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メノン
メノン
プラトン、藤沢令夫/岩波書店
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総合評価

49件)
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    2026.1.5 徳とは何か 物事の探究の仕方とか質問の仕方とか、いろんな点で参考になった わかりやすいしおもしろい

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    投稿日: 2026.01.05
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    ソクラテスとメノンの対話。「徳は教えられうるか」という問いから始まり、徳とは何か、をソクラテスの問答法を用いて探求する。 会話形式なので読みやすかったし、時代背景や執筆年代、思想の解説も有難い。パイドン、パイドロス、国家を読む前に読めてよかった。

    1
    投稿日: 2025.11.07
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    「たしかにそのとおりです、ソクラテス」 徳は教えられうるか? 徳とはなにか?ということについて考えてはいないから、良い議論ではないのだが…… 徳は生まれ持っての性質というのが結論であったか? 「人は自分の知らないものをどうして探求できるのか」-想起によって。 想起説 「自分で自分の中に知識をふたたび把握し直すということは、想起するということにほかならないのではないだろうか?」 (世界にもともとあった真理を習得しただけで、思い出した、というのはね……) 魂の不死 ソクラテスによる形の定義……つねに色に随伴しているところのもの 色の定義を持ち出したら循環するだけよな。 少年奴隷とソクラテスの対話 実念論においては想起説を認めよう。 「メノン、どうやらアニュトスは怒ってしまったようだ」 実際に道を通ったことがなく、ちゃんとした知識を持っていなくても、正しい道へ行けた場合。p106 徳(アレテー)……卓越性、能力、すぐれていること 「徳は教えられうるか?」 これは、メリトクラシーの中での至上命題となるのは必至であった。

    0
    投稿日: 2024.12.16
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    最初に読んだ時は、「徳は教えることができるか」と「√2の求め方」に何の関係があるか、理解出来なかった。 再読し、「人間本来の知恵や本性は教えられうるのか」が共通するテーマだと理解できた。が、私の関心は徳そのものであり教示の可否ではなかったので、またも徳の理解には及ばなかった。

    1
    投稿日: 2024.12.10
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    ソクラテスの弁明の後に読んだ。藤沢先生の翻訳はかなり読みやすく、現代の本と比べても違和感なく読み進めることができた。 内容は言わずもがなである。

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    投稿日: 2024.07.03
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    "メノン「あなたという人は、顔かたちその他、どこから見てもまったく、海にいるあの平べったいシビレエイにそっくりのような気がしますね。なぜなら、あのシビレエイも、近づいて触れる者を誰でもしびれさせるのですが、あなたが私に対してしたことも、何かそれと同じようなことのように思われるからです」" 彼は何事かを知っていると思い込んでいるものに対してユーモアや皮肉を織り混ぜながら問いを投げ掛け、遂には行き詰まらせてしまう。 人の魂には「それ」は既に内在している。 必要なのは学ぶことではなく、想い出すことだ。 彼は教師ではなく、ともに探し求める者なのだ。 「それから、ぼくのことだが」 「もしそのシビレエイが、自分自身がしびれているからこそ、他人もしびれさせるというものなら、いかにもぼくはシビレエイに似ているだろう」 読書メモ 001 徳は教えられうるか 002 徳とは何か 003 徳の本質的特性とは 004 徳が何かは実は僕にも分からない 005 「学ぶ」とは想起すること 006 従者を使った証明 007 この子はそれを知っていると思い込んでいたのだ 008 質問するだけで教えはしないのだが 009 ものを知らない彼の中にも正しい思わくは内在している 010 彼は生涯以外の他の時において既にそれを持っていた 011 魂は既に学んでいる 012 魂とは不死のもの 013 想い出していないならそれを探求し想起するよう努めよ 014 「徳は教えられうるか」、再び 015 「徳というものが魂に関わる色々なもののなかでもとくにどのような性格を持ったものであるならば、それは教えられうるものだということになりもしくは教えられえないものだということになるか」 016 徳は知識の性格を有するか 017 徳は善であるか 018 善きものは有益なものであるか 019 【仮説】魂の性質が有害であるか有益であるかは知性が伴うか否かによる 020 【仮説】徳が有益なものである以上それは知でなければならない 021 【仮説】知であるならば徳は教えられうる 022 靴職人になりたければ靴職人の元へ行け 023 徳の教師の不在 024 徳は教えられうるものではない 025 優れた人物たちは有益な人物であるべき 026 有益な人間たらしめている条件は我々を正しく導くこと 027 正しく導くことに「知」は必要か 028 正しい思わくは想起によって縛りつけられ知識となり永続的なものとなる 029 正しい思わくと知識が正しい方向へ導く 030 正しい思わくも知識も生まれつき備わるものではない 031 徳は教えられうるものではない以上知識でない 032 徳は神の恵みによって備わるものである

    0
    投稿日: 2020.05.17
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    プラトンの入門にちょうどいいかと思う。「徳について」という副題があるが、「探索のアポリア」のところは、教育論やメディア・リテラシーとも関わるなと思う。 「人間は、自分が知っているものも知らないものも、これを探求することはできない。というのは、まず知っているものを探求するということはありえないだろう。なぜなら、知っているのだし、ひいてはその人には探求の必要がまったくないわけだから。また、知らないものを探求するということもありえないだろう。なぜならその場合は、何を探索すべきかということも知らないはずだから」(pp.45-46) ソクラテス裁判で原告になるアニュトスもでてきて、「弁明」につながるところもある。

