
総合評価
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powered by ブクログ原民喜さんの詩集ですね。 原民喜さん(1905~1951、広島県生まれ)小説家、詩人。 生前に詩集は出されてはいません。原民喜さんの妻が亡くなって、後を追うように四十五歳で自死されましたので、四ヶ月後に『原民喜詩集』は刊行されました。この本には、他に『かげろふ断章』ほか拾遺詩集を収録されています。 『はつ夏』 ゆきずりにみる人の身ぶりのいちから、 そのひとの昔がみえてくる。 垣間みた あやめの花が をさない日の幻となる。 胸をふたぐといふのではない、 いつのまにかつみかさなつたものが おのれのうちにくるめいてゐる。 藤の花の咲く空、 とびかふ燕。 『夏』 みなぎれる空に 小鳥飛ぶ さえざえと昼は明るく 鳥のみ動きて影はなし 『川の断章』 1 川に似て 音もない 川のほとり 川のほとりの 2 空の色 寂び異なるか 水を映して 水に映り 3 思ひは凍けて 川のひとすぢとなる 4 遠かれば 川は潜むか 流るるか 悠久として 5 現世(うつしょ)の川に つながるるもの 現世の川に ながれゆくもの 『昨日の雨』 青くさはらはかぎりもない 空にきく雲雀の声は やがて淋しい うらうらと燃えいでる 昨日の雨よりもえいでる 陽炎が濃ゆく燃えいでる 『月夜』 (1) 川の向こうは川か 向こうには何があるのか 空に月は高いし 水も岸も今は遥かだ (2) 月の夜の水の面は 呼吸するたびに変わる たとへば霧となり 闇となり光となる 生涯を詩人として過ごされたようですが、あまりにも短い人生にため息が出ます。原爆を謳った詩もカタカナで掲載されています。 感受性の高い孤高の詩人の調べに、感慨はひとしおですね(=^ェ^=)
55投稿日: 2025.06.25
powered by ブクログ2018年12月25日、読み始め。 原民喜という詩人を知ったのは、最近の聖教新聞のコラムに載っていたため。そのコラムでは、原爆小景のことが書かれていた。そんなことで、今回、この詩集を手にした次第。 2019年1月5日、25頁まで読んだ。 興味深かったのは、著者と遠藤周作との関係。 176頁に書かれているが、著者が43歳の頃、つまり亡くなる2年位前に、著者は遠藤周作と知り合いになったようだ。 遠藤周作が20代の頃で、歳の差があった。それでも、週に1回は、遠藤が著者の家を訪れて、酒を飲んだようだ。「お父さん」、「ムスコ」と呼びあうほどの親交であったとのこと。著者が亡くなる時に、遠藤に宛てた遺書があるようだが、その時に、「悲歌」と題した詩を書いたようである。 ●2020年8月6日、追記。 今日は、広島の原爆忌75年。 今、被爆者の平均年齢は83歳を超えるそうだ。 その体験の継承は重要で、活動されている方々には感謝している。 さて、原民喜(1905~1951年)だが、広島での被爆者であるとのこと。 ●2021年6月13日、追記。 鉄道自殺で亡くなったとのこと。 その辺りを、ウィキペディアで引用すると、 1951年3月13日、久我山の鈴木重雄の家を訪ね酒をくみかわしたのち、午後11時31分に国鉄中央線の吉祥寺駅 - 西荻窪駅間の線路に身を横たえ鉄道自殺する。原は大量の酒を飲んでいたらしく、視官は原の轢死体からアルコールの匂いがしたと証言している。しかし、事前に遺品などの整理は周到に行われており、衝動自殺ではないことが窺われる。下宿の机には親族や佐々木基一、遠藤周作、丸岡明、鈴木重雄、庄司総一、山本健吉、藤島宇内、佐藤春夫、梶山季之などにあてた17通の遺書があった。葬儀は埴谷雄高の提案で無宗教でおこなわれた。遺稿に「心願の国」「永遠のみどり」。 ●2022年9月26日、追記。 ウィキペディアより、以下、引用。 原 民喜(はら たみき、1905年(明治38年)11月15日 - 1951年(昭和26年)3月13日)は、日本の詩人、小説家。広島で被爆した体験を、詩「原爆小景」や小説「夏の花」等の作品に残した。 45歳にて、亡くなっている。
5投稿日: 2018.12.25
powered by ブクログ俳句的な短詩。 『夏の花』同様、「ただそこにある」がある。 ●濠端の柳にはや緑さしぐみ/雨靄につつまれて頬笑む空の下//水ははつきりと たたずまひ/私のなかに悲歌をもとめる//すべての別離がさりげなく とりかはされ/すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ/祝福がまだ ほのぼのと向に見えてゐるやうに//私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ/透明のなかに 永遠のかなたに
2投稿日: 2018.07.22
