
総合評価
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powered by ブクログオーウェルはパリとロンドンで自ら進んで窮困生活を送った。その時の様子を彼らしい文章で描く傑作。誰のせいで人々は貧困から抜け出せないのか。彼が後に書く有名な小説のベースは間違いなくここでの貧困生活。 Down and Out in Paris and London George Orwell, 1933
0投稿日: 2025.10.24
powered by ブクログオトラジシリーズ。 市井の人々の鮮やかな描写に驚くばかり。 一九八四年に通ずる体制批判も垣間見えた。 人の本質を突いた魅力的な一冊。
0投稿日: 2025.09.13
powered by ブクログ1984、動物農場で有名なジョージ・オーウェルのデビュー作のパリ・ロンドン放浪記めちゃくちゃ面白かった。オーウェルは名門校を出て公務員になった生活を捨ててパリとロンドンで浮浪者として過ごした時の経験を書いたルポタージュ。自分の貧困は外国人と老人のせいだとと思い込んでいて、女が欲しいのに女が憎たらしくてたまらないという浮浪者の男が出てきたり、女は男のインフラだから結婚しない女に異常な敵対心を抱かれてたり、貧困の本質とか今にも通じる事が書かれてた。 ジョージ・オーウェル、1984とか動物農場みたいな有名な小説はイマイチハマらなかったけど、あなたと原爆とかパリロンドン放浪記みたいなルポタージュとか評論はめちゃくちゃ面白いと思った。 ジョージ・オーウェル George Orwell 生年:1903年 没年:1950年 イギリスの作家・ジャーナリスト。 イギリス植民地時代のインドに生まれる。イートン校卒業後、インド帝国警察官任官試験に合格しビルマへ赴任。5年の勤務ののち、ロンドン、パリで放浪生活を送る。1933年、はじめての著作『パリ・ロンドン放浪記』を出版。’37年、スペイン内戦に民兵として参戦。この体験を描いた『カタロニア賛歌』を’38年出版。’45年の『動物農場』が初めてのベストセラーとなり、名声と莫大な収入を得る。’48年刊行の『1984年』は、のちに「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」に選ばれるなど代表作となった。50年、ロンドンで死去。 「貧乏とは切りはなせない退屈さというものの正体がわかる。それは、何もすることがないのに食べ方が足らないので、何事にも興味を持つことが出来ないといった場合のことだ。一気につづけて半日間も、寝床に横になりながら、ボードレールの詩の中の「シャレコーベの若者」よろしくといった気持になる。ものを食いさえすれば気がシャンとするが、一週間もマーガリン付きのパンで息をついてきた人間は、もはや一個の人間ではなくて、単に二、三の付属器官のついた胃にすぎないということ、それがやっとわかる。――もっとその様相を述べたてることも出来るのだが、みな同じ様式のものになってしまう――こういうのが一日六フランで生きのびる生活というものだ。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「貧乏の偉大なる一面、そういうものも発見する。――貧乏は行く先のことを抹殺するという事実だ。一定の限界はあるが、金を持っているのが少なければ少ないほど気がらくだというのは、事実の上での真理だ。世に百フラン持ったら、この上もない臆病風に身を晒すことになるし、三フランしかなければ、どうでもなれということになる。三フランあれば明日まで食える、それ以上は考えようにも考えられぬ。退屈だが心配はいらない。――ぼんやりと思うだけ。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 https://a.co/cxRHFpA 「ボリスはいつも戦争のことを人生最良の日と語った。戦争と軍事は飯よりもすきなことであった。軍略と軍事史の本は、万巻の書を読み、ナポレオン、クツゾフ、クラウゼヴィツ、モルトケ、フォッシュなどの戦争理論については、一つ余さず語ることも出来るといった風だった。軍人に関係のあるものは何でも気にいった。モンパルナスにある「リラ遊園」という名のカフェが、一番お気に入りだったが、それはただ、そこの店外にネエ将軍の像が立っているというだけのことであった。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 1903年の今日はイギリスの小説家、ジョージ・オーウェルが生まれた日です。パリとロンドンで皿洗いや浮浪者をしながら放浪し「パリ・ロンドン放浪記」を著し、後に全体主義的なディストピアを描いた「1984」で知られます。 ジョージ・オーウェル『パリ・ロンドン放浪記』読んだ。パリ・ロンドン(故意?としか思えない)貧乏ルポタージュ。何とはなしに19世紀的と思ってしまった。 パリ・ロンドン放浪記/オーウェル 極貧生活の体験談もとい潜入ルポ。 劣悪な環境で皿洗いとして働く日々、ホームレスの頃の罪人のような生活。睡眠も空腹も満たされず「この生活を変えよう」と思う暇もない過酷さがリアルに伝わるさすがの筆致。 世間の仕組みは現代とさほど変わらない。 #読了 #読書 Twitterに紹介されてた一文に惹かれてジョージ・オーウェルの貧困生活ルポ『パリ・ロンドン放浪記』、人物に触れたくなってもう1冊も読了。人間はどんな生まれ育ちであっても抱える悩みは、大小問わず歩む人生の選択に影響すると確認。『一九八四年』の読み込みの角度が増えた!『動物農場』再読決定。 オーウェル若かりし頃の極貧生活の記録『パリ・ロンドン放浪記』、活き活きした筆致で描かれるブラック過ぎる労働エピソードが単純に面白い! が、毎日過酷な長時間の単純労働に従事してる者は貧困から抜け出すためのスキルアップや貯金なんかできないという貧困の本質は現代でも全く変わってない。 パリ・ロンドン放浪記/オーウェル #読了 パリでは劣悪なホテル厨房で働き、ロンドンでは浮浪者となり、宿泊収容所のスパイクを一日歩いて渡る。 足を引きずり、飢えて虚ろに歩く。消えていく「若い骸骨」たちの将来。 希望があるとしたら。心だけは自由でいられたならば、貧乏に屈せず生きられる。 【石田衣良のオススメ本 #194】 今回は、 『パリ・ロンドン放浪記』〜名作家の衝撃デビュー作。極貧生活で見た人間らしさとは〜 youtu.be/pBjYaDDVI74 ▼本紹介の再生リスト bit.ly/3wQNJTF 次週もお楽しみに! (スタッフより) #ジョージ・オーウェル #岩波書店 パリ・ロンドン放浪記(岩波文庫) ジョージ・オーウェル それでも一つや二つは、この極貧生活から、的確に学んだ。 