
総合評価
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powered by ブクログ思ったより読みやすかった。アフリカの未開の地を航行したのが実体験に基づいていると知り驚いた。道理で。 もう一回読みたい。
0投稿日: 2025.11.13
powered by ブクログ植民地支配の醜悪さがきつい。 何度かヨーロッパに戻れる機会があったのに、思いとどまったクルツの心情を考えながら読む。 未開の地に西洋文明を教示、ついでに象牙で一儲けのつもりが、身も心も自らが軽蔑する蛮人以下になってしまう。身を守るために残忍にならざるを得ない、ジャングルの圧倒的な自然と、そこに住む人たちのわけのわからなさ。 多面的でいろんな読み方ができる本だと思うけれど、逐一、対比がはっきりしているのでストーリーや会話の意図はとりあえずは読み取りやすい。 例えば船に乗組員として乗せた食人族が、白人のマーロウ達を飢えていたとしても襲わなかったこと。それに比べてクルツが奥の駐在所の入り口に無数の生首を置いていること。 人としての尊厳や残虐さや死生観などが、ジャングルと西洋文明の徹底的な対比を通して語られていく。 最後のクルツの言葉を婚約者に言えなかったマーロウは、そういう人だからこそ、帰って来れたんだと思う。
0投稿日: 2025.10.16
powered by ブクログ日本縦断サイクリングに持ち込んだ本のうちの1冊が本書だ。面白く、かつ、サクサク読み進められない、というのが選択基準だ。結果、本書と『ホモ・デウス』を持ち込んだが、サイクリング中は主に『ホモ・デウス』を読んでいたので、本書は帰宅後読み進めることになった。 映画『地獄の黙示録』の原案として知られる本書だが、私も中学生の時に観た『地獄の黙示録』が忘れられず、いつか本書『闇の奥』を読みたいと思っていた。新潮社のStar Classicsシリーズの新訳が発刊されたので、手に取ってみた。 1800年代の欧州とアフリカの象牙交易の様子がよくわかる。なんと命の価値の低いことかと感じ入る。 コンゴ奥地で辣腕をふるっているクルツの元に、河をさかのぼり辿り着くお話は、地獄の黙示録そのままだ。王国を打立てたクルツの最期の言葉は『The horror horror 』だ。映画でマーロン・ブランドが吐息のようにつぶやいた言葉だ。本書では『地獄だ 地獄だ』と訳されているが、『恐怖』ともとれるか。いや、でも定冠詞がついているので、感情ではなく情景を指したと考えられ、やはりクルツは『地獄』を見ているのか。
0投稿日: 2025.09.15
powered by ブクログ大自然の雄大さと人間の心の闇を世界に曝け出した問題作。 世は植民地時代、主人公が血生臭い経験をしながら、アフリカ大陸奥地にある貿易会社の拠点に赴くと悍ましい光景が広がっていた。 おおまかなあらすじはこの小説に辿り着いた読書人なら誰でも知っているかもしれない。 しかし、その中の一定層は、この手の小説に冷ややかな視線を向けるのではないだろうか。 「そういう重たい話は現実世界で十分だ」 「読んでいて疲れるのにはうんざりしている」 私はこのような気持ちから、発売直後に購入したにも関わらず、約三年もの間積読していた。 重い腰を上げたキッカケは些細なものだった。なんとなく近代の海外文学を読みたくなっただけだ。 読み始めた瞬間に気がついた。この小説は読みやすいと。そして、面白い。 本作の語り手であるマーロウの語り口がとにかく秀逸だった。ユーモアがあり、葛藤があり、秘密があり、勢いがあった。 この重い主題を、非常にスリリングな読書体験に変えてくるコンラッドは間違い無く稀代の作家である。 もし、私のこの文章が、本作を手に取ったものの読み始める気力が湧かない方に届き、読むキッカケとなったならそれ以上の嬉しさはない。
0投稿日: 2025.07.31
powered by ブクログ『青の6号』の小説で、この本が触れられていたので読んだ。熱帯雨林、蛮人、「ガリア戦記」という単語など、影響は伺える。が、基本的には植民地支配の話だった。 序盤は語り部が誰なのかはっきり分からなかった。 だんだん、マーロウという男がコンゴの川を遡り、奥地の出張所にいるクルツに会いに行くストーリーとわかる。 タイトルの『闇の奥』とは、文化的なイギリスからコンゴの熱帯雨林のなかを食肉するという蛮人を怖がりながら進む船の航路のこととも取れるし、かなり才能あるクルツがジャングルの奥で精神を病んでしまったことを指しているとも思える。
0投稿日: 2025.07.14
powered by ブクログ19世紀末のアフリカ大陸 植民地化を進める西洋人の、想像を越える未知の世界が広がる。 小説『闇の奥』は、コッポラが映画「地獄の黙示録」を作る際の原型とした物語。 19世紀末のアフリカ、コンゴを舞台とした探検記録のような、それでいて、全編にわたりまとわりつくような熱帯雨林の世界を描き綴っており、ページごと進むのがかなり難儀。 (舞台をベトナム戦争としたコッポラの映画の方が、まだ分かりやすい?) 冒険を求めて、主人公マーロウは何が飛び出すかわからない密林のなかの川を遡上する。 そして、行き着いた“奥”で、不思議な集団を率いていたクルツという人物と出会う。 幽霊の運び手 従順な崇拝者ども 鬱然とした密林 どんよりとして湾曲した水路 規則的でくぐもった太鼓の響き 『地獄だ!地獄だ!』
