
総合評価
(38件)| 4 | ||
| 20 | ||
| 6 | ||
| 3 | ||
| 0 |
powered by ブクログとてもモヤモヤとした気持ちになる作品でした。ワタシが浮世の労働者の街を訪れ、その影響であったのかどうかは分からないが、浮世の画家を離れ、愛国的な絵を描くようになったことについて、戦後、それば間違えであったと感じつつも、その時は正しかったはずと、モヤモヤとしているワタシをそのまま、読了後に踏襲した感覚です。そういった意味では素敵な作品。
0投稿日: 2025.10.13
powered by ブクログ引退した心穏やかな画家の、内面に潜む葛藤を深く鋭く描いている。 前作『遠い山なみの光』と同じく、地域や世代による認識の狭間で揺れる主人公だ。だがこの作品ではそれがより洗練されている。 これをさらにキレイに纏め、舞台をイギリスに移したものが次作の『日の名残り』と言えそうだ。 次の世代の方々との考え方の違いに、自分がどう上手に折り合いをつけていくかは、僕も常に向き合っている課題だ。 主人公はその答えを 『受け入れる柔軟性を持ちながらも、自己の本質的な考えは変えない』点に見出した。この回答は今後の僕に大きな示唆を与えてくれるだろう。 カズオ・イシグロ作品の多くに言えることだが、活字を追うこと自体に幸せを感じた。文中の単語一つ一つに込められた著者の深淵な思いとか、そういうものをあれこれ詮索しながら読むのが実に楽しいのである。
6投稿日: 2025.06.07
powered by ブクログ主人公の思い出した通りに(時間軸が飛び飛びに)話が進んでいくので、少々読みづらく感じることもあったが、挫折することなく読み終えることができて良かった。次はメモをとりながら読み返そうと思った。 本の内容とは全く関係ないが、この本を読み終わってから「無言館」に行った時に、絵で成功し、立場(階級、地位)を得たために、おそらく戦地に行くことはなかった主人公と、絵で生きていきたいという夢を持ちながらも戦地に行き、帰らぬ人となった若者たち。この2つを通して、戦争と芸術の関係は何だろうかと考えることができて、それも良かったと思う。
1投稿日: 2025.06.06
powered by ブクログ語り手の小野によって戦前・戦後の様子が語られていて、序盤はつらつらと読んでいたけど、途中から「ん?」という内容が増えてきて、どんどん「ん?え?ん?」となり、ページをめくる手が止まらなくなりました。面白かったです!
1投稿日: 2025.03.29
powered by ブクログ時代の空気感がよくわかる。戦中の正義は戦後の悪となり、個人が信じたものも否定されてしまう。それでも家族を思う気持ちは大切だと思った
0投稿日: 2025.03.29
powered by ブクログ戦後の日本が舞台 有名な画家の晩年 下の娘の結婚話が直前で流れてしまい・・・ そして画家は過去を語る 今の話もありますがほとんどは過去のできごと でした
13投稿日: 2025.03.26
powered by ブクログ『「浮世の画家」でいることを許さないのです』という小野の言葉。モリさんは歓楽(耽美主義)に美しさを見出し、「浮世」を描くが、時代が進むにつれて小野は師の「浮世」への考えに対して自分の考えを表す。ただ、小野の当時の作風について改めて考えると、小野が導き出した精神主義的な作風もまた、大きく見ると「浮世」だと言える。小野自身もまた時代に翻弄された「浮世」の画家なのでは。 小野に限らず、この作品の時代背景も、紀子の縁談も、一郎の好むヒーローも、時と共に流動的に変化している。浮世の中で人々は時代に合わせて生きている。 小野の語りからは、古風かつ独善的で自己を正当化しようとする性格が滲み出ている。当時を思わせるような人物像であり、現代では批判されそうな人物だが、これも時の流転を感じさせる。 「あら、縁談もうまくいったのね?」「なんか物語の設定からしてこういう終わり方なのか…」というのが最初の感想だったけど、イシグロはその終わり方に何かを表現しているのかな?とも思う。題名『浮世の画家』の意味とか、時代や人々の考えの変化とか、多岐にわたる考察ができて、やっぱりイシグロ作品は価値がある。読むのに体力を使うけれど、その分読後の余韻は一級品。
3投稿日: 2025.03.06
