
総合評価
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powered by ブクログ「中学生の質問箱」シリーズとのことだが、大人向けの入門書という扱いでちょうど良いのではないか。精神医学の基礎的な内容が、専門家じゃない一般読者にわかりやすく解説されている。
2投稿日: 2025.10.18
powered by ブクログ平易な言葉で、広く深く考え抜かれた事を説明している。 専門家に見られがちな上から目線もなく、臨床にも参考になる
0投稿日: 2025.08.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
松本卓也「心の病気ってなんだろう?」 ☆心の病気の人に対して、「客観」だけを重視してもあまりいいことはありません。 患者さんが「幻覚があって苦しい」言っているときに、治療者(精神科医やカウンセラー)が「客観的に見てそんなものはありません」と言っても、その患者さんはもうその治療者のところに来なくなるだけです。 さらに言えば、いつも「客観」が正しくて「主観」が間違っているとは考えないほうがいいと思います。心の病気では、客観と主観が対立することがありますが、主観のほうにも、しっかりしたリアリティがあるのです。ちゃんとそれぞれの患者さんの「主観」が重視されなくてはいけません。 そしてここで問題になるのは、医師やカウンセラーは患者さんの主観をどのようにしてわかるのか?ということです。まさにこの「ほかの人の主観をどうやったらわかるのか?」ということを精神医学は考えてきました。 1つ目は、「了解(わかる)」です。これは目の前の患者さんの立場になってみる(想像による 追体験)という方法です。 2つ目は、自分と他人を分けないことです。人と人の、そのあいだで共有される空気のようなものがそれです。「間主観性」と呼ばれます。 3つ目は、「転移」と言われる心理分析という理論の中でのわかり方です。患者さんが、カウンセラーに対して抱く、ままならない気持ちのことです。 逆に治療者側が、患者さんに対してイライラしたりすることは「逆転移」と呼ばれます。 「強迫症」や「摂食障害」の患者さんの主観では、世界は綺麗なものとそうでない世界に分かれています。そしてそうでない世界をなんとかしなければと奮闘をつづけてしまうことを、自ら辞めることができません。患者さんの心のなかの世界から「逆転移」が起こり、周囲の人は知らずしらずのうちに不安や焦りに飲み込まれていたわけです。 治療者は、患者さんの生活とは何も関係のない第三者でないと務まりません。家庭や職場で何かしらの関係をすでにもっている人は、私情が混じってしまうし、「良い形になってほしい」と圧力をかけてしまいがちだからです。 どんな障害をもっていても、自分のしたいように生きることを制限されてはならない。それが基本的人権という考え方です。 患者さんにとって何が正しいのか、こちらが一方的に決めることは、たくさんの悲惨な歴史を生み出してきました。いっけん「やさしい気持ち」や「善意」をもって考えているようではありますが、やはり自由を奪っているのです。 この原則は、患者さんのみならず治療者をも救済することになるはずです。 心の病気の治療において本当に大事なのは、患者さん本人が「自身の主観が変えていく」ことにあります。診察室という、とても特殊で人工的な空間のなかで、患者さん本人が自分の主観的なことがらをそのまま話し、その表現が治療者にちゃんと聞き取られていく。そういう体験で、人は変わっていきます。変わる余地を確保するということ。それが大事なんです。このような治療の枠組みとなる条件のことを「治療構造」と言います。 ☆体の病気の場合は、「対象化」=「客観化」することによって治療(操作)できるようになるのに対して、心の病気の場合は、主観的なものを主観的なまま扱うことによって治療を行う。これが、心の病気と体の病気の大きな違いです。 1793年、医師のフィリップ・ピネルが精神医学を始めてから、近代精神医学には、たかだか200年ちょっとの歴史しかありません。 