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会社はこれからどうなるのか
会社はこれからどうなるのか
岩井克人/平凡社
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総合評価

36件)
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    このレビューはネタバレを含みます。

    古さを感じない内容だった 会社はだれのものか、会社はどこへ向かうのかを丁寧に記載している 株主のための会社、という考え方に疑問を投げかけるとともに、会社のもつ「ヒト」と「モノ」としての二面性について論じている。 これからの会社の在り方、会社との付き合い方、というのを考える上で参考になる一冊かと思う。 まとまりのない記載と感じる部分もあり、個人的には少し読みにくさもあったが、インタビュー原稿を元に書籍化したというあとがきを読んで納得した

    0
    投稿日: 2025.08.21
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    会社は株主の〈モノ〉でしかないという株主主権論は、会社と企業とを混同した、法理論上の誤りだという立場を標榜する著者が、「法人」がほんらいもつはずの公共的性格について考察をおこなっています。 会社とはたんなる企業ではなく「法人」化された企業だということを認識しなければならないと著者は主張します。近代市民社会は、〈モノ〉を所有する〈ヒト〉の権利を認めるとともに、誰かによって所有されることのないものとして〈ヒト〉を定めました。しかし「法人」は、こうした〈ヒト〉と〈モノ〉という二つの側面をもっています。ほんらい〈ヒト〉でないのに、法律上〈ヒト〉とおなじようにあつかわれる〈モノ〉が、「法人」なのです。 アメリカの株主主権論では、法人は〈モノ〉として理解されてきました。ところが、株をたがいにもちあうことで、ほかの〈ヒト〉に所有され支配されることのない、純粋な〈ヒト〉としての性格をもつようになったのが、日本型会社システムだと著者はいいます。それはアメリカ型の企業モデルとは異なるものの、「会社」のひとつのかたちとして認められなければなりません。 〈ヒト〉としての性格の強い日本型会社システムのもとでは、サラリーマンは会社への所属意識を強くいだき、ほかの社員や得意先とのつながりといった、会社のなかでしか役に立たない人的資産を重視する傾向が強くなります。いわゆる日本的雇用システムは、こうした会社のありかたとセットで成立しました。 こうした考察をおこなったあと、著者はあらゆるものを平準化してゆくポスト産業資本主義では、〈ヒト〉がもつ知識や能力が「コア・コンピテンス」としてますます重視されるようになるという見通しを示し、〈ヒト〉としての性格の強い日本型社会システムが今後進むべき方向についての展望をおこなっています。

    3
    投稿日: 2024.10.10
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    他の製品/サービスとの差異が利潤につながるポスト産業資本主義社会においては、差異をスピーディーに生み出せる個性的な組織づくりが重要で、そのためにも組織を構成するヒトのスキルアップに注力する必要があるーー。平成中盤に示された稀代の経済学者による提言は、令和の今もなお色褪せていない。

    0
    投稿日: 2024.04.03
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    書店で目に付き購入しました。これまで岩井氏の本は何冊か読んでいましたので、その意味で本書はこれまでの岩井氏の主張のおさらい、という位置づけでしたが、大変読みやすく改めて岩井理論の面白さを再確認できました。岩井氏の主張を一言でいうなら、会社はヒトでもありモノでもある存在ということ、そしてその中心に位置しているのはフィドゥーシャリー・デューティ(信任義務)だ、ということです。 私自身はこの主張に同意できましたし、本書を読むにつれ、いかに世間の多くの識者の視野が狭いか(あたかも「群盲象を撫でる」という故事のように)、またロナルド・コース流の、会社は情報流通の効率化のために組織化されている(つまり社外の人との取引費用が大きいため会社が組織化されている)、という取引費用理論が本質をついていないということを再認識しました。 本書ではまったく議論されていませんが、本書の法人理論を読むにつれて、はたしてAI(人工知能)はどのような存在として将来位置付けられるのだろうかと感じました。おそらく遠くない未来に、人工知能にも「人格」を与える、という国が登場するでしょう(これまでの例にもれず英国あたりがその最初の国かもしれません)。するとAIはヒトかモノかという論争がビッグイシューになるであろうこと、その際は、「A or B」ではなく、岩井氏の法人論のように「ヒトでもありモノでもある(A and B)」存在としてとらえるべきなのだろう、と本書を読んで想像を膨らませました。

