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幸福な監視国家・中国
幸福な監視国家・中国
梶谷懐、高口康太/NHK出版
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総合評価

36件)
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    筆者が描く、主に民間による個人信用データを活用した社会秩序維持・拡大による「幸福」の向上は、中国の経済成長が順調だった時代には当てはまるのだろう。 筆者は「天理」だか「徳」だかという現代中国に生き残っているかどうかもわからない概念に依存し、ある意味性善説に則り功利主義が全体最適に帰結するかのように説くが、コロナ禍の上海での人権弾圧や筆者も指摘するウイグル族に対する民族浄化、昨今の不動産バブル崩壊に端を発する経済停滞、政府による「国進民退」という民業圧迫、突発的無差別殺人などの社会不安に直面し、観光客が本邦で無作法に我が物顔で振る舞う彼の国に対して、筆者たちは何を書くのだろうか。

    0
    投稿日: 2024.11.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    途中で読むのやめました。 最初の方は中国の実情が書かれていて面白かったが、だんだん政治的な話や歴史的、思想的な話が増えてきて、自分の興味から逸れていってしまって、話が入ってこなくなってしまった。

    0
    投稿日: 2024.10.03
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    大多数の中国人は、監視カメラによる監視社会に怯えることなく幸福を享受して安穏と暮らしている!? 批判されがちなギグエコノミー(悲熟練労働者の超短期労働)も、中国ではもともとそういう働き方が普及していたという前提があると全然違うよね。やっぱりお国柄を踏まえた上でないと何事も批判できない。 人間を道徳的にスコア評価するというシステムは、たとえ紙の上でしかなくても恐ろしいディストピアだと思うんだけど…。 後半は難しくて理解しきれなかったのでまた読みたい。参考文献も多く、勉強になりそう。

    1
    投稿日: 2024.07.04
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    ◆「幸福な監視国家」中国の実像に迫る 「自国が正しい方向に向かっている」 94% 「テクノロジーを信頼している」 91% ともに中国国民の回答で世界一。 洗脳のせいではなく、いまやAIが社会に広く普及し、便利さを享受し実感しているからに他なりません。 そして個人管理の「社会信用システム」により「お行儀のいい社会」が生まれつつあります。 損得ばかりの合理性とテクノロジーが暴走する独裁国家中国の実態を明らかにした好著。

    0
    投稿日: 2024.05.09
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     伊藤計劃『ハーモニー』を読みながら思い出したので、改めて手に取る。中国におけるテクノロジーを用いた「監視社会化」の進展は、『1984』的な権威主義的全体性というよりは、ハックスリーの『すばらしき新世界』のイメージで捉える方が適切であり、主にデータを譲渡することと利便性の向上とのバーターが意識されているという意味で、データ資本主義とAI/ITを用いた統治をめぐる世界史的な同時性の文脈で理解すべき、という議論が展開されている。中国の事例を理解する上では、市民的公共性という問題意識の稀薄さという論点だけでなく、統治者に「徳」を求める儒教的な価値観の回帰という契機が重要だという記述も。

    0
    投稿日: 2023.09.13
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    2019年刊だが、そこからの変化が大きいと思われるのでより新しい本を探したい。何が起こっているのか、はざっと知識を得られるが、その背景や深い考察は十分には書かれていない。読み口の軽さになんだか不安を覚えるので次は研究書を読みたい。

    0
    投稿日: 2023.06.01
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    中国のインターネットによる監視の状態と生活を描いたものである。最後のウイグルについての記載はインターネットによる監視の説明が弱いような感じを受けた。  ただ、中国のネット監視の現状を考えるにはいいのかもしれない。

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    投稿日: 2023.01.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    EC、ギグエコノミー、信用スコアといった、中国におけるIT技術の活用方法や検閲・監視体制、さらに西欧とアジアにおける「市民社会」のあり方の違い、そして監視社会化が行き過ぎるとどうなるか、といったことを論じた本。 中国の監視社会を『一九八四年』的ディストピアと考えるのはミスリーディングである、というスタンスを本書は取っている。自由や個人情報を差し出すことで安全や利便性を得ていて、政府の電子化によって煩雑な手続きも省け、信用スコアを使えば銀行の融資を受けられるようになる人も増える。スコアを落とすと、高速鉄道のチケットが買えない、高級ホテルに泊まれないといった制限をされるが、法を守って普通に生活していればスコアが悪くなることはないとする。しかし、信用スコアを気にするがためにマナーが向上したり、政府による検閲・世論操作が巧妙に不可視化されたりと、やはりディストピア的印象はぬぐいきれない。 むしろ、こうした監視体制は中国だけのものではないというのがポイント。アマゾンの「おすすめ」なども、大企業や国家によって設計された枠のなかで嗜好や行動パターン誘導されているという意味では、程度の差こそあれ西側諸国および日本も変わりはない。(アルゴリズムによる審査の基準がわからないのも同様。) 西欧と中国(およびアジア)における監視社会に対するアプローチの違いは、「公」と「私」のあり方の違いがかかわってくる。 市民社会発祥の西欧では、私的利益を基盤に公共性が成り立っているため(公と民が一体になれる)、テクノロジーによる管理・統治システムに規制をかけることができる。 それに対して、中国を含むアジア的社会では、国家や政府が用意した公共性のもとで私的利益は外部におかれ否定される。公と民は一体になることはなく、統治システムの制御がはたせない。(国家主導で近代化をはたした日本も無縁ではない。) (徳のある人間が統治するという儒教思想も公共性を重視する一因になっている。「天理」を司る共産党の正しさの根拠に使われ、民衆が上部の政府に陳情するという習慣がいまだに続いている。) そして、制御のないテクノロジーの道具的合理性の行きついた先がウイグルにおける弾圧だ。監視テクノロジーを駆使した統治の「実験場」としての側面を持つ。 「テクノロジーの進展による「監視社会」化の進行は止めようのない動きであることを認めた上で、大企業や政府によるビッグデータの管理あるいは「監視」のあり方を市民(社会)がどのようにチェックするのか」(p.111) 「中国における「監視社会」化の進行を、欧米や日本におけるそれとはまったく異質な、おぞましいディストピアの到来として「他者化」してしまう短絡的な姿勢は厳に慎むべきでしょう。「監視社会」が現代社会において人々に受け入れられてきた背景が利便性・安全性と個人のプライバシーとのトレードオフにおいて、前者をより優先させる、功利主義的な姿勢にあるとしたら、中国におけるその受容と「西側先進諸国」におけるそれとの間に、明確に線を引くことはどう考えても困難だからです。」(p.167-168) 「中国において進む「監視社会」化を語る際に、中国を自分たちとは完全に異質な他者として扱い、その影響力を切断してしまえば、「われわれ」の社会のおぞましいディストピア化は防ぐことができるという考え方は有効ではなく、むしろ危険だと私が考えるのも、いままで述べてきたような現状認識があるからです。 それよりもむしろ、かの国で生じていることは、決して他人事ではなく、より大きな「近代的統治の揺らぎ」として、人類に共有されつつある今日的課題として捉えるべきなのではないでしょうか。」(p.207-208)