    1
    投稿日: 2020.05.15
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    (Mixiより, 2011年) プラトンの対話篇の一つ「プロタゴラス」が楽しく読めたので、続けて一作読んでみた。ここに提示されている「想起説」という考え方はなかなか面白く、"生まれ変わり"というなんとも飲み込み辛い考え方を裏付けているのかな?と感じた。一部論理に大きな破綻があるのも、"文学"である事が幸いして逆にふくらみを持たせる部分になっている。良い。

    0
    投稿日: 2020.04.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ソクラテス とすると、有益であるという点にかけては、正しい思わくは、知識に何ら劣らないわけなのだ。 メノン しかし、ソクラテス、これだけの差はあるでしょう。つまり、知識をもっている者はつねに成功するけれども、正しい思わくをもつ者のほうは、うまくいくときと、そうでないときがあるという点です。 ソクラテス どうして?つねに正しい思わくをもっている者は、いやしくもその思うところが正しいあいだは、つねにうまくいくのではないかね。 メノン そうでなければならないようですね。すると、どうも私には不思議になるのですが、ソクラテス、もしそうなら、いったいぜんたいなぜ知識は、正しい思わくよりもずっと高く評価されるのでしょう?またこの二つが、それぞれ別のものとして区別される理由はどこにあるのでしょう? ソクラテス どうしてそれが君に不思議に思えるかわかるかね。それとも、ぼくが言ってあげようか? メノン ぜひ教えて下さい。 ソクラテス それはね、君がダイダロスのつくった彫像に注意したことがないからだよ。もっとも、君たちに国にはもともとないもかもしれないが。 メノン いったい何を考えて、そんなことを言われるのですか? ソクラテス あの彫像もやはり、しっかりと縛りつけておかないと、逃げて走り去ってしまうが、縛っておけば、じっとしているということさ。 メノン それで? ソクラテス ダイダロスの作品を所有していても、それが縛りつけられていないならば、ちょうどすぐ逃亡する召使と同じことで、あまりたいした値打ちはない。じっとしていないのだからね。しかし、縛り付けられている場合は、たいした値打ちものだ。なにしろ、たいへん立派な作品だから。―ところで、何のつもりでこういうことを言うかというと、ぼくは正しい思わくのことを考えているのだ。つまり、正しい思わくというものも、やはり、われわれの中にとどまっているあいだは価値があり、あらゆるよいことを成就させてくれる。だがそれは、長い間じっとしていようとはせず、人間の魂の中から逃げ出してしまうものであるから、それほどたいした価値があるとは言えない―ひとがそうした思わくを原因(根拠)の思考によって縛りつけてしまわないうちはね。しかるにこのことこそ、親愛なるメノン、先にわれわれが同意したように、早期にほかならないのだ。そして、こうして縛りつけられると、それまで思わくだったものは、まず第一に知識となり、さらには、永続的なものとなる。こうした点こそ、知識が正しい思わくよりも高く評価されているゆえんであり、知識は、縛りつけられているという点において、正しい思わくとは異なるわけなのだ。 メノン ほんとうに、ソクラテス、何かそういった事情にあるもののようですね。

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    投稿日: 2020.03.08
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    今までの読んだプラトンの作品に比べて、反論なく円滑に議論が進んでいくので分量も少なく読みやすい。 「徳とは教えられるのか」についての議論だが、そもそも「徳とは何か」に議論がすり替わる。 というのも、それがどうであるかはそれがどのような性質のものかを定義づけなければ語ることができない。これは日常的な会話にも言える。 例えば旅について語っても、「一人なのか複数なのか」、「どこにいくのか」、「目的は何か」と性質を限定して定義づけなければ、議論は想定違いの結論を生みかねない。 話がずれたが、本書では『パイドン』で語られていた想起説やイデア論について述べられており、合わせて読むとプラトン哲学をより深く理解できる。 個人的に最近「直感」が実在することに気づき、自分の奥底に眠るイデアがある特定の物事に触れると思い出されるかのような、まさしくプラトンの言う想起説で説明がついてしまう興味深い発見をした。最初は想起説なんて机上の空論だとたかをくくっていたが、そうでもないのかも知れない...。

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    投稿日: 2020.02.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    哲学というものはやはり難しい… だけれどもこれぐらいだと、 とっつきやすくはなるのかな… ただやはりそれでも独自の表現はあるけど 確かに、徳は残念なことに 教えることはできない代物でしょう。 結局のところ教えられても それを自分で会得しなければ意味ないわけで それをしない人には意味がないのです。 それは悪人を善人に変えることが難しいのと 一緒なのかもしれませんね。 この中にはあ、と思えることが多いと思います。 先入観がいかに危険か、 それはこの貴重な知の源を 処刑により消し去った ある人物の発言がまさにそれでしょう。 ただ哲学ですので…

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    投稿日: 2019.07.23
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    プラトン『メノン』岩波文庫 読了。徳とは教えられ得るか。徳とは教えられるもの(知識)であると仮定して探求するものの、現実に徳を教えられる人は存在しない。それゆえ、徳とは神の恵みによって与えられる正しい思わくであると帰結する。だが、徳とは何かがわからなければ、真の答えになり得ない。 2011/12/23

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    投稿日: 2018.11.06
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    問うことが如何に重要であるか、想起して探求と議論から解に近ずくことの大切さを徳という問いに対するソクラテスらの対話を通じて考えさせられた。

