
総合評価
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powered by ブクログ主人公たちの日常や心情が、平易な言葉で書かれていて、ひとつひとつの説明はわかるようで、それでいて分かった気にはならない。 自ら進んで禅を毎日数時間、数日、一年とする著者たちの感覚のようなものに、どうしたって共感や理解が難しいためだろうと思う。 著者たちの心情については、奥底で分からなさを感じるとともに、永平寺の修行について、一端でも知れたのが面白かった。
0投稿日: 2025.09.06
powered by ブクログ出家して1年間寺で修行した記録。 修行生活自体別世界すぎて興味深かったが、欲望を取り上げられた人々の心の動きから、生きているってどういうことだろうなんて考えたりするのも面白かった。 ただ、言葉が難しいところがあるので、さあ読むぞっていうパワーが必要かも。
0投稿日: 2025.08.28
powered by ブクログ#8奈良県立図書情報館ビブリオバトル「飲む・食う」で紹介された本です。 2011.10.15 http://eventinformation.blog116.fc2.com/blog-entry-683.html?sp
0投稿日: 2024.09.24
powered by ブクログYouTubeで永平寺の雲水の修行の様子を見て興味を持ち読んでみた。 動画以上の情報があり大変ためになった。 (参拝者として)永平寺は好きです。
0投稿日: 2024.06.06
powered by ブクログ初めて物事に目的も方法も無いことの意味を知った。 何かのためにするわけではなく、ただするのである。 ある形になることで、全てを脱ぎ捨て、ただこの一瞬の時にまみえること。
0投稿日: 2024.01.07
powered by ブクログあぜやんリリース 5年前、会社の旅行に永平寺に行く前に予習で読んだ本。 著者は1年間、永平寺で雲水を経験したことを 本書に詳細に書いている。 あの立派なお寺での生活が活き活きと描かれていて、 本書を読んだら永平寺に行って坐禅を組みたくなる。
0投稿日: 2023.08.26
powered by ブクログ理不尽、暴力が非日常的で興味深い。そして、同時に仏教(曹洞宗)の持つ厳格なまでの戒律がなぜ生まれたのか。なぜ今も続いているのか。 現代の感覚で言えば、体罰、つまり暴力による組織の統制は許されないものだろう。しかし、至る経緯、歴史、背景、想像を働かせ、相手の気持に立ってみる。 人間の多様性は、こういったものを必要としてきたのだろう。なければ、ふるい落とされてしまう人々が居たのだろう。 現代の快適な生活からは想像ができない過酷な世界を知れる。
0投稿日: 2022.08.19
powered by ブクログ永平寺の修行がこれほどまで激しいものとは想像もしていなかった。 著者の体験から既にかなり年月は経っているけれど、現在も同様に厳しい修行が行われているのだろうか。 「信じる」「救われる」ということは、「理不尽に耐える」ということと表裏一体なのだと感じた。 厳しい修行をされている雲水の方々には敬意しかない。
0投稿日: 2021.11.30
powered by ブクログ穏やかなものだと思っていたら、理不尽と思われることばかりな激しい毎日に読んでいるこちらまで飲み込まれそうになる。ページをめくるたびに、時間が経ち日々が過ぎて、全てのことに理由があることが分かる。読む前の想像とは違っていたけれど、とても良かった
0投稿日: 2021.11.13
powered by ブクログ現在の永平寺での修行記だが、その厳しさが壮絶だ。 全ての行為にきっちりと形が決められており(トイレでさえも)、また節制も徹底的だ。 修行内容の是非はともかく、飽食の時代をのほほんと生きているのが恥ずかしくなるくらい。(HPの日記より) ※2001.12.25横浜市のO氏からプレゼント 2002.1.26読書開始 2002.1.29読了 2008.1.19売却済み
