
総合評価
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powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
まさに魔の山 いろんな意味で! 一人の青年が就職の前に少し休養するつもりで訪れたサナトリウム 従兄弟が長い間療養していたため ほんのお見舞いのつもりで‥ はじめは会う人それぞれの病状をまさに人ごととして捉え、同情し、自分とは違う世界のこととして馬鹿にしたような態度をとる が、しかし 彼もまた同じように病んでいたのだ! そしていろいろなものに影響されていく 死を間近に見て、人々やドクターとの関わりから 生命を、人体を学びはじめる そしてそしてさらに恋も! もう大丈夫?って思うほどの思いつめかたをして 支離滅裂になっていく姿は怖い 狭い世界の中で 心までも病んでしまいそうな日々 はたしてこの後どうなるのか? 日常に戻れるのか? かなり時間がかかる読書となったけど じっくり読まないと理解できなくなるので また下巻もじっくり読みたい また時間がかかるんだろうなあ 魔の山に取り憑かれた自分がいる
36投稿日: 2025.03.30
powered by ブクログ挫折だ。上巻読了もやっとのこと。だいたいあんたたちは患者なのか?というほどおせっかいで元気で俗っぽい人々だ。つまり生きるとはこういうことなのか。多くの作家がこの作品に影響を受けているというのが理解できる。へんな奴らなのに魅力的だし、おしゃべりも時折楽しい。ハンスをどの位置において読むのか難しかった。でもこの翻訳は日本語が変じゃないか?
0投稿日: 2025.01.21
powered by ブクログひょんなことから滞在するようになったサナトリウムで出会った人物や風景、出来事の細かな描写のすごいこと。 当時の人間も今と変わらず思案を巡らせ感じていたのだと改めて思う。
0投稿日: 2024.12.11
powered by ブクログこの小説は私にとって非常に大切な作品です。私の「十大小説」を選ぶとすれば『魔の山』は確実にその中に入ることでしょう。それほどこの作品は力強く、強烈なインパクトがあります。とにかくスケールの大きな作品です!
0投稿日: 2024.08.22
powered by ブクログ『100分de名著』を見て読み返すことにした。40年前以上に読んだ記憶はあるが、ほとんど覚えていなかった。 しかし、翻訳が悪すぎてストーリーが頭に入ってこない。小黒先生の話を聞いていたからかろうじて理解できた。まるで機械が翻訳したような直訳調、不自然な会話文。翻訳研究が進んでいなかった戦前に翻訳されたことを思えば致し方ないのかもしれないが、1988年の改訳ではいったい何を改めたのだろうか?すぐれた文学作品であるだけに残念。読み始めてしまったから下巻も読むしかないのだが、新潮文庫の高橋訳にすべきだったと後悔している。
1投稿日: 2024.07.01
powered by ブクログ100分で名著で現在説明されている。昔読んだような気がするが定かではない。結核患者の従兄に会いに病院に行ったところ自分も具合が悪くなり、そこに逗留するようになったところまでが上巻である。5章で病院の人々と自分がかかわっていくことが説明され、ここが上巻の半分ぐらいを占める。
0投稿日: 2024.05.27
powered by ブクログ出先のブックオフの220円コーナーで『ファウスト博士(下)』を買って読み始めたのだが、けっこうわかりにくい。やはり途中からではわからないことも多いのかと思うが、かといってもう(上)も(中)も新刊では売っていない。そんな中、地元のブックオフの220円コーナーで『魔の山(上)』を発見したので買って読み始めてみたら、意外と面白く読めるではないの。うーむ。 なんとなくあらすじは知っていたけど、留まらなくてはいけなくなるのがわかるのが分厚い上巻の約半分くらい進んでから、というのが読んで初めて知ったびっくり。面白いのはあらすじではないし、(少なくともこの本に対しては)たいして重要でもない、ということがよくわかる。
0投稿日: 2024.05.21