今のように薬物治療がなかった時代、ショック療法が試みられていました。「電気ショック療法」は、1938年にイタリアで発明された治療法が原型で頭の両側から交流電流を流します。すると痙攣が起こって意識を失います。その状態から回復すると、病気がよくなっている、という治療法でした。一定の効果を得ていたことから、1980年代に復活しました。今は麻酔を行うようにして「修正型電気けいれん療法」と呼ばれます。 脳だけで説明する立場が何を取り逃がしているかというと、それは「主観」です。患者の主体的な部分を取り逃がしているのです。社会だけで説明して考える「社会モデル」ばかりを問題にすることによって、それぞれの患者さんの個別の困りごとの特徴を見なくなってしまいがちであり、その結果として「主観」を取り逃がしてしまうことになります。 日本でも20世紀の終盤まで心の病気の患者さんに対して「隔離収容政策」を行っていました。現在とは違い、精神科にかかるということは、入院するということとほぼ同じことでした。それも多くの場合でかなり長期間入院することがふつうであり、むしろ長期間「隔離収容」しておくことが良いとされてしまっていたのです。社会復帰を重視していなかったなごりで、精神病棟のある全国の病院で50年以上入院している患者さんの数は、少なくとも1773人いることが明らかになっています。 ★「統合失調症」は、だいたいどこの国でも100人に0.7人くらい、つまり1%弱です。また遺伝や環境、心理のどれも決定的な要因とは言えません。発病の予防はできないと言われています。 患者さんの幼少期は、周囲の人達に従順であったり、一人で過ごすなど休む事は苦手なようです。思春期や青年期に自立を意識すると強い焦りを感じると、まるで人が変わったように過剰に活動的になることがあります。世界に対して自分が「勝つか負けるか」という完全な二者択一になって、ひどく不安になります。この時はまだ「統合失調症」という診断をくだせないほどの時期ですが、すぐに「発病前駆期」がやってきて「規定症状」という体の症状が出てきはじめます。 「狩猟民族」は、その日の獲物が獲れるかどうかが大問題です。動物のように感覚に敏感になり、先取り的に矢を放たなければならない。精神科医の中井久夫さんは、このようなところが「統合失調症」のひとのあり方と似ているといいます。 逆に、「農耕民族」は資産である畑を管理してそこから定期的な収入を得て、それを守り、拡大していきます。過去が重要である「躁うつ病 双極性障害 うつ病 気分障害」はこのタイプと似たところがあるといいます。 ★「うつ病」 患者さんの幼少期は、真面目で几帳面。安定した秩序が好きで前向きに維持していこうとする傾向にあります。「循環気質」という感受性豊か面があり、周囲の人達に配慮や尽くすことが得意な人です。 古典的な「うつ病」の場合、自分がつくりあげたルールにがんじがらめに縛られ、少しずつ息苦しくなっていきます。この「インクルデンツ」と仕事量を増大させすぎて自分をかんじがらめにしてしまう「レマネンツ」という状態が進むと発病し、体に症状が出てくるようになります。 患者さんは、ずっと関係を積み重ねてきた秩序が崩れ、周囲から裏切られたという、非常に深刻な喪失感を持っています。そのことを由来する抑うつをそのままにしておくと、同じような「幻滅」の回路また作動して再発を繰り返すことになってしまいます。ですから、喪失体験をうまく処理していくことが精神療法のなかで必要になってきます。 ★「摂食障害」 まず、どうして人が「摂食障害」になるのかを考えるために、人間にとって食事がどういうものなのかついて考えてみましょう。 フロイトのあと、メラニー・クラインたち精神分析家たちは、乳幼児の心の研究をしていました。 まだ目もちゃんと見えていない赤ちゃんは、お母さんがひとりの人間だということを知りません。自分の目の前には、「母乳がよく出る良いおっぱい」と、「あまり出ない悪いおっぱい」という2つの違うおっぱいがあるのだと考えています。