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自動車の社会的費用
自動車の社会的費用
宇沢弘文/岩波書店
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総合評価

45件)
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    伊藤 裕顕先生のおすすめ本 地域マネジメント学科 ーーーーーーーーーーー 宮代キャンパス 配架場所コード:2F:受付カウンター前 分類記号:685 著者記号:U ーーーーーーーーーーー

    1
    投稿日: 2025.02.14
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    この本が出版されたのが1974年、 高度成長期の真っ最中に、自動車による外部不経済の発生を指摘した宇沢弘文の先見の名には脱帽するばかりだ 自動車は騒音や排気ガスを発生させている。また、我が国の道路政策も自動車のために最適化されている、すなわち歩行者道路と自動車通行道路は明確に分けられておらず、また自動車通行道路の開発に巨額の財源が当てられている。この結果、歩行者の歩行の権利は侵害されており、また公共交通サービスの低下が顕著である。 そして、こうした費用に対して自動車ユーザーは負担をしていない。いわば、自動車による外部不経済が発生している。 宇沢は、このような事態の背景にはこれまでの古典派経済学が環境破壊や公共財へのダメージを考慮してこなかったことが問題として存在すると指摘し、これらを考慮する理論的根拠・計算式を定立した。 ただ、第3章以降の内容は難しくて私はわからなかった。だがとりあえず趣旨だけわかったからいいでしょ

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    投稿日: 2024.12.02
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    Ⅲ「自動車の社会的費用」のうちの3「新古典派の経済理論」と4「社会的共通資本の捉え方」、5「社会的コンセンサスと経済安定性」あたりは、経済学の理論の紹介が主な内容で、いささか難しいところもあった。 クルマ社会を「社会的費用」という観点から」捉えるという視点は、なかなかおもしろいと思う。

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    投稿日: 2024.05.12
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    昭和の時代にこれだけ自動車が繫栄して社会的に損がでるということを警告していたのは素直に感心しました。また、社会的費用というものをどういうプロセスで算出するかもとても参考になります。

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    投稿日: 2023.08.21
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    自動車によって様々なことが便利になり、経済も車がないと成り立たない状態になっている しかし、自動車を優先し過ぎることによるデメリットもあり、自動車を使用する環境や制度は本当に人のためになっているのかを考えさせられた 確かに日本は自動車優先が当たり前みたいな環境

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    投稿日: 2022.11.13
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     自動車の社会的便益と社会的費用を比較して、社会的便益が上回れば望ましい公共投資として採択されるという新古典派の経済理論に基づく費用=便益分析は、所得分配の不平等化を引き起こす。また、従前の社会的費用の計測の試みは、人間を経済的側面でのみ捉えようとする考え方だった。筆者は、市民の健康・安全歩行の権利が侵害されないように、予め社会的費用が発生しないようにした上で、その社会的便益と建設・管理費用とを比較することによって、公共投資の配分が決定されるべきという。原発などあらゆるものに応用できる考え方だと思う。

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    投稿日: 2022.10.15
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    同時期に発売されたシューマッハーの『スモールイズビューティフル』と土地の扱いに関する提案でほとんど同じことが書いてあったことに、そしてこの提案が今ほど必要な瞬間もないと痛感することに、驚き。 多くの人に読んでほしい。

    0
    投稿日: 2022.03.30
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    特に印象に残った部分 → 近代社会を支えている社会的自由の原則は、他人の自由を侵害しない限りにおいて各人の自由が存在しうるということを、一方では意味していた。ところが、自動車の普及によって、この社会的自由の原則は崩壊しつつあり、またこのことが自動車のいっそうの普及をたすけるという悪循環がおきてきた。(P171) 日本が経済的に大きく成長した時代に損なわれたものの縮図が自動車産業において強く現れていたのだろうか。 経済的な成長を優先し、人々の生活や環境を犠牲にするとは皮肉な結果と言わざるをえない…。 「TPPは社会的共通資本を破壊する」videonews.com https://m.youtube.com/watch?v=29XZo5p_ZY8 https://m.youtube.com/watch?v=2QGXmHUsAyg

