
総合評価
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powered by ブクログとても賢く、何事も思慮深く行動できる人であることはよく分かった。水戸出身の天皇観が最後まで自分を縛り周囲に理解されなかったのでは。 p237かれは自分が足利尊氏になることを何よりもおそれ、その点で常に過剰な意識をもっていた この一節がとても印象的。
7投稿日: 2025.10.04
powered by ブクログ慶喜は生まれながらにして、水戸斉昭に高く評価され、将軍になる才覚を持っていると言われながら育った。幕末の四賢候にも同じく扱われていた。しかし、家茂との将軍選抜には、井伊直弼大老の安政の大獄により破れる。外圧が高まる中、家茂死去後、将軍職が回ってくるが、拒絶。それは、そうだよなとも思います。大奥では嫌われ、譜代大名からも嫌われ、周りの重臣は暗殺されてはやりたくもないだろう。仕方なく継ぐことにはなるが、あとは大政奉還や謹慎などを行う。 有能ではあるが、生まれる時代を間違えてしまった感じです。現代に生まれていれば、写真家や美容師、三ツ星レストランのシェフとかやっていたかなと思いながら読んでいました。
17投稿日: 2025.09.30
powered by ブクログ高校2年の頃に慶喜に興味を持ち購入したが、当時は日本史の知識が足らず、読むのを諦めていた。 大学1年現在に掃除中に発見。2日で読み終えた。岩倉や薩摩のおこがましさ。
0投稿日: 2025.09.10
powered by ブクログ「徳川慶喜とはどういう人間なのか」 内面(性格、価値観)を中心とした生涯が書かれており、教科書だけでは知りえなかった徳川慶喜について知ることかできた。 なぜ、徳川慶喜は大政奉還をしたのか。 その問いを解消したくてこの書籍を手に取った。答えとしては、物語中で察することができたので満足だ。 徳川慶喜の人柄を知りたいという人に、オススメの本だ。
0投稿日: 2025.03.07
powered by ブクログ徳川慶喜のwikiを暇つぶしに読んだ際に人物像に興味を惹かれ、参考になる本はと探ったところ行き着いたのがこれ。司馬遼太郎の作品は読んだ事がなく良い機会と思い頁をめくったが、読みづらい(読解力というか親しみのないワードがツラツラと…)。ただすらすら〜っと読了できてしまうくらいには面白く、史実ながら展開も飽きが来ずケーキ様がとてつもなく忙しい人生を歩んだのだなぁと。静岡の屋敷跡にある浮月楼も行ってみたいし、京都の二条城も行きたい。旅行の目的地はこうやって増やしていくのが正解なのかもしれない。
0投稿日: 2024.09.30
powered by ブクログ天によって登場させられた人物 馴染みのない単語や厄介な言葉の羅列しかない今作だが、これほどまでに面白さがあるのは、やはり司馬遼太郎その人のおかげである。 徳川慶喜を歴史の授業で習ったのは小学生の頃。当時は坂本龍馬、西郷隆盛、勝海舟の物語に魅せられ、徳川慶喜など敗者くらいにしか考えていなかった。 しかし、今作を読んで別の一面があると思った。 それは"宮廷史劇"ぽいところである。 このやりすぎなくらいの物語が現実で実際に起き、他の人物と照合しても辻褄の合う面白さに興奮を隠せない。 理解者のいない苦悩とそれをものともしない胆力。 羨ましくもあり悲しい慶喜の人生に初めて魅せられた。
0投稿日: 2024.09.27
powered by ブクログ★5つです。 一冊でギュッと詰まった内容の本で、慶喜だけでなく円四郎、栄ちゃん、容堂公と好きな人が沢山出てきて楽しかったです。 短期間で密度のある人生を送ったのに、77歳まで生き続けた慶喜公って凄いなと思い、葬儀の際に東京中の火消が“まとい”をかがけて勢ぞろいしたのは感動で、晩年で飯盒でご飯を炊き続けた慶喜公は可愛い。 良い本に出会えました。
0投稿日: 2024.09.03
powered by ブクログ慶喜に同情して、★5です。 坂本竜馬が、命を捨ててもいいと言った将軍が、どんな人だったのか、大政奉還を幕府側から見てみたかった。 徳川慶喜が、想像していた人物像とは違い、孤独な存在で、切なく感じた。 周りから無慈悲な人だと思われたり、終始、誤解されまくりの人だった。 賊軍呼ばわりされたシーンは、一番悲しい。 最後は、慶喜の計画通りなのか、みんなに同情され愛される存在になって、本人が望んでたわけではないのかもしれないけど、個人的に良かったと思った。
1投稿日: 2024.08.23
powered by ブクログ読み終わったあと、今まで思ってた慶喜と違う慶喜が脳内に現れる。 天才、全体を見れる。幕末論破王…? ただ、貴族的。 あの時代、このような人が出たから、血が無駄に流れなかったのだなと。 明治後の小話までおもろい。「憎し薩摩」は一生ものだったようだ。 「百策をほどこし百論を論じても、時勢という魔物には勝てぬ」 この慶喜のセリフが好き。
0投稿日: 2024.08.12
powered by ブクログ久しぶりに読んだ司馬遼太郎作品。 幕末の動乱期は血生臭いですが、日本の大変革期であり英傑が多数輩出された時代ですので個人的には非常に好きな時代です。 で、大政奉還の当事者である慶喜に関心を持ち、読みました。途中、実際に京都の二条城を訪れるなどしたので時間がかかってしまいましたが、最後の将軍になるべくしてなった人物であると強く思いました。さらに幕末を深く知りたいと思えた一冊でした。
0投稿日: 2024.06.15
powered by ブクログ日本史上の劇的な革命であった明治維新を題材とした小説は多いがほとんどが維新側から見た歴史ばかりで、維新側の視線で当初劣勢であった薩長側が、どのように情勢をひっくり返し維新を成立させたかに焦点が当てられていて、いかに幕府側が腰砕けの政権であったかが強調されている。 本小説は、多勢の幕府側がなぜ劣勢の薩長に破れていったのか、そして世界史の中ではほとんど見られない流血を伴わない革命がなぜ成立したのかが、敗軍の将である慶喜側の目線で理路整然と書かれている。慶喜は頭脳明晰という評価がありながら、長州征伐や鳥羽伏見の敗戦、その後の敗戦処理など政治的評価が低くその矛盾を不思議に感じていたが、慶喜がなぜそのように振る舞ったのかが掘り下げられており、幕末期の理解が深まる小説であった。
16投稿日: 2024.04.06
powered by ブクログ初・司馬遼太郎 いままさに社内政治において、その論の運び方や思考力に悩んでおり、作内の慶喜とそれを描く作者の論理力に痺れた。 受験で日本史を選択したはずが、幕末の動乱はいまいち頭に入っておらず、今作で興味が湧いたので色々勉強したい。 慶喜の心の内は誰にも分からないが、世が世なら、、と思うのもこれまた人の勝手なところ。
0投稿日: 2024.03.09
powered by ブクログ幕末の動きを幕府側・特に慶喜視点で描かれており、これまで長州・新撰組・土州(というか龍馬)視点で見てきた幕末を違う角度から見れた。特にこの作品は竜馬がゆくの直後に書かれたということもあり、内容・表現もリンクしていて、非常に面白かった。 慶喜という人は、これまでの幕末物語で読んで思い描いていた像(弱腰等)とは違っていた。私利私欲⇔国家存亡という単純な構図でもなく、そこには純粋な貴族としての性格があるのかなと思った。 300年の徳川幕府歴史を閉めるために生まれてきた男、大政奉還・王政復古後の隠居生活も含めて、男として潔さが格好良い。
0投稿日: 2023.11.01
powered by ブクログ絶対に面白いだろうと思いながらなかなか手をつけられずにいた司馬遼太郎。慶喜の話。あまりに面白くて一気に読了。幕末の複雑な事情を小説にするのは難しいだろう。書き手の感情もあるかもしれないが、慶喜の目線から見ると薩長は本当に忌むべき存在であったであろう。
0投稿日: 2023.07.11
powered by ブクログ読破。 切ない、複雑。 お芳のその先が気になった。 彼は、もっと後世の、役者の家系に生まれるべきだった。 そして彼でなければ、このポジションに生まれついて、ここまで生き長らえず、また歴史に一点の儚さを投ずることはできなかったのだろうと思う。 賢さが無駄な"英雄道"を進ませず、その合理さが現世の人心を汲まず、後世にだけ語りかけた。 時に惹かれて、時に憎く、また最後には儚い。 飯盒で自ら炊いた晩年の彼の飯に、ご相伴に預かってみたかった。 そのシーンが一番沁みた。 臣は将に振り回され、将は時代に振り回されるの図。 この世に、「我が人生を生きた」と満足して死んでゆく民や、トップはどれほどいるのだろうか。 そういう点では、彼が生涯に於いて感じざるを得なかった"他人事"観は、そのまま、今を上手く生きられない人々の胸に響くのではないだろうか。 なぜ、わたしなのか、なぜ、今なのか。 できれば安寧に自分の趣味だけで生きていたい慶喜の"貴族"感は、戦いや煩わしいことを厭う大半の"凡人"に通じないことはないと思った。 --. 4章終わりまで読。 面白い! 爽快である。 6/18 --- 22ページ目くらいまで。読書途中。 出だしが分かりやすくテンポがいいので、ハマりそう。竜馬がゆくよりは、ハマりそう。 -- 面白かった! 慶喜って凄いんやな。
0投稿日: 2023.06.11
powered by ブクログ19.5.15〜31 読んだのはハードカバー版だけど無さそうだからこっちで記録。 自分に本を読むことの楽しさを教えてくれたひいおじいちゃんが持っていて、引き取った本だから今も大切に本棚に並んでる。そういう本が本棚にはたくさんある。
0投稿日: 2023.04.27
powered by ブクログ一気に読んでしまった。徳川慶喜という人物の人となりがよく分かる1冊だったと思う。テンポが良くて読みやすい。江戸幕府の幕引きを担った男の物語。
0投稿日: 2023.03.26
powered by ブクログこれを読むまでは慶喜はヘタレのボンクラ将軍やと思ってたんやけど、小説の脚色は多少あるにせよ、意外に英雄然とした人となりが分かって慶喜を少し見直した。 チンピラだが無邪気な長州じゃなく、佐幕派と見せかけて寝首を掻く策略家の薩摩に一番恐れていた朝敵の烙印を押されたことで薩摩を心から憎んでるというのもよく理解できる。
