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ブッダが教える愉快な生き方
ブッダが教える愉快な生き方
藤田一照/NHK出版
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総合評価

40件)
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8
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    仏教の修行とは辛いものという先入観があったが、愉しいものであるべきということを伝えられている。 読んでいて特に参考になった気づきは以下3点。 ・「豊かな生活」を過剰に追及して「豊かな人生」を犠牲にしていると、精神的に貧しくなる。 ・幸せ=快感÷執着 、苦しみ=痛み×抵抗 ・doing(すること)→being(あること)、座禅はやることを最大限に減らしていく 書物や経典から学ぶこと以上に、生きること全てから学びがあるという意識を持つようにします。

    4
    投稿日: 2025.09.28
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    「自分とか、ないから。」を起点にもっと知りたいと思って。 自己と自我のお話は、目から鱗だった。 ビジネスパーソンとしては、「他人、感情、過去といったコントロールできないものは思考で整理せよ」と教わってきたが、ここでは「受けたもう」として、ただ受け入れて隅に置いておけよと。そして浮き沈みを愉しみなさいと。 避けられないと分かっていても、苦しみは避けたい。制御したい。30年以上も生きていても、そう思ってしまう自分にとっては、考えが広がる良い機会になりました。 このワードはおそらく本には出ていないが、自分の言葉では「ゆるめる」ということが愉しむコツな気がした。

    0
    投稿日: 2025.08.26
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    読みやすい。仏教が身近に、自分ごとに感じられた。 自我と自己の話は刺さった。思考や感情で悩む自我と、現実を生きている自己。私はぐるぐると考えて何回も思考を反芻してばかりで、自我に囚われてしまっていたなあと思う。自我を振り切るのが大変で…。自己に意識を集中して、外へ開いていきたいなと思う。詳しいことは本書には書かれていないので、これをきっかけに他の本も読んでみて自分なりに実践したい。

    0
    投稿日: 2025.02.26
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    ブッダの「学び」とは: 仏教≒行の宗教 修行=バーヴァナー=cultivate 学校的な学びへの違和感 コントロールの限界 悪魔ときちんと出会える人間 ブッダのように修行して生きる≒愉快な生き方 学ぶことは変わること: 縁起に生きている ブッダに会ったらブッダを殺せ 経典を学んだのではなく生きることを学びとした 坐禅=オーガニック・ラーニング 貧しい生活・豊かな人生 頑張らない坐禅: 修業は手段・悟りは目的→道元。不可分一体 仏になる→仏としての修行 自己をならう愉しさ 愉快に生きるためのヒント; 受けたもう 思考や感情にとらわれない 閉じた吾我と開いた自己 不放逸 ヴィパッサナー 苦しみ=痛み×抵抗

    1
    投稿日: 2024.08.28
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    仏教とは愉快に生きるための方法を教えてくれるとのこと。 考えてもどうしようもないことは闘わず逃げず、受け止めた上でその時自分のすべきこと、できる事だけを楽しく淡々とする事は、愉快に生きるために必要かもしれない。 医学は闘うもの、芸術は逃げるもの、仏教は向き合うもの。とのことだが、仏教の考え方を理解するかどうかを別としてもこういった考え方は生きやすさにつながりそう。 本で読んだからもうわかった!と思わず、実際に体験してみたり、さらに学んだりするような姿勢も人生にさらなる彩りを加えるだろうな。 そして坐禅をせずとも、今置かれている状況をもがかずゆっくり受け止める時間を作るのは良いことなんだろうな。実践したい。 仏教は人生を楽しむエッセンスが詰まっている!と言われている感じで、もっといろんな教えも知りたいと感じた。入門にぴったりの本だった。

    101
    投稿日: 2024.07.25
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    雪の山道を重荷を負うて登ることは苦しいが、その雪の山道を楽しんで登る人もある。 働かされることは苦しいが、働いていることは楽しい。だから働かされているつもりにならないで、自発的に働くことが肝腎である。 冷たい水でも、浴びせられれば風邪をひくが、自発的に浴びれば風邪をひかない。めしでも食えなければ餓死するが、食わなければ断食して、丈夫になる。 まず自分から動くことだ。自分から出発することだ。 いい言葉!