powered by ブクログカズオ・イシグロの第二作。戦後日本を舞台としていること、一人称の回想の語りによる作品であることは前作『遠い山なみの光』と同様。登場人物同士の視点や価値観のズレが読者に異和を感じさせながら展開していくことも共通しているが、大きく異なるのは『遠い山なみの光』におけるズレは未来に対する視点の違いにあったのに対して本作におけるズレは過去に対する認識のズレが描かれているところ。一人称の語りという構成上、語り手である小野の認識上の問題と事実との差分をどう捉えるか、そして語られることの背景で語られないことをどう推測するか、聞き手であり読み手である私たちの解釈の余地が素晴らしく表現された作品だなと感じる。
0投稿日: 2025.02.07
powered by ブクログ時代の流れの中で、持て囃されたり、批判されたりするものは一変する。戦前戦後は特に激変する中、迎合したり、反省して死すら選ぶ人も描かれている中、自分の信念を貫いたと信じ切ることの悲哀が、回りくどい会話や微妙な人との邂逅によってぼんやりと浮かび上がってくる。変化し続けることが重要、という無意識に根ざされた価値観を揺さぶられる体験となった。
1投稿日: 2024.10.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ページが進むにつれ、小野に対して、「お前…」と思いながら読んでしまった。もちろん日常で人にお前なんて言うことはないのだけれど。 戦時中に体制翼賛の戦争画を描いて評価されていた画家の晩年。 自分のしたことを後悔はしていないが、世間の目のせいで忸怩たる思いを抱えて、無自覚ではあるかもしれないが気持ちも少し揺らいでいるといった感じ。 弟子にしたことを後悔してなさそうなあたりは恐ろしい。
1投稿日: 2024.08.10
powered by ブクログ以前からちょっと気になる作家だった。ちょうど図書館前の「自由にお持ち帰りください」コーナーで見つけ、手に取った1冊。長崎県出身、イギリスの作家で、2017年にはノーベル文学賞を受賞した。 この作品は、老画家の回顧録のようなもの。戦時中に、戦意高揚のため、日本精神を鼓舞し名をなした主人公小野は、終戦を迎えた途端、周囲から冷たい目を向けられるようになる。戦中戦後と価値観が180度変わる大きな混乱期を人々は生きぬいてきた。「自殺」した仲間もいる。父親としての責任から、二女の結婚を何とか成就することをきっかけに、貫いてきた自らの信念と新しい価値観の間で葛藤する。舞台が、戦後間もない時代であるが、孫「一郎」に対する接し方などにも、海外ならではの個人主義的な価値観を感じる。大きなお屋敷の中で、ロッキングチェアに揺られながら昔語りを聞くような、静かな作品である。
1投稿日: 2024.05.23
powered by ブクログ戦後を舞台に、戦前、戦中に画家として活躍した小野が自身の過去を語る回顧録形式の小説。 日本を破滅へと導いた軍国主義を是とし、その信念をもって数々の絵画を発表。 当時大いに受け入れられ賞賛された価値観は、敗戦後には唾棄すべきものとして扱われる。 新しい価値観を理解し、それを認め、受容すること。 それが戦後で生きていくためには必要なのだが、価値観を変容し、新たなアイデンティティを形成するのは並大抵のことではない。 軍国主義を積極的に支持していたことに対する罪悪感、後ろめたさを拭い去ろうとする心の葛藤。 小野自身とて、もともと軍国主義など信奉していなかったのだというエクスキューズや、今や自身と袂を分かった弟子たちもかつては自分の考えを大いに支持し礼賛していたということを思い出す。 一方で、自身のかつての言動のせいで、自分の娘の結婚などに悪影響が出てしまっていることを危惧し、当時の関係者に当時のことはあたかも「なかったこと」にしてくれるよう求めたことを思い出す。 新しい価値観は認める。しかしそれを認めるとなると、古い価値観をもっていた時代に行ったこと、それに費やした時間はすべて無駄であったということになってしまう。 過去をすべて否定するのか、否定せずに受け入れることができるのか。 この小説はその壮絶な葛藤を、カズオ・イシグロの長編2作目にしてはやお家芸となる「曖昧な記憶」をもって見事に描いている。 舞台設定と表現方法は前作『遠い山なみの光』にとても近い。 戦後十数年で長崎に生まれ、その後すぐに海外に移住したというやや特殊な環境も影響しているのか、戦後という時代に特別な思い入れがあるのだろう。 