これが私の出発点なのである。 #ジョージオーウェル #人間的記録 #読了 ジョージ・オーウェルの'パリ・ロンドン放浪記'を読み終える。100年ほど前から貧困やブルシットジョブとは何かについて書いていて驚く。貧困とは退屈との戦い、みたいに書いてあって考えさせられる。とりあえず暗くなる一冊 パリ・ロンドン放浪記は結構芯喰った話が出てくるので読み応えありです 1984年、動物農場ときてコレ読むと題材チョイスへの腑に落ちがある 慈善を受ける人間が尊厳を押し潰されないためにどう振る舞うか?とかもデカいテーマではあるけどそれはそれとして極貧エピソードトークはシンプルにヒキがある ジョージ・オーウェル(小野寺 健訳)『パリ・ロンドン放浪記』(岩波文庫)読了。 オーウェルらしいウィットに富んだ、冷静に現実を見つめたルポ。読み物の面白さという点では、パリの方に軍配が上がるかな。服装に対する意識が時代を反映していて、服好きとしては興味深かったです。 『パリ・ロンドン放浪記 (岩波文庫)』ジョージ・オーウェル 美しいパリとロンドンを優雅にさすらう内容を期待していた自分へ。残念でした。だが、おもしろい。パリ部分は絶対に体験したくない悲惨ともいえる状況なのになぜか愉快な印象を受ける。ロンドンで... #読書メーター 教養があるとパチンコとか風俗とか金のかかる趣味に依存しないのでよいという言説はツイッターでよく言われるが、ジョージオーウェルもパリロンドン放浪記で同じこと言ってるから多分正しい。知り合いの教養があるタイプの女は都内某所の神戸屋の制服女子が全員可愛いので眺めるのが趣味と言っていた。 パリ・ロンドン放浪記本当に面白かった。 「労働者階級には悪臭がする」ってあったけど、アレは中産階級のオーウェルが、ホームレスに身をやつして体感した言葉だからこそ意味がある言葉で、誠実さを標榜する彼だからこそ言える率直な事実。オーウェルは事実を歪曲しない。だから心に刺さった パリ・ロンドン放浪記、自分の貧困は外国人と老人のせいだとと思い込んでいて、女が欲しいのに女が憎たらしくてたまらないという浮浪者の男が出てきておらワクワクしてしたぞ。 人間は本質的にはいつの時代も変わらない。 性欲が発散できなくて困る、て個人的によくわからない感覚なんだけど、オーウェルのルポルタージュのパリロンドン放浪記を読んでると浮浪者が性欲を解消する手段にアクセスできないことが結構な尊厳にかかわる問題として言及されていたので割りと多くの人にとってはでかい問題なのだろう。おもろい、と言っていいのかわからんが、そんな状況だと性犯罪が横行しそうな気もするが、むしろ同じような境遇の者との機会同性愛に走ることが多いようだった。 「 私の金は水が漏れるようになくなっていった。八フランに、四フランに、一フランに、そして最後に二十五サンチームに――二十五サンチームでは仕様がない。それでは新聞しか買えっこない。二人はひからびたパンで幾日もすましたが、そのあとになって私は、まる二日半も、何一つ食べるものがなくなった。これは一つのいやな経験だった。この世には三週間か、それ以上もかけて断食療法をやる人たちがいて、四日目以後になると断食はとても気持がいいと言っているのだが、私は三日目以上はやったことがないので、わからない。それは自発的に断食をするのであって、始めたときからすでに食べ方が足らなかったという、私の場合とは多分にちがっているだろう。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「最初の日、あまり大儀で職探しはむりだったので、釣竿を借りてセーヌに釣りに行った。えさは青蝿だった。一食分は十分釣れると思ったのに、もちろんだめだった。セーヌにはうぐいが一杯いるが、パリ包囲中にずるくなり、それ以来網でとる外は一匹もかかったことがない。二日目に、私はオーバーを質入れすることを考えたが、質屋まで歩いて行くのが遠すぎるようだったので、その日は一日ねて過し、『シャーロック・ホームズの思い出』を読んだ。食べ物がなくては、それくらいが、出来そうに感じられた精々のところ。飢餓は人間を全く無気力で、何を考える力もない状態に引きおろすが、それは何よりも流感の後遺症に似ている。あたかも人間がくらげに変ったとでもいうのか、からだの血が全部すい出されて、その代用に生あたたかい水が入れられたとでもいうふうだ。完全な無力状態、それが飢餓の主な記憶であるが、その上で、しょっ中、唾を吐かずにいられないこと、そして吐いた唾が妙に白くて、柔毛のふさが付いていて、あわふき虫のようだということ。この理由はわからないが、誰でも数日間空腹をつづけた経験のある人なら、それに気付いている。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「たべると、ボリスはこれまでに見たことがないほど楽天的になった。彼はいう「わしが前に言ったろう? 戦運なんだ! 今朝は五スウだったが、今は、見ろよ、この我らを。わしはいつでも言っていたんだ、金より手に入り易いものはないって。それで思い出したんだが、フォンダリ通りに友達がいて、訪ねたらいいと思う。わしから四千フランをだまし取りやがったどろぼうなんだ。しらふのときは大どろぼうなんだが、妙なことに、酔っぱらうと、とても正直なんだよ。夕方の六時までには酔っぱらっていると思う。どうしてるかみにいこう。おそらく内金に百ぐらいは払うだろう。たしか、二百ぐらいは払うだろうよ!」」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「私はその考えには気がすすまなかった。というのは、パリの警察はコミュニストにとてもきびしくて、それが外人の場合はとくにそうで、私もすでにあやしいとにらまれていた。 数カ月前のこと、ある共産党週刊誌の事務所から出て来るところを見た刑事がいて、警察との間にたいへんないざこざがあったところだった。私がこの秘密結社に行くところをふんづかまったら、国外追放にもなりかねない。とはいっても、このチャンスを見のがすのは惜しい。その日の午後、給仕というボリスの友人がやって来て、その秘密の集会場所へ二人を連れて行った。町の名は思い出せないが、それはみすぼらしい通りで、セーヌの河岸から南の方につづいており、どこか下院のちかくであった。ボリスの友人はしつこく、用心するようにと言った。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「そして、それが最後になって、その後、秘密結社のことは風のたよりにもきかなかった。