powered by ブクログだいたい、ハンスの行動は最初から変だった。 普通の健康な人間にとって、病や病者とは通常禍々しくて遠ざけるべきものであって、誰も病者の群れの中に三週間も身を置こうなどとは考えないだろう。 そんなことを考えるのは、早すぎた父母の死(二人とも【彼の五歳ど七歳のあいだに死んだ】)から類推して、自らの体内にもすでに死が育ちつつあるのではないかとの不安を抱いている者だけになし得ることではないだろうか?/ 【音楽は時間の流れを、きわめて特殊ないきいきとした分割法によって目ざませ、精神化し、貴重なものにします。音楽は時間を目ざまし、私たちが時間をきわめて繊細に享受するように目ざましてくれます‥‥その点で音楽は倫理的です。芸術は目ざますかぎり倫理的です。 しかし、その反対の場合にはどうでしょう?音楽が私たちを麻痺させ、眠りこませ、私たちの行動と進歩とを阻害するとしましたら?】/ 前段はロシア・フォルマリズム※1のシクロフスキーの文章を思い出させる。 【生の感覚を回復し、事物を意識せんがために、石を石らしくするために、芸術と名づけられるものが存在するのだ。知ることとしてではなしに見ることとして事物に感覚を与えることが芸術の目的であり、日常的に見慣れた事物を奇異なものとして表現する《非日常化》の方法が芸術の方法であり、そして知覚過程が芸術そのものの目的であるからには、その過程をできるかぎり長びかせねばならぬがゆえに、知覚の困難さと、時間的な長さとを増大する難解な形式の方法が芸術の方法でありー以下略ー】(ヴィクトル・シクロフスキー『散文の理論』)/ 【イメージの目的は、その意味をわれわれによりよく理解させることではなくて、対象の独得な知覚を創造すること、つまり、対象を《知ること》ではなくして、《見ること》を創造することなのである。】(同上)/ ※1:ロシア・フォルマリズムは、1910年代半ばから1930年代にかけてのロシアの文学運動・文学批評の学派。 日常的言語と詩的言語を区別し、(自動化状態にある)事物を「再認」するのではなく、「直視」することで「生の感覚」をとりもどす「異化」の手法を提唱した。/ トーマス・マンは1875年生まれで、『魔の山』は1924年に書かれており、シクロフスキーが「異化」概念を成立させるべく著した2つの小論、「言葉の復活」と「手法としての芸術」は、それぞれ1914年と17年に発表されているが、当時のマンに、はたしてロシア・フォルマリズムの影響があっただろうか?/ 【「(略)あなたは人生の厄介息子です。】/ 突然、名前を呼ばれた。/ 【ハンス・カストルプは、(略)機会あるごとに不幸な(略)夫人をいくども訪ね、(略)面倒をみてやるようにつとめた。たとえば、粥を食べるときにスプーンを注意ぶかく口へ運んでやり、食物が喉につかえると、吸呑みから水を飲ませ、ベッドで寝がえりをするのにも手をかしてやった。(略)ハンス・カストルプは、食堂へ行く途中や散歩からの戻りに、ヨーアヒムに(略)一足さきに行ってもらい、彼女の部屋を訪ねて、世話をしてやり、ーー世話をしながら胸がひろがるような幸福感をおぼえたが、】/ 認知症の母を介護していた頃が思い出された。/ ◯ 後部座席の ドアを開ければ 立ちあがる 母と暮らした 黄金の日々/ ◯ なにひとつ まともに出来ぬ 者なれど 老母は吾を 頼りていたり/ ◯ 生きるには あまりに弱き 者なれど 老いたる母の 世話に生かさる/ 【墓地は形が不規則で、初め南に長方形にのび、それから左右へ方形にひろがっていた。いくども拡張する必要にせまられて、隣接する田畑を編入したことが一見してわかった。(略)石碑も十字架も質素なもので、あまり費用のかかったものではなかった。碑銘についていうと、(略)さまざまな名前があったが、数字はどれも同じように若くて、行年(ぎょうねん)はだいたいにきわめて数が若く、誕生から死亡までの年数はどれもほぼ二十年、もしくは、それをあまりこえていなかった。】/ 増殖する新しい墓のイメージが、ロシアの墓地を呼び出した。/ ◯プーチン発言: 《ロシアのプーチン大統領は25日、「特別軍事作戦」と称するウクライナ侵攻に出征した兵士の母親代表者らと会合し「誰もがいずれは死ぬ。交通事故死も3万人だ」と述べた。 プーチン氏は「近親者、とりわけ息子が死ぬのは大きな悲劇だ。だが交通事故、あるいはアルコールが原因でそれぞれ年間3万人ほどが死ぬ。われわれは神の下にある。大切なのはどう生きるかだ」と出席者に説いた。》(2022年11月27日、産経新聞)/ どうやら、プーチン・ロシアにおいては、生き方と同様死に方までをも国家が決めているらしい。 