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仏教と民俗 仏教民俗学入門
仏教と民俗 仏教民俗学入門
五来重/KADOKAWA
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総合評価

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    「仏教と民俗 仏教民俗学入門 (角川ソフィア文庫)」 要約 (抜粋に基づく) 主要ポイント(箇条書き) 仏教民俗学への招待: 本書は、「仏教民俗学」という学問領域への入門書として、日本人の信仰や文化のあり方を「仏教」と「民俗」という二つの重要な側面から読み解こうとする試みである。単に仏教の教義や歴史、寺院組織を研究するのではなく、仏教が日本の庶民の生活の中にどのように受容され、土着の信仰や習俗(=民俗)と複雑に混淆し、あるいは変容を遂げてきたのか、また逆に、日本古来の民俗信仰が仏教のあり方にどのような影響を与えてきたのかを、具体的な事例を通して探求する。この分野の体系化に大きく貢献した五来重氏の視点を踏まえ、日本文化の基層にあるものを理解することを目的とする。 「俗信」と「迷信」の弁別、そして仏教との距離: 民衆の生活世界に根付く様々な信仰や習わしには、社会的にある程度容認されている「俗信(ぞくしん)」と、非合理的で反社会的な要素を持つとされる「迷信(めいしん)」がある。仏教の布教現場では、日柄や方角の吉凶を占ったり、民間信仰に基づく呪術的な祈祷を行ったりすることは、本来の仏教の教えとは異なる「俗信」として問題視されることがある。しかし本書では、むしろ形骸化し権威主義的になった宗教こそが「迷信」ではないか、という批判的な視点も提示する。葬儀の際に見られる逆さ屏風、枕元の剃刀、一本箸を立てたご飯といった習俗は、仏典に直接的な根拠が見出せなくとも、仏教伝来以前から日本民族が持っていた固有の霊魂観や死生観に基づく「俗信」として尊重されるべきであり、これを安易に否定することは庶民信仰の根幹を揺るがしかねないと警鐘を鳴らす。お盆や彼岸といった現在では仏教行事として定着しているものも、その根底には日本古来の祖霊信仰という民俗的基盤が存在し、それなしには成立し得なかった可能性を示唆する。 寺院の役割とその歴史的変遷: 古代日本の寺院は、単なる宗教儀礼の場であるだけでなく、学問研究の中心地、すなわち「大学」としての重要な機能も担っていた。僧侶が起居し学んだ**僧房(そうぼう)**の建築様式には、講義を行うための工夫など、その名残が見られる。しかし、平安時代に入ると、僧侶が寺院の境内から離れた場所に私的な住まい(別坊(べっぽう))を構える傾向が強まり、寺院の学問機関としての性格は次第に薄れていく。空海が壮大な教育構想のもとに開いた高野山金剛峯寺も、後には多くの弟子がそれぞれの師の坊(子院)に分宿して指導を受けるイギリスの大学のようなチューター制度に近い形態へと変化し、教学よりも寺領経営などが重視される中で、当初の理想は挫折したとされる。学問を専門とする「学侶」と、勧進や造営など実務を担った無学の僧(**夏衆(げしゅう)、品囚(ほんじゅう)**など)との間に対立が生じ、学問が軽視される風潮が強まったことも記録されている(例:裳切騒動)。 年中行事にみる共同体と信仰: かつての年中行事は、村落共同体の安全と豊穣を祈願する共同祭祀としての性格が濃厚であった。時代が下り、個々の家々で行われる祭りへとその中心が移っても、祭りの期日や祀られる神仏、供物などの様式には共通性が維持され、共同体の絆を確認する役割を果たしてきた。しかし現代においては、特に若い世代の僧侶たちが、仏教由来とされる年中行事に対しても、その儀礼の煩雑さや意味の不明瞭さ、非合理性を理由に消極的な態度を示すことがある。これは、ある意味で合理的な判断かもしれないが、同時に地域社会との繋がりや布教の重要な機会を失っている可能性もあると本書は指摘する。 