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    投稿日: 2018.03.22
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    読了。短いので二度読みました。有名な想起についての記述がある。想起という発想はそれ自体面白いと思う。想起を突き詰めると人類は概ね誰でも潜在的な全知であるということになるように思われる。知識のパラドックス(知らないものを探究によってそれと知ることはできない、知らないのだからそれがそれであるという確証には至らない)は歴史が証明している。素粒子(最小単位)として発見された原子は、それが素粒子として発見された。しかし後に原子を構成する物質が発見されて素粒子とは見なされなくなった。論考の何処かに、探究は無限に続くことになっていると読めるような記述があった気がする。

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    投稿日: 2018.03.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    プラトン大好き なんて、 なんて、 わかりやすいの! 中身はむつかしいのだけど 言葉の選び方や 人への伝え方、 説明の仕方、 素晴らしくて 本当に良書。 たまに取り出して読み返している 徳とは何か 備わっているものは何か 人について 考えるよ

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    投稿日: 2016.09.21
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    ソクラテス先生若者と徳について探求の巻。 「徳は教えられるか?」というテーマであり、 これはプロタゴラスと被っているが、 当時流行の議題だったらしい。なるほど。 あっちこっちに話が飛んで分からなくなる プロタゴラスに比べると比較的分かり易い。 結局見事なロジックにより結論が出るのだが、 これはソクラテスやプラトンの思想では無いらしい。 師のソクラテスにはそれが可能だったとし、 プラトンもそこを目指していたのかなあ。

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    投稿日: 2016.02.06
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    徳を教えることは出来るのか。そもそも徳とは何なのだろうか。比較的簡単に読めた一冊。最後はよく分からないままソクラテスが去っていき?状態。さらにプラトンの本を読む必要がありそうだ。想起説についてとても分かりやすく書いてあったので、また近いうちに開くことになりそうだ。

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    投稿日: 2015.11.03
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    面白かった!ソクラテスの対話篇は良く言えば論理的、悪く言えば理屈っぽいと感じてしまう時もあるけど、2人の人物をメインとして、対話している雰囲気がすごく良い。対話の雰囲気も穏やかで刺激的だし、物語としても読めるところも好き。

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    投稿日: 2015.10.20
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    『ゴルギアス』とか『プロタゴラス』では、ソクラテスが相手のソフィストをイライラさせてやや緊迫感があるが、『メノン』でのソクラテスは、美青年を相手にご機嫌に自説を述べており、これはこれでおもしろい。論旨もすっきりしており、ソクラテスの(実際はプラトンの)想起説などがわかりやすく説かれている。

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    投稿日: 2015.06.24
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    「徳とは何か」という問い。 どうも、「政治家が目指すべき徳とはいかなるものか」という裏設定があるように見える。 プラトンの回答は、 徳は規定可能な知識ではないが、《正しい思いなし》という水準であれば、活用していける、というもの。 具体的な徳の内容については、中期の『国家』、後期の『法律』などに当たる必要があるか。

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    投稿日: 2015.04.25
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    ソクラテスは偉大だ。人間の域を凌駕している。彼ですら辿り着けなかった徳に誰がたどり着けるのであろうか。

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    投稿日: 2014.10.25
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    わかりやすい論理で地道に対話が進む。 ソクラテスのそらとぼけをかなり感じる。 知識、知恵、知性など、知の言葉がいくつか出ており、その訳し分けが難しい。

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    投稿日: 2013.08.12
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「なんであるか?」(本質)と「いかなるものであるか?」(属性)の区別は重要。 例となるものをどんどん出していく。 例をだして、それとも君は違うと考えるのか? 話に飛躍がない。一つずつ進歩して行く。 人間には、知っていることも知らないことも、探究することはできない。知っていることであれば、人は探究しないだろう。その人はそのことを、もう知っているので、このような人には探究など必要ないから。また知らないことも人は探究できない。何をこれから探究するのかさえ、その人は知らないからである。 主張の方法 知識の何にもまさる重要性を、「よさ」を生むものという観点から主張しようとする。 例を交えて説明している。 徳は、教えられるものではなくて、優れた者から優れたことを教わり自分の中で噛み砕いて行く時に、培って行くものなのではないか? 知識は正しい考えよりもはるかに価値の高いものであり、何によって知識は知識で、正しい考えは正しい考えでありお互い別のものとなるのか、私には不思議に思います。メノン 正しい考えもまた、或る程度の時間留まっていてくれる場合には、立派であり、あらゆる優れたよいことを成し遂げてもくれる。しかしそうした考えは、長時間留まってはくれないで人間の魂から逃げ出してしまうので、したがって人がこれらの考えを[事柄のそもそもの原因にさかのぼって、その原因から考えて]原因の推論によって縛りつけてしまうまでは、たいした価値はないのだ。 知識は、正しい考えよりも価値が高くわ、また、知識が正しい考えと異なるのら、「縛られている」という点によるのである。

    0
    投稿日: 2013.07.20
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    メノン:徳は人に教えることのできるものなのでしょうか? ソクラテス:その前に、そもそも徳とは何かを考えてみよう。 メノン:はい、わかりました!で、結局のところ、徳は教えられうるのでしょうか? ソクラテス:(唖然) ・プラトンの遊び心が感じられる小品。それはともかくとして、ソクラテスは、結局メノンの天然ぶりに押されてしまい、徳とは何かを定義することなく、徳は教えられうるかについて検討する羽目になる。 ・仮に徳が知識だとしたら、徳は教えられうるものであるし、徳の教師だっているはずだ。しかし、実際には徳の教師など存在しない。したがって、徳は教えられうるものでもなければ知識でもない。徳は、教えられることのできるものではないが、他方、生まれつき備わっているものでもない。 ・それでは、いったい徳はどのようにして身につけることができるのか。ここでソクラテスは、唐突に「徳は神の恵みによって備えることができる」と結論づけて、一方的に対話を打ち切って立ち去っていく。 ・まるでキツネにつままれたような読後感を味わったのだが、訳者解説がその後味の悪さを和らげるのに一役買っている。本書は、主題が多岐にわたる他のソクラテスの対話篇と比べて、主題(=徳について)が終始一貫しているため、論旨を追いかけやすいのではないかと思う。