だから、悪いおっぱいが目の前にあらわれているときに、攻撃するつまりで噛んでいるのです。 生後6か月頃になると赤ちゃんは、だんだん目が見えるようになり、じつはお母さんはひとりの人間であるのだということがわかるようになります。そうなると、赤ちゃんは、「今まで自分は悪いおっぱいを攻撃していたと思っていたけれど、じつは良いおっぱいも攻撃していた」ということがわかるようになる。ここから、罪悪感や「うつ」が生じてくる。そして「離乳」は「喪失」であり、心のトラウマになることがあります。 さらに反抗期になると、親からの支配下から、どうやって独り立ちするかという課題が重要になります。「食べない」ということは、自分にとって大事な他者に対して「NO」を突きつけることです。しかし親から独立したいという気持ちから、「拒食症」が始まることもあります。 「拒食」をすると、つまり食べないでいると、じつはけっこう元気が出てくるものです。これは昔から知られていることですが「断食」でも、活力が湧いてきます。不思議なことに、空腹は一種の爽快感すらもたらしてくれるものなのです。おそらくはお腹が空いたら獲物を捕まえに行かなければならなかったころの名残なのでしょう。そして、「摂食障害」の患者さんたちは、それまで溜まっていた緊張状態から一気に解放されるこの爽快感によって、一時的な慰めを得ることができます。それに加えて、体重という具体的な「数字」が見えますから、自分の力で「数字」を減らしたという達成感も得られます。 しかし、何度同じことをやっても、もともとの罪悪感や爽快感は残ったままなので、それをずっとつづけなくてはいけなくなってしまう。 主な治療は、精神療法によります。長い時間をかけて、食事と罪悪感や不安がどのように関係しているのかが明らかになれば、「拒食」や「過食」というやり方を使わなくても生きていける状態を模索していけるはずです。 ☆心の病気を、さからうことのできない運命であって、その運命の結果、人生が台無しになってしまう-そのような考えは、昔の精神医学においては今よりもずっと大きい力をもっていました。 なので、心の病気になることを、昔は「狂う」とか「発狂」と呼んでいました。このような言葉は、どうしても「回復不可能」なイメージを人に与えてしまいます。「発狂」と言う言葉に対義語はありません。行ったら行きっぱなしの一方通行のイメージが、とりついているのです。 だから、まずそれを反転させて、「心の病気というのはそもそも回復しやすい(治りやすい)ものだ」と考えることが必要です。病気それ自体がもっている「回復しようとする力」を邪魔するものを減らしたり、無くしたりすることが重要なのです。 注意しなければならないのは、回復のためには「正常なマジョリティ(多数派)」を目指さないようにする、ということです。マジョリティのような「ふつう」に連れ戻すということは、むしろ再発の危険性を高めることになりかねないからです。だから、「マジョリティ」ではなく、「マイノリティ(少数派)」としてうまくやっていくことを支援することがいちばん大事なのです。 これまでとは違う形で社会の中で折り合いをつけようとすることによって「回復する」ことが可能になっています。病気になる前の状態に「戻る」と、もう一度発病する危険を増やしてしまうからです。これまでの自分の無理な働き方を少しずつ変化させて、より余裕のある、安定して生きていくことのできるライフスタイルを身につけていくことが「回復」には必要です。 回復には他人とのつながりがどうしても必要なのですが、心の病気は他人とのつながりを少なくさせてしまうところがあります。しかし、そのような状態の患者さんに対しても、根気づよく対話の試みをつづければ、少しずつ関係ができてきます。人と人とのつながりをつくりなおすことは、外から援助しなければいけないことがあるのです。 また、社会を変えることによって本人の苦悩や、それによって引き起こされる二次障害を減らすことができます。 心の病気があること、そしてそれがどういう病気なのか、わかるようにしていくことが重要です。 