「鬼」のイメージの重層性と民俗的展開: 日本の祭礼や伝承に登場する「鬼」は、多様で重層的なイメージを持つ存在である。悪霊払いの呪術的な儀式が起源とも考えられる「鬼踊り(鬼走り)」や、年越しの儀礼に現れる先祖の霊の表象としての「節分の鬼」(『徒然草』の記述などに基づく解釈)といった民俗的な鬼の系譜が存在する。仏教伝来後は、仏教的世界観の中で地獄の獄卒(牛頭・馬頭など)として恐ろしい姿で描かれ、人々に浄土への憧憬を促すための方便として用いられた(ただし、その本地は地蔵菩薩や閻魔大王の眷属とされることもある)。また、三河地方の「花祭」における鬼は、単なる悪鬼ではなく、祖霊や山の神の化身として登場し、豊穣や無病息災をもたらす神聖な存在として崇敬される。疫病神を送る儀礼などで用いられた鬼の面が、各地の鬼踊りへと発展していった可能性も考察される。 仏教を民衆に届けた人々:遍歴する宗教者たち: 仏教が一部の知識層だけでなく、広く庶民の間に浸透していく過程において、特定の寺院に定住せず、諸国を遍歴した多様な宗教者たちが極めて重要な役割を果たした。中世には「勧進坊」や「道心坊」と呼ばれる半僧半俗の遊行者や芸能者たちが、踊り念仏などを通じて分かりやすく仏の教えを説き広めた(越中地方の民謡「ちょんがれ」などにもその影響が見られる)。平安末期から鎌倉時代にかけては、高野聖(こうやひじり)と呼ばれる勧進活動を行う集団、融通念仏の祖である大原の良忍、念仏札(お札)を配り歩いた一遍上人、踊り念仏や狂言を取り入れて民衆の教化に努めた道誉聖人などが活躍した。さらに、熊野比丘尼(くまのびくに)や遊女といった女性の宗教者たちも、各地を巡りながら説法や芸能を通じて信仰を伝えたことが知られている。 仏壇と祖先崇拝:日本的仏教の象徴: 家庭の中に設けられる「仏壇」は、仏教信仰と日本固有の祖先崇拝とが融合して生まれた、日本的仏教を象徴する空間である(特に浄土真宗において立派な仏壇が多い背景には、教化の浸透度や寺院の成立史も関わる)。その起源は、古代寺院建築における仏像を安置するための厨子(ずし)や、遊行聖などが笈(おい)に入れて持ち歩いた携帯仏にまで遡るが、在家信者が自宅の仏間に本尊(絵像や掛け軸の名号本尊も後に登場)を祀る「お内仏(おうちぶつ)」の習慣が庶民の間に広まる中で定着したと考えられる。仏教本来の要素ではない位牌が仏壇の中心に祀られるようになったのは、死者の魂を家の外(墓など)と家の内(仏壇)の両方で供養するという、日本独自の重層的な祖先祭祀のあり方を反映している。 巡礼・勧進にみる庶民信仰のエネルギー: 西国三十三所や四国八十八箇所などの霊場巡礼は、庶民にとって日々の厳しい労働や苦しみから一時的に解放され、聖なる空間に触れる非日常的な旅であり、娯楽としての側面も持っていた。また、寺院の新築や修復、仏像の造立などのための費用を広く一般から募る「勧進(かんじん)」活動は、奈良時代の高僧・行基の活動にも見られるように古くから行われ、庶民が仏教事業に直接関与する重要な契機となった。平安中期以降は在地領主層からの寄進も増え、歌人として名高い西行のような人物も勧進に関わったとされる。人々が功徳を積むために、小さな仏像や経文を数多く制作・奉納する「多数作善」の信仰も広まり、印仏(粘土などで型押しした小仏像)や木製塔婆などが各地に残されている。 多様な民俗信仰と仏教の習合: 古代から病気や災厄を祓うために用いられてきた人形(ひとがた)を用いた呪術的な習俗は、村境や辻に立てられ境界を守るとされる道祖神や塞神(さえのかみ)、あるいは辻地蔵、六地蔵といった路傍の石仏信仰の基層にも影響を与えている可能性がある。農耕や運搬、武士の乗り物として、古来より人間の生活に不可欠であった馬への信仰は、家畜守護や交通安全の仏とされる馬頭観音信仰や、願い事を託して神社仏閣に奉納される「絵馬」の習俗(元々は生きた馬を奉納していた)として、仏教と深く習合した。険しい山々での修行(修験道)を通じて心身を鍛え、超自然的な力を得ようとする山岳信仰は、日本人の自然観や死生観の根底にあり、仏教とも密接に結びつきながら、庶民信仰の重要な基盤を形成してきた。

