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1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代
1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代
柳澤健/集英社
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総合評価

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    (2016/9/1) さほど期待せずに読み始めた本だった。とっくに入手していたが、ラグビーなどを先に読み、後回しにしていた本だった。 が、読み始めたとたん、釘づけになった。一気に読み進めた。 ユーミンを「天才」と言って世に知らしめたのが、TBSアナウンサー、林美雄だった?? わたしにとって林美雄とは、「一慶・美雄の夜は友達」という番組が唯一の接点。 土曜ワイドで鳴らした久米宏、小島一慶等とは違って、なんだかマイナーなアナウンサーというイメージしかなかった林美雄。 それが、同期の久米宏が降板した後のパックインミュージック第2部を1970年に任され、 「8月の濡れた砂」などの映画、その主題歌をうたった石川セリや前述のユーミンなどを取り上げ、 コアなファンを虜にし、林美雄ワールドを作っていっていたというのだ。 林美雄が実質ユーミンを世に送り出した男だったとは! その衝撃は計り知れない。というかにわかに信じられない。 本は更に進む。そのパックインミュージック第2部の廃止が決まる。 はいすゞ自動車が、文化放送日野自動車の走れ歌謡曲に対抗して「歌うヘッドライト」という番組を始めるためだ。 元々第2部はスポンサーなしだったからTBSラジオにとっては願ったりかなったりだったわけだ。 しかしコアな林美雄ファンが大反対。林美雄の誕生日8/25に”サマークリスマス”をやることになった、 というあたりがこの本の前半のクライマックス。 代々木公園に集まった500人のファンとユーミン、石川セリ。 台風で中止になるはずが、林がTBSのスタジオを確保し、赤坂に移動。 そう、20歳の、まだ人前で歌うこともままならなかったユーミンがそこにいたのだ。 そして弾き語りで歌うベルベットイースター。コアなファン、仲間だけだったからか、緊張なく歌えたとか。 ユーミンを世に出した、は誇張ではなかったのだ。 話は少し脱線する。ベトナム戦争がらみ。アメリカの属国ぶりを発揮する日本政府が登場。 ここがTBSのスタンスを確認する意味で必要な部分。 田英夫アナウンサーのベトナムレポートが流れるや、自民党がTBSを締めつける。 当時の社長は気骨があったが、田氏を降板させざるをえなくなる、、、あれ、これって?今も昔もいっしょじゃん。 ここは自民党の根っこを発見した部分。 話は林に戻る。パック最終回。1974年8月30日。見守るリスナー。 そこにユーミンが林のために曲を用意した。旅立つ秋。ミスリム10曲目。 この部分を読んだ瞬間、背中がぞくぞくした。目頭が熱くなった。知らなかった。 ユーミンと林がそこまで繋がっていようとは。 一番好きなアルバムミスリムの旅立つ秋、は、林パック最終回のための曲だった。。。 この本を読んで幸せと思った瞬間だった。 ・・・そこで振り返る。1974年。自分は中1か。ラジオはかなり聴いていた。TBS中心。 長島引退の年。王がベーブルースを抜くの2年前。北の湖が最年少横綱になった年。貴ノ花が悲願の初優勝をする前の年。 オイルショックでマイナス成長。モナリザ展。ベルばら。セブンイレブン1号店。 キティ誕生。あのねのね、エクソシスト、かもめのジョナサン、ノストラダムス。 TBSラジオはこんちワ近石真介ですTBS それ行け!歌謡曲榎さんのお昼だよ?!おつかれさま5時です永六輔の土曜ワイドラジオTokyo ヤングタウンTOKYO パックインミュージックは一慶、林、キンキン、ナッチャコ、コータロー。 フィンガー5! ひやー。 話は歌う銀幕スター夢の狂宴に移る。林が発掘した映画関係者を集め、歌わせるもの。目玉は菅原文太と渡哲也。 企画に賛同し、ギャラ返上で参加してくれる。腰の低い渡。いろいろ騒がせるが、ポルノではない日活映画復活を叫ぶ宍戸錠。 そしてユーミンがシングル・ルージュの伝言、アルバム・コバルトアワーでメジャーに。 ひこうき雲とミスリムで10代のストックを出しきった彼女はとにかく歌を作りまくる。 それに反発し、離れていく林パックの面々。バンバンに提供したいちご白書をもう一度にも映画ファンでもある彼らは大反発。 しかしユーミンは「あの日に帰りたい」でますますメジャーに。 しかし林が呼べば来てくれて歌ってくれた。 9カ月後、林は1時の部に復活。スポンサーもあり、3時時代のようなわけにはいかない。 それでも相変わらず発掘は続く。おすぎとピーコ。タモリ。石川セリ。大瀧映一 さらばシベリア鉄道!広島カープ!! しかし、たけしを見出すことはできず、彼がオールナイトニッポンに登場することでの登場でナッチャコパックの聴取率が落ち、 パックインミュージックは終わる。 その後は久米、小島の後塵を拝し、いい番組には恵まれず、小島慶子らを育て、58歳で胃がんで急逝。 彼を送る会の最後に、ユーミンが歌ったのが「旅立つ秋」。。。 私にとってはぱっとしない林美雄と、確かに一番好きなアルバムはミスリムだったけど、それ以外も聴きまくったユーミンが こんな深いつながりがあったとは。 もしかしたら周知の事実だったのかな。 大発見だった。 【目次】 I 夜明け前に見る夢(ミドリブタニュース/パ聴連) II 「林パック」誕生(同期は久米宏/TBSと深夜放送/M/ラジオ・パーソナリティ) III 深夜の王国(八月の濡れた砂/ユーミンとセリ/やけ酒/歌う銀幕スター夢の狂宴/邦画再興) IV 夏もおしまい(荻窪大学/あの日にかえりたい/サヨナラの鐘/サブカルチャーの水先案内人/お月様) あとがき

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    投稿日: 2024.06.11
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    昨日夕刻に購入し、読み終えてしまった。 僕自身はこの本に書かれている終盤、パックインミュージックの終焉とオールナイトニッポンの隆盛期にラジオを聴き始めた世代なので、すべてのエピソードが目新しかった。 パーソナリティとリスナーとの繋がり、リスナー同士の連帯感は「鶴瓶・神野のぬかるみの世界」を思い出させる。 林自身はこの本の連載時にすでに亡くなっており、彼に影響された人々、影響を与えた人のみの証言で成り立っている。 当然、良い話ばかりでなく、人間というのはいろいろな面がある。だけどその人が掬い上げようとした対象や言葉をかけられた人にとっては、全面的な人格にかかわらず、受け取ったモノが一生残ることがあるのだ。 一番びっくりしたのは僕の父親が集めていて、子供の頃よく眺めていた『一億人の昭和史』のうち、一冊の表紙に少年時代の林美雄が大きく映ってたこと。見覚えのある表紙だった。

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    投稿日: 2021.07.25