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神
フェルディナント・フォン・シーラッハ、酒寄進一/東京創元社
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総合評価

14件)
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    自殺幇助は許されるのか。 憲法は自己決定権を尊重しているが、自分を殺すことは許されるのか。そして、死にたい人の自己決定を十分に尊重し、その手助けをするべきなのか。そして、その判断は誰がするのだろうか。神やコミュニティがそれを許すのだろうか。 難しい。個人的には、自殺は許容できても、それを手助けすることまでは許容できない。自殺の意思を改めさせようと手を差し伸べるのが社会の役割であることには変わりがないようには思う。そして、コミュニティがそれを許してしまったら、やはり不寛容な社会が到来するようにも思われる。 魂は神ものなのか?幸福こそが生きる意味なのか?難しい議題ではあった。

    0
    投稿日: 2025.07.31
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    だれかの人生はわたしのものではないし国のものでも法制度のためにあるものでもない 一般化できない異なる事情を全員が抱えているし、その事情がどういうものか、その人の状況とまったく同じに再現することも理解することも不可能だし実際の気持ちはその本人にしかわからない 罰は類型化できても罪はできないのと同じように、人生は類型化できても死は個別案件すぎるのにな

    1
    投稿日: 2024.10.19
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    自殺を考えたことがある人間としては安楽死が制度化されることは反対という立場で本作を読んでいた。 問題を提起したおじいさんの弁護士の言葉には一理あると思いつつもとてもイライラさせられた。 というのも、私は手段も場所も選んで実行しようとしたことがある。ただし、実行することはできなかった。自殺を考えるまでとそこからでは必要な精神力がまるで違った。死にたいけれども、実際に死んでしまった際に悲しむだろう人たちの顔が浮かんでくるものだ。だからこそ、実際に死ぬ部分のハードルを他人に託すことはとても恐ろしいことに思える。それに、人を殺すという業の深いことを他人にやらせるというのも罪深いことに思える。 解説に書かれていた日本と西洋での安楽死への考え方という部分で個人の権利に対する考え方が違うという話をされていたが、こちらには作中で書かれていたキリスト教としての考え方よりすんなりと受け入れられた。

