
総合評価
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powered by ブクログユーラシア大陸の東の端にある中国は多くの国と国境を接している。陸上で言えば北朝鮮、ロシア、モンゴル、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インド、ネパール、ブータン、ラオス、ミャンマー、ベトナムの計14カ国との国境が存在する。更に海を挟んだ近隣諸国には当然ながら我が国日本やフィリピン、インドネシアなど東南アジアの国々が存在し、間にある海洋およびそこに存在する島嶼に於いて、国境問題を抱えている。我々日本人に関係するところでは、尖閣諸島に関して、実効支配する日本に対して、中国や台湾が領有権を主張しており、自衛隊のスクランブル発進(領海領空侵犯)が毎日の様に繰り返されている。 そもそも国境とは山河や河川などで隔てらる陸上であれば、その自然的根拠を起源とする自然的国境と、アフリカ諸国の直線的な国境が示す様に、条約やそこに住んでいる民族などで分ける人為的国境の2種がその根拠となる。後者は19世紀のヨーロッパによる植民地政策など、経済的利権により大国間で締結された条約がベースとなる事が多く、現在もなお隣接する国家同士で争う原因となっている。通常はそこに暮らす住民同士は国境を意識する以前の古い時代から互いに交流があったはずだから、双方に透過性(自由に行き来できる)がある事が望ましいが、第二次対戦後の東西ドイツの様に壁を敷いて人為的に行き来できない様にしたり、トランプ政権が移民流入防止のために設けた壁が存在するケースも多い。これは国境そのものが政治的、経済的な「分割」としての背景を有している事から常々争いの火種となる。海上となれば排他的経済水域の概念が加り、話を更に複雑にする。 本書は主に現在も中国とその周辺諸国の間で大きな問題となっている南沙諸島を始めとする、中国の国境に対する考え方の根拠に迫る内容となっている。タイトルにある「国恥地図」とは、その名の通り、中国が他国の侵略により「奪われた」かつての領土を示した地図であり、中国人にとって過去の屈辱的な出来事を示した地図となっている。然し乍らその根拠や作成経緯、元となる地図の存在などに不明確な部分が多く、正に、何を以てして同国が現在に続く領土紛争に至っているかを解明するヒントになるものである。国恥に注目すれば、それは自国民に対してそれを取り戻さなければならない、という、わかりやすいメッセージになっているし、本書内でも触れられているが、中国人の大学教授の様な知識階層にまで、その意識は深く根ざしたものとなっている。作成時期が太平洋戦争の時代の影響を色濃く受ける時期に重なる事から、当時の反日教育や国内問題から国民の目を背けさせる為の教育に使われた事が原因となる。この為、一般的な中国人はかつての領土として精神意識の深いところまで常識として刷り込まれ、南沙諸島で経済軍事的な活動を強化する自国の動きにも「当然」といった認識を与えている様だ。国境は前述した様に、経済的な争いの要因になるから、この解決が難しい事を容易に理解させてくれる。これは極端な話ではあるが、沖縄がかつて朝貢貿易を行った中国歴代王朝の属国として見られており、未だに沖縄は中国の一部という考え方がある事にも繋がる。そうなれば、日本自体にも同様のロジックが適用され、日本は中国の一部という論理の飛躍を飛び越えた極論にまで話が及ぶ。なお、それを見越した訳ではないだろうが、小野妹子の遣隋使を派遣し、「日いづる国(日本)の天子」として対等な立場を主張したと言われる聖徳太子は、海洋技術が現在よりはるかに劣るその時代にあっても国家間の紛争にまで充分に対策を打っていた見識の広さに改めて脱帽する。 本書内では、対中国国境紛争で話題に上がることの多い「九段線」の成り立ちに迫る部分もあり中々読み応えのある内容となっている。いつからか自国に利益のあるものは何でも正当化して主張する(国際的には当然の態度の様にも思えるが)中国の態度が、先鋭化していく流れを理解するのにも役立ち、使えるものは何でも使うという中国人の国民性の理解にも繋がっていく。態度を表に出す事を善としない日本人との間に、理解し合えない部分が多いことも当たり前である。