    0
    投稿日: 2022.10.02
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    信用スコアの話が印象的だった。 「信用スコアはちゃんとした人間かどうかしめすもの」というくだり、直感的に恐ろしいなと思ってしまったのだが、冷静に考えると自分は信用スコアはそんなにわるくならないだろうし、何が恐ろしいのか、という気もする。そうやって何も考えなくなり、政府の思うままに市民が動くようになる、それが恐ろしいことなのか。 会社でやっている読書会の課題図書。

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    投稿日: 2022.04.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    今中国では、アリババ、テンセント、ファーウェイといったIT企業が目覚ましい発展を遂げる一方で、中国政府は監視カメラの設置やIT企業に対する統制によって監視国家を形成しているようにみえる。デジタル社会の到来は、非常に大きな利便性をもたらす一方で監視社会を作り出している。そして中国の人々は、それを忌避するのではなく、むしろ歓迎しているのではないか?それは決して民主化が遅れているといった中国固有の問題ではなく、人類共通の課題なのではないか。筆者の問題提起はここにある。 香港への弾圧や台湾への強行姿勢、ウィグル族の強制収用などから、中国は権威主義的で民主化されていない国、というイメージが強い。そのため中国で行われている監視カメラによる監視やインターネットの統制について聞くと、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』の世界をダブらせてしまうことも多いようだ。しかし、むしろ“オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』が描く世界のほうによっぽど近い”と筆者は指摘する。 『すばらしい新世界』で描かれた世界では、“人々は煩わしい家族関係や、子育て、介護などから解放され、やりがいのある仕事を持ち、不特定のパートナーとの性的関係を含む享楽的な生活を謳歌して”おり、“人々が己の欲望のままに振る舞ったとしても、決してそのことで社会秩序が崩壊すること”はない。「安全」で「便利」な社会なのだ。 中国では、モバイル決済を運営するアリババやテンセントが提供する「信用スコア」が普及している。ネットショッピング、モバイル決済、ネットの人間関係、保有資産、学歴などのデータをもとにAIがスコアを算出する。このスコア基に融資の審査からその人の社会的信用までもが評価されている。一見不気味なようにも見えるが、このスコアを上げれば、学歴もなく大きな企業に勤めていない人でもお金を借りることができる。(日本では企業や役所などの組織に勤めていないフリーターはクレジット審査通過が難しくお金を借りることもできない。)行政の電子化も急速に進んでおり、かつては日本以上に数多の申請書が必要であったが、今では顔認証技術に基づいたスマホ・アプリだけで完結するようになり始めている。利便性は格段に向上している。監視カメラ網についても、犯罪の抑止、摘発に効果を示している。「安全」、「便利」さと「プライバシー」を天秤にかけ、「中国の消費者はプライバシーが保護されるという前提において、企業に個人データの利用を許し、それと引き換えに便利なサービスを得ることに積極的だ」と、検索サイト最大手百度の創業者であるロビン・リーは言う。“近年の中国社会、特に大都市は「お行儀がよくて予測可能な社会」になりつつある”。 新しいデジタル・テクノロジーが発展していくに従って「監視社会化」が進行することは不可避のように思える。それは日本も例外ではない。それではこの監視社会にどう対峙していけばよいのだろうか。 “テクノロジーの導入による社会の変化の方向性が望ましいことなのかどうかを、絶えず問い続ける姿勢をいかに維持するかということに尽きる”。これが筆者の結論である。 民族や宗教による紛争、気候温暖化などの環境問題、ますます加速するテクノロジーの進歩。多様な価値が鬩ぎ合い、答えが見つからない世の中で、むしろ人は誰かに決めてもらいたいと思っていることが多いのではないだろうか。議論によって正しい答えを導き出すよりも誰かにうまくコントロールしてほしいと願っているのではないだろうか。専門家ではないふつうの人々が、高度化するテクノロジーの中身と効果を確認し、その運用を決定していくには、相応の努力が必要であろう。

    0
    投稿日: 2022.03.14
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    終わりの部分はまさにその通りだと。気づかないから気づかれない、慣れてきたから慣れてしまった。「監視」という言葉自体の敏感度や解釈もどんどん変わっていく中で、かけがえのないもの、最後まで守り続けるレッドラインは一体どこでしょう。

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    投稿日: 2022.02.05
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    功利主義の章などちょっと難しいところもあったけど、監視国家化する世界について知ることができた。テクノロジーが一度進み始めると容易には止まらないので、せめてゆるくブレーキをかけて大きな事故にならないように気をつけることが必要なのかなと思ったり。