犯罪者は国のために死すべきであり、少数民族も、貧者も同様である。 これは、プーチン式「生政治」※2であり、いわば「死政治」とでもいうべきものではないだろうか? そして、それは明らかに全体主義の一つの貌である。/ ※2:フーコーの「生政治」: 《私が「生政治」と呼ぶのは、人口として構成された生きる人々の総体に固有の諸現象、すなわち健康、衛生、出生率、寿命、人種といった諸現象によって統治実践に対し提起される諸問題を、十八世紀以来合理化しようと試みてきたやり方のことである。》(ミシェル・フーコー『生政治の誕生』)/ 【「道徳?(略)ソウネ、ワタシタチハ考エルノヨ、ワタシタチハ道徳ヲ徳ノナカニ、ツマリ理性、秩序、良風、誠実ナドノナカニモトメルベキデハナクテ、ムシロ、ソノ反対ノモノ、ツマリ罪ノナカニモトメルベキダト。危険ナモノノナカニ身ヲ投ゲコミ、危険ナモノ、ワタシタチヲ破滅サセルモノノナカヘ飛ビコムコトニヨッテネ。ワタシタチハ、一身ノ安全ヲハカルヨリモ、一身ヲ破滅サセ、損傷サセモスルコトガ、ズット道徳的ナコトダト思エルノヨ。偉大ナ道徳家ハ、有徳ノ士ナドデハナクテ、悪ノ、悪徳ノ冒険家デアッテ、悲惨ノマエニキリスト教的精神カラ跪クコトヲ教エテクレル偉大ナ罪人デアッタトネ。(以下略)」】/ 思いがけないタイミングで、マドンナ、ショーシャ夫人の口から核心に触れるような言葉が発せられる。/ 訳文は「うさんな」「ハシナイ」などの言葉に見られるように、しばしばやや古風でしゃちほこばって響く。 これから読まれる方には他の訳の方が読みやすいのではないか?
1投稿日: 2024.05.07
powered by ブクログ1924年刊。スイス高原のサナトリウムで療養生活を送ることとなった、青年ハンス・カストルプの精神の軌跡。 20世紀三大小説家のひとり、との声もあるトーマス・マンの代表作。年配の某文学系YouTuberの方が、『魔の山』はトーマス・マンの中では亜流で『ブッデンブローク家』こそ正統派だ、とおっしゃっていて、なるほどそうなのか~と思いつつも、やはり有名なので先にこちらを選んだ。何よりも、「今読みたい」と直感が働き、これがドンピシャだった。 というのは、本作で主人公の青年ハンスが、過去に想いを寄せていたプリビスラウとの関係を引き合いに出しながら、ロシアの婦人への恋心をひそやかにしつつ、あまりにも控えめな行動力で陰キャ的なやり取りをする描写に、たまらなく共感を覚えるタイミングだったからだ(汗)。 P250 「現実的に、いまのひそかな関係以上の交渉は持てないという確信、二人のあいだには越えられない深淵が横たわっていて、彼女と一しょでは彼の承認しているどんな批評にも及第できないという確信」 絶対に越えられない壁がある相手に恋をしてしまったら、こうするしかないだろうな、という行動をハンスがとるので、恋の行方が気になり、それが引力となって読み続けられた。 したがって、自分は本作の上巻をほぼ恋愛小説として読んだのだが、もちろん下のレビューや各所で言われているように、本作は20世紀初頭の思想や医学などについてつらつらと書き綴られた教養小説というやつで、読んでいて退屈な部分は確かにある。あまりにも変化のないサナトリウムの生活は、実は死と隣り合わせで、いやでも思索的にならざるをえない環境でもあり、こういった議論や語りが続くような小説には格好の舞台といえる。 しかし、数多い個性的な登場人物と人間関係の描写はなかなかに面白く、高原の景色も趣に富む。物語というよりも、こういった光景を楽しむ小説として考えていると、いつしかハンスと共に自分自身もその場にいるような不思議な感覚すらわいてきた。章の間にいくつもの節で区切られているためコツコツ読むには向いていて、この小説に取り組んでいる数日間ずっと手元のそばに置いていたので、サナトリウムの世界にどっぷりつかっていた感じが強い。その他、時間感覚についての考察は興味深い。 上巻ラスト付近の急展開は楽しくて仕方なかった。ハンス君やらかしすぎ(笑)。つくづく自分には合う小説だなぁと。下巻はもっと長いようだけど、全然イケそう。
4投稿日: 2023.07.10
powered by ブクログ大学時代にドイツ語をやっていたこともあってある種イキっていた自分は、トマスマンを読んでいれば教養人のような気分になれるのではないかと思い、この本を手に取った。結果として、この本を理解するために必要な教養が不足していることに気づき、教養人のような気分どころか、己の無教養を痛感することとなった小説。評価するほど理解もできていないので、星はなし。