0投稿日: 2022.11.11
powered by ブクログ徳川慶喜についてよく分かる作品。多才で頭の良い慶喜が歴史の転換期の数々の事件において、なぜそのような行動をしたのかが腑に落ちる。
0投稿日: 2022.09.27
powered by ブクログ徳川慶喜の苦悩がよくわかる本でとても面白い。尊王攘夷や天皇の意向に翻弄されながらも、策を練り日本のために舵取りをしており、尊敬できる歴史上の人物。
0投稿日: 2022.08.18
powered by ブクログ徳川慶喜については、文化的な素養があることを聞いたことがあるくらいで、あまり詳しいことは知らなかったけど、 読んでみて合理的な人ながらも開国と明治維新という時代の過渡期の中でかなり損な立ち位置にいた人だったんだなという印象を受けた。 人物像としては13章にある松平春獄の 「つまるところ、あのひとには百の才智が合って、ただ一つの胆力もない。胆力がなければ、智謀も才気もしょせんは猿芝居になるにすぎない」 という言葉に集約されるような気がする。 欧米列強の強さを目の当たりにして、鎖国下でもオランダやイギリスと早くから交流のあった薩長と、 江戸幕府内においても慶喜とその重臣たちは早くから未来を見ていた中で、 封建社会的システムを抱えた江戸幕府がハコとしての限界を迎えていたのにそれを壊すことが許された側と許されなかった側に別れた。 そういう意味で、慶喜は時代の犠牲になりつつ次の社会にバトンを渡した。 大政奉還がとても前向きなものとして描かれており、慶喜はただの犠牲者でもなくれっきとした功労者だった。
0投稿日: 2022.07.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
p.219 「百策をほどこし百論を論じても、時勢という魔物には勝てぬ」 大政奉還前後からが面白くなるところなのかなーって思ったら、そのあたりからはあっさり、サクッと描かれ、すーっと終わってしまいました。 司馬遼太郎らしいといえばらしいですが、おそらく、その時の文献や見聞があまり無いので書けなかったのかなーとも思いました。 慶喜はなおのこと表舞台から消え去った人(将軍)ですもんね。資料はそんなに残ってはいないでしょう。 あの激烈な時代にあって、生き続けた慶喜の心情、想いをもっと知りたいと思いました。 単に趣味が多い、多才だけでは納得できなかったです。
0投稿日: 2022.05.06
powered by ブクログ慶喜の半生が特に大政奉還前後の明治維新を中心に描かれている。 慶喜の気持ちの機微について細かい描写されており、とても満足の一冊であった。
0投稿日: 2022.02.16
powered by ブクログ徳川慶喜に対する認識がガラリと変わった。 知識のない私は江戸から明治に移り行く時節にたまたま将軍であって、薩長がお膳立てした大政奉還に抵抗できずに言いなりになった人物と思っていた。 けれどこの作品から感じたのは、慶喜その人が将軍であったからこそ明治維新が成ったのではないかと言う事でした。 そしてもし彼がむしろ将軍を補佐する立場でいたならその能力を最大限に活かせたのではないかと言う事。 新撰組に例えるのが適切か否かはともかく、近藤勇よりも土方歳三の位置にあるべき人材だったのではないかという事。 ただしそうだった場合、日本という国が現在のような先進国たり得たかどうかは別の事ですが。
7投稿日: 2022.02.08
powered by ブクログ今年の大河ドラマ、『青天を衝け』では、主人公渋沢栄一の旧主ということもあり、割と慶喜がドラマにも登場した。 が、実はこの人物について、よく知らない。 「なんだかよくわからない人」というくらいしか、イメージがない。 この本が今年、リバイバルしたのも、私と同じように思っている人が多いからなのかな、なんて思ったりもする。 大変能力の高い人だったそうだ。 そして、何でも自分でやってみないと気が済まない。 投網、調髪、大工仕事…およそ、藩主の子息としてする必要のないことでも、器用にやってのけたという。 意外だったのは、彼が雄弁な人だったということ。 後年、口を閉ざし続けたのは、立場上やむを得ないことだったかもしれないが、その寡黙さは性格的なものかと思っていたのだ。 本書では、その慶喜が、出自と時代のために、過剰に期待され、将軍の座に据えられていく様を描く。 そして、慶喜の、自分を歴史上の存在として客観的に、かつ他人事のように見る、独特なキャラクターと相まって、幕臣や諸侯の中で単なる「権謀家」に位置付けられてしまう様を描いていく。 本書は、歴史書ではなく、あくまでも小説だ。 にもかかわらず、何かものすごい説得力を感じる。 司馬遼太郎の作品としては、比較的早い時期のものらしい。 そして、あとがきによれば、司馬自身がこの人物にかなり魅せられているともある。 晩年の司馬はどう捉えたのだろうなあ。ということも気になる。
1投稿日: 2021.12.12
powered by ブクログ慶喜だからこそ大政奉還は実現したのかも。もし慶喜が薩摩長州と戦っていたら、日本は清国の二の舞になってたかも。そう考えると慶喜は日本の救世主だ。権力に拘らない貴族中の貴族の慶喜だからこそできたことかもしれない。でも、もっと自分の部下を大事にしたら、もっと良かったかも。徳川家康のように。そしたら、歴史は違っていたろう。徳川幕府が薩長を押さえつけ、大改革をして、徳川新政府を作り、新しい日本を作る。太平洋戦争も回避し、独立も守り、今も儒教思想が基礎となり世界から尊敬される立派な日本人がどんどん出てくる。教育崩壊などない。。。 ところで、薩摩のような大久保利通みたいな、謀略に長ける人間には、気を付けよう、と思った。
0投稿日: 2021.12.11
powered by ブクログ「円四郎までよく申しておく」 と、言いすて、馬主をめぐらせて去った。…その時渋沢はこの貴人のために身命をなげうちたいと思った ○大河ドラマ『青天を衝く』でも有名な場面。司馬遼太郎が徳川慶喜から見た幕末から維新をどう描いたか、いくつかの場面で確認するために久方ぶりに再読しました。 「薩人の奸謀は、天下の知るところ」 ○中川宮邸にて 幕府への横浜閉港の御沙汰書を取り消す決定を朝廷を出したことで、慶喜が島津久光、松平春嶽、伊達宗城同席の場で ○同じ場で 「いまより、天下の後見職を愚弄なさるな。これに控える三人の大愚物と同様同列であるとおぼしめさせるな。この段、よくよくお心得あってしかるべし」 ○本人達を目の前にして、この辛辣な言葉が言える慶喜は只者ではない。 「慶喜がこれにあり、玉体守護し、奉じるかぎりご心配無用とおぼしめせ」 ○蛤御門の変で長州兵が迫る中、宮中にて 「この開港に反対することをもって幕府をつぶす」とまで薩の大久保はいっていたし、… ○兵庫開港問題での薩摩の方針 ○兵庫開港の勅許を慶喜がその行動と弁舌で得たあと、(討幕の企画者達は)慶喜を恐れた。 (この男をほろぼし、殺さぬかぎり幼帝の将来はあぶない)と考えたのは薩摩の西郷吉之助であり、それほどに評価し、この評価を江戸城攻撃計画を推進してゆく最後まですてなかった ○長州の桂小五郎も慶喜を恐れ、この時期から「討幕の密勅」工作がすすんだという。 「異存があるか。」… 「なければよし。されば政権を返上する」 ○大政奉還を慶喜が諸臣に自ら説明した時、続けて 「あすは、諸藩の士をあつめよ」… 「疑念はあるか。あらば、後刻、格別に謁見する」と、言った ※「岩倉・西郷・大久保は、竜馬・後藤の大政奉還コースとは別にひそかに密勅降下の工作をつづけていたが、それがなんと、慶喜が大政奉還の決意を表明したその夜に密勅が降下した。偶然、同日であった」(『竜馬がゆく』) ○慶喜の表明が数時間早く、岩倉の手に入った密勅は無効になった。密勅工作と同時に岩倉は「現実にはどこにもない」が南北朝時代に使われたといわれる錦の御旗を制作した。この錦旗が後日、歴史を動かした。 …薩の流血革命方式は、この一挙によってみごとに往なされたが…好機を待った。 王政復古の大号令の後、幕府軍が薩軍と衝突することを避けるため(慶喜は一時的に勝利することは可能でも、朝敵となることを避け、最終的には薩摩には勝てないと思っていたというのが司馬遼太郎の見立て) 「大坂へくだりましょう」と、 慶喜はにわかに言った。 …この間、江戸で変事が起こった。薩摩系浪士が幕府挑発のため市中の治安をみだすのに幕閣が堪えかね、庄内兵をして薩摩藩邸を焼き討ちさせた。…将士は興奮し、慶喜の命を待たずに兵を部署し、京坂の間に全軍を配置して即刻にも開戦できる態勢をとった (鳥羽・伏見の戦いの前) 「錦旗が出た」 と、のみ慶喜はいった。 ○江戸へ逃げ帰り、慶喜が閉塞していた勝海舟を浜御殿に呼び出して、戦後処理を任せる時に涙を流しながら ○蛇足ながら江戸時代には武士階級には尊王の思想は幕府や諸侯を問わず浸透していた。朝敵となることは現代人には想像し難いほどの屈辱だったよう。戦国時代なら慶喜も薩長を蹴散らしていたかも知れない。 ○慶喜は大河ドラマでも好評ですが、実際にも弁舌は冴えわたり、江戸城で鳥羽・伏見の戦いの顛末を語る慶喜を天璋院は団十郎も及ばずと、いっていたということ。 ※以上
0投稿日: 2021.10.17
powered by ブクログいろんな描き方をされる徳川慶喜。 聡明で、先見の明があって、多趣味で。 何を考えているのかわからなくて、変わり者。 でも好きなんだよなあ。いつも合理的で。『しめしがつかない』や『筋が通っていない』とか、そういうんじゃなくて、今どうすべきか、を考えているのだよ。周りは大変だっただろうけど、好感。いつもながらに容保さまは可哀想だけど。個人的に幕末四賢候のほうが信用ならん。晴天なんちゃらみてみようかなあ。 司馬遼太郎入門編で、短いこの本を手にとったけど、読みやすかったです。つぎは明治のやつかな。
9投稿日: 2021.10.01