    0
    投稿日: 2023.05.08
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    欧米の会社と比較しての日本の会社の特質を分析しながら、会社の法人格の定義をした著作として読んだ。 自身も25年前の入社数年後の社内レポートで、管理職を専門職能を持つ師匠として定義したことがあり、他でも共感を以って読ませていただいた。 現在においては、優秀な学生の志向は、将来の独立も視野に入れた修行の場としての就職先を求めていることが現実にみられていて、日本の会社も課題が多いと感じている。

    0
    投稿日: 2021.12.26
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    今年度上半期ベスト5に入る面白さ。 ・会社 ・資本主義 のことが本質から非常によくわかる本。 会社(法人) → 所有する主体としてのヒトと所有される客体としてのモノの二重構造を持つ存在。法律上、ヒトでもモノでもある。 資本主義 → 資本主義の本質は「差異から利潤を生み出す」こと。現在の差異の源は、人的資産。個人や組織から不可分な能力・知識・資産。

    0
    投稿日: 2021.08.08
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    会社について、歴史的にも、構造的にも、説明している。「株式会社無責任論」をベースに、その株式会社に在籍している者の一人として、もっと思い切った施策をやるべきだと、提言してきたつもりだが、その根拠となる点が整理できた。 ヒトとしての会社の復活、文化的には、日本人が、取りいれやすいのではないか。というのは、目から鱗。 それにしても、この本のアイデアが、エンロン破綻事件の前に温められていたというのは、著者の時代の先を読み通す力のあらわれで、すごいこと。

    1
    投稿日: 2020.06.03
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    「利益は差異性からしか生まれない」、「ポスト産業資本主義社会では新たな差異性を次々と創り出して行かなければ生き残れない」という言葉に暗澹たる気持ちになる。本当に創造性のない人間にとって生きづらい時代だと思う。そして不毛だ。 この本を読んで、 差異性とは具体的にどんなものだろうか?各企業はどのような差異性により利益を上げているのか? なくならない差異性、なくなりやすい差異性は何だろうか? 差異性により利益を得るこの社会は、公平な社会へと向かっているのだろうか?それとも差異(格差)の維持を目論んでいるのだろうか? もっとよい社会の仕組みはないのだろうか? …etc というようなことが脳裏に浮かんだので、もう少し考えたり本を読んだりしたいと思う。 読みやすく、それなりに刺激的で、適度に学術的なバックボーンの存在も感じられるということで、経済学関係の最初の読み物として非常に読後の満足感は高かった。

    0
    投稿日: 2019.12.08
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    読みやすかった。大学一年生にはこの本を必修にしてほしい。今でも読む価値は十分にある。タイトルはタイトルとして、テーマは時勢により古くなるものではない。しかし展望については岩井先生少し甘かったのでは(というか歴史は繰り返されると言ってもグローバル経済と日本政府クソすぎない?)と思う。あるいは大企業正社員男子みたいなクラスを主に想定しているのかなぁ、そんなこともないはずだけど。面白く勉強にはなったけど自分の展望にどう役立てるかはちょっと…時間ができばまとめてから感想を書きたい。

    0
    投稿日: 2019.03.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    とても示唆に富む一冊。 会社とは法人である。すなわち、人であり、モノであるという二面性を持っている。株主主権のイメージが強すぎるのは、「会社=モノ」の側面が強く出すぎている。実際には、株主が所有する「モノとしての会社」は、株主に指名され、「モノとしての会社」から委任された経営者が運営している。そこには、「人としての会社」という忘れてはならない側面がある。 会社が稼ぐためには、他社との差異化が必要。そのために必要なものが、「設備・資産」⇒「アイデア」に変わってきている。そのため、「アイデア」や「イノベーション」の重要性が大きくなる。そして、それらに向かって、金が動き回る。将来的には、規模/範囲の経済を活かした非常に少数のグローバル企業と、非常に多数かつ小規模でアイデアを継続的に生み出せる企業に二分化されていく。 会社で働く人たちにとって必要なことも変わってくる。長く働くことを前提にした「組織特殊的な能力」の重要性が下がり、「汎用的(ポータブル)な能力」の必要性が高まる。両者のバランスするポイントが変わってくる。

