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過剰可視化社会
過剰可視化社会
與那覇潤/PHP研究所
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総合評価

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    タイトルから安直に想像していた内容より2段も3段も深い掘り出し物。著者のことは知らなかったが,学者としての著作を読んでみようと思わされた。 文体が独特。分かりやすさを求めているとは本人の弁だが,アカデミックな文章と思って読むと違和感があるが,薄っぺらいビジネス書とも違う。語り口はちくまプリマーで,もっと内容が濃い,という感じか。個人的には全く新しい文体と感じた。 積ん読になっている東畑開人との対談も含まれており,読みたくなった。千葉雅也はイメージとして好きではないのだが,違う一面が見られたような気がする。 「リモートのほうが,たとえばカウンセラーが暴言やセクハラをしかけてきたら電源を切ればいいので,量的な意味での不安は本来「少ない」はずです。しかしそうして不安が生じる可能性をメカニックに消してしまうと,逆に人は安心感を得られない。密室で対面し,物理的にはハラスメントが起きうる環境でも「現におきていない」事実こそが,はじめて相互に質的な信頼をもたらす。」 「炎上がセックスに代わりつつある」(千葉雅也) 「ネットを使えば他人に対してすて自分の意図通りに,容易かつ過激に介入できてしまう。やはり相手の身体がないと,歯止めが利かないんですよ。同じ場所にリアルの人間がいたら,そう酷いことは言えないわけじゃないですか。それは人間の身体的プレゼンス(存在感)がもつある種の権威性のの為せる業で」(千葉雅也) ハラリ批判もあるが,ちょっと的を外してるようにも思う。ハラリに批判な人って一定層いるんだけど,その論拠はちゃんと確認したことないのよね。個人的には,内面の欠如が引っかかるのだけれども,理論的にはどう批判されているのか。大ベストセラーに対するやっかみも大いにあるのだろうとは思う。

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    投稿日: 2025.08.24
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    自分が感じていたモヤモヤを著してくれたと思った。何でも数字重視、グローバル重視の世の中で本当に良いのかと思う。グローバルエリートは地域社会への貢献が薄い感じが前々からしており、溜飲が下がる思い。

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    投稿日: 2025.07.19
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    何でもかんでも「見える化」すること、あらゆる議論のプロセスを透明化すること…本当にそれが正しいのかと、前々から疑問を抱いていました。 全てを白日のもとに晒すことは弊害も多いと思うのです。

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    投稿日: 2024.09.18
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    これを読んでちょっと怖くなった。何がって? それはこんな見識の低い自称評論家が一定の評価を得ていることに。 まず『可視化』が何を指すのか全然わからない。最初はSNSで自らの属性をタグ化してさらけ出すことを取り上げ、次は人前でのマスク着用を、その後もコロナ感染者数の適時発表、ワクチン接種証明や陰性証明、報道のプレゼン化、ソ連の情宣ポスター、現象の数値化、ルッキズム重視のキラキラした人(?)、心理カウンセリングのマニュアル化まで全て『可視化』で説明を試みる。一体これらにどんな共通性があるのか?『可視化』とは本来目に見えないデータや関係性に形を与えて視覚的に捉えられるようにすることと、裏に隠れていたものを引っ張り出して表に出すことの2つの意味があるが、この2つを混同するから訳が分からなくなる。後者は感覚としての『視覚』とは無縁の話だ。 また『過剰』は適正な範囲を超えていることを指す語だから好ましくないのは自明だが、どこが適正でどうなったら過剰なのかを示さないから、議論が印象論だけのフワフワしたものにならざるを得ない。東畑氏と話が全く噛み合わないのも頷ける。要は頭の中が整理されていないのだ。 どうやら著者の情報源の多くはSNSのようだが、たまたま見つけた一部の声を拾い上げて「~の風潮になっている」と安易に一般化するのもいかがなものか。そんなこと誰か言ってましたっけ?という違和感のオンパレード。自己顕示欲の強い人たちのコミュニティに自ら好き好んで入って行って、同類嫌悪してるだけなのでは?と思えてくる。元大学教員だと特別視されると思ってるようだし、帯に自分の写真を載せて『過剰に可視化』する所もキモ過ぎる。 どうなのよ。人文科学ってこんなんで良いの?こんな中学生の「青年の主張」みたいなものしか書けないなら、またぞろ国立大から人文系の学部をなくせって言われかねないよ。 やたら目の敵にするコロナ政策についても、コロナは無症状なのに強い感染力を持つというインフルにない特殊性があった訳だし、第2波までは異常な高致死率だったからこそあのような自粛要請になった訳で、今になって後知恵で当時の政策や世論を叩くのは感心しない。 安部政権が公文書を改ざんし、役所の担当者を死に追い込んでまで不都合な情報を隠した事を擁護してみたり、一体この人は何がしたいんだろう?もし裏の意図があるなら恐ろしすぎる。

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    投稿日: 2024.03.07
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    点だけでものをみる、理解しやすいものだけを取り入れる•••世の仕組みがそうさせるのだが、それに取り憑かれ主体性のない生き方をするのは人間らしくない。 過去からの時間軸を意識し、その背景を慮ること、良いも悪いも人間らしさをしっかり認識する事が重要との主張であった。 マインドフルネス的に意識したい内容。

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    投稿日: 2023.09.27
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    千葉雅也氏と與那覇潤氏との対話 「新たなるノーマル主義」を超克せよー哲学 文学との対話 千葉氏と與那覇氏は東大で1学年ちがいで、東大と北京大学との交流事業で一緒に中国に行くはずが、小泉純一郎首相の靖国参拝へのあおりで中止になってしまった仲。 カミングアウトによってアイデンティティを主張することより、ステレオタイプをどう揺さぶるかが重要であると考えていましたが、それはフーコーをふまえてのことです。かつてフーコーは「ゲイであるということは、生き方を発明すること」だと語りました。そしてそれは、人間一般の生き方に影響を与えうる。たとえば、そもそも人間は結婚したり、子供をつくったりしなくてはいけないのか。それも問い直されるわけです。しかし今はむしろ、結婚という既存の制度を自明視した上で「ゲイにも同じ権利を与えろ」という主張が強くなっています。そうでない方向性もあったはずだと伝えるには、僕自身も当事者だと表明する必要が出て来たので、近年カミングアウトしたのです。 SNSの世界にも品位は問われるべき。 2022.5.27第1版第1刷 図書館

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    投稿日: 2022.09.20