0投稿日: 2021.08.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
一万円選書(2回目)①。「修行=厳しい」というイメージはあったものの、どちらかというとひたすら座禅をする“静”なイメージだっただけに、かなり予想を超えていました。雲水初期の手荒な指導は、読んでいるだけでも緊迫感ありましたが、指導側も隙を見せられない、厳しさを貫かないといけないという別の重圧の中で過ごさないといけなかったんだなぁと、魯山さんの視点を通じて気付かされました。立場が変われば見え方も変わる。ネットで近年の著者の記述を読んで、厳しさとは何か、と言うことも考えさせられました。(体罰肯定とかではなく)
0投稿日: 2021.08.14
powered by ブクログ永平寺に行く前に読んで、想像して、 実際、現地を観たら雲水の生活がわかった気がした。 とても面白い本。
3投稿日: 2019.12.07
powered by ブクログその日、僕は出家した、彼女と社会を捨てて――。道元が開いた曹洞宗の本山・永平寺。ひとたび山門を潜れば、そこは娑婆とは別世界。東司(トイレ)にも行鉢(食事)にも厳格な作法がある。新入りは、古参僧侶に罵倒され、規矩を徹底的に叩き込まれる。さらに坐禅に日々打ち込んだ末、30歳の著者が会得したものはなにか? 雲水として修行した一年を描いた体験的ノンフィクション。(裏表紙) 修行のパートには閉口。著者がその意味を書いてくれているけど、門外漢にしてみれば到底納得できるものじゃあない。 一方、著者の心情や周囲とのやり取りはすこぶる面白かった。寺を去る際の手洗い送迎がとても良い。
2投稿日: 2019.09.18
powered by ブクログすんごい辛そうだから絶対やりたくないが、 意外とあっさり一年で終わって あれ。って感じだった。 文章がくどい。
0投稿日: 2019.04.22
powered by ブクログ実家がお寺というわけでもない、ちょっと社会に馴染めなかった若者が永平寺の雲水として過酷な修行を積んだ一年間の記録。文章が巧みで丁寧、細かなことまで詳細に記録されていて、普段は知ることのできない世界を垣間見ることができとても興味深い。単なる修行の記録ではなく、雲水としての成長や社会観、宗教の真髄など、著者が感じちゃことを素直に綴ってあって勉強にもなる。うちは実家が曹洞宗でありなんとなく「座禅」や「二つの月」、「正法眼蔵」などに馴染みがあったし、永平寺には縁あって2度ほど訪ねたこともある。「座禅は悟りを得るための手段ではないし、目的でもない。ただ座るだけ。」とか「全ての私を捨て、自然と一体になること」などの意味がよくわかる。大小を問わず欲望に囚われがちな現代人であるが、こういう世界を見ることで考えるきっかけになると思う。
2投稿日: 2019.03.06
powered by ブクログ行きました。永平寺。この門前町を歩いたんだな、と。 出家までの過程が書かれている第一章「終わり、そして始まり」の中の「遍参」が印象的です。 最後に「生きるということは、何も特別なことではなく、突き詰めると、食べることと排出することだとも言える。~~人間が生きるということに意味があるとすれば、まずこの世に存在していること、これこそが生きることの根本的な意味なのだと僕は思う」とあります。 生きるということは、食べること。 これでいい、と自分に言い聞かせた
1投稿日: 2019.02.17