    1
    投稿日: 2013.07.14
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    哲学の入門書として「ソクラテスの弁明」と同じ程優しく読めると言われるプラトンの著作。 「徳は教えられうるか」というテーマで対話がすすめられています。 そして、魂の不死や想起についても触れられています。 「人間は、自分が知っているものも知らないものもこれを探求することはできない。というのは、まず、知っているものを探求するということはありえないだろう。なぜなら、知っている以上、その人には探求の必要はないわけだから。また、知らないものを探求するということもありえないだろう。なぜならその場合は、何を探求すべきかということも知らないはずだから」 というソクラテスの言葉が非常に不思議に思われます。

    0
    投稿日: 2013.06.11
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    プロタゴラスと違って、ツッコミ役がいないので、やや単調に感じた。そのかわりに、なぜか自分でツッコミを入れるソクラテス。 徳とは知恵であるという結論を出した後に、否定して徳とは正しい思惑を抱くことであるということになった。 想起説と整合性を持たせようとしたらこうなったのであろうか。

    0
    投稿日: 2013.05.31
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    「徳は教えられるか」を主に話しているが、一番面白かったのは、想起説。 ソクラテス:ぼくは徳とはそもそもなんであるかということを、君と一緒に考察し、探究するつもりだ。 メノン:なにであるかわかっていないとしたら、どうやってそれを探究するおつもりですか?もし、探り当てたとしても、それだということがどうしてあなたにわかるのでしょうか?もともとあなたはそれを知らないはずなのに。 ソクラテス:つまり、「人間は、自分の知っているものも知らないものもこれを探究することはできない。というのは、まず、知っているものを探究するのはありえないだろう。なぜなら、知っているのだ。ゆえに、その人には探究の必要がまったくない。また、知らないものを探究するということもありえないだろう。なぜなら、その場合は何を探究すべきか、ということも知らないはずだから」ということかね? メノン:よくできていると思いませんか?よくないか指摘できますか? ソクラテス:できる。というのは、僕は神々の事柄について知恵を持った男や女の人たち(たとえば、ピンタゴラス)から次のことを聞いた。すなわち、「人間の魂は不死なるものであって、ときには生涯を終えたりする――これがふつう『死』と呼ばれている――ときにはふたたび生まれてきたりするけれど、滅びてしまうことはけっしてない」。  このように、魂はいっさいのありとあらゆるものを見てきている魂がすでに学んでしまっていないようなものは、何ひとつとしてない。よって、徳というものが何であるのか、それがそうであるということは、わかるはずだ。ある一つのことを想い起したこと――このことを人間は「学ぶ」と呼んでいる――その想起がきっかけになり、他のすべてのものを発見することもありえる。つまり、探究するとか学ぶということは想起することにほかならない。 イデア論の根はこれかなーと思います。 たとえば、「生きる意味とはなにか」と探す。 でも、なぜ生きる意味があると思うのか? それは、全くわからないものなのに。仮にわかったとしても、なぜそれが真であると思うのか? ソクラテスは、ここで「魂」を出してくる(ここで面白いのが、ソクラテスはすべてのことを疑ったのに、「魂」の存在を疑わなかったこと)。 「人間の魂は不死であり、生々流転する。魂はありとあらゆるものを見てきている。したがって、魂がすでに学んでしまっていないようなものは無い。」 人間の魂。では、一番初めの人間には、誰の魂が入ったのか? その魂は、どこで、ありとあらゆるものを見たのか?どこからきたのか? 疑問。魂なんていうものを信じていいのか! さて、多くの哲学者は普遍的なものを探してきた。いまだに見つかっていない。 でも、なぜ、「普遍的なものが存在する」と思うのか? わからないものなのに。もしその「普遍的なもの」が見つかったとして、どのようにそれが真だとわかるのか?理論?科学? なぜ、それが理論的・科学的にわかるのか? 魂が知っているから、それを見つけたら思い出すんだ。 って考えると、なるほどなー。 (まっちー)

    1
    投稿日: 2013.05.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    徳とは何か、どういう性質で人に教えられるものかどうかを探ります。 今回ソクラテスと対話するメノンは傲慢なところがなく好感が持てる青年です。 この話の中では、魂が既に学んだことを「想起する」という考え方が出てきます。 ソクラテスは言います。 「知らないものは発見することもできなければ探求すべきでもないと思うよりも、我々はよりすぐれた者になり、より勇気づけられて、怠け心が少なくなるだろうということ、この点についてはもし僕に出来るなら、言葉の上でも実際の上でも大いに強硬に主張したいのだ」 正しいか正しくないかはともかく、想起説を信じる方が実践において有益であるというこの考え方は好きです。 また、知だけでなく「正しい思惑」も人を正しい行為に導くものであると言う。 ソクラテスらは徳は知では無さそうだという結論を出しているから(これはプラトンの意見のようですが)、この「正しい思惑」が徳と密接な関係がありそうです。 そしてこれは神の恵みによってもたらされるのだろうと推測しています。 個人的には徳が何であるかより何であると信じるかが大事だと思うので、判断を神にゆだねるというか、神の意志を反映するような自分の直感や良心にまかせるのが良いのかなと思う。

