
総合評価
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powered by ブクログそこにあったから借りてきた作品! ワイルドはサロメしか読んだことがないので2作目な感じでした。 おぉ〜めちゃ寓話な感じ〜!!そしてほぼラストで誰か死ぬ!!!死によって締めくくられるお話が多かったというか、みんな死によって完成してるのかな。祝福もらってるもんな。 報われたり報われなかったり、改心したりいろいろ。幸福な王子に収録されているお話よりも、柘榴の家に収録されているお話の方が難しかった! 他の作品も読んでみたいなーと思ったー。 【以下ネタバレ含む感想とお気に入り】 ・幸福な王子 王子、生前はサンスーシで過ごして外の世界を知らなかったのに死後象になってから色々知り、なした行いが偉すぎー!それに結局最後まで付き合う燕もなんでいいやつなんだろう…。見方によっては王子のわがままに付き合わされただけかもしれないけど、こんなに優しい燕なら王子を放って旅に出たら後悔してしまっていたかもしれないよなとおもったり。最後神様に見つかってたから2人であたたかいところで幸せに過ごしてほしい。 ・小夜啼き鳥と薔薇 いい女すぎる…!!!!ただ最後は可哀想。報われないというか、見る目がないというか。バラも学生も見る目なかったね。 私の行く先はエジプトではありません。死の館にまいります。死は眠りの兄弟、そうですよね? ↑幸福な王子の一文!!!かっけー!!!私も死ぬ時、私の館に参りますって言って死にたいかもってちょっと思ったー!!!!笑
1投稿日: 2025.11.17
powered by ブクログどの作品も「死を持って結末を優美に飾る」という特徴があり、他にも「王族を題材にしがち」というワイルドの傾向があるように思える。 聖書の教訓をドラマチックに表現しているようにも見えるし、一方で、キリスト教を間接的に批判しているようにも思えてくる。
0投稿日: 2024.11.27
powered by ブクログ光文社古典新訳文庫です 今回のレビューは長いよ! はい、以前から私、海外文学を読む時に翻訳者の方に注目してみるのも読書の楽しさのひとつになるのでは?ということをのたまっていたわけです で、今回”あの”オスカー・ワイルドを読むぞ!と思い立ち、いつもお世話になっている光文社古典新訳文庫さんを調べてみたところオスカー・ワイルドは四作品ラインナップされていたんですが、これがなんと全て翻訳者さんが違うんですよ! 普通、各出版社さんで海外の作品を刊行する時は一人の作家さんに対して一人の翻訳者さん 多くても二人ってところなんですね それが、四作品全て違うってこれ相当珍しいことなんです そこにはもちろん光文社古典新訳文庫なりの意図があるんだと思うんですが、とりあえずこれはもうその意図を明確にするためにも一気に読んでやろうと 一気に読み比べてやろうと考えたわけです まぁ、読むまでもなくなんとなくそれぞれの作品にあった翻訳者さんなんだろうなとという意図は感じられちゃうんですがw まずは、今さらかもしれませんが、オスカー・ワイルドについて オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(英: Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde、1854年10月16日 - 1900年11月30日)は、アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。 耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学の旗手のように語られる。多彩な文筆活動を行ったが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。(ウィキペディアより引用) 「三島由紀夫が愛した」なんて書くと作風が想像できちゃったりするんですが、そういう意味では由紀夫ちゃんも凄い(ファンに怒られろ) まず、ワイルド自身が非常に多彩ということもあるんですが、光文社古典新訳文庫における作品と翻訳者さんの組み合わせについても見ていきます 『幸福な王子/柘榴の家 』訳:小尾芙佐 小尾芙佐さんの代表作と言えば『アルジャーノンに花束を 』(キイス)ですよね あの感動的な物語は小尾芙佐さんの翻訳あってこそです さらに小尾芙佐さんと言えば、SF翻訳の大御所福島正実さん(わいもずいぶんお世話になりました)のお弟子さんで、基本はSFの翻訳なんです 他にも『われはロボット』(アシモフ)『夏への扉』(ハインライン)『火星のタイム・スリップ』(ディック)など超有名なSF作家の翻訳を手がけています The科学!