2投稿日: 2022.08.24
powered by ブクログ長い上に難しい言葉も多かったので若干読みにくかったです。注のところも多くて読み返すのが大変でした。ですが結末が気になるので下巻も読もうと思います。
0投稿日: 2021.10.29
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
23歳のハンスカストルプが魔の山,ベルクホーフというサナトリウムへやってきて7ヶ月。謝肉祭,ワルプルギスの夜まで。 ハンス・カストルプの生い立ち,ハンス・カストルプとヨーアヒム・チームセンの関係と各々の性格や興味,人文主義者でハンス・カストルプの教師たろうとするイタリア人のロドヴィゴ・セテムブリーニとの出会い,時間の流れについて,ハンス・カストルプが一流ロシア人席に座るクラウディア・ショーシャ夫人に興味を抱くまでの心の動きと恋心の扱い方,病気というものの捉え方などなど。
0投稿日: 2019.08.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
とにかく長い。退屈。特に何も起きないまま上巻が終わる。ちょこちょこ動きはあるのだけれど。サナトリウムでの様々な人々との交流を通した青年の成長物語、とでもいうのかしら。病気、死、宗教、戦争、いろんなテーマを登場人物を通してひたすら討論していく場面が続く。しんどい。下巻、盛り上がりを見せてきたところで終わってしまう。しんどい。小説というよりも哲学書のような。しんどかったけど達成感はあった。これを読めたらもう何でも読めそう。ハンスが遭難しかけて生と死について開眼していくところは繰り返し読んだ。あの部分のために他を読んだのだと言ってもいいレベルで沁み入った。結論、しんどかったけど読んでよかった。しんどいけど読んだ方がいい。 好きだった箇所をメモしておいたので貼っておく。 「人間は死よりも高貴であり、死に従属するには高貴すぎる、頭脳の自由を持つからだ。人間は生よりも高貴であり、生に従属するには高貴すぎる、心の中に敬虔さを持つからだ。」
1投稿日: 2019.03.16
powered by ブクログ「退屈な教養小説」というのが率直な感想である。 「魔の山」と言うと何やらファンタジーな空間を連想する向きが多そうだが、実際には結核療養のための施設…サナトリウムである。 高山の療養施設ながらまるでリゾート施設のような雰囲気で、若くしてここに送られた主人公は特に将来を悲観する事も無く周囲の一癖も二癖もある大人達から色々学ぶ事になる。 まぁ大半は主人公について回るセテムブリーニとかいうオッサンの寓話的警告で、表向きはただ食って散歩して寝ているだけなのに分厚い本の上下巻とかよく書けたものだ。 元々は「大学に入ったら何やら小難しそうな本に挑戦したい」というだけの理由で読んだので内容らしい内容はもうほとんど覚えていない。 この本を読んで何か一つ得た事があるとすれば主人公がやたら気にしている人妻のクラウディア・ショーシャがサルバドール・ダリの妻となったガラのモデルらしいと後に判った事ぐらいだ。
0投稿日: 2018.07.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
これは読むのに苦労したなー… なぜならば終盤のハンス青年の ほのかな思いが成就するときに 他の言語でしゃべっているのを表現するために カタカナ混じりの会話になってるのよ。 平凡な位置青年であるハンスが いとこの療養に付き合いうために 3週間の期限付きでサナトリウムに 行くことになったけれども… …がつく通りでお察しです。 それとページ数で。 結局彼も発熱により サナトリウムから降りられなくなるのです。 平凡な彼は やがて様々な患者に感化され 心の成長を遂げていきます。 人体に興味を覚えたり 恋というものを覚えたり そして、それが成就したり。 下巻、すごく気になるのよね…
0投稿日: 2018.05.28