powered by ブクログしばらく読書から遠ざかってしまい、とびとびでかなり間を空けてやっと読んだ。 秋に永平寺を訪れ、雨の中の壮大な伽藍の荘厳さに感動した。 その際、一生懸命に説明していた雲水や、供養をお願いし後日送られてきたお世辞にも上手いといえない回向証を書いたであろう雲水を思い、それぞれに志を持って門を叩き同じ修行に耐えたのかと胸が熱くなった。 道元禅師がトイレや風呂の細かな決まりまで書き残していることに驚いた。 山奥の厳しい自然の中で、余計な人の営み全てを削ぎ落とした生活。人の限界に挑戦している。 さようなら永平寺、には泣きそうだった。 お疲れ様、今後の人生にどう影響したのか、後日談を知りたい。
2投稿日: 2019.02.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2001年(底本1996年)刊。◆峻厳な修行で名を轟かせる永平寺。本書は、そこに雲水として入山した著者の一年間の修行録。図らずも具体的な永平寺入山ガイドにも。噂に違わず厳しいが、清廉な緊張感と食欲・睡眠欲への極端な抑圧・圧迫感とが合わせ鏡のように一体化している。とりわけ、行動のみならず、その所作までもが、歴史的な経過にて洗練・定形化し、それを違えられないのもキツイ。ましてこの生活、特に、この食事なら普通は身体を壊すだろうな、と。◇脚気に悩まされる新米雲水らには、本人承知の入山とはいえ、同情を禁じえない。
2投稿日: 2017.01.22
powered by ブクログ永平寺で1年間修行した作者の修行記。たかだか1年の雲水生活で畏れ多い永平寺の本を出すなんて、、と斜に構えて読み始めたが思った以上に深い内容で面白かった。 肉体的苦痛と精神的苦痛を伴う厳しい修行は私情の入り込む余地を無くし、がゆじがらめに型にはめてしまうことですべての執着を捨てさせる。 −我見を捨て去るー自分が自分であることを捨て去り、ひたすら自己の無に徹し、長を敬い長に従い、黙々と日々の務めを遂行する。 ⇒頭で考えてできることではなかなかない。そこで自己に縛られている人間を罵詈打擲し徹底的に打ち砕く。学歴、地位、名誉、財産、人格までも引裂き落とし、そうして全てを捨てさせる。 読み終えて思ったのは、仏道の中での修行とはいえキレイなことや尊いことばかりではない。世間から閉ざされた狭い世界に修行中の自己や欲を捨てきれていない若者(主に)が集まっている。お坊さんの修行を読んでいるのに時折軍隊の訓練かと思えてしまうこともしばしば。相手をとことん否定し従順にさせるのはいいんだろうか。 キレイごとばかりでない雲水生活の世界を教えてくれるが、永平寺の修行を否定してるものでは全くない。欲にまみれた坊主となるか人間が出来ている尊敬に値する老師となるか、、その人の人間性次第なのか。読後なかなか自分の考えがまとまらない。
2投稿日: 2016.06.03
powered by ブクログデザイン事務所でのサラリーマン勤務に倦んだ著者は30歳にして出家を決意。両親・恋人に別れを告げ、単身、永平寺の門を叩く。 道元の思想に基づいて、食器の上げ下げまでも厳しく定められたルールのもとでの一年間の生活。精神の淀みを払い落としていく著者。 ◯ようするに道元の示す修業とは、超能力や特殊な瞑想でもなく、また難行や苦行でもなく、日々の行いそのものの中に見出されるものなのである。そして、目的と手段を二分しない。悟るための修行ではなく、そのひたすら修業していく姿が すなわち悟りだと考えた。したがってそれは何者かに委ねるものではなく、自分自身の心と体で成し遂げなくてはならないのである。 「威儀即仏法、作法是宗旨(いいぎそくぶっぽう、さほうこれしゅうし)」 永平寺での修業は、この開祖道元の教えに従って、今日まで綿々と続けられている。 ◯修業とは本来そんなものである。たとえ時を経て位が上がったり、歳を重ねたとしても、それによって特別な待遇が与えられる種のものではない。修業とは、どこかへ向かうための段階ではなく、生きているその瞬間瞬間の、自分の在り方そのものなのである。 ようするに、生きているという事実に自分の心と体で気づき、人間としての良き生き方を修し行い続けること、それが修業なのだ。道元の「威儀即仏法、作法是宗旨」の真意は、まさにここにある。