    0
    投稿日: 2019.01.27
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    そもそも会社とはどのように誕生したのか、法人とは法律的にどのようなものであるのか、ありうるのかを考察し、これからの日本の会社と資本主義の形について考えます。 各章、感動しましたが(ふわっとしたイメージに形が与えられる感じです)、特に第四章の「法人論争と日本型資本主義」に衝撃を受けました。世間で当たり前のように運用されている「法人」という概念が、現代においても「名目的なものであるか」「実在するのか」という形而上学的な議論の争点になっているのが驚きでした。法人のあり方について多様な解釈があるからこそ、日本的な会社、米国的な会社がどちらも存在しうるのだ(どっちが正しいということはなく)ということが理解できます。

    0
    投稿日: 2018.01.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    コアコンピタンスとは、たえず変化していく環境の中で生産現場の生産技術や開発部門の製品開発力や経営陣の経営手腕を結集して、市場を驚かす差異性をもった製品を効率的かつ迅速的に作り続けていくことのできる、組織全体の能力 単純に得意な分野のことだと考えていたが、いつそれを越える技術が出てくるかわからないので、それを生み出す組織、力のことを指すという言葉に目から鱗。

    0
    投稿日: 2016.08.01
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    インタビューを元にしているので読みやすい。 分析は的確。 デフレ脱却の策が失敗であるのは間違いないが,経済学者として正しい策は提示できないのか?

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    投稿日: 2016.02.04
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    会社の歴史的な経緯、現在の構造分析から、今後会社がどうなるかまで示唆している点が素晴らしい。将来像についても、会社は将来独立をするための修行の場と考えるという考え方が良いと思った。そうすると社内政治はさしずめ将来クライアントとやりとりをする際のコミュニケーション能力を磨く場ということかな。

    0
    投稿日: 2015.09.19
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    経済学者・岩井克人が書く易しい会社法人入門書のような一冊。産業革命以降の近代社会の黎明期から21世紀までを貫く資本主義のあり方と、その中で会社という法人がどういう立ち回りをしてきたか。バブル崩壊で低迷する日本的な「ヒト」的な会社共同体も捨てたもんじゃない。だって90年代敵対的買収ばかり行ってきたアメリカ的な「モノ」的な会社もエンロンショックで崩壊したじゃない。21世紀的な労働のあり方に、日本的な会社法人は実に有益ですよという、現代ニッポンの若者を心底励ましてくれる良書。とにかく難しい内容が分かりやすい!

    0
    投稿日: 2015.09.08
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    会社は株主のものなのか。会社が利益を上げることで、会社のためにお金を提供してくれた株主に恩返しをすることができます。株主あっての会社なのだから、なんとしても利益を上げなければいけない。利益が出れば、株価も上昇します。そうすれば株主も喜びます。また株を買ってくれる人が増えます。会社にとっても株主にとっても言うことなしです。しかし、経営者が株主ばかりを見ていて、従業員はついてくるのだろうか。ということで、日本の従来型の会社が見直されています。年功序列・終身雇用と従業員にとても優しい、家族的な会社。その中で高度な技術が伝承されたりもします。どちらが良いのか、もっと別の形があるのか、それは今後の世の中の様子を見ないと分かりませんが、環境問題をはじめ会社の社会的責任が問われている現在、会社は社会のものでなければならないようです。本書は前著「会社はこれからどうなるのか」の続編として出版されました。会社=法人企業の本当の意味は実に難解なのですが、本書を読めばその雰囲気が分かってもらえるでしょう。最後に収録されている、糸井重里との対談だけでも値打ちはあります。経済学を学ぶ意味が少し分かったような気がします。

    0
    投稿日: 2015.04.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    タイトルはおいておいて、個人的には会社の成り立ち、そしてその学問的分類、変遷が興味深かった。今後研究していく上で意義のあるものだった。それにしてもどうやったらこんな考察ができるようになるのだろう。 最後にNPOに言及されていたのにはびっくりしたが、もしかしたら今後そうなっていくのかもしれない。現にいくつか社会活動家がNPOで成功(?)しているらしいし。