相手に自分と同じものがあるとわかると、相手のなかの自分との違いを見つけることができるようになります。その前提となるのは、僕は「知識」だと思います。「知識」がなければ他者のことについて想像することすらできません。知ることは想像力を働かせるうえでの基盤です。 ずっと入院していることを余儀なくされてきた人たちや、仕事なんかできないだろうからずっと施設や家にいるしかないと思われていた人たちでも、回復を阻害するものを減らすことによって、少しずつ自分のできることが増えていきます。 ただし、それはどんな病気の人でもみんなが自立生活をするべきであるとか、みんなが働けるようになるべきであって、働くのが当然だ、ということではありません。今の社会は、みんなが経済的な競争をすることが当たり前になってしまっていますが、それとは別の生き方を可能にする余地を増やすことが重要でしょう。 バリアフリー化は、結局のところ、心の病気ではない人たちにとってもくらしやすい社会をつくる「ノーマライゼーション」としての側面をもつことになるはずです。
0投稿日: 2025.08.12
powered by ブクログ鬱病は過去を重視する農耕民族。統合失調症は未来を先取りする狩猟民族。の話はすごく腑に落ちて全体を通して言えることだけど分かりやすく興味を持ちながら読み進める事ができてとても良かった。 摂食障害の成熟への拒否も分かりやすい。 著者が素晴らしいのかもしれないけど難易度的にちょうどいいので中学生の質問箱シリーズ他のも読んでみたい。
2投稿日: 2023.10.24
powered by ブクログ感想 誰もが病気になる。それは風邪と同じ。心が弱いから、あの人は特別だから。そんな考えは理解を生まない。誰もが認め合える社会への第一歩。
0投稿日: 2023.05.31
powered by ブクログ表現が適切かどうか分かりませんが、とても面白く、ためになりました。心の病気とはどういうものか?どうやって''治す''のか?心の病気でも暮らしやすい社会とは?一つ一つ丁寧に解説してくれます。統合失調症、うつ病、PTSD、発達障害、認知症など、それぞれ心の中で何が起きているのかや、それに対してどう接するべきかなども説明されており、非常に「実践的」な内容でした。
0投稿日: 2023.04.02
powered by ブクログいろいろな心の病気の中身をわかりやすく知ることができるます。 でも「わかりやすく」とはいっても、 それなりの硬度のある内容だから、 読み応えがあって大人でも知的満足感が得られると思います。 心の病気っていうのは、 親とそして親以外をも含む過去の対人関係の影響、 そして現在の対人関係での相互作用での影響でなるものであって、 当人だけの問題では決してないことがわかります (外的な強い心的衝撃によるPTSDという種類の心の病気もありますが)。 僕の身近に心の病気の人がいることもあって、 この場などに書評や感想を書いていなくても、何冊かそういった本を読んできました。 それらは勉強になるよい本でしたが、それらと比べても本書はより良書のほうだといえます。 「この本がひろく知られるとほんとうに社会がよくなる。」 と思えるほどの、とっつきやすい適度な内容の厚みと範囲の広さです。 精神科医やカウンセラーたちがどうやって心の病気を診断し、わかるのか、 といったところから始まり、 統合失調症、うつ病、そううつ病、強迫症、摂食障害、PTSD、 転換性障害(かつてはヒステリー)、不登校、いじめ、発達障害、認知症の それぞれの症状や背景、 そしてそれらをふまえた上で、社会をどうしていったらいいかのヴィジョンに終わっていきます。 読んでみると知らなかった知識も多かったです。 自分は貧しいと過度に思いこむ「貧困妄想」、 几帳面さゆえに自分でルールを次々と作り、 それにがんじがらめになってしまう「インクルデンツ」などが主にそうでした。 なかでも、「インクルデンツ」は僕の身近な人にもその傾向があり、 たぶんその人はそううつ病と強迫症と、 その背景に自閉症スペクトラムがちょっとあるのではないかと、 素人判断では思い浮かぶ人なのですが、 自分で決めたルールを周囲の人にも適用させようとする強制力が強く、 すごく大変になるんです。 