    0
    投稿日: 2024.07.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ・あらすじ 78歳のゲルトナーは3年前に妻を亡くした。 身体的にも精神的にも健康な状況であるが、妻を亡くし人生に意味を見出せなくなったため医師による自死の介助を求めた。 ドイツの倫理委員会主催の公開討論会で様々な専門家が医学、神学、法学的に議論する。 ・感想 ここ数年よく考える事柄が題材だったのでとても興味深く読んだ。 自己決定権、自由意志、一般的人権、尊厳とは。 生と死についての定義づけと線引きすることがいかに不可能かということ。 印象に残ったのはドイツの憲法では神について言及されているということ。個人的にはそんな「神」なんて存在するかどうかもわからないものを憲法に挟むなんてあり得ないという感覚。 司教に対して弁護士が論理的に矛盾点を指摘するシーンで司教が「信仰は理性的とは言えず論理的ではない」と返答してた場面。 そして「理性でも論理でも解決できない問題」について導き手となる信仰を持っているのはやっぱり精神的な主柱になり強くなれるなと思った。 あとは「法的に生きることは義務ではない」という一文。 全編とても考えさせられるやりとりばかりだったけど上記の3点が特に印象的だったかも。 人間は自己のみによって生きているのではなく、社会・共同体の中でお互いに義務と責任をもって生きている。 「社会が連帯し、面倒を見て尊厳を守ればいい」しそうできたらそれが理想なんだけどなかなか難しいし、人間にそれができるとも思えなかったり。 今作は舞台がドイツだったけど北九州市立大学の「死ぬ権利はあるかー安楽死における自己決定の諸相ー」という論説は日本の医療制度の問題なども絡めて日本人として日本人社会での安楽死、尊厳死の在り方について書かれていて、こちらもとても興味深い。 ※※※※ そしてここから先は安楽死というより「尊厳死」について日々思っていること。 日本人の死生観の幼稚さと未熟さ、人間は必ず死ぬということすら理解できない、したくない人が一定数いるように感じている。死をドラマチックに演出し、感動ものとして消費する社会だし。 日本ほど医療が安価(9割税金だけどなー)に簡単に高水準の医療が受けられる国なんてない。 高水準な清潔さと安全な社会に生きてるからこそ「死」が遠くなり、忌避するものとなっている様に思われる。 そしてその死への不安な「お気持ちを」解消するために、日本では医療が宗教的役割を担わされている(自分たちの税金を使って)。 生命至上主義といえば聞こえはいいけど、じゃあ果たして「生きること」「生きているとは」を考えたことある日本人がどれだけいるだろうか? 根治不能な老化の身体に穴をあけ、針を刺し、管を通し、それら処置を嫌がって苦しがる人に「安全」「訴訟対策」のために体幹、手足を拘束する。 こういう処置も本人の意思じゃなく「家族の希望」でされることが多い。 そしてその処置を希望した家族は病院に預けっぱなし…。 人はいずれ死ぬという事を受け入れられず、病院にあずければどんな状態の人間でも回復すると思ってる。 無責任でストレス耐性が低いから、できることをなんでもしておかないと自分が見捨てた様に感じてしまうんだろうけど。 それって「命を大事にしている」と言えるのかな。 まさしく「人間の尊厳とは」をよくよく考えなければならない事態が日本の医療現場ではよく見られる。 解説にあった文章ですごく納得したのが「日本は「死ぬ権利」はおろか自己決定そのものが難しい社会だ」という部分。 まさに家族の意思が最優先される社会。 心臓さえうごいていたら生きているという事なの?これは「尊厳ある生」といえる状況なのか?と苦悩している医療従事者は多数いると思うよ。(そしてそこに疑問を持ってる人たちが活動してるのが反サロだし) 病院にいると「人権とは…」「尊厳とは…」と考えずにはいられない。 そして繊細な人は耐えられないからすぐ辞める、心を殺してただ指示されたことに対して無心で働くか、ある意味無神経で鈍感な人間しか生き残れないのが現代の日本の病院だと思ってる。 日本では「生命」と「尊厳」のバランスがとても難しい。 そして私は前線から撤退した側の人間。 まぁこのままいくとご自慢の皆保険制度の持続可能性すら危ぶまれる事態になっているわけだけど…。 (青天井の社会保障費、人、金、薬不足…) 安楽死について日本では議論すら始められない(数年前に安楽死導入についての議論を政策にあげてた議員立候補者が国民民主党から出馬してたけど案の定落選してたし)状況だし、幼稚で未熟な死生観と全体主義傾向の強い本邦では難しいだろうなと思ってる。 そして制度の適切な運用なんて到底無理だろう。 せめてリビングウィルという概念がもう少し浸透し、どんなに家族の希望があっても本人の意思に反した処置はされないようになってほしいなぁ。 まぁそのリビングウィルを決めた時点から状況が変化すれば決断もまた変わるんだけどね。 「人間は矛盾を抱えた存在だということです。良いこともすれば悪いこともする。社会は決して均質なものではなく、亀裂が走り、対立が存在し、多面的で、不統一です。(中略)しかし啓蒙された社会では、最終的に何が正しくて何が間違っているかということや、世界のあり方の最終判断など存在しないという点で一致できるはずです」