    0
    投稿日: 2014.09.21
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    「会社」とはそもそも何なのか?「会社」はこれからどうなるのか?学者の立場からこれらのシンプルな問いに答えている。かたい話題の割にはスラスラ読めた。

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    投稿日: 2014.06.17
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    企業と会社は似て非なる存在。ポスト産業資本主義とはどのような時代か。書かれた時期は少し前だが、その根源的な問いとそれへの回答は、今読んでもなお刺激が多い。 ひきつづき、他著が読みたくなる。

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    投稿日: 2013.07.04
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    会社についてとても丁寧にわかりやすく書かれていてとても良い本だと思います。 サラリーマンやサラリーウーマン、これから会社に入ろうとする若い人たちはぜひ読まれるといいと思います。かなり希望が持てる内容になっています。 コーポレート・ガバナンス(会社統治機構)やコア・コンピタンス(会社の中核をなす競争力)などのなんか流行りの言葉みたいなものもわかりやすく説明されていてそそられますし、エンロン事件やサーチ&サーチ社で起きた事例やマイクロソフト社の例など事実を摘示しての理論の展開がなされるので興味深く読めると思います。 しかも、差異から利潤を生み出す資本主義の原理から説き起こされて、ポスト産業資本主義における会社のあり方、さらにその会社での働き方まで示されています。 ただ、私のように会社から脱落してしまい、組織特殊的な人的資産や汎用性のある人的資産としての知識や能力を身につけることが出来なかった者としてはもう時既に遅しです。残念。 それに、これだけ物やサービスが過剰になっている日本では、利潤を生み出す差異性を創造するのは相当困難のではないかと思われるため、平凡な大衆は他の人達とそれこそ差異がないからこそ平凡なのであって何の利潤も生み出せないまま食い詰めてしまうのではないかとふと感じてしまいました。 ですから収入を確保するには高い専門性のある知識や技能を身につける努力が必要で…そしてそれらはごく一部の人達によってしか達成されないのではないかと考えてしまい社会全体としてはなかなか楽観はできないかな?とか思いました。

    0
    投稿日: 2013.03.08
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    資本論とかも含む幅広い話題でなかなか面白かった。元々インタビューの書き起こしなので、文体がバラバラな所が少し読みづらいが、内容が面白いのでどんどん読めてしまいす。 これからの会社の姿については、個人的に感じてる事と同じだったので、そこも興味深く読めた。

    0
    投稿日: 2013.02.16
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    「法的には単なる雇われ人に過ぎないサラリーマンが、何故、自らを会社の内側の人間として捉えるかというと、つぶしのきかない組織固有の知識や経験に長年投資し続けてきたから。会社と運命を共にせざるを得ないから。」

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    投稿日: 2012.08.25
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    タイトル通りの本。 アプローチの仕方が「ヒト」と「モノ」の違いから始めることで法人名目説と法人実在説をどう解釈するべきかをはっきりさせているのが個人的にすごくわかりやすかった。 また、利益の源泉を「差異」に求め、グローバル化、IT化が進む昨今ではどんどん差異がなくなる→利益を得る機会がなくなるがゆえに会社は変わらなくをえなくなるという見方は考えさせるものがある。

    0
    投稿日: 2012.08.14
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    現代の資本主義は、かつての資本主義と何が変わったのか、会社を成り立たせていくためのバックボーンは何か、について。 中身とは直接関係ないけど、どうにも学者センセイの話、という印象が強かった。繰り返しが多いし、文章もややダラダラと冗長的な感じ。端的に言うと、読みづらい。言葉遣いも「?」が浮かぶ表現が多かったり。例えば、「だが」で始まった文の末尾を、「です、ます」で締めてたり。関係ないとこで引っかかったのは、自分がもったいない。