2投稿日: 2015.02.08
powered by ブクログひょんなことから修行僧に出会い、興味を持ち、アマゾンで購入。 仏教のぶの字も知らない自分にも読みやすい本で、最初は驚きの連続でした。 この本を読んで修行僧やお寺に興味を持つようになりました。 大好きな一冊です。
2投稿日: 2015.01.23
powered by ブクログ文庫本をボロボロになるまで読み、二冊目の文庫本もボロボロになった それくらい何かの折に読み返してる本
2投稿日: 2014.11.28
powered by ブクログ同期の失敗は赤裸々に、数多く書かれているのに、ご本人のは言い訳が効く程度のものしかない。そりゃあ、寺生まれを差し置いて要職に抜擢されるやり手なんだから当然っちゃ当然だけども…。優等生的なものの捉え方、感情がどうも馴染まない。 とはいえ、イメージと違う部分が多かったのは面白い。坊主が集まってマジメにトトロ見てる図とか想像しただけで…。
2投稿日: 2014.05.31
powered by ブクログ永平寺での修行のすさまじさがわかります。 生活のすべてが修行という、曹洞宗の考え方は共鳴できる部分が多くあります。
2投稿日: 2014.05.07
powered by ブクログ今年、2013年の初詣は永平寺だった。毎年、我が家では奈良県の薬師寺に初詣に行くのが通例なのだが、今年はたまたま、年始に福井に行かなねばならない用事があり、その帰り道で永平寺に詣でた。とくに、「永平寺に行かなければ」という訳ではなかったのだが、ピンと張り詰めた空気は背筋を伸ばさないといけない感じがした。そんな永平寺の記憶が、あたまの片隅に残っていたのだろうか、この本を手にとってみた。 永平寺は道元が開いた曹洞宗の大本山である。福井の奥深い山の中にあり、その趣は京都や奈良の寺とは異なる。都の華やかさかさはまったく無く、ピーンと張り詰めた空気を感じる「修行の寺」だ。寺院内には多くの雲水さんを見かけるが、日々、修行を行っている信仰が現在進行形で進んでいる感じがするのだ。 そんな修行の寺に、著者の野々村馨さんは雲水として入山する。
2投稿日: 2013.02.17
powered by ブクログ杉木立に囲まれた荘厳な寺院での修業生活。季節の移ろいや著者の心情が美しく描かれている。最小限の持ち物と座禅や勤行の日々。人の心はこれほどにも研ぎ澄まされ、美しくなれるのか。聖域の僧堂、山の斜面に続く回廊。光と影が織り成す寺院の描写。そして人間模様。とてもよく描かれた書物です。異なる体験をしたような心持ちです。
2投稿日: 2011.11.29
powered by ブクログ1. I learned that the toughness of the discipline in Eiheiji Temple is beyond the reach of ordinary people's imagination. 2.The author's description of nature and scenery is brilliant. 3.Freshmen "Unsui"'s promotion is interesting. At first, they are just soldiers and heart-to-heart interactions are rare with seniors. As they are changing from soldiers to staff getting over many hurdles, the novices come to get humane treatment.
