
総合評価
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powered by ブクログ先に読んだ『民主と愛国』に記録されていた、小熊の父の戦争体験シベリア抑留記である。謙二は終戦間近に召集されたが、ほぼ丸腰で満州に送られ、実際の戦闘を体験することなく、終戦後シベリアの収容所で過酷な労働に従事させられた。謙二の語り口が極めてあっさりとしていて、想像を絶する艱難辛苦も、「まあそんなもんだと思っていた亅と語られる。抑留から解放されて、彼自身も彼の家族も次々と苦難に見舞われるが、親族や友人の助けを借りて何とか生き延びる。その後、日本の経済発展に乗じて会社経営者となるも、自らの才覚を誇るでなくそういう時代の流れに乗っただけだと謙遜する。一線から退いて行ったのは、日本の戦後補償の枠組みから外された韓国人の補償請求裁判だった。一通り読み通して、まさにこれは昭和〜平成を生きた一人の日本人の他に例を見ない雄弁な記録であると思った。
0投稿日: 2025.02.13
powered by ブクログ著者の父親を題材として、オーラルヒストリーの手法をとって戦前、戦後の日本の歴史を知識層ではない層から見たものとして記述。 中国派兵、シベリヤ抑留の後に日本に帰国して結核で片肺を失いながらも運と時勢をつかんでき、戦争時の体験をベースに元日本植民地の徴兵後の保証に関する社会運動に晩年は携わる。時代にほんろうされつつも生きる逞しさおよび世の中の流れを社会学者としてわかりやすく背景描写を重ねている一級の資料。
0投稿日: 2024.05.23
powered by ブクログ古本屋で何気なく手にして読み始めた。 小熊英二が社会学の英知を傾けて描いた父親の『自分史』である。社会状況や経験した事実を丹念に聴き取り丁寧に書いている、視点や文調が独特で新鮮だ。 戦争に明け暮れた昭和の混乱期、逆境を這いながら地道に生きた父親の人生を口承で辿った一人息子の計らいに共感を持って読むことができた。 小熊謙二の自分史であると同時に、日本が太平洋戦争に向かう時期から、敗戦、戦後の高度成長へ、そして現在までの推移を、一国民の目を通して語り表現した『社会史』でもある。 彼は敗色濃い満州に徴兵され、敗戦になり捕虜でシベリアに抑留され、帰国して結核で隔離病棟生活を経てスポーツ用品店の経営者となり、結婚し四人家族の長男に死なれ、残った一人息子の英二を育てる。 貧困と不運が重なり、人に迷惑をかけず補償など国には頼らず、波乱のなかを実直に生きた父の生涯を感情を抑えて冷静に描写している。 あの時代を生きた生活者への讃歌である。 小林秀雄賞の受賞は宜なるかなであり、自分も星五つの評価をした。 読みながら、地方の没落家系に育ち大企業の技術者から出征後零細事業者になり、妻や祖母と貧困に苦労し一人の娘を失い、事業税を払い続け軍人恩給の受給を拒み、子供たちを大学まで出した自分の父の切実な人生を思い胸を締め付けられた。
0投稿日: 2024.02.06
powered by ブクログ戦前・戦中・戦後を生きた一人の国民の人生を、それぞれの時代の社会背景を交えながら綴った歴史書であると言える。 記述の対象は、小熊英二先生の父親である小熊謙二氏。 先の戦争に学徒兵として徴兵され、満州にて終戦を迎える。その後、ソ連軍の捕虜となってシベリアに3年間抑留された。 帰国後もなかなか安定した生活基盤を築くことができず、「死の病」と言われた結核にかかるなど、不運は続く。 サナトリウムからの退所後、職を転々とする中でスポーツ用品の販売会社に就職し、サラリーマン生活を送る。 結婚し子をもうけ、「一億総中流」の日本社会の一員として戦後日本を生きることになる。 こう要約してみるとなかなか分かりにくいが、興味深く戦後史を学ぶことができる良書だと思います。 分量が多く、読み応えあり。
0投稿日: 2024.01.31
powered by ブクログとある一人のシベリア抑留者がたどった人生の軌跡から、著者の父(小熊謙二)へのインタビュ-を通して、戦前から戦後の生活模様や世相を浮き彫りにしたドキュメンタリ-。▷サイパン陥落後、東条内閣が倒れたが「背景の情報はないし、何も分からなかった」▷最初の冬は飢えと寒さの闘いだったが、二年目からは少しずつ別の苦痛、捕虜たちの間で、共産主義思想に基づいてお互いを糾弾する民主運動が始まった。「母上様お元気ですか。私もしごく元気で、スタ-リン大元帥の温かいご配慮のもと、何不自由ない毎日を過ごしています...」