また、彼が興味の対象としている、「変化する価値観の受容」あるいは「アイデンティティの崩壊と再生」みたいなテーマにとって、敗戦国の戦前、戦後というのはおあつらえ向きということもあるのだろう。 前作では女性の戦後価値観変化の受容、そして今作では男性の戦後価値観変化の受容を扱っている。 変化を受容するというのは、人格的な危機である。 事象AとBがあり、今まではAが正解でBが不正解だったものを、これからはBが正解でAが不正解となる生活を強いられる。 正解の人生を歩んできたと思っていたのが、突然、自分の人生は不正解だと言われる。これは危機である。 そこで、今までの人生を否定せず、新しい価値観を受容する必要があるのだが、そんな緊急事態に際して心が行うのは、記憶の再整理である。 矛盾する価値観に対して、それが矛盾でなくなるように、うまい具合に記憶を再整理し、整合的な記憶として、新たな価値観を自然に受け入れていく作用機序が人間の心にはある。 本作では、前作以上にその心の作用機序をうまく物語に取り込んでいるように見える。 すごい作品だと思う。 すごい作品だと思うんだけどね、私、カズオ・イシグロが描く子供が生意気すぎて受け入れられないんですよね・・・ 物語上で必要な役割だっていうのもわかってるんだけどね。読んでるとビンタしたくなってくる。 たまにビンタ超えて竜巻旋風脚たたきこみたくなる。 私には受容する装置がないらしい。 それでも、素晴らしい作品なのは間違いない。
13投稿日: 2024.04.14
powered by ブクログあなたのやったことは間違いだ、と言われるのは腹が立ちます。間違いか間違いではないかの前に、自分以外の誰かに言われることに、まず腹が立つだろうと思います。なぜなら、間違いかどうかを決めるには「これが正解」という基準が必要ですが、その正解はどこから来るのかが人によって違うはずだからです。私が行った「何か」は、私の基準によれば正解だったのです。なのに、「あなたは間違いだ」と言われる「正解」はどこから? この本の「小野」が、娘2人から、義理の息子から、弟子から、次女の婚約相手から「間違いを犯した」と判断されたのは、小野が活躍したのが戦争中で、その後「戦後」ではなく「敗戦後」になり、「正解」が正反対になったのが原因でしょう。小野は自分の「間違い」を認めますが、でもあの時はこういう幸福感があった、またある時はこういう信念があった、と繰り返し確認しているのは、「だから自分の人生としてはこれが『正解』だ」、と思うからだと思います。ですがこのように小野が、自分はあの時「間違った」のではなくこう考えたからああいう行動をしたのだ、と振り返れるのは、その行動を取ることについて「考えた」結果だったからだろうと思われます。つまり、この本を読んで「考えた」ことは、「間違ってはいけない」のではなく、「考えずにやってはいけない」のだろうということです。そうしないと、過去の過ちを振り返ろうにも覚えていないという事態になりかねません。そして、「間違いだった」と認めた後はどうすればいいか? また「考える」ことが必要なんだと思います。
0投稿日: 2024.02.01
powered by ブクログ終戦前後が語られている。ゆっくりと時間が流れる。このドラマに大きな起伏はない。主人公の画家は妻と息子を戦災で亡くしている。娘二人がいる。長女には子どもがいる。画家からすると孫にあたるその子との男同士の会話がユニークである。娘と父親の会話などにも心がひかれる。父親の気持ちを娘はまったくわかっていない。娘の気持ちを父親はわかろうとしない。次女の1つめの結婚話は破談になっている。その理由が何か分からない。僕は、この小説の舞台が長崎であると思い込んでいた。結局最後までどことは明かされていない。しかし、その思い込みのため、被ばくが原因ではないかと考えていた。「黒い雨」と同じように。でも、全くそういうことではなかった。どうやら父親である画家の戦前・戦中の思想に問題があったらしい。娘の次の縁談に当たって、画家は古い友人・知人をたずね、何らかの聞き込みがあったとしても昔の自分の思想についてあまり話してほしくないということを、それぞれに頼みに行く。弟子には会いに来てほしくないとまで言われている。画家たちにも師弟関係があって一緒に生活をしたりもしていたのか。駆け出しの画家には大した稼ぎもないし、すでに大家となった師匠に面倒を見てもらっていたということか。そして、その師匠の画風から逸脱すると、そこから出て行かなければならない。場合によっては、画家の世界で生きていくことができなくなってしまう。そんなことが、どこの世界でもあるのだなあ。カズオ・イシグロの世界は好きだなあ。 (新版でないのを読んだのだが、何か内容に違いはあったのだろうか。)