powered by ブクログ「このことに連関して、たとえばトーマス・マンの小説「魔の山」では、いま扱っている強制収容所の囚人とやや比喩的に類似した状況にある人々、すなわち結核療養所の入所患者で、同様に退院の期限を知らず、同様に「未来を失って」、すなわち未来の目的に向けられていない存在を送っている人々の心理的な変化が描かれているのである」『夜と霧』フランクル p.174
0投稿日: 2015.02.09
powered by ブクログ「ノルウェイの森」でキーとなる物語。サナトリウムに入院している従兄ヨアヒムを、学校出たてのハンス・カストルプが尋ねて、そこで7週間のつもりが7年も過ごすことになる。大学工学部を出たばかりの世間知らずなところがなんともリアル。セテムブリーニが御託を並べるところがウザイが、経済的な後ろ盾が無く困窮している彼と、従兄弟達の恵まれた生活とが第1の対比をなす。下巻に第2の対比がある。たっぷり頁を使ったショーシャ夫人との恋愛沙汰がどうなるのか。閉じた空間に医者、患者ら多彩な登場人物がいて、読んでも読んでも飽きない。
0投稿日: 2013.10.15
powered by ブクログ上巻は3日、下巻は読み終えるのに1ヶ月半もかかってしまった。 なんと切り口の多い作品。。 まだ完全には消化しきれていない状態でこの文章を書いている。 こういった間口の広い作品は、 フィニッシュをどこに持ってくるかという問題があり、 巻末の解説でも書かれているように、 実は作者自身も明確にはそれを決めずに書き始めて 流れに身を任せたようだが、 個人的には最終章の決闘のシーンが終わった時点で 充分な満足感が得られ、 あとはどう結論をつけても何らかの片はつくだろうと感じたので、 それだけに、このフィニッシュには少々不満が残った。 他の人はどう感じたのか気になったので色々とレビューを読んでみたが、 まあ「時間の扱いが見事な作品」「精神論の教養小説」などと 評する人の多いこと。。 これだけ切り口の多い作品に対して、特に印象に残ったのがそこ? 感性が拙いとしか言いようがない。 そのような中学生の読書感想文レベルの感想にしか消化できないような 内容の薄い作品では決してない。 まず、舞台設定の見事さだろう。 標高1600メートルの山上にある高級療養施設。 抑圧の強い地上の現実世界から隔離されていて、 病気と死がいつも隣り合わせ、建物の周辺は自然に恵まれ、 気候変化が激しく四季に捕われない季節感があるという、 筆力次第で様々な非現実性を創出しやすい舞台。 見事な設定だ。 また、この作品を難解と感じさせる要因として、 第6章のセテムブリーニとナフタの激しい会話のやり合いがある。 精神と自然、病気と死、革命と伝統、自由と秩序。 色々詰め込んでいるが、 メルヴィル「モービィ・ディック」のような、 ただ単に詰め込んだだけで、 その事が全く何の効果も成していない駄作とは違い、 この作品は「詰め込み」が作品と綺麗に調和し、 芳醇な広がりを演出している。 しかし何と言っても、この作品の一番の読ませ所は 各シーンの起承転結のつけ方だろう。 過剰なまでの精神論、政治論、宗教論の応酬、 気まぐれに表情を変える美しい自然の描写、 音楽の与える高揚感、 様々な方法を駆使してクライマックスまで持っていき、 感情が最高潮にかき立てられた所ですぱんとシーンがカットされる。 この切り方が実に見事で、この読後感だけでも 読んで良かったと思わせるものが充分にある。 こういった粒ぞろいの各章を全体として俯瞰したとき、 上記「時間の扱い」「精神論」が作品に与える深みにも 唸らせられるのであって、 この作品を「時間に関する小説」「教養小説」などと単純に 一面的な部分を切り取って断定するのはナンセンスである。
1投稿日: 2013.06.15
powered by ブクログ読み終わったというか… ぶあっつい文庫本の半分読み終わっても、まだ物語が始まってから24時間経ってない、しかも要約すると ご飯食べてお散歩して寝てた。 …という。 いや、内容は濃いんですけど。 考察があっちこっち行き過ぎて ついて行けず… 話の続きは?が気になって 断念しました… ううぅ…最後まで読みたかった… 2人のお祖父ちゃんの喪服の話が面白かった。
0投稿日: 2013.05.23
powered by ブクログ山上にあるサナトリウムを訪れた青年ハンス・カストルプが自らも結核を患っていることが発覚し、3週間の滞在予定のはずが魔の山にて長い時を過ごす教養小説…なのだが、上巻を読む限りでは主人公は小説内で流れていく時間そのものではと思えてしまう。時間と空間というのは世界の特性ではなく人間の意識の特性によるものであり、時間が持つ主観的な相対性に対して自覚的な言及が興味深い。病院内の過ぎたようで遅々として進まぬ退屈な時間と停滞しているように見えて瞬く間に過ぎ行く時間、そうした対比が小説内の構造として表現されているのだ。