7投稿日: 2023.07.12
powered by ブクログ・いわゆる学徒兵や将校など、中産層ではなく、都市下層の商業者という「庶民」の視点から、淡々と当時のシベリア抑留を起点とした戦争体験が描かれている。 過剰かつ感傷的な表現が少なく、全体がとても読みやすい文章で描かれており、当時の日本軍や戦争に対するある意味「冷めた」感情もまた、当時のリアルの一側面なのだろうと感じた。 ・時代を経ていくごとにいわゆる高度経済成長の波に乗り変化する筆者の生活に、 当時の社会全体の「希望」を感じた。 ・・その延長線上にある現代日本は若者が「希望」を持てる国になっているか?果たして信義をもって人権を尊重する国になっているだろうか。 そんな疑問を持ちつつ、読み終えた。
0投稿日: 2023.06.30
powered by ブクログある一般市民がどのように戦争に巻き込まれ、戦後を生きたか記録されている。 戦時に始まり、シベリア抑留から帰国するところで終わる本だと思っていたが、彼の両親・祖父母がどのように暮らしていたかから丁寧に紐解かれ、彼がどのようにして徴兵されたか、戦後どのように生計を立て、引退後の生活をどのように過ごしたかが克明に記録される。 いままでわたしが触れてきた戦争について描かれている媒体では、戦争中の悲惨なエピソード、玉音放送を聴いて打ちひしがれる国民、という描写に留まるものが多かった。本書を読んで、一般的な市民にとっては、戦争が終わっても、無事生き残っても、必死の思いで生還しても、特に金銭的・物理的な救いがあったわけでもなく、ただ単に戦後の貧しい暮らしが続くだけだったということがわかった。 あとがきにもあるように、個人の体験を残すのはその体験を文章に残すことができる高学歴の者によることが多いから、こんなに素朴というか、「下の下」の人の戦争体験は初めてだった。 あの戦争で国民の日々の暮らしは否応なく変わり、命を失った人までいたにも関わらず、力のある者が声を上げ続けない限り国が補償を行わなかったというのはショックだった。 そしてまた、謙二による裁判での陳述は胸に迫るものがあった。何も間違ったことは言っていないのに、それにもかかわらず請求棄却されたということが、日本人として本当に残念だと感じた。 わたしの祖父母は戦争について語りたがらなかった。わたしの祖父母にも、本書で記録されているような、祖父母たち固有の歴史があると思う。聞くことができなかったのが惜しい。 「昔は水族館だったというアパート」という描写が気になった。
0投稿日: 2022.05.21
powered by ブクログ時系列が行ったり来たりするので第一章で挫けましたが、少し時間が経ってから何も考えずに開くと読めました。この一冊を参考に他の昭和を題材にした本を読むと面白いと思います。
0投稿日: 2022.03.09
powered by ブクログ著者の父である小熊謙二に対し、2013年5月から12月に行われた聞き取りからなる民衆史・生活史であり、出版時点で89歳の謙二氏の来歴を辿るものである。タイトルからすれば戦争体験に焦点を当てた内容を予想させられるだろう。戦争・捕虜体験も本書の重要な要素ではあるのだが、約380ページのうちその時期に該当するのは第2章から4章の全体の三割弱であり、けっして戦争体験だけを切り取る意図で綴られたものではない。戦前と戦後から高度経済成長にいたるまでの日本の社会や風俗を、自らを「下の下」と称する謙二氏の記憶を通して鮮やかに映し出す。 戦争に関する一人の兵士の記録を期待していたが、早い段階でそのような著書ではないことに気付いた。だからといって当てが外れて裏切られたかといえば全くそんなことはなく、謙二氏が入営するまでの家族の来歴や庶民生活を読んだ時点でも期待以上で、戦争にまつわる情報だけを得たいという意識は早々に薄れた。とくに戦記ということに関しては、戦争末期の1944年11月に召集された謙二氏には実戦の機会は一度もなく、当人が言うようにシベリアに抑留されるためだけに満州に送りこまれたような結果となっており、明らかに戦記を期待するような読者に向けられた内容ではないため、その点は改めて注意したい。 