    0
    投稿日: 2024.07.19
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    最近気づいたシーラッハの新作。 タイトルから別の話を想像していたのですが、主題は「臨死介助の是非」でした。「自死選択の是非」ではなく。 法学、神学、医学の観点からそれぞれ意見を求め、戯曲なので、観客に最終判断を委ねる…「テロ」の時と同じ手法。 個人的には、なしであってほしいです。 倫理観は、時代で変わっていくものかもしれないですが、ナチの事例をシーラッハが持ち出していることが、警鐘だと思いたいからです。 この本を読む寸前にジャン=リュック・ゴダールがいわゆる安楽死を選択していた、という記事を読んだこと、また、やはりこの本を読む寸前に読んだアチェベの「崩れゆく絆」の主人公の最期のシーン、など、時折脳裏をかすめなました。 シーラッハ、好きです。 ドラマチックなタイプの書き方ではないのですが、作品のひとつひとつに心が揺さぶられます。 短編と戯曲が特に良いと思います。 酒寄さんの翻訳もすばらしいです。これからもよろしくお願いします。 マイナス一つ星は、やはり書き手として、結論はどうか、が見えないので。でも、それはそれで良いんですけどね(笑)読み手もアマノジャク(笑)

    1
    投稿日: 2024.02.28
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    欧米の近代的な自由の理念や自己決定権とキリスト教のせめぎ合いが、安楽死の問題を舞台に、抜き差しならない形で展開する。これは、思考実験とかではなく、まさに今、ドイツで起きていることと言っていい。ドイツ連邦議会が2015年に自死の介助を罰する法を制定したのに対して、ドイツ連邦憲法裁判所は2020年にそれを違憲としたのだ。西欧でここまで法的に安楽死を認める流れになっているとは知らなかった。

    0
    投稿日: 2024.02.04
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     個人的に大好きなドイツの作家フェルディナント・フォン・シーラッハ。いつもながらに難しいテーマを今回も取り扱っている。そのテーマは「神との関係性における安楽死」。キリスト教信者のみならず、他の宗教信者に対しても、安楽死の本質とは何かを問いかけている。われわれ日本人が「神」から推察できる事は何か。西欧諸国がとらえる「死ぬ権利」について、日本人が同じ土俵で語る事は難しいという現実を読んでいて感じざるを得なかった。それにしてもシーラッハ作品を扱う酒寄氏の翻訳はいつ読んでも爽快である。