0投稿日: 2023.03.19
powered by ブクログ戦争前後の人間関係を回想を交えて語る一人称小説です。これまで築き上げた自分と時代や価値観の変化にどう折り合いをつけていくか苦悩する様子が本人目線で綴られています。 主人公の記憶や印象に基づいた真実が事実であるとは限らない曖昧さに翻弄されました。過去の出来事が徐々に明らかになるにつれて、「自分が捉える自分」と「他人から見た自分」の乖離も露わになり、痛みを感じました。
1投稿日: 2023.03.06
powered by ブクログ以前「記憶というものは思い出すたびに書き換えられている」と読んだ。終戦により今まで是とされてきたことが悉く覆される中、様々な記憶があやふやになり、自分のアイデンティティもあやふやになりかける主人公。 戦時中にいわゆる大人であった人は自分自身の崩壊とその再構築に苦労しただろうと想像した。
1投稿日: 2023.02.12
powered by ブクログ第二次大戦前から画家として活躍してきた小野が、うまくいかない娘の縁談や周囲の態度から過去を回想していく。師匠の耽美主義を離れて精神主義に傾き、戦時のプロパガンダに加担し評価され、自信を深めるが、価値観が一変した戦後の日本社会で、そのアイデンティティをどう扱ったらいいか迷い悩む。 語りの中で、小野が自分の記憶の曖昧さを何度も確かめるように表現している。話の筋そのものにはあまり関係しないが、読み手としてなぜかそこにひっかかりを感じてひきこまれる。 人が過去を振り返るときの記憶の曖昧さこそが、人間らしさであり、だからこそ生きていけるのかもと思わせる。ここに焦点を当てる語りが、著者の技の一つかもしれない。
2投稿日: 2022.12.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
少しばかり自意識過剰な画家が、思い出を振り返りながら、戦前戦後で浮き流れる世の中を生きる話。 日の名残りに少し似ているかな?と思ったが、あちらの方がカタルシスを強く感じた。 レポート書き終えたら、英訳でまた読み直そうかな。 覚悟と信念を持って行動すれば、成否に関わらず清々しい気分になると、彼らは自らの人生の妥協点を見出した。
2投稿日: 2022.11.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
とにかく和訳が素晴らしいと薦められた作品。 確かに訳とは思えない文章だったけれど、 内容的にはよくわからなかった。 結局、父娘の思いは行き違っていたのか? 父親が思うほど、彼の過去は影響のあるものでなかったのか? 昔の時代にありがちなモノをハッキリさせない内容が私の心には刺さらなかった。
0投稿日: 2022.01.30
powered by ブクログなぜ『浮世の画家』というタイトルなのだろうか。主人公は、自分は『浮世の画家』ではいけないと師匠のモリさんに言い放って、自分のスタイルを確立し世に認められたという。 モリさんは伝統を守ろうとしていた人だった。モリさんが守り続けていた提灯は、その後も炎をたやさずに残ることができたのだろうか? 主人公=日本社会(日本人?) 日本人にはキリスト教的な罪の意識はなく、恥の意識があるだけだと聞いたことがあるが、日本人特有の戦後意識が描かれているのではないかと思う。村上春樹と河合隼雄の対談なども参照し、考察したい。 主人公と松田が晩年孤独で人との交流がほとんどなかったことは、彼らが自分が国にとって影響力があったと信じ込んだ原因になっていたか。 余白が多いからこそ、これからも膨らみ続けるような作品だ。
0投稿日: 2022.01.26
powered by ブクログ数冊読んだイシグロ作品の中で一番好きだなあ。小津安二郎の世界に、ほんのちょっと社会派的要素を垂らしたような感じが良かった。ためらい橋とか、名前もなんかすてきだった。訳が良かったのもあるのかな。
0投稿日: 2021.12.31
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
