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powered by ブクログ伊藤先生のおすすめ本 地域マネジメント学科 マスコミュニケーション論参考書 ーーーーーーーーーーー 宮代キャンパス 配架場所コード:2F:受付カウンター前 分類記号:986 著者記号:A ーーーーーーーーーーー
0投稿日: 2025.02.14
powered by ブクログプラトンが指摘する「高貴な嘘」。パウロが伝える「働かざるもの食うべからず」、それを勤労の美徳としたプロテスタンティズム。しかし、そこに転がっているのは強者に吸い尽くされた弱者の死体。本書では、それが亜鉛の棺に入れられてご帰還だ。帰還兵が持ち帰った土産品を奪い取り私物化する、強者としての税関が腹立たしい。 一点、私には判断がつかない。著者は多量なインタビューを基に原書を出版したが、内容に虚偽、創作があると訴えられた。ソ連兵の蛮行には罪が無いとは言わないが、他人に文書化されて客観的に見る自己には嫌悪感があるし僅かな差も気になるだろう。また、本来は忘れたい行為を記録される事で傷口が開く事だって。何より、軍を派遣したのは国家ではないか。薄給で命を使われた上に税関で奪われ、自国で邪険にされ、更に自分たちを売って名声を得た作者がいる。作者の本意ではなかろうとインタビュイーの「許せない」という感情は妥当だろう。 生き延びたものも搾り尽くされ、残された世界は同じ亜鉛の棺の中だった。この世界は、勤労に生きる大衆を棺の中に閉じ込めているのだ。まるでガラスの天井みたいに。戦場で死んでも、仮に生き延びても、日々の暮らしにしても、その中から出られるわけではない。戦場こそ其々に違えど、その囲いは、序列による指定席だ。 さて、ソ連のアフガニスタン侵攻(1979–1989)とアメリカのベトナム戦争(1955–1975)は、いくつかの点でアナロジーが成立する、というのが私の見方。そもそもが、代理戦争である。大国による軍事介入と泥沼化。アメリカもソ連も、冷戦下でイデオロギー的な対立(共産主義 vs. 資本主義・自由主義)の延長として軍事介入を行い、現地のゲリラ戦や長期化する紛争により泥沼化した。また、ベトナムでは、アメリカが南ベトナム政府を支援したが、ベトナム国民の多くは民族的統一を求めており、アメリカは「外国の侵略者」と見なされた。 アフガニスタンでも、ソ連は親ソ派の政権を支援したが、ムジャーヒディーン(イスラム義勇兵)や部族勢力の抵抗を受けた。ベトナムでは、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が、北ベトナムや中国・ソ連の支援を受けた。アフガニスタンでは、ムジャーヒディーンが、アメリカ・パキスタン・サウジアラビアの支援を受けて戦った。 本書の範囲で言えば、国内世論の悪化というのが軍人の悲劇である。結局、アメリカでは、ベトナム戦争の長期化により国民の反戦運動が高まり、1973年に撤退。ソ連でも、アフガニスタンでの損耗が社会不安を引き起こし、1989年に撤退。 ー 著者スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ氏はかつて「戦争は女の顔をしていない」ことを世に知らしめた作家である。氏の著作『亜鉛の少年たち』は知られざるアフガン戦争についてドキュメンタリー形式で語る中編だが、これを読んで「許せない」という思いを抱いた読者にとっては、いまだにくすぶるアフガニスタンの戦火が、癒えない傷に障るのだろう。アレクシエーヴィチ氏は、アフガン帰還兵および戦死者の妻や母から提供された資料を故意に改変あるいは恣意的な抜粋をした嫌疑とともに、中傷、反愛国主義、名誉毀損の罪で提訴されている。本件が正式な法廷の場に進められるか、あるいは慰謝料の請求などにより裁判(公開裁判)には及ばないかは未だ定かではない。だが、これは警告とみてまず間違いないだろう。 ー ソ連崩壊の前夜に刊行された本書「亜鉛の少年たち」は、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの著書のなかでもっとも「問題視された」小説である。無理もない。「戦争は女の顔をしていない」で扱った第二次世界大戦に比べても、一九七九年から八九年まで十年間も続いたアフガニスタン戦争はあまりに近いだけではなく、「国際友好」とは名ばかりでソ連側は侵略者であったという事実がじわじわと明らかになった。ついには世界中から厳しく批判されるなかで撤退し、九一年ソ連が崩壊したのである。 勤労とは。本来の意味と異なり、支配者に提供されるものとなった。軍役も然り。ならば本質的には、支配者の責任を問うべきだ。しかし、どこまでを〝巻き込まれた民“とするかは難しい。囲いから撃たれずに這い上がれ。出来はしない。そういう者たちに私刑が向くのは、地獄である。
62投稿日: 2025.02.09
powered by ブクログ兵士となり、戦闘に加わり、帰還した少年たちの叫び声 わたしたちは、彼らを目の前にした時、どういう言葉をかけられるのだろう 私にはわからない こういうときだからこそ no more war
3投稿日: 2024.09.06
powered by ブクログ作者は、作中の元兵士や母親などに寄り添おうとしていると思う。 アフガニスタンの元兵士や母親たちの話を同様にまとめる必要があるだろう。