powered by ブクログ大河ドラマ「青天を衝け」に登場する徳川慶喜は凄く興味深い人物であり、その慶喜を司馬遼太郎という作者が描いているということで購入した。 読み終わってみて結局、慶喜の心境は想像できない。 どこまで真実なのか定かではないが、 常人のようにも人間らしさも感じる底知れない人物だった。 そして、『竜馬がゆく』の竜馬と、 この『最後の将軍』の慶喜の大政奉還について書かれている解説がすごく気に入った。
0投稿日: 2021.09.15
powered by ブクログ歴史には、それぞれの側からみた歴史がある。 将軍になることを望まず、朝敵になり史上に名を汚すのが嫌だった慶喜。 保身に走り、部下を騙し、捨て去り、己れだけが己を肯定すればよしを貫いた。 大政奉還、江戸城無血開城。歴史的にみれば、慶喜のこの偉業なくして明治維新は開かれなかったであろう。 時勢によって望まざる方へと流されたのはわかる。けれど、私はやっぱり、不器用なれど誇らしく生きた新撰組の側からみてしまう。 貴人、情を知らず これに尽きる。
3投稿日: 2021.08.25
powered by ブクログ青天を衝け で徳川慶喜に興味を持ったので読んでみました。 多芸多才、そして雄弁。 それゆえに生まれた家柄もあって周囲にあらぬ誤解を持たれた孤高の将軍という印象を受けた。
0投稿日: 2021.08.08
powered by ブクログ久しぶりに司馬遼太郎の本を読む。大学の頃「竜馬がゆく」から始まり司馬遼太郎の本に凝ったことがある。今から考えるとあの頃は勉強もせず時間を持て余してたから結構読書にはまってた。自分にとっては司馬遼太郎の小説はやはり明治維新あたりが一番好き。 徳川慶喜は当時の開国か攘夷かの混乱の時代に責任の重い将軍などにはなりたくなかっただろうなぁと思うわ。 〜また司馬遼太郎の歴史物を読ん始めていこうと思う。
1投稿日: 2021.08.05
powered by ブクログ自分を歴史上の一人物に位置づけながら、驚くほどに客観的に事象を捉えることのできる稀有な人物。 家康や吉宗といった過去の有能な将軍との決定的な違いは、高い教養を持っていることであり、幼少期は読書が苦手だったエピソードはありつつも、本質は知的好奇心の塊で、安政の大獄期に恐るべき読者量を消化したエピソードも面白い。 クライマックスはやはり大政奉還になるが、これは、あとがき(向井敏)も面白い。 『龍馬がいく』では、坂本が大政奉還の知らせを聞いた時非常に感動したエピソードを引き合いに出し、慶喜からすれば、大政奉還は「逃げ道」であり、朝廷に放り投げるくらいの感覚であった。 静岡で隠遁生活を送る間、過去について語ること、過去の人物と会うことを極力さけたエピソードも、慶喜のストイックな一面を表している。 慶喜は朝敵になったが、明治政府の立役者の一人であった。 慶喜という天才が大好きになった。
2投稿日: 2021.07.31
powered by ブクログ前回読んだのが、幕末の長州を描いた「世に棲む日々」であったので、その対立軸でもある幕府側の物語を読んでみたいと思いました。 また、いま大河ドラマでやってる「晴天を衝け」とも重なるのも動機のひとつです。 大政奉還や王政復古の裏にはこんな人間ドラマがあったんだと思うと、もう一度、中学の日本史の授業を受けてみたくたくなりますね。 もし、日本史の先生がこんな話を授業中に放り込んでくれてたら、日本史が好きになってたかも、って思ってしまう。 「世に棲む日々」と「最後の将軍」で描かれる「攘夷」は当たり前かもしれないけど、真逆な感じで描かれてます。 前者では、攘夷カッケー 後者では、攘夷ヤベー 慶喜は「守ろう」としたのではなく「終わらせよう」としたのが出色の将軍だったのでしょう。 幕引きってよほどの覚悟がなければできないと思います。しかも、自身の名に傷が付かないように先見性をもって行動したのも、慶喜のストイックさが垣間見れます。
2投稿日: 2021.05.16
powered by ブクログ徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜の物語。 著者あとがきで「慶喜は政治家である。政治家を小説の主人公にして成功した例はわずかの例しかない。」として、その難しさを書いています。 読んでいても、慶喜という何事にも器用な人物が時代の大波に飲み込まれそうになりながらも、ある種淡々として生きた感が伝わってはきましたが、何故か激動の人生という感じはあまり伝わってきませんでした。 大政奉還という大事を成し遂げた人物なんですが。 今やっている「青天を衝け」とこの小説で出てくる人物が結構重なっていて、渋沢栄一も所々で出てくるし、そういうところは歴史の勉強という点では良かったですね。 松平春嶽と松平容保の区別もついたしw
0投稿日: 2021.04.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
第十五代将軍徳川慶喜の生い立ちに迫る小説。前提として慶喜は非常に頭の回転が早く、一度決めると誰が何と言おうとも意見を変えない頑固さを持っていた。印象に残ったエピソードは2つ。1つ目は徳川家相続直後の長州討伐について。慶喜は将軍職に就くことを拒んでいた。しかし、最終的には半ば強引に将軍にさせられてしまう。しかし、実際に将軍になってみると、自信も予想だにしない喜び・責任を感じてしまった。将軍になった手前、何か成果をあげたい。そこで思いついたのが、長州討伐であった。自ら「大討込」と題し、天皇から節刀されるところまでいったが、味方の戦況が芳しくないとわかると、討伐計画を中止してしまう。負けると分かっている戦をするほどには、頭は悪く出来ていなかった。また、理解者は自分のみでも良いという、慶喜の胆力の強さの表れでもあった。 2つ目は、大政奉還について。慶喜にとって政権は、剣の刃の上を渡るが如く仕事であり、出来れば投げ出したいものであった。そのため、大政奉還の内容が慶喜の耳に入ったとき、「そうか」と短く発するだけで、瞳にも嬉しさの色がやどっていたという。一方で、大政奉還成就の一方が企画者の坂本龍馬に伝わったとき、慶喜の心情を慮り、「この将軍のために命を賭す」とまで言った。同じ事実でも、視点が違えば見え方も変わる一例。
0投稿日: 2021.03.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
俊英であるがゆえに、周りが見えすぎ、自身の歴史的評価として賊臣とならないように立ち回ってしまったか。司馬作品には幕末モノがいくつかあるので、読み比べてみたい。
0投稿日: 2021.02.10
powered by ブクログ「竜馬がゆく」で大政奉還後慶喜を想い龍馬が涙したシーンが印象的で、慶喜視点の話を知りたくて手に取った本。 竜馬がゆくで見た幕末の志士たちの熱さとは大きく違った温度感でそれがまた面白かった。 常に客観的で自分の感情は表に出さず。 賢い人だからこそ未来を見据えながら冷静でいられたのではないかな。 大政奉還はそんな慶喜が最後の将軍だったからこそ実現できたことだろうなと思う。
0投稿日: 2020.09.29
powered by ブクログ徳川家で才覚のあるものとして歴史に名が残ることを意識してその時代を生きた、ということなのかな。大政奉還は31歳の時。その後の人生の方がずっと長く1913年の大正まで生きた。多趣味な人だったようだがどんな風に日々を思って過ごしたのだろう。短い作品ながら慶喜に親近感が湧く。
0投稿日: 2020.09.02
powered by ブクログ徳川慶喜は、大政奉還をした人。 以外の知識ゼロで読み始めた。 当たり前だけど、歴史の登場人物もそれぞれ人なんだよなあ、っていうのを改めて。 つまらない感想ですが。 こんなちっぽけな私が毎日あーでもないこーでもないって悩んでるんだから、名を知られた人の毎日はそりゃ色々あるよね。
2投稿日: 2020.06.02
powered by ブクログ珍しくくどくない司馬遼太郎の作品。 終始周囲の人々に持ち上げられ続けた徳川慶喜だったが、維新後は生来の器用さを活かして趣味に生きた。 松平春嶽や山内容堂といった幕臣を結局は信じることができなかった彼の立場の壮絶さを感じさせられた。 孤独な中持ち前の才で生き延びた俊才の話。
3投稿日: 2020.05.27
powered by ブクログ竜馬がゆくの読後にこの本を読んだので、慶喜の言動や薩長との関係がよくわかった。慶喜は水戸で学んだ経験を踏まえ、自らの名が歴史上で汚名とならぬよう要所要所で判断したのだと思う。翻せば、これが、幕末の混乱期において、導火線に火のついた日本のダメージを最小化することにも繋がったのだろうと思う。 一冊だったので比較的読みやすかった。
0投稿日: 2020.04.26
powered by ブクログあまり歴史小説は読んでこなかったが興味深く読むことができた。 慶喜の人となりを構築するまでの父や世間の関わり方、非凡な多芸さや、その雄弁さによって周囲を圧倒する様などありありと描写されていた。 大政奉還という歴史の大転換にあって、その立ち振る舞いは歴代徳川家の中でも最も困難であったが、争うことなく大局を見通す考察力には圧巻された。
0投稿日: 2020.02.12
powered by ブクログ慶喜しかり、頭が切れるが故に、窮地に追いやられる歴史上の人物が個人的には好き。物語は誰を主人公にするかで英雄は変わってしまうが、それよりも、外の血も入り、内部も分裂し、陰謀があり、たくさんの血も流れる世の中で、国を何とかしようと本気で考え行動する人々の気概がとても良い。
0投稿日: 2020.01.20
powered by ブクログ司馬遼太郎の小説を初めて読了した。歴史物を読むことがなかったので、苦労して読んだ。難しい言い回し、分からない語句が沢山。 途中、匙を投げかけたが、中盤以降から段々と面白くなり、読了後は最後まで読んでよかった!という気持ちに変わっていた。 徳川慶喜といえば、無血開城をした穏やかで理知的な人物というイメージ。私は好戦的な人物をあまり好まないので、現代的感覚を持ち合わせた好人物というイメージを持っていた。 そのイメージは変わらなかったが、なんだか飄々としている人なんだなという印象がプラス。司馬遼太郎の憶測も多分に含まれているだろうけれども。心の内は本人にしかわからないだろうけれども、慶喜の人となりを知る一助となり、興味深く読んだ。 司馬さんの他の作品も読んでみたいな。
