
総合評価
(15件)| 0 | ||
| 5 | ||
| 7 | ||
| 1 | ||
| 1 |
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
まだ上巻なので作品のできについての判断はできないけれど、あまりにも衒学過ぎてとっつきにくいにもほどがあると最初はうんざりした。 何しろ17世紀のイギリスの話で、第一章の語り手はイギリスに着いたばかりのヴェネツィアの若者。 多分本人による手記よりも会話は困難を極めただろうし、それに伴う勘違いのようなボタンの掛け違いもあっただろうし、文化の違いによるバイアスもかかっただろう。 何よりも、宗教の違いは大きい。 語り手は敬虔なカトリック教徒であり、英国は英国国教会を国教としている国。 日本人から見ると同じ神を信じているはずなのに、神に対する姿勢は全く違う。 ”プロテスタントがよく聖書の引用をして競い合うのはどう考えても馬鹿ばかしいことだったし、場合によっては神への冒瀆に当たるのではないか、とさえ思っている。” これと同じことをモンテーニュも『エセー』の中で書いていましたね。 さて、多少世間知らずなところがあるとはいえ、医学生として病人を見ると治療せずにはいられない好青年のマルコ・ダ・コーラの手記が第一章に当たる。 実家は裕福ではあるものの、信頼していた人にイギリスでの財産を横領され、それを取り返すべく野蛮な国イギリスにやってきたわけだけど、どこで誰に訴えていいのかもわからないし、手持ちの金も不如意の状態。 それでも、イギリス人の文化程度の低さも不衛生も我慢し、極力プライドを抑えてオックスフォードの学生としての人脈を広げようと努力を怠らない。 たとえ空回りをしようとも。 ふとしたことで一人の老女の治療をすることになるが、どう見ても手の施しようがない。 看病している娘のサラは顔はきれいでも性格は粗暴で、これ以上関わりたくないという思いと、輸血という新しい治療法を試してみたい気持ちとの間で揺れたコーラは、結局治療をすることで否応なく事件に巻き込まれていく。 オックスフォードの教師グローヴが、自宅の室内で誰かに毒殺された。 どういうわけか最初からサラが犯人であるといううわさが流れ、証拠も提出される。 サラは罪を認め絞首刑となり、一度は持ち直したサラの母も結局は命を喪ってしまう。 コーラはサラを火葬してやり、その母親の埋葬費も払ってイギリスを去り国へ帰ることにした。 そして二章に入ると、今度はコーラと何度か交流のあったジャック・プレストコットの手記となる。 なるほど、この本に4人の訳者がいるというのは、そういうことか。(全体が四章ある) プレストコットは第一章では、オックスフォード大学の法学徒であり恩人を殺害しようとした罪で死刑を待つ囚人だった。 しかし、プレストコットはまず、コーラの手記には嘘があることを記す。 また、恣意的に記載されていないことのあることを指摘する。 自身の生い立ちを延々と書き連ね、それはそれで興味深いが、いったい私は何を読まされているのだ?と思った頃、プレストコットとサラの繫がりも明らかになる。 21世紀では考えられない関係性というしかない二人の因縁は、第一章でコーラが書いたようにサラの刑死という形で幕を下ろすのだけど、それで本当にいいのか?プレストコットよ。 グローヴの死の瞬間を立ち会ったプレストコットは、それについてあまり衝撃を受けていないようにも見え、少々メンタルが普通じゃないのかもしれないと思ったり。 この二人の手記は、それぞれに自分は善人であると思い、正しい行いをし、神に対して恥じることがないように書いていあるが、書かれている内容は必ずしも同じではない。 信用できる語り手なんて存在はない、というのがこのタイトル『指差す標識の事例』ってことなんだろうか。
0投稿日: 2023.03.23
powered by ブクログ4章からなるうちの2章までが上巻。1章は医学の描写がキツくて読みにくく、2章は語り手のキャラクターが独りよがりで受け付けない。3章と4章が気になるところだけど、いつかまたゆっくりと読み直すことにして、上巻で終了。 表紙のデザインは素晴らしい。
0投稿日: 2023.01.12
powered by ブクログがんばったけど序盤から胸糞わるすぎて下巻を読む気にはならないし娯楽小説はがんばってまで読むものではないなと思った
0投稿日: 2022.10.20
powered by ブクログ何かよくわからんまま読み進める。不勉強で時代背景もよくわからぬまま。それにしても皆言い負かすことしか考えていないし、性格悪そうー。
0投稿日: 2022.04.27
powered by ブクログ帯に、「薔薇の名前xアガサ・クリスティ」とあって手にしたのだが、今のところ両者の印象となるようなことはイギリスとイタリアくらい、あるいは殺人と聖職者というくらいか。 どちらかといえばウィルキー・コリンズの白衣の女とか月長石、バジル、なんかを思い出させる。 さて、後半はいかに。
0投稿日: 2021.11.24