あとがきにあるように、高学歴中産層による各種の記録は多く残されていても、著者の父のように貧しく学歴もコネもない民衆による記録を読む機会は限られており、あったとしても短い証言を集成したアンソロジーのようなもので、一生涯を貫くまとまった形の生活史は貴重ではないだろうか。本書は一人の名もない平凡な民衆が見た、昭和元年から戦争を経て豊かな時代に至る日本社会を知る格好の内容である。謙二氏の記憶と比較すれば、一般に知られている個々の時代の日本社会の様子は、やはり高学歴であったり公的組織や大企業に属する人々の「高い」視点からもたらされた偏ったものだと改めて思わずにいられない。 著者自身が指摘しているとおり、何といっても謙二氏が終始淡々としており、思い入れによってフェアな視点を崩されることがないうえに、優れた洞察力と記憶力を兼ね備えた人物であることが本書に資するところが非常に大きい。そのような人物は先述の通り、往々にして高い立場にあったり学歴を備えているケースが多く、結果的に地に足のついた民衆の視点から社会を見渡したような記録は残りにくいはずだが、謙二氏の人間性によって本書ではそのことが可能となっている。そんな謙二氏の視点で語られる80年ほどの日本社会を身近に感じ、抑留と結核療養でフイにした20代の十年間も、その後の高度成長期を背景にした仕事や家庭生活の様子にも強く引きつけられた。 生涯を語るということでは多くの伝記作品などが残されているが、功績が偉大すぎたり、環境の隔たりの大きさによって、結局は別世界の人間のお話だと鼻白むことが少なくなかった。その意味で本書は伝記作品の対極に位置する。語り手はあくまで一人の民衆であり、違う時代にありえた等身大の自分としてまさに身近に感じることができた。偶然から、私が求めていた生活史に出会えたという思いである。
10投稿日: 2021.08.09
powered by ブクログ著者の父で、「立川スポーツ」創業者・経営者でもあった小熊謙二の戦争体験・戦後の生活史体験の聞き取りの記録。1925年生まれの小熊謙二は、北海道・佐呂間に生まれ、北海道に残った父と離れて東京の祖父母のもとで育ち、早稲田実業学校卒業後に富士通信機に勤めるが、1944年に徴兵のため召集。電信第17連隊の二等兵として満洲に送られる。敗戦後は牡丹江でソ連軍に投降、シベリア送りとなり、1948年3月に帰国するまでチタの収容所で強制労働を強いられた。 日本敗戦後は貧困にあえぎ、職を転々とする中で結核に罹患。1956年に退所後は東京学芸大で職員として勤務していた妹・秀子を頼り、多摩に向かう。その後、つてをたどって立川ストアに就職、高度成長期にスプロール状に拡大していった住宅地に出来ていく中学校・高等学校にスポーツ用品を売り込むセールスマンとしてようやく生活の安定を得ていった。退職後は地域の住民運動を手伝う傍ら、シベリア抑留のわずかな縁から再会した朝鮮人元日本軍兵士の国賠訴訟を支援、自らも共同原告として裁判に参加した。 「立川スポーツ」という社名には記憶がある。高校教員時代、クラブ活動の関係でお世話になったことがあったかもしれない。小熊は父親の生活史をある種の典型性というレベルで捉えているが、父親のコメントの周囲に当時の文脈や資料を紹介していくというスタイルは、確かに政治史や社会史の記述ではすくい取れない生の実感というか、生きた人間がそこにいる、という感覚を与えてくれる。 しかし、「あまりにもよくできている聞き取りの記録」という気がしないでもない。いかにも典型的な日本敗戦後の社会党支持者という父親のイメージだが、聞く側の姿勢というか、聞く側の質問やコメント(どんな質問をしたかは記録されていない)が引き出される記憶に無視できない作用を及ぼしているとは思う。
0投稿日: 2021.05.14
powered by ブクログ仕事のスタイルは 時代が求めるものによって変化する。 当たり前のことだけれど 社会はどんどん変化していく。 戦中、戦後 激動の時代に求められた「生きる力」は? 全体を俯瞰的に見ること。 ニーズを把握すること。 ニッチな分野に目を向けること。 人と繋がり合うこと。 ご縁を大切にすること。 今求められる力と、同じ。
0投稿日: 2020.12.01