あの連中が事実は誰で、何をやっていたのか、知るものは一人もなかった。私個人の意見としては、彼らは共産党と何の関係もなかったものと思う。単なる詐欺師で、でっちあげた協会への入会金を強要することにより、ロシア同胞の亡命者たちを餌食にしたのだと思う。それは全く安全だった。それで彼らは次には、どこか他の都市で同じことを続けてやっているに違いない。彼らは器用な奴で、その演技のうまさに至っては感嘆の他はない。彼らの事務局は、秘密共産党事務局ならばかくあるべしというそのままの様相であったし、せんたくもの一包を持って来いという一策に至っては、まさに天才ものであった。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「「これまで私はずっとゴルフがやりたいと思ってきました。御貴殿、この私に主な打法の二、三をやって見せて下さるようにねがえたら?」 こういうのがロシア的商法である。そのことがはっきりしていた。私がドライバーとアイアンとの間の差異を説明する間、あるじはじっと聴いていたが、突然、万事は了解ずみであると教えられた。レストラン開店のあかつきはボリスが給仕長になる。そして私は、皿洗いに、その上、商売がうまくいけば、化粧室付になれる望みもあるということだ。さていつ開店ですかとたずねると、「今日よりきっかり半月」とあるじはおおらかに答えた(手をひるがえすと同時にタバコの灰をふり落すジェスチャーをする、それがまた極めて堂々とした風情だった)。「今月からきっかり半月、ランチ時に間に合うよう」そういっておいて、得意の様子をはっきり見せて、レストランを案内してまわった。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「給仕仲間には一風かわった人物がいる。大学教育を受けた青年で、商社方面の勤めでいい給料をもらっていたが性病にとってつかれ、失業し、わたり歩いた末の現在、給仕となって運がよかったと思っている紳士。給仕連の多くは旅券も持たずフランスに紛れ込んだものが多いが、そのなかに一人や二人はスパイがいる。――給仕というのは通例スパイがえらぶ職業である。ある日、給仕用食堂で、両眼の間が開きすぎておっかない顔をしたモランディと別のイタリア人との間におそろしい騒動がもちあがった。モランディが相手の男の情人をとったということらしい。その男というのは弱虫で、モランディをこわがっているのは見えすいているのに、何かもやもやといってかさにかかろうとしている。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「みぎれいさを例にとってみよう。 Xホテルのちりあくたは、そのサービス部門に入り込んだ途端、胸がわるくなるほどだ。われらのカフェテリは、うすぐらいすみずみには、どこにでも汚物がたまっており、パン入れ箱にはごきぶりがたかっていた。一度こいつを殺したらとマリオにすすめてみた。「どうして生きているものを殺すんだよ? かわいそうだ」と非難めいた彼の言。バターに手をつける前に手を洗いたいと言ったら、笑いとばされた。だが、《勤務》の一部だと認めるところでは、きれいにした。食卓のふき掃除をし、しんちゅうで作ったところを磨くのをきちきちとやったが、そうしろとの命令だけを受けていたからで、しんからきれいにするように命令されてはいなかったのだ。でもどの道そうするだけの時間はなかった。われわれはただ勤務を全うするようにしていただけだ。それに、時間に対して凡帳面であることがわれわれの守るべき第一のつとめだったので、きたないままでいて、それだけの時間をうかせた。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「ラキというアラビアの酒はとても安かったし、そのバーは四六時中店を開いていた。アラビア野郎は――さいわいなるかな――終日働いて、終夜のみとおす力を所有していたのだ。 そういうのが典型的な皿洗いの生活だったが、その当座はわるい生活とも思えなかった。私には貧乏しているという感じはなかったのだ。室代を払い、タバコと道行と日曜日の食費分を十分にとった残りで、なお一日四フランの飲み代があった。また四フランといえば貧乏とはいえなかった。そのように単純化されてしまった生活には――言い方はむずかしいが――何か一種のねばっこい満足感があって、それは、まあ、えさを十分に与えられたけものが感じでもするようなものである。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「船旅の途中、ルーマニア人の夫婦に行き会う。まだほんの子供で新婚旅行にイギリスへ出掛けるところ。イギリスについて、やたらに質問を発してきたが、びっくりするような嘘を、いくつかとばしてやった。外国の都市で何カ月も散々苦労したあとなので、いよいよ国へ帰れるのが無性に嬉しくて、当の英国なるものがまるで何かエデンの園のように思えたのだ。なるほど英国には、帰って嬉しいものがたくさんある。浴室、ひじかけ椅子、ミートソース、まともな料理をした新じゃが、きつね色に焼いたパン、マーマレード、ほんもののホップでかもしたビール――買うだけの金さえあれば、どれもこれも結構ずくめ。貧乏でなければ、英国も大変にいい国である。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 https://a.co/7RtTath 「そしてもちろん、私も、おとなしい精薄児が看られるんだから、貧乏にはならないはずだ。貧乏にはならないはずと考えると、私は大いに愛国的となった。ルーマニア人御夫妻が多く質問を発すれば発するほどに、私はイギリスを賞めあげた。その風土、その景色、その芸術、その文学、その法律と――英国にあるものすべて、いうところなしといった工合に。 イギリスの建築はよろしきや、とルーマニア夫妻が尋ねる。「すばらしい!」と私が言う。「だによって、まずロンドンの彫像を見るべきだね! パリは卑俗――半ばは大げさにして半ばはスラム街。されどロンドンは――」」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「もじもじとからだを横にうごかしたが余り効き目はない。どちらを向いても、まず、にぶいしびれた感じがあり、次に毛布のためにゆかのかたさが減るにつれて、はげしい痛みが出た。眠ることは出来たが、十分以上はつづかなかった。ま夜中頃、その相手の男が同性愛的しぐさを私に仕掛けてきた――密室のまっくら闇の中でのいとわしい経験だった。