powered by ブクログ17世紀のイギリスを舞台にした宗教と政争と策略をめぐる物語。4人の異なる男性(異邦人であるヴェネチアの商人、汚名を着せられ命を亡くした父親の名誉挽回に猛進する弁護士志望の若者、暗号を解く技能を使い自分も重要人物であると自負してやまない数学者、華々しい政治の舞台には縁遠いながら身分としてはジェントルマンである不器用な歴史学者)の手記で構成されていて、日本語訳はそれぞれ4人の翻訳者が担当したという凝った作品。ある出来事を別々の視点から語るという群像劇が好きなのでその点では楽しめましたが、世界史にも英国の歴史にも詳しくないので、実在の人物と史実をベースに架空の人物とフィクションを織り交ぜて良質な娯楽作品になっているものの、知識が足りずに(おそらくは)半分ほどしか理解していないのでは、という感触で申し訳ない気持ちです。読みながら芥川の『藪の中』を思い出していたら、役者あとがきにもそういう声があがっているがそれより『月長石』を挙げる方が妥当では、とありました。『月長石』も読んだと思うのですがそう言われてもあまりしっくりきませんでした。個人的には芥川と、夏目漱石の『こころ』の先生の独白を思い出しました。最後まで読むとある種のカタルシスが得られますが、そこに至るまでの長い道のりは自己愛に満ちた嫌な人物のひとりよがりな長口上を延々と聞かされるかのようで辟易しそうになったりもしましたが、そこを読み終えてこそ、4人目が語る事件後の話で気持ちがすっきりできたという面もあるように思いました。まだ記憶が残っているうちに再読したら、初見より楽しめるのではないかと思います。
1投稿日: 2021.11.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2021年6月27日再読 感想は下巻に。 https://booklog.jp/users/kei1122/archives/1/4488267076
0投稿日: 2021.06.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
翻訳物にありがちだが、登場人物が多く、特徴もさほどないので区別が難しかった。 1章は悪くなかったが、2章は退屈だった。
0投稿日: 2021.05.09
powered by ブクログ王政復古時代のイングランドを舞台にしたミステリというか歴史小説。 ある毒殺事件を巡って4人の記述者が物語ってゆく。 第1部では医学を学んだイタリア人の視点で事件が語られ、第2部では第1部に登場した別の人物の視点となる。二人ともあまり好感の持てるキャラクタではないのと、当時の政治事情が錯綜しているので、特に第2部はなかなか読み進めなかったが、第1部では隠されていた事実が明らかになっていくところは面白かった。 ボイルの法則のボイル氏も登場して、当時の科学事情が描かれているのが興味深い。 下巻でどんな展開を見せてくれるのか楽しみである。
2投稿日: 2021.02.12
powered by ブクログようやくという想いで上を読み終えた。コーラの手記は医薬の歴史の周辺状況も加わってなかなか面白かったが、「大いなる信頼」の語り手は枝葉末節しかも小難しくこねくり回し過ぎてついて行けず。何度も気を取り直して読み進めた。翻訳家の力❔東江さん、原文の直訳しすぎでは?下巻に期待。
0投稿日: 2020.12.19
powered by ブクログ格調高い文章が、どうにも読みにくかったです。医学創成期の技法が興味深かったですね。輸血の方法とか。血液型も調べないでいいんかい!とは思いましたが、なかなか面白かったです。そうしたサイドストーリーには興味は引かれましたが、ベースとなるストーリーはやや浅め。下巻に期待。
1投稿日: 2020.12.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
薔薇の名前×アガサ・クリスティの帯に惹かれ読んだ。 ただただ無駄に長い。4人の視点で同一の殺人事件を描写していくとのことであるが、枝葉が多すぎる。 下巻での収束に期待。
0投稿日: 2020.12.02
powered by ブクログコーラの手記のほうは理解できたけれど、プレスコット(東江さんの方)難しい。でもなぜ、東江せんせい…そっちの方が気になって。
2投稿日: 2020.09.20
powered by ブクログ久しぶりに読み応えのある小説を読んだ。 やはり、歴史ミステリーは面白い! 1663年、イングランドのオックスフォードで事件が起きる。 大学内で人が死んだのである。 事件について語る者は四名。 それぞれが大いにページを使って、事件のあらましと、自分のありようについて物語る。 この語りに魅了されて、のめり込んで読んでいた。 17世紀イングランドの情景がありありと描かれる。 道、建物、料理、最先端の科学、学問・・・・・・そしてたまに不衛生さにのけぞる。 さらに、そこで動き、語り、旅をし、議論するのは、当時の有力者、有名人たちだ。 ジョン・ロック、ロバート・ボイル、チャールズ二世、ヴァレンタイン・グレイトレックス、サー・クリストファー・レン、etc.etc.etc.... 