    0
    投稿日: 2024.05.29
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    学びのきほんシリーズ。サラッと読めるので早起き出来た朝活用に。 元々仏教の思想には興味あって色々読んでみたりしていたけど、いまいち難解で入って来なかったけど、きほんというだけあって腑に落ちる内容だった。 そしてそもそも仏教の基本にある思想は長年生きてきた中でそれなりに感じてきた思考だったと再認識できたのは良かった。 上手く生きてるってこと。 ただ、この感じを上手く言語化出来ている藤田師の凄さが何より感じいるところだった。 俄然、禅の思想に興味を持つ事が出来た良書。 藤田師の他の著作も読んでみようと思う。

    1
    投稿日: 2024.02.28
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    禅とは何か、考え方の枠組みを示した入門書。 学問仏教(学得)を脱し、仏陀がそうしたように自ら実践し体得、自得せよ、というのが核。 筆者曰く、禅とは「オーガニックラーニング=赤ちゃんが遊びながら深い学びを自然と得ているように、すべての活動が学びになること」。そして生涯にわたり終わりがないものであること。 また、自己(生きている本来の己)が根本であり、自我(道元は「吾我」と定義。思考や感情で悩むもの)は枝葉とのこと。それを混同し、自我による不平不満に振り回され、「何をするか(ドゥーイングモード)」で考えることは、むしろ自我の肥大化を招く。自己の在り方(ビーイングモード)であり、ありのままを受け入れることが平穏で愉快な生き方につながると説く。 禅のイメージを持てたのはよい読書体験だった。いつか禅を体験してみたい。

    1
    投稿日: 2023.10.17
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    本書で扱われるブッダとか、併せて読んだキリストとか、難しいというよりは興味が持てず、入門編みたいなのにトライしてみては、真価が分からず今に至る。真価というと大層だけど、入門すらできないなら、こっちから願い下げだ、くらいの気がある。そんな中、本書はなかなかに楽しめる内容だった。 例えば、”周りとの交流全体から自然に何かがまなばれる、オーガニック・ラーニング”にこそ学びの本質がある、と。これは、考える力こそが注目される昨今、いかにも納得のいく主張。だけど、しなきゃならない一辺倒では上手くなく、”ネガティヴケイパビリティ(しない能力)”こそ必要で、中でも坐禅は、”やることを増やすのではなく、最大限減らしていくことで、深い未知のものを受信”するのに有用だ、と。これ、らしく言うとマインドフルネスやね。あと、”不可逆的に出会う痛みや快感に、自分の中の抵抗や執着を識別する、解像度の高い眼で臨む”ことも、苦痛との向き合いにおいて有効かな、と。 そんな感じで、なかなかに示唆に富むブッダの教えなのでした。

    0
    投稿日: 2023.06.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    内的な解像度を上げることを意識したいと思った。 苦しみ=痛み×抵抗 幸せ=快楽÷執着 痛みも快楽もありのまま受け入れる、受けたもう、の精神を身につけたいものだ。

    1
    投稿日: 2023.02.11
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    読みやすいが大事なことが書かれている。草を紹介されても「図鑑で知っている」と無視する小学生(p76)。全身心で知ることの大切さ。

    0
    投稿日: 2022.10.26
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    ブッダが苦行を捨てて、愉快に旅をし修行をしたというところが印象に残りました。 何事も苦しみながらやってもいい成果は出ないと思いますし、楽しみながらやれば、おのずと成果は出るだろうと思います。その過程自体が既に平安というのも印象に残りました。 座学だけでなく自然体験から学んで自己世界を拡張する。それこそが学ぶ喜びだというのも印象に残りました。 とはいえ、世の中しんどい事やきつい仕事もあります。その時は受けたもう!の精神で無理やり自発的にやることで楽しめてくるというのは面白い発想だと思いました。 受けたもう!受けたもう!心の中で口癖にしたいと思います。 あと苦しみ、幸せの方程式はなるほどと思いました。苦しみは受け入れれば楽になる。幸せは求めれば苦しくなる。確かにそうだと思いました。 心に留めておきたいと思いました。