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    投稿日: 2021.06.07
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    冒頭の中国の監視システムの実情(出版から2年くらい経ってるので現在は進んでるだろうが)にズッコケるものの読み進めるとそれは逆に社会実装の速さの証左であり、中国の市民社会のルールの成り立ち方に裏付けされた現象であることだと分かる。

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    投稿日: 2021.05.09
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     闇の自己啓発にて課題図書として挙げられていた1冊。中国の監視システムとそのあり方について勉強できてオモシロかった。ファクトフルネス的なアプローチで、「中国の監視システムが人民を縛り付けているジョージ・オーウェルの「1984年」を彷彿とさせるディストピアだ!」という固定観念が柔らかく解きほぐされていく感じだった。自分の個人情報と引き換えに利便さや安心を手に入れることは日本を含み先進国では既に起こっている。(たとえば街中にある監視カメラなど)中国ではあらゆる履歴をビッグデータとして活用した、信用スコアに代表されるような情報活用が広がっている。中国では活用の程度が他国に比べて大幅に広がっているだけ。なぜそんなことになるかと言えば中国ではテクノロジーへの信頼性が高く、その理由として功利主義を挙げており、市民社会、道徳といった議論にまでリーチしている。このようなテクノロジーの背景の話が興味深かった。今のコロナ時代はまさに功利主義が重要視されるのでテクノロジーによる統治が拡張する機会なのだろう。AIが結論に至る過程がブラックボックスであるがゆえに「自発的な服従」と言われる行動を取るようになったり、そもそも社会のアーキテクチャ自体を服従させる設計にしたり。監視にとどまらず全体幸福を追い求める社会の実現はすぐそこなのかもしれない。  中盤くらいまでは中国での監視社会とテクノロジーの発展について解説してくれているものの終盤にかけては負の側面である監視による弾圧について。よくネットで話題になるウイグルの話だった。単純な暴力ではなく年密に弾圧しているところが想像の何倍もエグくて怖い。監視を通じて緩やかな罰も活用しつつ全体的には幸福で良い社会なのかもしれないが、こんな風に悪用して人を抑圧する可能性があるから人間はどこまでも信用できないなと思う。つまり人間の理性でブレーキかければいいと思ってもホロコーストと同様システム化されてしまうと止められない。単純な監視国家としての中国の状況に閉じないテクノロジーと人間のあり方を考えるにはうってつけの1冊。

    1
    投稿日: 2021.02.26
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    このレビューはネタバレを含みます。

    タイトルでは中国とあるが、どちらかというと識者の議論や考え方の紹介に中国の現状を交えて話すといった感じか。。 著者の二人共が中国の専門家であると認識しているので、何となく中国を養護したいのかなと思わなくもない。確かに世界的な潮流として、技術革新によって監視が効率的にできるようになったことから、どこの国でも遅かれ早かれ同じような方向に進む可能性はあるが、著者達も明記しているように、中国に関する大きな問題は、監視する側の利用方法にたいして人々が全く介入することが出来ず、使い方によっては非常に非人間的かつ暴力的な方向に向かい、そこにたいして抵抗する事が殆ど不可能になることだろう。 P.28 憲法学者の山本龍彦は、アリババ傘下のアンドフィナンシャル社が開発した「芝麻信用」を例に取りながら、民間企業がビッグデータを活用して開発した個人を対象とする「信用スコア」が社会に普及するにつれ、そこでネガティブな評価を受けた人々の活動範囲が次第に狭まっていき、階層が固定化される「バーチャル・スラム」という現象が生じる可能性がある、と警鐘を鳴らしています。 P.35 アリババが勝利した背景、それは「いかに中国人にとって使いやすいサービスを実現するか」という点で、イーベイとアマゾンを上回ったためです。(中略)「モノ軸のEC」の代表はアマゾンです。消費者はアマゾンのサイトでまず欲しい物を検索し、購入する商品を決めます。(中略)一方の「ヒト軸のEC」である淘宝は検索すると、まずショップが羅列されます。商品の標準化がされていないため、同じ商品でも別の名称で販売されていたり付属品が違っていたりするので、比較検討は容易ではありません。(中略)「モノ軸のEC」は自分で情報を入手し、商品を比較検討できるユーザーにとっては使い勝手がいいのですが、リテラシーの低いユーザーには使いこなせません。一方、「ヒト軸のEC」である淘宝などでは、信頼できるショップを見つければそこから買い続ければいいので、リテラシーが低い人でも使いやすいのです。(中略)「何を買うか」以上に、「誰から買うか」が重要な世界です。 P.103(ハーバード大学教授:ローレンス・レッシグ) レッシグは、市民の行動を規制するに、「法」「規範」「市場」「アーキテクチャ」という4つの手段があることを指摘します。このうち、最後の「アーキテクチャ」と通じた行動の規制とは、公園のベンチに仕切りを設けることによってホームレスの人々がそこに寝転がりにくくするなど、インフラや建造物等の物理的な設計を通じて、ある特定の行動を「できなくする」ことを指します。 P.105(ノーベル経済学者:リチャード・セイラー、憲法学者:キャス・サンスティーン) 「ナッジ」とはアマゾンなどのインターネットの購買サイトで過去の購買履歴や閲覧情報などにもとづいてAIが「お勧め」してkれるような「助言」をイメージするとわかりやすいかもしれません。ナッジが適切なものであれば、消費者がよりよいー自己の効用を高めるようなー消費行動を実現し、より幸福になる可能性が高まることを行動経済学や認知科学の知見を生かして主張したのがこの2人により『実践 行動経済学』という本です。(中略) 重要なのが、すべての選択肢と情報を考慮した上で合理的な判断を下す「エコノ(経済人)」と、限られた情報の下でしばしば非合理的な選択を行ってしまう「ヒューマン(普通の人)」の区別です。一般的に普通の人にとって「選択の自由」はそれほどありがたいものではありません。普通の人が「自由」に振る舞おうとしても、必ず感情や雰囲気、周りの人々の決定に左右されます。(中略) そこで政府がなすべきことは、よく寝られた制度設計によって普通の人の「選択しないという選択」をサポートすることだというのが、セイラーやサンスティーンの立場です。つまり直接的な所得の再分配や市場にゆがみを与える規制といった「大きな政府」を批判する「リバタリアニズム(自由至上主義)」の立場と、あくまでも食堂のメニューの並べ替えや、社会保障制度に加入する際のデフォルトのオプションを工夫することによって、より望ましい選択のインセンティブを与えようというパターナリズムの組み合わせが、彼らが依拠する「リバタリアン・パターナリズム」の立場だと言っていいでしょう。 P.134(中国の微博の信用スコアに関して) 通常は7日ごとに1点づつ回復するのですが、「祖国を宿あいすることを栄光とし、祖国に害を与えることを恥とする」といった定型文をつぶやくと、回復期間が1日短縮されます。これを「一日一善機能」と言うのですが、不適切な発言をしたユーザーに一転して、プロパガンダ的な書き込みをさせようとする仕組みです。さらに不適切発言を見つけて通報すると、1点回復するという仕組みもあります。摘発された側が今度は摘発する側に回るわけです。 P.158(明清朝の中国法制度史の専門家:寺田浩明) 寺田は、研究の集大成である『中国法制史』の中でh、中国において法概念というものが「公論としての法」として規定できる、と述べています。 「公論としての法」というのは、西洋期限の「ルールとしての法」に対比される形で理解されるものです。後者は、普遍的なルールが抽象された形で存在しており、それが個別案件に強制的に適応されていく、というロジックによって組み立てられています。それによって法秩序というものが形成されていく、そのプロセスが「ルールとしての法」の特徴だ、というわけです。 それに対して前者の「公論としての法」では、あくまで個別条件において、「公平な裁き」を実現していくことが重視されます。ここで言う「公平な裁き」は、案件ごとに異なる個別の事情や社会情勢を考慮して始めて実現されるものです。したがって、それらの事情・情理を考慮せず、機械的にルール=法を適応することは、むしろ否定の対象になります。だからこそ、そういった「公平な裁き」を実現できるのは、教養を積んで人格的にも優れている一部の人だけだ、となるわけです。 P.193 AIが意思決定を行う際のアルゴリズムがブラックボックス化して、「利用者が自分でもよくわからない理由」により、スコアづけされたり、行動が制限されたりする、という問題です。これは、これまでもディストピア小説で繰り返し描かれてきたような問題ですが、それだけ私たちは「わけのわからない理由」によって自分たちの行動が制限され、決められてしまうことに本能的に警戒心を持っている、と言えそうです。