0投稿日: 2024.07.15
powered by ブクログアフガン戦争に行ったソ連兵士や、夫や息子を亡くした母親の語りがまとめられている。 「チェルノブイリの祈り」の時も思ったけど、この作者の書く本は本当に生々しい声であふれている。 戦争から帰ってきた人たちのPTSDのような側面に加えて、ソビエトの隠蔽体質によって生まれた悲劇がかなり強く描写されていたと思う。 本編の後にこの本の内容について作者が訴えられたことの描写があり、それまでに描写された戦争やソビエト社会という遠く感じる事象から、現代においてもその体質が変わっていないことを再確認するようになっていた。 作者は自分の身を削って本を書く人なんだと思った
1投稿日: 2024.04.13
powered by ブクログ図書館に予約したことをとっくに忘れた頃に手元に届いた。『戦争は女の顔をしていない』を読み終えた後予約をしたことを思い出した。 分厚い434頁の中、327頁は、戦争体験当事者とその家族のインタビュー記事。重く連なる文章が延々と続き、読むのが辛くなりなかなか読み進めることができない。 多くの関係者に会い、淡々と録音しつつ言葉を記録として集めた著者を思うと、心が重くなる。 335頁からは訴えられた著者の裁判記録。 どちらの気持ちも理解できる。これも冷静に記録されており中立的に読んだ。 『戦争は女の顔をしていない』1978年頃のインタビュー。『亜鉛の少年たち』1986年頃のインタビュー。 2022年からウクライナ派遣されるロシアの少年兵士たち。 進歩はないのだろうか? 【教育】大事ですね。
2投稿日: 2024.03.10
powered by ブクログ社会人になってから、近くに置いておきたい本の1つ。 アフガンってこんなに悲惨やったんやというのと、よくもこれを出版したなというのが率直な感想。重い内容なのは間違いないのに、どんどんと引き込まれる。情景が鮮やかに浮かび情が湧きながらも、どこかでそれを冷静に落とし込みながら、アフガン帰還兵の証言と裁判に触れることができた。「戦争は女の顔をしていない」とはまた別の衝撃で、これは、本当に今のロシアがやっていることと見事に重なる。アレクシェーヴィチのようなインタビュアー・伝え手になりたい。自分の原点を思い出したような気持ちにもなって。さて、がんばるか。
3投稿日: 2023.11.30
powered by ブクログあまりに重く辛く、読み始めたのを後悔しつつ、一気に読まないと読めないと思い、ほぼ一日で読んだ。裁判記録の途中で1日が終わり、もう少しで終わると言うのに、次がなかなか手に取れなかった。手を離すと辛くて重くて手に取れなくなる。でも間違いなく一気に読む本ではなく、誰かと語り合いながら少しずつ読みたい本であるのは「戦争は女の顔をしていない」と同様だ。 裁判記録まであるので、二重に考えさせられる。 今もウクライナやガザ等世界のあちこちで殺されたり殺したりの戦いが続いている。どうして人間は学ばないのか。「この本読めよ」と思う。 戦争で殺されたり殺したりする人は、みんな普通の庶民で、戦争を起こすことを決めた人たちではない。死んだり、手足をなくしたり、心を病んだり、息子を亡くしたりするのはみんな庶民だ。何ができるのか、下々の者たちは。 たまたま「今の日本は2年前のウクライナと同じ状況だ」と言う記事を読んだばかりで、恐ろしくなった。戦争の手前で、ずっと手前で止めなければいけない。そちらに進ませようとする政治を止めなければならない。戦争は始まる手前で止めるしかない。始まってしまえば、終わらせられないし、核兵器は絶対に使わせられない。泥沼に陥り、戦場に駆り出される庶民も、残された家族もみんな苦しむ。死ぬ。手足を失う。飢える。 大国の犠牲になどなりたくない。戦争を起こして喜ぶ人たちの犠牲にはなりたくない。平和な国で生まれて平和な国で死んでいきたい。ウクライナやロシアやイスラエルやパレスチナの人たちも本当はそのはずなのに、そうはなれない、そうも思えない状況に置かれているようで辛い。
3投稿日: 2023.10.21
powered by ブクログ衝撃的なプロローグ、これから読もうとする全貌を示唆してくれる、著者の丹念な取材から得られた証言の数々、読めば読むほど絶望感しかない、可哀想な派遣され犠牲となった二十歳そこそこの少年たち、そして現実を受け入れきれない母たち、悲しすぎる。当時のソ連今のロシア何も基本変わってないのかもしれない。 この作品を語る言葉「透徹」に納得する。 以下に印象的な文を書き残す。 ・九年もの間にソ連の製品はまったく進歩しなかった。包帯も然り、副木も然りだ。ソ連の兵士ってのは、いちばん安上がりなんだよ、なんにしても我慢を強いられ、文句も言えない。備品も与えられず、守られもしない、まさに消耗品さ。千九四一年もそうだったし、五十年度たっても変わらない。どうしてなんだ。(曹長) ・人間は戦地で変わるんじゃない、戦争から帰ってきてから変わる。現地で起きたことを見つめていたのと同じ目でここの物事を見つめた時に変わるんだ。現地であの生活を経験すると、伝えようのない感覚が残る。ひとつには死に対する軽視だ、死よりも重要な何かがあって、、、(狙撃兵) ・戦場では感情を殺す、冷静な頭脳、計算、銃こそが生命線だ、銃は体と一体化する、もう一本の腕みたいに(小隊長) ・これは俺たちが来るつもりだった戦争とは別物だと(大尉) ・すべては無駄だった(少佐) ・政治的過失だった、あの戦争は「ブレジネフの愚策」であり「犯罪」だった。