかストーリーには然程惹き込まれず、短い小説ながらに読み終えるのに若干根気がいった。

    2
    投稿日: 2025.03.23
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    2025年3月23日読了。 犯罪者を同情されるべき人とみなすのか。 最初から最後まで不思議な世界線で進むので、何が言いたいのかよくわからない本だだだなというのが正直な感想(そもそも何も言いたくないのかも?)。 ただ、AIに対する考え方みたいなものはすごく興味深かった。 (一部引用) 「文章構築AIに対して憐みのようなものを覚えていた〜他人の言葉を継ぎ接ぎしてつくる文章が何を意味し、誰に伝わっているかもしらないまま、お仕着せの文字をひたすら並べ続けなければいけない人生というのは〜」 「いくら学習能力が高かろうと、AIには己の弱さに向き合う強さがない。無傷で言葉を盗むことに慣れきって、その無知を疑いもせず恥じもしない〜好奇心を持つことができない。知りたいと欲望しない」

    0
    投稿日: 2025.03.23
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    街中を歩いてもいて、「誰がどういう思いで建てたのだろう」と思う建物は結構多い。公募では1位ではなかった「東京タワー」が名称に採用されたように、私にはないであろう未来を想像できる鋭い感覚をもつ人が存在するんだろうな。 全ての人間が1人の人間として差別されることなく生きていけることが理想だけど、完全な平等なんてあり得ない中で、どう合理的な区別をしていくのか。よく平等と公平の違いが語られるけど、公平はどのように求めていけば良いのか。ムズイです。

    0
    投稿日: 2025.03.20
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    四谷区民センターの窓からから御苑を見下ろして、本当にオリンピックやるの?と語り合っていたときを思い出す。コロナ禍をこんな形で記録し、記憶に残すのもアリ。

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    投稿日: 2025.03.17
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    九段理江を読むのは『しをかくうま』を入れて2作目。 トーキョートドージョートーは口に出して見たくなる。 実際には実現しなかった、ザハの国立競技場が登場し、その隣に東京都同情塔が建てられた世界線の話。 『しをかくうま』もそうだったが、数年前の時事ネタ?が詰まっていて読んでいて面白い。 テンポよく読めた。 この作品に対して隈研吾がどう思ってるのか気になるところ。

    0
    投稿日: 2025.03.14
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    audible。滑舌の良い言葉選びが心地いい。とくにマキナとタクトの会話のリズムが良い。それでいてぼんやりしているとすぐに置いていかれる展開の早さ。さながら難解なポストロックを聴いているような感覚に陥った。最後のまとまり方も悪く言えば曖昧というか概念的で"それ"っぽかった。 物語のなかでAIに対する立場を測りかねたのは読み手の未熟さゆえか、それともあえての皮肉か。執筆に活用しながらも「君は文盲であることを知っている?」「フォルムもテクスチャーがないクソ文章」とは。 タイトルの響きと表紙が気に入って購読に至ったが、非常に満足している。近々2回目も読んでみようかしらん。

    1
    投稿日: 2025.03.09
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    私には内容が難しくあまり頭に入らなかったです。。もう一回読めばいいのかな… あんまり理解できませんでしたが、犯罪者が犯罪者になる理由はとても共感もてました!! そうだよなーと環境が作るんだよなと。

    6
    投稿日: 2025.03.01
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    今までにない感覚を訴えてくるような文体で、心地よい文章だった。 設定、世界観、文章、登場人物、すべて好みだった。 最後の4ページは圧巻だった この人の文章はたくさん読みたい

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    投稿日: 2025.02.27
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    日本語の可能性、流動性について考える わからないとわかるの狭間で読み続けた 表現が文学的で、読むのに結構カロリー使う

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    投稿日: 2025.02.25
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    文学と小説は違うと言われてたけど、それを初めて実感した。 私には難しかったが、読む人が読めば素晴らしいのだろう。 経験できてよかった。

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    投稿日: 2025.02.23
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    記録が遅くなって記憶が曖昧だが、不思議な読後感だった。大きな権力や動きの前では無力だ。というようなことを感じた気がする。描写のタッチが独特で短いのでサクッと読めた。