    0
    投稿日: 2012.07.02
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    こちらの本においては縷々旧来の株主主権論の是非が論じられており、最終的に著者は旧来の株主主権論に対して「No」を突きつけています。 著者の提言が荒唐無稽だというつもりもありませんし、著者が提示している歴史的事実に誤りがあると言うつもりもありません。 ただ、著者が提言の前提として繰り広げる議論については数多の疑問を禁じ得ません。 それがゆえに、著者の下した結論や、最終的に著者が行っている提言(NPOをはじめとする非営利団体にヒントを得よう、など)の信頼性にまで揺らぎが生じかねません。 例えば、法人制度は契約関係を簡略化するために生じたというのは著者の指摘するところですが、それゆえに会社が「社会」の承認にその存在を基礎づけられるとか、会社が「社会の」公器だというのには論理の飛躍を感じます。 法人制度が契約関係を簡略化するために生じたのであれば、「社会」ではなく「契約の(潜在的な)相手方」の承認があればよいはずです。 また、会社と経営者の間の関係を「自己契約」とし、経営者の契約遂行の合理性は経営者の倫理観のみに依存するというのもどうなんでしょうか。 そもそも会社と経営者の間の関係を「自己契約」に終わらせないために株主が存在するわけですから。 経営者の倫理観なんて本来的に信用ならないから法律で規制しようというのも、倫理観がだめならなぜ法律が登場しなければならないのか。 人的資産しか有しないヴェンチャーに対して担保設定しようとすれば奴隷的拘束の禁止に反するというのもよくわかりません。 いわゆるキーパーソンとの間で連帯保証契約を締結し、実際に求償するばあいに債務弁済契約を締結してはならないの? さまざまな論理の飛躍を駆使してまで著者が旧来の株主主権論を否定し、株主に対する利潤の分配に抵抗しようとするのは、いわゆる日本的経営に対する単なるノスタルジーなのではないかとさえ感じてしまうほど、前提部分の考察が杜撰に感じます。

    0
    投稿日: 2012.06.17
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    書名への答えである「ポスト産業資本主義」が何も特別な新しい社会ではなく、「利潤は差異性からしか生まれない」という原理から導かれる当然の帰結、という解説がしびれた。毎日の会社の中で起きること、起きつつあることが描かれていてなるほど~の連続。これはビジネスマン必読と思う。  非常に読みやすくて、前半の「法人」の説明と後半の「ポスト産業資本主義」の説明をベースに、その前後半が「日本型資本主義」という今属している世界の話でもって滑らかに結びつけられていて、非常にしっくりきた。学者さんの本は理屈がしっかりしてて好きだな。  しいて言うならポスト産業資本主義を示すもっと明解な言葉があればよかった。