ここに強迫観念も加わって(つまり背景に強い不安がある)、 どうしてもルール通りにしないと気が済まない、というのがある。 まあ、強迫症の人なんざ、そこいらじゅうにいるなと思うところなのですが、 強迫症の人は、その症状ゆえに周囲から嫌われ、信用を失くしていくと書かれている。 また、そううつ傾向の人もそうなんです。 パニックみたいに気分が変わったときに、 それまでの理性が吹っ飛んでしまい、抑制が効かずに行為をしてしまったりします。 それらが合わさると、約束も破られるし、一線も超えられてしまいます。 だから、信用してはいけない人物に認定されて、 大事なことを話してはならない人物として扱われていくことになります。 本書によると、そううつ病も強迫症も同じ薬が効くそうで、 病院にさえいってもらえると解決にぐっと近づくのでしょうが、 病院にかかること自体が偏見などで高いハードルだったりもしますし、 そもそも自分が心の病気だと自覚できていない場合もありますし、 身体の病気のようにはすんなりいかないことが多いと思います。 僕の個人的な場合だと、 地域包括支援センターに協力を仰いだことがあって、 強迫症をケアすることで、うちの介護もうまくいくから、と主張し、 向こうもなんとなく頷いていましたが、 失敗するリスクを恐れてだと思うのですが、 やるもやらないもなく、うっちゃられてしまいました。 前に保健所の人に来てもらった時にもさじを投げられてしまい、 解決策も無いまま、連絡がプツンと途絶えたのですが、 どうもこっちの役所ってそういった感じなんです。 精神医療のオープンダイアローグや、 福岡市でも役所が取り入れたユマニチュード、 ほか、アサーションなどの技術を 地域包括支援センターなどの公務員のひとたちに身につけてもらって 被介護者だけじゃなくて介護者のQOLを考えた上で、 介護者を指導しケアする、というようにしてほしかったんですが、 面倒がられたみたいです。 家族が促しても、病院やクリニックに行こうという気を起こしてもらえないので、 家族以外のひととのつながりを作ってもらい、 その繋がりをいくつか作り、多方面からうながしてもらえるとうまくいくのでは、 と役所で話をしてきたのですが、流されて終わりでした。 行政にしても、 川の下流で起こっていること、つまり現場ですが、 そこばかりみて対症療法的に策を講じようとし、 策が講じられないなら見ないふりをするというように見えてしまいます。 そうではなく、川の上流で起こっていること、 つまり何故現場でそのような事態になっているか、 背景を辿っていく、ということをしたうえで 策を講じるようじゃないと救えるものも救えなくなる。 そういったことにしても「前例がない」で片付けていたら、 なんのための仕事なんだ、って言いたくなってしまいます。 ちょっと話が脱線してしまいました。 本書が広まってくれたなら、 または、本書の言いたいことが知られていったなら、 困った人のケアもできないような硬直が解きほぐされるのではないか、 そういう期待感を持ちました。 こういう本を書いてくれる人がいる、 出版してくれる会社がある、 読む人がそれなりの数、いる。 それだけでもちょっと嬉しいものです。 本書は中学生対象の質問箱シリーズの一冊です。 僕としては教科書として採用されたらいいのに、 と思えるくらい、推したい一冊でした。
4投稿日: 2020.07.24
