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転落
転落
カミュ、前山悠/光文社
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総合評価

6件)
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    面白いし翻訳がすごく読みやすい 46 記憶も個人的な感情に依るところが多い。 エピソードを想起して心が動かされ、その感動で記憶が少なからず操作され、感動に感動が惹起され、自分の心の動きに駆動されたカスケードに巻き込まれている時点で自分を愛でていることにつながる 恋愛も同じか。倦怠を埋めるために作り上げた劇中で役に身を投じるうちに、自分の本物らしく作り上げられた感情の炎に薪をくべられ、情動が燃え上がっていく。つまりは自分のプロットに恋をしていると(p77 67 恵まれているが故に高みに立ち、その立ち位置を証明するかのように下々に注がれる奉仕行為、それに付随する快感、優越感、全能感だけが一貫して存在するもので、一つ一つの出来事には興味もないから忘却してしまっている。 ずっと所有しているのは、「わたし」を気にする視点だけ。「わたしは、私以外のことを何も覚えていませんでした。」 74 今までは忘却していたから自分の中心が善行や慈悲といったクリーンなものだと思っていた だが忘却が薄れ、あらゆる欲求に通ずる共通項が「わたし」への執着にすぎない、自分が支配力をもち上に立っているということへの執着にすぎないと気づいた 思い出すことで、自己認識が変わったのか 88 双方向の関係に縛られ、相手に何かを要求されるのも嫌だけど、相手の不服従も嫌だ。こちらから干渉すれば瞬時に良好な応答をしてくれるが、あちらからは何も求めない、そんな適度な距離感の人間関係で囲まれたら安心できる気持ちは分かるが、その状況を作るのはあまりに難しいゲームだよね 100 他人の考えも含めて、自分の意識の中に存在するものしか認識できない 逆に言えば自分の意識の中に存在が立ち昇ってきた瞬間に他人からそういう考えを向けられるかもしれないという疑念が存在し始める 自分が大した人間ではないかもしれない、責められるべき箇所があるかもしれないと認識した瞬間、他人自体は何ら変化していなくとも、自分が非難される可能性に怯えるようになる 殺人犯は殺人という行為が実際に存在することを身をもって体感するからこそ、自分も殺されるのではないかという恐怖に取り憑かれるのと同じで、自分の中に自然発生する負の感情(自分に対してであれ他人に対してであれ)を認識した瞬間、その悪意や嫌悪がリアルに感じられ、それが他者から自分に向けられる可能性に怯えてしまう 102「そのとき、世界中の人間たちがわたしの周りで笑い始めたのです」自分に悪意が注がれる可能性を、川に落ちた人間を見殺しにする経験を通して自分から自分への侮蔑という形で体感し、実体を帯びるようになった。以降他人の批判も鋭敏に認識するようになり、無知のヴェールが剥がされ、人々が嘲笑に伏していた姿が顕になる。しかも時を遡って、そうだったように感じられる。ヴェールの下にこれまで蔓延っていたであろう悪意が想起される。 悪意に敏感なものこそ先制攻撃の要領で他者に否定的になる構図もあるある。 108 「わたし」つまり支配欲や承認欲求がすべての行為の根本にあり、それを達成するためには、それらがないように振る舞うのが得策、つまり欲に無頓着で奉仕精神に満ち溢れているように振る舞うのが合理的となる。 この二面性は人々の一般的嗜好(謙虚で自己犠牲、他愛の精神に惹かれる)を考えると妥当 忘却に身を委ねていた頃は、根本にある「わたし」の部分が覆い隠され、枝葉の好人物像しか自分の目にも見えていなかったため自身が倫理的に崇高な人物だと自分でも勘違いしていた そういう自己評価が尾を引いているから、 目的のための手段でしかない慈善行為は、「わたし」からすると「わたし」の維持には必要だが本質的にはどうでもいいことであったと気づいた時に、自分を断罪したくなる衝動、そして断罪される恐怖心に襲われる どうせやっていることに変わりが無いなら、いつまでも忘却の力を借りて枝葉だけを見て、副次的産物でしか無い芽吹きに豊かな気持ちを得てもいいと思うのだけど、、 117 根本の「わたし」と世間に見えている外見に一貫性を持たせるため、乱行に走っている場面がおもしろい 自分の汚い部分を証明したくて意識的に逆の極端に寄せすぎている感じもあるけど 132 淫猥という刺激に浸ることで、刺激に馴化し、想像力が抑制される。気分の上下を多く経験しフラットに行き着くが、退屈に徐々に飼い殺されていく。 結核患者の呼吸苦の例秀逸だなー(結核の症状は肺機能の低下により緩和するが、それで喜ぶ患者を少しずつ窒息させていきます) 134 「わたし」のための手段ばかりが可視化され「わたし」が覆い隠されていたことの弊害が大きすぎる。枝葉の部分の善行から遡って予想される「わたし」の虚像の影響があまりに大きい。もともとの出発点の「わたし」の間との相違に悩まされるくらいなら、トップダウンとボトムアップでいい感じに調整できればいいのに。どうせ自己欺瞞が付随するんだから。 146 法でいくらか制御されていた断罪が、法の文脈を外れても無秩序に行われることで、どんどんアグレッシブになっていく 164の自由が重すぎるというのも、如何ようにも非難され得る状況で自分で舵を切り全責任を負うよりも、ちょっと窮屈だけど世間に流布する法で守られていた方が安心ということ 162 自身の汚点を目立たなくするため、そして断罪を際立ったものにしないために、他者を厳しく断罪していき、汚れた背景に自分を馴染ませていく作業を裁判官として行い続ける。我先にと貶め合うも、自分が捌かれるリスクは消えない だから、先に自分で自分を貶しておく(告解する)ことで予防線を張り、比較的安全なところから人を断罪すると。しかもその告解には、相手をひきこむようにふんだんにレトリックと虚偽も使用する。 二面性、つまりふだんは覆いがかかっているが倫理的性質を示唆するような行為は私利私欲を源泉としていると示唆することで、覆いを取っ払い、聴衆が自身を断罪するよう誘導する そうして生み出した自責の念に自身の汚点を紛れさせていくという手法が告解者であり裁判官であるということか。しかもその役割や後悔の念すらコンテンツとして消費する根っからのドパミン中毒。 退屈ってほんとやになっちゃうよね、という結論になった。