その日本はかつて中国を侵略した側でもあり、特に両国間で尖閣諸島問題の解決は未だ未だ先になるであろう事は容易に想像がつくが、気付いたら沖縄を巡る国境紛争になっていない事を願うばかりである。 ユーラシア大陸に偉大な大国家「元」を築いた中国。そのうちモンゴルあたりに中国はモンゴルの一部である、という主張をされないよう気をつけた方が良いかもしれない。何より国境紛争が行き過ぎれば、ロシアとウクライナな様な泥沼の戦争に成りかねず、政治的な解決が難しければ、外交上の究極手段として武力に訴えるのは当たり前であるから、日本の防衛力に対する不安も、本書を読みながら強くした次第である。
0投稿日: 2025.08.31
powered by ブクログ<目次> はじめに 第1章香港返還後の国恥地図ブーム 第2章小学生の地理教科書に国恥地図 第3章もう1枚の中華国恥図は描く南シナ海 第4章蒋介石が始めた国恥教育 第5章国恥地図になぜ日本語が 第6章地図には美を科学と主張がある 第7章金港堂と上海商務印書館により合弁教科書 第8章社長暗殺とその後の国恥地図 第9章見るべき5つの国恥地図 第10章貧しい時は我慢し、富んだ時に復讐する おわりに 2021/10/20発行 発行された時に話題になったが、1年後に購入。 筆者は、日本へ政治亡命した中国人の父と日本人の母を もつ東京生まれ慶応卒の、在nyのジャーナリスト。 反日教育は蒋介石によってはじめられ、ccpに引き継がれていったことは知らなかった。 そして、この国恥地図は日本人が作成した地図とその技術が元になっていることには興味深い。
0投稿日: 2023.09.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
国恥地図という単語を見たのは、この著者がネット記事に書いていた内容で発見したのが最初だった気がする。実際に各種の中国人と接点を持っていると、皆は一様に主張する彼らの領土意識が気になっていた。そもそも何を根拠に彼らは領土だと思っているのだろうかという点となぜ皆が皆全く同じことを主張するのだろうかという二点の疑問があった。後者に関してはまだ自分自身で納得のいく答えは出ていないが、前者に関してはこちらの本で一定の答えが出た気がする。 興味の対象が上述の通りだったわけだが、片方の答えは本の最初の方で出てきてしまった。中盤から後半にかけては、どうやって出版済みの地図ができたのだろうかという著者自身の探求、彼女が見つけた推測も含めた答えについて書かれている。 しかし彼ら中国人がこう考える(異論は許さない)という状況とも言える今、一体どこに落とし所を見つけるのだろうか。 P,12 ネットで探してみると、国恥地図には五、六種類のパターンがあり、過去百年間の戦争によって外国に奪われた中国の国土範囲を著した地図のようだ。戦前の中華民国の時代に作られたものらしいということもわかった。 P,20 一枚、有名な風刺画があった。「時局図」と呼ばれるもので、オーストラリア華僑の謝纉泰が描いたとされる。(中略)新聞「俄時警聞」(のちに「警鐘日報」と改称)を創刊する際、謝の描いたこの風刺画を「瓜分中国図」と改題して掲載したところ、全国に知られるようになった。 「瓜分」とは、欧米列強諸国が清朝末期の中国に群がり、国土を「瓜やパイを切り分ける」ように奪い合い、利益をむさぼったという意味である。 P.24 中国では「私的な恥」の意識は乏しい。 夫婦げんかは家から飛び出し、路上で激しく罵りあい、通行人たちにどちらが正しいかを判定してもらったりする。 P.33(同志社大学・村田雄二郎教授) 「原題中国では、七〇年代の文化大革命による階級闘争の時代から、経済復興を目指した九〇年代に入り、愛国主義の時代へと変わったのです。なぜ、愛国主義なのかと言えば、中国は多民族国家ですから、民族主義だと国内で各民族の離反と独立を招きかねない。それで愛国主義を『公定ナショナリズム』としたのです」 P.67 疆界とは、辺境の地、国の範囲のことで、疆域とも呼ばれる。「疆」は、局限、境界を著しているが、単に地理的な表現ばかりでなく、実は伝統的な中華世界の統治理念である支配意識、上下関係を示唆している。 