この世界にうまく戻ってこれない、生きる事が、ただ生活を続ける事がここでは息苦しい(少佐) ・イスラム教は文明を前にして揺るぎなく強固だった。、、でも俺たちは祖国に対して潔白だ(歩兵) ・私たちは騙されたのだと気づき始めたのはまだ現地にいたところでした。悔しいのは、、まるで私たちが存在しなかったかのように消し去られてしまったことです、臼で碾かれたみたいに。もっとも不幸なことは、過去を差し押さえられてしまった(補助員) ・おふくろ、アフガニスタンってのはさ、俺たちがどうこうできるような場所じゃないんだ、あんなところは嫌だ行きたくない!俺は血にまみれてる、この手で人を殺したんだ、戦場から抜け出せない、俺は血まみれだ、なぁ戦死するのと生き残るのとどっちがいいんだろう、わからなくなっちまった、、(士官) ・今や世間は闇取引やマフィアに溢れ、みんなが無関心で、俺たちはまともな仕事には就かせてもらえない(軍曹) ・私たちは子供を亡くしたのに、彼女(著者)は名声を手にしているんです、、 ・誰もソ連に来てほしいなんて思っていなかった、アフガンの人々にソ連の支援なんていらなかった、私たちは占領者だった。 ・ベラルーシ共和国は共産主義国家の崩壊した後の世界においても共産主義の特別保護区であり続けるという悪評をもたらす、、、 ・あの本にはアフガン戦争を企んだ大馬鹿どもによって犠牲なさせられた少年たちに対する愛がほとんど感じられない事だ。
1投稿日: 2023.07.11
powered by ブクログ内容は貴重なもので、ここまでのリサーチは大変だったろうと思う。ただ、当然のことながら原書を読まずに言うのだが、すこし翻訳が読みづらかった。三点リーダの多用は、もうすこし控えられたのでは…。 そのせいというわけではないが、内容も相まって読んでて息苦しさを覚える。時折、著者はインタビュー相手から責められるのだが、その程度の混乱や攻撃性が芽生える程度なら充分ましに思える。 現在進行形のウクライナ侵攻と結びつくかどうかはわからないが、戦争について、ニュースで見るだけでは伝わらない部分も多いと思う。だからといって文字でなら伝わるというわけでもないだろうが、まだましだろう。
1投稿日: 2023.07.07
powered by ブクログアフガン戦争の真実。ソ連政権の巧みなプロパガンダにより徴兵された少年たちは、亜鉛の棺に入れられて帰還した。母親たちは、その棺を開けることは許されなかった。 アフガン帰還兵、戦没者の母親たちへの多くのインタビューから、戦場で何が起こっていて、人間はどのように破壊されていくのかが明らかにされる。 この著書が広く世界中で読まれているのは、アフガン戦争の真実を暴いた、ということよりも、「戦争」「戦場」の持つ普遍的な悍ましさ、戦争へ駆り立てる権力者の欺瞞もまた普遍的であることを暴いたと言うことだろう。どんな戦争も、ベトナム戦争も、今起こっているウクライナでの戦争も、そしてかつての太平洋戦争も、同じであろう。 今回増補された、この著書を巡る裁判の顛末。権力の恐ろしさを実感する。
5投稿日: 2023.05.04
powered by ブクログスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチによる、アフガン帰還兵やその家族(遺族)の証言録。 『戦争は女の顔をしていない』は第二次世界大戦に参戦した女性たちの記録であった一方、本書はアフガニスタン紛争(1978年-1989年)で戦った、少年を含む人々の証言である。 個々の兵士たちが、英雄になること、現地の人々を救うことを目指して戦ったはずのその戦争は、しかし、国際社会からは侵略戦争と断じられるに至った。 戦争に行き、負傷して帰ってきたもの、心に傷を負ったもの。そして、帰ってくるはずのわが子を失った母。 侵攻後、まもない時期に聞き取られた証言には生々しさが滲む。戦争はきれいごとでもなければ作り物でもない。人が人を殺し、殺さなければ自分が殺される場である。軍隊内でのいじめもある。しかし、一方でそうした場にしかない充足感を感じたものもいて、帰国後、疎外感に悩む例もある。 侵攻の後半には、志願していないのに現地に送り込まれるものも増えていく。表向きは自分で志願したことになっているが、実際は半強制で、ほぼ断ることはできない。 そうして送り出した兵士が命を落とした場合、亜鉛の棺に入れて送り返される。長時間を要する保存と輸送のためである。完全に密封されたそれは、家族のもとに戻っても開けることを許されず、中身を確かめることもできない。 「亜鉛の棺」は、内情が不明だが、何か恐ろしいことが起こっているらしい、アフガン侵攻自体の象徴となった。 帰還兵士たちは英雄としては迎えられなかった。 母親たちは愛するわが子を失った嘆きにむせび泣いた。 そうした彼らの証言や墓標を記す本編がすでに十分な読み応えを持つのだが、本書には、もう1つ別のものが付く。 本書が発行されてしばらくして後、アレクシエーヴィチは、インタビューした兵士や母親から裁判で訴えられる。兵士らの証言を改ざんしたり意図的な抜粋をしたりすることで、兵士の名誉を棄損し、中傷したというのだ。 この裁判記録を含めた形にしたのが、本書、増補版である。 