0投稿日: 2019.05.12
powered by ブクログ徳川15代将軍の話。 普通に歴史では、14代の次に慶喜が15代に就任して大政奉還しました、ぐらいしか習わないが、脚色はあるにしろ一橋家を継ぐことになった経緯や類稀なる能力の持ち主だったがゆえに世相を騒がせたり、将軍になるまで先代の死後半年以上かかっていたり、などなど実在した人物とは思えないほど波乱万丈かつ稀有な人だったことを知った。 倒幕については、倒幕派が正義のように扱われることが多いが、慶喜側からの視点では彼らは敵と言うよりも勝手にケンカを売ってきた面倒な奴らで、元より慶喜は幕府を存続させる意思はないから話し合いだけで戦う必要は無かった(実際に江戸城をすんなり明け渡しているが)のを、薩長は慶喜をこてんぱんに痛めつけていたというのが、なんとも大人気ない感じがした。 歴史の大きな転換点に立ち会ってしまった、しかも当事者となってしまった人物のしんどさおよび、その時代にうまれてしまったもったいなさも感じつつ、でもやはり大政奉還という偉業は彼にしかできなかったんだろうなとか、心を馳せてしまった。
1投稿日: 2019.03.04
powered by ブクログ「世の期待を受け続けてその前半生を生きた人物は類がまれであろう。そのことが、かれの主題をなした」 徳川将軍は直系がいない場合、分家である紀州、尾張、水戸から選ぶことになる。ただ慶喜が生まれた水戸家は、ほか二家よりも劣り、将軍を出したことがなかった。 天文学的な確率で将軍となり江戸幕府の幕引きを行った徳川慶喜。 優秀であり周りの期待を一身に背負ったものの、1人では変革は起こせない。その現実を知っていた。 優柔不断で決定事項をひっくり返すことも多々あったようだが、それでも自らの頭で考え、自らの行動で幕府の終わりを決めたのは評価に値する。
0投稿日: 2019.01.27
powered by ブクログ鋭利な頭脳と人心への無頓着さとが共存する主人公。別の時代に生まれていれば、さぞ幸せに暮らせたろうに、それを許さなかった時代背景が、喜劇のような悲劇のような人生を作ってしまったように感じる。歴史の彩が投影される物語。 『竜馬がゆく』の直後に書かれたとのこと。多くの人間が交差する大作の中で、最後の将軍は著者の心に最も残った人物なのかも。
0投稿日: 2018.12.02
powered by ブクログ最後の将軍として歴史の教科書にも必ず名前が載る人。しかし、どのように、あの動乱の中を生きていったのかは知らなかった。この作品で、徳川慶喜という人が、孤独と戦いながら生き抜いたことがわかった。そして先見の明があったと思った。 この人は生まれてくる家を間違えてしまったようにも感じた。頭の回転が速く、非常に器用な人物だから。徳川慶喜の考えることについていける人が周囲にいなかったことが寂しかったのかもしれない。
1投稿日: 2018.09.27
powered by ブクログ人生を左右する決断なんて、一生に一回あるかどうかだろう。しかし、本作品の主人公、第15代将軍徳川慶喜の人生は大決断だらけだった。 外国の介入、薩長など雄藩の政略、幕府の弱体が進み、混沌とする幕末社会。慶喜は将軍に就任すること、対長州戦でこっそりと戦場を去ること、政権を捨てること、新政府に無抵抗を貫くことなど、後世から見れば、歴史を変えた大決断を次々と下す。しかも、これらの大決断を慶喜は誰とも相談せず、無表情に淡々と片付けていった。 彼は自分を客観視し、プライドやメンツにこだわらないし、無理はしないし、イチかバチかの行動も起こさない。大きな時代のうねりの中で、冷静に自分のポジションを見極めて、行動する。なによりも彼は徳川宗家や将軍という地位や日本を統治することなどに何の魅力も感じなかった。 そんな人物が将軍になるという奇跡が起きたことで、明治維新という日本の革命は成功した。と、著者はまとめる。
0投稿日: 2018.09.13
powered by ブクログ大河ドラマ、西郷どんを反対側から見たくて読むことにした。多才な人であったことが分かるし、薩摩を嫌ったことも良く理解が出来た。上海の新天地のカフェで読んだ思い出深い本。
0投稿日: 2018.09.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2018今やってる大河ドラマ「西郷どん」での松田翔太演じる徳川慶喜、いや徳川慶喜演じる松田翔太がすごくいいので、徳川慶喜に興味を持ち、一体どんな人物だったのだろう、とこの本を読んでみた。・・今回はせごどんにあまり魅力を感じないので慶喜に目が行っている。 徳川慶喜といえば、中学か小学の歴史の教科書で、章の扉絵に「徳川慶喜は主だった大名を集めて大政奉還をしました。家康が全ての大名を集めたのと違いますね」というような事が載っていたのが一番の印象。・・読んでみれば集めたのは大名ではなく在京の陪臣だった。 司馬遼太郎のこの小説は、将軍になるまでの記述は特に慶喜の人となりを浮かび上がらせるために、史資料を基に司馬氏が俯瞰者となって語る、という印象が強い。しかし、二条城での大政奉還以後は、特に慶喜の心の動きが強く伝わってきた。非常に聡明な慶喜だが、大政奉還はしても、それ以後の歴史の動きは予想外だったのではないか。 明治になってから謹慎を解かれ静岡に移ると数え33歳。以後は趣味に生き、多くを語らず、大正2年11月、77歳で死んだ。葬儀には旧大名の当主たち3百余人がことごとく参列し、特に諸外国の使臣が多く参列した、とあり、「慶喜の死は、江戸を一挙に遠い過去のものにした。この日以来、慶喜は江戸を懐かしむひとびとの感傷のなかに生きはじめた。」という最後ではなにか胸がいっぱいになってしまった。
5投稿日: 2018.08.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
徳川慶喜は臆病だと言われているけど、天皇を擁する官軍と戦えなかったのは尊王思想の総本山の水戸藩としては当然なんだよなあ
0投稿日: 2018.05.08
powered by ブクログ鳥羽伏見の戦いで敵前逃亡する、大政奉還は自己犠牲ではなく政権放棄の気持ちが強かったなど慶喜の気質が分かるものであった。松平春嶽が言ったと言われる「慶喜は百の才智があっても、ただ一つの胆力がない」。なる程と思えた。
0投稿日: 2018.02.19
powered by ブクログ学生時代、日本史好きだったのに、歴史小説に手を伸ばさないって損してるよね〜と数年に一回思い出したように手を伸ばしては、今回も読めなかったかと臍を噛んで泣く泣く本を閉じるっていうのが、ここ数年の年の暮れの風物詩です(私の)。 いや、でも、今回はようやく最後まで読めたからまだマシか………。 読もうとするたびに、 「史実をもとにした小説は、結局は作者の想像の産物でしかないのに、いったん読んでしまうとそれが事実であったと思い込んでしまいそうで怖い」 という母の言葉を思い出すんですよね。 で、読んでる時に、「あ、これ学校で習ったな」と思う頭の片隅で、「でも、この人物は本当にそう思ってこう行動したのかしら?」っていちいち思考停止しちゃう。それがしんどい。なのであまり読みたくない。でも歴史好きだったんだから本当は楽しく読めるんじゃないのか。っていうジレンマに身悶える年の瀬(悲)。 これはもう、私の歴史小説に対する読み方が変わるか、そうと割り切って読む図太さを身に付けるしかないんだよな〜きっと。
3投稿日: 2017.12.30
powered by ブクログ徳川慶喜は家康以来の殿と呼ばれたはずなのにヘタレの印象があったのは、大阪から敵前逃亡したという事実から。何故なのかなというのは、合理的思考が出来すぎるゆえということでわかったような気もする。武勇に秀で、頭もよく、素晴らしい才能の人なのに、自分を奉じている人々への思慮が少ないのは、残念なところ。それでもこの人であったから幕府崩壊があれだけの内戦で済んだとも言えるのか。
0投稿日: 2017.06.22
powered by ブクログ慶喜、将軍家ではなく、御三家(水戸、紀州、尾張)の水戸の出 水戸家は黄門光圀以来、尊皇思想を強く持っていると思われ、他の徳川家には疎まれていた。しかしながら、数人の慶喜を建てようとする大名、ペリー訪日などの背景もあり、本人は意図せず、むしろ反対していても世論が盛り上がり将軍になってしまう。 朝廷は長州に影響され攘夷論、その後薩摩に影響され開国論など良いように使われ、慶喜自身自分の力ではどうにもならないと分かりつつ時代に抗えず時代は動く。 いつもながらだが、司馬氏にかかると歴史上の人物が生き生きと動いている様が頭に浮かぶ。幕末の流れも確認することができ、歴史への興味が更に深まる一冊。
0投稿日: 2016.04.01