新疆ウイグル自治区は、中華民国期には新疆省だったが、この「新疆」という言葉は普通名詞で、「新しく征服されて開発された辺境の地」という意味である。(中略) 論文「金言dない中国における国境の記憶ーー『本来の中国の領域』をめぐる」(川島真著)によれば、清朝時代までの王朝国家では「徳地」、つまり徳による治政が理念とされ、天命を授かったり有徳者としての皇帝が普遍的な徳を転嫁に広め、民はその恩恵に浴して「教化」されるものと考えられてきた。 そして「徳治」は版図を超えて、辺境の地や周辺国との関係にも適用されるが、皇帝の所在地から遠く離れるほど薄れ、辺境の地は「教化」が及ばない「化外の地」と見なされた。 しかし辺境の地の長が皇帝の「徳」を敬い、臣下の礼をとれば、皇帝はその土地の国王と認めて称号を与え(冊封)、また、周辺国が皇帝に貢物を献上(朝貢)してくれば、皇帝の儀礼として返礼し、その地の政治は放任主義が認められるという「華夷秩序」が構築されていたのである。チベット、新疆、モンゴル等も、清朝皇帝との「冊封」などの”儀式”によってその地の政治や特有の風俗が認められ、秩序維持がはかられた。 もっとも、辺境の地の境界線はあいまいで、「疆界」「疆域」はまさにグレーゾーンと言える存在だった。 P.69 二〇世紀に入り、一九一二年に清に代わって中華民国が成立すると、近代憲法である臨時約法で、「中国民国の領土は二十二省、内外蒙古、西藏、青海たり」として、清朝時代に疆域だと見なされていた変kyこうの地を近代国家の領土に組み入れた。しかし翌十三年、孫文から中華民国大総統の地位を譲られた袁世凱の北京政府は、中華民国憲法草案(天壇憲章)、さらに十四年に中華民国約法を制定し、「従来の(大清)帝国の所有していた疆域によるもの」として、伝統的な統治概念を再び持ち出した。(中略)つまり、領土認識には、近代化を目指した国民党と保守的な北京政府による政治的綱引きを背景に、国際法に基づく国境線を国境とする近代的な考え方と、疆域(疆界)と朝貢による「本来の姿」こそ正しい国境だとする伝統的な考え方の系統があり、その間で、領土観が大きく揺れ動いていたのである。(中略)「中華国恥地図」を掲載した『小学適用 本国新地図』は、そうした二つの領土観が鬩ぎ合う時代に出版されていたのである。 P.81(済南事件に関連して) これ以後、蒋介石の日記には、毎日「雪辱」の二文字が刻まれるようになった。(中略)日本軍に対する恨みを募らせる一方、北伐の途上、国民革命軍に紛れこんだ中国共産党の妨害工作にも手を焼いた。寄せ集めの国民革命軍の兵士たしも、訓練の行き届かない無頼の集団で、軍紀の乱れがひどかった。さらに、沿道で見かけた国民は、国民革命軍をみると恐怖の色を浮かべて逃げまどった。国民の無知と無関心ぶりは絶望的なほどひどく、腹に据えかねた。 六月、蒋介石は北方軍閥の張作霖を駆逐して北伐を完成させ、ついに全国統一を果たした。(中略)かつて孫文は中国の民度の低さを考慮して、民主制を実現するための三段階論ー「軍政」「訓政」「憲政」ーを唱えた。全国統一を果たした蒋介石は、今や第二段階の「訓政」期に入ったと考え、法に基づく国民教育を実践することを国家の方針にすえた。 それが本章冒頭にあげた、「朝起きて、雪辱の基本を考えて決めた」ことであり、「愛国と雪辱の精神」を国民に教育することであった。こうして「国恥」教育が始まった。 P.83(四つの教育方針) 「中華民国第一次全国教育会議」が開かれ、中華民国における四つの教育方針が定められた。 一、全国の小中学校の教科書に国恥教育をしっかり取り入れる。 二、学校は生徒に国恥の事実を教育し、中国第一の敵国は、どの国なのかを理解させ、反復熟知させる。 三、教室に国恥図表を掛け、学生に機会あるごとに見せて注意喚起する。 四、第一の敵国を打倒する方法を、教師と生徒が一緒に研究する。 P.106 一八九四年から一九一二年までの十八年間に翻訳出版された地理関係の図書は五十一種類にのぼり、米国ジョージア州立大学のD・レイノルズ教授は、この時期にほぼ相当する十年間は、日中関係史における「忘れられた黄金の十年」であり、日中両国が最も親密であった時代だと評しているという。 P.108 梁啓超は一八九八年、横浜で気管支『清議報』を創刊して社説「中国史叙論」を掲載し、中国の国名について論述した。 