3投稿日: 2025.07.01
powered by ブクログうーん まずこれを飲んだ一番の理由は、コンゴで起きた歴史的人間の蛮行を知りたいと思ったから。つまり、小説というより、ノンフィクション?或いは歴史書的な目的で読んだ。結果として、そういうのというよりは随分と人間の内面を描いた哲学的な小説といった意味合いが強かった。もちろん、「蛮族」達の悲惨さは艶やかな筆記から伝わってはきたが、描写がもの足りなかったというのが正直なところ。つまり、国王のことと、或いは手足の切断についてまるで描写がなかったのは、あれれ?という感じだった。更に言えば、哲学的小説としての話だが、これは私が未熟だからなのか?クルト?にも語り部にもいまいち移入できなかった。およそ現代日本にはない全力100%の自然の力ってのはありありと感じられたけど、クルト?の正義と絶望はあまりわからなかったかな?
0投稿日: 2025.06.28
powered by ブクログ会話らしい会話もなく、ストーリーテリングではなく、1人の体験談として語られる植民地の状況。結局異常正常、常識非常識は絶対的なものがあるわけじゃない。本当に語りかけるような文体だからこそ、怖いし、他人事のようにも聞こうと思えば聞けるし。いやでもやっぱりこわい。異文化がではなく人間が。
10投稿日: 2025.05.04
powered by ブクログ桐野夏生さん「インドラネット」の解説で紹介されていた本書。フランシス・フォード・コッポラ監督のハリウッド映画「地獄の黙示録」の原作とも言われている。 著者の実体験がベースになった小説で、植民地支配の残酷さが生々しく淡々と描かれている。支配者側の「野蛮な現地人を文明化する」というご都合主義的な大義名分を元に、アフリカコンゴの現地人を奴隷化し象牙を略奪していく姿が非情。 映画「地獄の黙示録」では舞台がベトナム戦争に変わり、その辺の毒気は抜かれ、本物のナパーム弾を使った戦闘シーンの派手さが目立つ。
12投稿日: 2024.11.17
powered by ブクログ大英帝国の繁栄を担う貿易商社員がコンゴの奥地のジャングルで目にしたものは、誰もが目を背けたくなるのような現実だった。19世紀のヨーロッパの植民地主義は、文明的、人間的に劣後した地域をキリスト教的な理想主義のもとに啓蒙するという高邁な使命によって、貿易利益の独占、資源的搾取を覆い隠すような陳腐なショーであった。クルツというヨーロッパ人を象徴として、人間性の闇、文明人が未開人になり、未開人が文明的になるその皮肉を、陰鬱で明快な表現で書き上げている極めて歴史的価値が高い一冊。ヨーロッパの植民地主義を人文的に一考する上で、欠かせない一冊であろう。
0投稿日: 2024.11.09
powered by ブクログ訳が平易で読みやすい。 略奪と虐殺の情景描写を中心にした、悲惨な物語なのかと想像してたら、そういう箇所は少しだけで後はずっと心情描写で痺れた。語り手にマーロウを置かなかったら何が何やらってなってたかも。 前半から何回もクルツの名前が登場するのに、肝心の本人は全然出てこなくて、噂ばかり聞いて実体がない感覚だった。結局出てきたのはかなり最後の方だし、マーロウとはじっくり話をして関係を築いたっぽいけどその詳細もほぼ書かれてないし、クルツって一体なんやったん、、?人間の奥深くにある野望や虚栄心の具現化であり、自己の深くまで潜って自己と対峙できる超越的な生き物であり、みたいな、、? ストーリーも面白かったけど、とにかく比喩と描写力がすごかった。大密林の静かなる不気味さ、得体の知れない気配がありありと伝わってくる。マーロウが声で語っているという設定に無理を感じるほど細密で豊か。オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』を思い出した。
2投稿日: 2024.05.02
powered by ブクログ象牙と病気になった出張所長を回収するため、蒸気船の船長になってコンゴの川を遡行。 ドラえもんの大魔境を思い出します。
0投稿日: 2024.02.18
powered by ブクログ◯書店で購入。岩波版は持っていたが、字が小さくて読みにくかったので、新潮文庫で買い直した。字も大きいし訳も平明で良い。何より新装版は表紙が良い。 ◯「PSYCHO-PASS」の中で登場した作品であることと、また「攻殻機動隊ARISE」の登場人物がこの作品からあやかられていることが、読んでみようと思った動機の大半。 ◯読了したはいいものの、正直最後まで読んでもよくわからなかった…。他の人達の感想を読むと、「文明を持ち込もうと思ったクルツは、結局はそれを凌駕する密林の混沌の前に敗北し飲み込まれてしまった」という感じになるんだろうか。そうだとすると遠藤周作の「沈黙」にも少し似ているなと感じた。遠藤周作はこの作品からインスパイアを得たのだろうか?