名作「日の名残り」と同じように、自分なりのポリシーを持って難しい時代を生きた老人の回想という形をとっている。 老人は戦時中に、愛国心を支えるような活動をしてきた画家。一時期は高い地位を得ていた(それも本人の記憶の中だけで、実際はどうだったのか、最後の方には現実と記憶の乖離も考えられるようになっているのが面白い)。 戦後、新しい価値観が広がる世の中で、自分のしてきたことに対する誇りや反省、保身、様々な感情が入り乱れる。娘や義理の息子たちにどう思われているかも気になるし、威厳は保ちたいし…。 「時代の変化」の中で、小さな一個人が翻弄される…というほど大げさな設定でもない(戦場に行くわけでもなく、戦犯に問われるわけでもない、娘の縁談の心配をするくらい)、にも関わらず、国家に翻弄された多くの人々の姿を、鮮やかに切り取っているような印象がある。
1投稿日: 2021.08.07
powered by ブクログこれを30歳そこそこで書いたのか!とまずそこに驚く。たしかに日本人ぽくない言い回しや思考回路、やりとりはあちこちに見られる。特に、一郎。理路整然と喋りすぎ。けれど、主人公である小野は明治生まれの鼻もちならないじいさん。そんな作者自身からかけ離れた人間の自分語りを、その年齢でこのレベルの作品に仕上げるのがすごいと思う。いかに彼に祖父母の記憶があるとはいえ、カケラのようなものに過ぎないはず。そこからこのサイズの図を描きおこす筆力を、若くしてすでにもってたんだなぁ。 功罪という言葉があるけれど、功績の大きさを認めると罪の大きさも同時に認めざるを得なくて、そうすれば必然的に罰を受けていない今の自分を否定しなければならなくなる。それができない人間の弱さ、が描かれていると感じた。 戦時の芸術家は難しい立場に立たされる。世の趨勢を読むか読まないか、その読みが正しいのか。小野の挫折を私たちは歴史の必然として知ってはいるけれど、それは後世の人間だから「必然」と断定できるもの。その歴史の途上に点として配置された人間が「見えた!」と思って描いた世界が、ピンホールから覗いた世界に過ぎないことを知っているのも、後世の人間だから。出来事が歴史の1ページにピン留めされた後なら、いくらでも非難できる。 ピン留めされる前の「浮」いて動く「世」界を「画家」として切り取るには、覚悟がいる。画家だけではなく、小説家や詩人達もそうだろう。ノーベル賞をもらった小説家が、後になって非難を浴びた例もある。その中で、功と罪を一身に引き受けて物を言う覚悟はあるか? それを作者は自らに問うているのかもしれないと思った。
2投稿日: 2021.05.19
powered by ブクログ重たかったし、普段読む感じではなかったけれど、面白かった。画家なのがよかった。 前書きの最後の方の文章が、すごく同意した。
2投稿日: 2021.01.01
powered by ブクログ過去の過ちを認めたことと、マダム川上のバーがオフィスへと変わったときのタイミングが重なるのは、本作を象徴的に表している。現実と対峙するには、浮世(マダム川上のバー)から離れなくてはならない。
0投稿日: 2020.11.03
powered by ブクログ「少なくともその時は、信念に基づいて行動していた」 主人公の自尊心が強すぎる。こんな父親だったら面倒だと思ったけれど、昔の父親はこのような人が多かったのかな? 以前、NHKでドラマをやっていた。主人公は渡辺謙、上の娘が広末涼子。少ししか見ていないけれど。
0投稿日: 2020.10.07
powered by ブクログ過去に誇りを持っているのか、後ろめたいのか、この相反する二つの感情の同居が、主人公の語り口調と共に過去と現在を織り交ぜつつ描かれている
0投稿日: 2020.08.22
powered by ブクログ画家の人生を通して、戦前から戦後の日本における価値観の変化を描いた作品。 戦中から戦後の世情の空気の移ろいを察知した画家の、過去の自分の作品が世間に与えた影響と責任を認めつつも、時代を生きたという誇りは忘れない強さを感じる。 同じような境遇で責任を感じて自ら命を絶った作曲家との対比なども印象的ではあるが、この話から思い出されるのは藤田嗣治。 彼が戦後、この作家と同じような境遇に陥り、世間から大きなバッシングを浴び逃げるようにパリに移住したことは、時代と世論の変化の残酷さをつくづく感じさせる。 そして最近のSNSを通しての、諸々の炎上騒動についても同様に考えさせる。
3投稿日: 2020.06.16