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    投稿日: 2021.02.14
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    この本に手を伸ばしたきっかけであり、読書前に抱いていた疑問でもある「中国国民は一体どのような価値観でもって、この監視社会化を受け入れているのか」という問いに対する答えが納得のいく形で得られた。 ・儒教的価値観(一部の教養があり、徳を積んだ者のみが天理に従って統治する資格をもつ) ・市民公共性が土台や受皿が無いこと(公権力や大企業によるデータの収集や活用方法に対して開示を求めたり、監視する力が働きにくい) 以上が印象に残ったのと、キーワードなのかなと思った。

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    投稿日: 2020.12.18
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    中国の状況が一掴みできるとともに、日本では同じようにできないなあと思わせる。情報を得るならば消費者に還元すべきであるという考えはもっとも。 中国が嫌いな国は多いけども、中国がいないと成り立たない国も多いため考えを理解することは大事なことであると再実感した。

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    投稿日: 2020.09.23
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    読了直後に書いたのが消えてしまった。今となってはかなり忘れているけど、国民が気づかない形で監視国家のシステムを作ってしまえば国民は特に不満もなく、むしろ便利さを喜ぶ社会になっているとか。日本もいずれそうなるかと思うと怖い。このままではまずい。新疆ウイグル自治区の収容所には知識人も多数入れられていて、現況を外部に伝える人がいなくなっているとも。中国はこのまま進んでしまうんだろうか。怖すぎる。