0投稿日: 2013.04.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
上下巻合わせて1200ページ余りながら、不思議な物語と精神論・宗教論が混ざり合い、非常に難解な物語でした。 読み進めることが、まさにタイトルのごとく「魔の山」を登ることのようでした。。。 と冗談はさておき、 本書は、主人公ハンス・カストルプの結核を中心に、病気という面から「生と死」の考察と、サナトリウムという療養所のある平地と隔離された街を「時間」の考察という、2つの大きな主題から成り立ちます。 主人公のハンス・カストルプは、優柔不断というか、自己主張の少ない青年で、従兄弟のヨーアヒムを見舞うために、3週間の予定でサナトリウムを訪れます。しかし、サナトリウムで結核と診断され、長期療養を言い渡されるも、主人公のハンスはそれほど抵抗なく、療養を受け入れます。そして、時間的に孤立した療養所に留まることになるのです。 病気が人生観を変えたという話は、聞いたことがあると思います。病気は生と死の中間にあるものとも言えますが、病気は生の方向を良くも悪くも修正できる力をもつものなのかもしれません。 もう一つの主題である「時間」についてですが、この時間の魔術は、私達の時代でも容易に想像できるものなのではないでしょうか。普段の社会生活の中でも、時代の潮流に乗れていないと感じたり、世のトレンドとは無縁なコミュニティしか持ち合わせていなかったりと。。。 ある種、ゲーテとは異なる教養小説。
2投稿日: 2011.11.05
powered by ブクログ世界史にも出てくる名著。 とにかく長くて、上巻だけでも読むのに苦労しました。 ですが、内容は面白いです。 がんばって下巻も読んでみます。
0投稿日: 2011.11.02
powered by ブクログハンブルクでの就職を控えた「文化人」、厨二病的で高慢ちきな性質をいくぶん強く持った、いわゆる多感な、しかし純朴で平凡な青年、ハンス・カストルプ。 彼はひょんなことから、「精神と時の部屋」(ドラゴンボール的なそれではなくて、文字通りの。)ともいえるスイスの高原にあるサナトリウムで、地上と隔離されつつもさまざまな人物や自然と対峙しながら精神の旅を始めることとなった。 時間を徹底的に分解し無意味化していく高原の気候とサナトリウムの習慣、ひっそりと患者の入れ替わりが進行する細胞体のような病室、美しい自然のなかで、時は十年一日のごとく過ぎ去り、ハンス・カストルプも次第に順応し、魔の山に陶酔していく。 (「文化人」にとっては理想的な)まどろみのような自由のなかで、青年は自らの好奇心によって、「理性と神」「死と生」「精神と自然」「個と普遍」「概念と力」「合理と非合理」「自由と混沌」「進歩とニヒリズム」「生の意思と自己否定」といった深刻な分裂が、精神の理想郷を目指すそれぞれの欲動のなかで「ごちゃまぜ」となっている姿を目の当たりにする。 精神の逍遥は、しかしながら、自然の一部たる肉体の活動、生命のはたらきによらなければそもそも発生しない。ある日雪山で自然と対峙し、死に直面したハンス・カストルプは、厨二病的な「死への親愛」を克服し、新たな善意と人間愛の姿をとらえるのであった―― こうしてみると多分に「教養小説」ではあるけれども、この物語の楽しみは、白紙状態の自由で危うい青年の心をめぐってさまざまな形態で行なわれる「二つの流れ」のガチバトルだと思う。 いずれも普遍的な善と高貴さへの収束の希求から発生した流れであるのに、なぜ両者は違ってくるのか、どこから同じなのか、なぜ対立しなければならないのか、人間的とは何か。そして、そんな問いかけなどお構いなくやってくる不条理と、魔術的な誘い。自然と、生と死と、時間。ミクロとマクロ、有限と無限。 モラトリアムも終わりが見えかけている時期に、そうしたことをのんびりと考えられるような機会に巡り会うことができ、今までシコシコと続けてきた「お勉強」も捨てたものではないなと思えるような小説だった。つぎにこれを読むのは何年後になるだろう? 個人的にはセテムブリーニさんのキャラが憎めない感じで好きだったなぁ。 長いけど、暇な人は読んでみるといいと思う。世界史、思想史、音楽に興味がある人は特に面白いはず。