    1
    投稿日: 2022.09.02
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    私たちの人生を豊かにしてくれる仏教の『学び方』についての本。仏教の学び方を体得すれば『愉快な人生』(=いつも溌剌で生き生きとした、自分の生きているそのものが快い状態い)を送ることができる。 自分は全く仏教的学びの生き方ができていないのだと思い知らされた。 仏教は生きることそのものから学ぶ。日常が聖なる道場になるように工夫する。 自分はこれが全くできていない。本を読んだり大学でいい成績をとったりするのも大事だけど、日々の生活を大切に生きることが何より自分の成長に繋がる学びなのだ。

    0
    投稿日: 2022.05.07
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    この本はどちらかというとブッダに関する専門書のような説明が多め。 日常生活に落とし込んで実践したい自分には「反応しない練習」の方が好きだった。

    11
    投稿日: 2022.05.02
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    肩の力を抜いて今を味わおうと思える本でした! つい未来のことを考え頑張ろうとしてしまうけど今起きていることを繊細に感知し親しむ。 悩みを単なる心の中の出来事として「置いておく」。 はっとする教えがたくさんありました。

    0
    投稿日: 2022.04.04
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    ブッダ、仏教、禅に興味があり大変読みやすくスーッと完読。後は自分が変わるだけですね、実行あるのみです

    0
    投稿日: 2022.03.22
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    【まとめ】 1 ブッダの学び 仏教は「行の宗教」である。「行」とは、身心丸ごとで行う修行のこと。特に、私が学んできた「禅」の世界では、坐禅はもちろんだが、掃除や食事などの日常生活全般を修行ととらえる。生きることそのものから「学ぶ」ことが修行である。 いつどこで学んだのかは本人もわからないけれど、周りとの交流全体から自然に何かが学ばれていく。このような学びを私は「オーガニック・ラーニング」と呼んでいる。 「仏教の学び」は、もちろん経典などを読んだりもするが、日々の生活全体から、いつでも、どこでもオーガニックに学んでいく。教科書もないし、先生が手取り足取り教えてくれるわけでもないので、何をどう学ぶかはその人次第だ。 「ブッダのように修行して生きる」とは、 誤解を恐れずに一言で言えば、それは「愉快な生き方」のことだ。仏教は、各自が自分の愉快な生き方を学ぶための参考書である。 2 学ぶことは変わること ドゥッカとは、パーリ語で「思い通りにならない人生の絶対事実」という意味。「苦しみを乗り越える」というのは、生老病死それ自体をなくすことではなく、それを深く理解し、受け入れて生きることだ。 ブッダは、生老病死という事実を恐れたり、それから逃げようとする代わりに、むしろ縁起という真理を深く学ぶために、それにきちんと向き合って理解しようとした。 人生の厳粛な事実を理解し、生きる条件として素直に受け入れることは、「愉快な生き方」のポイントである。ドゥッカがあっても、いや、むしろあるからこそ愉快に生きることができるという逆説だ。 学得よりも「体得せよ。自得せよ」というのが禅の根本思想である。 ブッダは経典を学んだのではなく、ただ生きることを学びとした。そのブッダの生き方に倣おうというのが、禅の、そして仏教本来の立場だと私は理解している。経典はあくまでもそのための参考書にすぎない。 学校的な学びとは、知識を得ることと同義。しかし、林先生の主張では、学ぶことは、自分自身が変わること。つまり、何かを本当に学んだら、「それまでの私」ではなくなって、「新しい私」がそこに生まれるということである。 坐禅で大切なことは、そういう人間の作為的努力を手放して、身心を自ずからなる働きに任せて調和させ、現在に何も足そうともせず引こうともしないことである。おおらかにのびのびと坐ることで、安楽(身は安らかで、心は悦ばしいこと)の世界へと入っていけると言う。 この安楽こそ、私が愉快と呼んでいるあり方だ。禅が大事にするのは特殊な苦行や荒行ではなく、坐禅で味わう安楽と同じクオリティをもって日常の何気ない行為の一つ一つを行うことである。 3 愉快な生き方 ドゥッカに対して、ブッダは、「闘う」でもなく「逃げる」でもない、第三の道を示している。それは、「触れてよく観る」ということだ。 勉強にしても、仕事にしても、修行にしても、そして人生にしても、 どうせやらなければならないことなら、どうせ引き受けなければならないことなら、まず「受けたもう」とその気になって取り組むことが肝心である。私が山伏修行でしたように、自分に起こってきたことに対してまずは「受けたもーう」と声に出して受け取ってみよう。 どんな体験でも「受けたもう」の精神で愉快に受け止めていくためには、生きている本来の「自己」と、頭が作った、思考や感情で悩む「自我」の大小関係や本末関係をしっかりと認識しておく必要がある。その上で、小さくて枝末にある「自我」よりも、大きくて根本にある「自己」のほうに軸足を置いて生きるようにしなくてはならない。 「学ぶ」は英語で「ラーン(learn)」だが、仏教の修行においては、「アンラーン(unlearn)」も同じように重視される。「ラーン」は「身につける、獲得する」というプラスの営みですが、「アンラーン」は逆に、「知識を捨て去る、学んだことを意識的に忘れる、知識・先入観・習慣などを捨て去る」といったマイナスの営みである。 自分や世界は刻々と更新されていくもの。だからこそ、学んだ既知に居つかずそれを手放し、未知に対してうぶな心でワクワクしながら出会っていこう。