    0
    投稿日: 2013.01.17
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    「徳は教えられうるか?」をテーマにソクラテスとメノンの対話を中心に、テーマを掘り下げていくのですが、そもそもメノン君(20歳そこそこ&おいおい!っていう展開を繰り広げてくれるので、君づけで~)が、ソクラテスの質問にちゃんと答えないというか、自分のことは棚に上げて、『教えてちゃん!』なので、テーマの答えは仮説、「徳とは?」ということもはっきりしません(笑) テーマを純粋に知りたかった人にとって(もちろんメノン君を含みます)はがっかりすると思いますが、理解する、ということを懇切丁寧に、理解できなかった、結論にたどりつけなかった例ではあるけれども教えてくれるので、もしかしたら、何かを教えるのはこれだけ大変なんだよ~、ただ知識を集めるのとは違うんだよ~(知識と正しい思わくについてもとりあげられています。とくに道順の例 は素晴らしいです。)ということを言いたいのかもなぁ~(笑) 途中でメノン君の召使いが、ソクラテスと一緒に幾何学をわかっていく、という対話も、知識がなくても、正しい思わく(考え方と いいかえてもいいかな)さえあれば、正確な知識を得ることができる例を示していて、これがもしかしたら、魂、別の生まれ変わり というのもあるのではないのか?というわりとぶっとんだ(笑)話にもなっています。 正しい思わく、考え方ができれば、いつでも知識を得ることができる、というのは私もいつも感じていることです。セッションで もちろん答えを示すこともしますが、どう答えにたどり着くことができるのか?ということを体験してもらえるよう、いろいろ質問するのですが、ただ答えを知りたい人には嫌そうにされますが、、、 まあ仕方ないですね(笑)メノン君と同じ反応。しかし、ただ答えをきいても、理解はできない、じぶんのものになってないので、やっぱりわからなくて困るらしいですが(汗) 私が占い師を名乗るのをやめたのは、ただ答えをだすことにあんまり意味がないと思ってしまったからです。それよりはご自身でどんなことにたいしても答えにもっていけるよう、サポートすることが、いわゆる魚を与えるのではなく釣り方を教える、ことでより重要で役立つことだと思っているからです。 この対話は、今度のワークで使うかもです(笑)まずはなぜ結論がでなかったか?メノン君の発言のツッコミ所はどこか?ということ。これはワークの前提として使いやすそうです(笑)

    0
    投稿日: 2012.11.29
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    徳は教えられるものなのか、徳はそもそもなんなのかを論理的に追及した作品。対話式のため読みやすい。 最近法律の勉強をしていると「そもそも善とは何か。悪って何?」と根本な問題をしっかりと定義できておらず思考が空転していた。 本作で扱うのは「徳」の定義であり善悪の定義ではないのだが、通ずる箇所もあり参考になった。 「徳」について本作でしっかりとした答えが出たわけではないので、ほかの著作も読み答えを見つけたい。

    0
    投稿日: 2012.11.11
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    想起説や徳のもととなる思惑=恩寵という説がすっきりまとまっている。ギリシア哲学嫌いがだんだん克服できる気がしてきた。あとBL的なイチャイチャもあります

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    投稿日: 2012.11.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    解説を読めば概ね理解できるものの、ソクラテスとメノンその他との会話では真意が推し量りづらい。恐らく彼らとの会話に伍しない限りは分かりえないのだろう。 ここでは「徳」とは教えられるものであるのか?ということを延々と話し続ける。まずソクラテスは徳とはなんなのか?どういったものか?を云う。 ①知識は授かるだけではなく、云われて思い起こすこと。(想起) しかしこの後、徳がなんであるかがあいまいのまま、「教えられるのか?」という質問に逆戻りする。 ②性質を語るには、仮設する必要があったこと。 ③ ②を踏まえて、徳は教えられるものである、という結論に達した。 ④しかし②においては、仮説による結果であるだけであり、実際に徳を教えられる人間はいるのか?実際にいないではないか、ということだ。 以上のことから、「ソクラテスは徳は知であるけど、プラトンは結論としていないのではないか、知だとしても、教えられる人はいないではないか。」ということになる。でもプラトンは「ソクラテスがそうなのではないか?」とし、「そのような人間が政治家に教えることができれば、哲人王の出現となる。」ということになる。これがプラトン哲学の中心テーゼであるらしい。もっとも、後世になって否定されるのではあるが。

    0
    投稿日: 2012.09.17
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    プラトン対話編の内のイントロダクションとして好適であり、珠玉の掌編でもあるそうだ。 「徳」とは何か、それは教えられることで獲得されうるのか。 この問いを軸に、老境円熟のソクラテスが、(明晰で素直だが世俗的な感性の)メノンを諭し、啓発し、さらに真摯な知の態度ーーー自分があることを知っていると思っているからといって、それは本当に知っているといえるのか?、知っている気になっているだけではないのか?に気づくことーーを慫慂する。 一読、プラトン(ソクラテス)は、「徳は知である」を否定しているようだが、それは本当の結論だろうか? 解説も必読。

    0
    投稿日: 2012.08.30
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    徳については善きものを望んで獲得する能力があるのがすごいと思い、メノンが金や銀を手に入れることも国家において名誉や官職を得ることがありメノンが獲得するのが世界一のトップだと思いました。善きものの獲得はできないことと比べると徳であると言えない。自分が一所懸命に獲得すれば徳であると言えると思いました。