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    投稿日: 2025.02.16
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    いかにもThe・芥川賞という感じで苦手だった。人間とは何なのか、と問うような、一般的に普通とは言われない考え方をする人を描いている。 もしかしたら私の考え方が普通ではなくて牧名のような考え方が一般的なものなのかも知れないけども。

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    投稿日: 2025.02.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    牧名沙羅がAIに悪態をつくところが面白かった。そういう、ちょっとした所で、この作品楽しめるかなと身構えているガードが落ちるのが面白い。 中編なのであっさりしていて、サクッと読めるのが良いのだけれど、長編として、言葉がバラバラになっていって人々がコミュニケーション取れなくなるというのを具体的に見てみたかった気もする。 最後、言葉に違和感を覚えている建築家、というよりも、小説家的な考え方の終わり方だなと思った。

    4
    投稿日: 2025.02.14
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    主人公の牧名沙羅は何かを考えて自分の言葉を生み出す人でありたいんだろうか?それともAIのように言葉を取り入れて必要に応じてその言葉を選んで排出したいんだろうか?…と。でもこうやって書き出してみると、どちらも書き方が違うだけで同じに思える。人が発する言葉とAIが発する言葉に何か違いがあるのか?AIは人に近づいて同じになって超えていくのか?そんな未来はあるのか?なんてことをぐるぐる考えさせられる本だった。 タワーをシンパシータワートーキョーと呼ぶのと東京都同情塔と呼ぶのではその本質が変わってしまうのか? 一度に理解しきれない難しい本だったけど、次第に引き込まれて一気に読み終えた。じっくりじっくり読むともう少し理解できるかな。

    1
    投稿日: 2025.02.14
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    架空の矯正施設とリアルであった東京五輪の建築スキャンダルをネタに、言葉に対する皮肉を哲学的に描いてる。

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    投稿日: 2025.02.11
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    この本読みました?を見て、九段理江を知り、読了。ザハ・ハディドをオマージュしているところは良い感じ。 現代の問題を今の言葉で重ねている文章にあまり馴染めないのは、歳のせいかな。

    0
    投稿日: 2025.02.09
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    九段理江さんによる芥川賞受賞作。 本書は「言葉」の根拠がなくなって上滑りするような状況において、主人公が葛藤しているものの、かといって解決策もないような状況を描かれつつ、「東京都同情塔」という和名を提示することで、かろうじて抵抗の足かがりとする。 高校時代の性被害を「レイプではなかった」とされた経験から、彼女は言葉の曖昧さに違和感を抱いていて、一方で、「東京都同情塔」という和名は、「シンパシータワートーキョー」のような上滑りする言葉に抗う象徴として機能している。明確な解決策はなく、言葉が揺らぐ世界でも主人公は「何かを築く」必要があると考える。「言葉が信用できなくても、人はそれを捨てられず、揺らぎながらも何かを築き続けるしかない」ことを示している。

    5
    投稿日: 2025.02.09
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    序盤、独特な個性に抵抗を覚え、中盤、抵抗が好奇に変わり、終盤、好奇が恋心に近しい感覚までに昇華された。人は言葉であり、言葉はまた人である。と思わせてくれる物語だった。

    18
    投稿日: 2025.02.08
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    2024/5/4 勧められたので 言葉が葉っぱが擦れるざわざわ音を立てるように感じる人もいれば、単なるテキストのデータと受け取れられる人もいる的な文章、すきだった 多様性と平等化?の2つってなんか同時進行っぽいけど冷静に矛盾してね?表向きに言っとるけど本当に個人個人がそう意識する事なんか期待されてないような現状な気がします AIで変化を強いられる人、知らん間に順応しちゃってる人 昔の言葉はどーやら今より会話のためにあったらしい、 人と人をちゃんと繋ぐ物だったのかな?今はもう違うのかな?私の当たり前も変化してるから、昔の感覚なんて知らんけど 図書館を塔の最上階に建てた理由で、サラがタクトにした返答とマスにした返答の違いくらった タクトに言った、ホモミゼラビリスに地上の言葉を忘れさせないためという、クソクールフレーズ痺れた 言葉に気持ちやそういう本当の物が乗った時、初めて人に響くもんだよみたいな、夏目先生の大好きな言葉がよぎる 結局サラに取っての外と中は一体どう言うことだったのか??でも多分、そこが数式みたいに解答が明示されてないからこの本が素敵と言われる理由の1つなのか? 正確さが求められるこのご時世で凄く素敵なことじゃね? なんか意味不明だけどどちらかというと意味ありげ、そう言うのが好かれがちではありますが 最後に私の中の検閲者、いつもありがとう そしてなんかクッソデカ建築物を見たい気持ち今