    25
    投稿日: 2022.03.20
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    とてもおもしろかった。 答えのない学びこそが本来の学びであり、学校等人が教えてくれる答えのある問は学びではないということ。 生きる喜びは、学び続ける面白さを知ってこそはじまるのだ。 アンラーンやネガティブケーパビリティ、いつでも初心を持ち続けること。 入門的だけれど、興味をこれから深めたくなる。 そんなきっかけになる一冊。

    0
    投稿日: 2022.03.16
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    すぐに読めるボリュームで優しく書いているが、初めて仏教に触れる人には、おそらく本当の意味で理解はできてないと思う。禅の方法を期待していただけに、がっかり。

    0
    投稿日: 2022.03.04
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    苦しみ = 痛み × 抵抗 幸せ = 快感 ÷ 執着 ブッダも痛みや快感を感じることはあるが、それをありのままに受け入れる。 座禅をしてみたくなった。

    0
    投稿日: 2022.02.13
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    曹洞宗の(おそらく)僧侶で、アメリカでも座禅の指導などに取り組んできた藤田一照による、仏教的生き方を簡潔に紹介する、「学びのきほん」シリーズの一冊。本書の要点は、学びを二つの観点でとらえていることにある。一つの観点は、学びとは目的に向かって何かを学ぶことととすること。もう一つの観点は、明確な目的が無くても生きていること自体を通して自分が変わっていくプロセス全体を学びとすること。本書を読むことで、仏教(特に曹洞宗?)とはなにかという知識はさほど身に付かないが、頭に知識を詰め込むのではなく自分自身を知り、より生き生きと生きるために何ができるか、どう考えるか、がわかる。かなりいい本といえる。

    0
    投稿日: 2021.12.08
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    初めて触れる分野だったので興味深く読めた。 学び続ける姿勢は仏教徒以外にとっても大事なことだと思う。

    0
    投稿日: 2021.11.17
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    幸せ=快感/執着、苦しみ=痛み×抵抗という式に納得感が強い。 また座禅を真面目にやってみようと思った。