    1
    投稿日: 2024.01.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

    冒頭の方で「自死」というべきです。「自殺」ではありません。自分自身を死に至らしめることは殺人ではありませんから(弁護士ピーグラー)という箇所があるが、日本ではほぼ同義に使っているが漢字を帰るだけで印象が変わると感じた。 「わたしは死にたいのです。」(ゲルトナーの意思) 「生きていたくないからです。」(それは何故か問われたゲルトナーの回答。)ここは死にたいという意思を言い換えているだけの印象をこの時点では持った。 「孫のことは愛しています。しかし、孫がはたして理解してくれるかどうかわかりませんが、エリザベートが死んでから、わたしは半身をもがれたような感じなのです。(ゲルトナー)」他人同士が繋がりながら結婚生活によって到達した想い、日本人的な発想かもしれないが血を分けていても孫は妻より遠い存在か。他人同士が家族なり愛情なりを築き上げていくからこそ意義があると感じた一文。 「なにからですか?自分の命を絶つ権利は、いま申しあげたように人間の自由権です。(リッテン)」ここから、個々の命とはどこに帰属するのか議論が始まる。 「刑法というのは、わたしたちの生命を守るものだと思っていました。(ケラー)」ここについては命を絶ちたいという意思も含めたものなのか?自死は認めないというスタンスなのか?歴史上、法が命を守るというのを過信するのは難しいのではないか。 「価値のない命」というナチスの言葉について、ドイツにおけるナチスの呪縛を感じた。意思にかかわらず殺すナチスに対して、意思を持って自身ではなし得ない死を他者になすよう望むのがここでの議論のそうてんではないか。 「老人は負担だ。金がかかりすぎる。資源を消費する。もう充分生きたじゃないか。(略)」ここは邦画のプラン75に類似してると感じた。日本人もドイツ人もある意味、命ですらコストのように扱うことがあるのだなと感じた。 「ナチによる犯罪は小さなところからはじまって肥大化した。最小限は医師の基本姿勢をさりげなく変化させただけだった。生きる価値がない状況が存在するという安楽士運動の基本的な考え方のニュアンスを変えていった。初期段階では重病者と慢性病者だけが対象だったが、範囲が徐徐に拡大され、社会的に生産性のない者、イデオロギー的に望ましくない者、人種的に歓迎されざる者が加えられていった」生きる価値とは個人が決めること、他者が決めるものではないと思った。しかし、人は田車に対して不寛容になりつつあるいま、また、おなじ過ちを犯そうとしていないか? 「市民はみな、自分の好きなものを信じていいということです。人間はなにを信仰し、どういう世界観を持っても言いのです」西洋社会は圧倒的キリスト教社会と思ってたので少し驚いたが納得。また以下のリッテン(法学の参考人)の言葉に共感。「全体主義国家は自らを絶対だとみなします。自ら以外に真実はなく、国家はそれを実現するものだと。戦後、ドイツ基本法を生み出した人たちはそれを否定したのです。すべての法律と仝ように、憲法もまたアクニ感染しやすく、欠点があると彼らはしむていました。国家の秩序に完璧はないのです。人間のすることには限界があると自覚すること、それが謙虚さのあらわれなのです。ですから、憲法の前文に神が言及されているわけです。」神は人の良心に訴える存在?ティール(神学の参考人)は「古代から啓蒙主義の時代にいたる二千五百年間、自分の命を絶つという暴力的な行為は一貫して否定されてきました。(略)キリスト教かいは社会において、いまでも監視役なのです。」切腹や殉死などがあった日本と相違?!以下のティールの言葉にはポピュリズムへの問題提起を感じた。「役に立つかどうかで命を落とす天秤にかけるなら、じきに「健全な国民感情」がもてはやされ、わたしたちの社会に望ましくない人たちが特定されることになります。身体障害者、うつ病患者、高齢者、愚鈍な人。ダムが決潰する恐れはすでにているのです。」「自然死は生きることとセットです。それを奪ってはならないと思います。」 「わたしたちの命は自分ひとりのものではないということになりますね?」(ケラー 倫理委員会委員) 一人でいきているわけではないから出てくる。一方でティールの「士民には保護され、尊厳をもって歳をとり、死んでいく権利があるのです。」という言葉に、例えば発狂した姿ではなく、自分らしさ、自分の望む自分の姿で死にたいという意思の肯定も感じ、共感した部分。ティールは神学者らしく「命は神の賜であるとされたのです。生きるか死ぬかを決められるのは神だけということです。」とも語っている。個人的には日本人なので神のところは「御先祖様」と考えたほうが腹落ちした。 また、戯曲らしい極論として面白かったのは、ビーグラー(弁護士)の「幸福を追求し、苦しみを避けようとするのは人間にとってただしいことではないですか?それは人間の本性ではありませんか?(略)司教。人間が苦しむのは無意味ではありませんか?」とそれに対するティールの「いきることは苦しむことです。」という対極のやり取り。現実はこの中間といったところか。生きるというやり取りに対し、安楽死を望むゲルトナーの「ひとたび死んでしまえば、何もかも残りません。暖かいところも、すてきなドレスやきちんとしたスーツも。死の床には自分以外なにも持ってはいけません。」という言葉からは物質は無理でも愛した感情、心はその身に宿したまま死ねるという思いも感じた。 「わたしたちの命は誰のものなのか?」「みなさん、わたしたちのしは、わたしたちのものでなければ、イッタイだれのものなのでしょうか?」個に帰属してきたものとはいえ、生かされているということを忘れてはいけないと感じた。 ハルトムート•クレスト 「自尊心が傷つけられ、尊厳をもって死ぬ権利が毀損されると見ているのだ。こうした人々は、矛盾をはらんだ死のプロセスを避けるために、医師といったしかるべき人による自死の介助や最期の看取りを求めている」 ◎「孵化に耐えうる答えを、わたしたちはまだ持ちあわせていないといえるだろう。生きる喜びや生きる意味を高齢になってもいかにイジするか、また、それが失せたときにどうするかといった、長寿との付き合い方を、甥も若きもまなばなければならない。」これからの大きな仮題