powered by ブクログここで書かれていることが本当のことなんだろうなと思う。戦争とその後のある平凡な男性の話 実は平成になってもまだ戦後が残っていたんだなあと思った。
1投稿日: 2020.10.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
社会学の研究者である小熊英二さんが、自身の父(小熊謙二氏)が辿った、戦争、勾留、闘病、労働などの人生を、膨大な資料、インタビューから理解・構築し、詳述した一冊。著者自身があとがきに書いており、かつ読み始めるとすぐ理解できるように、これは単なる「戦争体験記」ではない。随所に、当時の日本の状況を表す統計データやその他の文献引用などがなされており、小熊謙二氏という1人の人生を通して、戦前から現在に至るまでの日本社会の変化に触れられる。まさに、1人の主体としての「経験」と、それを客観的に、ときには批判的に補足・検証する「資料、データ」とを結合させた研究活動であると言えよう。 もちろん、本書の内容を読み、その時々で小熊謙二氏が何を感じていたのか、極限の状況に追いやられたとき、どのように振る舞ったのか、などという事実は、「人間とは何か」という途方もない問いに対して、確かな一側面を与えてくれる。ただ、個人的に本書を読んで最も感じたことは、「(特に社会科学において)真実を解き明かすヒントは、社会に規定され、日々行動する個人の中に、その多くが隠されているのかもしれない」ということである。本書の中でも言及されているように、歴史として語られるものの多くは、語ることのできる社会的階級にいる、もしくは語らざるを得ないほどの熱量を持っている個人、集団のみである。つまり、貴重な知見、経験を携えているにも関わらず、社会的階級が相対的に低く、自ら語るインセンティブも持ち合わせていない人は、歴史に反映されないのである。 この気づきは社会科学の研究に携わる身として、非常に重要な示唆を与えてくれた。もちろん、安易な解釈主義に陥ることは避けなければならないが、そのものが動態的に変化する社会を捉えようとする限り、完全な真実を掴むためには、膨大な研究を行い、多様な視点から分析を試みる必要があるということである。こう書くと、シンプルに思えてくるが、これが難しい。どのような人が言っていることも、どのような些細な情報であっても、その裏に何かメカニズムが存在していると信じ、全てから学ぼうとする姿勢こそが研究者に求められているのかもしれない。もちろん、全てを自分1人で行うことは、人間という生物の特性上、不可能である。だからこそ、あらゆる分野の研究者と対話し、全体で知を前進させていく必要があるのである。 ここまで、自分が得た示唆ばかり書いてきてしまったが、本書の締めの一言は、純粋に、希望を与えてくれた。引用して、感想を終えたい。 「さまざまな質問の最後に、人生の苦しい局面で、もっとも大事なことは何だったかを聞いた。シベリアや結核療養所などで、未来がまったく見えないとき、人間にとって何がいちばん大切だと思ったか、という問いである 「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」 そう謙二は答えた。」(p.378)
0投稿日: 2020.04.12
powered by ブクログ歴史を学ぶということは、社会についての知識を増やすということであるが、個人歴史の場合は、自らの生き方を振り返る貴重な機会になりうる。
0投稿日: 2020.04.03
powered by ブクログ頭ガツン。これから生きていく上での指針を与えられたように感じるほど、示唆に富む。読んで良かった。 →「今、考えさせられる!?『生きて帰ってきた男』」 https://blog.goo.ne.jp/mkdiechi/e/e10e1b2a8b55c6a5daba2a17f8be7fa4
0投稿日: 2020.03.25