    0
    投稿日: 2012.03.26
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読了2012/02/23 【まとめ】 Ⅰ、不思議な存在としての会社   近代市民社会のもとにおける法人としての会社には、株主に所有される「モノ」としての側面と会社資産を保有する「ヒト」としての側面がある。会社の形態を巡る争いは、両者のうちどちらに重きをおくかという立ち位置の問題であった。コーポレートガバナンスはこの両義的な立ち位置を巡る争いから生じている。  法人は会社を契約主体とするものであり、法人制度は契約関係を安定化させるためのものとして生まれた。ここで、法人は観念的なものであるため、実際の運営には手足となって働く専門的な経営陣が必要とされる。しかしながら、法人の代表として彼らが結ぶ契約は、得てして自己契約になる恐れがある。これを防ぐために、(信任義務など)法律上、経営者には信認受託者としての一定の倫理性が課せられている。経営と所有を近づけようと言うアメリカ型のコーポレートガバナンスは、所有と経営の一体化した古典的企業のガバナンスと株式会社のそれを同視する理論的誤謬であり、この倫理性を解放したため必然的に失敗する。 Ⅱ、おカネの支配力の低下   ポスト産業資本主義においておカネの支配力は低下する。ポスト資本主義においても、差異性から利潤を獲得する資本主義の本質は変化しない。しかし、ポスト産業資本主義の時代は、「情報の商品化」など、差異性を意図的に創出し続けることが必要とされ、重厚長大な設備投資を行い労働生産性を高める産業資本主義とは異なる。そこでは従業員が築く人的資産の重要性が高まる。それはインセンティブによって引き出せても、おカネで買うことは出来ない。このことから、おカネとヒトの重要性が後者に傾き、株主主権論が主流化することはない。会社に求められるのは、従業員たちが、組織特殊的な人的資産を共同で築けるような心地よい環境である。株主からの支配(ホールドアップ)を拒み、長期的関係から従業員間の信頼を維持することが会社にとって重要となる。 【感想】  インタビュー形式だったためか、やや冗長な印象で2/3ぐらいにまとめられる感じがした。  基本的に、『モノとしての会社≒株主主権論≒欧米型コーポレートガバナンス≒法人名目説』に『「ヒト」としての会社≒法人実在説≒筆者のコーポレートガバナンス』を対置し、前者が企業と会社の混同から生じた理論的誤謬で、日本とは馴染みにくく、実際失敗しているかを示し、後者が倫理性の点で勝っており、ポスト産業資本主義に相応しいものかを説くものとなっている。  日本的経営はポスト産業資本主義に必要とされる組織特殊的な人的資産を育む制度として優れた面が合った。しかしそれは高度に産業資本主義的な会社として適応しすぎており、ポスト産業資本主義に相応しい形にはなっていないという主張には既視感ならぬ既聴感がある。戦前の軍隊よろしく日本の「家」制度的な官僚制度なのだなあと変に納得してしまった。  山本七平はかつて、日本の「家族的組織」について、家族は目的を持たずその存続のために機能することが望まれ、そのために、目的のために正当化は必要とされず、自身の存続のための調和が必要である。組織が目的に対応して正当化出来ている間は、家族内部の調和によって最大の力を発揮する。その一方で、目的から自己正当化できなくなっても家族的調和の原則は存続してしまうから、目的に対応出来ないまま存続し続ける。との旨を述べたが、もし筆者の言うようにポスト産業資本主義では、会社の新陳代謝が高まり、寿命は短くなるとすれば、どのようにして生存のみを組織の目的とする「家族的組織」の新陳代謝を高めうるのだろうか?短期的に痛みを伴う大改革か、現在ある仕組みからのモデルチェンジか?  山本氏は、この問いについて、日本人の日常性という規範が変化しない限り、つまり日本人が日本人である限り根本的に解決は出来ないとする。よって、考えるべき問題は、家族的組織が植物組織化(植物状態化)した際に、いかに倒産させ、遺産を継承しながら、いかにその構成員を別の組織に調和的吸収し、新しい組織的家族に相続させるかである。今要請されるのは、新しい事態へ対処するために自己の伝統、すなわち通常性の規範に基づいて、もっとも少ない混乱による社会改革の方法論を考えることである、と『なぜ日本は変われないのか』で述べている。「停滞」への焦りから、「欧米仕込み」の改革に飛びつくことだけは辞めてもらいたい。

    1
    投稿日: 2012.02.23
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    10年近く前の本だとは思えないほど資本主義と会社について、現在に当てはまる基本的な事項がまとめられている。もちろん今となっては若干懐疑的な部分が含まれているがそれを考慮しても良書。

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    投稿日: 2012.01.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

    良著。 前半は、会社そして法人とは何かという説明に終始しているけれど、 後半はポスト資本主義における「強い会社」だとか「これからの働き方」の話になります。 キーワードは差異化と人的資産。 やさしい文章で、みんなが何となく感じているであろうことを明快に論じているので、頭が整理できる一冊。

    0
    投稿日: 2011.12.04
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    会社とは、モノとしての存在と、ヒトとしての振る舞いを併せ持つ特異なものである。 その会社を株主はモノとして扱いたいのか。経営者達はこの会社というものをヒトとして成り立たせるために、手となり足となり、頭脳となる。 日本の会社は、従業員でさえこの経営者として機能している。 商業資本主義から産業資本主義になり、そして現在ポスト産業資本主義の時代、今後の資本主義は何が基軸として機能するのか。 それは、今までと違い差異を意図的に作り出す事。第三の波とか情報化社会とか言われる状態。 そのような状況で「グローバル化」「IT革命」「金融革命」は必然的に手を取り合って訪れた、ということか。 そこでは、個々人のコアコンピタンスこそが重要な差異を産む源になると予言される。