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    投稿日: 2020.07.15
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    本書は昨年(2019年)の8月に刊行されてから、大変話題になり、かつ其の後起きたコロナ禍への中国の対応/管理手法の一つとして個人情報を国が使って監視したことから、さらに注目された本だ。 これについては否定的な視点はありつつも、実は昨今(特にコロナ禍以降)の日本においても、このような手法を肯定的に捉える風潮が強まり始めていることは、政治を司るもののみならず、国民の側にもメリットがあるわけであって、その点を、中国ではどのように捉えられているのか?ということを理解しなければ、この『幸福な監視社会・中国』というテーマを理解したことにはならない。むしろ、この点こそが『幸福な』と付く理由であり、中国に限った話ではないことを物語っており、これこそが、本書の優れて今日的な評価を高めている理由だと、私は理解している。 さて、本書の主題である"国家による個人情報の監視システム"については、正確に(中国で)何が為されているのか?を把握している人は少ない、と著者は説く。 それは、我々読者側が持っている「先入観」による視界の歪み、正確な情報の欠乏、及び、システムの実装のスピードがあまりに早くて専門家でさえ状況を追い切れていない、などがあると言う。 最初に挙げた「先入観」は、『中国の社会体制が普遍的人権や議会制民主主義、法の支配と立憲主義といったいわゆる「普遍的価値」にもとづくものとは根本的に異なるため、変化の激しいテクノロジー、特に「監視社会」に関係するそれが、一体どう使われるかわからないという「不確実性」に対する漠然とした恐れ(p.18)』が、我々に先入観を持たせてしまっており、かつ、昨今議論されている『中国のような権威主義的な国家こそ、これからのAI+ビックデータの時代で覇権を握るだろう、という言説がそれなりの説得力を持って展開それ始めていること(p.18)』もそれらを補強し、さらにコロナ禍で中国政府が見せた"鮮やかな情報管理"が、それらを確信に近いものとして多くの人に印象付けたと言えるだろう。 第6章:幸福な監視国家のゆくえ”にて「功利主義(こうりしゅぎ : utilitarianism)」というキーワードを取り上げている点に、私は非常に妙着した。 この「功利主義」、『行為や制度の社会的な望ましさは、その結果として生じる効用(功利、有用性、英: utility)によって決定されるとする考え方 (Wikipediaより引用)』とあるが、これを別の言い方をすると「最大多数の最大幸福」というベンサムの命題があるが、この考え方は、特にビジネスパーソンにとっては親和性が高く、また、本書の主題である「監視社会」とも親和性が高いということは、次の一節の引用で十二分にご理解頂けると思う。 --- つまり、個人の属性や行動パターンによって反社会的行動を取りそうな人たちに対しては、あらかじめ行動の自由を奪っておくことが、違法行為を犯して刑務所に入れられる可能性を減らすので、むしろその人たちのためになる、というわけです。(p.172) --- そして”第7章:道具的合理性が暴走するとき”において、この仕組を最大限生かしている事例として、現在も中国政府が世界各国から非難を浴びている、新疆ウイグル自治区における再教育キャンプの実態について取り上げている。 これは、ウイグル族住民の個人情報のみならず、生体情報(DNAや虹彩のデータ、話し声や歩き方)まで収集して監視網を強化し、かつ、再教育キャンプにて思想矯正を行うという、「現代の民族浄化」とでもいうべき実態について挙げた上で、これら監視システムの道具としての合理性を突き詰めていくと、こういう”暴走”ともいうべき人権無視の状態が生じることに警鐘を鳴らす。 このように否定的な視点はありつつも、実は昨今(特にコロナ禍以降)の日本においても、このような「功利主義」と「監視社会」を肯定的に捉える風潮が強まり始めていることこそが、本書の書名に『幸福な』と付く理由である、と、私は解釈している。 本書には、結論は無く、以下のまとめの言葉がある。 --- これらを踏まえた上で、私達はどのようにすればよいのでしょうか。月並みかもしれませんが、やはり重要なのは、テクノロジーの導入による社会の変化の方向性が望ましいことなのかどうかを、絶えず問い続ける姿勢をいかに維持するかということに尽きると思います。(p.239) --- 本書を読んで語りたいことは多々あるが、この中国の監視システムを「気持ちが悪い」と言いながらも、その基盤があって生ずる便益を羨望(せんぼう)する私達自身が、果たしてどのような社会を望むのか?という問いを投げかけられているのだ、と私は理解する。 そして、このようなテクノロジーの発展というものについては、『確かにテクノロジーを敵視して、その導入を拒むのは「ラッダイト運動」(産業革命期のイギリスで起こった機械の破壊運動)の頃から繰り返されてきたことであり、同じことは監視技術の導入についても言えるでしょう。(p.239)』と喝破している。 そうなのだ、我々は、いずれこれらを、喜んで受け入れていくのだ。今持っているこれら社会システムへの嫌悪感を忘却した上で。

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    投稿日: 2020.07.01
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    信用スコアをベースとした個人格付や優遇/罰則処置など、テクノロジーによる中国の監視社会化が進展している事を見聞きする際、私はどうも嫌悪感・恐怖心を抱きがちであった。 一方、中国国内において、個人データを提供することで得られるサービス・便益を考えれば、真っ当な生活を送っている大多数の人民にとっては、むしろ喜ばしい事であると捉えられているという。 なるほど確かに中国のコロナ対策において、市民の能動的な個人位置情報の提供が(対ウイルス隔離の意味では)奏功した点は、記憶に新しい。 さらに中国の様に、普遍的なルールとしての法整備が未熟な国家においては、信用スコア等の「道徳的基準」を通じて、非道徳的な行為に対して緩やかな制裁(例えば高速鉄道に乗れない等)を加えることが、市民生活をより良い方向へ導いていくと考えることもできるという。 しかし、どの様な行動がどの様なセグメント(例えばスコア付与)に分類されるのか等のアルゴリズムは複雑であり、技術の進歩と共に一層ブラックボックス化することで、一部の管理者階層が情報を支配する、即ち市民が便益と引き換えに知らずのうちに自由を奪われる管理支配下に置かれてしまうような社会にもなり得る。(例:新疆ウイグル自治区の弾圧) これは中国のみならず、どの様な社会でも起き得る事態であるが、そうならないためには、市民がシステムをいかに監視するか/出来るかが重要。 こうした課題を孕みながらも、既に我々日本人もAmazonなりキャッシュレス決済なりを通じて、個人データ提供による便益を少なからず享受している中において、データ提供による利便性追求は今後も進展していく可能性が高い。産業革命期、自分達の仕事を奪った機械を破壊したラッダイト運動が起きた時の様に、我々の自由を奪う脅威のデータ社会に対する嫌悪感を示す人々が出てきたとしても、人間が利便性を追求する生き物である限り、もう昔の社会には戻れない。 テクノロジー先進国である中国で起きている実態からしっかりと学び、データテクノロジーを日本社会にどの様に統合し、市民による監視の仕組みを作り上げていくか、市民として考えていかなければならないと感じた。

