Reader Store
百(新潮文庫)
百(新潮文庫)
色川武大/新潮社
作品詳細ページへ戻る

総合評価

27件)
3.6
5
8
11
2
0
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    奇抜な起承転結でなく、淡々と綴られる生活の苦悩。 玉ねぎのように皮を剥いても芯のある人間のことは、何か欠けているものを探し続けているひとにしか理解できないのかもしれない。 執着と表現される人間関係を超えて、関わった人の人生に一貫して関わり合う死に物狂いの執念を感じる作品でした。

    7
    投稿日: 2025.06.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    最後に収録されている『永日』という短編で語られる父親とその関わり、それを書くことで浮き上がってくる「私」、そこには全く同じでは無いけれど無視することは出来ないわたしの人生との共通点があった。感情移入というより、そこに投影し反射してくるわたしの今までの人生に居心地の悪さを感じた。自省もはじまった。少し狼狽えた。それでも読み進めずにはいられない素晴らしい文章に誘われて読み進めていけば、そこから繋がるようにわたしの人生にもあった「きわだった或る一日」とそこから伸び拡がってきた日々を思っていた。今も思っている。よく晴れていたあの「永い日が、どうにもこうにも、暮れてこない」。この短編小説も、未だ読み終われない。そんな気もしている。 『永日』の書き出し、そこにある文体とフローに心が踊った、ああ、好きだな、と思った。また別の大好きな小説が思い浮かんだ。読み進めていけば構造も近いものがある。ところどころでまたその小説を思い出すセンテンスにも出会った。読み終わってタイトルを改めてみると、なるほどそうか、と勝手な納得をしていた。『永日』と『長い一日』」。

    6
    投稿日: 2025.03.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    父親に対する莫大な感情が物語の主軸となっている。著者は老いた父を持ったことで幼い頃から身近に死というもの感じ、自分自身の人生を感じるのに父親は必要不可欠であり、父親を観察し続けることが自分の宿命だと思っているような感がある。二人は依存関係にあると思う。父親は息子を決して認めないが、拒むこともできない。息子は父親の言いなりには絶対ならないが、自分を拒まない父親に甘えている。 この小説を読むと、一見、父親は毒親のようにも思える。しかし、著者の父親への歪んだ愛情、莫大な愛着、そして生き下手な父親の息子へ愛情が文章から溢れ出て見え、毒親の話という一言では片付けられない。またそう思えるのは、著者が前述の通り幼少期からの死に対する念慮や同級生に対する劣等感からか、なにかと傍観者の立ち位置にあり、父親や周囲の人物、その関係性を観察し続けたことによる。家族、親子の関係とは単純なようで複雑である。この小説は4つの短編からなっている。代表作の百はもちろんだが、私が最も印象的だったのは永日で、父親を置いて病院から抜け出すシーンは、積み上げたジェンガが崩れ落ちるかのような胸の痛みがあった。それでありながら、読後は嫌な気持ちにはならず、物語の余韻と哀愁が心地いい。 個人的な感想だが、この小説を読み、昔NHKでやっていたカーネーションという朝ドラを思い出す。主人公は女性で、その父親がこれまたとんでもない人で、自分は仕事をしていないのに働く主人公を認めない。だが、このドラマの時代背景は大正時代で、今と比べて男の役割とはどのようなものだったろうか?男が家族を養うのが当たり前、そんな時代に大した仕事もできない自分、どんどん一家の大黒柱となりつつある娘。女の生きづらさは勿論あるが、どの時代も目立ちやすい。しかし男の生きづらさは可視化されにくい。 著者と父親は似たもの同士だと思う。どちらも生きるのが下手で、いわゆる男の甲斐性がない。その事実を真正面からくらうか、受け流すかの違いだ。父親は穴を掘り、息子は逃げ続けた。

    1
    投稿日: 2025.01.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    再読した『連笑』を含めて、自身の家族関係を扱った短編集。作品ごとにテーマは弟、自身の病等少しずつ変わるが、一番大きな背景は父親だろう。今なら「毒親」と呼ばれかねない際立った個性を持つ(しかも働かない)父親と、なぜか緊張しながらもこだわり続ける著者の不思議な親子の関係性が興味深い。特に老耄が極まり入退院に至った経緯が描かれる『永日』は感動的。

    2
    投稿日: 2024.10.14
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    主に退役軍人の父親との関係を描いた私小説4編。 父親との親子関係を契約ととらえた『永日』、父親とのズレた会話が印象的な『百』など、淡々としたなかにリアルかつ冷静冷淡な展開がなんともいえない。 本題とはズレるが、『連笑』の中の競輪に関する部分(32頁あたり)の解像度の高さはさすが。