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    投稿日: 2025.02.08
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    ちょっと難しいけれど、何となく読み進めてしまう魅力がある。この社会やそこに生きる人の苦しさというか、はまってなさというか…そういうものを言語化するための挑戦と難しさを見せてもらった気分。

    0
    投稿日: 2025.02.08
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    シンパシータワートウキョウ。世界一幸せな刑務所。犯罪者は同情すべき存在。行き過ぎた平等に違和感。建築家は塔の名称を東京都同情塔に変えコンペに参加。物事の本質を言葉とする建築家に翻弄される。

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    投稿日: 2025.02.06
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    私小説的な匂いを要所要所で感じつつ、純文学としては難解ではなく読みやすかったゆえに、作家さんのことをいろいろ想像してしまいました。 ・主人公は作家さんの性格に影響されてるのかしら ・主人公に去勢をはらせることに疲れてないかしら ・トキメキとやすらぎの関係性をどう思ってるかしら などなど 読書が習慣になってまだまだな自分ですが、純文学の私小説性を深読みする面白さというか、こんな小説の読み方もアリだなと新鮮な気持ちで読めました。 野心的な設定の奇抜さとそして純文学を諦めない意欲。そんな魅力が滲みでた作品でした。(『愛の不時着』のようなラブコメにも仕立てあげられそうな気もしたので、純文学を頑張ったんだなと...)

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    投稿日: 2025.02.03
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    さらっと読んだだけでは文の内容が理解できず、そこに含まれた意味を立ち止まって自分の中で解釈しながら読み進めた。哲学的でもあり感覚的でもある文章で難しかったが、理解不能という訳でもないのでギリ楽しく読めた。色々な人の感想を知りたくなる。

    5
    投稿日: 2025.02.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

    とても面白い小説を読んでいる時に、体の底から冷えたような感覚になるのは何故なのだろうか。何か神秘的なものに触れたような、そんな気がしているのだろうか。一晩で一気に読んでしまった。自分は本を読むのが早い方だ。話が気になってしまい、どんどん読み進めてしまいたくなる。しかし面白い作品は一文ずつしっかりと味わいたい。その相反する二つの気持ちの間でいまだにベストなスピードを見つけられずにいる。 面白かった。今も読後の感傷に浸っている。それは外気浴の時に感じる身体的感覚にも近い。 そもそも本書を手に取ったのは、九段理江さんのインタビュー記事とYouTubeの動画を観たからだ。芥川賞作家の女性で、小説をAIで書いたような発言で話題になっているらしい。記事と動画で受けた作者の印象が記憶に残っており、本屋に行った時に本書を見つけて購入した。 と、ここまで本作の感想は書けていない。まだ自分の中で言語になっていないからだ。時間稼ぎをしてきたが、AIのように勝手に文章が生成させるものでもないらしい。ぱらぱらと見返しつつ、少し時間をもらって考えるので、一旦ここまでとさせて頂く。 ◾️ あらすじは以下だ。舞台は現代の東京。有名女性建築家の沙羅のホテルの一室から始まる。シンパシータワートウキョウについて思案している。そこに沙羅が表参道で「ナンパした」年下の美青年、拓人がやってくる。前半はその2人の思考や会話で構成されている。後半は、シンパシータワートウキョウ建築後の話となる。 現代の東京ではあるが、ザハ案の新国立美術館が建築された東京を舞台にしている。そのザハの新国立美術館の対に、シンパシータワートウキョウが建てられる。 また、この東京は寛容性と多様性が進みすぎた社会を描いている。進みすぎたというのは、実際の現代と比べてという意味である。自分には、マサキ・セトの思想やそれを実装する社会も、ファンタジーには思えなかった。自分がその思想に共感するという意味ではなく、近年の多様化みたいなものをみていると、マサキセトの思想が社会実装されても違和感がないほど社会は寛容や多様性みたいなものに向かっている感覚があるということだ。とはいえ、それは自分があまりにもホモフェリクスでその世界しか知らないから、それゆえに見ている幻想なのかもしれない。 後半というか終盤は、アメリカのジャーナリスト、マックスクラインの東京都同情塔に関する取材記事から始まる。マックスのAIには書けない人間味溢れるクソな文章が良い。マックスは今や東京都同情塔の正規雇用職員となった拓人の案内を受けた後、沙羅にインタビューするし、物語は沙羅の視点に戻る。インタビューを終えた沙羅が、東京都同情塔の前で物思いに耽るところでこの小説は終わる。 ◾️ 沙羅と拓人のそれぞれから代わる代わる語られることで、お互いのキャラクターがより立体的になる。沙羅の自意識と、拓人からみた沙羅がリンクする。沙羅からみた拓人の内面はよくわからないが、拓人が自分の内面や背景を教えてくれて、小説では語りきられないところまで世界が膨らんでいく。そう振り返ってみれば登場人物の少ない作品だと気付く。