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    投稿日: 2020.05.11
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    梶谷懐(1970年~/現代中国経済論を専門とする経済学者/神戸大学大学院経済学研究科教授)と、高口康太(1976年~/中国の社会、ネット事情などに精通するライター、翻訳者、リサーチャー)による共著。 私は仕事柄、何人かの中国人の友人を持っているが、彼らとの連絡にはLINEは使えず、Wechatを使用しているし、中国に出張した際に(専用のアプリがなければ)GoogleもFacebookも使えないことは経験しており、中国の情報・通信統制には以前より関心を持っていたが、今般の新型コロナウイルス感染が中国・武漢で確認された当初、街頭でTVのインタビューを受けた若い中国人女性が「中国では、人びとの行動を監視してくれているから安心だ」とコメントしていたことに改めて衝撃を受け、本書を手に取った。 本書では、冒頭で、中国においては、現実世界でもインターネット上でもすべてが政府に筒抜けであるにもかかわらず、ほとんどの中国人がそれに不満を抱いていないどころか、現状を肯定的に見ていると書かれているのだが、実は、それは必ずしも、共産党独裁によって洗脳されているという理由だけではないとして、実際に中国で起こっている監視社会の実態が明らかにされ、更に、その監視社会は、今後日本を含む民主主義の国々でも直面する問題であると警鐘を鳴らしている。 主旨は概ね以下である。 ◆中国の人びとは、企業や政府に個人情報を提供し、それと引き換えに便利なサービスを得てきた。 ◆統治のための様々なテクノロジー(監視カメラなど)や、社会的に望ましい行いに対する動機付けを提供する「信用スコア」システムなどの浸透により、近年の中国社会は「お行儀がよくて予測可能な社会」なりつつある。 ◆現在中国では、政府や企業がビッグデータに基づいて、「このように振る舞えば幸福になりますよ」というナッジやアーキテクチャ(人間の行為を制約したりある方向へ誘導したりするようなウェブなどの構造)を提供し、その言論統制は不可視化され、多くの人びとはそれに気付かなくなり、また、一般市民が自発的に反政府的な発言を控えるような形のものに進化しつつある。 ◆監視社会を受容する背景が、利便性・安全性と個人のプライバシーとのトレードオフにおいて、前者を後者より優先させるという姿勢にあるとすれば、それは「功利主義」にほかならず、中国と西欧諸国の間に明確に線を引くことはできない。 ◆今後、功利主義に基づいて道徳的判断の根拠が人間によるものからAIによるものに置き換わっていくとすると、アルゴリズムによる統治(人間の支配)が進む可能性があり極めて危険である。人間による「市民社会」が、それらを監視・チェックしなくてはならない。 ◆現代の監視社会について考えることは、進化を止めることなないAIなどの新しいテクノロジーを、私たちの社会においてどう使いこなすかを考えることにほかならない。テクノロジーに意味を与えるのは人間であり、社会なのである。 中国の監視社会の現状分析を通して、進化するテクノロジーに対して我々はどう向き合うべきなのかを示唆する力作と思う。 (2020年3月了)

    0
    投稿日: 2020.03.29
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    中国で監視の仕組みがそれほど抵抗なく受け入れられているという説明があったがそれは利便性が高まるためであり(功利主義の追求)、罰則規定もそれほど厳しいものではないからのようだ。 一方で新疆ウイグル自治区では監視が宗教、文化に対する弾圧手段として使われている。この二面性は無視できない問題。 日本もいずれ中国のような監視社会に移行する可能性は十分あるし、治安維持、個人情報の管理という意味では現在の内閣は強力な権限をすでに持っている。

    1
    投稿日: 2020.03.20
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    中国の監視社会について、外部のイメージと実態との解離を分かり訳す解説している良書。監視社会は日本を含む民主主義国家と異質なものではなく、その延長上にあるものもしれない…ということがよく理解できた。 作中でも言及された「1984」と「すばらしい新世界」に加え、PAYCHO-PASSを観ると更に楽しめると思う。

    0
    投稿日: 2020.02.18
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    ある時期を境に中国、特に上海や深圳といった経済都市の犯罪は減少し中国人のマナーが劇的によくなった(たぶん今や日本人のマナーのほうが悪い)。テクノロジー&経済大国となった中国を「独裁国家」で紋切りしてしまうことに前々から違和感を感じていた。その理由が監視社会の「光」に焦点を当てた本書でクリアになった。 強力な一党体制と圧倒的な内需型経済を有す超巨大実験場の中華人民共和国は、アリババやテンセントが先導したIT革命によって一気に超先進国に躍り出た。リバタリアン・パターナリズムに基づくアルゴリズム的公共性は計画経済の進化系といえよう。そして功利主義のもと、『1984』的ディストピアではない、国民が幸福な社会が実現されるのであれば、民主主義の限界を叫ぶ我々がどうして批判出来よう。 他方で新疆ウイグル自治区に対する中国政府のパターナリズムという従来懸念された動きも見せる。右傾化する世界経済のなかこうした動きは緩慢な迫害をもたらす危険な動きといえる。何を「功利」とするか、誰が基準で、どう判断するか。道徳の画一性が本当に幸せの答えなのか。中国は共産主義の新たなる形ではあるが、民主主義の新たなる形になるにはまだまだ課題が多そうだ。 「イノベーションのジレンマ」の後発優位を生かし、いまやAI技術大国となった中国の光と影を描いた良書である。

    1
    投稿日: 2020.02.18
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    そろそろSFが現実になりつつある中、中国が取り組んでいる先進的すぎる取り組みを紹介する本です。 思ったのは、技術が出てきてから実戦投入されるまでの間がとにかく短いということ。これは日本は負けかねない、と危機感を抱きましたが、もはや日本は日本で勝てるフィールドに特化した方が良いのでしょうか…。 しかし、そろそろSFをもっとマジメに読まなきゃかも…と思いました。「1984年」も「すばらしい新世界」も、こういう様々な本で触れるのでざっくりしたイメージが頭の中で生まれつつあるのですが、逆に危険ですね。正直、今のところどちらも大差ないと思っていて、それゆえ本著の「いや、ビッグブラザーじゃないんだよ!」というのはあまりピンと来ていないのですが。 具体的なところで、芝麻信用の「よくわからないシステム」によって行動が評価されて(中略)人々はいわゆる「自発的な服従」と言われる行動をとるように…というくだり、PayPayの青バッジと同じですね。なんでバッジが取れるのかわからないからYahooのなんちゃら会員になってみる、とか。 こういうパノプティコン的な「黒い」マーケティングが、民主主義国家においても今後増えていくのでしょうか。 新書なので読みやすいかと思ったのですが、第5章と第6章の読みづらさが凄い。共著者のジャーナリストが書いたカジュアルな感じの第4章からの変化度合いといったら…同じ経済学者の著者でも第1章や第7章ではそんな印象は抱かなかったので、論文が出典なんでしょうか(そんな訳はないと思うけど)。 情報の鮮度を考えると、早く読んだ方がいい1冊なのかも。

