
総合評価
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powered by ブクログ最近「武士道」また再読して、この本は日本の宗教的なところが分かる本だろうけど、どの国にも科学が出来る前の神話とか宗教が存在して、それとその国を完全に切り離すことは他の国を見ても完全には出来ないように思うんだよね。 アメリカも若者が教会に通う人が少なくなったみたいに言われるけど、神話とか宗教ってその土地に合ってて、長年風化されなかったからそれなりの真実があると思うんだよね。例えば日本の神道って2000年も風化されてないってことは一面の真理が無きゃ残らないと思うんだよね。理屈じゃない不思議な部分ってどの国もあるし。それに向き合わないって自分を苦しめることに繋がる気がする。 新渡戸稲造 1862~1933。農学者・教育者・思想家。盛岡藩(岩手県)出身。札幌農学校在学中にキリスト教から大きな影響を受ける。米・独への留学の後、農学校に戻り教授を務めたが体調を崩し米国で療養。その際に本書『武士道』を英文で書き上げ国際的に評価を得る。その後、東京帝国大学教授、東京女子大学学長などを歴任。国際連盟設立の際には事務局次長を務め、世界平和のために尽くした 新装版 武士道 by 新渡戸 稲造、岬 龍一郎 武士道は、日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の 華 である。それはわが国の歴史の標本室に保存されているような古めかしい道徳ではない。いまなお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている。たとえ具体的な形はとらなくとも道徳的な 薫りをまわりに 漂わせ、私たちをいまなお惹きつけ、強い影響下にあることを教えてくれる。 まずは仏教から論じよう。仏教は武士道に運命を穏やかに受け入れ、運命に静かに従う心をあたえた。それは危難や 惨禍 に際して、常に心を平静に保つことであり、生に執着せず、死と親しむことであった。 神道の理論にはキリスト教でいうところの「原罪」という教義はない。むしろ逆に、人間の魂の生来の善良さと神にも似た純粋さを信じ、魂を神の意志が宿る至聖所として 崇めている。神社に 詣でる者は誰もがすぐに、その礼拝の対象物や装飾的道具がきわめて少ないことに気づくだろう。奥殿に掲げられている一枚の鏡だけが主要なものであるからだ。 そして神道の自然崇拝は、われわれに心の底から国土を 慕わせ、祖先崇拝はそれをたどっていくことで皇室を国民全体の祖としたのである。私たちにとって国土とは、金を採掘し、穀物を収穫する土地以上のものである。そこは先祖の霊の神聖な 住処 である。それゆえに私たちにとって天皇とは、法治国家の長、あるいは文化国家の単なる保護者ではなく、それ以上の存在となる。いうなれば天皇は地上における天の代表者であり、その人格の中に天の力と慈悲とを融合しているのである。 英国の王室について、ブートミー(フランスの教育者)は「それは権威を表すだけでなく、国民統合の創始者にして象徴でもある( 注二)」といっているが、それが本当だとするならば、私はそれに賛同する者であり、このことは日本の皇室においては二倍にも三倍にも強調すべきことである。 加えて孔子についで孟子の教えは、さらに武士道に大いなる権威をもたらした。孟子の強烈で、ときには極めて民主的な理論は、気概や思いやりのある性質の人には特に好かれた。だがその理論は、一面、封建的な秩序社会を 覆す危険思想とも受け取られ、彼の書物は長い間、禁書とされた。にもかかわらず、この優れた思想家の言葉は、サムライの心の中に不変の位置を占めていったのである。 あるいはまた三浦梅園などは、学問を青臭い野菜にたとえ、「青菜はその青臭さを取り除くために何度も 茹でなければならない。少ししか読書をしない者は少し学者くさく、大いに読書している者はさらに学者くさく、どちらも同じように困りものである」といった。梅園がいおうとした真意は、知識というものは、これを学ぶ者が心に同化させ、その人の品性に表れて初めて真の知識となる、ということである。だから知的専門家は単なる機械だとみられた。要するに知性は行動として表われる道徳的行為に従属するものと考えられたのである。 人の世におけるすべての立派な職業の中で、商業ほど武士とかけ離れたものはなかった。商業は士農工商の職業分類上でもっとも下の地位に置かれていた。武士はその所得を土地から得ていたし、その気になれば素人農業に従事することもできた。だが、銭の勘定ごとと 算盤 は徹底的に嫌っていた。 私たちは、なぜこのような配慮がなされたのかを知っている。それはモンテスキューが明らかにしているように、貴族を商業から遠ざけておくことは、富が権力者に集中することを防ぐための誉められるべき政策だったからである。権力と富の分離は、富の分配をより公平に近づけることに役だった。『西ローマ帝国最後の時代』の著者であるディル教授は、ローマ帝国衰亡の原因が、貴族が商業に従事することを許し、その結果、少数の元老の家系が富と権力を独占したことによって生じたことを教えてくれている。 