powered by ブクログ生きて帰ってきたある日本兵の戦前戦後史。 センチメンタルに、あるいは大仰に語られがちな戦前戦後史を、ある1人の生涯を軸に語っている。 そのため、月並みな感想だが、この本を読むことで戦前戦後史に対して違った見方を得ることができる。或いは、歴史に対して違った見方を得ることができる。 その時の人が、どう感じ、どう生きたかは、いわゆる歴史書では知ることができない。当時世間を賑わせた出来事であっても、その時代に生きた一部の、或いは多くの人にとってはどうでも良いことだったのかもしれない。そのような実感を考えることなく、歴史を語ることは非常に浅いことなのかもしれないと感じる。何故なら、歴史を作ってきたのは、他ならぬその時代に生きた人々だからである。 他の本で、著者は、戦争責任に対して、誰もが被害者であり加害者でもある、というより、それすら整理できないのが戦争なのである。という趣旨のことを述べている。おそらく、著者のこの考えは、この本と通ずるところもある。なぜならば、この本の語り手である謙二も、戦争の加担者でありながらも、その責任がどうであるとか、考える暇もなく、時代の流れに巻き込まれていたからである。 なんとなく、「この世界の片隅に」に通じる気がする。 読み物としても興味深いし、誰でもない1人の目線をもとに歴史を描き出すという試みの本という目線から見ても、非常に良い本。
0投稿日: 2020.01.03
powered by ブクログ某所読書会課題図書.小熊謙二の波乱万丈の一生を普通の人の視線で描いた長編だが、戦前の庶民の暮らしぶりや上からくる規制を巧みに交わす生き方が具体例で示されている.小生の記憶と合致する、高度成長期の話も正確な記述と相まって楽しめた.あとがきにもあるが、サラリーマン的な生き方は人口の一割弱だという指摘は重要だと感じた.大多数の人々は、自分たちの人生を自分で切り開いてきたのだ.政府を当てにしないで.それにしても敗戦直後の我が政府の無責任さは憤り以上のものを感じる.
0投稿日: 2019.06.13
powered by ブクログこの国の「戦後」について考えようとする人は、これを読んでからにしてほしい。でたらめで、ご都合主義がハヤリらしいが、いつの時代にも、人生をまじめに生きようとする人間はいるのだし、社会に翻弄されながら、人間であることを、誠実に貫こうとして生きている人はいるのだから。 どういう目的か知らないが、そういう人間をバカにするような「知性」は終わっていることを思い知らせてくれる。 若い人が書いていうことに、明るさを感じた。えっ、もう若くない?
0投稿日: 2019.03.16
powered by ブクログ面白くって2日で読んだわー! 著者の父親の聞き書きを基にした、20世紀前半に生まれた名もない日本人男性のライフヒストリー。 北海道への移住、上京、就学と就職、徴兵。シベリア抑留。帰国後の困難な再就職と結核治療。景気の上昇。結婚と仕事の成功。マイホーム。 昭和初期、小学校を出たら日銭稼ぎでも働くのが当たり前だった。話者は早稲田実業中学に通ったが国公立の滑り止め的存在。月謝を払って高等教育を受けられる人は限られていた。 庶民レベルでは戦争賛美はみんな案外冷ややかだった。学校の先生や一部のインテリは批判的だった シベリアでは零下35度になると、屋外作業が中止になったが冬でもダムの凍結除去など外で働かされた 抗生物質が使えるまでは、結核治療のために肺や肋骨を切除する外科手術が行われていた 1957年までガス、水道なしの下宿暮らしだった 話者は最晩年になって、日本兵として徴兵され、シベリアに連行された朝鮮人の抑留仲間が起こした賠償裁判に協力する。たとえ勝てない裁判と分かっていても、公の場で一言言わせろ。人としての気概を感じた。 著者は日本の近現代社会史の専門家だけれども、戦争や生活の記録として残された書物が、特定の学識層の経験に偏っていたり、個人の感性でバイアスがかかっていることをたびたび感じ、普通の庶民がどう生きたかを残したいと思ったそう。 この本のように、私の家族のライフヒストリーも残したいな、と思った。
0投稿日: 2019.01.12
powered by ブクログ太平洋戦争末期に徴兵されて、シベリアに2年ほど抑留された人の話なのだけど、それ以前から戦後の混乱期、高度経済成長期を経て定年後の話もあり、物凄く濃かった。 もちろん、彼の生き方・考え方が徴兵された人代表というわけではないが、市井の人の素朴な価値観を知ることができた。 印象的な箇所はたくさんあったが、自分が特に印象に残ったのは以下の点。 ・戦前の素朴な戦争感。 ・戦中の報道は新聞を読んでたけど、日本軍が転進・玉砕と書いてあり、薄々おかしいと感じてたこと。 ・戦中末期に徴兵され、毎日しごきを受けてたこと。 ・シベリア抑留時代の過酷な話。 ・戦前に富士通信機で働いてて戦後に戻ろれるはずだったけど、シベリア帰り=アカということで受け入れられなかったこと。 ・シベリアの民主教育でアカには染まらなかったけど、心情的には左寄り、ただしアメリカの方がソ連よりはましという考え。 ・戦争責任について。 政治家は元より、天皇にも一定の責任があるという考え。 あと、結核療養所で青春時代を5年過ごしたというのも中々切なかった。 ペニシリンが普及する前で、肺を潰したというのはえぐかった。