裁判の間も傍聴人席からアレクシエーヴィチに非難の野次が飛ばされる。 インタビューの際は、戦争の非道さに憤り、ともに泣き、共感しあったはずの証言者たちがなぜ。 アレクシエーヴィチは、証言者のプライバシーを守るため、一部、彼らの名前を変えて出版したが、それすらも「改ざん」と言われてしまう。 そして戦争を題材に金儲けをするもの、ドルを稼ぐものと言われてしまう。 この顛末もすごいが、裁判記録も併せて、1つの作品として発表する著者の姿勢に唸らされる。なぜなら、この記録こそが、戦争をめぐる価値観の揺らぎを如実に示しているのだから。 アレクシエーヴィチも、訳者による巻末の解説も、証言者らの豹変の陰には、体制側の教唆がありけしかけがあるという。それはその通りなのだろうと思うのだが、一方で、兵士や母たちがただただ騙されているというわけではないように思える。 「祖国」や「正義」のために戦い「名誉」を手に入れるはずだったのに、いったいそれはどこへ行ってしまったのか。 彼らの中にそうした不満があり、教唆を受け入れる「素地」があったように感じられる。 そもそも「祖国」や「正義」への思いは、戦争の陰にはいつでもあるものだろう。 ある意味、この裁判は彼らの心を守るための戦いでもあったのではないか。 その方向性が正しいのかどうかはさておき。 もう1つ、「私たちは(あるいは私たちの子供は)命まで賭した。あなたはただ話を聞いただけ。何の権利があり、何をもって、私たちを代表する、私たちの代弁者だというのか」という思いが陰にはある。「しかも、あなたは私たちや子供たちのことを書いたその本で、富や、少なくとも名声を得ただろう。それは不公平ではないのか」という思いが。 そうではない。そうではないと言いたい。帰還兵士や母たちが戦う相手は、彼らの思いを聞き取った作家であるべきではないはずだ。けれども一方で、兵士らのその思いを汲まなければ、見えてこないものがあるのではないか。 多くの問いかけを孕む本である。
6投稿日: 2023.04.24
powered by ブクログ偉大で強大なロシア帝国の実現のために共産主義を利用したので、ソ連という国はこんなに不合理で歪んでいるのか? ロシア・ウクライナ戦争がはじまってからロシアに関する本を続けて読んでいる。まるでロシアではソ連が今も続いているみたいだ。一時期はロシアでも民主主義が力を持ちつつあると、思えた時期もあったと思ったけど… プーチンによる歴史修正によってソ連が復活してしまうのか?そんなことにはなってほしくない。 演習へ行くと言われて、戦争へ連れていかれた若い兵士たちの声がロシア・ウクライナ戦争がはじまった当初は多く聞かれた。 アフガニスタンへ兵士を派遣するときも、ソ連は開拓地へ行くようにと飛行機に乗せて、アフガニスタンへ連れていくということをしていたようだ。 「大騒ぎになった。恐怖とパニックでみんな動物みたいになって――妙におとなしくなったり、猛り狂ったりしてる。悔し涙を流す奴、硬直する奴、信じがたく卑怯な手で騙されて錯乱する奴。だからウォッカなんか持ってきやがったんだ。俺たちをなるべく簡単に、楽に丸め込むために。ウォッカを飲んで頭に酔いが回ると、逃げ出そうとする奴らや、将校に喧嘩をふっかける奴らも出てきた。でも陣営は自動小銃を持った兵士たちに包囲されていて、そいつらがみんなを飛行機のほうにじりじりと追いつめていく。そうしてまるで荷箱を放り込むみたいに、俺たちは空っぽの鉄機体の腹に詰め込まれた。 そんなふうにして俺たちはアフガニスタンに行ったんだ……。」p.53 「帰る前には政治将校たちに、帰還後に話してもいいことといけないことを教え込まれた。戦死した者について語ってはいけない、我々は強大な軍隊なのだから。新兵いじめについても広めてはいけない、我々は強大で模範的な軍隊なのだから。写真は破り捨てること。フィルムも破棄すること。ここで我々は銃撃戦もしていなければ、砲撃も毒殺も爆破もしていない。我々は強大で世界最良の軍隊である……。」p.87 そして帰ってくると、祖国は戦争に行く前の祖国では無くなっていた。正義と言われていた戦争は恥ずべき愚行となり、国の命令に従った兵士たちは人を殺すことしかできない怪物扱いで置き去りにされた。
0投稿日: 2023.03.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
やはりすごい本だった。裁判の記録も有難い。 今回の戦争で,またこんな話がごろごろ生まれているんだろうなと思うと,気が重いというか本当に辛い。
0投稿日: 2023.02.16
powered by ブクログモスクワ五輪ボイコット。その原因となった侵攻。無事兵役から帰還した息子が起こす殺人事件。そこから物語は始まる。兵士、看護師、補助員という名目の女性、残された母。数々の証言で浮き彫りにする戦いの実態。何故か訴えられる著者。ドキュメンタリー小説とは?証言の持ち主は証言者その人ではない。それは創作であり事実である。戦争とは?侵略と防御。大義はあっても犠牲は伴う。圧勝、苦戦、敗走。程度の差こそあれ被害は被る。傷つくのは市民、身体だけでなく心も。平和憲法を抱く日本。戦わないはずの国で自分事として考えてみる。
0投稿日: 2023.01.15