1投稿日: 2023.10.22
powered by ブクログやっぱりアフリカ行ってみたかった〜!という的外れな感想。 最後の対話の迫真さ。 まぁ人生何かを信じたところでそんなもん。他者は他者。
0投稿日: 2023.09.28
powered by ブクログ訳者の注釈によると、”wildness”に『大密林』という訳語を当てたとのこと。日本語の表現の多彩さを感じる話であった。 アフリカの蛮地に文明の光をもたらす使命に燃えてコンゴの奥地に来た筈のクルツは、文明的ルールの縛りのない大密林の中で、逆に蛮行を為す側になってしまう。これがクルツ個人の人間性に依るのか、そもそも人間とは、文明の枠が外れて大密林の中に放り込まれたら、高尚/下等の物差しなど、いとも簡単に壊れてしまうものなのか? しかし、マーロウの一人語りが、とにかく長い……!
2投稿日: 2023.09.10
powered by ブクログ植民地時代のアフリカの中央、コンゴでの話。著者の実体験を基にした小説ということで生々しさを感じた。植民地政策の傲岸さ、大自然の神々しさ、人類の非力さが伝わってくる。2023.5.19
1投稿日: 2023.05.19
powered by ブクログクルツが自然に負けおかしくなっていて 主人公は失望はしても、特に何も変化していない印象だった。 短い話なのに停滞感が伝わってくる。 名前が出てこないくらい人として扱われてない人が結構出てくるのが、植民地の考え方を現していて怖い。 主人公は闇の奥は見えないままなのか? 一度見続けたことで、あの森の中ではなくとも 色々と見えるようになってしまったのか? 理解出来てない。
27投稿日: 2023.05.18
powered by ブクログ大自然を前に、人間の愚かさを直視したコンラッドでなければ書けない本 植民地主義時代の価値観がとても丁寧に描かれていたし、マーロウと一緒に冒険している気分にもなれる 『地獄の黙示録』同様、やっぱりクルツのインパクトは強烈だった
0投稿日: 2023.02.21
powered by ブクログカーツ大佐・・じゃなかった、 クルツ氏よ、お前の狂気はその程度か? 「恐怖じゃない!恐怖じゃない!」よ!