powered by ブクログ時代の変化に取り残された一人の老人。それでも威厳を保とうとするが、その切ないこと。その哀愁は、我が身にも無関係ではいられない切実さもある。 『日の名残り』では大英帝国没落後も英国紳士を貫こうとする執事でそれを描き、この『浮世の画家』では敗戦後も家父長的父親を演じようとする画家で描く。 ただ、『日の名残り』の方がより必死さと切なさが描出できている。
0投稿日: 2020.06.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
こういう感想文を投稿するのは初めてなのでご容赦ください。以下の感想は読み終わったばかりの勢いで書いています。 最初から最後まで、画家・小野の視点で描かれている。『価値観の変動』と『生き方』に焦点を当てた作品だと感じた。私がこの本から受け取ったメッセージを以下に示す。 《価値観は時代とともに移ろい行くものだから、誰しも後になって自らの過ちに気がつくかもしれない。しかし、『自分の信念に従って、全力で生きた』ならば、それの信念が間違いであったとしても後悔はしないであろう。》 また、この作品では、とかく何かを明言するのを避ける傾向にある。しかし、多数の場面を組み合わせて、人の心の動きを鮮やかに描いていた。 以下に大まかな作品の流れを示す(完全なるネタバレです)。 戦時中、小野は〈地平ヲ望メ〉という版画作品で広く影響を及ぼした。この作品に描かれた精神は「お国の為に戦う」(だと考える)。作品は、当時の小野の信念に基づき描かれ、地域で大いに賞賛されたらしい。 しかし、終戦後にこの絵のテーマとなった精神は批判される。さらに、若者も当時の『権力者』への憎しみを曝け出す。それは、若者が『権力者』に、仲間の命を奪われたと考えるからである。 小野は、回想中に自らの過ちと、人々に与えた損害に正面から向き合い認める。価値観は移ろいゆくものであるからである。当時は良しとされていたものが、現代では悪になってしまうのである。 しかし、当時の小野が『自らの信念に従って、全力で行動した』という事実は変わらない。そして、彼は自らの過ちは認めても、当時の『生き方』には業績以上の満足感を得ていたのである。 一方、若者の言う『権力者』とは、将校・政治家・実業家達であったと判明する。そこで小野は自らが感じた責任の大きさは、自分の職業に見合っていなかったと悟る。けれども、確実に社会に影響を及ぼした者としての責任を感じ、また、自らの信念を貫いた事に誇りを持ちながら生きるのである。
0投稿日: 2020.05.05
powered by ブクログ著者作品は3冊目、かな? 前に読んだ『私を離さないで』『遠い山なみの光』と比べると、圧倒的に後者のテイストに近い。舞台が日本、戦後という背景も似ている。 でも、内容、というかテーマは『私を~』に近いのかもしれない。 キーワードは“記憶”か。 主人公である画家の“わたし”が現在進行形のように物語を語っていくが、実は当時を振り返っているということが分かる。戦後という“価値観のパラダイムの変化”の時代は『遠い山なみの光』的であり、その中で漂う人を記憶の中で描くのは『私を離さないで』的だ。会話の応酬のあと、こうした表現が多く見られる。 「あの日、三宅二郎はほんとうにそういうことばを使ったのであろうか。」 「その朝わたしが正確にそう言ったと断言するわけにはいかない」 日常的情景を思い描いた後にも、 「その晩の記憶に限って妙に不明瞭なところがある」 “記憶”という単語はそう何度も使わないが、明らかにこの物語は過去のものだ。しかも、曖昧な。つまり、過去は、歴史は、“今のわたし”の記憶によってのみ形づくられる。家族や友人関係、その立ち居振る舞いも全て。なんなら、自分自身も。 『私を離さないで』を読んでいるので、こうした“わたし”のひとり語りが、最終的にはどこにも落ち着かないのは予想がついた。ふわふわと空気の中に漂うように、記憶の断片である、画家の人生が語られていく。“浮世”(floating world)というタイトルが活きる。 “わたし”は師匠であるモリに別れを告げる。 「先生、ぼくの良心は、ぼくがいつまでも<浮世の画家>でいることを許さないのです」 しかし、これも“わたし”の中の都合の良い記憶に過ぎない。人の人生なんて、そんなものだ。それを受けとめて、このあとも漂い続けていくのだ。 それが運命だ、それが人というものだ。なんてことない戦後の日本の小さな町での日常を描いて、そんな普遍的テーマを浮かび上がらせるあたり、さすがだ。