というようなハードなSFというよりはどちらかというとおとぎ話のようなほんわかしたSFが多いイメージ AとFならFのイメージ(あ、藤子の話ね) 近年は海外の名作と呼ばれるような作品も手がけていて、大胆な意訳でわかりやすさが特徴とわいが勝手に思ってます そしてなんと今作を翻訳されたのは84歳のとき!84歳でまだ現役バリバリしかも「新訳」!すげー 『カンタヴィルの幽霊/スフィンクス 』訳:南條竹則 代表作は『幽霊船』(ミドルトン)『怪談』(ハーン)『インスマスの影 クトゥルー神話傑作選』(ラヴクラフト)など、ゴシックホラーと言われるような「おどろおどろしい」という形容詞がぴったりな作品が並びます ミステリーも手がけていて『黒死荘の殺人』(ディクスン)『ブラウン神父の無心』(チェスタトン)などこちらもちょっとホラーより あえて(だと思う)古くさい表現を多用することで奇怪な雰囲気を醸し出してる気がします そして実は作家としても多くの作品を出していて読んだことはないんですが、不思議な世界観の幻想小説とのことです そして南條竹則さん現在65歳でなお活躍中の大ベテランです 『サロメ』訳:平野啓一郎 はい、ここで来ました芥川賞作家!現代日本の純文学を代表する作家さんです とかいいつつ私未読ですごめんなさい で、平野啓一郎さん翻訳は初出になるのかな?おそらく 皆さん当然知ってる通り『サロメ』は戯曲なんですが、1960年には三島由紀夫の演出で舞台化されてるんですよね(ちなみに『サロメ』を初めて日本に紹介したのは森鴎外) そして平野啓一郎さんと言えば三島由紀夫賞最年少選考委員ですよ!(ここで繋がる!) もう平野啓一郎さんにお願いした光文社が偉い 『ドリアン・グレイの肖像』訳:仁木めぐみ ぜんぜん知らん人 代表作は『死ぬ瞬間の5つの後悔』(ウェア)『僕は人生を巻き戻す』(マーフィー)『見て見ぬふりをする社会』(ヘファーナン)などだそうなんですが、やっぱり全く知らん で、調べてみたらノンフィクション系の翻訳者さんでした 多くは心の奥底に潜む闇みたいなところに焦点をあてたものが多く、精神疾患を抱えた人の実話みたいなんを中心に翻訳されてました もしかしたら大抜擢なのかも うーん、まずやっぱ改めて光文社すげーな!と めっちゃ力入れてるやん 翻訳者さんを見ることでなんとなーくそれぞれの作品の雰囲気みたいなんが見えてきません? 見えてこない?あ、そう はい、じゃあ『幸福な王子/柘榴の家 』のレビュー 童話です!ワイルドが自分の子どもたちに語って聞かせるために作ったとされてるんです(ちなみにワイルドは最初普通に結婚してます) でね、もちろん童話ですから色々と教訓も含まれてるんですが、ワイルドの童話だいたい最後死ぬんよね みんな知ってる『幸福な王子』も王子溶かされるし、燕は冬の寒さに耐えられず死ぬし だいたい最後死ぬ童話、子どもたちに語るなよワイルド、怖ぇーじゃん!て思うんですけど、なんていうか残酷な美しさみたいなんが感じられるんですよね 「死」によって閉じられる物語 でもどんな人生も「死」によって終わるっていうのは、単純な事実で、このことから目を背けないってことも、子どもたちに教えるべき重要なピースなのかなと思ったりしました はい、まずはワイルドの作品の中では割と平穏な作品から入りました 次々行きますよ!
63投稿日: 2024.11.01
powered by ブクログ693 275P オスカーワイルド オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド。アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学の旗手のように語られる。多彩な文筆活動を行ったが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。 幸福な王子/柘榴の家 (光文社古典新訳文庫) by ワイルド、小尾 芙佐 だれだって耳に快いことをいって相手をよろこばせたり、お世辞をいったりすることはできるがね、真の友というものは、ずけずけと不愉快なことをいって、相手に苦痛をあたえようが気にしないものだ。いやいや、ほんとうに真の友ならば、すすんでそうするだろうよ、だって自分はよいことをしているとわかっているんだ おまえは下層階級の出だな。わたしのように身分の高いものは、役に立つというようなことはありえないのさ。すでに十分すぎるくらいの業績というものがあってね。どんな形であれ労働というものには、なんの共感も抱かないね、とりわけ、おまえが 薦めるらしい労働にはね。