0投稿日: 2023.01.10
powered by ブクログ全てを支配できると思い込む人間の傲慢さ 不可能な事をできると信じ、できなかったら狂い出す人間の滑稽さ 一見輝かしいことは、多くの人の肉体と精神が犠牲になって生まれているのだと思った。 人が求めているのは平等ではなく、人よりも上に立つ事なのだと思う。 地味にクルツの妻がホラー。
3投稿日: 2022.12.20
powered by ブクログいわずと知れた地獄の黙示録の元本。出張先の書店で見かけて購入。 原始の混沌に魅せられてしまった殉教者に魅せられてしまう物語なんだろうか。 虐殺機関の元ネタなんだろうなー。
0投稿日: 2022.11.28
powered by ブクログ古典を読まなくなって何年にもなる。十代、二十代の頃は、向学心も強かったためか古典ばかり読んでいたのに、今は新作の追っかけに四苦八苦してそれで済ませている自分がいる。でも古典は、今も時に気になる。未読の古典はずっと心の片隅で消化されることなく遺り、燻り続ける熾火である。 本作は多くの方とおそらく同様に映画『地獄の黙示録』を契機に知ることになったものだ。コンラッドという作家は冒険小説作家の起源みたいなものである。ぼくはパソコン通信時代<冒険小説フォーラム>に入りびたり、ついにはSYSOP(システム・オペレーターの略でフォーラム運営者を言う)にもなりゆき上なってしまったが、恥ずかしながら冒険小説の古典であるコンラッドの作品に目を通したのは今回が初めてだ。パソコン通信とそのフォーラムがなくなってしまったのは30年前くらいで、その後は情報交換手段はインターネットに移行。さらにパソコンからスマホへと多くのツールやソフトがアプリとなって移ってゆく。 そんな時の流れの早さの中で、今もなお生き残り続けるのがコンラッド的世界であると、ぼくはこの作品を読んで確信した。フランシス・フォード・コッポラの映画『地獄の黙示録』を観ている方には、本書がその原作となっているということで馴染みやすいと思う。しかし本書は正直言ってお世辞にも馴染みやすくなどはないと思う。一世紀以上の時を隔てた物語なのだから。さらに進化に置き去られたような場所が舞台なのだから。 本書は、主人公のマーロウが川船で進んでゆく密林と、その最奥部に棲むという謎めいた男クルツ。一言でいえば語り手のマーロウのクルツとの出会いをクライマックスに描いた冒険物語なのだが、さらに驚くことは、コンラッド自身が、未開のコンゴを舞台にした川船行その他の冒険を実際に果たしてきた人間であることだ。 作品の大分は、テムズ河口でマーロウが問わず語りに話し出す一人称により描かれる。作者自身がマーロウのモデルでもあり、それを聴く側の船乗りたちでもあるのだろう。そんな不思議な情景に本書はスタートする。コンラッド自身の過去や体験がこの物語を語っているようにも見えてならない。 紙の上に文字を書くだけではなく、実際に船で世界の辺境を巡る人物が、本書の作家でもある。そんな重層構造。しかも彼の生きた時代。彼がこの小説を書いたのは現在より122年前のことである。その時期においてさえ、コンゴという国の深奥部は、あまりにプリミティブであった。人喰いの習慣のある現地人、野生のままの生活の中に入ってゆく象牙収集会社、クルツのように個人で王国を築く者の存在。 あらゆる人間の原初的なものと、文化の進出を阻む野性、そして思うがままに持続してきた未開の文化。それらが作者の歴史観を根底から破壊してしまった。そんな痕跡が散見されるような表現で綴られる黙示録なのである。 段落替えの少ない圧倒的な語り口で綴られた何か月にもわたる遡行の旅と、その結末。未開の地で行使される暴力は避けられず、神の不在を感じる作者の体験。それらは、後世には『地獄の黙示録』という映画のエネルギーとなり多くの人々に目撃されることになる。ヴェトナム戦争の現代へ、アジアの密林に舞台を変えて。 本書は堂々、高見浩氏による新訳である。冒険小説という忘れかけていた言葉が蘇るような力作であるとともに、人間の感ずべき真の恐怖、その恐怖との闘いについて、言葉でしか綴ることのできないメッセージが否応なく感じられる本書。生き残ってきた古典の迫力と、語り口の強さと、描かれた題材の独自さを、改めてまざまざと感じさせる、確かな古典傑作である。
7投稿日: 2022.11.18
powered by ブクログ岩波文庫、古典新訳文庫に続いて三冊目ですが、相変わらず読み難い。翻訳じゃなくて構成とか文体のせいなんでしょうか。主人公マーロウが船員仲間に語り聞かせる形で話が進むけど、本筋と完全に分けてないから、テムズ河上の船の上なのかコンゴの河の上なのか改行なしの一文章の中で行ったり来たりします。更に輪を掛けてまわりくどい表現で語るで、かなり集中力を用します。でも何故か作品作者の影響力はあるので、教養として読みましょう。
0投稿日: 2022.11.14
powered by ブクログ狂気の描き方がほわっとしてるというか、表面的に読めばそこまで気が違ってるようには思えない。わかりにくい、といえばそれまで。この作品にホラーやサイコパスめいたものを期待してはいけない。そこらへんに散らばってる出来事や事実を拾い集めると、胃がもたれるような気味の悪さが浮かんでくるタイプ。じわじわきますね。映画のようなドラマティックさはないものの、多くの謎を残したまま、置いてけぼりにされるので。
2投稿日: 2022.11.03