    0
    投稿日: 2024.05.17
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    大好きな作家・色川武大の大好きな一冊。自身の卑屈な部分を非常に繊細で絶妙に表現している。同時に、とても純粋な人間性を持っていた方なんだというのも見てとれ、読後のくどさがない。親との確執、愛情、自己との葛藤、自嘲……。誰もが持つ泥臭さを、美しい文体で著した一冊。何度でも読み返したくなる。

    0
    投稿日: 2023.04.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    非常に評価が難しいです。まだ読み込めてない部分が多すぎる印象…もっと私自身の読書力を向上させたいと切に願います。 家族とは似ているようで違う、ということを再認識しました。貸してもらえて、良かったです(^^)

    4
    投稿日: 2022.02.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    色川武大の川端康成文学賞を受賞した作品。短編小説が4つ詰まってる。 タイトルの「百」は年齢を表してる。裏表紙の一部を抜粋すると、「百歳を前にして老耄のはじまった元軍人の父親と、無類の日々を過してきた私との異様な親子関係」とのこと。 「猫や犬は死んだらどうなるの?」ではじまる作品など、生と死に関連しつつも、日常を描いたような不思議な作品集。

    1
    投稿日: 2021.12.17
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    色川武大 「 百 」 家族との関係を描いた私小説。 この本で描かれているのは *劣等意識を基礎とした 著者の人と違う生き方 *近すぎず遠すぎない家族関係、ただ在るだけの家族 *死を描いているようで 徹底した生を描いている 「小説は〜大きな道を歩いて造るもの〜お前は大きな道を歩いていない〜それじゃピエロになるだけだ」 身の幅で生きる *身の内の自然に 出来るだけ沿いながら、得心し続ける *身の幅以外のものは 観念で、そういうものは信じない *内心を身の幅の中に入れて 自分の心にしている 自分の内心が あまりに個人的な尺度を持ちすぎて 他人に通じる言葉にできない 「僕の恐怖は 自分にこだわるわりには 自分を他人に主張する術がなくて 絶句して終わるしかないこと」 他人に管理されて生きる=一兵卒になる

    0
    投稿日: 2021.08.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    初めて書いた小説は父親を薪割りで叩き殺す話であったー自らの創作のルーツから、父との複雑な関係を描き続けた色川武大の4つの作品を収めた短編集。 作品全ては時系列は異なれど、父親との関係性を巡るものである。叩き殺したい、という明確な憎悪があるわけではないけれど、かといって愛情があるわけでもない。それでも父がただ寂しく亡くなるのだけは避けたいと思い、珍しく能動的なアクションを取る「永日」が印象的。 日本文学の潮流の一つである私小説の流れを色濃く受けている作品である。そしてそこには、私小説というものの意味合い、つまり極めてパーソナルな事柄を突き詰めていけば、万人に通用するユニバーサルな何かが描けるはずだという観念が間違いなく具現化されている。いずれ自身にも父親のこのような場面に接するのではないか、という漠然とした不安が心に強く残った。

    0
    投稿日: 2020.05.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    表題作のみ、授業にて読了。 著者や、この小説について、なんの知識も持たずに読んだ。 まず、父が母を突き落とした、というハプニングから始まる。父95歳であるが妻に暴力をはたらくーーという、ヤフーニュースに並んでいたらついついクリックしてしまうような、ちょっと興味をそそられる冒頭から始まる。 その後は内省的な文章が続き、自己の人生を省みるうち、話はしだいに父親の老いを核としてすすんでいく。年老いて体が不自由になり、卑屈になっていく父親。 特に何も起きず物語は終わるんだけど、なかなかリアルで味があります。 心は老いてないのに、体ばかり老いて使いものにならなくなるといった切なさ。年をとったからといって、うまいぐあいに人生に諦めがつくわけじゃないない。 耳が聴こえづらい父親と、ちぐはぐな会話をする場面がリアルで好きです。

    2
    投稿日: 2020.04.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    鬱屈した、内にいろいろ秘めた大人と老人の話であまり好きではない。読んでて次が楽しみ、ということがない。しんどくなる。

    0
    投稿日: 2019.09.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    退役軍人の父親との親子関係をつづった私小説短編集。 起きていることをあるがままに受け入れるということは 実は大変なこと。でも、この親も、この子(著者)も、それ が出来てしまう。出来てしまうと言うよりは、そうする ("身幅で生きる")ことしか知らないと言った方がいい のかもしれない。 逃げることなく、面と向かう。ただこれだけのことに凄み すら感じてしまう。 苦くてざらついた小説。読み応え十分。