powered by ブクログ一橋慶喜が聡明な人物であったことは知っていたが、のみならず保身の天才でもあったわけだな。あの時代、あの立場に置かれれば已む無きことかもしれないが、絶対恭順という(後世から見れば)高度な政治判断の裏で、自身の側近や譜代大名、それに多くの御家人や旗本を捨て石にしていたのね。 それに、水戸学の革命思想と、それ故に幕内の正当系譜に危険視され、忌避され、孤立無援だったということも初めて知った。最初から四面楚歌の茨の道だったということか。 逸早く列強の脅威を理解し、開国融和策を唱えるなどイデオロギーに固執せず、プラグマティストの素養を備えているあたり、後世の維新英傑に比して国造りの才に劣後するとは微塵も思えない。あと10年早く生まれ、徳川を掌握できていれば、この国の歴史はまた違った道を辿ったかもしれない(本人の意思は別として)。 結果として内戦の泥沼は回避され、国力低下を防いで、新政府の近代化がスムーズに推し進められたことは事実。おかげで日清日露を経て、明治の終わりには末席とはいえ列強に座することを許されるに至った。 それは、敗者という役を見事に演じ切ったという意味で、慶喜にしか成し得ない大事だったのかもしれないが、さっさと表舞台から遁走し、悠々自適に他人の金で遊び暮らしている姿は、民草の仁義に照らせば褒める気にもなれない。彰義隊や五稜郭、萩・秋月・神風連の乱など、士族の末路を見れば特に。 勝者と敗者の役割は違えど、大久保西郷も同じこと。維新三傑と呼ばれ、今でも偉人として讃えられるが、要は化かし合いに勝利した日本一の狸ということ。いつだったか、坂本竜馬暗殺の黒幕を大久保利通であると説を唱えるテレビ番組があったが、傍証はともかく動機は十分すぎるほどあるな。なにしろ10年で1万人が暗殺された時代、人の命の重みが紙屑のように扱われていたのだから、今更躊躇いも衒いも無いだろう。「土佐が薩摩に負けた」という慶喜の台詞は妙に腑に落ちてしまう。暗殺も含めて権謀術数で世の中を動かした、ということなのだろう。 とはいえ、正悪呑み込んだ歴史の上に、今の大国日本、ひいては我々の生活があるのも事実。賞賛し、糾弾するのは容易いが、ある意味で安穏と生きている我々も、その善と悪、両方の受益者なわけで…。複雑な気分。 改めて、歴史は勝者が作り、その時代時代を生きる人間には正義も悪もないということを感じる。 もう一つ、慶喜は生まれる時代と場所を間違えた。それは本人にとっては不幸だが、歴史を年表で俯瞰すれば、ここで慶喜という指導者を得たことは、望外の僥倖だったとも言えるし、歴史は難しい。 余談になるが、やっぱり、孝明帝が身罷れたタイミングはあまりにもあまりにも…。
0投稿日: 2016.02.23
powered by ブクログ徳川家最後の将軍、幕末の動乱の中でたった独り、采配を振るった、徳川慶喜の小説。 シバリョの小説は久し振りに読んだけど、やっぱいいなー!おもしろい! よんで改めて気づかされたけど、ほんっとうに苦労ばかりで、報われたことがほとんどなかった人生ですよね。。世が世なら名将軍だったでしょうに。。 33歳の若さで静岡に隠居してからは、絵画だの狩りだの刺繍(刺繍www)だのに没頭しまくってめちゃくちゃ優雅な貴族生活おくって楽しそうですが(よかったね!) この人は回転の早い頭脳と有能な弁舌と恵まれた容姿、色んな魅力をもってるのに、性格がトンガッテタせいでまわりに敵を作りすぎですわ。自分の支持者だった松平春嶽公ら賢候たち集めて、面罵しまくって(島津涙目www)酔っぱらってぶっ倒れたシーンは笑ったwwしかも確信犯 それから、短気なのと若干プライド捨てぎみなのは玉に傷ですね。(明治以降も要職につかず遊んでたのとか、大阪城からスタコラサッサと逃げ出したこととか。) まぁしかし、水戸出身でありながら、内心開国希望だったところとかさすが開明的で先見の明があるなーと思います。新しいものが好きで洋装や豚肉食を楽しんでいたりと。まさに、王子さまですよね。ちょっと、やんちゃだけど。「幕末一番の貴族」という名が相応しい、でもアダ名は「豚一」だけどw(豚を食べる一橋卿、という意味らしい。ぶたいちw)
0投稿日: 2016.01.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
初めて読了した司馬遼太郎の作品。 司馬遼太郎の視点から、徳川慶喜の半生に解説を加えた語り口で展開される。よって小説というよりは、ドキュメンタリのよう。 慶喜に対しては、力の弱まったため政権を朝廷に返上しただけの人物だと思っていた。しかし、実は知力に長けており策謀家であった。
0投稿日: 2015.12.22
powered by ブクログ論理的な弁論に優れ、思考力が非常に高かったと思われる。この人物であっからこそ、大政奉還が実現したのだ。
0投稿日: 2015.11.08
powered by ブクログ江戸と明治、2つの時代で全く異なる役を演じた人。自分やそれを取り巻く時勢を遠くから見ることのできた人。 そういう人が最後の将軍として生きていたことに歴史の面白さを感じる。
0投稿日: 2015.10.07
powered by ブクログ徳川慶喜のお話。 水戸生まれだけに徳川本家からも憎まれていたというお話。 身内ほど憎しみは酷く、深い・・・
0投稿日: 2015.09.21
powered by ブクログ歴代将軍の中で最も、有能で、多才で、雄弁で、先の見えた人物だと言われる慶喜。 あとがきにもあったように、彼は幕政三百年の幕を引くために、特異な才幹と感情を与えられたような気がしてくる。 出来事と思想を擦り合わせながら読んでいったので、時間がかかってしまったが、なんとも切ない気持ちになった。 そして、司馬遼太郎さんの小説を読むと、必ずと言って良いほど、その人物に惹かれてしまう。 私の心をくすぐる。
0投稿日: 2015.07.20
powered by ブクログ司馬さんは、やっぱりうまい!この一言。 後書きにもあるように、政治家を描くのは難しいと思う。それでも、退屈させず、最後まで読み切れる。 慶喜は、とにかくつかみきれない人。 それが読後の感想。今で言う、不思議ちゃんな感じ。 小学校で習った時は、かわいそうな人というイメージだったけど、その後、ひょうひょうと自由に生きたところを知ると、イメージが変わった。 そして以外に、この本を読むと、幕末事情が分かりやすい。司馬さんの土方が主役の「燃えよ剣」を読んだけど、こっちを先に読んでから読んだ方が、時代背景がよく分かった気がする。
0投稿日: 2015.04.26
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水戸斉昭の女好き 大奥でも嫌われた 161、長州には理解、薩摩は嫌い 器用貧乏、という言葉を連想する 大阪城からの脱出(天満八軒浜から船に乗る) ひたすら恭順の意 器でないものが将軍に祭り上げられる それが日本にとって不幸だったのか幸いだったのか 大正2年まで生きる
0投稿日: 2015.04.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
頭が良いが、それ故に何もできなかった、大政奉還というとんでもないことを成し遂げた最後の将軍の物語。短いけどおもろかった。 有名すぎて憶測での認知度が高い最後の将軍を、司馬遼太郎先生の見方で学ぶ。 ______ p12 寝相 慶喜は寝相が悪かった。しかし、父の斉昭は「武士は寝相が良いものぞ」と慶喜の寝間に入ってきてはそれを確認した。寝相が悪くては武士の上に立つ者にはなれない、枕の両側にカミソリを立てて矯正しろと命じて、本当にそうしたという逸話。 すごくすごい。 p22 血の薄さ 徳川御三卿とは、八代将軍吉宗が徳川の血を絶やさぬために自分の次男四男と家重の次男を新たな大名家としてつくったものである。(田安家、一橋家、清水家) 将軍の後嗣は御三家から特に尾張と紀州から出されてきた。そのため、尾張と紀州では跡継ぎ争いがたびたび発生して、御三家の関係が疎遠になっていた。その御三家からも徳川宗家を継ぐ者が出なかった時の混乱を考えて、自分の子供たちに新たな役割を与えたのが始まり。 とはいえ、御三卿の血は宗家よりも薄い者と考えられ、あくまで控え選手だった。その御三卿の一橋家から新たな将軍として慶喜を迎えるというのは、いろいろ反感も多かった。 p39 うつけ者 家定 瞳が定まらず、七輪で大豆を煎っているのが何よりの楽しみという変人だった。 p46 松平春嶽 「いかなる犠牲を払っても、一橋卿を将軍世子に押し立てねばならぬ。それ以外に救国の道が無く、それが実現せねば日本ついえるしかない」といったのが松平慶永(春嶽)であった。春嶽と名乗り始めたのは安政の大獄で隠居を命じられてから。 春嶽は田安家から越前福井藩に養子として大名になった。彼は、ペリー来航前にすでに藩の洋式化に着手し、藩財政を米穀経済から産業中心主義に切り替えていた。種痘法も早くから取り入れ、藩民の天然痘による死亡を激減させた。 そういう賢人開明家。それでいて攘夷主義者だった。 p50 島津斉彬 斉彬は幕末の四賢候の中でも最もキレていた開明家である。斉彬は大奥の水戸嫌いをなんとかしようと、天璋院篤姫を家定の正室にねじ込んだ。うつけ者と言われた家定に嫁ぎ、しかも彼を操って大奥の改革をしなければならないという難役を篤姫に任せるほどのすごい人。 しかも、関ヶ原以来犬猿の仲であった徳川と薩摩、この二つが接近するという革命を演出した、すごい人。 それほどの改革をしてまで世界で立ち遅れた日本を何とかしようとした開明家なのである。 p61 阿倍正弘の死 阿倍正弘は39歳の時に、家定より一足早く早逝した。彼は幕府内で数少ない慶喜擁立派だった。彼が走り回って一橋派は何とか勢力もあったが、死んでしまって慶喜が14代将軍につくという希望は消えた。彼はペリー来航時の老中だったし、色々とキーマンだったのである。 p64 井伊直弼 井伊直弼は世間にほとんど知られないような日陰の人間だった。直弼は先代の十四男で、三十台まで部屋から出ないような生活をしていた。彼の幸運は人の死によって舞い込んだ。長兄の子息が急死したため養子として跡継ぎになり、その後すぐに長兄が夭折したため思いがけず藩主になれた。そして江戸進出の際には紀州派として反一橋を掲げて江戸の信任を得て急に出世できた。 彼は根っからの水戸嫌いで「将軍に名君は必要ない。象徴として将軍があり、それを支える家老が有能であればいいのだ。だから名君になりうる慶喜を、という論理は論外だ。」という論調だった。 p87 法を守るべき 慶喜は安政の大獄で蟄居を命じられた。しかし、井伊直弼が桜田門外で暗殺されたのち、大獄で封じられていた者たちに大赦が与えられるようになった。 しかし、慶喜は蟄居の身で「もうすぐ大赦によって解放されますぞ…」と言われても、「大赦など合ってよいことでない。」と自分が自由の身になることよりも、法律を軽んじることを嫌悪する思考を持っていた。 不自由の身とはいえ、慶喜は天性の好奇心で蟄居の最中も色々と自由研究をして楽しんでいたようである。 書画に勤しんだり、馬の整理の研究や婦人の体を観察して蘭書の本の真偽を研究したり、自ら鉋や鋸を持ち出して屋根の修理など日曜大工にも取り組んだ。すごい。 p96 開国論 慶喜が家茂の将軍後見役に就いた時、日本は以前に結んだ安政条約について悩んでいた。