彼はひ弱な男だったので、思うままにすることは楽に出来たのだが、更めてねむることなど無論出来ない。それから夜明けまで二人は目がさめていて、タバコをすい、話し合った。その男は、身の上話をしてきかせた――彼は組立工だが、ここ三年失職している。彼のいうところでは、彼が失職したとたんに妻が彼を見すてて逃げ出した。余りながい間女から遠ざかっているので、女の味とはどんなものか忘れてしまったほどだとのこと。ながく浮浪をつづけている人間の間では、男色が普通だとも言った。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「二年間、女と関係をもったことはない――失業してからのことだが、だから売笑婦以上のものを目ざす気位を忘れてしまったと、私に話したことがある。彼の持つ性格は、まぎれもなく浮浪者のものだ――うらぶれて、そねみやすい、走狗のもつ性格である。 とはいうものの、彼はいいやつであった。天性ものおしみせず、その最後のパンくずを友と分ち合うことが出来た。そして現に、一再ならず、この私と文字どおり最後のパンくずを分ち合ったのだ。彼もまた、もし十分に食べこむことが二、三カ月でも出来たら、おそらく働くことが出来たと思う。しかし二年にわたるマーガリンつきのパンという食生活が、彼の体位の基準をさげてしまった。このきたならしくて、まがいの食事を常食としつづけて終に、その身も心も、下ものが詰まることになった。彼の男らしさを破壊したのは栄養不良であって、何ら生れながらの不徳ではない。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「ロンドンのもつ最大の欠点の一つが、腰をおろすにさえも金がかかるという事実だということには一度だって思いをはせたことがなかった。パリなら、金がなくて、無料のベンチも見付からんとなったら、舗道に腰をおろすだろう。ロンドンで舗道に腰をおろしたらどんなことになるのか誰にも見当がつかない――たぶん、ムショのごやっかいになる。四時まで五時間立ち続けた。敷石がかたいために足は火のようにほてっていた。スパイクを出るとすぐに配給食をたべてしまっていたので二人は空腹だった。それに私はタバコが欠乏中だ。――」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「彼はフランス語がまあまあ話せたし、ゾラの小説をいくつか読んでいた。シェークスピアの劇は全部、ガリバー旅行記と多数のエッセイも読んでいた。自分のめずらしい経験談を、忘れられない言葉でのべたてることも出来た。例えば、葬式のことを語って、こう言ったのである。「死がいが焼かれるの、見たことある? わしは見たことがあるんだ、インドでね。そのおっさんが火の上にのせられた。するとどうだ、とび上がるほどたまげた。死がいが足をはねはじめたのだ。それはただ熱にあって筋肉が収縮しただけのことだが、それでもむしずのはう思いがする。さて、からだはちょっとの間、石炭の火にのせたくんせい鰊のように身をもがいたが、やがて、五十ヤード離れていても聞こえるほどのバァーンという音を発して、腹部がふっとんだ。そんなんで、火葬がしたたかいやになった」」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「また女に対する最大の侮辱は、ロンドンでもパリでも cowである。しかしこれはお世辞ともとれる名前なのだ。め牛とは動物のうちでこの上もなく好ましいものの一つなのだから。ある語が侮辱の語となるためには、ただ字引の上での意味を離れて侮辱の意味に使われさえすればいいことは明らかである。語は、特に罵言は、大衆の考えるところがこぞって作り上げてしまうものであるのだから。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「放浪に関する根本的な問題を取り上げるとする。一体なぜ浮浪者なるものが存在するのか? それは興味ある事柄だが、何がために浮浪者はさすらうのか、という理を知るものはほとんどいないだろう。それで、浮浪者の怪物はいるのだと信ずるために、とびっきりの空想的な理由が提示される。たとえば、浮浪者は仕事を避け、乞食を一そうらくらくとやり、犯罪の機会をねらって――かずあるうちの、これぞ実に、ありそうもない理由なのだが――なお、さすらいそのものが好きなために、さすらうのだというのである。犯罪学の本では、放浪者は一つの祖先復帰、人関の遊牧民時代への逆もどりだとあるのを読んだことさえある。話かわって一方では、浮浪の明白な理由として、人の顔をじろじろとみることだという。もちろん浮浪者は、遊牧民的先祖復帰ではない――そんなことが言えるなら、旅のセールスマンは先祖復帰なりとやった方が、気がきいている。浮浪者がさすらうのは、さすらいを好むためではなく、自動車が左側通行すると同じ理由であり、そうしなければならない法律がたまたま存在するだけのことだ。資力の乏しい人は、教区に支えられなければ、浮浪者収容所で救済を受けるより道がなく、各収容所は一夜を限って入所を許してくれるだけだから、自動的に移動を続けることになる。その法律の現状では、そうするか飢えるより道がないので、無宿者となるのである。しかし、浮浪者なる怪物の存在を信ずるように育ったものは、放浪には何か多少ともに不良な動機があるものと信ずるより仕様がないと思いたい気持になって行くのである。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「その理由を察するに、女が失業に左右されること、男ほどではないというのであろうし、また、とりえのあるものならどんな女でも最後のよりどころとして、だれか男に身を寄せるということである。その結果として、男性浮浪者からいえば、永遠の独身を言い渡されたことになるのである。というのは、もちろん、浮浪者が自分と同等の階層に女を見付けなければ、上層の女は――たとえ極少しであっても上層であれば――月と同様、手のとどかないところにあるのは言うまでもないこと。その理由とするところは論ずるまでもないが、女というものは必ず、あるいはほとんど例外なく、自分よりずっと貧しい男へは身をおとしてやらないものだということで、それには疑う余地がない。そういうわけで、浮浪者たるもの、一たんさすらい始めたが最後、独身ものときまる。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「こういう結果はどういうことにならざるを得ないかは、はっきりしている。たとえば、ホモ病(同性愛)そして時おりには、暴行の実例。