    9
    投稿日: 2020.01.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

    面白かった。 監視され、政府から抑圧される中国人は不幸に違いないというある種の思い込みに対し一石を投ずる本。 功利主義的には監視国家化は政府のためではなく、国民の幸福を求めた結果とも言える。 これを読むと、中国政府のほうが、政権維持のために公文書改ざんや定義変更を行う日本より、よっぽど国民のための政治をしているんじゃないかと感じざるを得ない。 少なくとも一貫性を持った合理的な政治をしており、今後ますます中国は巨大化していくであろうと想像できる。 中国において国内ECが隆盛したのは政府の規制によるものかと思っていたが、中国市場にマッチしたものを作り上げられたからだと考えを改められた。 中国において「モノ」より「誰から」が重要であり、モノに対する評価より「売り手」に対する評価の重要視されるとのことだった。 日本人は売り手を無条件に信用しがちだが、Amazonレビューや食べログへの不信が募ってる現状を見るに、今後はそちらに進んでいくかもしれない。 一方で、西洋的な価値観がやはり正しいのではと思う自分も捨てきれない。 損得勘定を基にした道徳観では、あらゆることをルール化しなければならなくなる。 逆説的に「ルールの範囲内なら何しても良い」こととなり、変化の早い社会に対応していけるのか疑問である。 ただ日本社会の方向性として、今後どんどん監視国家化していくと推測する。 あとを追うものとして、今後の中国の思想史・社会問題に注目し、同じ地雷を踏まないようにしていきたい。

    1
    投稿日: 2020.01.07
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    以前、中国に行ったとき、空港からホテルに向かったタクシーの中に財布を忘れてしまったことがあった。ホテルの人に伝えたところ、すぐにビデオをチェックすると言って確認をしてもらった。結局夜なのでナンバーが見えなかったということだったのだけれども。その後、警察に行ったとき、当たり前のようにテレビのモニタで空港の様子を見て探そうとしていた。結局、見つからなかったが、ビデオで見られているということが全く当然のことと認知されていることに少し驚いた。 この本で書かれているように、現実世界では監視カメラやWeChat payやAlipayなどのスーパーアプリを通して行動を把握され、もちろんインターネットでもその行動が監視されている中国社会において、中国人はそのことに不満を抱いていないということなのである。国際的なアンケートによると、自国の進んでいる方向が正しい方向に向かっているかという質問に対して中国は94%がYESと答え、平均の58%を大きく上回り、またテクノロジーを信用するかどうかという質問に対して91%が信頼する(日本は66%)と答えている。「幸福な監視社国家」においては、人による監視社会よりもAIなどのテクノロジーによる管理社会の方が公平で望ましいと考えているのかもしれない。典型的な例を挙げると、芝麻信用の個人信用スコアが広く使われるようになることで、結果的に自発的に行儀のよい行動をするようになっているという。そして、それは情報を取られてはいるが、悪いことではないと考えつつあるのだ。 ユヴァル・ノア・ハラリのベストセラー『ホモ・デウス』において、「人間至上主義」の世界が終わり、「データ至上主義」の世界が始まるのかもしれないと告げた。今の中国が進む道は奇妙にそのイメージに沿っている。ユヴァル・ノア・ハラリも、「データ至上主義」を語るときに、米国よりも中国をこそ想定していたとしても、それほどおかしい話ではない。これまでは情報を管理する上で分散機構が優位に働き、共産主義圏に対して自由主義圏が経済上圧倒的な勝利を収めることになったのだが、IT技術の進展によって情報の集中管理が分散管理に対して優位に立つことになり、独裁的集権国家(独裁者は人ではなく、AIによる判断であってもよい)に分がよくなりつつあるのかもしれない。 「「監視社会」をめぐる対立は、じつは「現時点における気持ちの悪さ」を強調する立場と、将来における気持ちの悪さの消滅(=慣れ)」の蓋然性の高さを強調する立場との対立として理解できるのかもしれません」 と著者は言う。そして、日本では後者が勝利をしてきた、とも。果たしてそうだろうか。日本という国において、人は流されやすいが、変化することにも及び腰であるように思う。 中国と日本の違いとして、特に上海や北京などの都市部では、いまやどこでも現金は必要なく、WeChatなどのスーパーアプリだけですべて用が足りるようになっている。食事もアプリで頼んで配達してもらうことがとても当たり前になっている。それはとても便利な体験なのだ。そして、そのときわたしのデータはすべて取られているのだ。そして、さらに次の体験は向上する。 中国が将来を先取りする超先進国家なのか、自由に逆行する国家なのか、その答えはそんなに遠くない将来に出るのかもしれない。

    5
    投稿日: 2019.12.22
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    中国の現状(もう、少し遅れているかもしれないが)を知るだけでなく、社会の中で、「監視」、「テクノロジー」をどう使うのか、それが、市民社会の中にどう位置づけるべきか。考えさせられる本。功利主義のための監視社会。日本には、スゴイ馴染んでしまいそうで、怖いなぁ。

    0
    投稿日: 2019.12.08
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    儒教国という特殊な環境があるとしても、功利主義を進めていけば自然に行き着く社会と思う テロという少人数による大量殺人が容易になった社会においては、疑わしきは罰せずという原則はすでに崩れつつある さらに功利主義者にいわせれば、殺人が疑われる人間が次の殺人を犯すリスクと、無実の人間を罰するリスクの天秤で今の法があったわけで、一人が大量に殺せるならせめて釈放はリスクが高いということになると思う 監視が進んで犯罪が減少することで逆に犯罪予備軍の人の人権が守られるとかかなり奥深い話だと思う 今後急激なテクノロジーの進化で直面する功利主義を根拠とする管理社会にどう対応していくかが大きなか課題と感じた