    1
    投稿日: 2012.08.06
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    「徳とは何か」についての議論はソクラテスとメノンの対話形式にして書かれたもの。 「知識は教えられるが、徳は教えられるのか?」とか、「徳はどうやって学ぶのか」とか。 ソクラテスの誘導尋問的な質問の数々をたどると、不思議といつの間にか書かれていることが正しいように思える。これが対話編の魅力であると思う。

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    投稿日: 2012.06.03
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    ギリシャ神話と哲学を少しだけちゃんと読みたい今日この頃。 哲学やってた友達に、「ソフィーの世界よりはももう少し深く 知りたくて、初心者でも読みやすい本ってある??」 と聞いたところ、プラトンの対話篇をお薦められました。 ソクラテスとの対話の流れで書いてあるから読みやすいよー、と。 本屋さんで物色してみて、これともう一冊を購入。 確かに読みやすい!! 大学時代、ニーチェのツァラトストラを読んで10ページで挫折した私、 先にこれを手にとってたらもう少し哲学に触れることができてたかもなぁ。。 えにうぇい。 この本のテーマは、「徳」について。 徳とは何か、そして徳とは教えられうるものであるのか。 メノンという人とソクラテスの対話の中で 徳というテーマが掘り下げられます。 対話だからこそ、話題が前後したりというのはあるのだけど 堅苦しい言葉じゃないので読み進めやすいです。 ただ、言葉の使い方や、言葉の定義の幅が捉えづらい部分もあるので そのへんは時々立ち止まったりはしますが。 こういうのって原文で読めたらもっと読み易いのかなぁ。 時折、「ゼウスに誓って」というフレーズが出てきたのが ちょっと面白かった。「神に誓って」じゃないのね。 魂の話とかも、なんか時代を反映してる気がする。 この時代だからこそなのか、最後は 「えぇっ、そういう落とし所!?」と思ったりもしたけれど。 人間の中の、時代を超える普遍的なものってあると思うのだけど、 その一方で、その時代の科学と乖離した発言は、 多くの人を相手にした場合、説得力が薄くなるのかなぁ、 思想の話であっても科学とつながってるんだな、とも思いました。

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    投稿日: 2012.04.30
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    大学入って早々、図書館で古い本が解放されてた。そこで、ぼろぼろだったこの本をなんとなく持って帰りました。これ一発で、プラトンにはまりました。大学入学直後から、図書館で分厚い埃かぶった全集を狂ったように読みまくり。(経済系学部でしたが。) プラトンは、初期~中期までは対話方式で書かれていて、読みやすいし、本当におもしろい。哲学というより、数学の証明のようなロジックの美しさに惚れます。読んでみると意外とシンプルで簡単、是非プラトン読んでみてください!

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    投稿日: 2012.01.23
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    人を治める人には「徳」があってほしい。 というか、「徳」って、自分にもあったらいいな。 でも、 「徳」って教えられるもの? 「徳」ってそもそもなんだ? プラトンに導かれしばし考えてみてはどうでしょう。 「教えられる」vs「想起する」 についての考察ツキ プラトン初心者向きだそうです。

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    投稿日: 2011.12.29
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    大学時代、課題図書だった為に読んだが、かなり面白く、好きになった本。 徳を積むとは何か。 徳とは何か。 人生とは。 答が出ないところを延々と回るやりとり。 哲学の本。