しかしこうしたものよりもなお一層深く、自分は結婚する能もないと人から考えられているのだと、みずから知る人間の内心に、喰い込んでくる退化現象の自堕落があるのだ。性的刺激というものは、それを何かいっそう高めるのでなければ、根源的な刺激となり、それに渇望を起こさせることは肉体的の飢餓におとらず精神をだめにする。貧乏の禍は人を悩ます結果、肉体的にも、精神的にも人をくさらす、というほどのものではない。しかし、性的飢渇はかかる腐蝕作用の手助けをすることはまちがいはない。ありとあらゆる女性群から切り離されて、浮浪者自身は不具者か狂人の列に落ちこんだとしみじみ思う。どんな屈辱も、人の子の自尊心にこれ以上の打撃を与えるものはないだろう。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「浮浪者が女から切り離されているのは、まず第一に、彼らの水準の社会では女の数が極めて少ないためである。貧しい人々の間でも両性の数は他の場所と同じように平均がとれていると思われそうである。しかし実際はそうでない。いやそれどころか、ある一定水準以下になると、社会は全部男ばかりだといってもいいほどになるのである。次の数字は L CC(ロンドン都庁)によって発表されたものだが、千九百三十一年二月十三日に行われた夜の人口調査からとったもので、貧しい男と貧しい女との間の比較数を教えてくれる。 街路にてその夜をすごしたもの =男六十、女十八。 通常の簡易宿泊所として認可を受けていない援護所ないし収容所のもの =男千五十七、女百三十七。 セント・マーチンズ・イン・ザ・フィールド教会の地下室にて =男八十八、女十二。 L CC管轄の浮浪者収容所とホステル =男六百七十四、女十五。 この数字から推算して、慈善事業の対象になる階層では、男の数は女の数をおよそ十対一の割で上まわっていることがわかるはずである。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「同年夫人死去。スターリン体制を風刺した寓話『動物農場』が英国の出版社四社に断わられたあと一九四五年八月にようやく出版され、国際的ベストセラーとなる。都会の喧騒を逃れて『一九八四年』を書くためにスコットランド西海岸の僻島ジュラに隠棲。結核再発し本土の病院に入院。病状一時好転後、同島に帰り『一九八四年』を書きつづける。一九四八年末に脱稿のあと結核再発し再入院。翌四九年『一九八四年』が出版され、世界に大反響をまき起こす。同年十月、ソニア夫人と再婚。一九五〇年一月、喀血のためロンドン大学病院で死去。四十六歳だった。」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著 「売れない原稿をかかえ、ボロ服をまとい、飢えに苦しみながらオスロの街をさまよう男の姿を描いたクヌート・ハムスンの『飢え』(一八九〇年)はオーウェルは読んでいないようだが、浮浪者詩人といわれた W・ H・デイビィズの『浮浪者の自叙伝』(一九〇八年)や『浮浪者ジョニイ・ウォーカーの冒険』(一九二六年、ケイプ社)、ジャック・ロンドンのロンドンの貧民街探訪記『奈落の人びと』(一九〇三年)などはすでに読んでいたものと思われる。ゴーリキイの『どん底』を読んでいたかどうかはわからないが、『居酒屋』のゾラをはじめ、フランスの自然主義作家からは強い影響を受けていたことはまちがいない。(彼は後年に書いた自己紹介文のなかで、「いつ読んでもあきることのない作家」のリストにゾラとフロベールの名を入れている。)」 —『パリ・ロンドンどん底生活』ジョージ・オーウェル著
2投稿日: 2025.07.31
powered by ブクログパリとロンドンでの極貧生活を綴った作品。 勝手にもう少し社会批判的な内容を想像していたが、作者が作中でいうとおり単に「旅日記」としても面白く読めた。
7投稿日: 2025.03.27
powered by ブクログ第122回アワヒニビブリオバトル テーマなしで紹介された本です。ハイブリッド開催。 2024.12.28
0投稿日: 2024.12.28
powered by ブクログ前半のパリでは、高級ホテル、高級レストランで働いていた筆者がその裏側のとんでもないカオスぶりを面白おかしく描き出す。人物描写が巧みで、活気にあふれた破茶滅茶な喧騒があたかも目の前で起きているかのような臨場感。どんちゃん騒ぎのパリ、ちょっとみてみたい。 後半のロンドンは、浮浪者に身を窶した筆者の、まさしく放浪記である。魅力ある浮浪者仲間の生き様はときに明るく読める瞬間もあるが、根本的にはイギリスの制度上の問題や大衆の意識について、鋭い疑問を投げかけている。 ブレイディみかこ氏の「労働者階級の反乱-地べたからみた英国EU離脱-」でも似たようなことが述べられていた点は非常に面白い。 本書は約100年も昔に書かれたものにも関わらず、Brexitを引き起こしたイギリスの問題の本質について警鐘を鳴らしていたのである。 (というか100年あっても人間の性質なんてほとんど変わらないのだとも言える) 大衆、いわゆる一般市民と自負する人々の視点からは、”彼ら”(=浮浪者、失業者たち)は労働意欲がなく、酒ばかり飲んで、ときには暴力を振るう危険で野蛮な奴ら、というレッテルを貼って別人種だとみなされる風潮がある。自分も一歩踏み外せば失業して同じような生活になる可能性があるにも関わらず、意識の上では社会階層が完全に分断されているようだ。 オーウェルが指摘したこの分断意識の問題は、100年後のBrexitの国民投票において、”見捨てられた人々の反逆”として形に現れた。 イギリスだけじゃなく日本、というか世界中で分断が進む現代においては絶対読んでおくべき本。社会の一員として、この問題を”自分ごと”だと意識するための重要な視座を与えてくれる。
0投稿日: 2023.11.05
powered by ブクログ前半はパリの貧窮生活、後半はロンドンの浮浪者生活を描くルポルタージュ。 パリのホテルの裏方現場の様子が、具体的かつとてもイキイキしていて、目に浮かぶようだ。 ロンドン生活の描写はもっとあっさりしているが、罵言の変遷や施しを受ける浮浪者の心理など、オーウェルの着目点は今読んでも新鮮で魅力的だ。 翻訳もとても読みやすい。
0投稿日: 2023.11.02
powered by ブクログパリ・ロンドンの旅行記を想像していたら、良い意味で裏切られた。 パリのホテルについての考察はブルシットジョブとも通づる。
1投稿日: 2022.02.06