    0
    投稿日: 2018.11.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

     私小説になるのだろう。  色川武大とその弟、母親、父親、その他親族との関わり合いや愛憎入り乱れた葛藤を描いている。  著者自身、ノーガードで自身のダメな部分や醜い部分を、あますところなく書いている。  自嘲気味、という訳ではなく、割とドライに、それでもあまり俯瞰しすぎずに、程よい距離感を保って書いている。  まさに色川武大その人そのものを読んでいる感覚に陥る。  読んでいる間はずっと、作者と共に喜び、悲しみ、途方に暮れ、自己を嫌悪する。  それにしても、なんて文章を書く人なのだろう。  決して独特な言い回しでも、強い個性がある訳でもないのに、一行一行が、単語の一つ一つがこれほどまでに心地よく流れ込んでくる作家も稀だ。  万人向けの作品ではないだろうし、もしかしたら排他的な印象を持つ人もいるかも知れない(思うに私小説って排他的な分野のように思える)。  その分、好きな人にとっては、つまり色川武大という作家に思い切り肩入れ出来る人にとっては、たまらない魅力を持った作品だと思う(決してエンターテインメント的な魅力とはいえないが)。  色川武大の人を見る目、人との付き合い方、人付き合いに対する彼なりの哲学、優しさとだらしなさ、自己に対する嫌悪と憐憫、それらすべてがとても愛おしく感じられる。  僕にとって本書はそんな作品だった。

    1
    投稿日: 2018.01.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    図書館で。 父と息子、母と娘ってのはなんだか言葉には言い表せない絆というか確執みたいなものがあるのかなぁ、なんてことを思いました。 幼少時から早くに死ぬと思っていた親が結局96まで元気ってのは皮肉な話です。しかも定職にも付かず、働きに出ている妻に手を上げるとかホント、最低としか言いようがないけどこういう男性昔は多かったんだろうな。今なら即離婚されてるレベルだ。 そして母親のはたらく店でお金を盗んでいたらそりゃあ経営者の娘に乞食扱いされても仕方ないのではなかろうかと。冷静に読むとマトモじゃない。 割とマトモな方である母と弟に対し、父と自分は分かり合えるとか思っている辺りこの作者もどうなのかなぁと思いますが結局作者の方が先に亡くなったのではなかろうかとか思うと人生は皮肉ですね。

    0
    投稿日: 2016.04.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    色川武大さんの私小説『百』を読了。彼の別なペンネーム阿佐田哲也で書いた麻雀放浪記は読んだ事はあったが純文学系はなかったもだが伊集院静さんが書いた『いねむり先生』を読んだときに著者に興味を持ち買ってあった小説が『百』だ。色川武大さんと父親との確執をテーマにした小説二つとストレスの高いで家庭においての猫などのペットとの暮らしとその他に彼の目にだけ見える不思議な生き物との毎日を描いたものがひとつ、弟との不思議な絆に関しての小説一つを合わせた計4編を集めた小説集なのだが、読み終わって印象に残っているのはどんなときにでも主人公の脳裏からはなれない父親との関係であり、老齢期に入った父親との関係を主に描いてあるので歳をとった親と離れて暮らす自分の事も少なからず考えさせられた。そんあちょっと重たい年を取った家族との関係を描いた小説を読むBGMに選んだのはTony Bennettの"I left my heart in San Francisco". 50年以上も前のヒット作で、いまも現役なのがすごい。

    0
    投稿日: 2016.03.20
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    幼少の頃、近い過去、現在、そして幻想。ナルコレプシーをかかえているからか、時制が錯綜しているし、父親や弟について同じ事を何度も言及してて、物語として流れてなくて読みにくかった。これが味なのかも知れないが、一読しただけでは良さが分からなかった。

    0
    投稿日: 2014.10.19
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    20150602 何と無くムズムズする話。真剣に捉えれば誰もが体験することなのかも知れないが難しく考えるとこうなるのかも。考える人が減ってるような今日、この本の成果かためされると思う。

    0
    投稿日: 2014.06.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「居眠り先生(伊集院静)」から興味を持って読んだ。歪な親子関係を軸に人生について考えさせる。主人公の状況が特殊すぎて理解しづらい部分もあるが、大筋では「読んで損なし」の印象だった。老いることについて考えさせられる。

