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初期仏教 ブッダの思想をたどる
初期仏教 ブッダの思想をたどる
馬場紀寿/岩波書店
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総合評価

16件)
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    このレビューはネタバレを含みます。

    この本を読んで私が一番印象に残っているのは中村元先生の説が最新の研究においては否定されているという点でした。 もちろん、中村元先生の説く仏教が全て誤っていたというわけでは当然ないのですが、最新の研究によるならば、かつてよりも随分と違った仏教が私達の前に開かれているということになるでしょう。中村元先生の説といえども無批判に受け取ることはできないということにハッとする思いになりました。と同時に学問はこうして進んでいくのだとしみじみする気持ちにもなりました。 他にも、この本では最新の研究をふまえて、当時のインド社会とブッダの関係を見ていくことができます。後半ではブッダの思想そのものも解説されますので、初期仏教の全体像を掴むためにもおすすめです。

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    投稿日: 2024.08.23
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    近年の研究を踏まえた初期仏教についての解説 古代インドやスリランカの文献学の研究が進んでいるということ非常に驚く。 それまでの前提が変わることになるが、前の前提のまま大きなものを構築していった人達には読み辛いかもしれない。

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    投稿日: 2024.06.25
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    【ブッダって比喩の天才】 初期仏教の考え方が、とても簡潔に新書でまとまっています。 まず、インド人ブッダの考えは、情緒的な日本人から見ると、物凄い構成力を感じました。西洋から見ると同じ東洋でも、全然違います。 また、当時の他の宗教の、「アートマン」やら「業物質」などその存在が分からない仮定を取り除き合理的に考えたのがブッダだと思いました。 「私は美しい女性を愛している」と言いながらその女性について容姿も知らない男のようだ、というブッダの発言には納得できます。 最後に、「心の平静」を得るために、役に立たないことはバッサリ切り捨てです。 「毒矢を射られた時、どんな容姿の誰が何の目的で射たのかが分からなければ矢を抜かぬとなったら、その人は死んでしまう」というようなことを言っています。死後の世界や霊魂の存在などには、一切コメントしませんでした。 自分の教えを筏に例えたブッダ、「筏は大きな川を渡るためのものであって、渡った後に担ぐためのものではない」 比喩の天才です。それもこれも私たちが理解しやすいようにという、ブッダの思いやり(コンパッション)です

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    投稿日: 2020.08.10
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    仏教が出来た古代インドの背景から始まって、ブッダの教えを記録した仏典などを参照しながら、初期仏教のエッセンスをまとめている.聞きなれない言葉が頻出して読み直しながら把握してきたが、要点はp208に出てきた.曰く、四聖諦(ししょうたい)とは、「四つの、高貴な者たちにとっての真実」である.「五つの執着要素は苦である」(五取薀苦)ことが「苦という、高貴な者たちにとっての真実」(苦聖諦)であり、「再度の生存へみちびく渇望」が「苦の原因という、高貴な者たちにとっての真実」(苦集聖諦)である.「再度の生存へみちびく渇望の停止」が「苦の停止という、高貴な者たちにとっての真実」(苦k滅聖諦)であり、「八聖道」が「苦の停止へみちびく道という、高貴な者たちにとっての真実」(苦滅道聖諦)である.そして、最後の苦滅道聖諦に位置づけられた「八聖道」は、「八項目から成る、高貴な者たちに属する道」である.ここに出てきた「高貴な者」がブッダである由.この初期仏教が中国経由で日本に入ってきて鎌倉時代に日本型仏教として花開く訳だが、そのあたりもあたらめて読んでみたい.

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    投稿日: 2020.07.24
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    紀元前500年ぐらいに現れたゴータマ・ブッダが悟り、そして教えを説いた。それが後年仏教と呼ばれたものの初めである。大乗仏教とも違う最初期の仏教を「初期仏教」と呼ぶ。原始仏教という呼び名もあるが、著者は初期仏教を採っている。仏教を歴史的文脈で読み解くことを目指し、資料と歴史に基づいた解釈を行っているという。分かりやすい説明で、ブッダが教えを説いた背景や状況などが説明されている。部派に分かれた仏教教団であるが、そのなかで共通したものを取り出しそれが教えの神髄である。布施、戒、四聖諦、縁起、五蘊、六処などは、初期仏教の時代には成立していたようだ。「聞く耳あるものたちへ、不死への門は開かれた。」

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    投稿日: 2020.03.20
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    馬場紀寿が「初期仏教」としたのは「原始仏教」に対する批判が込められている。更に小部(しょうぶ/パーリ五部のうち半分以上の量がある)は苦行者文学で結集(けつじゅう)仏典に非ずとの指摘は『ブッダのことば スッタニパータ』が「ブッダの言葉ではない」と断言したもので、少なからず中村元〈なかむら・はじめ〉に学んだ者であれば大地が揺らぐような衝撃を覚えるだろう。 https://sessendo.blogspot.com/2020/02/blog-post_98.html

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    投稿日: 2020.02.14
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    自身が仮説する仏教の始まりとそのきっかけを推し量るのに最適な書であった。またそれとともに、世界におけるあらゆる宗教の系譜を描き出しそれに伴い発生しうる課題もある程度想像ができ府に落ちる読後感が得られた。 途中ゴッチャリと提示される定義づけなどは差し置いて、原理主義にならない程度に、仏教を追求するのには最適な書だと思う。 追記 日本の仏教は独自の発展展開がなされていると理解は深化改めて追求を楽しもうぞw