0投稿日: 2019.10.05
powered by ブクログ浮世絵の画家の新版 老画廊は過去を回想しながら、自からが貫いて来た信念と新しい価値観の狭間に揺れる。 1986年にウイットレッド賞を受賞
0投稿日: 2019.08.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
戦前から戦後にかけて、主人公の意識の変化や、心情の揺れが丁寧に描かれていて、とても興味深かった。 時代に翻弄される人々の様子もリアルに描かれていて、激動の時代に想いを馳せる事が出来た。
5投稿日: 2019.08.15
powered by ブクログ2回目。いつも素晴らしい小説をありがとう。 初めて日の名残りを読んだ時はたまげたけど、テーマほんとうにそっくり。 日の名残りの方が華やかさと鮮やかな色彩感があって好きだけど、地味で淡々としていて暗いこちらも良い小説。 主人公のやるせなさや辛さも、周囲の気まずさや不満も、どちらも手に取るようにわかるから、読んでて少ししんどくなる部分すらあった。 今主人公を責める周りの人たち、すなわち二人の娘や素一や三宅家の人たちは、戦争中は何を考えてどう行動してたの? 主人公が先陣切ってやったことが戦後的価値観に照らし合わせれば良くない行いだとしても、当時彼ら周囲の人たちはそれを支持して尊敬したんじゃないの? 戦後「民衆は騙されてたんだ!」とかいう民衆の無責任さ、そう言いたくなるのわかるけど、でも一歩立ち止まって考えてみなよ!!! と言いたくなる。 彼らのも、小野とは違う方向からの自己正当化の一つよね。 小野の苦悩や考えれば考えるほどねじれてしまう建前と本心、自己正当化って側から見てるとなんて痛々しいの。自分でも痛々しい自覚あって必死に隠してるんだろうな、彼は。
0投稿日: 2019.07.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
集中力が続かなかったからか、あんまりおもしろくなかった。 なんかみんな奥歯にものを挟んだような物言いばかりで、 ちょっとうんざり。 率直に物言う孫はうるさいし。 うーん、これは私には合わなかった。残念。 戦時中の善が戦後には悪となる。 人をつくるのは状況なのかしら。 あとから考えるといかにも醜いことがその時は正しいと信じていたり、楽しいと思っていたりする。 そーゆー自分がいたことは確か。 人はいつでも善良であることは不可能だと思う。 ドラマは良かったらしい。観ればよかったかな。
0投稿日: 2019.06.28
powered by ブクログまもなく実写化! カズオ・イシグロ氏『浮世の画家』 BS8Kで24日、NHK総合で30日から放送開始。 日曜美術館、ドラマ試写会ともに好評でした!
0投稿日: 2019.06.19
powered by ブクログある一人の男の意識の流れ。この作品に漂う静けさ。ドラマを見たせいもあり、主人公の小野は、渡辺謙さんだった。
0投稿日: 2019.06.13
powered by ブクログ夏目漱石の『それから』とか、太宰治の『斜陽』のように、破滅的な最後に向かっていくのかと思っていました。これはこれで好きです。 翻訳版の文体のためか、今まで触れた同氏の作品と比べると、舞台がそうであるからという理由以上に、日本的な印象を強く受けました。 一方、少し気になる点もいくつかありました。 語り手である小野さんの話がいちいち脇道に逸れるのは、もちろんそれが物語の肉付けとして重要なエピソードだからなんですが、「逸し方」っていうのはそう何パターンもあるわけではないので、「またか」と少し気が散る印象がありました。 それから、誰かの発言を思い出した直後に「本当にそういう表現をかの人が使ったかどうかは定かではないが……」というのもちょっと多かった。もちろん、小野さんが記憶のフィルターを通して過去を語っているということを強調する意味で大変有効な表現なのでしょうが、多用されるとこれも「またか」と思わざるを得なかったです。 それでも、人物の気持ちの機微とか、戦前戦中戦後と移り変わる日本の機運みたいなものへの戸惑いが、丹念に描かれていて、しかも救いのない話でないところが、なにか希望のようなものをもたらしてくれる気がしました。
0投稿日: 2019.05.26