1投稿日: 2011.10.18
powered by ブクログ教養小説、ということになっているが、なんとなくそんな風には読まなかった(読めなかった?)ちょっとまた再読してみたい本の一つである。 英語では「Magic Mountain」ということを聞いてなんか「魔の山」と雰囲気違うなあと思った記憶がある。
0投稿日: 2011.06.02
powered by ブクログ2010/11/20 ドイツの文豪、トーマス・マンの傑作。 長い間をおいて、ようやく上巻を読了した。 トーマス・マンは1929年にノーベル文学賞を受賞している。 本作は、スイス高原にあるサナトリウムにおける 平凡無垢な青年カストルプの療養生活における成長と発見の物語。 セテムブリーニの皮肉な言い回しに、 あきれ半分、時々ニヤリとさせられる。
0投稿日: 2010.11.20
powered by ブクログ村上春樹のノルウェイの森にでてきたので、購入したと記憶している。 西洋の宗教観、歴史観等を理解していないためか、登場人物の台詞にまるでついていけなかった。(二年前) ので評価はいまいちつけがたい。
0投稿日: 2010.05.23
powered by ブクログ訳もわからず、政治談議などはすべて飛ばすという荒技で読みとおした。 よく分からないがものすごい衝撃を受け、これこそ生涯の一冊だと心に決めてしまった。 多分、この本の中に世界があると感じたんだと思う。「mondo libro」だ。 勢いに乗って、ドイツ語版まで買ってしまった。 しかし最初の一文を読んで、(私にとっては)入り組んだシンタックスに恐れ入ってしまい、それっきり読んでない。もうちょっと読まないと元が取れないなあ。
0投稿日: 2009.12.12
powered by ブクログ山頂のサナトリウムで、共に暮らす知人が次々に結核に倒れていく中で、議論し恋愛する現実離れした登場人物たち。 衣食の心配なくこんなところで人生論ぶちかましているなんて、いいご身分とも思ってしまう。 ハンス・カストルプがあっという間にスキーが上達したのに驚いた。雪の中の単独行のシーンは幻想的だった。 ヨアヒムが亡くなったのも悲しかったけど、幽霊が出てきたシーンはもっとぐっときた。
0投稿日: 2009.07.24
powered by ブクログ大学時代に購入して、何度も何度も挫折しながら読み進めた本。スイス高原にあるサナトリュウムでの奇妙な療養生活を描く。時間感覚や死の神聖化など哲学的な内容を多く含む。一生かけて付き合って行きたいと思う本。
0投稿日: 2009.04.12
powered by ブクログマンの超大作の前半部分。中心的な登場人物は、ハンス・カストルプ、ヨーアヒム・チームセン、セテムブリーニとマダム・ショーシャ。 ヨアヒムの付き添いで結核療養所に入院したハンスの「成長」の物語。結核療養所という特異な空間において、セテムブリーニとショーシャとの関係がハンスに複雑な「成長」を遂げさせる。セテムブリーニはハンスを理性的に成長させる。だが同時に、ショーシャとの神秘的な関係を通じて、ハンスは理性的には解決できない自己のありかたに直面する。 ハンスとマダム・ショーシャの神秘的な関係に心底魅了された。
0投稿日: 2008.09.20
powered by ブクログ学生から職場に勤務するようになる直前、ぼんやりと無気力に陥っているハンス・カストルプは、気晴らしと療養を兼ねて、従兄弟の居る山奥のサナトリウムに滞在することを勧められる。 魔の山では下界と違った時間が流れ、病人たちが日々独特の生活を送り、その大抵のものは長く留まりすぎて下界に帰るところをなくし、魔の山の住人となってしまう。 山を下りたがる者、山を出入りする者、山で死ぬ者、山で諭す者、あらゆる登場人物がそれぞれ教訓となっている。教養小説と言われてますが、正直難しかったです。大半は山で繰り広げられるドタバタコメディーだと思って軽く読めます。
0投稿日: 2008.05.18