重労働とは、することがないものたちの単なる逃げ場にすぎないというのがわたしの持論 しかしながら花たちは、蜥蜴たちの態度を、そして鳥たちの態度もたいそう忌み嫌っていた。「まったくなあ」と花たちはいった。「あんなふうにばたばた走りまわったり飛びまわったりするのは、品位をおとすだけだよ。育ちのいいものは、わたしらのように、同じところにじっとすわっているものさ。わたしたちが小道をぴょんぴょん跳ねまわったり、 蜻蛉 を追いかけて芝生を勢いよく走っているところを、見たものはあるまい。わたしたちは気分を変えたいと思えば、庭師を呼ぶ、庭師が別の花壇に連れていってくれるのさ。これこそ品位ある振る舞いで、そうあるべきなんだよ。だが鳥や蜥蜴には静寂を愛する心がない、そもそも鳥たちには、一生定まった住所というものがないのさ。やつらはロマみたいな放浪者なんだから、ロマと同じに扱われてとうぜんだね」そういうと花たちはつんと鼻先を宙に突きだし、いかにも 傲慢 そうな 面 つきになったが、しばらくして、侏儒が芝生からよたよたと起き上がり、 段庭 を横切って、宮殿のほうにいくのを見ると大よろこびだった。 ようやく真実を悟ったとき、かれは烈しい絶望の叫びをあげ床にうちふしてすすり泣いた。できそこないの、背中がまがった、見るもおぞましい奇怪ないきものはおれだった。おれ自身が怪物だったんだ、子どもたちが嘲笑っていたのはおれだったんだ。愛してくれているとおもっていたあのかわいいインファンタ――あのひとも、おれの醜さを嘲笑っていただけ、そしてねじまがったおれの脚をからかっていただけなんだ。どうして森のなかにほうっておいてはくれなかったんだ、こんな忌まわしい姿を映しだすものなんかないところに。父さんはどうしておれを殺してはくれなかった、おれを売って恥をかかせるくらいなら? 熱い涙が頰をつたい、かれは薔薇の花をおもいきりひきちぎってやった。手足をぶざまに投げ出した怪物も同じようにして薄い花びらを宙にまきちらした。そいつは床に 這いつくばり、かれがそいつを見ると、そいつは苦痛で顔をひきつらせてかれを見た。そいつを見なくてすむように、かれは両手で目をふさいで後じさりした。傷ついたもののようにかれは影のなかへ這いこむと、そこに横たわったまま、うめき声をあげた。 星の子はかれらにこう答えた。「ぼくは王さまの息子じゃない、貧しい女乞食の子どもですよ。それになんでぼくのことを美しいなんていうんです、こんな醜い顔をしているのに?」 黄金の花を象嵌した鎧を着て、翼をもつ獅子をいただく兜をかぶった兵士が楯を高くかかげて叫んだ。「美しくないと、わが君はなぜ仰せられるのですか?」 現在ではハンセン病と表記しますが、作品成立当時の時代背景、及び聖書との関連で物語を設定していること等に鑑み、当時の呼称を用いました。これらの差別的表現は、当時の社会的状況と未成熟な人権意識に基づくものですが、それが今日ある人権侵害や差別問題を考える手がかりとなり、ひいては作品の歴史的・文学的価値を尊重することにつながると判断したものです。差別の助長を意図するものではないということを、ご理解ください。 幸福な王子/柘榴の家 (光文社古典新訳文庫) by ワイルド、小尾 芙佐 だれだって耳に快いことをいって相手をよろこばせたり、お世辞をいったりすることはできるがね、真の友というものは、ずけずけと不愉快なことをいって、相手に苦痛をあたえようが気にしないものだ。いやいや、ほんとうに真の友ならば、すすんでそうするだろうよ、だって自分はよいことをしているとわかっているんだ おまえは下層階級の出だな。わたしのように身分の高いものは、役に立つというようなことはありえないのさ。すでに十分すぎるくらいの業績というものがあってね。どんな形であれ労働というものには、なんの共感も抱かないね、とりわけ、おまえが 薦めるらしい労働にはね。重労働とは、することがないものたちの単なる逃げ場にすぎないというのがわたしの持論 しかしながら花たちは、蜥蜴たちの態度を、そして鳥たちの態度もたいそう忌み嫌っていた。「まったくなあ」と花たちはいった。「あんなふうにばたばた走りまわったり飛びまわったりするのは、品位をおとすだけだよ。育ちのいいものは、わたしらのように、同じところにじっとすわっているものさ。わたしたちが小道をぴょんぴょん跳ねまわったり、 蜻蛉 を追いかけて芝生を勢いよく走っているところを、見たものはあるまい。わたしたちは気分を変えたいと思えば、庭師を呼ぶ、庭師が別の花壇に連れていってくれるのさ。これこそ品位ある振る舞いで、そうあるべきなんだよ。だが鳥や蜥蜴には静寂を愛する心がない、そもそも鳥たちには、一生定まった住所というものがないのさ。