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    投稿日: 2022.03.01
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    「資本主義と闘った男」宇沢弘文氏の名著。自動車に限らず、任意の製品や仕組みを導入するときに、社会全体でどのように費用が発生しているのかという思考実験を実演している。本書が出版された1974年は世の中に急速に自動車が流通され始めた時代であり、政府が一斉に高速道路の建設など、社会を自動車向けにし始めた時代でもある。社会の変化において、何か恣意的な変化をもたらす場合には、その変化にかかるコストとベネフィットを精緻に比較する必要がある。宇沢氏の問題意識としては、当時の時代状況として、自動車のベネフィットをことさらに主張する人間が多く、コストについて今一度目を向けるべきであると主張している。結論を先取りすれば、道路建設による非人間的な横断歩橋の出現に地域の人々の不便さ、道路建設による自然破壊、排気ガスによる環境破壊、自動車事故による死亡者・後遺障害が残ってしまった人の逸失利益などがコストとして挙げられる。また、非人間的な横断歩橋の出現や自動車を中心に作られた道路建設は、街の形を変えてしまい、結果として自動車に乗れない老人や子供に不利益を与えているという。製品や仕組みを導入することによる、格差の拡大にも注目しているところが新鮮であった。自動車の増産や社会への流通は、社会全体の利益向上のために行われているものである一方で、社会が自動車中心になっていくことによる不利益を老人や子供が受け、格差が拡大されるという論理は、人間の社会にとって何が大切なのかということを訴えかけるものであった。このようなコストについては当時の経済学の枠組みでは検証することができない。環境のような不可逆的な資本については、個人に帰属させずに社会で管理させなければならないという社会的共通資本の概念は、まさしく2021年の今、叫ばれているので、宇沢氏の先見性には驚かされる。『人新世の資本論』でも、社会的共通資本の類似概念である「コモン」の概念について詳しく記載されており、昨今のカーボンプライシングなどについては、まさしく宇沢氏の指摘する社会的費用を、実際の市場経済において価格に上乗せしようという働きかけである。そう言った点で、今も色あせない名著と言えるであろう。

    2
    投稿日: 2021.12.24
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    筆者は自動車の社会的費用を分析するにあたって近代経済学の重要な柱である新古典派理論の限界を指摘している。と同時に、社会的費用の発生を許す経済活動自体、市民の基本的権利を侵害しているとの論理で展開する。

    0
    投稿日: 2021.11.27
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    日本のモータリゼーション期に生じた負の側面が思い起こされる。半世紀経ち、少なからず改善されて来たとは思うがまだまだ。社会的費用の観点は初めて知った。

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    投稿日: 2021.08.05
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    社会的公共財としての道路を使用する自動車の社会的費用の賦課方式は、自動車保有と使用に対してなされる。理想的道路の構造および自動車な公害防止基準に依存する。観光道路も同様。 歩車分離、自転車道、歩行者保護や公害防止等の為、自動車重量税、ガソリン税が使われるべきと言えるが、すでに一般財源化されており、どう手立てしていくかは課題。

    0
    投稿日: 2021.01.13
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    著者も書名も知っていたけれど未読のまま数年。書店でたまたま目に留まって購入。 B/C分析は2020年の今も道路計画を評価するベースの考え方だが、冒頭でさっそく斬り捨てられていて笑ってしまった。 令和になってようやく歩行者フレンドリー(ウォーカブル)な計画が積極的に志向されるようになり、時代が追いついてきた感もある。 「社会的費用」と銘打っているものの、数値的な評価については紙面上重きを置かれておらず、159頁からの10頁ほどでまとめ的に論じられている程度。しかし、そこに至るまでの経済学の思考についても丁寧に述べられていて読みやすい。 宇沢モデルのような著名な業績からは離れた分野だが、名著として知られているのも納得。

