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パイドン~魂について~
パイドン~魂について~
プラトン、納富信留/光文社
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総合評価

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    ソクラテスの刑死直前、最期の一日という設定の対話篇である。内容的には『イデア論』を期待するのが普通だと思うが、言及が散発的で体系的なものではなく、むしろ主眼は『魂の不死』論証にあるといった印象が強い。その『魂』概念は、『ソクラテスの弁明』に見られた「生きることの原理」というようなニュアンスよりも、極めて身心二元論的な意味合いが強く、むしろデカルト以後の身体と明確に区別された「心」とか「精神」とかの概念に近い。哲学について、それはできる限り肉体から『魂』を離して『浄化』するという意味での『死の練習』だ、という極端な主張が出るほどである。これは本書においては特に「ソクラテスの死」が前面に出たためだろうか。またプラトンの、師の立場=『不知の自覚』を堅持すべきだという考えと、自説を語りたいという強い気持ちの葛藤のように見えるところが随所に見られるようにも思う。 『魂の不死』論証の大筋は、『魂』が『イデア』とともに論じられ、その結果として『魂の不死』が導かれるといった流れである。ただしソクラテス自身の『不知の自覚』が完全に放棄されたわけではなく、『もし私が言っていることが真実であるのなら、それに説得され信じることは立派なことだろう』とする一方で、それが間違いであったとしても『死を前にしたまさにこの時に、嘆き悲しむことで傍にいる君たちを不快にさせることは、より少なくなる』のであり、また『その知恵のない愚かさ』はすぐに消滅するのだから、と考えていることを告白している。ここで私が、ソクラテスの語りの時代に身を置いたと仮定して思いついた反論を述べておきたい。(1)『想起説』は「生前に魂はイデアに出会っていたこと」を証明するのではなく、人間の思考の型を示しているに過ぎないのではないか。(2)『イデア』による説明はトートロジーであり、説明としてはナンセンスである。例えば「美しいものは、美のイデアを分有するがゆえに美しいのだ」という説明は、「美しいものは、美しいゆえに美しいのだ」と主張するのと同じだ。しかしながらトートロジーはその定義上、常に正なので、対話者から「同意します」以外の返答が出ないとしても不思議ではない。(3)『イデア』という「不変の実在」を想定し、事物の生成変化について「イデアはそれ自身に相反するイデアは受け入れず事物から立ち去る」と説明したうえで、『魂』を『イデア』の側に等しいと考えることで、『魂』の『不死』と『不滅』を確保しているが、まず『イデア』を実在とすること自体が心もとなく、次に『魂』と『イデア』を等しいと考える論拠が示されていないように思う。 また『言論』による『魂の不死』論証が終了した後に、死後の世界の物語(ミュートス)が語られている。ここでは『知を愛し求める哲学によって十分に自らを浄め終えた者』の『魂』は、『彼(か)の世界』あるいは『上方の清浄な住処』に到達し、それ以後は『肉体から完全に離れて生きる』ことになるのだと描写される。まるでブッダの説く輪廻転生からの解脱であり、肉体蔑視ここに極まれるという気もする。ただしソクラテス自身はここでも『不知の自覚』の立場を、『私が詳述してきた通りであると断言するのは、分別のある者には相応しくない』と辛うじて守りつつ、しかし同時に、『魂』の不死が明らかである以上は『こうであるか、あるいはこのようなものであること』が『相応しいのであり、また、その通りだと考える人には敢えて冒険する価値があることだと私には思われる』と両義的な主張を行っている。しかし私には、『魂の不死』論証だけで十分なところを、わざわざこのような死後の世界の物語(ミュートス)を語ったのは、そうであってほしいという願望に過ぎないのではないか、それが『相応しい』とか『褒賞は美しく、希望は大きい』という言葉遣いに表れているのではないか、と思われた。 そしてソクラテスの刑死の場面では、その最期の言葉が非常に強い印象を残す。 『クリトンよ、ぼくたちはアスクレピオスの神様に鶏をお供えする借りがある。君たちはお返しをして、配慮を怠らないでくれ。』 これは「医学の神様に返礼品を捧げておいてくれ」という意味であるが、この言葉は同時代~現代に至るまで様々に議論されているらしい。私自身は、『パイドン』に見られる過度の肉体蔑視を読む限り、どうも肉体自身を『魂』を煩わせるという意味での病だと考え、それからの解放としての死を治癒だと考えていたのだと解釈したくなる。さらに想像力を逞しくすると、極めて多弁であった本論に比べ、この発言があまりに孤立して謎めいていることから思い浮かぶことがあった。もしかしたら、この最期の言葉はソクラテスが実際に発したものであり、プラトンはこの発言に哲学的意味を与えるために必要な言論を練り上げて『パイドン』全編を書いたのではないか…そんな推論さえ見えてくる。 訳者解説では、本書は『私たちがこの世界にあること、生きることの意味』の欠如に直面しながら『魂の存在を哲学する試み』であり、本書の『魂』概念は『私自身のあり方』や『私がある』といった哲学的難問を表現していると説明されるが、普通に読んでもそのような意味合いを見出すことは難しいと思う。しかし一方で『予期される喪失感と眼の前にある悲壮感をまったく感じさせないソクラテスの態度と言論は、この世界での生を超える視野を開いてくれる』というのは少し理解できる。それはおそらく、ソクラテスの個々の言論の正否よりも、死の間際まで善く生きることを実践しようとするその姿によるのだと思う。また贅沢を言えば、訳者による(注)は少し煩わしく感じてしまった。どうも訳者の解釈を上乗せされているような気分になり、話の流れが途切れてしまうのだ。もちろん、じゃあ(注)は読み飛ばせ、と言われればもっともである。