そのために彼らは取り返しのつかないような大失敗を招き、その運命は泣いても泣ききれず、同情するにもしきれなかったほどだった。アメリカのような産業国家でも、実業家の八〇パーセントが失敗するとあっては、〝士族の商法〟として手を染めたサムライのうちの百人に一人だけが成功したとしても、なんの不思議もないのである。武士道の道徳律を事業の運営に試みようとして、どれほど多くの資産が消滅したかを確かめられるためには、まだ時間がかかるだろう。だが、注意深い者なら誰もが、富の道が名誉の道ではないことはすぐにわかった。それでは、この二つの道はどういう点で違っていた スペンサーの見解によれば、政治的服従、すなわち忠義は、過渡的な機能をあたえられたに過ぎないことになる( 注三)。私もこの見解を知らないわけではない。おそらくそうだろう。一日の徳は、その一日だけで十分である。私たちは満ち足りた思いでそれを一日一日繰り返すだろう。とくに私たち日本人にとってその日というのは長い期間である。「さざれ石の 巌 となりて、 苔 のむすまで」というわが国の国歌の一節を信じているように。 サムライにとってすぐに感情を顔に出すのは男らしくないとされた。「喜怒を色に表さず」というのは立派な人物を評するときに使われる 常套句 である。そこではもっとも自然な愛情も抑制された。父親が息子を抱くのは、威厳を損なうことだと考えられた。あるいは夫は妻に、自室ならともかく、人前ではキスをしなかった。ある機知に富んだ青年が、「アメリカ人の夫は、人前では妻にキスするが私室では打つ。しかし日本人の夫は、人前で妻を打って、私室ではキスをする」といったが、この比喩には一面の真実があるだろう。 「日本人以上に忠実で愛国的な国民がほかにいるだろうか」とは、このとき世界の多くの人々が発した問いであるが、私は誇りをもって「否」と答えることができる。その意味でも私たちは武士道に感謝しなければならない。 しかしながら、その反面、私たち日本人の欠点や短所もまた、大いに武士道に責任があることも認めなければ、公平さを欠くであろう。たとえば、すでにわが国の若い人の中には、科学分野では国際的な名声を得ている人がいるというのに、深遠な哲学の分野では誰もまだ偉業を達成した人はいない。この原因は武士道の訓育にあっては形而上学的な思考訓練がおろそかにされていたからである。また、日本人の過度に感じやすく、激しやすい性質についても、私たちの名誉心にその責任がある。そして外国人からよく指摘されるような「日本人は尊大な自負心をもっている」という言葉も、これもまた名誉心の病的な行き過ぎによる結果であるといえる。 新渡戸『武士道』を読んで、私は自分の浅学を恥じた。この本は、けっして古めかしい道徳を語っているわけでも、封建制度の因習を記したものでもなかった。むしろそれは、現在のわれわれがなくしてしまった「日本人の伝統的精神」といったものが格調高く書かれてあり、人間としての普遍的な倫理観を内包した本だったからである。 それにしても、なぜ私は数ある武士道関連の本のなかで、新渡戸稲造の『武士道』に興味をもったのか。 その理由は、著者である新渡戸稲造という人が、明治から昭和初期における 真摯 な教育者であり、しかも熱心なキリスト教徒であり、国際親善の使徒として活躍した人であったということだ。そういう人が、なぜ、封建的な精神と思われる武士道を改めて書いたのか、と……。 どう考えても、武士道とキリスト教では違和感があった。しかも、この本は、原題を『Bushido──The Soul of Japan』といい、明治三十二年(一八九九年)、アメリカから英文で発刊されたものであったのだ。なぜ、あえて英文で書かれたのか。この二つの「なぜ」が、私に『武士道』を読ませた最大の理由だったといえる。
0投稿日: 2024.08.19
powered by ブクログ元々英語で書かれた本であることも知らなかった。彼がキリスト教徒であることも知らなかった。(全く無知) 読後の感想はうまくつぶやけないけど、正しいこととは何かを考えて行動しなきゃいかんことは改めて感じた。できていなかったこともいっぱいある。
1投稿日: 2012.09.15
powered by ブクログ小宮一慶先生著書からのリファレンス。全然、想像していた内容と違っていた。ノルマン人支配下のイギリス、ウィルヘルム二世配下のドイツ、はたまたギリシア神話にいたるまで深い欧米の歴史に関する知見をして、飽くまで武士道の輪郭を客観的に浮き立たせていきます。この書籍の序文が書かれた1899年の約10年前、新渡戸博士はベルギーの法学者ド・ラブレー氏と数日過ごした折、日本の学校に宗教教育がないことに驚かれてしまう経験があり、以降の葛藤が本書著作のきっかけであったと述べられています。 これが誰に当てられた著作であったか。そう思いを巡らせてみれば、他ならぬ日本人であることに理解を得ながら世界に出ることを求められる我々に、後輩への愛情を込めてあてられたものだと確信してしまう内容でした。
0投稿日: 2012.04.01