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    投稿日: 2011.07.20
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    個人的に人間は善い悪いで行動しているわけではない。むしろ、有益か不利益で行動している。しかし、有益というのは金銭とかそういう意味の有益ではなくてもっとより原始的な有益である。なので、そこに善悪は必要ない。善悪は制限となったりするものの、善悪だけで行動したりはしない。有益というのは、しかし、それはある種の無意識的なレベルでの、本人とっての有益なので、それは万人共通のものではない。ソクラテスは誰も悪しきことをしようとして悪しきことをしている人などいないと言っているけれどそれはある部分ではあたっているけれど、それでは零れ落ちるものがある。つまり、悪しきことをそれと知っていて、それを行う者だっているからである。何がいいたいかというと、有益という概念には一見不利益と思われるもの、不利益としか思われえないものすら含まれるということだ。人を無差別に殺して死刑にされるとして、そのことを本人が後悔することもあるだろうが、少なくとも無差別に人を殺したときにはそれが本人とっては有益だったのである、と言いたいのだけれどこれは伝わるだろうか? さて、ソクラテスに触発されて個人的な簡易哲学を展開させてしまったけれど、メノンの持ち味はそこにあると思われる。結論だけを書けば、プラトンのイデア論への前段階のような思想が本著では記されている。 (※ちなみにソクラテスには著書がないので、全てはプラトンによって記されている。なので、ソクラテスに述べさせている言葉がソクラテスで、全てを含めたものがプラトンと分けて考えるべきなのだろう) ソクラテスは所々詭弁と思わしき議論を展開させているのだけれど、しかし、延々と一つの命題を考えていくあたりの姿勢が真なる哲学者ソクラテスを思わせる。ソクラテスにとってメノンは彼に異見や質問を与えることによって、彼の思考の展開の一助を担ってくれるものでしかないのである。ちなみにメノンなる人物は悪名高いようであるがこれは本著からはそれほど明確には浮かび上がってこない。個人的に面白いのはやはりソクラテスの弁証法なるものかもしれない。ソクラテスの弁証法は徹底的に質問を投げかけて論破していき、そこから浮かびあがる姿のようなものを見つけ出すといったところだろうか?知らないものをいかにして探求するか?というところから、想起論が生じてくるが、これはイデア論の元型と言えるのだろう。魂は不死であり、神々が存在している。我々はありとあることを本来は知っているのだけれど、それをある種忘れている。なので、一見知らないと思えることも知っているのだから、それらを引き出すことができるのである。そして、ソクラテスは本著で本質的特性という語を使っているけれど、これこそがイデアであり、これはある種の本質的な抽象的な概念(=観念)とでも呼ぶべきものであろう。 少し横にずれたけれど、本著で語られているのは「徳」なるものについてである。ソクラテスは得なるものが定義できないということを論証し、では、徳なるものは教えられるのかどうか、という問いへとシフトし、知識と正しい思惑という二つの言葉が登場する。知識とはこの場では知識としか語られないがこれはいわゆるイデア的なものであり、正しい思惑というのはある種感覚的経験的な無意識的思想とでも呼べばいいのかもしれない。結局のところ徳が知識だとしたら、徳は延々と伝播され続けるだろうけれど実質それが為されていないとソクラテスは言うのである。では徳は知識ではなくて正しい思惑にすぎないということになる。正しい思惑がどこから生じているかとすればそれは想起であり、神々によってもたらされた実存なのだろうといったことになるのだろうか?解説によれば、正しい思惑はここでは肯定的に捉えられているものの、後にプラトン自身にとって批判されるようだ。感覚的経験的思考では無知の知は実感されずそれゆえにイデアは得られないということなのだろうと思う。正しい思惑をそれについて意識的に思考することによって永続的に縛り付けて知識とする、なんていうあたりはなるほどなと思うけれど、勉強とかしていないのに頭がよくて小器用な人なんかは、たぶんそのあたりの感覚と経験能力が異様に優れているのだろうと感じる。ちなみに解説は更にもう一歩踏み進めて、ソクラテスが序盤で「これまで徳を持っている人物に出会ったことがない」と語っている部分を挙げることで、プラトンは実は「ソクラテスのみが徳を持っていた」と主張したかったのだろうと推測している。これは訳者ならではの鋭さである。もし、仮に徳者がこれまで存在していないとするならば、徳が教えられないかどうかは実は不明なのである。さて、それではさらに訳者よりもう一歩踏みこませてもらうならばこう言える。 「ソクラテスは徳者である。そして、わたし=プラトンも徳者である。ゆえにソクラテスによって教えられたものである。それならば、わたしもアカデメイアで徳を教えられるのである」と繋がりはしないだろうか?ここにソクラテス礼賛と、ある種のナルシズムと、後進育成のプラトンの三機軸みたいなものが感じられる。

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    投稿日: 2011.06.23
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    質問「徳は教えることができるか?」 結論「徳」は「知」ではなく「神の恵み」でもたらされる「正しいおもわく」というものなので教えることはできない。 「徳」とは何か?という探求をしたかったソクラテスに無理を言って、後に俗物の権化のように評価されるメノンとともに辿り着いた結論である。但し、解説によれば「真の徳」が「知」であることを知るソクラテス自身を除けばということである。 ソクラテス・プラトン哲学の導入部であり、初期プラトン対話集という位置づけの短編としてなかなか面白かった。 特に初等幾何学の問題を解決へ導く手法から、魂は不滅でわれわれはかつて学んだ事柄を想起するだけだという有名な話はとても面白い。先日、ホーキング博士の天国も来世もない、架空のものだ、という記事を読んだばかりだったのだが・・・(笑) 教えているのではない、質問することで「想起」させているだけだ、というソクラテス。誘導尋問だろうが!(笑) いろいろな有名人の名を挙げ、あいつは「徳」を息子に教えているか?「否」、故に「徳」は教えられない、というある意味、個人中傷論議は笑ってしまった。(笑) さらに言えば冒頭での議論。「形」とは何か?「形」とは、つねに色に随伴しているものである。何だ、そりゃあ!?(笑)まあ、その後を読めば何となく言いたいことはわかりますけどね・・・。というか、昔の自分によく似た発想かも。(苦笑) 後世にソクラテス(プラトン?)の幾何学例題がこれほど論議を呼んでいるとは初めて知りました。各種解釈を読みましたが、ひさびさに数学脳でうにうにになりました。(笑) ソクラテスの最後の捨て台詞?「やっぱ、徳とは何かを知らないとね!」ふむぅ。

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    投稿日: 2011.05.23
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    徳を題材とした、ソクラテスとメノンの対話短編。「徳の性質」にこだわるメノンに対して、ソクラテスは「徳とは何か」に論題を見事に誘導し、対話者を操るかのようにして結論へと導く。解説文の言う通り、圧巻の「珠玉の短編」。 「徳とは何か」を対話を通して得ようとしたソクラテスだったが、解説にもある様に、仮定の上での徳の本質までしか、本書では言及されていない。解説ではこれを後のソクラテスの論と対比して、イデアの論拠が『メノン』の段階ではなかったと指摘する。 それ以外にも、初期対話篇と対比して、ソクラテスの「何であるか」への執着の度合いや、メノンの人間性をクレアルコスと『アナバシス』のクセノポンとの関係から考察するなど、解説だけでもかなり読みごたえのある見事な出来栄えになっている。 そんな具合で、とても頼もしい解説に任せて特に言うことはないのだけれど、解説のように歴史的背景を思考の範疇に入れずとも、ギリシャ哲学史に特別詳しくない僕のような人でも、この珠玉短篇は爽快・圧巻の物語として楽しめると思う。その物語から現代に連れ戻されるかのようにして読む解説も、また。