安政条約は不平等条約であり、日本としてはなかったものにしたい。しかし、国際法上条約を一方的に破棄すれば日本は列強の攻め込む口実を作ることになり、アヘン戦争と同じ末路を取ることになる。しかし、外国の言いなりになれば朝廷(孝明天皇)の意向に背くことになり、攘夷過激派の攻勢を免れない。 慶喜は開明家ではあるが、攘夷家ではなかった。それゆえ国際法を無視すことは論外という意見だった。 松平春嶽はこの問題に対してまずは内政重視だった。そのため条約破棄の姿勢を見せることで国内統一を図ることが先決と考えていたが、慶喜にこの考えが無いことに驚き、失望した。 p116 攘夷弾圧 攘夷論者はなんとか将軍に攘夷論を公式のものと認めてほしくて、様々な活動をした。時に血を見る危険な行為も。それに対し、慶喜は京都守護職にあった松平容保をよび、京都にうろつく攘夷浪士をことごとく取り締まるように勧めた。その手段は問わずに、切り捨て御免で攘夷を弾圧する「新撰組」の構想が始まったのはココからである。 始め容保はこのすすめを拒否したが、結局そのようになってしまった。結果、穏健なはずだった容保(いや彼が代表する会津藩までも)はもらう必要のない恨みまで受けるような運命に突き進むことになる。 p125 5月10日 攘夷決行 朝廷は攘夷戦争を決めた。世間を知らない朝廷の人間は世間の攘夷の波に飲まれた。そして、将軍後見の慶喜に攘夷戦争決定の告示の日付を発表するように迫った。慶喜は「五月十日に…」と返答した。四月十九日のことであった。 この発表をするために慶喜は江戸への帰路に発った。しかし、帰着までに16~7日というありえない時間をかけた。このままでは攘夷戦争を始めると言っても何の準備もできない。そういう魂胆である。江戸に帰着した慶喜は、主要な幕吏を集め「攘夷実行の勅諚をうけた」とだけ発表し会見を終えた。そしてそのすぐ後、将軍後見を辞職する旨を発表した。 これは慶喜の政略である。攘夷戦争の準備もできず、また上役から攘夷の行動方針も具体的作戦も聞けずにその上役がやめてしまうという、何もできない環境を無理やり創り出したのである。 これほどの立ち回りを演じぬいた慶喜は凄くすごいのである。 p131 帝ェ… この幕末時の朝廷の諸外国事情と言えば、江戸の浮世絵の鬼の形相のペリーぐらいでしかない。このような鬼を皇土に近づけるわけにはいかない、武臣に命じてこれを打ち払わせるべきである。というような考えしか持てないのが、この当時の骨抜きになった朝廷の現実である。 賢い敵は恐くない、一番恐ろしいのは愚かな味方である。そういう諺があったが、天皇は無駄に勇猛で困っただろうなぁ。 p150 二心殿 慶喜のあだ名。慶喜は将軍後見の役に就きながらもいずれ自ら将軍の地位に就くことを肚に隠しているという噂があり、そんなあだ名で言われていた。 それ以外にも、豚肉食を好んだため「豚一」と呼ぶ者もいた。 p176 慶喜いやよ 慶喜は家茂の後に将軍職を引き継ぐことを固辞した。自分に悪感情を持つものが多い政界をまとめていくことはとてもじゃないができないという理由。それともう一つ肚積もりがあった。この拒否の行使が政治的磁性を帯びることも知っていたからである。 家茂の跡継ぎは、家茂の遺言で田安亀之助にするよう言われていた、しかし家茂が死んだとき亀之助は三歳になったばかりであった。こうなれば慶喜に将軍になってもらうしかなかったのである。 しかし、それを簡単に引き受けては慶喜は将軍になってから足元を見られ、ほんのお飾りの将軍にしかなれないとわかっていた。あくまで「お願いされた。将軍になってもらうからには今後の日本の全権を委任したい。」という契約を引き出すため、将軍後嗣を拒み続けたのである。策士!! p194 徳川体制の限界 慶喜が大政奉還した論理。将軍職というのは将軍の武力に基づくものである。強い武力を持つ者が諸侯の擁立をうけて将軍職に座る。まさに家康がそうだった。しかし、この頃の将軍はもはやそうではない。織田信長が足利義昭を追放したのもそういう原理である。今回も同じように、諸侯で誰を将軍位すえるべきかを選挙する、それが最も道理に合っている。という論理。 当時の武士の世の中で、まして徳川家に近い者から運れた論理とは思えない公平な論理である。もはや時代に徳川体制が限界を迎え、もういっそとってかわった方が良いと言っているのである。 p203 新式部隊 慶喜は部隊編成にも口出しするほど開明的だった。武双は近代化し、大名が戦に参加する際には風呂桶のような荷物をもって大名行列をして戦場に臨むという非合理的な慣習をバッサリと止めさせた。将軍の服装も簡素で、食事も野戦食、持ち物も背嚢(ランドセル)三つ分でいい。将軍の権威がいかに地に落ちたかがわかる。 p208 勝てぬ戦はしない 慶喜は他人を驚かせるほどサバサバした人物だった。長州征伐を決行しようとしたが、高杉晋作の奇兵隊が幕府軍に勝ち目が薄くなった。それを知った慶喜は「長州征伐を中止する」と即断した。勝てぬ無駄な戦はしないという合理主義者だったのだ。 初代徳川家康に比肩するほどの器の男と思われた慶喜だったが、あまりに合理的過ぎて、家康のような「勝てぬ戦を勝てるように何とかする胆力と強運」は持ち合わせていなかったのである。 カリスマには無理を可能にする何かが備わっている。しかし、頭が良すぎる人物はその頭脳のせいで諦めが早いきらいがあるが、まさに慶喜はそうだった。 こういう胆力の無さって、現代社会に蔓延ってきそう。 p211 孝明帝の死 慶喜と徳川家にとって不幸だったのは、佐幕派の最急進だった孝明天皇が急死したことだった。慶喜は朝廷と攘夷論を巡って争い、尊王主義が強まるこの時代に、佐幕派だった孝明天皇のおかげで幕府を維持できた。 それが、終わった。この死は、大きな契機だからこそ、いろいろな陰謀論がささやかれるのもしょうがない。 p219 時勢 慶喜は島津久光に肩透かしをくらい曰く「百策を講じ百論を論じても、時勢という魔物には勝てぬ」とな。 慶喜が久光に対して完璧な論理を展開しても、久光は口数少なく「それは否」と言うだけで議論は一向に進まなくなる。正当性のない答えでも久光がその姿勢を貫けたのは、時勢というものがあったからと考える以外にない。 p224 後藤象二郎 彼が持ち出した「時勢を救済し、徳川家をも起死回生せしめ、しかも薩長をなだめる奇蹟的な妙」案、それが大政奉還だった。 p234 辞官納地 薩摩はあくまで武力革命を求めた。西郷は流血によって毒抜きをしてからでないと新たな時代は作れないと考えたんだろうな。 大政奉還という肩透かしを食らい、薩摩藩の振り上げた斧は下ろすところを失い、まいった。何としても武装蹶起を実現しようと薩摩は幕府に向けて様々な嫌がらせを仕掛ける。幕府の根拠地に浪人工作員を暴れさせたり、最大の物が「辞官納地」である。徳川家が一般人に成り下がり、直轄地も没収という、強奪を公式に行おうという嫌がらせである。 p237 家康との違い 大久保利通曰く、慶喜の弱点は、「朝命を恐れること。慶喜は歴史主義者だったためにその眼は常に巨視的偏向があり、歴医の将来を意識しすぎていまに何もできないということがあった。あまりに書生過ぎたのである。」だったらしい。慶喜は家康の頃と違って、読書人にあふれた時代に生まれた。それゆえに文字(つまり知識や正論)に影響されすぎてしまったのである。戦国時代はそんなの関係なく、自分の腕っぷし一本でのし上がれる時代だった。その差が、家康を権現にし、慶喜を庶民に失墜させることになった。 ______ 頭が良ければいいってもんじゃない。それが良く良くわかる物語だった。 確かに、知識があればあるほどメリット/デメリット両方が見えて、決断力は鈍る。そういう人間だった慶喜にはすこし共感を覚える。 慶喜がただの嫌な奴で無く、頭いいけれどうまくいかない人間という、ちゃんと慶喜がかっこいいと思える書き方をしているところが良い。 やっぱ司馬先生は登場人物へのリスペクトがすごいな。
0投稿日: 2015.03.27
powered by ブクログ学生時代に学んだ、徳川慶喜は大政奉還をした徳川家の15代将軍とのイメージしかなかった。 最後の将軍として、慶喜のなすことはそれまでの将軍を卓越するもので、その去り方も見事。
0投稿日: 2015.01.18
powered by ブクログ一番最初に彼に触れたのは、小学生時に通った塾で「大政奉還」を覚えたとき。長く続いた江戸幕府を終わりにしてしまったダメ将軍、っていう短絡的なイメージを抱くことになった。だんだん大人になって、“終わらせる”ことが以下に大変なのかってことも分かるようになって、彼があそこで決断しなければ、ひょっとしたら日本は世界の流れに乗り遅れていたかも、みたいなこともつかめるようになって、今、この本も読んだ時点での見方は、結構な偉人、って感じ。ただ、文庫1冊にまとまっている以上、ある程度は仕方ないことだけど、そこまで感情移入は出来ないですね。ほとんど三人称で語られている、ってのも大きな理由だとは思うけど。まあ、竜馬の話を読んだ後だったんで、違う目線で同じ時代を追うことが出来て、良い読書体験にはなりました。
0投稿日: 2015.01.17
powered by ブクログ徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜の一生について、ストーリー調に記されている。水戸藩当主であった父の寵愛で幼少期から誇大広告をされてきたこと、一方でそれに見合う器用さと天下一の弁論を有していたこと。儒教の教えから尊王を核にしてきた水戸藩の思想を受け継ぎながら、歴史が語る朝敵になることの無意味さゆえ尊王であったこと。当初は国内が期待する攘夷の切り札だったのに、開国派であったこと。キレ者と言われつつも、どこか母由来の貴族的鈍感さがあったこと。家康以来の大物と言われながらも、薩摩、土佐の謀略には敵わなかったこと。大政奉還時にはついに味方までも裏切るようなことまでして評判を落としながら、明治以降には大政奉還の貢献者として勇気ある者として位置付けられたこと。読んでいて途中で混乱してきたが、こういった両面性を有する、少し人間味が強すぎる像が想像できて面白かった。
0投稿日: 2014.11.29