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    投稿日: 2020.12.02
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    「自動車の社会的費用」宇沢弘文著、岩波新書、1974.06.20 180p¥799C0233(2020.11.07読了)(2020.10.28借入)(2019.02.05/45刷) いろんな方々が勧める本なのでいつか読もうと思っていたのですが、先日、日本経済新聞で、池上彰さんが、読書週間にどうでしょうか、と勧めていたので、この機会に読んでしまうことにしました。1974年のベストセラーです。 宇沢弘文 略歴(日経の記事より) 1928年生まれ 1951年、東京大学理学部数学科卒業 特別研究生となり、経済学の研究を始めた 1956年に渡米、スタンフォード大助教授やシカゴ大教授などを歴任した 1968年に帰国し、 1969年、東大経済学部教授に就任した 得意の数学をいかして60年代、数理経済学の分野で数多くの先駆的な業績をあげた 経済が成長するメカニズムを研究する経済成長論の分野で、従来の単純なモデルを、消費財と投資財の2部門で構成する洗練されたモデルに改良 1974年、「自動車の社会的費用」がベストセラーになった 交通事故や排ガス公害などを含めた自動車の社会的コストを経済学的に算出し、大きな話題を集めた 地球温暖化をはじめとする社会問題にも積極的に取り組み、発言・行動する経済学者としても知られていた 1983年に文化功労者、 1989年に日本学士院会員に選ばれ、 1997年に文化勲章を受章した 2002年3月には日本経済新聞に「私の履歴書」を執筆した 2014年9月18日、肺炎のため死去、86歳 「日本における自動車通行の特徴を一言にいえば、人々の市民的権利を侵害するようなかたちで自動車通行が社会的に認められ、許されているということである。ところが、自動車通行に限らず、すべての経済活動は多かれ少なかれ、他の人々の市民的権利に何らかの意味で抵触せざるを得ないのが現状である。このことは、産業公害の例を出すまでもないことであろう。ところが、経済活動に伴って発生する社会的費用を十分に内部化することなく、第三者、特に低所得者層に大きく負担を転嫁するようなかたちで処理してきたのが、戦後日本経済の高度成長の過程の一つの特徴であるということができる。そして、自動車は、まさにその最も象徴的な例であるということができる。」(ⅲ頁) 【目次】 まえがき 序章 1 自動車の問題性 2 市民的権利の侵害 Ⅰ 自動車の普及 1 現代文明の象徴としての自動車 2 自動車と資本主義 3 アメリカにおける自動車の普及 4 公共的交通機関の衰退と公害の発生 5 一九七三年の新交通法 Ⅱ 日本における自動車 1 急速な普及と道路の整備 2 都市と農村の変化 3 非人間的な日本の街路 4 異常な自動車通行 Ⅲ 自動車の社会的費用 1 社会的費用の概念 2 三つの計測例 3 新古典派の経済理論 4 社会的共通資本の捉え方 5 社会的コンセンサスと経済的安定性 6 市民的自由と効率性 7 社会的共通資本としての道路 8 自動車の社会的費用とその内部化 Ⅳ おわりに あとがき ●欠陥道路(5頁) 自動車事故による死亡者が年々二万人にも達し、100万人近い負傷者が出ているにもかかわらず、歩・車道も分離されていない欠陥道路に依然として自動車の通行が許されている。そして、都市と農村を問わず、子どもたちにとって、自動車を避けるという技術を身につけることが、生きてゆくためにまず必要になっている。これまで貴重な遊び場だった街路は自動車によって占有され、代替的な遊び場もない。 ●社会的害毒(10頁) 自動車の通行によって、都市環境は破壊され、自然は汚染されてきた。そして、市民生活の安全を脅かし、社会的な安定性は失われつつある。 ☆関連図書(既読) 「欠陥車と企業犯罪―ユーザーユニオン事件の背景」伊藤正孝著、現代教養文庫、1993.03.30 「クルマを捨てた人たち―自動車文明を考える」田中公雄著、日経新書、1977.03.25 「自動車が走った―技術と日本人」中岡哲郎著、朝日選書、1999.01.25 「自動車絶望工場」鎌田慧著、現代史出版会、1973.12.05 「自動車王国の暗闇」鎌田慧著、すずさわ書店、1984.04.10 「アメリカ自動車幻影工場」鎌田慧著、潮出版社、1985.11.25 (2020年11月11日・記) (アマゾンより) 自動車は現代機械文明の輝ける象徴である。しかし、自動車による公害の発生から、また市民の安全な歩行を守るシビル・ミニマムの立場から、その無制限な増大に対する批判が生じてきた。市民の基本的権利獲得を目指す立場から、自動車の社会的費用を具体的に算出し、その内部化の方途をさぐり、あるべき都市交通の姿を示唆する。

    1
    投稿日: 2020.11.12
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    少々の時代遅れ感は否めないが、社会的費用という概念を学習するにはベスト。 企業は機会費用という概念が好きだが、同じように見えない費用として社会的費用は改めて見直されてもいいのでは。 例えば「某OSの社会的費用」。僕らは1年のうち何時間ただグルグル回るアイコンを見させられ、ハッカー対策に幾らのお金を使っているのか?なんてね。