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    投稿日: 2024.01.08
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    戯曲形式で自死の問題を議論する書籍。高齢化が進むなか、自分も100歳を超えて自力でご飯が食べれなくなったらどう考えるかなと思っていた。本作品は78歳で妻に先立たれた人が医師による自死を求めて訴えるという内容。自分が思っていた対象とは少し異なるが、一度認められるとどんどん拡大解釈され、優性思想が蔓延りかねない。また、本書は著者がドイツ人のため、自死してはいけないという意見は宗教的な面から議論されていてそれも日本とは異なる状況だった。あとがきに記されていたがまずは日本独自の死生観を議論することが大事だと思う。

    1
    投稿日: 2024.01.07
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    テロ、が衝撃作で舞台も興味があり、それと同じような感じかな?と読み始めた。 宗教観なんかが色濃く反映されるので、意見がまとまることはないと思うんだが… 「困惑するかもしれませんが、法的には生きることは義務ではないのです。」 というセリフにああそうだなと首肯。 後半のケラー倫理委員のセリフが一番入ってきた。 「〜しかし人間は愛情、保護を必要とし、共同体に依存しています。わたしたちが生まれてから死ぬまでに相互に頼ることはないと主張するのは無理があるでしょう。たしかに生きる義務はありません。〜しかし本来、わたしたちは社会的な生きものなわけですから、死を望む者が死ぬ手伝いをするのではなく、その人を抱きとめ、翻意するように働きかけることは必要不可欠です。そういう心根はわたしたちの法と憲法よりも古いものです。それによってわたしたちの共同体ははじめて成り立つのですから、法よりも上位のものといえます。〜」 長文だが、是非お読みいただきたい。

    0
    投稿日: 2023.11.18
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    安楽死についてのドイツの戯曲。 テンポよく読める。アメリカの法廷ドラマを見て法律を全く知らないのに弁護士の論破が面白く感じるアレである。 しかし本題の安楽死は、P165の解説にもあるが、西洋的価値観について日本人が同じ土俵で語ることは難しいという現実がある。 だから日本人からすると違う世界の話であり、理解できない神学論争的なものでもあり、ある意味どうでもいいものである。 誰もが納得できる「良き死」など、実際はどこにも存在しないのではないだろうか。

    1
    投稿日: 2023.10.29
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    戯曲の作りで、自死の幇助についての討論会という内容。 戯曲と言えばファウストのようかと思ったら、とても読みやすくすぐに内容に入り込んで行けました。 死にたいと考える人の気持ち。そしてそれを手助けするのはどうか。手助けした後のこと。自死の方法やその周囲への影響。 とても考えさせられるものでした。 小説とは違う角度からとても読みやすく問題提起され、私の深い部分に波紋を残しました。 きっと皆さんの心にも、何か考えさせられるものが残るのではと思う作品でした。

    22
    投稿日: 2023.10.29
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    安楽死は、これからの社会では切実かつ避けては通れない問題です。 自分はどちらか、と言えば…賛成側です。 作中にて、最近、世間を騒がせているアノ問題にニアミスしています。 日本では、ここ半年前から騒がれ始めましたが、作者の地元·ドイツを含む欧米では、発覚した当時は大騒ぎだったようです。以前聞いた話では、「修道院では就寝時、両手は毛布から出す」のが決まりだとか… 本筋からズレてしまい、すみません

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    投稿日: 2023.10.10
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    学生選書ツアー2023選書図書 【所在・貸出状況を見る】 https://sistlb.sist.ac.jp/opac/search?q=9784488011291

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    投稿日: 2023.10.09