powered by ブクログ江戸幕府第15代将軍、徳川慶喜の生涯を描いた小説。感動した。 周囲に期待され、本人は希望しないのに将軍にさせられた慶喜には、家康の再来と言われるほどの才能とカリスマ性が備わっていた。その明晰さゆえに、大きな決断、つまり大政奉還を前に苦悩する。しかし、彼自信開国派でもあり、朝廷に政権を還すことは自然な流れだった。 非常に弁が立つ人だったという。司馬の書く小説の主人公は例外なく格好いい。 徳川幕府が近い将来終焉を迎えると分かりつつ将軍になる運命だったのは、彼にとって運が良かったのか悪かったのか。個人的には、彼には目標とすべき人物が周りにいなかったこと、ライバルとして切磋琢磨する存在がいなかったことは不幸だと思う(薩長や朝廷は反対勢力ではあったが)。 読み終わったあと、うまく表現できない感動がこみ上げる。是非ご一読いただきたい。
0投稿日: 2014.11.10
powered by ブクログ本を読んで、徳川慶喜という人が才能あるくせに1つもやる気のない、なんというか現代でいうところの草食系男子のイメージがわく。 ただ、そういうひとに限って歴史の大舞台にのってしまう。 将軍を辞めてから一切の表舞台から手を引いたのは、草食系男子的な性格のおかげかもしれない。 慶喜に持っていたイメージが変わる。
0投稿日: 2014.10.26
powered by ブクログ再読しましたが、改めて慶喜の歴史の上での役割をしみじみ感じる。ひとりでは歴史の勢いは止められませんね。
0投稿日: 2014.08.22
powered by ブクログ面白くなくて途中で、やめてしまいました。。 慶喜の人物像が受け入れられませんでした。 私が会津藩、新選組派なのもあると思います。
0投稿日: 2014.06.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
たぶん15年ぶりぐらいの再読.my勝海舟ブームに乗って読む. 当時の幕府は全くダメになってしまっている.そもそも政治は幕府に委任されているのになぜ一々朝廷の決裁を得なければならなくなっているのか.権力の二重構造が生じてうまく機能するわけが無い.幕閣も貴族化して統治能力が無い.朝廷に政権運営能力があるわけが無い.無い無いづくしのところに,慶喜が全ての責任を負わされて,敵味方の期待を一身に背負って登場する.西郷隆盛は「この男を殺すしかない」,木戸孝允は「家康の再来である.幕府は再び勃興する」とまで恐怖するが,その煌めきは一瞬で,タイミングがあまりにも悪くて気の毒としか言いようのない人だ. この人の不幸は自分が優秀すぎて,泥臭いことができず,信頼できる部下も持てなかったことだ.「幕府はもう誰がやってもダメだ」「たれがやるか」.しかし,岩倉具視と大久保利通は本当にイヤなヤツだ.彼らぐらいの執念をもった家来が周りにいれば,と思わないでもないが,この性格では勝海舟とソリが合う訳が無いし,そもそも本人にもそこまでやる気はなかったであろう.
0投稿日: 2014.05.10
powered by ブクログ徳川慶喜についてはいい印象がない。他の歴史小説のイメージだろうが、権威主義の身勝手で将軍でありながら幕府を裏切った愚かな権力者。この小説で慶喜の立場、生き方についての見方は判ったが、それでも周囲を裏切り斬り捨てたやり方は弁護の余地がないだろう。司馬さんも、そこは貴族として生まれたからと抑えて表現しているが、本人が意識してないだけに罪は重い。その罪を無視して長生きしてたとは・・欲を言えば、もっと幕末の重要人物を絡ませて欲しかったな。
0投稿日: 2014.03.22
powered by ブクログ明治維新がおこった 維新側のストーリーは多い。 しかし,幕府側のストーリーはすくない。 とりわけ 徳川慶喜の 見事な決断が なぜ起こったのか。 そのことを 知りたいと思った。 司馬遼太郎は 慶喜を 『素材そのものがすでに 酒精度の高い,人を酩酊させるもの』 を持っているという。 水戸藩 斉昭は 子女が多く 男子だけで 21人。 慶喜は 七男。で 武門の血が流れていると斉昭は思った。 慶喜の寝相が悪いと言って,矯正した。 斉昭は慶喜のことを 『あっぱれ、名将とならん。されどよくせずば手にあまるべし』 といった。 この物語を読みながら,司馬遼太郎の 慶喜のキャラクター作りが 巧みである。 孤高、孤独の人であることを 明らかにする。 興味を持つ範囲が広く,凝り性である。 投網を自分で投げられるように訓練した。 実に多彩で,カンナも使うとうまい。 水戸藩の持つ 水戸史観に 縛られる。 これが 行動規範となる。 足利尊氏ではなく,楠木正成になろうとする。 水戸藩はもともと,謀反を起こすというイメージが強い。 斉昭は 大奥に評判が悪く 慶喜もその影響を受ける。 歴史を達観してみることができ,遠くがよく見える。 江戸幕府は 崩壊せざるを得ないと 理解していた。 フランスの歴史に詳しく ナポレオンのイメージがあった。 300諸侯を集めて,選挙して 将軍を選ぶという提案さえしていた。 大政奉還を 当然の結果 と理解し、受諾する。 大くを語らないが、論客であり、論理的な思考力がある。 江戸幕府を 店じまいし、そのあとひたすら 蟄居、謹慎した。 歴史を あとから編集する。 その編集作業を 個人のレベルまで 物語とする というのが,司馬遼太郎の手法なんですね。
0投稿日: 2014.01.05
powered by ブクログ竜馬がゆく』を読んだり、ドラマで見たりといわば討幕派視点から幕末を観る事が多かったのでいわば佐幕派でもなくその本陣から幕末の最終章を見たのは初めて。討幕派から見ればいつも良い描かれ方はされてないのでこの本を読んでイメージはがらりと変わった。
0投稿日: 2013.10.24
powered by ブクログ徳川慶喜が才能があり、悪い人ではないけど、よくつかめない人であることは分かりました。 やはり主役に魅力的がないと読んでいて退屈になりますね。
1投稿日: 2013.09.08
powered by ブクログすでに行われた事をみて賢いだの馬鹿だというのは簡単です。 その時その時の一瞬には誰もが考えを持って行動していることです。 何度も書きますが、全く日本史を勉強しなかった私は、今小説を読んで知っていっています。 竜馬がゆくと合わせて読むとさらに面白い、 というか読んだから言うのだけどね。 大君の通貨と合わせて読むとさらに面白い、 というか読んだから言うのだけどね。 一冊ではわからんよね。 一冊で面白くなくても、何冊か重ねることで見えてくるものってあるものです。 私は単純に登場人物をいいとおもっちゃうので、 立場が違っても両方面白いわけですが。 江戸の歴史と違って、 自分の歴史を振り返ってみても 今だとばかばかしいことや間違っていると思うこともたくさんあるわけです。 でもそれは歴史をifでみるのと同じこと、 ifで楽しむ方法も大好きです。 でも結局それは楽しむだけであって、それだけのことなのかと。 その楽しみをもって過去を批判するというのはちょっと短絡なのかなと思うわけです。 自分自身の過去の記憶なんてあやふやものです、 どちらかといえば忘れていることばかりです。 後悔するようなこともたくさんあるのですが、 それほど後悔することもないのかな。 そのときそのときの判断があったのだと思うだけです。 で、今は何を判断するのか 次は何を判断するのか それが大切なことです。 決して悔むだけが良いことではありません。 と、思いました。(笑 ん、思うようにしようとおもいました。(笑
5投稿日: 2013.09.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
徳川慶喜をただのお飾り将軍のように思っていた考えが覆された。水戸学からの発想で歴史の中の自分を意識し、外国といった外界をも視野にいれ、弁が立ち、頭が切れた。日本が分断なく、一種の革命のような明治維新を成し遂げたその功労者の一人だったことを、この本で知った。 佐幕、攘夷、開国とか歴史の授業のなかでスッと過ぎていってしまい、あれ、攘夷派がなぜが明治の立役者に??? この流れも良く分かった。 慶喜の育ちのよさが、権力に固執せず、その分奉還後へ幕臣への配慮が薄かったが、器用で多趣味、舶来品にも関心も深く、このあたりさらっと触れているが、この異才をもっと知りたいと思わせる小説だった。司馬遼太郎の手にかかると、その人物との別れがさびしい。続篇が無いのが残念。静岡の久能山の歴史資料館にあるスイス時計も、確か慶喜所蔵品だったのではないかと思い浮かべた。
0投稿日: 2013.09.01
powered by ブクログテレビで描かれる徳川慶喜という人物には共感できなかったんだけど、司馬さんの描く人物像っていうのが、彼の行った行動とシックリ当てはまり、変に納得してしまった。
0投稿日: 2013.08.27
powered by ブクログ司馬遼太郎は昔燃えよ剣を読んで以来の2冊目でした。 徳川慶喜は歴史で習ったくらいの知識しか知りません。前半は教科書を読んでいるような人物の説明ばかりでしんどかったです。 後半の将軍になり始めた頃から人物同士の掛け合いが増えて物語らしく面白くなりました。 徳川慶喜好きになりました。時代のせいで汚れ役ばかり受け、誰よりも働いていた孤独の将軍。心が強い人です。
0投稿日: 2013.08.14
powered by ブクログ30年ぶりに読みました。 司馬遼太郎作品としては平凡な作品の方かと思います。 慶喜本人より、一橋家の人物も合わせて読んだ方が面白いので、雄気堂々あたりと合わせ読みすると面白いかも…
0投稿日: 2013.07.10
powered by ブクログ初司馬。 司馬がいいのか、慶喜の人生が盛り沢山すぎて読み応えがあるのか。 大河きっかけに読み始めたので ただ振り回す二枚舌め、と思ってたけど、 慶喜の生い立ち、キャラクターを形成した背景知ると、 賢かったんだな、と。 この時代の人間にしては変に面目にこだわらないキレものだったんだなと。逆に歴史に自分がどう残るかを考えるっていうのもなかなか着眼しないだろ、と。 ただただ感心。 振り回された会津藩は気の毒だけど。 最後の将軍、だから将軍になるまでをがっつり書いてるんだけど、 もうちょっと大政奉還以降にもボリュームさいてほしかった。