    0
    投稿日: 2020.04.30
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    この本にある経済学的な思考は誰にでも備わっているべきである。我々は、社会的な価値判断を前提として生きている。しかし、その社会的価値判断は一度下されると、再び検討されることがない場合がある。それが問題となるのは、本書の主題となっている「自動車通行に伴う社会的費用の発生」といったような、社会的価値判断が結果的に我々に被害を及ぼしている場合と言って良いだろう。 1973年という、高度経済成長の盛りに上梓され、世に送り出された本書の提言は今もなお現実的なものとして、目の前で繰り広げられている我々の価値判断に伴う社会的活動を考え直すきっかけと、その際に必要な思考の土台を読者に対して提供している。 当時、社会問題となっていた「公害」も、今日における「気候変動問題」も本書の射程である。 本書を読むことによって、「自らがどのような社会に生きているか」「どのような社会に生きるべきか」が見えると同時に、いかに、「日本社会における都市構造と自動車交通」を含めた社会人インフラストラクチャーが「非人間的」かつ「環境不適合」なのかが自ずと感じられることだろう。 21世紀が始まって、20年を迎えようとしているが、度重なる自然災害に、凶悪事件、自殺、交通事故、原発の問題など、様々な社会的価値判断が引き起こしてきた問題が眼前に山積している。 新型コロナウイルスという「社会的脅威」が我々を脅かしている今日こそ、本書を読み、ありうべき社会とは何か、そしてそれはいかに造られるべきかを考えることは有益である。

    0
    投稿日: 2020.03.31
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    昨今、これまで以上に自動車事故のニュース(とりわけ、あおり運転や高齢者ドライバーによるもの等)がクローズアップされている。私は自動車を運転しないものの、著者の名著に触れようと手に取ったものだ。  著者は、社会的資本である道路が誰のためのものなのか、歩行者でなく、自動車のためのものなのか、ということを迸る憤怒を交えながら(時には、自動車をガン細胞とも)、熱い思いで読者に語りかける。自動車保有率など、現在の状況とは符合しない点もあるものの、半世紀ほど前に刊行されたその警句的な示唆に富んだ内容に読者と著者の距離感が縮まっていくことを自覚してしまうほどだ。

    0
    投稿日: 2019.11.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

     自動車にたいする経済的・社会的価値がますます高まっていた1970年代にあって、その負の効用について警鐘を鳴らし、そのコストの取り扱いについて具体策を提起した書。この時代にあってこのテーマということで、著者の先進性は際立っています。  第1章「自動車の普及」では自動車普及の歴史が、主にアメリカを中心にして語られます。  ここで自動車の普及が様々な経済分野の発展に寄与したことに一定の評価を行いつつも、騒音や環境汚染などで市民生活の質を劣化させた点を指摘しています。  個人的に興味深かったのは、フォードの「Tモデル」がアメリカにおける自動車普及を飛躍的に高めた点。1900年にはわずか4000台そこそこの自動車生産台数が、1920年には実に200万台(!)をこえるようになったのは驚異的です。  そして、1956年に導入されたハイウェイ・トラスト・ファンド制度。これによって自動車用ガソリンに課税された税金はそのまま全額が新しい自動車道路の建設に充てられるようになったのですが、その巨額な資金が一気に道路網を拡充させたことは想像に難くないでしょう。なんとも思い切ったことをしたものです。  第1章の後半では、自動車の急激な普及が様々な弊害を生み出し、それによって環境や市民生活に配慮した制度の導入が徐々に進んできている、そのようなストーリーが展開されるのですが、これはおそらく第2章「日本における自動車」に対する布石でしょう。要するに「世界はこのように改善の兆しがあるのに、日本ときたら・・・」といったレトリックであるように感じました。  第2章「日本における自動車」では、日本の自動車の普及状況が批判的に語られます。数字を用いた定量的な議論がある一方で、いささか感情論的な指摘も多いのですが、このような感情的な指摘は著者の議論の ”冷静さ” を減じさせる印象しか残さないため、個人的に残念です。  ただ、よほど著者が当時の自動車の普及状況に憤懣やるかたなかったのかを理解できます。  第3章「自動車の社会的費用」が本書のハイライトです。まず社会的費用とはなにか?ですが、私はこの用語を全く知らなかったのですが、以下のような定義みたいです。 「ある経済活動が第三者あるいは社会全体に対して直接的あるいは間接的に悪影響を与えるとき、そのうち発生者が負担していない部分を何らかの方法で計測して集計した額を社会的費用と呼んでいる。」  従来の社会的費用は「ホフマン方式」と呼ばれる方法が主流なのですが、これについて異を唱え、別の集計方法を提示しているところに本書の独自性があると思います。  「ホフマン方式」を簡単に説明すると、例えばある人が交通事故で命を落としたとして、その人が命を失わなかった場合に生涯でどれくらいの所得を稼ぐことができたかをもって損失額をはじき出す手法です。この場合、無職の方が命を落としたケースを計算すると、極端な言い方をすると損失額はゼロと結論されることもあり得ます。著者はその非人間性を批判します。  そして議論は「ホフマン方式」が前提としている新古典派の理論への批判と移っていきます。  この「新古典派」の理論はいろいろな特徴はありますが、要するに人間を生産及び消費のイチ要素と捉え、その活動の経済的価値(つまり金額)を市場の評価と合わせて算出する、といった点が大きいとうけとりました。  著者はこのような新古典派の考え方を批判します。自動車の生じる騒音や公害は、社会的弱者がより多くの弊害を被っていると考えられますが(金持ちが多く住むところに幹線道路は通さないし、金持ちなら住居を変えたりリフォームすることで対策を講じることができます)、彼らの生み出す経済的価値は相対的に低いため、従って社会的費用も低くなるためです。  この辺の新古典派の理論特徴の説明や、その欠陥を分析している個所はとても面白いし、とても勉強になります。  そのうえで著者は、人や社会に被害を与えない道路の要件を定義して、そのような道路を作ったり、既存の道路をそれに改修するための費用を見積り、これを自動車利用者に負担させる方法を提案します。  この費用はなかなかの額になると想定されるのですが、これにより自動車の最適数が維持され、同時に人や社会において好ましい都市構造を構築できるという効果が説明されます。これも一種の持続可能な社会といえるのでしょう。  本書は経済学の基本知識(すくなくともミクロ経済の知識)がないと少々読むのに苦労します。私は経済学の入門書(※)で経済学の知識を補いながら本書を読みました (※)『入門 経済学』(伊藤元重/日本評論社)   本書は主な経済理論を網羅しており、かつ内容も平易なのでおススメです。  しかしながら、著者の新古典派への反駁はなかなか読みごたえがあります(これに対する個人的な反論もいろいろあったわけですが)。  自動車の社会的費用という課題と対策に関する様々な考え方・捉え方に触れられ、同時に経済学のお勉強もできる良書だと思います。