powered by ブクログ1979年-1989年のアフガン戦争に派遣され、心と身体に傷を負った帰還兵士(と言っても臨時に徴収された少年が多かったようだ)や、死亡した子どもたちの特に母親から聞き取った内容、見せてもらった日記や手紙などを元にまとめた本である。 傷の覚めやらない内でのものなので、その気持ちや行いに偽りはないだろう。 仲間内でのリンチ、命令に沿わなかった時の仲間への背後からの射撃、上官によるブーツや靴下を舐めさせる等のいじめ、新人工兵に対する地雷突破命令、罪もないアフガニスタン民間人の虐殺、強奪、強姦、これら凡そ人間的ではない日常を紛らわすために、麻薬を吸いウォッカをがぶ飲み、無ければ不凍液に手を出す。 そんな中でも、故郷の母親や恋人の想い出は、唯一人間らしさを取り戻す瞬間なのだろう。 著者のアレクシエーヴィチは戦争中から、実際に聞いた話を集めて本にした。ペレストロイカと共に言論の自由化が進み「亜鉛の少年たち」も新聞に一部掲載され、単行本も大部数で出版されている(日本語では1995年)。 しかし独立して間もないベラルーシで1993年に、証言してくれた人たちにより、6年も経過した後に名誉毀損等で提訴される。この事件の裏には原告ら個人の意思ではなく、明らかに彼らをけしかけた黒幕の存在があった。必要なのは国家と為政者の絶対的権威と権力なのだ。 この裁判の内容も記載されている。 現在進行中のロシアによるウクライナ侵略も同じ文脈だ。ロシア国内の多くは片寄った情報にしか接することが出来ず、プロパガンダを信じている。正義のためだと派遣された兵士も多いだろう。恐らくそこで目前にするのは、40年前の状況の再現だ。 彼らにも責任はあるだろうが、最も罪深い人は権威のトップに立つ人だ。 こうも歴史は繰り返されるのか、なぜこのような人間が出来上がるのかと、暗澹たる気持ちになってしまう。 ちなみに「亜鉛(メッキされた鋼板)」は、長時間を要する死体の保存と輸送性を考えて、棺の素材として使用されたようだ。完全に密閉され、故郷に帰っても家族すら開けることが許されなかった。 証言を見ると分かる。身体として見分けがつくようであればましな方で、肉片や崩れ、欠損した身体や頭部等を見ると、家族の反感はどれほどのものになるか、それを見越してのことだ。
0投稿日: 2022.12.12
powered by ブクログ「戦争は女の顔をしていない」の著者であるスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ氏の著書『亜鉛の少年たち』を読みました。 1979年から1989年までの約9年間行われた、ソ連によるアフガニスタンへの軍事派兵。 この本は、アフガン侵攻に派兵されて帰還した兵士や看護師、そして彼・彼女らを送り出した母親たちの証言をもとにした「ドキュメンタリー小説」でした。 前線に送られ戦死した10代の少年たちの遺体は、密閉されて遺族も開けることが許されない「亜鉛の棺」に入れられて戻ってきたという。 そして、帰還することができた少年たちは、戦場での生活で心が凍りついてしまい、まるで金属のようになっていることがある、という意味も題名に含まれているのだとか。 「戦争は女の顔をしていない」と同様に、帰還兵や戦死した兵士の母親へのインタビューを淡々と並べたもの。リアルで生々しい戦場での出来事や、帰還してからの生きづらさや、息子を失った悲しみ、怒り、それらを、証言者の言葉として並べていく。 「戦争は女の顔をしていない」(第二次世界大戦中のドイツ侵攻から祖国を守った「大祖国戦争」の記録)と違っているのは、アフガニスタンへの派兵が、のちに国際社会から「政治的過失」と呼ばれる派兵であったこと。祖国を守るのではなく、他国に侵攻するものであったこと。 そして、もう1つの違いは、この書籍が、出版後に一部の証言者たちから訴えられ、裁判となったこと。 私が読んだ版(原書が2013年に出版されたもの?)には、その裁判記録が追加されていました。 アフガニスタン派兵が「国際友好の戦士」「アフガニスタンの地で道路や橋を建設し、人々から感謝されている」というふれ込み(刷り込み?)で戦地に送られ、そこでアフガンのパルチザンたちとの血生臭い戦闘を経験し、軍の中での新人いびりや差別があり、時には人道的ではない行動を強制され、戦死すれば亜鉛の棺に入れられて(遺体が入れられているとは限らないけど)、家族のもとに返される。「国際友好」とは名ばかりで、国際社会から「政治的過失」と見られる軍事行動であったことで、全てをなかったこととして処理される……。 祖国(ソ連)に「騙される」形で国際的犯罪に加担させられてしまった末端の兵士たち。著者のアレクシエーヴィッチ氏は、信頼関係を築いたうえで証言をしてもらい、それを文章にしたはずなのに、ソ連崩壊後に独立したベラルーシにおいて、何人かの証言者から裁判が起こされた。アフガン侵攻という記録があってはならないと考えた黒幕が証言者たちを、また「騙して」裁判を起こさせたのかも…。 兵士たち、母親たちの証言を読むのは辛いものでした。 きっと実生活では普通の感覚を持っていた少年が、過酷な生死を分ける戦場で感覚を失っていく。普段ならしない犯罪的行為もおこなってしまう。むしろ、犯罪的行為を「みんなで」行わなければ、その集団の仲間と認められないような状況。 これを読んでいる2022年。ロシアがウクライナに侵攻している。ロシア軍の去った後の村での惨状や、一般人や一般人に影響を与えるインフラを狙ったミサイル攻撃の報道が日々更新されている。多分、「亜鉛の少年たち」の中の少年たちのように、祖国に「騙されて」派兵され(私たちの感覚では)犯罪、と呼べる行為をしてしまう。 「俺はごく普通のソ連の若者だった。祖国は俺たちを裏切らない、祖国が俺たちを騙すわけがない!と思っていた。」 大義がどこにあるのか、政治的な駆け引きとして何が許されるのか、一般人の私には線引きはよくわからないけれど、「戦争」とか「侵攻」とか、そんな判断をすること自体が犯罪なのだと思う。一般の私たちは、この本を読めば、戦争、というものを起こしてはいけないんのだと気が付く。けれど、どこかの国とかどこかの国とかどこかの国とかのトップは、この本を読んでも何も感じないんだろう。 どこかの国のトップには、見えているものが違うんだろう。