powered by ブクログ『心の病気ってなんだろう』 統合失調症、うつ、PTSDなどの精神医学の極めてやさしい概略本。 精神医学の治療で重要なことは、原状復帰ではなく、病気になる前とは異なる形になること。病気になる前と同じ状態に戻ってしまうと、また何かのきっかけで再発してしまう。再発しないような形に寛解していくことが重要。 転移という治療法も興味深かった。一般にトラウマとは、現在では操作不可能(記憶さえも抑圧されて、ない場合すらある)な心の傷である。そのままでは、治療できないが、治療しないと別のところで回帰してしまい、病状として現れる。その場合、精神医は心の傷が起こった当時の人間関係をそのまま精神医と患者の形にすり替える転移という手法を使う。例えば、母子関係に問題があったのであれば、患者にとっての母なる存在に精神医がなる。そうすることで、操作不可能な傷を現在に引き上げ、操作可能にする。母子関係の断裂が原因であれば、一度母子関係を再現した上で、病状に現れないような正常な形で分離を図る。こうすることで、新たに関係性を作り替え、寛解させる。映画「バタフライ・エフェクト」のブラックアウトはトラウマの一形態ではないかと思う。(主人公は自分で過去を改変することで、治してしまったが…)。 うつ病と統合失調症には時間感覚と関係性があることは興味深かった。 うつ病では、時間がどんどんゆっくりになっていくという制止という症状が現れる。時間がもっとゆっくりになっていくと、最終的には心を使う活動ができなくなる。意識ははっきりあるが、全く動けない、全く話せないような状況。これを昏迷とも呼ぶ。人間が体験している時間というのは新しい「今」が次々現れているような時間であり、さっきの「今」は、次の瞬間には過去になっている。逆に、「今」があるということは、「未来」があるということ。しかし、制止や昏迷になると、今がのっぺりと今のままに留まってしまい、未来がやってこない。今が今に留まってしまい、未来がなくなると、相対的に過去の比重が高くなる。そうして、自分の過去に目を向けると、自分に自信をもたせるような過去は既にだめになっているので、過去の些細な悪いことに目が行くようになり、罪悪感などの妄想から動けなくなってしまうという。自分の中の、記憶や知覚において、過去の存在がどんどん大きくなってしまった時に、人はその時間が止まってしまう。うつ病に限らず、人間にはあること思う。 現在、うつ病における治療は休息が中心と書いてあるが、この時期は相当つらいのであろう。 Sumikaというバンドにカルチャーショッカーという歌があるが、その中の、「過去の清算が今を止めちゃう前に」というフレーズがとても好きなのだが、まさにうつとは、過去の清算が今を止めてしまう状態のことなのであろう。
2投稿日: 2020.04.05
powered by ブクログ非常にわかりやすい。研究者が観察して得た知見だけでなく、心の病の当事者が発した言葉も重視しているため、極めて共感的だ。思うに、発達障害やうつ病など、目に見えない心の状態を浮き彫りにした精神医学は、我々の認識を刷新しただろう。こういった心の状態は現実にその状態なのであって、受け入れたくなくても、現実なのだ。しかし、心の状態の認識を獲得したら、我々はこれに向かい合い、当事者を理解できる。当事者にしても、心理学や医学などの学問の恩恵もあって、自分の状態を言語化して表明でき、相互理解が可能な社会が準備されつつあると言ってよい。とはいえ、個人個人の状態は千差万別であり、学問の抽象概念で一括りに理解してしまうのは早計である。つまり、我々はもっと当事者の言葉に耳を傾け、行動を見守り、彼らを追体験して受け入れられたらと思う。何々病とか、何々障害でレッテル貼りするのではなく、今ここにいるその人を見つめることだ。この時に重要なのが、彼らを追体験するではないか。
0投稿日: 2020.02.20
powered by ブクログ図書館で3名待ちだった本。「中学生の質問箱」と書いてあったので、超入門書だと思い込んでいたが、読んでみると超専門的!しかし、分かりやすい。 正直、中学生には理解不可能な気もするが、高校生高学年以上なら、そして、医師や看護師などの医療スタッフを目指す学生、自分はもしかしたら心の病気なのかも?と思っている方、そのご家族や友人、支援者や雇用者の方にも読むことを推奨します。 2019年7月に初版第一刷なので、かなり新しい本。最近起こった事件などにも触れつつ、心の病気を持つ方がどのようにして発症し、どのように自分自身の病気を捉え、どのように医療者との信頼関係が構築され、治療がなされ、そして治癒・寛解していくのか、あるいは再発してしまうのか、具体的に、そして理解のために必要な知識面も補いながら、丁寧に解説してくれる本。 