    0
    投稿日: 2014.05.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ―私は弟を貴重なものに思いだした。 軍人だった厳しい父親と影の薄い母親。 薄暗い家に弟が生まれ、少し大きくなると、 どこにでも付いてくるようになった。 充足というものの欠如。 父親の影響だけではないだろう、生まれながらに持ってきた屈託。 弟は著者のそういう部分を見てきた。 どうにもならない部分に対して、ふっと笑い合い言葉を交わす。 兄弟ってこういうものなのか。 そういう相手がいるということに、破天荒な生き方の著者に対して、全く関係のない自分の胸が、ほうっと温まる。 弟の結婚式で、もの思う著者の言葉が突き刺さる。 「おい、お前、こんな程度の晴れがましさを本気で受け入れちゃ駄目だそ。 烈しい喜びを得るつもりで生まれてきたことに変わりはないんだぞ。 式次第で生きるなよ。コースは一応もうできたんだから、あとはどうやってはみだしていくかだ。 とにかく、淋しく生きるなよ・・」

    0
    投稿日: 2013.12.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「好き」と「嫌い」の二言では表せない血族のしがらみ。 とんでもない暴君が家族のなかにいて、毎日緊張、毎日疲労。 それでも、社会的にも個人的にも完全には離れられない悪循環。 これは、問題を「背負う」というより、 問題に「取り込まれてしまう」あるいは「引き寄せられてしまう」 そんな感じ。

    0
    投稿日: 2013.11.23
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    今読み終えた本が私小説短編なのであるが、その“私”の一言ひとことが池松壮亮の声で再生された。ということで、色川武大「百」読了。

    0
    投稿日: 2013.04.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    家族にまつわる私小説集。 『連笑』 ――殴れば泣いてしまう、そのくせどこまでも後をついてくる――弟と、私。 『ぼくの猿、ぼくの猫』 軍隊でも、社会でも、家庭でも、終始ちぐはぐな父親。 「ぼく」は、毎晩、猿や猫の幻をみる。 のちにわかる、ナルコレプシー(睡眠障害)の症状が如実にあらわているお話。 『百』 「哀れなもンだなァ――孫に何かをやるのに、百まで生きなけりゃならん」 父親が老いていく。 すぐ死ぬだろうと思っていた父親は死ぬことなく、ひたすらに老いていく。 『永日』 父親が40のころの初子だった「私」にとって、父親と死は深く結びついていた。 この人は、私が成長するどこかで死んでしまうだろう、死とぶつかって、どうやって得心するのだろうかという興味をずうっと持っていた。 ほかのどの面でも父を凌駕していないのに、体力だけが勝ってしまう。 全部で負けなければ。 私のような男は、そうでなければ人を愛せない、許せない。 誰しもが経験のある絶対的な「家族」の存在、存在感。 『連笑』では弟に焦点をあてていたが、それ以降の作品はすべて父親に重きをおいている。 父親の絶対感と、死んでしまうと達観してそっぽを向いて全部を母親と弟に託していたのだが、いざ迫りくる父の死に絶望している「私」。 家族だからこそ許される「勝手さ」と、それぞれの「主張」が、なんともリアルで、ぞっとした。

    0
    投稿日: 2013.01.22
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    色川氏の家族を綴った私小説。 弟との関係を描いた「連笑」、 幻視との奇妙な付き合いが恐ろしい「ぼくの猿 ぼくの猫」、 老耄の父親に振り回される家族を描いた「百」それに続く「永日」。 自分の家族と照らし合わせて読まずにはいられなかった。 どんなに逃げて離れたくても、ついてくる家族という因縁。 子供のころに抱いた劣等。 それでもなお、死なないでほしいという執着。 この世に生を受けた以上、逃れることのできない宿命が家族なのだと思い知らされた。 色川氏の底が知れない優しさに包まれて、絶望の色が薄まるようだ。 この作品に出会えて本当によかったと思う。

    0
    投稿日: 2011.09.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    難しくて読むのに時間がかかった。 父親に対する気持ちは共感できた。 父親を捨てたっていう表現が何度かあって切なくなったなー。 ただ、暗くて... もっと時間が経てば違う捉え方ができるのかな。

    0
    投稿日: 2011.08.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    色川武大の私小説は、現実なのか作者の想像・妄想の類いなのかの境界線が曖昧な所が良い。 自分の現実とかけ離れていて、安心しながらとろとろ読んでいると、深い屈託の中に引き込まれていてなんとなく頑張れば出られるんだけど、出るのもなぁみたいな気分にさせられる。 それでまたとろとろと色川氏の世界に埋もれていってしまうわけです。

    0
    投稿日: 2006.08.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    阿佐田名義の作品も好きですが、私的にはこちらの方が好きですね。 エンターテイメント度は断然下がりますが。

    0
    投稿日: 2004.09.28