0投稿日: 2013.07.03
powered by ブクログ今ちょうど大河ドラマで、八重の桜という幕末の会津の女性、後の新島八重の物語をやっている。 丁度いい機会だと思い、徳川慶喜を読んでみる気になったのだが、司馬遼太郎にしては、随分と流した書き方になっていたように思う。 全く物語性が感じられず、ただただ文字を追えば、眠くなるような文体が全体的に漂っていたように思う。 徳川慶喜は最後の将軍ということしか知らなかったが、水戸の出で、しかも水戸の位置づけがこの本によりわかった。 他には。。。
0投稿日: 2013.07.01
powered by ブクログ器用の延長にあった「最後の将軍」 徳川御三家の中で将軍の継嗣を出すには最も格下といわれた水戸家に生まれた慶喜は、幕末風雲の時代の求めにより将軍となり、その見方によってはエキセントリックな性癖で終に徳川260年の歴史に自ら幕を引いた。その人となりを描く。 徳川最後の将軍ということで初代家康とともにその名が歴史に残る将軍だが、意外にもその座にあったのはたかだか1年あまり。しかし彼が行ったことは「封建時代にピリオドを打つ」という歴史年表をひっくり返すくらいの大きな仕事だった。たとえそれが時代の気分が生んだ将軍の仕事であったとしても。 慶喜はとにかく器用。馬術や絵、写真、刺繍、はては髪結から漁師の真似事まで貴賎の区別なく興味をもったことはそつなくこなす。おそろしいまでに弁もたつ。内憂外患という時代の中で頼りになるはずの将軍家は跡継ぎがなかったり、あったとしても病弱だったり早死したりと将軍後継は不安要素山積。慶喜が将軍に向いていたかどうかは別としても、この器用な若者を次期将軍にと願う空気、むしろ気分といったほうが相応しいかもしれないそれは、わからないではない。 しかし、本人の意志をよそにその職についた結果、慶喜は何か髪結や漁師の延長で最後の将軍職を器用にこなしてしまったように思えてくるのだ。自身の運命や時代を先読みし常に逃げ場を確保しつつ、後年自分に火の粉がふりかかるのを避けながらも「最後の将軍」としての「名を惜しむ」ということを忘れなかったことも、例外ではない。 「最後の〇〇」という存在について世の歴史はしばしば悲壮観を持つ。だがそんな歴史の期待(?)とは裏腹に、慶喜は時代の主役として舞台を退いた後も趣味を楽しみ多くの孫子に囲まれ、生まれ育ちの良さからくるある種の鈍感さ、悪く言えば無神経さを以ってそこそこ楽しく天寿を全うしているのが可笑しい。 「将軍?そんなこともあったねぇ。 いろいろやってみましたがまあいい人生でしたよ」 一東京市民として谷中に眠る彼の墓から、そんな声が聞こえるようだ。読み終えた今、本書のタイトル「最後の将軍」がひとつの歴史の終焉の悲哀というよりは、器用の延長として最後の将軍を演じきった一人の男への讃歌に感じられるのは気のせいではないのだろう。
0投稿日: 2013.05.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
徳川慶喜といえば、幕末を舞台としたドラマでは必ずといっていいほど登場する人物。 だいたいのドラマにおいて、あまりいい風に描かれないというか、 頭はよくて時勢も読める人だけどちょっと嫌な人、という印象を持っていた。 それと同時に、大政奉還の経緯について、慶喜の視点で描いた作品を読んでみたいと思っていた。 本書を読んだ感想としては、彼は性格が悪いというより 政治家としての信念をしっかりと持っており、それを貫いた人なのだということ。 そして、時勢に翻弄されるが故に、その都度態度が二転三転したり、 信念を貫くために様々な犠牲を伴ったりしたのだと思った。 気の毒なのは、彼ほどの才能を「最後の将軍」としてしか生かせなかったこと。 本文にも出てくるが、島津久光と徳川慶喜が逆の立場だったら(良かったのに)、という部分に共感した。
1投稿日: 2013.05.07
powered by ブクログ大政奉還を行い最後の将軍となった十五代慶喜。近代合理主義的な司馬遼太郎らしく徳川慶喜を相当評価していることが伺える。頭が切れることはわかったけど、チキン野郎感も否めない。 新時代の幕開けぜよ的なテンションではなく、こちらは徳川時代の終焉なんすね。そういうテンション、というか視点で読む幕末物語も面白いなあ。薩長の有名人も登場するし。 水戸からでてきた徳川慶喜だけど、井伊直弼の暗殺に始まる明治維新を実行したのは水戸藩士らだったりして、幕末や維新に水戸学というものが及ぼした影響って大きかったんじゃないのかなぁ。大老暗殺事件後は水戸藩士の名前はほとんど出てこない。革命後の明治政府にもない。それは藩内抗争で多くの逸材が死んでしまったからなんだけど、国体論を構想し日本の独立と安全を確保しようとした水戸学、思想面では維新の原動力になってたんだねえ。76点
0投稿日: 2013.04.17
powered by ブクログ偶然か必然かこの国に、その時代に、水戸の家に生まれた人。 さらに非凡な才能を持ち合わせていた人。 負ける判断を下せるってのはものすごい事。 って思ったけど、慶喜自身はどう感じてたんだろうか。 司馬さんの書き方だけでいくと、世論が、読み手が勝手に同情してるだけに思えてくる。 よく分からん人。 明治維新史の中で1番不可解な人。
0投稿日: 2013.04.08
powered by ブクログ15年前に大河ドラマになっているので今更という感じは否めないが、読んでみた。結果として最後の将軍になるべくしてなった人なんだよね。あんまり歴史を知らない人は慶喜は逃げた人だというイメージが強いと思うけど、彼じゃなきゃ大政奉還は実現してないはず。そういった意味でも歴史の流れに逃げずに対峙した人なんだと思う。尊敬に値する。
0投稿日: 2013.03.27
powered by ブクログ別の司馬遼太郎の本で、慶喜は、魅力のない誠意のない人間である、という記述を見ていたので、あまり期待しないで読み始めたが、やはりただ者ではない人物であることは間違いなく、一気に読んでしまった。
1投稿日: 2013.03.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
徳川慶喜ってなんだか不思議な人。従来の慣習に縛られない、実利的、器用、弁が立つ、あんまり野心がない、だけど少し自意識過剰、人情があんまりない。孤高の人っていう感じ。司馬遼太郎がそう述べているように、真に貴族的な人なのかもしれない。
0投稿日: 2013.02.20
powered by ブクログ歴史の教科書では、一瞬で過ぎ去り、単語の暗記としてしか意味をなさなかった出来事を、まるで航空写真のように全体像としてとらえる。ここがおもしろい。 徳川慶喜を日本国内の内戦回避を意識し、幕府側の中心として本人が望んでいなかったにも関わらず、将軍を演じるしかなかったという観点で描いている。 薩長側との政治的やりとりに、後半のスピード感でぐいぐい引き込まれていく。 幕末というのは、幕府、維新政府側、新撰組など、色々な観点からの作品が濃密な時代と言える。
1投稿日: 2013.01.25
powered by ブクログ大政奉還くらいしかイメージになかったけど、実は非常に多才で繊細で、天然な人物だった模様。時代が違えばもっと違った何かを残した人だったかも。中盤以降の展開と描写がちょっと雑に感じられたのは、残念。
0投稿日: 2013.01.09
powered by ブクログ世に言う、徳川慶喜の功績を、 これほどまでにわかりやすく、 尚且つその苦悩の一端を、 感じることができた。 維新とは何だったのか? その大きな歴史の流れを受け入れた男の一生が、見事!
0投稿日: 2013.01.05
powered by ブクログ久しぶりに司馬さんの作品を読んでみた。歴史小説で一番好きなのは幕末物です。 幕末は倒幕側からみると、世直しや革命の成功物語になって、それも痛快なのだけど、旧体制側からの視点では、滅び行く物語になって、これはまた物語の題材としては深みがある。今回の徳川慶喜については、才気溢れる俊才でありながら、滅び行く体制のリーダーという立場を与えられた、極めて興味深い人物。 歴史は然るべき人物に然るべき役割を与えるといいますが、倒幕側に西郷、大久保、桂、竜馬があるならば、まさに徳川慶喜こそあの時代における幕府側の大役者の一人であったでしょう。彼の先を見据えた冷徹なまなざし、独断をもって有無を言わせぬ決断力があればこそ、300年の徳川幕府体制を大きな内乱もなくスムーズに新体制に移行させるという巨大な出来事がなしえた。負けた旧体制側の人間だけに、歴史上の人物としてはそれほど人気が高いとはいえないけど、その果たした役割は決して小さくはなく、その角が立ったキャラクターからも、実は非常に興味深い人物ですね。
1投稿日: 2012.12.25
powered by ブクログ最初は、あんまり面白く無かったけど、物語が進むにつれて面白くなっていく、といった感じ。 政治家を主人公にした小説はあまり無いけど、この小説は本当によく出来ているな、と思いました。 将軍として在位した期間は短かったけど、波瀾万丈な人生を歩んだ慶喜の人生が上手く表現されています。
0投稿日: 2012.12.20
powered by ブクログ将軍慶喜の知らなかった人生を知ることができた。今まで抱いていたイメージとはまったく違う将軍像で、一冊だけど内容の濃い本だった。
0投稿日: 2012.11.24
powered by ブクログ今まで幕末を舞台とした小説で、幕府側の人物を主役にしたものは読もうとしませんでしたが、今回ふと手にとったものがこの本でした。 保守的立場にあるがゆえ、時代の波に取り残されざるを得ないはがゆさ、そして知略の人であるがゆえに己の身の振り方が分かりすぎてしまう孤独。そういった歴史の中の人物、徳川慶喜像が描かれており、歴史の中に生きる意味を考えるきっかけになりました。 これを機に、幕府側からも幕末を見てみたいと思えるような小説でした。
0投稿日: 2012.11.17