それだけでなく、精神医学の発展に際し、これまで行われてきた非人道的な、患者に対する管理方法(魔女狩りや座敷牢、隔離政策など)、治療方法(ロボトミー手術、マラリア発熱療法、インスリンショック療法など)、そしてその背景にある人々の精神疾患に対する認知、捉え方、そしてその変遷を歴史を通して、精神医学の発展の経緯と、人々の心の病気に対する認識の変化も学ばせてくれます。 このあたりを学ぶことで、心の病気の治療方法が、「管理する」ことから「一緒になって理解する」ことへ変化していった理由と意味、そしてその有効性を知ることが出来ます。 身体的な病気とは異なり、認知されたのが大変歴史の浅い(フィリップ・ピネル以来、せいぜい200年強の歴史しか経っていない!)、また「主観的」で「対象化」しづらく「操作(治療行為)」が難しい病気である心の病気について、医療者や家族などの関係者、そして本人がその病気とどのように対峙していけばよいのかを考えるうえで、非常に参考になると思います。 本書は心の病気全般を扱いますが、主に、統合失調症、気分障害(うつ病、躁うつ病・双極性障害)、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、解離性障害、転換性障害、強迫症、摂食障害、社会不安障害、発達障害、認知症など。ほかにも境界性パーソナリティ障害(ボーダーライン)、知的障害など、様々な病名が細かく紹介されています。 更には、現代社会の社会構造上重視されている「コンプライアンス」「成果主義」が、「インクルデンツ」「レマネンツ」といった心の病気を引き起こす誘発因子になり得ること、身体障害に対する「バリアフリー」化は進んでいるが、「障害者差別解消法」が2016年に成立した今でも、精神疾患の方に対する「差別」は根強く、理解と知識の共有がなされていないため、病気の苦しみにプラスして、差別に苦しむ社会に生まれたという社会的な苦しみの、二重の苦しみを背負っていることを指摘しています。 この本を読んで、確かに今でも生きづらい世の中だなとは思いますが、「わかる」「寄り添って理解する」という努力できる「器」を、それぞれが問われる時代になりつつあるのではないかと感じました。 いつ、誰が(自分が)、発症するかわからない心の病気について、無知ではいられない時代だからこそ、自ら「学ぶ」ことが必要だと思いました。
9投稿日: 2019.11.17
powered by ブクログ興味深く、ほぼ一気読みで読んでしまいました。 心の病気は本当に心だけの問題なのか、体の病気とどう違うか、どのように治療していくか、それぞれの病気の症状はどんなもので、患者さんはどう感じているのか。とても分かりやすい言葉で書かれていて一気に読み進めてしまいました。 私は過去にうつ病と診断され、現在は躁うつ病(双極性障害)と診断されているので、その辺についての知識はあったのですが、統合失調症や認知症、発達障害についてはまだまだ知識がなく、なるほど。と思いながら読み続けていきました。 病気だとその人すべてが病気と思ってしまいがちなところですが、人間らしいところが残っているからこそそれが症状として出てきたり、自分を守るために外から見たらおかしな行動をとったりしているという事が分かってとてもよかったです。 発狂という言葉に対義語がなく、行ったら行きっぱなしという点から精神疾患が悲劇のものと見られているという視点にも、なるほど。と思わされました。 最初の章で精神科病院やそれらを取り巻く環境の歴史についても触れられていて、興味深かったです。 心の病気の回復と体の病気の回復では回復の意味が異なるというのが今回の本でグッと来た部分です。私もいい回復していけるようになりたいものです。
2投稿日: 2019.10.31
powered by ブクログ精神障害について、子ども向けにやさしく書いた本。 なのだが、インデックス形式なら読みやすかったのではないか。
0投稿日: 2019.08.26