    0
    投稿日: 2021.09.23
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    読まない方がいい。 仏教の歴史など普遍の事実の解説はへーそうなんだーと読めていいのだが、著者のよくわからん解釈というか主張が薄っぺらいというか違和感をモリモリに放っていて、すごく消化不良。

    0
    投稿日: 2021.09.20
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    ガツガツ勉強して ゴリゴリ色んなところに行って 色んな人に会ってみなきゃ! と何かに追い詰められるように スケジュール埋めていた20代。 転職して、結婚して、子供が産まれて 活動範囲がどんどん狭くなって 会う人もどんどん限定されて 行きたいところも 観光地色々周るとかより 南の島で穏やかに過ごしたいなーと なんか自分変わっちゃったな〜守ってんな〜と 思ってたけど そう言うのも良いじゃない、と思えた。 日々の暮らしにワクワク出来そう。 受けたもう 苦しみ=痛み✖️抵抗 幸せ=快感➗執着 赤ちゃんのように学び 行きあたった困難には闘ったり逃げたりもいいけど 赤ちゃんをケアするように 触れて、観察する。

    0
    投稿日: 2021.08.27
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    学ぶ、成長するというのはどういうことなのか?それを考えるきっかけになった。柔らかい文体でスルスル読めました。

    0
    投稿日: 2021.08.18
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    とてもシンプルで分かりやすい。 ブッダ的な「学ぶこと」について、オーガニックラーニングの部分は真新しくて良かったです。 四苦八苦の人生を、愉しく快く生きる。 ドライで合理的でありながら愉快、というブッダの捉え方が新鮮でした。

    0
    投稿日: 2021.06.20
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    前半はブッダの経歴、後半は前を通しての学びの姿勢。赤ちゃんがそうしているように、ビギナーの気持ちで学ぶことが大事。

    0
    投稿日: 2021.03.11
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    仏教やブッダの基本。誰しもわかっている事だけれど、でも勘違いしている事などをブッダのされた事などを例にあげ、優しく解説してくれています。

    1
    投稿日: 2021.02.27
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    仏教が示す物事の捉え方は非常に論理的であり、日常を生きて過ごすための示唆に満ちている この著書はその入口を非常に平易な表現で記してくれている しかしながら、一般認知されている宗教というカテゴリの意味合いが理解を阻む壁となっていることは否めない 宗教の説く言葉としてでなく、単なる理論として捉えて読む事をお勧めする

    0
    投稿日: 2020.11.23
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    仏教、特に禅の考え方を引き合いに、人生を豊かにする学ぶ方について説いてくれます。 筆者のいう「オーガニック・ラーニング」の重要性は、自分の子どもを見て感じたことと合致しており、腹に入りました。 また、座禅はやることを最大限減らしていくこと、というのも個人的に好きな考え方です。禅に興味が沸きました。

    1
    投稿日: 2020.11.03
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    仏教を作ったブッダや、著者が仏教に専心した理由が書かれている。 ブッダの素の名前は、シッダールタ。大事に育てられていたが、外に出て、病人や老人を見て人はいつかおいて死ぬのだと言うことを目の当たりする。老・病・死の苦しみから逃れられないと言うことを知る。 心の中で、「いつか出家して、老・病・死の苦しみを解決する道を探したい」という思いが、少しずつ育っていった。このエピソードは、「 四門 出遊」と呼ばれている。 仏教の出発点には、生きることが苦悩であるという大きな問題の自覚があった。 苦行で弱った体を癒し、気力を回復したシッダールタは、ガヤーという町の 菩提樹 の下で静かに坐禅を始めた。そうして七日間坐り続けた末、「覚り」を開く。三五歳頃のこと。覚りを開くことを、別な言い方では「 成仏」という。「仏(ブッダ=目覚めた人)」に「 成る」こと。ゴータマ・シッダールタは、ブッダになることで、ずっと求めていたこの世の真理、「法」にたどり着いた。ここから筆者は、シッダールタのことを敬意を込めてブッダと呼んでいる。 筆者が、仏教に入っていく経緯も、すごく不思議であり、ご縁だと思った。 筆者の思っている「愉快」。野口整体という日本的な癒しの道を創始した 野口 晴 哉(一九一一~七六) という人物の「愉快」という言葉の使い方が好きで、それを本書のキーワードの一つにしている。 愉快に生涯を生き抜くことが全生(生を全うすること・筆者注) である。ジメジメして息していては全生はできない。健康に生きる為に、愉快ほど大切なものはない。   僅かな利害や 面子 の 為、その愉快を失って生きている人は 不幸せである。しかも自分の愉快を失っているばかりでなく、他人の愉快を奪ってしまっていることが多い。これは悪である。  自分の愉快を大切にする人は、他人の愉快も大切にして、傷つけないことを心がけよう。これが全生の道だ。  (月刊『全生 十一月号』二〇〇六年発行 全生