powered by ブクログ外資系ホテルの設計をしているときに読んだ本。なぜ外資系ホテルがことこまかに従業員の働く環境について規定を設けているかよくわかる。こういう歴史があり、それを改善しようとした結果なのだと理解できれば、納得できる設計ができると思う。
1投稿日: 2021.11.07
powered by ブクログ『屋根裏部屋の一つには、仮装舞踏会で履くようなアメリカ向けのけばけばしい靴を作っている、ブルガリア人の学生がいた。この学生は六時から十二時までベッドの上にすわりこんで十二足の靴をつくり、三十五フラン稼いだ。そして、あとの時間はソルボンヌの講義に出るのだった』 ジョージ・オーウェルといえば「1984」で、全体主義を揶揄するディストピア小説ということになるのだろうけれど、近未来として描かれたその年は既に過去の時となり、危惧されていた第三次世界大戦も起こらず、現実の世の中はオーウェルが極端に描いて見せた世界とは異なっている。しかしそこに描かれた人々の暮らしは、実のところ絵空事ではなく、少しだけ見方を変えれば直ぐにでも現実味を帯びて迫ってくるもの。それどころか、1930年代に紀行文として書かれたこの「パリ・ロンドン放浪記」で炙り出された貧困層の生活からは、世間という大きな機構の中にがんじがらめに絡め捕られてマトリックスの中で生きるしかない仕組みが透けて見えて来る。 興味深いのは労働党の、煎じ詰めれば社会主義の、支持者であったオーウェルが、そのイデオロギーが容易に行きつく先であろう全体主義を否定していること。オーウェルがどのような社会主義の善良なる世界を夢想していたかは理解していないけれど、本書の中で吐露される社会観は、既存の社会制度の歪を凶弾しより良い仕組みがあるのではないかと問い掛けているように読める(例えば、何故イギリスでは放浪者が放浪し続けなければならないのかを問うくだり、など)。ただし、本書はそのような提言が主題ではなく、優れたルポルタージュ文学作品として認識されているようだ。 確かに、公務員の職を辞して執筆活動に専念するため自ら不自由な暮らしに飛び込んでいったとは言え、行き着いた貧困の境遇について自己憐憫の泣き言を書き連ねることはない。むしろ貧乏生活を分かち合う人々との交流を楽しんでいるような(特にパリ編は、まるでほら吹き男爵の冒険譚のような)雰囲気すら感じさせる文章は読んでいて楽しい。もちろん、きらびやかな表舞台の裏側で人々が目を逸らしたくなるようなおぞましい、だがそこで生きる人々にとっては当たり前過ぎる現実の世界が存在することもきっちり描いていて、その意味では後年「1984」のような社会の歪をディストピアとして描き出すような作家の視点は既にあったのだとも言えるのかも知れない。 パリの市井にどっぷりと浸かって生活していたとはいえ、やはりフランスがどこまでも異国であったのとは異なり、イギリスへ戻ってからの放浪生活の描写には社会的な矛盾に対する憤りのようなニュアンスが所々で顔を出す。野に在ってもジェントルマンとして社会的責任を感じるよう育ったパブリックスクール出身者の矜持のようなものが疼くのだろうか。翻訳者はその部分は「無くもがな」とするけれど、むしろその部分が肝心なようにも思うのだが。 『物乞いの暮らしと、世間的に体裁のいい生活を送っている無数の人びとのそれとのあいだには、何ら「本質的な」相違などありはしない。物乞いは働かないと言っても、では、「働く」とはどういうことなのか? 土工はつるはしを振るって働く。会計士は計算をして働く。物乞いは晴雨にかかわらず戸外に立ち、静脈瘤や気管支炎になりながら働いているのだ』
2投稿日: 2021.10.21
powered by ブクログ凄い内容ではあったんですが勝手に想像してた放浪記と乖離していて重め暗めでした。この日々を見てジョージオーウェルは作家性を増したのですね。
1投稿日: 2021.09.29
powered by ブクログ『1984年』、『動物農場』と、政治思想を前面に押し出した作品を書いた著者が、どのような旅の記録をまとめるのかと身構えつつ読んでみたけれど、これは面白い……。 いえ、面白いと言ってはいけないのかも。 パリとロンドンでの浮浪者生活を描いたものなのだから。 パリでは道端で人が死んでも驚かないほど無気力な窮乏生活を送り、皿洗いの仕事を得る。 食堂の裏側のおぞましいほどに不潔で、ちょっとおかしな話を読み、外食はしたくないと思わせられた。 英国では仕事が得られず各種の収容所を巡る。 その実体験を通じて、浮浪者は特別な存在でないと論じる箇所は説得力があった。 他のルポルタージュも読んでみたい。
1投稿日: 2021.05.09
powered by ブクログジャック・ロンドンと違い、著者はイギリス人=ヨーロッパ人であること、そして、必要に迫られて貧乏暮らしをしたことなど、貧しさが他人事ではない印象。 そして面白いのは、母国については批判的なのに、パリに対しては友人のような気安さがある。 「金が人間を労働から解放してくれるように、貧乏は人間を常識的な行動基準から解放してくれる」 そして、考えないようになっていく。 本当の貧乏の中で、革命は生まれないのではないかという気づきが新鮮だった。 そういう意味で、今の日本は全体的に貧しいと思う。誰も自分で考えず、誰かが考えてくれるのを待ち、それが気に入らないと「批判」する。 そんな仕組みの中で、埋もれないようにしたいものだ。
0投稿日: 2021.04.17
powered by ブクログオーウェル最初の単行本のせいか、それとも小説よりこういうルポのほうが本人の気質に合っていつのか、実にイキイキして面白い。1920年代の貧乏な人々の暮らしと息づかいが目の前に。
0投稿日: 2020.09.01
powered by ブクログオーウェルは、自らルポルタージュの為にパリ、ロンドンの底辺の世界に身を置いたらしい。 そこで、貧乏のどん底で心の平安を見いだす。 絶望ではなく、平安をである。 『貧乏のどん底に近づくとあることを発見して、後は大抵どうでもよくなってしまうからである。退屈で、家のやりくりに俺の家に、目が決まってればくるものの、貧乏には同時に大きな救いがあることを発見するのだ。 将来と言うものが、消えてしまうのである。金がないほど心配も少ないと言うのは、確かにある程度まで真理である。100フランでも持っていれば、気が狂いそうなほど心配になるだろう。 だがたった3フランしかないとなれば話はまるで違う。 3フランあれば翌日までは食える。 そしてその先のことは考えられない。退屈ではあっても怖い事は無い。「明日は餓死すらだろうーえらいことだな」とぼんやり考えはする。だがそれっきり、また別のことで気が紛れてしまうのだ。マーガリン付きのパンと言う食事は、それ自体である程度の鎮静剤にもなるのだ。 このほかにも、陰謀なとき大きな慰めになる感情がある。どん底に落ちたことがある人なら、誰でも経験していることだろう。それは、自分がついに本当にどん底に落ちたと悟った開放感というか、喜びといってもいいほどの感情である。零落すると言う話は始終していたわけだけれども-ついに、いよいよ零落して朝にどん底まで落ちたと言うのに、それに耐えられるのだ。そう思うと、不安はあらかた消えてしまう。』