powered by ブクログカラマーゾフ読んでたら、無性に魔の山を詠み返したくなったのでのっけてみた。でも再読してないので、詳しいことがさっぱり言えない(笑) カラマーゾフ2巻読んでたら、コレは結局のところ人間群像が織り成すユーモア小説かいな?って感じがしてきて、ユーモア小説だったら、なんつっても魔の山だろー!!と思ったんで。カラはまだシリアスに話が展開するんだろうか?ってのが読めなくって、どうもその中に差し挟まれるキャラのお茶目ぶりの処理がよく分かってないんですけど、魔の山は全編渡って皮肉な笑いに満ち満ちてる。 隔絶されたサナトリウムに集う特権的なイっちゃった人たちが、ひたすらなんの特にもならない世間になんの寄与もしないアイロニーに満ち溢れた会話を延々繰り広げる話、だろうか。(てかだったっけ) とりあえず主人公のハンスくんがもってもてで、色気おばはんショーシャ夫人とか、ホモおっさんとかに取り合われる話。だけど本命はいとこくん。って、そんな話だったかと・・・。 ショーシャ夫人とそうなるとこの描写がまたセクシーだった気が。 ラストは壮絶。デミアンは叙情に溢れてたなあ・・・。 とりあえず全編多少分かんないとこがあろうが、ユカイ小説として楽しく読める。
0投稿日: 2007.09.09
powered by ブクログフリーメイソン会員やイエスズ会の人が重要人物として登場しているが、その辺の西洋の背景知識を持たないわたしには読み解けなかった。前提がわからなくてもお話として楽しめたが、内容は理解していないので評価できないです。
0投稿日: 2007.07.19
powered by ブクログ山の上の世界と下の世界。 平凡に育った若者が隔離状態にある山の上で急進的な政治思想や哲学、覆った道徳・宗教、性、友情、死、自然に触れある種の光明を見出すまでの話。青春小説でありながら完璧な教養小説。政治・哲学・宗教についてはやや難解。社会全般に係る普遍的主題を全て盛り込んだ長大な小説は「実際的なファウスト」といった印象。
0投稿日: 2007.04.28
powered by ブクログ時々、こういう長い長い小説を読みたくなる。 主人公ハンスが山上のサナトリウムに到着し、そこでの慣習を笑い、自分はそうならないと言いつつ少しずつ慣れ、染まっていく上巻。 ハンスがショーシャ夫人のことをつい気になって見つめてしまう描写を、「不潔な関係」と表現する辺りが好き。不潔なプラトニックさってあるよね。
0投稿日: 2007.02.24
powered by ブクログ実はこれもまだ読んでない。いっつもナフタ出てきて暫くしたあたりで止まっちゃうのは何でだろう。つーか新潮で買えば訳者高橋義孝だったんじゃないかそっちのがよかったな・・何でこれに限って私岩波の買ったんだろう。いつも紐しおりのついている新潮文庫をこよなく贔屓にしている私なのに。オオ。
0投稿日: 2006.10.21
powered by ブクログドイツを代表する教養小説の超大作。平凡な青年ハンス・カストルプとその周囲の人々のおりなす人間模様が多彩。上下巻。
0投稿日: 2006.08.02
powered by ブクログ生とは、死とは、愛とは、理性とは。思考の実験採択と病の誘惑に溺れ、魔の山の虜になったハンス・カストルプ。感心するほど“単純さ”を貫き通す彼の姿を、ユーモアとアイロニーをたっぷりこめた目線で描いたこの作品、素材の小難しさを超える文章の面白さが楽しめる。全二巻。
0投稿日: 2006.04.13
powered by ブクログハンス・カストロプみたいな境遇にあった当時過剰に感情移入して夢中で読んだ。隠遁に近い生活の中で彼は何を見、何を知ったか。全てが非人間的なまでに高速処理される社会において一見何の役に立ちそうも無いこういった経験を、多角的に見つめなおす事ができる稀有な書。
0投稿日: 2006.04.02
powered by ブクログこの物語はハンス・カストルプの成長の物語と言われている。 名作と言われているが、私は途中読むのがつらくなってあきらめてしまった。なぜなら、話が平たんな部分(大きな盛り上がりがないので)が長かったからだ。 しかし、死、時間、音楽と時間、自然と人間の関係といった観念が、ハンス・カストルプが出会う不思議な人々とともにちりばめられている、壮大な物語だと思う。 またしばらく別の本をはさんでから呼んでみようと思う。
0投稿日: 2006.01.16
powered by ブクログ有名な古典なので敷居が高いと思われがちだが、純粋にエンターテインメント小説として楽しめる。そこそこ長いが、肩肘はらずに読んでほしい。
0投稿日: 2005.02.10