    0
    投稿日: 2025.11.19
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    アルベール・カミュと言えば、有名な『異邦人』やノーベル文学賞の受賞作家。近年では『ペスト』が 脚光を浴びましたが、1956年発表の本作は少し異質な小説です。 まるで小説の形態をした哲学書のようでもあり、読み手の内面を抉り取ってゆくような錯覚に陥りました。人間の二面性を暴いたり、他者を裁きたいという願望を語っていたりということを、主人公の病んだ一人語りによって展開していきます。 内容は、オランダのアムステルダムにある「メキシコ・シティ」と呼ばれるバーでのこと。初対面の客を相手に、自らを「告解者にして裁判官」であると語り出した、フランス人のクラマンスと名乗る男の独白が始まります。その後、日を改めて5日間にわたる自分語りがされた目的とは……? と、終始一貫してクラマンスの独白で占められており、聞き手の語りも代弁しながら最後まで書かれているのですが、ラストの聞き手の素性がわかるに至り、もしかして最初から相手などいない独り言だったのでは?と思わせる書き方に唸ってしまいました。思えば、第一日目から数々の伏線を張り巡らし、思わせぶりな語りで回収していく中で、すでに相手に関しても、同郷の知識人であることが書かれていましたからね。想像ですけど。 それにしても、終盤の「告解者にして裁判官」に至る巧妙な語りの手法は見事ですね。真っ黒けな腹黒さ。人は、程度の差こそあれ罪を背負って生きている中で、自分だけ優位に立って相手を見下すという感覚は、共感はできずとも理解はできるかな。全体的に、直近で読んだ本ではドストエフスキー『地下室の手記』にも似た感じを受けました。また翻訳の文章ですが、どこか太宰治を思わせる、粘り気のある甘ったるい絡み口調は、文章に惹きつける魅力を加味していたと思います。 気付けば、最初から最後まで二度読みしてしまったので傑作と言えるのですが、同著者の『ペスト』のような明らかにおすすめできる傑作と違い、このような人間の暗部を炙り出す作品を同列に扱っていいのかと考えると、評価は付けれないなと思いました。

    25
    投稿日: 2024.11.24
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    なんでこの男は落ちぶれたんだろう。 語り手がバーで同郷の男に延々と自慢話をする。 訳者の解説をオンラインで聞いてから読んだ。 理解されていないカミュの中で一番美しい小説だそうだがそれはよくわからなかった。

    1
    投稿日: 2023.08.30
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    この『転落』は、いわゆる自分語りの形式をもって、パリからアムステルダムにやってきた弁護士クラマンスが自らの半生を打ち明ける。 前半は、細かな心理描写にさすがの感を抱きつつ楽しく読んだものの、自己愛というテーマ自体はそれなりに平凡で、作家であれば多かれ少なかれ誰でも書きそうな内容、という印象だった。 しかしクラマンス自らの無謬性が否定された中盤以降、哲学やキリスト教の要素をふんだんに盛り込みながら、タイトル通り『転落』のスピードに読者を巻き込んでいく手腕には圧倒された。 そして、終盤のミステリー的要素も踏まえた展開と結末。 短編ながら、文学的要素をこれでもかと詰め込んだ傑作と感じた。 ノーベル賞受賞の才能はやはり並ではない、そのことを存分に味わった素晴らしい読書体験だった。 また訳も秀逸。 語り手クラマンスの一筋縄でない心理が、そのまま日本語に乗っている。 尊大さと滑稽さ、プライドと自責、慇懃無礼、という相反する要素が絶妙にバランスされ、微妙な心理が手に取るように伝わった。 訳が面白すぎて何箇所か吹いてしまい、読み続けらない所もあった。 クラマンスの転落前の人格は、自分とかなり似ているところがある。 一方果たして自分は、人を見捨てたことを一生後悔し続けられるほどの善人だろうか。 自分自身に今後転落があるのか、転落することすら無く表層を生き続けるのか?とふと考えた。 本作を読んだ人は、たいてい皆そう感じるものなのだろうか。