0投稿日: 2011.11.06
powered by ブクログ750年続く永平寺は曹洞宗の本山で、曹洞宗とは禅宗の一つ。道元が開祖で座禅による悟りを目指す。30歳を過ぎた男性が突然、出家をすることになる。出家をする理由はさておき、お話は1年間の修行生活をノンフィクションで語る。強烈な先輩たちの出迎えに屈せず修行を終え山を降りるまで、彼は何を思い何を感じたのか。老婆の雑巾の話には涙する。無心に耐え忍ぶ姿は美しい。
1投稿日: 2011.08.18
powered by ブクログ再読。年明けに永平寺に参拝したこともあって、以前読んだこの本を読み返すことにした。 読み進めるほどに当時感じた熱い思いが甦ってくる。永平寺で雲水として過ごした著者の1年間が実に詳しく書かれているのだが、時折挿まれる情景描写や心情表現に、抑えがたいほど胸動いてしまうのだ。 何度も思う。作家というわけではないのに、こんなにも切なくて透き通った表現のできるこの人はどんな人なのだろうと。どんな声音でどんな話し方をする人なのだろう。どんな風に微笑み、何に涙する人なのだろうと。 初めて読んだときも、今と同じように野々村馨その人に惹かれたのだった。 永平寺入山者には等しく「殴られ蹴られして徹底的に叩きのめされ」「私情の入り込む余地をことごとく排除し、うむを言わせず身も心もがんじがらめに型にはめてしまうことによって、すべての執着を捨てさせ」るという、現代人には到底耐えられない厳格で過酷な日々が待ち受けている。 道元の教えでは、生活そのものが修行。食べること眠ることお風呂に入ること、排泄行為も掃除も、そのすべてが修行なのだ。ゆえにそのすべてに細かい作法が決められ少しでも違えれば厳しい罰が待っている。 ひと度入山を許された者たちは、極限まで追い詰められた結果、傷つくまい壊れまいとする自尊心も理性も、それら取りつくろうものすべてが剥がれ落とされ、人間の一番醜いものが露骨に剥き出しになってゆく。そうやって残されたものこそがまぎれもない自分自身の本当の姿だと知るのである。 永平寺の修行生活は「徹底的に欲望を抑圧することによって心と体のズレをより顕著なものとし」、そうすることで雲水たちに無言の問いを投げ続ける。 息さえできない恐怖と緊張の日々の中、彼に見えてくるものがあった。 「生きるということは、何も特別なことではなく、突き詰めると、食べることと排泄することだとも言える。これはすべての生命に共通した原理であり、すべての生命は、生まれ、そういった営みを繰り返しつつ、自然界の連鎖の均衡を維持させながら、やがて死んでいく。その営みのすべてが、自然界での生命にとっての重要な務めであり、生命としての存在価値である。人間だけが例外ではない。もしも人間が生きるということに意味があるとすれば、まずこの世に存在していること、これこそが生きることの根本的な意味なのだと僕は思う」 ご家族のご供養のため毎年永平寺を訪れているある老女がいう。「永平寺の雲水さんは、みないい顔をしていますね。雲水さんの顔をみるたびに、何だか心が洗われるような気になります」 雲水は4と9のつく日しか入浴は許されていないのに、私が永平寺で見かけた雲水さんたちもみな、清風凛々としておられた。その所作すべて清浄な空気に包まれているように感じられた。 750年間その作法を変えることなく雲水たちが今も修行している場所、吉祥山永平寺。その日常をこんなにも人間臭く、真っ直に、そして愛しさをもって書きあらわせるこの人に、心の底から会ってみたいと思う。
2投稿日: 2011.01.25
powered by ブクログ永平寺に行くにあたって読みました。 だいぶ昔にNHKのドキュメンタリーを見たし、岡野玲子さんの「ファンシィダンス」を読んで映画も見ていたので、内容的に「全く知らなかった!」という感じではないのですが、実際の修行者の目から見た手記は興味深く、実際永平寺でもすべてを感慨深く拝見できました。この本を読んで行くと雲水の新到と古参の区別がつきます(笑) とはいえ、読み物としては不満も残りました。 本人の失敗談が少なく、永平寺に対して少し批判的になったかと思うと「それはでも意味のあることで」的なフォローが入り、お世話になった方への遠慮があったりするのだろうと思いますが、何となく「いい子ちゃん」な印象がぬぐえません。結局著者にとっては、その前に行ったというタイ旅行と同じ、「自分探し」だったんだろうなとも思ってしまいますし。1年で修業を辞めることに決めたとき、老師に「まだここにいるべきと思うが決めたことなら」と言われる場面では、つい「修行が足りんっていうことでは…」と思ってしまいました。とはいえ、寺の息子でもないのに1年の修業に耐え抜いたことは大変立派だと思いますけれども。 それにしても、永平寺では今も脚気が多いんでしょうか。白米やめて玄米にしたらどうですかね。