5投稿日: 2022.11.27
powered by ブクログ未読 いま読んでいる 戦争は女の顔をしていない、からの流れでなるべく早く読みたい。女性、男性それぞれの若い兵士たちを、きけわだつみのこえ、のように身近に感じたい。平和の中に隠蔽し得ない人間の(そして自分自身の)ほんとうの恐ろしさを知るために。
0投稿日: 2022.11.22
powered by ブクログおすすめ資料 第538回 亜鉛(цинк)に込められた筆者の2つの含意とは(2022.11.11) 同作品のタイトルに含まれる「亜鉛(цинк)」には、2つの意味が含まれています。 1つ目は、アフガン戦争に派遣された少年たちが戦死し、肉親のもとに「亜鉛」の棺 となって送り届けられる、という、凄惨なアフガン戦争の代名詞的な意味合いとなっています。 2つ目は、生還者でさえも、過酷な戦争によって心が殺され、「鉛」のような心を抱えて苦しんできたことの象徴です。 この増補版は、アフガン帰還兵や関係者の証言だけでなく、本作の内容をめぐり、 筆者のアレクシエーヴィチが証言者の一部から告発された裁判の記録までもが収録されてり、異色の構成となっています。 【神戸市外国語大学 図書館蔵書検索システム(所蔵詳細)へ】 https://library.kobe-cufs.ac.jp/opac/opac_link/bibid/BK00358944 【神戸市外国語大学 図書館Twitterページへ】 https://twitter.com/KCUFS_lib/status/1592351687423008768
0投稿日: 2022.11.17
powered by ブクログWW2のソ連軍の女性兵士のドキュメント書いた人がアフガニスタンでのソ連兵士にインタビューした本。インパールまではいかないけど凄まじく劣悪な状況。今のウクライナもこんな感じなのかしら。
0投稿日: 2022.10.06
powered by ブクログ今、このタイミングで読んで良かった。新訳で付け加えられた裁判の記録が、戦争の真の悲劇をさらにえぐるように訴えてくる。
5投稿日: 2022.09.27
powered by ブクログ第二次世界大戦での苛烈な独ソ戦を経験した女性兵士たち、子供たちへのインタビューを織りなした『戦争は女の顔をしていない』と『ボタン穴から見た戦争』を世に問うたスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ。本書は1948年生まれの著者がほぼ同時代の出来事として経験した別の戦争 ー アフガン紛争 - についての織物である。著者は、アフガン紛争に参加した兵士、看護師、そしてその母親たちへのインタビューを行い、地べたの目線からのアフガン紛争をあぶり出している。 ソ連が介入したアフガン紛争は、1979年に始まり、その後10年以上継続されたのち1989年ソ連軍の完全撤退で終わった。大祖国戦争と呼ばれ、ロシアの人びとの誇りとなりまたアイデンティティのひとつにさえなった独ソ戦に対して、アフガン紛争は後にその意義が国内外で問われてしまう戦争になった。ソ連は国際的には悪役になり、国内でも大きな失政と見なされた。またその結果としてアフガン紛争はタリバン政権を生み出し、グローバルテロにつながり、米軍の介入を生み、そして今また米軍が撤退した後もタリバン政権下での不安定な政情が続いている。 そして重要なこととして、その戦争の意義が否定されたことで、本人、そしてその家族もまたその大儀を感じることができないことだ。そのことが、帰還兵や息子を亡くした母親の言葉を、独ソ戦のそれとは異なるものとしている。兵士は自らの命を懸けたものに対して物語を必要としているが、アフガンではそれは与えられなかったのだ。 ある帰還兵の次の言葉が典型的なものだ。 「俺たちは大祖国戦争の兵士たちと同じ偉業を成し遂げるんだって説明されてきた。ソ連がいちばん優れていると繰り返し言い聞かされ、疑ってもみなかった。もしソ連がいちばん優れているのなら、俺個人がいちいち考えるようなことじゃないはずだ、すべては正しいはずなんだから」 本書は冒頭、アフガンから戻った後に近所で肉切りナタで人を殺して服役することとなった帰還兵の母親の話から始まる。アフガンですっかり変わってしまった息子のことを語る母親の言葉が示す現実は眩暈がするものだ。実際に戦地にも赴いたアレクシエーヴィチは、そこで少年兵たちのほとんどが好戦的であったことに驚く。人は「死」を目の当たりにすることでなにを思うものなのだろうか。アレクシエーヴィチは次のように語る。 「死を思う――未来を思い描くように。