「我々がもっとも恥ずかしく思うのは、何といっても我が国に国名がないということである。普段呼び習わしている『諸夏』といい、『漢人』といい、『唐人』といい、これらはいずれも王朝の名前である。外国人がいう『震亘』や『支那』はどちらも我々が自分で命名したものではない。・・・・『中国』『中華』と言ってしまえば、やはりどうしても自尊心が強くうぬぼれているということになり、周りから批判を招くだろう。・・・・どれも欠点があるなかで、本当にやむを得ず、やはり我々の言い習わしていることばを使い、中国(史)と呼ぶのである」 P.165 ベトナムを植民地にしていたフランスは、一九三〇年四月、ベトナムの周辺海域を調査し、南沙諸島(スプラトリー諸島)とその従属島を占有した。その後、イギリスとの外交交渉を経て、一九三三年に領有を宣言した。(中略)フランスの領有宣言を聞きとがめたのは「申報)だった。「九小島は中国領だ」、「フランスが中国の領土を奪った」と激しく非難し、大キャンペーンを打ちだした。(中略)慶應義塾大学の嶋尾稔教授の論文「20世紀前半のスプラトリー諸島に対する中国の関与に関するメモ 補遣」に従って、その顛末をまとめてみよう。 一九三三年七月一五日、「申報」の記事が出ると、十七日、国民政府外交部は早速、駐マニラ総領事館と海軍部、駐仏大使館に連絡し、「『九小島』が西沙諸島なのかどうか、中国漁民の居住者がいるかどうか」の調査を依頼した。(中略)二日後、海軍部から返答が届き、「東経百十五度北緯十度はフィリピンとベトナムの中間ではなく、『九小島』も存在せず」として、西沙諸島ではない旨を連絡してきてた。二十四日、外交部は広東省政府に連絡し、「報道された『九小島』の軽緯度は西沙諸島の位置と一致しない。果たして『九小島』は西沙諸島なのか」と確認を急がせた。 その間にも、新聞報道に衝撃を受けた全国の行政機関でフランス批判の声が上がり、(中略)全国各地から続々と上申書が届いた。(中略)パリの駐仏公使、顧維釣から電信が届き、「フランスが占領した島の名称は南沙諸島である」(八月一日付)(中略)と報告が届いた。 しかし、世間では、フランスが支配した島を西沙諸島と見なして、義憤の声が高まっていく。(中略)外交部は「フランスが占領した九島の調査報告」を広東省政府に連絡し、事態の鎮静化に努めたが、沸騰し切った世論のフランス批判は留まるところを知らず、話がどんどん膨らんでいった。曰く、「フランス帝国主義者が我が国の『九小島』をダッシュした」、「西沙諸島で活動する漁民は一万数千人」(中略)と、請願書には漁民の人数を誇大したものが増えた。(中略)結局、国民政府各部に届いた抗議文や請願書は、無慮数百件にのぼった。 ところが、実は、外交部の調査通り、経緯度が合わないにもかかわらず、南沙諸島を西沙諸島と誤解していた事実が発覚して、「申報」はフランス批判キャンペーンを取り下げた。しかし一度振り上げた拳は簡単に下ろせない。「申報」の負け惜しみは続き、「南沙諸島も、もともと中国の領土だったのに、奪われてしまったのにちがいない」と、希望的な観測を交えて、世論に訴えた。(中略) すでに世間では「南沙諸島も中国領だ」とするムードが充満していた。背景には、一九三一年の「満州事変」があった。日本に東北地方を奪われた無念さが記憶にあり、これ以上外国に領土を奪われたくないという意識が強く働いた。こうして新たに「失地意識」が芽生えたのである。 嶋尾教授は、論文の中で、こうした意識の変化は、歴史的要件によるものだと分析している。「中国が南に向かって発展してきた歴史の中に九島の領有を位置づけるものである。南越、漢帝国までの北部ベトナム支配、明朝期のルソン、ボルネオ、マレー半島の朝貢、清朝のベトナム全土の包摂という中国発展の歴史の中で、その中間にある九島の領有は必然であると考えるものである。これは植民地化前の朝貢冊封という宗属関係を近代的な領土支配と混同した主張である」 P.180 製作された年代によって、領土意識が少しづつ変化していくことだ。特に南シナ海の海上国境線は描き方が千差万別で、「領海」とする範囲に差異がある。一言でいえば、時代が下がるにつれて、「領海」の範囲が次第に膨らんでいくのである。 P.207 最初は、南シナ海の海上国境線は、ほぼ海洋の中間線として描かれて、「領土の南限」は海南島であるとされた。