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    投稿日: 2019.08.02
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    大乗仏教が成立する以前の仏教と大乗仏教独自の言説を見分けることは、素人には難しい。本書は仏教の教えが書写されるようになったことを契機に大乗的な思想が形成されていったことを指摘しつつ、それ以前の仏教のあり方を、バラモン教やジャイナ教などとも比較しつつ描き出していく。解脱とは何かについて、仏典に即して丁寧に説明されているところがありがたい。

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    投稿日: 2019.07.17
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    仏教というか宗教全般にこれまで触れてこなかった。おばあちゃんが毎日お仏壇に手を合わせてる姿は見ていたし、自分も折に触れて死んだおじいちゃんに定期報告をすることはあった。しかし、仏を信奉する対象として考えたことは一度もない。 本書を読むきっかけは、むしろ東洋思想が流行っているからというものだった。 本書から学んだことというと、正直なところ、①仏教というのは意外にも、社会変化を仕掛ける攻撃的なルーツを持っているんだなぁということ、②仏教が目指すのは無欲の状態、しかもあらゆる事柄に対して求める気持ちがなくなる状態である、ぐらいだった。 というのも、分かりやすく説明してくれているのだとは思うが、いかんせん難解な用語や概念整理が多く、理解が難しい。メモを取りながら読み進めるならば、より理解が進むと思う。そういう意味で、将来の自分に期待したい。いずれにせよ、一読しただけではなかなかなか飲み込めない本だった。 未来への執着を捨てるというのは、自分の悲観主義と相まっていいなと思えた。

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    投稿日: 2019.05.11
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    ルソーみたいな「起源経」の話はおもしろいな。 うしろの方で、お釈迦さんの基本的な教えについてもいろいろ誤解していたことに気づく。

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    投稿日: 2019.05.07
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    最新の学説を素人にも分かる平易な文章で読ませてくれる。 バラモン教とジャイナ教を並置してくれたことで、仏教における自己について、これまでで最もすんなり納得することができた。素晴らしい本に出会えて良かった。

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    投稿日: 2019.04.23
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    専門的な箇所もあるため、リーダブルではなかったが、最新の仏教研究が反映されていて、中村元の本などで仏教知識を得ていた読者にはアップデートされてとても興味深かった。 本書の意義はここにある。P.75「韻文仏典がもともと結集仏典とは別のものであったという事実は、両者の区別をせずに初期仏教を論じる研究方法に問題を提起することになる。成立時期も編纂者も異なるそうした仏典を十分な吟味を経ないまま用いるなら、果たして存在したのかどうか曖昧な初期仏教像を作り上げてしまうことになりねない。そこで、本書では、そのような危険を避けるために、韻文仏典は取り上げず、結集仏典の原形に焦点を当てることにする。」

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    投稿日: 2019.04.13
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    「老師と少年」が面白かったので、もう少し仏教について勉強ししようと思って読んでみました。 仏教は紀元前5世紀頃から広がり始めたそうで、その教義は口頭で伝承された。 紀元前後になると教義を書き写した経典が出始め、様々な流派が生まれた。 この、始まりから経典出現の手前までが初期仏教と定義している。 混じりけのないブッダの思想を知るには初期仏教が良さそうだと思ったわけです。 しかしブッダの死後、その教えをまとめた経典は「三蔵」と呼ばれているが長い歴史の中でその原点の大半は失われている。 (やっぱりなーという印象) これまで、仏教の考えの中に「徳目を積む」てのがあるけど、それと煩悩を捨てて悟りを開くことがどう繋がるのかが分からなかった。 どうも ①善行(徳)を積む行動をする事で社会は平和になる。これは悟りを開くための基本条件 ②悪い刺激が少なくなったところで、仏教では認識主体としての「自己」の存在を認めていない。思い通りにならない感覚器官の刺激は根拠のない「錯覚」であると理解する ③輪廻の原因を作るものは「渇望」である。 渇望という原因から執着が生じ、執着という原因から生存が生じる。 渇望は「快楽への渇望」「生存への渇望」「無生存への渇望(死への欲動)」を指す。 渇望を排除することが、解脱への道 と言うことのようだ。 正直、合っているかは分からない。 とりあえず、とんでもねーこと考えてるな。と 次は禅マインドを読んでみようかな。

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    投稿日: 2018.11.17
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    第1章 仏教の誕生 第2章 初期仏典のなりたち 第3章 ブッダの思想をたどる 第4章 贈与と自律 第5章 苦と渇望の知 第6章 再生なき生を生きる 著者:馬場紀寿(1973-、青森県、仏教学)

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    投稿日: 2018.11.14
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    今まで「四聖諦」「縁起」「五蘊」「六処」などを、かなり詳しく個別に学んできたが、今ひとつ理解が深まらなかった。ところがこの本に接し、初期仏教を網羅的・体系的に捉えることができ、ある意味「目から鱗が取れる」ように理解が進んだ。決して容易な内容ではないが、中級者にとっては「教え」を再認識・再確認するための適書であると思う。

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    投稿日: 2018.10.02
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    原始仏教という一般的な用語を用いずに初期仏教という用語を使うのは著者の主張に沿ったもので、紀元前の口述伝承の時代を広く指しているようだ。アショーカ王の前の時代の仏教の5教派の共通の教えを基に、ブッダ自身の教えが何だったのかを探る。確かに口述伝承から文字化される前の時代に教派を超えて主張されたことが釈迦そのものから発していることは間違いないだろう。釈迦の生没年が大きく2つの説(BC448~368頃、BC566~486)に分かれている…、このような常識を意外と知らない自分を感じた。インド社会で初期の仏教が「虚無主義者」「隠れ唯物論者」として批判され、異端思想とされていたというのは実に興味深く、またうなずけるところだった。「涅槃」「アーリア」という言葉の元々の意味(消滅⇒不死、高貴な者⇒人種名)の説明も分かり易い。

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    投稿日: 2018.09.28