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    投稿日: 2025.01.28
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    よく分からんし、面白くないがギリギリ読めた。 シンパシータワートーキョー(通称: 東京都同情塔)の建設案を練る建築家、牧名沙羅を主人公とした物語。 犯罪者が社会から抑圧された不遇で同情されるべき人として、タワーに収容される。そこで犯罪者達は悠々自適な幸せな生活を送る。 物語の中では、ザハ・ハディドのアンビルトになった国立競技場の建設案が採用されて実際に建っていたり、AIが随所で活躍してたり、言語化できることは実現でき、言葉をもって存在が定義されるという考え方が語られていたり、SNSのバッシングに触れられていたりと、何だか要素が盛り沢山。 言いたいことを求める訳ではないが、何が面白いのかは理解出来なかった。

    0
    投稿日: 2025.01.25
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    癖が強い、しかし面白い。 著者の作品を読むのは『しをかくうま』に続き2作目。この作品はあまりに話題だったので遠巻きに眺めていたが、この度機会があり読んでみた。著者の作品は独特で決して読みやすくはないが、私は好きである。 設定が面白いし、社会風刺が散りばめられて所々ぐっと引き込まれるし、言葉へのスタンスが哲学的に思える。個人的に敬遠しがちな性的な記述や汚い言葉も多々出てくるが、それを取り入れるのも著者の持ち味なのかな。その上でも面白いと思える。 人類が破滅に向かっていることを前提にしている感じが好きだ。

    1
    投稿日: 2025.01.23
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    引き込まれて一気読み 一言一言のインパクトが強くて、まだ咀嚼しきれていない ザハ案が通った東京の景色見てたかったな

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    投稿日: 2025.01.18
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    書き出しがまずダメ。 鼻につくし、そもそも頭に入ってこない。 やはり作家をみちゃうと、その人を好きにならないと小説も読む気がなくなるという感じ。 作家はできるだけ見たくないし、話も聞かない方が良いのかも。

    0
    投稿日: 2025.01.18
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    AIが書いた、って印象が先行してたけれどAIも出てくるだけのちゃんとした小説だった。マキナサラが言葉に向き合って真摯であろうと努力しているのが好き。差別をなくすために言葉が狩られていくのも、日本語がどうなっていくのかも考えることが多かった。

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    投稿日: 2025.01.13
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    現実から分岐したアナザーストーリーとしての2020オリンピック後における東京の情景描写や、「建築家の女の人」と呼称される「牧名沙羅」の人物設定、SNSや生成AIで変質した言語や対話のあり方等に関する洞察を含め、テンポ良くストーリーが流れており、面白く読めた。 一都民としては、現実世界の様々な制約下における妥協の産物としての競技場ではなく、「アンビルドの女王」ザハ・ハディドが設計した異形の空間に出入りしてみたかったと思う。 小山田圭吾の楽曲が東京の賛歌として鳴り響く開閉会式も…

    0
    投稿日: 2025.01.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    最初の数ページで読むのを辞めてしまわないで欲しい。 最初の数行でなんだか、近代文学を読んでいる(いや、苦手なので実際読んではいないのだが)ような感覚になった。 日本語で書いてあるのに、内容が理解しがたいような。 30ページほど読み進めていくと、次の展開が気になるようになるのでそれまでの辛抱。 新国立競技場のことには全く興味がなく、予算オーバーの為当初予定していたものと違うものが出来上がるくらいにしか知らなかったが、改めてザハ・ハディトが考案したデザインを検索してみると確かに美しい。実際に建築されたものと比べると「損失」ではないかと思うほどに。

