
いま、なぜ魯迅か
佐高信/集英社
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総合評価
(2件)2.5
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powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
佐高信さんの動画を見てて、読むことに。 魯迅は、読んだことがないが、佐高さんが敬愛する「むのたけじ」は自分が辛かった時代によく読んでいたので、感銘できた。 文の中で、フランスの新聞がナポレオンが幽閉されていた島から逃げた記述が、時間が進みパリに迫るたびに、初めは『凶暴なる卑劣漢』だったのが『コルシカの怪物』『ボナパルト』『ナポレオン』ついに、『皇帝閣下』となることに関して、 「時の古今も所の東西もない。主題の欠落した新聞の「客観性」はこの通りだ。『自由は知る権利から』と言う新聞の標語の真実の意味を知らないならば、新聞の掴んでいるのは、一片の野糞、見出しを変える自由だけである」と、むのは言っている。 むのの言葉あたりから、強く響いてくる。 魯迅の本ではあるが、私にはまだ、魯迅の著作を読んでいないので、見方が定まらない。
0投稿日: 2020.10.25
powered by ブクログ「魯迅。究極の批判をとくとご覧あれ。」 ①ドレイを持つことにおいて、ドレイの主人もまたドレイである。 ②どれほど深く悩みうるかということが、ほとんどの人間の位階を決定する。そんな風に人間は悩む、たがら笑いを発明せざるをえなかったのだ。 ③流産を悲しむな。それは産めるいうことの証明だ。 ④現在も歴史の一部なのだ、ということを忘れずに行動しなければならい。
1投稿日: 2019.11.25