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    投稿日: 2010.11.06
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    <思うこと> 議論の方法について教えてくれる本。ソクラテスが無知であるように描かれつつも一番の知者であることが伝わってくる名作。 >・古い履物を修繕したり着物をつくろったりする人たちは、着物や履物を引き受けたときよりも悪くして持ち主に返すようなことをすれば、30日間もそれがばれずにいつことはできないだろ>うし、もしそんなことをすればたちまち餓死してしまうだろうに、プロタゴラスの方はどうかといえば、自分と交わるものたちを堕落させ、引き受けたときよりも悪い人間にして返すということ>を40年以上も続けながら、全ギリシアがそれに気づかなかったとは! 教育の正当性・妥当性に対して疑いを抱かせた一文。自然に淘汰される部分もあるのだろうが、何をもって正当な教育とするのか、ということには恐れをいだく。 しかしほとんどの部分についてきわめてロジカルであるのに最終的な結論が「神」で説明されるのかが直感的に理解できなかった。神はいない、といっているのではなく当時のギリシア人にとって神とは何だったのか、なぜ神を信じのるのか、神を信じることの利得は何か、という社会心理的・功利的視点から疑問が持たれた。 <気になった点> ・そして問答法においては、質問者が知っていると前もって認めるような事柄を使って応えるのが、おそらくその約束により叶ったやり方というべきだろう。 ・してみると、どうやら君の言う獲得ということには、正義とか節制とか経験とか、あるいはその他なんらかの徳の部分が付け加わらなくてはならないようだ。 ・徳とは何であるかということは、ぼくにはわからないのだ。君の方は、おそらくぼくに触れる前までは知っていたのだろう。今は知らない人と同じような状態になっているけれどもね。 ・それはつまり、探求するということは、じつは全体として、想起することに他ならないからだ。 ・そういうわけで、どうやら我々は、何であるかがまだ分かっていないようなものについて、それがどのような性質のものであるかということを、考察しなければならないらしい。 ・古い履物を修繕したり着物をつくろったりする人たちは、着物や履物を引き受けたときよりも悪くして持ち主に返すようなことをすれば、30日間もそれがばれずにいつことはできないだろうし、もしそんなことをすればたちまち餓死してしまうだろうに、プロタゴラスの方はどうかといえば、自分と交わるものたちを堕落させ、引き受けたときよりも悪い人間にして返すということを40年以上も続けながら、全ギリシアがそれに気づかなかったとは! ・徳というものは、これまでの推論に従う限り、神の恵みによって備わるのだということになる。

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    投稿日: 2010.07.25
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    「徳は教えられうるか」という問 「徳とはそもそも何であるか」という問に置きかえられ,「徳」の定義への試みがはじまる

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    投稿日: 2009.11.17
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    徳は教えられるかどうか? 誰が教えるのか? 道徳教育を云々しているひとはやっぱり目を通しているのかな

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    投稿日: 2008.12.01
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    やっぱりソクラテスは面白い。 ソクラテスの妻は悪妻だったというが、あんな理屈っぽい、しかも毎回正論を言う人が夫だとストレス溜まって悪妻にもなるだろうな。本人に自覚のないところがさらに苛立たしいだろうな。 悪妻を持つと哲学者になるのではなく、哲学者を持つと悪妻になるなのでは? 徳については、ソクラテスの弁論の神がかりてきな流れにただただ敬服。

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    投稿日: 2008.11.14
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    徳への定義を明確に示さない限り、徳は教えられ得るか?という問いに正確に答えることはできないといっときながら、この本では、徳がそもそもなんであるかについて明らかにされない。 でも、解説を読んで、この本の裏に含意されているプラトンの意図に気づかされ、驚いた。それが正しい解釈であるかどうかは別として、この本で、プラトンがといている「徳は教えられ得るものではなく、神から授けられるものである」という仮説は、徳をもしも教えられる人がいるならば、その人こそが本当の知者であり、よって徳は教えれ得るということを逆説的に説いているということなのだ。そしてその人物こそソクラテスなのだと。

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    投稿日: 2008.07.21
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    言語学の「プラトンの問題」への関心から手にとったが、実際読んでみたら、その言語学の生成文法における、「経験を知識が上回っていること、幼児が少ない言語データから完全な言語能力を身に付けること」について、直接的に記述している部分はなく、ただ想起説として「探求し学ぶということは、魂が生前に得た知識を想起することだ」ということを、「徳」とは何かを考えるにあたってソクラテスが提示しているものだった。 メノンとソクラテスの対話形式であり、問答法という、ソクラテスの誘導尋問のような形式には抵抗を感じたが、その推論の立て方や論理の進め方には閉口した。現代人のエゴというか偏見だが、古代にこのような優れた思考、議論が成立していたことにはやはり驚く。いつも思うが、解説者や批評家もまた偉大だ。 内容は難しく、結局徳は教えることの不可能である点で、知識でもなく「思わく」である、と結論づけられていたが、しっくりこないし、時代の大きな差のせいか、「徳」という感覚そのものやそれが重視される理由が根本的に分かりにくかった。

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    投稿日: 2008.04.27
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    「徳とは教えうるものか、そもそも徳とは何か」対話によりソクラテスはメノンをアポリアに追い込んでいく。考えれば考えるほど判らなくなるのが知の本質。プラトンの想起説より、儂は禅の頓悟の方が好き。

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    投稿日: 2006.03.08