やつらはロマみたいな放浪者なんだから、ロマと同じに扱われてとうぜんだね」そういうと花たちはつんと鼻先を宙に突きだし、いかにも 傲慢 そうな 面 つきになったが、しばらくして、侏儒が芝生からよたよたと起き上がり、 段庭 を横切って、宮殿のほうにいくのを見ると大よろこびだった。 ようやく真実を悟ったとき、かれは烈しい絶望の叫びをあげ床にうちふしてすすり泣いた。できそこないの、背中がまがった、見るもおぞましい奇怪ないきものはおれだった。おれ自身が怪物だったんだ、子どもたちが嘲笑っていたのはおれだったんだ。愛してくれているとおもっていたあのかわいいインファンタ――あのひとも、おれの醜さを嘲笑っていただけ、そしてねじまがったおれの脚をからかっていただけなんだ。どうして森のなかにほうっておいてはくれなかったんだ、こんな忌まわしい姿を映しだすものなんかないところに。父さんはどうしておれを殺してはくれなかった、おれを売って恥をかかせるくらいなら? 熱い涙が頰をつたい、かれは薔薇の花をおもいきりひきちぎってやった。手足をぶざまに投げ出した怪物も同じようにして薄い花びらを宙にまきちらした。そいつは床に 這いつくばり、かれがそいつを見ると、そいつは苦痛で顔をひきつらせてかれを見た。そいつを見なくてすむように、かれは両手で目をふさいで後じさりした。傷ついたもののようにかれは影のなかへ這いこむと、そこに横たわったまま、うめき声をあげた。 星の子はかれらにこう答えた。「ぼくは王さまの息子じゃない、貧しい女乞食の子どもですよ。それになんでぼくのことを美しいなんていうんです、こんな醜い顔をしているのに?」 黄金の花を象嵌した鎧を着て、翼をもつ獅子をいただく兜をかぶった兵士が楯を高くかかげて叫んだ。「美しくないと、わが君はなぜ仰せられるのですか?」 現在ではハンセン病と表記しますが、作品成立当時の時代背景、及び聖書との関連で物語を設定していること等に鑑み、当時の呼称を用いました。これらの差別的表現は、当時の社会的状況と未成熟な人権意識に基づくものですが、それが今日ある人権侵害や差別問題を考える手がかりとなり、ひいては作品の歴史的・文学的価値を尊重することにつながると判断したものです。差別の助長を意図するものではないということを、ご理解ください。
0投稿日: 2024.10.11
powered by ブクログ確かに大人向けの物語ばかりだ。 他の童話のように教訓めいていない。 利他的に生きても決して報われることはない、唯一の救いが神の祝福を受けること。単純に道徳的でないところがワイルドらしいところかな。
3投稿日: 2024.05.18
powered by ブクログ幸福な王子ってどんな話だったっけ?と思い読み返しました。 何故か悲しい話が多かったです。 星の子は最後ハッピーだったので救われた気分です。
0投稿日: 2022.11.17
powered by ブクログオスカー・ワイルドの短編集、道徳的な訓話で終わらずに一捻りあるのがワイルドならではといったところか。完全な純真であったり、わがままであったりした人物が最後に報われたり、罰せられたりするわけでもなく、無意味に近い形で終わることもある。星の子のように最後は報われる話はあるものの、それでもやはり無意味に終わりそうなところもあり、必ずしも道徳的な話にはなっていない。 とはいえ、ドリアングレイの肖像なんかに比べるとやや魅力は落ちるかなとは思う。
0投稿日: 2021.10.30
powered by ブクログ幸福の王子は、子ども時代の童話として知っていたのだけど、図書館で何気なくめくってみたらツバメが葦に恋するシーンがきゃわいすぎて発作的にかりてきてしまい、改めてきちんと読んでみた結果、泣いてしまいまして、、 こんなに風刺的なお話だったんだなぁという発見がありました。知らなかった。オスカーワイルドについてもっと知りたくなりました。
0投稿日: 2021.10.24
powered by ブクログ大人向け童話、なのかな。 ちょっと切ない片思いみたいな。 ツバメの話も、鳥と薔薇の話も、、 むかーし、読んだことはあるけど大人になって読み返すと切なさ倍増。酷いなと。でも本当の愛、ととらえてもいいのかも。 全部読み切れなく、返却2019/8月
0投稿日: 2019.08.21
powered by ブクログ西村孝次訳で慣れ親しんできたワイルドの童話、今回小尾芙佐訳で読んでみたけど、なかなか良かった。 ワイルドの童話、というより小説も含めてワイルドの文章はやたらに装飾が多い。 その割にはゴテゴテしてなくて、モノクロの映画か影絵芝居を見ているような気にさせられる。
0投稿日: 2017.06.21