2投稿日: 2010.11.24
powered by ブクログ永平寺の生活が描かれている本。 雲水さんに話を聞いていも、この本に 書かれていることはそのまんま永平寺だと言ってた。
2投稿日: 2010.10.09
powered by ブクログ普通の会社員から思うところあって”只管打座”を提唱する永平寺に入門する。かなり日常とは違う世界が広がっているようすが描かれている。専門用語と永平寺のシステムの説明が多く、もう少し修行をしながらの心の変遷を聞きたかったように思う。ここの修行はつらそう・・。
2投稿日: 2009.09.29
powered by ブクログ自身修行体験があるので、他宗派の修行風景に興味があって購入。 専門用語もあるけれど、わかり易く説明されて読みやすい。良い1冊でした
2投稿日: 2008.01.06
powered by ブクログ日常であった社会生活に疲れ出家を決める。 その先は曹洞宗本山永平寺。 この本を読んでますます永平寺に行ってみたくなった。
2投稿日: 2007.06.10
powered by ブクログ過酷でストイックな修行僧の実話。2年前父から読めと言われて読みました。極限に追い詰められた人間の本性が見事に描ききれてました
2投稿日: 2007.03.18
powered by ブクログ筆者は普通のサラリーマンだったが、突然出家し永平寺に入る。頭をまるめ、門をくぐる一日前からの様子、永平寺での修行の生活が事細かにつづられている。 先日、永平寺に行って献茶式に出席し、そのとき感動したことが、彼の言葉によって何故だったのかがわかったような気がする。 永平寺での修行は、朝起きてから夜寝るまで、すべて、起床も、洗面も、食事も、入浴も、仕事も、もちろん座禅も、トイレさえも定められたとおり行わなくてはならない。「起きて半畳、寝て一畳」の世界の中で、先輩雲水の暴力ともいえる教えを受けながら自己を埋没させていく。すべてのことが、定められたように進み、すべての雲水が自分の立場を心得、自己を捨てそれぞれの役割に徹することによって永平寺が存在している。 そこには、個人の感情などさしはさむ余地はない。必要最低限のものだけにそぎ落とされた物欲、 法堂での、「水盤に揺らめく水のように大きく静かに波打つ」あの読経も、 とぎれることなく続く、法要の流れも、廊下を足袋はだしで歩いても、ほとんど汚れなかったのも、 雲水さんの修行のなせることだったのだ。 読んだからといって私の生活も、物欲も相変わらずで(おいしいものは食べたいし、靴は欲しいし・・・・)何も変わらないのだけれど、あの冷え切った空間を揺るがしていた読経の声は、忘れないと思う。
2投稿日: 2007.01.20
powered by ブクログ筆者は普通のサラリーマンだったが、突然出家し永平寺に入る。 頭をまるめ、門をくぐる一日前からの様子、永平寺での修行の生活が事細かにつづられている。 先日、永平寺に行って献茶式に出席し、 そのとき感動したことが、彼の言葉によって何故だったのかが わかったような気がする。 永平寺での修行は、朝起きてから夜寝るまで、 すべて、起床も、洗面も、食事も、入浴も、仕事も、もちろん座禅も、 トイレさえも定められたとおり行わなくてはならない 。 「起きて半畳、寝て一畳」の世界の中で、 先輩雲水の暴力ともいえる教えを受けながら自己を埋没させていく。 すべてのことが、定められたように進み、すべての雲水が自分の立場を心得、自己を捨てそれぞれの役割に徹することによって永平寺が存在している。 そこには、個人の感情などさしはさむ余地はない。 必要最低限のものだけにそぎ落とされた物欲 、 法堂での、 「水盤に揺らめく水のように大きく静かに波打つ」 あの読経も、 とぎれることなく続く、法要の流れも、 廊下を足袋はだしで歩いても、ほとんど汚れなかったのも、 雲水さんの修行のなせることだったのだ。 読んだからといって私の生活も、物欲も相変わらずで (おいしいものは食べたいし、靴は欲しいし・・・・) 何も変わらないのだけれど、 あの冷え切った空間を揺るがしていた読経の声は、 忘れないと思う。
2投稿日: 2006.04.18