    2
    投稿日: 2019.07.14
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    こちらも読書猿さんの図書「はじめての新書」での紹介に よるものです。ちょっと冗長なところもあるけど、こんな経済学もあるのかと軽いショックを受けます。

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    投稿日: 2019.02.08
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    現実の社会問題と経済学の理論とが、斬り結ぶさまを学ぶことができた一冊。 自動車という、それなしには考えられない事柄に対しても、批判理論を展開し、同時に理論的な枠組みを越えた社会規範についても論じられている。 社会経済における自由と公正に関する議論では、”応益負担””応能負担””応分負担”それぞれの方法の適応が課題となっている。最適な解はおそらく一つではないし、また、不変とも限らない。常に社会的な議論と合意形成の努力が必要であろう。 その際には、本書で示されているような、実際の課題を正面から論じる勇気、その理論と規範とを論じる知性が欠かせない。 今日、自動車に関して、新たな技術的、社会的状況も生まれている。どのように論じることができるだろうか。Jane Jacobs『アメリカ大都市の死と生』も合わせて参照したい。

    0
    投稿日: 2019.02.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    車が当たり前の社会で、考えさせられる内容です。ペーパードライバーの私には、納得できることだらけでしたが、日常的に車に乗っている人は「そうは言ってもね〜」と否定的にみられるかもしれません。道は、本来歩行者のためのもの。高速道路などの自動車専用道路以外は、「自動車は歩行者の道を走らせて頂いている」くらいの意識で丁度いいのかもしれません。マイノリティーな意見だと思います。経済優先の社会では無視されるに違いありません。しかし、無駄なお金を負担し合っていることを、日本人は認識すべきかもしれません。

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    投稿日: 2019.01.02
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    難しかった。 しかし著者の優しさ・思いやりがバックボーンにあることが伝わってくる名著であると思う。

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    投稿日: 2018.12.31
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    【由来】 ・「岩波新書を読む」で。これもかなりの基本書みたい。 【期待したもの】 ・ ※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。 【要約】 ・ 【ノート】 ・

    0
    投稿日: 2018.10.28
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    40年前のこのような考え方を著した事に脱帽.数値的には古いが社会的共通資本という考え方は色あせない.ただ現実のどう落とし込んでいくかと言うのは難しいね.