    0
    投稿日: 2020.09.23
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    このレビューはネタバレを含みます。

    キーフレーズ いつもビギナーでいること。 仏教を、禅の考えやブッダの半生を語りながら説明している本。 堅苦しくなく、読みやすい。 人生で起きたことすべてが学びという姿勢はもっともだと思った。 しかし、いまの状態をありのまま受けいれ、取り組むことが大切と一部では書いてあるが、たとえば、ブラック企業で働いていて、寝ることもままならず、自分のやりたいこととはまったく違うことをやり続けなければならない人がいる現代社会ではこの考えでほんとうに愉快に生きることができるのか疑問がある。 ブッダの時代といまの時代では、やることやストレスの度合いや性質が明らかに違いすぎるので、いまの時代背景も踏まえて説明してほしかった。 また、禅と瞑想の違いがよくわからなかった。 ・周りとの交流全体から自然になにかが学ばれていく。 →オーガニックラーニング ・仏教は、各自が自分の愉快な生き方を学ぶための参考書 ・生老病死はドゥッカ。パーリ語で、思い通りにならない人生の絶対事実 ・ドゥッカがあっても人生の厳粛な事実を理解し、生きる条件として素直に受け入れることは愉快な生き方のポイント ・生きることのすべてを修行の糧にすることができれば、一生、現役の学生として変わり続ける。 ・心身には自己調整能力が備わっていて、おのずから調っていこうとする本来の働きがあり、それを信頼して、その働きの邪魔をしないで従うことで、姿勢や身や心が調っていく。これがビーイングモード。 ・ビーイングモードになるには、ドゥーイングモード、すなわち、することを減らしていく。 ・愉快とは、いつも溌溂として、活き活きと元気に、自分の生きていることそのものが快く、自分の魂を感じていられる状態。 ・触れてよく観る。 勉強、仕事、修行、人生にしても、受けたもう、という気になって取り組むことが大事。 ・覚めた素面の眼で刻々の体験をありのままにはっきりと観ることを、ヴィパッサナーという。ヴィは区別、パッサナーは観るという意味。 ・苦しみを減らし、幸せを増すには、痛みへの抵抗を減らし、快感への執着を減らせばいい。要するに、痛みも快感もありのままを受け取る。 ・いつもビギナーでいること。 →愉快に生きていくためにもっとも大切な学びの姿勢。

    0
    投稿日: 2020.07.07
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    読みやすく、わかりやすいブッダの教え。 「うんざり」という感受性。 悪魔(煩悩)と出会えること。 学ぶことは、変わること。 ネガティブ ケイパビリティ。しない能力。 「闘う」でも「逃げる」でもない「触れてよく観る」 解像度の高い眼で、内的体験を観測する。 とてもおもしろかったです。 さっそく意識において、日々を過ごしていこうと思います。

    0
    投稿日: 2020.06.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    著者の出羽三山での山伏修行での「受けたもう」の状態について非常に印象的だった。自分の中にある抵抗値が減ってくる。「受けたもう」という開かれた態度を教わったおかげで、きつい修行も愉快になる。 そこから野口晴哉さんの言葉を引用している 【雪の山道を重荷を負うて登ることは苦しいが、その雪の山道を楽しんで登る人もある。 その人々は重いスキーの道具を軽々と肩にしてゆく。 だから苦しい楽しいは心にある。 働かされることは辛いが、働いていることは楽しい。 だから働かされているつもりにならないで、 自発的に働くことが肝腎である。 (後略)】

