
総合評価
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powered by ブクログいつかのkbookラジオで、著者キム・ウォニョンさんが紹介されていて、それ以来ずっと読みたいと思っていた本書。訳は、五十嵐真希さん。 どんな障害を持っている人も、マイノリティの人も、すべての人が等しく尊重されなければならない。ほとんどの人が、この言葉の意味理解できるだろう。 しかし実際、それを実現するために、社会として、社会の一人の構成員としてどうあるべきなのか。 それを徹底的に、あらゆる方向から理論立てをしたのが本書である。全ての人に向けて、全ての人が尊重されるべきであるということを証明するための弁論だ。 著者の経験や、読んだ本、見た映画など色々な場面で接したエピソードを交えながら、人が尊重させるということがどういうことなのか、なぜ尊重されるべきなのかを理論立てていく。 私は体に不自由はなく、病気も持っていない。 だから、どんな場所も歩いていけるし、階段も登れるし、電車やバスにもなんの不自由もなく乗ることができる。 自分の収入に見合っている場所であれば、どこでだってご飯を食べることができるし、本もどこだって読める。映画だって、字幕であろうと、吹き替えだろうと自分で好きな方を選んでみることができる。 しかし、それらがままならない人たちがいることを、ないものとして、社会は動いている部分が多くあるのではないだろうか、ということを改めて考える。 私がそういったことを考えるようになったのは、この本を読んでからが初めてというわけではなく、子どもが小さい頃に色々なことに気がついた。 子どもが赤ん坊の頃は、大きなベビーカーを使っていたので、一人でそのベビーカーで移動するときは、必ず利用する駅にエレベーターがあるかを確認する必要があったし、混んだ電車は乗るのが憚られた。外出先で授乳させることができる場所を探すのはかなり苦労した覚えがある。 子どもが少し大きくなって、商業施設などのトイレを一人で使わせた時、トイレを流す時のボタンやレバーがどこにあるか子ども一人ではわからず、鍵を開けさせて私が中に入る必要があったりすることもあった。 しかし、自分自身が車椅子の生活をしていたり、目が見えない、耳が聞こえない、などの障害がある人たちにとって、社会で生活するのは私なんぞが想像する以上に、相当な苦労があるはずだ。 では、車椅子でも不自由なく移動ができるよう、道路や駅、公共施設を整備するように訴えることは、わがままだろうか。 移動に時間がかかる人が、トイレに行きたいと思った時近くにトイレがすぐに見つけられるように、公衆トイレを増やすように要求することはわがままなのだろうか。 段差をなくすように要求することは? すべての映画に字幕や、音声ガイドをつけてもらうよう要求することは? 筆者は、権利発明について述べている。「移動権」や「排尿権」が「発明された」権利であると。 障害者の公共交通利用は、国家が保障すべき具体的責務であり、障害者にはこれを要求する資格があると。 これらは、黙っていてもらえた権利ではなく、当事者が身を挺して訴えたことで、権利として「発明」され、保障されるべく闘った末に勝ち取った権利である。 著者は、「障がい者の人生は、福祉サービスが十分でないから自由と平等が侵害されているのではなく、長い間蓄積された画一的な慣行と構造によって(それらが)侵害されている。個人が持つ具体的な人生初の物語…個性を、…簡単に無視してはならず、もし受けられない場合は、なぜそうなのか合理的な根拠を示さなければならない」と述べており、韓国ではすでにこの論理に沿った判決が出されているという。 また、それを強調するように著者は、「誰かに依存しなければならない状況は、そうとは認められにくい」と述べている。 時々、思い出す事件がある。 コラムニストであり、車椅子で生活をしている伊是名夏子さんが、子どもたちと介助者の方たちと旅行に出かけた際、乗車駅で行き先を告げたら、その目的の駅には階段しかなく無人駅なので乗車してもらうことはできない、と事実上の乗車拒否をされ、1時間以上も駅員と押し問答をすることになったという。結果的に、途中で駅員らが待ち受け、目的の駅でも車椅子を運んだという。 それを伊是名さんがブログに書いたところ、「事前に連絡をしないのが悪い」「駅員に感謝しろ」などといった批判をする書き込みが次々にされたのだ。 そういった声は、同じく車椅子を使っている人や、障害を持つ人からも上がったという。「自分たちは段取りよくやっているのに、あなたはわがまま」など。 伊是名さんは、そもそも無人駅でしかもエレベーターもないということは、誰かの助けを借りなければ、階段しかない駅を利用できない人がいる、ということを想定していないということである、そして、「わがままだ」「感謝しろ」という声に対しては、「わきまえる障がい者」になろうとは思わないと主張していた。 伊是名さんのこの主張を理論づけているのが、この本である。 障害のある人たちは、自分たちがこの社会に適用できていると振る舞う必要はない。 移動する権利は、どんな人にも保障すべきものであり、それが実現できない時には、できない側が合理的理由を示す必要があるのだ。移動権を行使できない側に、それを実現するために人に頭を下げなければいけないのは、権利が保障されているとは言えないのだ。 著者が強調するのは、すべての人が固有の物語と観点をもつ存在であり、自分の物語を主体的に紡ぐ存在であるということだ。法は、障害者たちの権利を保護するとしながらも、彼らをその「必要性」に閉じ込め、個々人による著者資格を尊重しないという過ちを犯している、と。 そして最後に、すべての人に対する心からの尊重が、法律となり憲法となって共同体の最高規範となると。そのような規範の中では、人間の尊厳性がすべての理念の中しになる。尊厳のサイクルが始まり、サイクルを繰り返すうちに、尊厳はさらに具体化し、より重要な価値となる。「誰も私たちに失格の烙印を押すことはできない」のである。 一度読んだだけでは理解しきれなかったが、モヤモヤしていたことを著者が言語化してくれ、はっきりとどんな人でも美しい存在であると結論づけていることに、勇気づけられた。 そして、今の世界はまるで逆方向に向かっているし、日本の人権意識の低さには辟易とさせられる場面も多くあるが、私自身への自戒を込めて、この本で学んだことをさらに自分の言葉にしていけるよう学びたい。 韓国ではこの本がベストセラーとなったらしい。 日本でも本書のような人権についてとことん考えさせられる本が、たくさん出版され読まれるといいなと思う。
0投稿日: 2025.03.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
車椅子生活を送っている著者が障害者や性的マイノリティ、他と違った容姿の人に対する社会の偏見に一石投じた人権書。 結構専門的な内容もあった。 世の中には一部、普通と異なった点を持ち、それが足枷となり苦しんでいる人がいる。 そういった人が苦しむ理由の大部分は、異なった点による直接的な弊害ではなく世間からの目、理不尽な決めつけにある。 障害者は生きづらいだとか、醜い顔立ちの人はモテないだとかいうマジョリティーによる偏見や傲慢な考えに首を絞められていく。 そもそも排除する側、される側という位置づけ自体間違っているのに、誰だって場所や状況が変わればマジョリティにもマイノリティにもなりうるというのに。 『精神病院や高齢者施設、障害者施設で、数か月、長いと数十年を過ごす人々の生が「不当」だとしたら、それは彼らが障害を抱えていたり、患者であったり、小さな空間に閉じ込められているからではない。 自分の人格が尊重されないまま、長い集団生活によって、完全に消されてしまうからだ。』
14投稿日: 2024.10.14
powered by ブクログキム・ウォニョンさんの他の本も読みたくなるほど、さまざまなことを訴えてくる本だった。社会について気づいていないことも多く、人生観が変わった。
0投稿日: 2023.01.05