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    投稿日: 2025.04.21
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    歴史と言う学問上で語られる我が国の文化は常に外からの影響により変化してきたと言う思い込みで成り立っている。が、その認識に否定ではなく抗う術を提供してくれているのが、本書の骨子だと思った。また文化と宗教と政治の絡みかたについても細やかながら暗示しておられる箇所が有り好感が持てる◎明治維新と言う、政治の暴挙を受け、世界大戦でグチャグチャにされている我が国の心の文化を改めて整理したい欲求に駆られる書籍

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    投稿日: 2021.02.07
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    1970年代に角川選書で刊行された同書名の文庫化。 思想としての仏教と、民俗、つまり慣習としての仏教との間に違いがあることは、なんとなく理解していても、意識化していない。 例えば、墓地に葬り墓を建て、家にも仏壇を設け、位牌を置く。当たり前だと思い続けてきた「両墓」が、仏教伝来以前の祖先崇拝によるという指摘は、とても新鮮だった。 この時代に進められていた既存宗教教団の、仏教の本来の思想としての布教活動を、祖先崇拝を時代遅れと切り捨てていることの、その危うさを著者は警告していた。時代が過ぎて、皮肉にも、結果は真逆で、多くの仏教者は、墓守と化してしまった。それだけ、日本民俗の祖先崇拝の根は、深いということか? そう、仏教が新思想としてもたらした時に、祖先崇拝を取り込んで、大衆への布教成に功したように思えたはずが、逆に大衆に飲み込まれてしまったように。 形は何であれ、個として今を生きる上で、生を終える不安、死との直面した時の動転、生きる上で積み重ねてきた小さな嘘や生き物を殺めてきた罪意識、これらの浄化(生きる上での過去清算)をどうするかは、時代ごとに形は変わっても、通時的には、祖先を祀るということで、済ませてきている。その遺伝子レベルでの説明のつかない行動の大きさは地下のマグマのようで制御不能ということか? そこに、例えば、なんでもありの日本人的いい加減さ、すべてを水に流す危うさがある。それが、祖先崇拝の象徴として天皇制に結び付き、国家としての集団意識となったときに、ヒステリックな暴力となる、というのは丸山真男の指摘通りかもしれない。 一方で、祭りを支えるムラの崩壊により、祖先崇拝を執り行う仕組みそのものが喪失し、意味を失った上での、イベント化(茶番劇)が何をもたらすのか? そこにつけ込む、歴史の歪曲と単純化という流れが現在の日本の状況だろう(日本のみならず、民俗主義の台頭という意味でより広範な共時な状況かもしれないが)。それへの批判という意味でも、再評価したい一書だ。 蛇足ながら、著者の五来重は、茨城県の出自。あとがきに、加波山禅定の一文が散見される。郷土の偉人としても再評すべき人物だ。

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    投稿日: 2018.01.27
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    五来重さんの本は初めてだ。この人も柳田國男に触発されて民俗学に入ったクチらしい(日本の民俗学者はみんなそうかもしれないが)。 とても平易な語り口で、特に最初の章はごく簡単なエッセイの羅列のようだったが、途中から宗教民俗学的な知識が出てくる。 しかしどの項目も短すぎて、まとまった知が得られない歯がゆさを感じた。 山伏、修験道あたりについてもうちょっと知りたかったのだけど・・・。

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    投稿日: 2012.04.28