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    投稿日: 2018.10.09
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    この本の後も自動車の保有台数は30年増え続けた一方で技術の進歩により改善に向かった問題もある。ただし自動車ビジネスに関わる立場の人は認識しておくべき問題提起であることには今も変わりはない。

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    投稿日: 2018.10.09
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    このレビューはネタバレを含みます。

    1974年刊。著者は東京大学経済学部教授。車両保有台数に加え、交通事故被害が急増した昭和40年代半ば。水俣病患者に深い関心を寄せた著者が、問題山積の「自動車」に焦点を当て、一定の経済的便益をもたらすものは同時に余分な費用を不可避的に発生させる。その内実を著した書である。自動車が時代を反映するが、原発・火力発電所、大学、飛行場等々、多様な別物を想定することも可能だろう。勿論、費用の額・内実(化石燃料使用による炭素酸化物の増)、さらに社会的費用を賄う方法(ガソリン税・自動車税等)の解説につき古さは否めない。 が、その思考法は多くのテーマに応用可能であり、発想法を咀嚼するという現代的意味は失われていないだろう。

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    投稿日: 2017.01.23
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    新古典派の経済学による非人間的経済発展による道路社会の構築を鋭く批判し、収入格差によって生じる環境格差や子どもの遊び場としての街路の喪失という矛盾を明らかにしながら経済学的指標を用いた分析からクルマ優先社会から人間のための社会への転換に向けた理論を構築している。近年アメリカを中心に注目を集めていた環境的正義の視点に当初から問題意識を持っていたことを感じさせる。

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    投稿日: 2015.12.28
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    昨年亡くなった宇沢弘文さんの代表作ということで何気なく読み始めたところ、とても面白い著作でした。自動車を引き合いにした、新古典派経済学の批判の書ということなのだが、それよりも1970年当時の自動車社会に対する世の無批判に対する憤りを読者に強く感じさせるところが名著たる所以なのだと思う。

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    投稿日: 2015.05.07
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    著者宇沢の言い分のうち「他者の自由を全く侵害しない」という「近代市民社会の原則」の論がたびたびでてきたのには、違和感を覚えずにはいわれなかった。私はむしろ、各人が(あらゆる格好で)他人に迷惑をかけている(つまり他人の自由を、多かれ少なかれ侵している)というのが、都市とか集団社会の本質だと考える。勿論、だからといって、他人の自由の侵害を擁護するものではない、けれど、その「原則」を出発点にしつづける議論は、やや理想論にすぎるのではないか、ということ。基本的な部分では宇沢の主張にしばしば納得・感嘆させられたのだから、あまり極論に走られてはもったいない。 「名著」と呼ばれるにふさわしい、意義深い、社会への問いかけ。こういう本を読むと経済のことをきちんと勉強したくなってもくる。とはいえ、経済学者が前向きな(社会を導くことができるような)答えを見つけられないというならば、それは土木計画学の役割になる。

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    投稿日: 2015.01.05
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    本日は、この本を読み返す人が 日本全国で何万人といるでしょう。 私もその一人です。 (2014年9月26日)

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    投稿日: 2014.09.26
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    ・他人の自由を侵害しない限りにおいて各人に自由な行動が認められるという近代社会の原理に照らし合わせたとき、著者は(とりわけ狭い路地において)自動車の自由な通行が歩行者の自由な歩行権を侵害しているという。 ・自動車の通行権と歩行者の歩行権との衝突が激しかった時期の、いわば過渡期の作品という印象。かつて頻繁にあった「飛び出し」という歩行権の直接行動的主張が輪禍の一大要因であり、そして本書刊行当時(約40年前)と比べて今日では交通事故死者数はおよそ1/4まで減少していることを考えあわせると、この40年間で自動車の通行権と歩行者の歩行権との間に一定の秩序が出来上がったと見ることができる。ゆえに今さら歩行権の侵害などというものを取り上げる実益はあまりないように思える。 ・また本書で批判されている非人道的な歩道橋はもはや新たに作られてはいないし、排ガスや騒音の規制も強化され、さらに飲酒運転などへの制裁が厳しくなったこともあり、総じて運転する側のモラルも向上した。著者の自動車に対する公憤は、正直なところ現代においてはなかなか共感しづらい。もっとも、この公憤のおかげで社会が良い方向に前進したことは忘れてはならないが。 ・外部不経済の内部化を学ぶうえでのモデルケースの一つとして本書の価値は失われていない。第三章は熟読すべし。