死を目の当たりにしながら死を思うとき、時間の感覚になにかが起こる。死の恐怖がそばにあると――死に魅入られる・・・」 アレクシエーヴィチは、アフガン紛争を俯瞰的な視点から示すことはしない。 「歴史を体感しながら、同時にそれを書くにはどうしたらいいのだろう。あの日々のいかなる瞬間を切りとってもいいわけではない。ありとあらゆる「汚れ」を根こそぎつかんで、本に、歴史に、引っぱり込めばいいというものではない。「時代を射抜き」、その「精神を捉え」なくては」 そして、時代を射抜くための表現の方法が、まだ切れば血が出るような生きた声を記録することだったのだ。 「私は同時代の、いま目の前で起きていく歴史を記録し、本を書いています。生きた声、生きた運命を。歴史となる以前のそれらはまだ誰かの痛みや悲鳴であったり、犠牲であったり犯罪であったりします」 タイトル『亜鉛の少年たち』の「亜鉛」は、現地で死んだ兵士の遺体を運ぶための亜鉛の棺のことを指している。亜鉛で作られ溶接で密封された棺は、国境を越えて遺体を運ぶときに、死臭や体液が漏れ出ることを防ぐ。そして、届けられた遺体は亜鉛に収められたまま開けられることはない。今もまた、ウクライナで戦死したロシアの兵士たちは亜鉛の棺で故郷に運ばれ続けているのだろうか。帰還した兵士たちは、故郷においてウクライナでのことをどのように自らの中で解釈を行うことになるのだろうか。そして、ウクライナで死んだ兵士たちの母親たちは故郷でどのように思うのだろうか。 ------ 『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)のレビュー https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4006032951 『ボタン穴から見た戦争――白ロシアの子供たちの証言』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)のレビュー https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/400603296X
5投稿日: 2022.09.19
powered by ブクログ読みたいけれど読めない本 戦争のむごさ、人間のむごさを証人の話として書いてある。残って行ってほしいけれど、わたしには読めない本。
0投稿日: 2022.09.18
powered by ブクログ毎日新聞2022716掲載 評者:伊藤亜紗(東工大リベラルアーツ研究院教授,現代アート) 読売新聞2022821掲載 評者:国分良成(慶應義塾大学法学部教授,政治学) 読売新聞2022826掲載 週刊金曜日202292掲載 評者:高原至(批評家) 朝日新聞2022917掲載 評者:藤原辰史(京都大学人文学部研究所准教授,農業思想史etc) 読売新聞2022109掲載 評者:沼野恭子(東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授,ロシア文学,比較文学) 毎日新聞20221217掲載 評者:伊藤亜紗(同上) 朝日新聞20221224掲載 評者:藤原辰史(京都大学人文学部研究所准教授,農業思想史etc) 東京新聞20221224 評者:梯久美子(ノンフィクション作家) 読売新聞20221225掲載 評者:国分良成(慶應義塾大学法学部教授,政治学) 日経新聞2023218掲載
0投稿日: 2022.09.04
powered by ブクログ1970年代末から80年代末にかけて行われたアフガニスタン侵攻の関係者たちによる証言集。奇妙なタイトルは戦死者たちが亜鉛で密封された棺に入れられて帰ってきたのにちなんでいる(密封されているから遺族は遺体と対面できなかった)。この戦争は当初政府が宣伝していたような国際友好では全然なく侵略戦争だった。犠牲者たちは各々にとっての真実を語る。戦闘中の悲惨な体験、息子や娘を亡くした悲しみ、帰国後の偏見への怒り、徒労感、虚無感。ある者はアフガニスタンを忘れたいと言い、ある者は戻りたいという。多種多様な声、声、声。読みながら何度も戦慄し、何度も同情の涙が出た。この部分だけでも優れたドキュメントだが、補足資料の裁判記録が文学者への政治的圧力、昔も今も権力者によって搾取される弱者、作家の社会的意義などを問う内容で、ドキュメンタリー文学の枠を超えた多義的な作品になっている。ロシアによるウクライナ侵攻が続く今、この証言者たちの声はどこに消えてしまったのだろう。
0投稿日: 2022.08.23