    3
    投稿日: 2023.07.25
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    定期的に本作を読み返しており、今回新訳が出たということで早速手にしてみた。 この新訳版には適度に注釈が付け加えられ、文章も従来の訳書より読みやすくなった様に思う。 しかし最も新訳の恩恵にあずかっているのは、本書を通してたった一人の語り手であるクラマンスである。彼を露悪的かつ魅力的に、そして親しげに表現することは、本書の仕掛け(罠)上で欠かせないからだ。 話の大筋は以下の通りである。 語り手であるクラマンスは、かつてパリで名を馳せた弁護士で、私人としても善行やその振舞いから評判であった。 当時の彼は順風満帆な人生を送っており、自身が「高みにある」ことを信じて疑わなかったが、あるきっかけから罪の意識が芽生える。つまり弁護士の仕事も弱者への親切や施しも、人よりも道徳的に高みにありたいという自己愛からくるものだと悟ったのだ。自分に嘘を付くことに耐えられず、罪の意識から裁かれることを恐れるようになったクラマンスは、足掻いた末についに高みにありながら裁きから免れる方法を発見する。 それは「告解者にして裁判官」となることであり、そこに至るまでの過程を彼の語り口からなぞっていく…。 この告解者にして裁判官というもの(クラマンスは職業と自負)について。 簡潔に言えば、彼自身を含め誰しも犯しているであろう罪をあらかじめ自白(告解)し、露悪的かつ親しげな態度で相手も同罪であることを認めさせ、共犯者に仕立て上げる。そこから先に自白したという道徳的優位を利用して、相手を裁くのである。 どういうことかというと、罪を裁くことができるのは先立って罪を認めた者だけであり、相手から言葉巧みに共感を引き出してから告発するというもの。 クラマンスは自己愛と人に裁かれることへの恐怖から、人より先に自分を裁き、然るのちに相手を裁くという結論に至った。 彼は根城である酒場メキシコ・シティで、獲物を捕えては告解→共犯→裏切りというプロセスを繰り返し、人からの裁きを免れつつ心の安寧を保っている。 職業が変われど、正義の弁護士であった頃と彼は変わらない。自身を高みに置くために、聞き手を引きずり落としては裏切っていることを除いて。 「転落」はいくつかの訳書が出ており、クラマンスの職業については翻訳のゆれがあった。 私が知る限りでは“裁き手にして改悛者”、“改悛した裁き手”、そしてこの新訳の“告解者にして裁判官”である。 私はフランス語が分からず原著を読めないので実際のニュアンスはわからないが、本書の内容を考えると改悛より告解という訳が適切だと感じる。 なぜならクラマンスは自分の罪を認めても、それを悔い改めることはないからだ。 ざっくばらんな説明になってしまったが、本書はあとがきに訳者による丁寧な解説が付されており、初見では難しい本書の理解を深めることができるだろう。 もっとも理解したところで、現代も”告解者にして裁判官”たちで至る所が埋め尽くされていることに気付かされ、人間不信と虚無感が残るだけである。 そうなれば誰しも自身の安寧(決して救済ではない)のため、進んでクラマンスとならざるをえない。 長々と書いてしまったが、もしここまで読んでいる方がいれば大変ありがたく、報われる思いである。 それではようこそ、メキシコ・シティへ。

    3
    投稿日: 2023.04.05
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     弁護士として順風満帆な生活を送っていたフランス人ジャン=バティスト・クラマンス。なぜか今は落ちぶれた様で、アムステルダムのバー「メキシコ・シティ」にたむろしているらしい。そして、バーに来ていた同国人に話しかけるところから始まり、最初から最後まで彼の一人語りで話が進む。  今彼は、「告解者にして裁判官」のようなものだと言う。一体それはどういうことなのか?どうして彼は以前の生活から“転落”してしまったのか?彼の語りから、徐々に謎が明かされていく。  あらすじ的に言うと、こんな感じ。  語りの文なので、読むこと自体は難しくないが、語られる中身は、自分にも当てはまるとドキッとしたことも多いし、人間の自由とは何かといったことも考えさせられる。  久しぶりに読んだカミュ。面白かった。

    1
    投稿日: 2023.03.20