次にベトナム沖の西沙諸島(パラセル諸島)からスールー海域、ボルネオ島北部を含み、インド洋まで含めたかと思えば、突然、ボルネオ島を避け、インド洋からもひっこめる一方、マレーシアにある暗礁の曽母灘(ジェームズ礁)までの伸びた。 時代によって、さまざまな線が引かれ、政治情勢によって、海上国境線が自在に伸びたり縮んだりを繰り返している。すべての変化は国際法に関係なく、中国国内だけで判断して地図上に落としこみ、これが正式のものだと「宣言」しているのである。 一九二八年に始まった「国恥」キャンペーンは、三〇年代半まで、ほぼ十年にわたって愛国教育の一環として続いた。しかしその後、日中戦争が勃発して「国恥」教育を行う余裕がなくなり、一九四五年に第二次世界大戦が終息した頃には、すっかり下火にになった。 国恥地図も、それにつれて製作されなくなった。しかし、国恥一期が広く普及したからではない。「南シナ海は歴史的に中国の領海である」という前提のうえで、国民政府が行政区分に正式に組み込んだからである。国恥地図で暗示されていた「願望」が、この時点で「既成事実」となったことで、もはや地図に「国恥」という言葉をつける必要がなくなったのである。 P.213(日本に留学している中国人たちのコメント) 「中国では、小学校からそう教えられ、テレビや新聞などでも中国のものだと見聞きしてきました。日本に留学してから別の考え方もあるのだと知りましたが、幼い頃から教えこまれたことは、なかなか考えを改められないのですよ」 P.226 中国の人々は今、「国恥」について、なにを思っているのだろうか。 「中国には『貧しいときは我慢し、富んだときに復習する』という伝統的な考え方があります。それは今も変わらないのですよ」 と、知り合いの中国人学生が解説してくれた。 「たとえば、欧米の高級ブランドが中国領土を無視して、Tシャツに勝手なことを描いたりする。それを見た過激な中国人ネットユーザーがSNSで批判して、謝罪に追いこんだりしていますよね。批判する人たちは、『あいつらは中国のことを全然わかっちゃいないのさ、香港や台湾がどこにあるかも知らないんだから』、『中国市場で儲けているくせに』というのが、口癖になっています。経済大国になった今こそ、『国恥』である過去の雪辱の歴史を晴らしているのだと感じて、留飲を下げているのでしょう」(中略) 気になるのは、外国企業を批判するのが中国政府ではなく、もっぱら中国の一般人が自ら進んで世界中の企業活動に目を光らせ、少しでも中国の尊厳を傷つけたとおもう企業を見つけたら攻撃しようと、待ち構えていることだ。 中国政府が南シナ海問題で強硬姿勢を崩さず、着々と軍事拠点化を進める背景には、歴史的に生み出された「空間認識」と「失地意識」が潜在的にある一方、国際的に「弱腰外国」を許さない国民気質によって、激しく突き上げられている面もあるのではないか。 愛国主義に基づく『国恥意識』は、自覚しようとしまいと、中国人の心の奥底に深く根を張る偏った歴史認識であり、トラウマなのだ。
0投稿日: 2022.10.16
powered by ブクログ中国国民党の時代に作成された国恥地図の歴史と展開、現代への影響を語る。国恥地図とは、清朝末期以降に外国に奪われたり独立した元領土・領海を示した地図。 もともとの国恥地図の作成過程を探して解き明かす歴史探訪の部分が思いの外面白い。 現代政治への影響などの分析の部分は、掘り下げが浅くて取ってつけた感じ。
1投稿日: 2022.06.30
powered by ブクログ所謂「中華思想」的なものを図示した「国恥地図」が教育に使われており、中国の一流大学の学生や日本への中国人留学生等までもが「南沙諸島は中国の領土」と信じているということには驚かされる。そればかりでなく、地図上では琉球諸島までもが中国の領土と明記されている。そのような地図が作成された起源や、どのように活用されてきたのかという経緯が論じられており中々の力作。昨今の中国の行動の背景にある思想を裏付ける意味でも価値ある内容となっている。 ロシアによるウクライナ侵攻も同様の思想(元々は自分たちの領土)に基づいているとすれば、中国が同様の行動に出ても全く不思議ではないと思わせられる。
0投稿日: 2022.06.24