    0
    投稿日: 2020.06.14
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    逆らえない不幸に負けないように、またありのままに自分を見つめるために、ヒントになる本。文字が大きく言葉が簡単なので読みやすい。 金銭的に豊かでない生活から豊かな人生は見出だされるとあった。貧乏学生としては勇気付けられる。お金がないから、物に執着せず生きられているのかもしれない。 生きることそのものを楽しむには、自分が生きてその場にいることを素晴らしいと認められないといけない。 生活のなかで、今自分がどうあるかを考えていきたい。

    0
    投稿日: 2020.03.18
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    ブッダの人生から、仏教の原点を学びます。 オーガニックな学びとは、禅とは、愉快な生き方とは。 ブッダが本当に伝えたかったことを、丁寧に、分かりやすく解説しています。 語り口も、説明も、頭の中にすーっと入ってきます。 人が一般的に「学び」のモデルにしているのは「学校的な学び」だけなので、芸術や宗教の世界にある「オーガニック・ラーニング」は視野に入っていません。よく「生涯学習のすすめ」などと言われますが、この「学習」も、「学校的な学び方」が想定されています。 しかし、学びを「学校的な学び」だけで理解するのは、了見が狭すぎます。私たちは、もう一つの学びのスタイルである「オーガニック・ラーニング」も視野に入れるべきです。そのために、仏教がたいへん参考になると思うのです。 ー 53ページ ブッダが瞑想や苦行に見切りをつけたのは、それがどこまでもハウツーに終始するものだったからです。瞑想や苦行のエキスパートから教わったハウツーは、自我が心や体をコントロールするためのテクニックでした。ですから、やればやるほど自我の意識が強化されてしまいます。 ブッダは、自我が作り出した問題や苦しみは、自我の努力では解決できないということを発見したのではないでしょうか。 ー 70ページ

    0
    投稿日: 2020.02.11
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    今日、仏教はさまざまに発展・変容していますが、ブッダの原点に戻って、愉快に生きる、生きることの全てを修行の糧にする、学ぶことは変わることである等、平易でありながら、「深く問う」。好著です。

    0
    投稿日: 2020.01.21
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    仏教は、経典に書いてある難解で高邁な哲学だと思えたり、千日回峰行のように苦行通して到達できるものであると考えがちです。しかし、釈迦は29歳で出家し、高名な瞑想の師のもとで高い境地を得ても、6年の苦行難行を経ても、満足するに至りませんでした。35歳で瞑想も苦行も捨て、樹下に静かに座ること7日間、ついに「法」にたどり着き、ブッダとなりました。ブッダの教えは、高度な瞑想でも苦行でもない。そのことを教えられ安心しました。▼「平安への道はない。平安こそが道である」。道を歩む一歩一歩にすでに平安があるような修行でなければならない。仏教は、苦しい修行ではなく、愉快な修行だと説いています。

    1
    投稿日: 2019.12.03
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    「何をしたいか」ではなく「どうありたいか」。 何かをするために強いて勉めて頭で学ぶだけではなく、どうありたいかのために周囲との交流全体から自然に学ぶことの大切さを説いています。自然に学ぶことを「オーガニックラーニング」と名付け、そのモデルとして仏教、特に禅の修行をモデルにして考察しています。 知っていることをわかること、できることは違う訳ですが、現代は、特に人生の前半では、「知っている」ことが偉いという扱いを受けます。基礎知識の意味でそれも大切でしょうが、それでは本当に身についていない。できるようにならない。そして「知っている」ために学びを深めようとしなくなる。そんな弊害があると僕自身の経験から感じるところです。 https://amzn.to/2C4eg4m

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    投稿日: 2019.11.04