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    投稿日: 2025.10.27
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    ソクラテスの弁明に大変感銘を受けて、こちらも手に取った。正直に言って弁明の時の極めてロジカルなソクラテス像よりもまるで弁論術のような論理展開だし、死後の世界の描写には首を傾げざるを得なかった(弁明のソクラテスなら、知らないことは知らないと行ったであろうから)けど、魂の不死・不滅、ひいては人間の生きる意味に対して真っ向から取り組む姿はやはり胸を打つものがある。 しかし、論文としてよりもどうしても物語として読んでしまう自分としては、人間の俗の中でいつもソクラテスに寄りそうクリトンに一番グッと来ちゃうんだな、困ったことに。

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    投稿日: 2024.03.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    いよいよ処刑当日のソクラテスは、特に哲学者は死を恐れる必要はないのだと魂の不滅と輪廻転生を説く。その中で想起説やイデア論が本格的に論じられる。 先に読んだ「饗宴」とは打って変わって、正直すごく退屈に感じてしまった。話のほとんどがソクラテスの一方的な演説と弟子の「そのとおりです」という肯定だけの相槌で進んでいくのと、「反対」という謎概念がずっと幅を利かせているので話がなかなか頭に入ってこない。注と解説に助けられてなんとかついていける感じだけど、やっぱり議論が有効だとはあんまり思えなかった。研究者間でも否定的な意見が多いらしいけども。 魂の不滅という概念が現代にそぐわないという意見は私自身はどうでもよいが(別に哲学議論を現代の自分の生に役立てようと思ってプラトンを読んでいるわけではないから)、断定的に進む割にソクラテスの論立てに穴があるように思える方が気になる。むしろ最後の神話的な死後の魂の行く先の話などのほうが面白く感じた。

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    投稿日: 2023.12.02
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    ・ソクラテスは死なない。いや、彼の言論を信じるのなら、ソクラテスという生命を宿した肉体は埋葬され滅んでも、彼自身という「魂」は不死のままありつづけ、私たちと共に「知を愛し求める哲学」を遂行していると考えなければならない。

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    投稿日: 2023.04.27
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    哲学史の教科書でプラトンの教説とされているイデア論。 それをもっともまとまった形で示している著作。 ソクラテス最期の日、肉体と魂とが切り離される死の直前という舞台設定にふさわしく、 魂が対話の主題として扱われる。 「魂と肉体」という対比を軸として、思考と感覚、不変と変転、絶対と相対、イデアと事物、真の原因と自然学的な原因など、さまざまな対比が重ねられて語られる。 この対比によって、いわゆるイデア論が図式的に提示されている。 魂についての論証は、当時の自然学の知見を意識して行われているので、今日の我々にとっては説得的ではない。 また、対話相手の提示する話も、それを承けたソクラテスとのやり取りも、他のプラトンの中長編と比べると少し精彩を欠く印象を受ける。 中期プラトンの考察をもっとも整った形で受け取ることができ、 これを読まずしては他のプラトンの著述の理解も浅くなるかもしれない重要な著作ではあろう。 しかし、魅力的な論敵を欠き、プラトンの他の著述に含まれるような奥行きや豊かさを感じない議論に少し興醒めな読後感を覚えてしまった。

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    投稿日: 2022.06.01
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    これまでプラトンの著作を有名どころから色々読んできた上で、これがあのイデア論か!と思った後に、ついにソクラテスの死の場面が描かれて、なんだかショックを受けてしまった…。 論理展開は?と思うところや時代背景の違い、おそらく今よりもっと神話が思考と切り離せないくらい身近であったころということで、違和感があって、ついていけなかった。 小説的に読んでしまった。 残りの作品と国家論、解説書を読んでいきたい。

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    投稿日: 2022.01.27
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    ユングは「夢はあるがままの姿で、内的な真実を事実を表現する」(みすず書房 ユング夢分析論)と言っている。そしてプラトンで語られていることは、夢で捕らえようとすることと似た印象を受けた。 少し混乱。森の中。 他の訳も読んでみよう。 この本は注釈がちょっと自分には向かなかった。光文社古典新訳の他のではあまりこんな風に感じなくて、むしろいいなあと思っていただけに残念。 対話に参加するための注釈であるだけでない、注釈者の意図を持ったものが多くて。一度注釈に目を通してしまうと、思考が中断されてしまって本文に戻りにくかった。授業などでプラトンやソクラテスについて学ぶと言う目的には良いのかもしれないけども。

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    投稿日: 2021.07.22
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    「このようなことを呪い歌のように自分自身に謳い聞かせる必要があり、それゆえに、私はもう長いこと物語(ミュートス)を語ってきたのである。」p.114 「人間の言葉(ロゴス)は十全な真理に達するほど信頼できるものではありえない以上、哲学の探求は自己反省を加えながら、生ある限り続けられなければならない」p.313

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    投稿日: 2020.10.06