powered by ブクログアフガニスタンから帰還した者たちが語る、現地で遭遇した女性たちのエピソードがいずれも衝撃的なので記しておく。 バグラム近郊で……集落によって、なにか食べさせてほしいと頼んだ。現地では、もしお腹を空かせた人が家に来たら、温かいナンをごちそうしなきゃいけないっていう風習がある。女たちは食卓に案内し、食べ物を出してくれた。でも俺たちが家を去ると、その女たちは子供もろとも村人たちに石や棒を投げつけられ、殺されてしまった。殺されるのをわかっていたのに、俺たちを追い払わなかったんだ。それなのに俺たちは自分たちの習慣を押し通して……帽子も取らずにモスクに入ったりしてた……。(p.67) 初めての手術の患者はアフガン人のおばあさんで、鎖骨下の動脈の負傷でした。でも医療用鉗子が見当たらない。足りてないんです。仕方ないから指でつまみました。それから縫合材を探して……絹糸を一巻き、二巻きと手にとったけど、どちらもぼろぼろに崩れてしまって。どうやら昔の、一九四一年の戦争のときからずっと倉庫にあったものだったみたい。 それでもその手術は成功したんです。夕方、外科医と一緒に病室を見にいきました。具合がどうなっているか知りたくて。おばあさんは目を開けたまま横になっていて、私たちを見ると……唇を動かして……きっと、なにか言いたいのだと思いました。お礼を言いたいのだろうと。でもそうじゃなく、私たちに唾を吐きかけようとしていたんです……。そのときはまだ、彼女に私たちを憎む道理があるなんて知らなくで。なぜだか愛されるはずだと思っていました。だから唖然として立ち尽くして──助けてあげたのに、この人はいったい、って……。 ………………………………………… 考えてみれば……自分に訊きたいんだけど……どうして私は恐ろしいことばかり思い出すのかしら。友情も信頼もあったし、勇敢な行為もあったはずなのに。もしかして、あのアフガンのおばあさんが気になるせい? わからなくなるの。治療をしてあげた私たちに、唾を吐きかけようとした。あとになって知ったんだけど……あのおばあさんはソ連の特殊部隊(スペツナズ)に襲撃された集落から連れてこられたんです……。おばあさん以外は全員亡くなった。集落全体でたった一人の生き残りだった。でもその前に、その集落からの攻撃を受けてソ連のヘリが二機、撃墜されていて。焼け焦げた操縦士たちは熊手(フォーク)で刺されて……。だけどそれよりももっと前、最初の最初には……。でも私たちは、そんなに深くは考えなかった。どちらが先で、どちらが後かなんて。ただ味方を憐れむだけでした……。(p.244, 246) 「待て! みんな動くな!」少尉はそう呼びかけて、川辺にある小汚い包みを指さした。「地雷か?!」 先に立って進んでいた工兵が「地雷」の疑いのある包みを持ちあげようとすると、包みが泣き声をあげた。赤ん坊だったんだ。アフガンめ、恨んでやる! どうしたらいいかって話になった。置いていくか、連れていくか。誰に言われたわけでもなく、少尉が自ら送る役を買ってでた── 「置いていくわけにはいかないな。飢え死にしてしまう。私が集落に連れていこう、近いし」 俺たちは一時間その場で待っていたが、集落へは車で二十分ほどで行って帰ってこれるはずだった。 少尉と運転手は……砂の上に倒れていた。集落の中で……。女たちに鍬で殺されたんだと……。(p.278) 幸運にも五体満足の状態で帰還した三人の証言者たちは、一様に現在の日常生活への適応不全を訴えている。 別の証言者の中には、機会があれば再度アフガニスタンへの派遣を望んでいる者さえある。行きたいから行くのではない。薄皮のように淡い約束事の重なりからなる日常に、一度戦場を経験した精神が堪え得なくなっていて、一刻も早くそこから逃れたがっているようなのだ。 考えてみれば、現地で人を殺すこともなく、一人の戦死者も出すことのなかったイラクに派遣された自衛隊員たちの何人かが、本国に戻ってから自殺したことが思い起こされる。その率は、異様な高さである。 日米同盟を盾にして派遣を決めた為政者は、国会での追及に窮して、自衛隊の行くところが安全地帯だと言い募った。 後にジャーナリストの布施祐仁による情報公開請求によって一部明らかになった当時の日報によれば、彼らの宿営地近くにも着弾があった、文字通りの「戦闘地域」だった。 証言者や、ほかならぬ本書の訳者のように、「ふざけるな!」といいたくなるのは私だけだろうか。「『安全地帯』というなら、お前のバカ息子をこの『セクシー』な場所に行かせて、一日体験させてはいかがか」と。 著者アレクシエーヴィチは、本書初版の出版により、証言者の何人かから精神的な損害賠償を求められ、あるいは名誉毀損で訴えられる。 本書のどこをどう読んでも、著者が帰還者たちを殺人者として非難したり、遺族たちを、身内を戦場に送り出した共犯者とみなしたりしている個所はない。 著者が直接言及しているわけではないが、年端もいかぬ彼らを戦場に送ったブレジネフからゴルバチョフに至る為政者たちへの、静かな怒りが嫌でも伝わってくる。 二代目の訳者奈倉有里の解説も、短いながら胸を打つ。
0投稿日: 2022.08.20
powered by ブクログロシアのウクライナ侵攻のいま現在読むのは苦しく辛い 1979年から10年も続けられたソ連のアフガン侵攻 膨大なインタビューをアレクシエーヴィチは帰還した様々な兵士、看護師や彼ら彼女の母から聞き取る。 望んでアフガンへ行った者、騙されて行かされた者、 ウクライナ侵攻のロシア兵士とおなじではないかと恐ろしい。簡単に人びとが殺されて、殺すことに疑問を持つもの持たないものも全て押し潰されてゆく。 生きて故郷へ帰れた者も決して幸運だと思えない人生を送らざるをえない。むしろ彼らは戦場で死ねば良かったとさえ願いながら息を潜めて暮らしている。 彼らもまたウクライナ侵攻のロシア兵士と同じく友好国へ交流のために派遣されるときかされていたみたいた。 後半は著者の裁判記録もあり、ソ連ロシアでのアフガン侵攻がどう捉えられてるかも知ることができる。 ほんの30年ほどまえの政治の最高権力者たちが大きな失敗をまた繰り返しすことの恐さを感じていたたまれない。
0投稿日: 2022.08.11