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    投稿日: 2025.01.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

     YouTubeに上がっていた動画の中の九段理江さんのコメントが特に印象に残っている。  彼らのカテゴリーを「犯罪者」から「ホモ・ミゼラビリス」に変えるということは、「彼らの性質」についてはよく見えるようになるけれども、「彼らのしたこと」については目を逸らすことになる。

    1
    投稿日: 2025.01.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    Audibleにて。また芥川賞作品から。 〈東京都同情塔〉という新しい刑務所。 〈トウキョウトドウジョートー〉確かに口に出して言いたくなる名前だ。 刑務所だけど高級タワマンのような外観と設備で、独房などもなく犯罪者が自由に幸せに暮らせる。 犯罪者は生まれた環境のせいで犯罪者にならざるを得なかったと考えられていて、豪華な設備のジムや図書館で優雅にのんびりと過ごしている。 この物語の世界では、〈尊重され過ぎた平等〉が描かれている。 犯罪者の方が犯罪をしない人よりも幸せに暮らせるという「平等」の皮肉り方が面白かった。 現実にも被害者よりも加害者の方が守られていると感じることもあるし、オリンピックのジェンダー問題や、女子トイレを廃止してジェンダーレストイレにするなど、ちょっと何でも平等にしすぎるのはどうなの?と思うことが起きている。 建築、言葉、AI、恋愛、平等など、テーマがたくさん描かれているので、今何の話をしてるのか?何が言いたいのか?を理解するのが難しかった。 〈尊重され過ぎた平等〉に焦点を当てたものをもっと読みたかった。

    84
    投稿日: 2025.01.06
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    牧名沙羅は、女性建築家。 東京オリンピックの新国立競技場が、コンペを通り、建設予定中に、ザハ・ハディトの事務所に勤めていた。この小説の中では、ザハ・ハディト案は建設されている。 そして、東京都同情塔の設計コンペに勝ち、設計に携わる。 東京都同情塔は、刑務所。しかし、快適な生活を保証された生活空間。恵まれない生い立ちの人間は、その環境のせいで、犯罪を犯してしまう。だから、恵まれた環境を与えて、犯罪を犯さない人になるような刑務所。同情されるべき人たちが住む塔。 ザハ・ハディトの新国立競技場と、東京都同情塔は、美しく調和した建築。観光地にもなっている。 東京都同情塔のコンペの最中に、牧名沙羅は、高級ブティックの店員で美しい拓人と知り合い、交際。 拓人は、東京都同情塔の職員となり、塔の中で暮らしている。そして、建築家、牧名沙羅の伝記を書こうとしている。 この小説は、近頃の社会現象に対して、色々な事を提議しているのでしょうか? ・東京都同情塔は、ベーシックインカムの実験的な存在なのかな?ベーシックインカムの導入は、難しいでしょうね。 ・東京都同情塔の中では、ネガティブな言葉、負の感情を示す言葉を発してはいけない。  これ、最近の傾向に対するアンチテーゼでしょうか?あまりにも、パワハラ、モラハラ、◯◯ハラを言い過ぎて、暮らしにくい現代に対する。 他にもありますが、テーマが難しいです…。

