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リア充にもオタクにもなれない俺の青春
リア充にもオタクにもなれない俺の青春
弘前龍、冬馬来彩/KADOKAWA
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総合評価

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    主人公の思考がグダグダしてて女々しかった。あとイラストが顔と体のバランスが合ってなくて違和感。 よくあるハーレムとかじゃなく、ほどよい現実感があってよかった。

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    投稿日: 2019.05.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「好き」という気持ちは一様ではなく、度合いも方向性も(再燃したり飽きたりといった)経年変化も、人や作品によって全然違う。でも、オタクという言葉が、「好き」という気持ちの多様性を奪ってしまった。 「オタク」という類型から漏れた「好き」が、作品愛として認められなくなってしまった。そうでなければ、クラスタやオタクのコミュニティを維持できなくなってしまった。 いつ頃からこういう現象が始まったのだろう? 「オタク」や「リア充」の定義を登場人物は「そのコミュニティの一員であること」に置いている。だから、主人公は「オタク」でも「リア充」でもない。しかし、それは仮初のものでしかない。コミュニティの外で行う条件付きのオタ活や制約付きの人間関係がある。だとしたら、この二つの言葉をどう定義するべきなのだろう。結局、自分は何者か?という哲学的問答の答えは出ないまま終わる。 なんにせよ「好き」の方向性が一致する人と出会えるのは羨ましいことだ... 「好きなもの」が見つからないまま終わってしまうことだってあるかもしれないから。 ____ 関係ないんだけど、前読んだ1984年の印象が強すぎて、 アイドルファイブへの態度から二分間憎悪を連想し、 教室政治の体制を維持するために、恋人関係の演技をする場面で二重思考と犯罪中止を連想し、 体制の中うまく立ち回るメグからジュリアを思い出し(性格違うけど)、 美術部の部屋を提供しているオタヒメがチャリントン爺さんに見えて、ディストピアだなぁと思ってしまった。 向こうはビッグ・ブラザーという個人を仕立ててるのに対して、こちらは意図せず空気に振り回されているだけなのだけど。 守るべきもののために空気を利用する主人公の賢さがうらやましく感じる。 その一方で、美術部を守ることを優先したため、(1984年と違って)反体制派の運動を起こしたわけではない。好きな作品について、オタクの潮流に反して語る権利を完全に得たわけではない。あくまでも秘密裏にする場所を守ったというだけである。続きが出るらしいけれど、この権力構造は変わっていくのだろうか? 気になる。

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    投稿日: 2018.07.01
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    あまり印象に残るシーンがなかった作品。会話の掛け合いが面白いわけでもなく、ストリーがいい訳でもない。だけれど、つまらないという訳でもない。平凡で印象に残らない作品だった。

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    投稿日: 2017.09.08