
総合評価
(2件)| 0 | ||
| 0 | ||
| 0 | ||
| 0 | ||
| 1 |
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
本書のいちばんの主張はサブタイトルにあるように、片手で読む江戸の絵──つまり「春画=自慰のオカズ」説である。いや、それならそれで良いのだけれど、スクリーチさんは研究者なのであるから、ちゃんと説得力がある形で論証してほしい〜。これだと自分の直観に従って恣意的に証拠を拾い上げた、衒学的な雑文としか思えんのよ。(実際、雑文だったらしいけど。結びの文で「私のこのスケッチ」と表現されているところを見ると。冒頭に書いてくれ。) 文庫版まえがきにはこうある。 「私がとりそこねた視点に、一冊の艶本全体を絵の一連続体として考える視点があった。春画は一枚ずつバラでではなく、揃いものとして板行されたはずだからである。画面に書きこまれた書き入れ詞にもっと目を注ぐべしと言われれば、それもその通りであろう。」 まさにその通り。表現物ってどういう形式で出たか、それ大事。享受され方と密接な関係がありますものね。それをスルーってまずくない? おまけに絵と文で成り立っているメディアなのに、絵だけ取り出して論評しちゃうって、どゆこと? つい感情的な言葉遣いをしてしまったけど、以下のようなことも書かれているので、ムチャクチャ腹が立つのだ。 「江戸のセクシュアリティを理解しようとすれば、絵を見て人々が現実にやっていたことの正確な記録だと思うようではいけない。」 まさにその通りで、異論ない。でも、スクリーチ先生は本書の中で、自ら浮世絵の内容を自慰のオカズ説の傍証として使ってしまわれるのだった。いや、その絵って、エロのための涙ぐましい工夫を笑うところだから、ネタですから、"現実にやっていたことの正確な記録"じゃないんだから、証拠に使わないで。そして他方では、現実は絵の通りではないと繰り返し、描かれた図像を自分の思いたい通りに解釈して見せるのである。なんかもう〜信じられなあい! そもそも本書を手に取ったのは、わが国屈指の在野の春画研究者・白倉敬彦氏が自著の中でスクリーチ氏の説を全面否定していたからで、逆に興味を持ったのだ。意見が対立しているときは両方の言い分を聞いた方がいいよね、スクリーチ氏にも三分の理ぐらいはあるんじゃないのかなと期待した。しかし…期待は潰えた。 「鯨のめざましい潮吹き現象を見て射精を連想しない方が難しいし」…って、スクリーチ氏はいったいどこまで性的な暗喩に還元しないと気が済まないのであろうか。もうお腹いっぱいです。
0投稿日: 2025.10.02
powered by ブクログやはり本書でも全裸の描写はほとんど無いと。肉体の描写は関節、脂肪などほとんど簡略化され、目的の箇所以外の細密な書き込みは無い⁇
0投稿日: 2011.01.28