    2
    投稿日: 2025.01.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

    内面描写が多い。 最初は文章が入ってこなかった。ただ、AIの説明からスッと頭に入り込んだ。 これ現代人の性かな。 カタカナに嫌悪感を抱く場面は大共感。 東京同情塔だと思っていたけど、 東京都同情塔。 東京+都 同情+塔 本文にもあったけど、シンメトリーになっていて拓人の持つ美的センスを感じざるを得なかった。 詐欺罪で収容されている女性の背景が語られていた場面。 確かに自分じゃどうにもできなくて、罪悪感も感じず、生きる手段として犯罪に手を染める人はいるよな。仕方ないけど、窃盗していい理由にはならないと思った。 同情しそうになった。 本の一説にもあったけど、世界のルールに沿って生きようよ。飛び越えちゃダメなんだと思う。 自由すぎる世界だからこそ、規律とかルール守っていこう。 ユートピアみたいな収容所だけど、批判はそりゃあるよね笑 税金で作られた、犯罪を犯しても幸せを無条件に感じる施設に入れるから。 外国人のライターがファッキン、俺もそこに入れさせろ!!って心から叫んでて、AIなら絶対言わない言葉すぎて笑ってしまった。 スウェーデンの刑務所って快適らしいけど、それくらいしか知らないから、もう少し知識つけておけば良かった。 あと外国人ライターの、日本人の考えていることがよくわからない。みんな同じに見えてくるみたいな表現好きだった。 同調して空気読んで、無言で容認するみたいな文化のことかな。他の国の人から見たら異様に見えるよね。 同情塔ではマイナスな言葉は排除されるから、 収容者も携帯がうるさく鳴り響く拓人を注意しない。 これって、言葉狩りみたいなことだと思う。 幸福の定義を決めつけられた収容者は、思ってることを言えない。 だから拓人も、相手が何も言わないとわかっているから携帯を切らない。 AIの言葉は無機質で脱線したりするし無茶苦茶だけど、おかしみを感じた。何言い出すんだろって。 シンプルで無駄が無さすぎるからこそ怖さももちろん感じた。 AIのアンサーって正論なんだけど、響かんないよなあ。 主人公の拓人いかにも美男子っぽいな。 だって、37歳女性にお酒を飲みながら鑑賞して幸せを与えちゃうくらい造形が美しいらしいから。 建築家・牧名沙羅、与えられた仕事が刑務所の設計ってやっぱり躊躇いとかは生まれると思う。 アンチとかが絶対付く案件だもん。 よくやり切ったと思う。 タワーが71階ってなんか意味あるのかな。 最後の最後でタワーと自分が対比されている場面大好き。疑問が投げかけられ続けるけど、考えるのを止めてはいけない。 最後ここで終わるから、Qに対するAを自分で考えていこうってメッセージだと思う。

    7
    投稿日: 2024.12.26
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    2024/12/13 読了 【読んだきっかけ】 芥川賞受賞作で話題になっていたのと、好きなYouTuberの方がおすすめしていたので読んだ。 【感想】 『シンパシータワートウキョウ』と『東京都同情塔』という一見同義語で英↔️日のように見える言葉も、言葉の持つ印象の違いで、重さや軽さ、硬さや柔らかさといった受け手の印象は変わり得ることは面白いと思った。『ホモ・ミゼラビリス』と『ホモフェリクス』と二分化してしまうのは、あまりにもやり過ぎに感じた。 途中一気に時間軸が過ぎるところでちょっと驚いたが、もっとその間の出来事も知りたかった感。置いてかれた感じがして、ちょっともったいなかった。 主人公である牧名沙羅の癖が強い。15歳ほど下の高級ブランド店の店員を逆ナンし、傲慢さを保ちながら接している様子がアラフォー女性の凝り固まった思考を体現している(一般論というよりはこの人が)ようで、ちょっとゾクっとした。 ただ建築に対する見方はとても面白く、自分の建築に人が出入りしている感覚が気持ちいいという感性はなんか納得してしまった。 終盤はシンパシータワートウキョウができてからの話だが、これがまたディストピア風になっていて、犯罪者はお金を払わず、このタワー内で悠々自適な暮らしができるという。記者マックス・クラインとのやりとりではそれが皮肉に言われていて、この施設を将来的にも受け入れられるのか?と思った。 【要約】 本作は『シンパシータワートウキョウ』という建物が大きな主軸ではあるが、それに関わる建築家の牧名沙羅と逆ナンして出会った10歳以上離れた高級ブランドで働く男との奇妙な関係性が話の副軸であ る。2人は年齢も生まれも育ちも生活すら違うが、価値観の違いをもとに仲を深めていく。タワー完成後は、海外の記者がタワーについて2人に取材し、その実態や存在意義について確かめるパートがある。 そこで改めて「同情」とは何か、「平等」とは何か、考えさせられる。 【筆者】 今回初めて九段理江さんの作品を読んだが、他では見ない言葉の言い回しが多く、表現の仕方が面白いと思った。逆にいえば、そのせいで掴みづらいところもあったので正直解釈に困るというか収集がついていない?と感じた。他の作品も読もうとはならなかった。

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    投稿日: 2024.12.19