実在の人物の生き生きと動く様にも心をわしづかみにされてしまった。 なので、次の章、別の人物が語り部となった時、ずいぶんと戸惑った。 前の人物が抜けなくて、次の人物に入れない。 時間をおいて、次の語り部に耳を傾けることになった。 当時のイングランドはまだ混乱期にあった。 長い内戦のあと、チャールズ二世が王座につき、さて、という頃である。 人々の立場は様々だ。 出世した者、儲けた者、落ちぶれた者、貧した者。 ようやく日の目を見た者、地固めをしつつある者。 混乱期、人の状況は様々で、語り部たちもその例に漏れない。 だからこそ、この四者四様の語りが面白い。 立場が違えば、見方が違う。 事情があれば、見る目も歪む。 最初の人物が語る物語と、次の人物、その次の人物が語る物語が、とにかく異なるのだ。 同じ人物、同じ物事について語っているのに、一致しているのは、 「あの日、あの人が死んだ」 くらいのものである。 たとえば、前の語り部は、次には語られる側として登場する。 彼はこんな見た目をしているのかと、知らされるのは新鮮だ。 親しくしているように見えて、違っていたのかと本音を聞けることもある。 さらには、まったく知らない人物像が語られることさえある。 あれだけ彼の話をのめり込んで聞いたのに、私は彼のなにを知ったつもりだったのか?! 本書は驚きに満ちている。 驚きといえば、語り部だけでない、当時の知識人たる者たちの常識――教養の深さである。 聖書を読み込み、その文節をすらすら引用できるのはまず当然だ。 アリストテレス、ヒポクラテス、ガレノス、ライプニッツ、メルセンヌ・・・・・・ 古今の哲学者、神学者の名前がぽんぽん登場し、その思想をふまえて議論がなされる。 そして自らの思索を深め、専門分野に生かしていく。 語り部だけでなく、彼らは皆、専門分野、得意分野を持っていて、それぞれ一家言もっている。 それらすべてを描いたのは、当然ながら、作者ひとりの筆なのだ。 イーアン・ペアーズは、作品の舞台でもあるオックスフォードで美術史を学んだとあるが、それにしてもその博覧強記ぶりに舌を巻く。 本書のたとえに『薔薇の名前』が出てくるのも当然だ。 まったくこの世には、素晴しく頭のよい人というのがいるものである。 けれども、この書きぶりからして、著者は理数系の分野は不得手と見えて、同じく、そちらにまったく才の無い私は、せめて一つの共通点を見つけた気分で、なんだか得意になっている。 さてこのような本を読むために、イギリスの歴史についての知識は要るだろうか? あればきっとより面白いだろうと思う。 けれども、なくてもどうにかなると思う。 白状すると、私は、 「クロムウェル。名前だけは聞いたことがある」 程度のものだが、たいへん面白く読んでいた。 では、キリストの教えへの信仰心は要るだろうか? 要らない。 けれども、こちらについては基礎知識はあったほうが、より理解がすすむと思う。 「キリスト教」とひとまとめに言うが、中には色々な宗派がある。 その教義の一々を深く理解する必要はないが、「一点の違いが大いな差になる」という点は踏まえておいたほうがいい。 宗派ごとに譲れないところがあり、その違いがしばしば争いを生む。 キリスト教も仏教もイスラム教他色々と同じだ。 そして、それは宗教に限らない。 あっち側か、こっち側かで、人はいつまでも争うことができる。 河の左岸右岸かもしれない、富士山の南側北側かもしれない、好きなスポーツチームかもしれない、目玉焼きにかけるのはソースか醤油かかもしれない。 たとえば、同じことをした/しでかしたとしても、その人物が自分の側に属するのか、違うほうに属するのかで、その評価はかわってしまう。 人は色々なことで敵味方にわかれようとする。 以下、蛇足ながら、気になったところを少しだけ。 「低地三国」という記述があり、「オランダ、ベルギー、ルクセンブルク」と説明されているが(下巻481頁)、それは現代のことで、17世紀にベルギーという国、ルクセンブルクという独立国は存在しない。 他の箇所どおり、「低地帯諸国」のほうがふさわしいと思う。 動物好きは要注意。
0投稿日: 2020.09.15
powered by ブクログ先ずは本書の無事刊行を寿ぎたい。 本書の帯とカバー裏には、『薔薇の名前』とクリスティの名作が融合と謳われているが、本作を手に取り、内容ではない別の面での『薔薇の名前』との共通点を思って、しばし感慨に耽った。 それは、日本語訳がなかなか出なかったということである。『薔薇の名前』が映画化された頃、原作ではアリストテレスやキリスト教、異端審問等に関わる内容が満載だということで、それらに纏わる蘊蓄本がだいぶ刊行されていたのだが、肝心の原作の翻訳が待てど暮らせど出ない、その出版社が東京創元社であった。 翻訳者の一人である日暮氏が、本書についての打合せの始まった時期のことを書いた文章を読んだが、20年以上前から作業は開始されていたようだし、訳者の東江氏の御逝去という事情もあったりと、本書刊行まで難航したことが窺える。そうした困難を乗り越え、刊行に至り、この大作を読むことができたことに、何はともあれ感謝したい。 感想は、下巻にて。
2投稿日: 2020.08.30