0投稿日: 2020.08.16
powered by ブクログあまり期待せずに読み始めたら面白くて止まらなくなった。オーウェルの観察眼と表現力が光る。翻訳も素晴らしい。 パリ編もロンドン編もおもしろいが、特筆すべきだと感じたのはP232〜234で、オーウェルが自ら経験した窮乏生活から学んだ「物乞いの社会的地位」について述べている部分が感慨深い。 それに続く、ロンドンのスラングと罵詈雑言について、また「零落した人間」についてなど、終盤にさしかかったところからの記述が深い。 そして、ここで出てくる『暇つぶしの才覚』という表現がタイムリーだった。この本を読んだのがちょうどコロナ騒ぎの真っ只中で、自粛生活がつらい、暇でしょうがない、などという世間の話題をよく聞いたが、そういう人々は本書でいうところの『暇つぶしの才覚もないまま』大人になってしまったのだろう…などと思ったり。 それに比して、巣ごもりを満喫できる我々読書好きは『暇つぶしの才覚』があるということかしら。。
1投稿日: 2020.05.26
powered by ブクログこの本を普段の生活では味わえない価値観というエンターテインメントとして捉えたくはないと思った。 現在日本も人手不足だけど、法律や福祉を正せば輝ける人材もあるのではないかと思う。 ホテルに対する記述が、私が思っていたけど言葉にできなかったもやもやを晴らしてくれた。 「高級といわれているものの実質は、要するに従業員が余分に働き、客は余分な金を払うというだけのことなのである。」 この文章が言いたかったことを表してくれた。 こういった商売で経済が回っているのは事実だけど、本来必要な所に金が行き届いていない原因でもあるのではないか。
0投稿日: 2020.03.20
powered by ブクログ社会にとって有益な仕事に妥当な賃金が払われず、なんでもない仕事が逆に法外に高い賃金を獲得するこの不平等はいつの世も同じだなと感じた。
0投稿日: 2020.02.02
powered by ブクログジョージオーウェルと言えば動物農場...と思いきやこんなルポ的な旅日記のような、そんな本も書いていたんですね。 しかも1933年と、かなり若い時の執筆です。 パリとロンドンでの底辺暮らしの経験をみずみずしい感性で綴ったエネルギーを感じる一冊です。 個人的には前半のパリの話の方が好きです。
0投稿日: 2019.06.15
powered by ブクログBRUTUSの危険な読書特集で気になった一冊。 「放浪記」なので、多少は「旅行記」的な内容も期待してはいたんですが、まったくそんなことはなく、1920年代当時のパリとロンドンの底辺での生活を、文字通り放浪しながら綴ったルポタージュ。 ジョージ・オーウェルって「1984」で名前を聞いたことがあったけど、これが原点なんですね。 とりあえず、南京虫が気になった。
0投稿日: 2018.09.20
powered by ブクログ前半のパリ編が秀逸。 20代の1年半をパリで過ごしたからこそ描写できた街の一面。南京虫と悪臭漂う底辺の暮らしを、ヨーロッパ中から集まってくる様々な人の人生との出会いを通して、生き生きとどろどろと描きだしている。 20世紀前半のこの時から、パリの根本部分は変わっていないと思う。
0投稿日: 2018.08.28
powered by ブクログオーウェルの突撃ルポ、デビュー作。1927年から3年間、パリ貧民街とロンドンのホームレス界にどっぷり浸かって取材。やはり性来の裕福さがポジティブな行動と考え方を生んでいる感はあり、よくある王子さまが身分を隠して庶民の中で生活をして学んだり、社長の息子が平社員として素性を隠して研修するという、ベタな物語を実際に行ったルポルタージュ。面白がってはあかんのかもしれませんが、単純に面白いです。だいたいにしてオーウェルがええとこの子なだけに、目が曇ってなくて、好奇心と探究心があるというか、面白がっているところが文章にも現れていて、読んでいるほうもワクワクします。
0投稿日: 2018.08.26
powered by ブクログ「1984年」で知られるイギリスの作家である著者の、有名になる前の経験を下敷きにした作品。 名門校を出て公務員になったのに、安定した人生を捨ててパリとロンドンの貧民街で暮らす人生に。結構悲惨な暮らしなのですが、その中でも彩り豊かな登場人物や著者の余裕のある語り口が読みやすい作品にしています。 例えば、「いたるところで、買い手のない山のような食べ物がわたしを侮辱する」という表現、困窮している割に何ともユーモラスです。 時代感をあまり意識せずに読み始めたら、暮らしぶりの酷さに「産業革命後かな?」とも思ってしまったのですが、メトロもタクシーも走ってるし、1927年からの世界恐慌前夜だったんですね。 GEが電気冷蔵庫を作り始めていた時代にも、着る物も満足になく、寒さに凍えながら寝る人々が多くいたというのは、きっといつの時代でも多かれ少なかれこういう要素は残っているもので、もちろん今でも同じことで、忘れてはいけないことなのだと思います。 ちなみに、表紙のあらすじには「自らに窮乏生活を課す」って書いてあるのですが、読んでいて受けた印象としては、どうにもやむにやまれずに貧民街に腰を落ち着けて、そのうち抜き差しならなくなったようにも見えます。。 しかし、47歳の若さで結核で亡くなられた著者。どうにもこの生活が影をさしていたのではないかと…。
2投稿日: 2018.02.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
オーウェルが体験した窮乏生活を描くルポ。 パリでは一日十七時間の激務なのに食べていくのが精一杯の奴隷的な生活、そして、ロンドンでは救貧院や安宿を転々としてパンと紅茶の施しを求める浮浪生活…。 浮浪者をたんに"働かざる者"とする社会の偏見を反駁し、その存在理由を明らかにする考察には後に優れた評論を残す著者らしさが発揮されています。 貧しさが人の精神を荒廃させ、それはいかに社会全体の責であるのか、考えさせられます。現代の日本にも多く当てはまるのは言わずもがなです。 自分の恵まれた環境を顧みて、恥入らずにはいられないショッキングな内容でした。ちょっと残業が続いたくらいで泣言を並べる自分が恥ずかしい(笑)。自分が今後どうなろうと、"金があろうがなかろうが同じ生き方ができる"と言う大道絵師ボソのように矜持をもって生きたいです。