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    投稿日: 2011.09.24
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    ポスト資本主義には日本式経営に利があるのは納得。しかし現実では決算の方式などが欧米をスタンダードとして日本がアジャストしていく流れは未だあるが、それでは長期スパンの経営や人材育成ができないため、高付加価値な日本の製造業は窮地に立たされるだろう。のみならず、著者の言うように来たる差異がますます重要になっている情報産業(むしろこれは差異そのものを商品化している)の時代においても国際規格設定の場に関与できるようなネゴシエーターが存在しなければ、これからも欧米式の経営を迫られ、日本企業はいいとこなしなのではないか。

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    投稿日: 2011.03.19
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    利潤は差異性からしか生まれない。 卒論における、比較制度分析の中での企業特殊的人的資産の良い復習にもなった。 ポスト産業資本主義に対応していける日本の社会、会社の出現が鍵になっていくという説明も納得。(以前の産業資本主義における優位性をもつ企業体・制度が確立されたものが強固となっている日本の現状) 一様に米国型株式主義、日本の経営、を批判しているだけではなく、 読み易くもある。

    0
    投稿日: 2011.02.21
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     300ページ弱の大作だけれど、話があちらこちらに飛ぶこともなく、というか話はいろいろ飛ぶんだけれど、展開が理論的で筋が通っているから、不思議と全体を見失うことなく全部を読み切れる。  この本が読みやすいのは、理論の繋がりがとぎれないようにとの著者の配慮と、もうひとつは所々でキーワードを持ち出して、そのキーワードを用いながら話を展開してくれているから。  アメリカ型企業→法人名目的企業→ポスト産業資本主義、かたや日本型企業→法人実在的企業→産業資本主義とこんなふうに適切な言葉を用いてくれるから、とても分かりやすい。 こういうカッチリとした理論的な内容の本は物理問題を解いているみたいで大好き。  法人において、従業員は社員じゃないなんて初めて知った。確かに僕たち労働者は会社と雇用契約を結んでいるから、会社の内部の人間ではなく、外部の人間だ。ただ、内部の人間では無いはずの労働者があたかも内部の人間のような意識で働いているというのが日本型企業の特徴。 「そもそも法人とは・・・」というテーマからグッグッグと、まるで詰将棋のように理論が進む。 多分日常生活には全く顔をださないテーマだけれど、生産性も全く無いけれど、世の中の仕組みに興味がある人は読んでもいいかも。こういう基本の部分を理解しているといろんな展開ができるように思う。

    0
    投稿日: 2010.09.14
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    2003年に発行された単行本の文庫版。 現実を見ると、社会は論理的に順を追って変化しているわけではなく、迷走して行き過ぎてを繰り返しながら進んでいるという印象。 しかし少しずつこの本の予想は現実になっている。

    0
    投稿日: 2010.06.08
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    ポスト資本主義の解説本といったところ。 法人とは2種類の顔がある不思議なもの ・「モノ」としての法人  株主にが支配 ・「ヒト」としての法人  会社の資産を保有している 2種類の経営者 ・個人オーナー等に委任された経営者  「任意代理」 ・大企業等の経営者  「信任」 後者はまさに信任に支えられていることから、怠慢がおきやすい。 倫理性が必要。 → エンロン事件 ポスト資本主義 差額性 → 差異性 法人という仕組みが私的な利益を追求する手段として使われ始めたのはまさに近代。NPOの仕組みは近代以前には普通にあったもの。 → 都市、僧院、大学 これからの日本に大切なのは、リスクをとって勝負する個人を生み出す社会体制を築くことができるか否か。 個人としては、 カネをもっているかよりヒトのネットワークを築けるか。 さまざまな情報にアンテナを貼って機敏に反応できるか。 情勢が変わったときに変化に身を投じられるか。 多様な情報収集の中で、かつ専門性をもてるか。 ってあたりかな。

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    投稿日: 2009.11.15
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    H21.11 学者さんの本。分かりやすく書かれているけど、やっぱり難しい。僕にはちょっと。。。でした。

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    投稿日: 2009.11.09