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    投稿日: 2013.08.29
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    社会的費用とは、「第三者あるいは社会全体に及ぼす悪影響のうち、発生者が負担していない部分をなんらかの方法で計測して、集計した額」の事を指します。本書は、自動車の利用が社会全体に及ぼす影響と膨大な社会的費用が発生している状況について、経済学者の視点から論述しているものです。発刊は1974年。論述に使用されているデータや時代背景はやや古いものの、現在においても根本的な問題は変わらないところから、社会問題を鋭く指摘した名著として、現在でも版を重ね、読み続けられています。新古典派経済学の限界、社会的費用の増大に伴うしわ寄せを受ける社会的弱者の問題、業界によって異なる自動車の社会的費用試算額など、これからの社会を考える上での重要なエッセンスがたくさん詰まっています。社会科学系の学生にはぜひ一読をおすすめします。 (2012ラーニング・アドバイザー/シス情SATO) ▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=258074&lang=ja&charset=utf8

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    投稿日: 2013.01.04
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    日本の経済学界を代表する宇沢弘文氏による本であるということ、かつTPPでは経済学者では珍しく反対という立場で鮮明にしていたということで、彼の主張にふれておきたいと思ったので、手にとってみた。正直言うと、岩波でこのクオリティというのは頂けなかった。自動車社会に対する不安を考慮すべきという視点はそれなりに評価すべき点ではあったと思うが、議論の進め方がやや緻密さを欠いていた点で岩波らしさを感じなかった。なにより研究/執筆の契機となった問題意識の書き方が情緒的で具体的な論理に支えられたものではないところが好感が持てなかったのが、本書に対する強烈な感想である。感覚的に経済学に反感を持った人たちには非常に扇情的で共感は得られ、場合によってはバイブルとして位置付けられそうな本であるとは思うが、そこまでの思想的及び学問的含蓄はない。細かな点として、ホフマン法による統計的生命価値を批判しているところは、社会的/文化的価値を含めた生命価値に対する評価額を踏まえた現在の統計的生命価値の算出方法を知っている私にとっては的外れであった。仮に執筆時期において最新の統計的生命価値の算出方法がなかったとしても、著者の批判は建設的批判とは言えなかった。他にも必需品の価格弾力性についても現実味が不十分であると思った。なぜなら、必需品とはいいつつもその中身及び種類は多様であり、弾力性が低いと一様には決められず、むしろ牛丼などの現実ぼ例が示すとおり、価格弾力性は比較的高く、そしてデフレが問題になるほど価格が下がっているからだ。ただ負の所得税によるインフレ可能性については検討に値すべきである。最後に、あくまで自動車の外部費用を内部化すべきと主張している点で、留保という選択肢を持つ科学者としての姿勢を欠いて、推計の困難性のみを理由に物事に反対するといったことはなかったことに、皮肉にも安心した。また宇沢さんの後世の業績としては勿体無さを感じずにはいられなかった。

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    投稿日: 2012.02.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

    たしかに、日本の道路は歩行者に配慮在る作りになってはいないが、中国なんかに比べると、運転手が歩行者に配慮しながら走っていることが多いことを鑑みれば、まし、と言えるのではないだろうか。 作者は、一貫して車を「悪」とみなしていたが、経済がここまで発展したのは車のおかげであり、今の生活にはなくてはならないものである以上、車が優先されてもしかたがないことなのではないかなぁ。と。

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    投稿日: 2011.12.19
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    ・日本の道路設計は自動車を使う利益にばかり目が向けられ不利益(=事故,騒音等公害)が考えられていない. ・自動車にかかる費用が自動車を使わない人にも分配されてしまっている. 感想:自動車を国家産業にするために意図的に目を背けてきた部分もあるのではないかなぁ..という感がある.じゃあ道路を歩行者が通りやすいよう整備しなおしましょうといっても,ある程度経済的に発展してしまうと特に都市部ではこれを是正するには膨大なコストがかかってしまう(新興国ならある程度可能?). 地方での新たな街づくりのあり方として考えると,ある程度の一極集中+車に頼らない街づくりはありなのでは?もちろん地方分権が進むことが前提ですが...

