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さらば東大 越境する知識人の半世紀
さらば東大 越境する知識人の半世紀
吉見俊哉/集英社
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総合評価

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    食べていく手段があるなら、人は後付けの権威主義的序列に加わらなくても生きていける。それが農地や店舗を持つ昔ながらの三ちゃん企業や三ちゃん農業だが、少なくとも、都市型の権威は関係ない。しかし、土地に縛り付けられる分、村社会や家族のヒエラルキーに対しては、より硬直的に組み込まれている。どちらが良いか。 都市の根本にあるのは移動性で、ムラは基本的に閉じた共同体。そのようなムラから飛び出したり、はじき出されたりした商人や職人たちのネットワークのハブとして都市が発達し、それが、西洋中世都市の基本モデルだと吉見はいう。 同様に大学も都市モデルで、教師や学生は移動を基本とした弱い立場であるはずだが、しかし日本では、大学受験があって、その先に就活があって社会人へ。この単線的な通過儀礼の中で「移動する自由」を前提にしていないという。大学は本来、ヨコ型の移動するネットワークのハブとして発達してきたものだが、日本では、大学はむしろ人々のタテ型の人生を支える仕組みになっている。それを偏差値というたったひとつの数字が貫いている。そこに、人々の価値観が一元化されてしまっている。この仕組み全体が、二一世紀の社会にもうまったく適合していないというのだ。 よく分かる気もする。その序列の下層に位置し、存在価値のない大学として社会的にも学生からも見下される状況があること自体が、日本の歪さの象徴ではないのだろうか。また、当然全てではないが、遊びに通うだけの大学という存在を所与のものとする社会は、不気味でさえある。アカデミアではなく、ただの社会への「階級付き整理券」の配布場所でしかない。

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    投稿日: 2025.02.15
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    学生(教え子)の批判を歓迎するという姿勢は素晴らしい。こういう教員は中々いない。が、年齢のせいか少々考えが古いというか、時代についていけなくなっている印象。この辺は本人も自覚しているようであるが。社会学という「今」を研究する学問の変化に対応し続ける難しさを感じる。結局は「過去」を研究する歴史学者になってしまうというか。ただし、別にそれが悪い事だとも思わないが。尚、この題名は内容的に相応しくなく、失敗しているように思える。もうちょっとどうにかならなかったのだろうか。

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    投稿日: 2024.04.12
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    吉見氏についての著書の紹介とそれにまつわる対談。著書を書いた背景、考えなどを対談者が聞き出す感じ。 終章には東大での最終講義「東大紛争」について、その開始、背景、発展、終わりを解説。著者は第三者的傍観者だったので、冷静に分析できたという内容。 あらゆるところに伏線が貼られている言説で、下手に関わると火傷を負いそうだ。東大紛争がくだらない物だとしても、分析家の舞台には立ち入りたくない。 読了35分

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    投稿日: 2024.01.31