0投稿日: 2015.10.11
powered by ブクログ1984年の著者で有名なジョージ・オーウェル。 若い時に、あえて貧乏生活を自分に課して どんぞこの生活をする。 3日に1日のパン。寝る暇もない労働。浮浪者となりイギリスを彷徨う。。 自分が見ている世界とまったく違う世界。 それが目の前にあるように感じられるように書いている。 純粋に面白い。 これを読んだ後にいまの自分の生活を省みるとどんだけ恵まれてるんだと思う。
0投稿日: 2014.01.26
powered by ブクログあまりに飄々としていてユーモラスなんで、 フィクションかと思えてくるんですけどルポタージュなんですよね。 いや、それくらい楽しい本ではあるんです。 フランスでの変人に囲まれた貧乏暮らしにしても、 ロンドンでの浮浪者暮らしにしても、 20世紀のヨーロッパの裏側が見える感じがいいですね。 それにしたって陰鬱な雰囲気ではなく、 どこか異世界の物語を読んでいるように感じられます。 軽妙なタッチで書かれているので読んでるときは気づきませんでしたが、 これが実体験だというのは、なかなか凄いことだと思いますよ。 こういう人になりたいもんだと思います。
2投稿日: 2013.01.16
powered by ブクログ自らに貧乏生活を課し、パリとロンドンで浮浪者となった作者の生活と、出会った人々達とのエピソード集。 文体から彼の誠実な人柄が伝わってきて面白い。パリ編はコミカルだが、ロンドンでは浮浪者に対する扱いの差が起因しているのか、重々しい。 一人一人の浮浪者達が生き生きと描かれていた。浮浪者も、金持ちも、同じ人間であると作者は伝えている。
0投稿日: 2012.12.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
大した家柄の筆者が身をやつして、戦間期のパリとロンドンで最下層の生活をレポートする。戦勝国にもロクでもない生活があったという当たり前の事実に気付かされるとともに、ロクでもない生活を最大限に楽しむ心意気を感じられる。 この筆者はなぜここまでやるのだろうという興味がムクムクと湧く。筆者がこの後にスペイン内戦に身を投じるのは当然の流れなのか。なんにしても密かにあこがれのルポライターである。
0投稿日: 2012.09.25
powered by ブクログシュール。とか言っちゃいかんのかな。いやなんかでも馬鹿馬鹿しさが湧いてくるっていうか漂っているっていうか。なんだろね。
0投稿日: 2012.06.08
powered by ブクログ『1984』や『動物農場』で知られるジョージ・オーウェルは、世界恐慌の余波がまだ残るパリ、ロンドンを放浪していた。そのときの悲惨な貧困生活をユーモア溢れる文章で記したのが、この『パリ・ロンドン放浪記』。 特に興味深いのが、オーウェルがどんなに貧しくなっても、虚栄心を捨てきれないという描写。例えば、お金あるときにはレストランで外食することができたが、困窮極まってそれが不可能になってしまってからも、見栄をはるためにレストランへ行く振りをして公園で時間を潰し、帰りにパンをポケットに忍ばせてこそこそとアパートに帰る。他にも、ルームメイトと食べ物を譲り合って、結局相手に食べ物の取り分を多くとられてしまったりする。それでさらに可笑しいのは、ルームメイトがその譲り合いで食べ物を多くとってしまうことに、密かにオーウェルが腹を立ててるということ。それだったら最初から見栄を張らなかったらいいのに!人間は虚栄心のために愚かで不合理なことをしてしまう、そんな滑稽さがとても可笑しい。 もう一つ興味深かったのは、オーウェルがホテルのレストランで皿洗いをしていたときの話。レストランの食事をするところでは、華やかな社交場が展開されている。それとは対照的に、オーウェルが働く厨房はというと、ゴミの山が積まれ、ネズミが我が物顔に走り回る始末。そんな環境から出される料理に表の客たちは舌鼓を打つ。さらにひどいことに、忙しさや客に腹を立てた従業員は、華やかな世界の人々へのささやかな復讐として、スープにつばを吐く。こんな状況は、映画『ファイトクラブ』でも描かれていた。監督は、『パリ・ロンドン放浪記』を読んでいるのだろうかと気になる。飲食業で働いていた人たちは、ここまで極端ではないにしても多かれ少なかれ、共感を持てるのではないだろうか。僕が高校のとき、バイトしていたところでも、例えばラーメンの麺がのびすぎたら冷麺にまわすといったことなどが行われていた。「自分が働いていた店では、自分は決して食事しようなどとは思わない」、そう思う人は多いと思う。オーウェルはこう皮肉を言う、飲食業で働くという経験をした「おかげで幻想のひとつ、すなわちフランス人は見ただけで料理のよしあしが分かるという妄想を打破することができた」。 この作品は、ドキュメンタリーという体裁をとっているけれど、小説としても十分楽しめることができる。
0投稿日: 2011.11.05
powered by ブクログオーウェルによるパリ・ロンドンでの貧乏放浪ルポ。貧乏は人間を動物的にする。「人間性」とは、或る程度の豊かさの産物か。悲惨な境遇の中でも自分の哲学を作り上げて笑いながら暮らしているボゾという人物が面白い。動物的であれ、ともかく、逞しく生きていくこともできるのが人間か。
0投稿日: 2011.03.26
powered by ブクログパリ編は面白いけれど、ロンドン編は少し面白さが地味,ジャックロンドンの奈落の人々への言及が一ヶ所あるのも興味深かった。この本は傑作、でも広く読まれる事はもう無いかな
0投稿日: 2010.09.01
powered by ブクログパリ編の方が断然面白い。「金は人々を労働から解放するが、貧乏は人々を常識的な行動基準から解放する」にはオオウケ。
0投稿日: 2010.06.18
powered by ブクログ十代でこれ読んだときはホントおもしろかった。 前半パリの貧乏暮しは笑えて逆にオーウェルらしくないかも。 後半ロンドンではホームタウンだけあって、本領発揮。 程度の差はあれ、貧乏は経験すべし。
0投稿日: 2010.05.11
powered by ブクログ都市の貧困を自らの体験をもとに描く。出てくる人物が魅力的で、小説みたいにグイグイ読めちゃう。著者特有の超ピリ辛な社会考察も盛りだくさんで、現代社会においてもなお有効。うーん、さすが。とりあえずパリの高級レストランには行かないぞ。
0投稿日: 2007.06.17