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    投稿日: 2011.10.08
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    過激だ。1974年の宇沢氏の論考。p.28 「自動車はまさに生物体に侵入したガン細胞のように、経済社会のなかで拡大していったのである。」

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    投稿日: 2011.09.22
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    宇沢先生が、自動車の効用について経済学的にどのように考えるか解説した本。んまぁおもしろかったが、自動車の効用と言うよりやはり経済学的な考え方の本だったかな。

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    投稿日: 2011.09.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    自動車を利用するすべての人が、関係する費用を考える。 1 道路整備(高速道路,一般道) 2 交通信号機整備 3 交通事故対応、保険 4 運転免許,自動車教習 1と2は社会的費用だが、適正に受益者が負担しているかどうかは分からない。 社会的費用の視点を明確に示した良書である。 とかく経済学は政治的な論調に振り回されすぎることがあり、 高速道路の無料実験も経済学的評価の枠組みを明確にしていない点に課題があるだろう。

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    投稿日: 2011.08.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    たしかにそうだと思われることが多い。 日本の道路行政の現実を鑑みても、無計画で適当になされているような気がしないでもない。 確かに幹線道路沿いにも狭い歩道、申し訳程度のガードレール、至近に建てられている住宅。幹線道路でなくても、踏切があれば渋滞が起き、そういう道路には路側帯しかない。 歩道橋も車が優先されていることの、証左にほかならない。 ましてや歩道に合わせて道が造られているのではなく、車道に合わせて道が造られている。これを人権と合わせて考えると、基本的人権の侵害と言えるかも知れない。全部変えるのは非現実的ではあるだろうが、一つの考え方では確かにある。 昔は交通戦争と云って年間3万人以上交通事故(事故発生から24時間にん以内に死んだ人)が発生していたが、今では4千人前後まで減った。しかしそのうちの3分の2は、65歳以上の高齢者である。 東京という街は、若い人に合わせて全てが設計されている。再開発され、少しずつ変わってきてはいるのだろうが、どこまで進むのだろう。立体交差や信号の時間の設定など、挙げるべき点は多々ある。

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    投稿日: 2011.07.08
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    「生きた学問」は偉大なる感情に裏打ちされている。そのことを思い知った。宇沢は1964年にシカゴ大学経済学部教授に就任した人物。門下生の中にはジョセフ・E・スティグリッツがいる(2001年ノーベル経済学賞受賞)。市場原理主義の総本山で、宇沢はシカゴ学派を批判した。気骨の人という形容がふさわしい。 http://sessendo.blogspot.com/2011/06/blog-post_04.html

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    投稿日: 2011.06.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    [ 内容 ] 自動車は現代機械文明の輝ける象徴である。 しかし、自動車による公害の発生から、また市民の安全な歩行を守るシビル・ミニマムの立場から、その無制限な増大に対する批判が生じてきた。 市民の基本的権利獲得を目指す立場から、自動車の社会的費用を具体的に算出し、その内部化の方途をさぐり、あるべき都市交通の姿を示唆する。 [ 目次 ] 序章 (自動車の問題性;市民的権利の侵害) 1 自動車の普及(現代文明の象徴としての自動車;自動車と資本主義;アメリカにおける自動車の普及;公共的交通機関の衰退と公害の発生;一九七三年の新交通法) 2 日本における自動車(急速な普及と道路の整備;都市と農村の変化;非人間的な日本の街路;異常な自動車通行) 3 自動車の社会的費用(社会的費用の概念;三つの計測例;新古典派の経済理論;社会的共通資本の捉え方;社会的コンセンサスと経済的安定性;市民的自由と効率性;社会的共通資本としての道路;自動車の社会的費用とその内部化) [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

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    投稿日: 2011.04.24
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    自動車が生み出す外部不経済とそれを社会的費用として内部化する方法についてコンパクトにまとめられた良書。 自動車は混雑や事故、環境汚染などの外部不経済をもたらすのだが、そのコストを計算し、自動車利用者に負担させようというのが外部コストの内部化である。本当にわかりやすくまとめてあり、経済学初心者の方でも気軽に読める!

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    投稿日: 2010.12.17
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    現在日本は自動車なしには生きていけない社会になっている。 いろんな意味でちょっと古い本だが「こういう視点もあったのか」って思える一冊。常に本棚の手の届くところにあるお勧めの本。

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    投稿日: 2010.05.27
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    ここまで言えるのは凄い。でも、自動車無しで生活するのも大変な世の中になってしまった…。後戻りできないところまできてると思う。30年以上前に書かれた本だけど、この人本当に車嫌いなんだなぁ。

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    投稿日: 2010.05.12
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    古本屋でブラウジングしていて題名に惹かれてゲット。面白いい。税金の無駄遣い、あるいは、外部不経済を当然の前提にした勘定調整などといった費用対効果あるいは利益考量的なものの見方に対する疑問点。そして、それよりももっと深い問題意識がこの本の中にはある。

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    投稿日: 2006.11.27