    1
    投稿日: 2019.11.22
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    「監視社会」をめぐる対立 ・「現時点における気持ちの悪さ」⇔「将来における気持ち悪さの消滅(=慣れ)」 ・後者にしても、一定の時間や手続きといったものが必要だという事実と矛盾はしない ・「幸福な監視国家(社会)」の本質は、「最大多数の最大幸福」の実現のため、その手段として人々の監視を行う国家(社会)、ということになる。 ・伝統中国:「公論としての法」、「徳」による社会秩序の形成

    1
    投稿日: 2019.11.20
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    引用で興味を惹かれた本: 「1984」オーウェル・ジョージ 「すばらしい新世界」ハクスリー・オルダス 「ホモデウス」 ユヴァル・ノア・ハラリ 「セレモニー」王力雄

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    投稿日: 2019.10.05
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    中国出張を前に、存在を知り購入。 前半の様々なサービスに関する話が、個人的にかなり興味をそそられた。中国の方も、プライバシーは保護されて欲しいと思っている、その上で利便性を享受したいという考えを持っているという点は、とかくプライバシーが無いといった言われ方をする中国に関して新たな視点を得られたと思う。 後半は少々難しく感じたのが正直なところ。

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    投稿日: 2019.09.28
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    キャッシュレスが進んでいるとか、監視カメラがすごいとか、アネクドータルにはいろいろ聞く中国で進行する「監視国家」化の実像(もともとギグエコノミー的な働き方の人が多かったとか、意外とソフトな形をとる検閲とか)をわかりやすく伝える。それだけではなく、その動きをマクロな歴史や社会観の中に位置づけようとするなかなか野心的な新書。功利主義だなんて言葉、高校生の頃に倫理の授業で勉強して以来かも。中国で起きていることが他の国々とも無縁ではないことを語る一方で、中国の独自性も整理してくれる。 あとウイグルのケースは正真正銘のディストピアで、その危険性は無視できない。 ふとした思いつき。。。。 見ようによっては、現代の都市における非常に匿名性の高い生活のほうが逆に歴史的には例外の時期であって、「監視国家」は規模こそ違えムラ社会のころの生活の先祖返り的な側面もあるのでは?

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    投稿日: 2019.09.12
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「こういう本は今の日本では売れないだろうなぁ・・」と「こういう本が出版される間はまだ大丈夫かなぁ・・・」というのが、本書を読み進める時に感じた最初の感想だった。 世の中に数多ある中国すげー本でもなければ、中国はもうすぐ破滅する的な本とも違う、中国で現在進行形の事象と、その現象を進めることが可能になる(ルールや主体ではない)原理を読み解こうという本書は決して多くのターゲットに刺さるものではないだろう。著者の一人である高口さんが担当されている部分では中国の最新事例を楽しむ読む人間はそれなりにいるだろうが、そういった人たちが梶谷先生の部分を噛み締めて読むというのは、あまり想像が出来ない。 難しいし、目の前のビジネスにはあまり関係がないからだ。 しかしながら、中国の為政者・・・というか、法的な対応を検討したり、政策を立案したりする国家と党のエリート層は、必ずこういった思想的な議論を行なっているであろうと、僕は確信している。権力という意味においてエリートである彼らは、同時に知的なエリートであり、どのようにして中国という国家を舵取りすべきかということに対して、常に高度な論理性と世界中の過去から学んだエッセンスを適用しているはずなのだ。こんな難しいこと考えているわけないよ・・・ともし感じるのであれば、あるいは日本の政治を見てそう思うのであれば、それは自らの劣った基準で物事を理解しようとしているからに他ならない。

    0
    投稿日: 2019.08.20
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    世界で最もデジタルテクノロジーのトライ&エラーを高速で繰り返し、それを経済成長の根底に据えることに成功している中国。昨今の”中国イノベーション論”に代表されるように、日本を始めとする先進国は中国に学ぶべき、という一面的な論説も多々見かけるようになってきた。 一方で視線を大都市からウイグルに向ければ、そこには中国共産党による政治弾圧が行われ、デジタルテクノロジーが弾圧を容易にしているという暗部があるのも事実である。そしてその暗部は徐々に香港へと向けられようとしている。 こうした二面性のある中国をどのように理解すればよいのか。本書では中国を長年研究してきた経済学者と、中国で今起こっているデジタルテクノロジーの動向に精通したジャーナリストの共著という形で、極めてバランス感に溢れた中国の実態を描き出すことに成功している。 本書では、中国における民主主義の意味合いとして、西欧社会で主に用いられる”政治的権利の平等”よりも、”経済的平等”の二種類が存在することが提示される。その上で、後者においては儒教的価値観から、強く正しい権力者に対してパターナリスティックな庇護を民衆が要請することが常であり、現在の中国の監視カメラやパーソナルデータの流通は、そうした観点から民衆にとって合理的なものとして映っているとされる。タイトルの「幸福な監視社会」とは、まさにそうした姿を明示している。 政治・経済の歴史を踏まえて、現代の中国のデジタルテクノロジーの実態を理解できる一冊として、非常に面白く有益。

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    投稿日: 2019.08.17
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    中国における技術の発展とプライバシーについては、「独裁」「社会主義」がもたらしたものだという見方で語られることが多い。 本書ではそういった視点からは距離を置き、今日の発展は決して独裁による強制的なものではないことを示す。 一方で独裁政権による歪についても語られ、あくまでフラットに物事を捉えようというポリシーを感じる。 ジョージ・オーウェルやハクスリーの著作を引用した比喩はイメージをつかむのに一役買ってくれた。

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    投稿日: 2019.08.14