0投稿日: 2018.10.14
powered by ブクログ第二次世界大戦へ参加し、シベリア、帰国を経てきた人のオーラルヒストリー。筆者の父親。 一般市民が戦争をどのように感じていたのかを知ることができる。 1937年にはタクシーがなくなり、ガソリンが不足していた。配給制がはじまり、物資が不足していた。 アカザはアク抜きすると食べられる。
1投稿日: 2018.09.13
powered by ブクログ昭和を生きた一人の男の生涯の記録。時代背景と庶民の暮らしがバランスよく記述され、大変読みやすい。書いたのがご子息だとは読み終わるまで気がつかず。
0投稿日: 2018.07.22
powered by ブクログ淡々と書かれているが、内容は壮絶。 シベリア抑留、結核療養所など、身体的にも過酷で精神的にも厳しい状況でただただ日々を精一杯生きて、今日まで命をつないできた人生に、心から敬服する。 当時の日本を生きてきた人は、多くがそういう思いを経験を乗り越えてきたのだと思うと、なんとも言えない気持ちになる。 あのような戦中、戦後を生き残った人々が、必死で今日を作り上げてきてくれたのに、今の世代がこれでいいのだろうかと申し訳ないような気がする。 後半、現代に近い部分は少し駆け足で語られたような気がするが、社会的な動きは自分でもある程度記憶があるので、それほど物足りない気はしなかった。 戦後補償の問題など、きっと当事者の方たちには語り切れない思いがあるのだろうということが察せられる。 しかし、何よりもやはりシベリア抑留時代から引き揚げのあたりの想像を絶する体験談が圧巻だった。
0投稿日: 2017.09.10
powered by ブクログ個人史は、ある事柄をそれがどのような政治・経済・社会状況の中にあったのか、総体的に見せてくれる。自分の中でよくわからなかった、位置づけできなかったことが収まっていく楽しさも与えてくれる。
0投稿日: 2017.08.21
powered by ブクログ慶応義塾大学教授の小熊英二氏が、自らの父親である小熊謙二氏から聞き取った戦前・戦中・戦後の体験を記録した本です。当時の人々の暮らしや考え方などが誇張されることなく淡々と描かれています。「現実は映画や小説と違う」(p172)という謙二氏の言葉どおり、それらはあまり劇的ではないけれど、事実ということの重みを感じさせます。 謙二氏が六〇歳を過ぎてから社会運動といえるものに関わり始めたことには、さすがに「社会を変えるには」の著者である英二氏の父親だと思いました。 社会問題に対する謙二氏の言葉には、どきりとさせられるものがありました。 「現実の世の中の問題は、二者択一ではない。そんな考え方は、現実の社会から遠い人間の発想だ」(p211) 「自分が二〇歳のころは、世の中の仕組みや、本当のことを知らないで育った。情報も与えられなかったし、政権を選ぶこともできなかった。批判する自由もなかった。いまは本当のことを知ろうと思ったら、知ることができる。それなのに、自分の見たくないものは見たがらない人、学ぼうともしない人が多すぎる」(p377) それにしてもすごい記憶力ですね。いつか失われていく貴重な記憶を本にしてしっかり残すことは大切だと思いました。
4投稿日: 2017.08.06
powered by ブクログ小熊謙二の生涯の軌跡をたどっていくことで戦前から戦中、そして戦後の日本の姿を描いている。著者の小熊英二(謙二の息子)があとがきで書いているように、本書が他の戦争体験記と異なるのは次の二点。 ・戦時のみならず戦前と戦後の生活史がカバーされている点 ・個人的な体験記に社会科学的な視点がつけ加えられている点 本書は戦争というものが国だけではなく個人の人生をいかに破壊するかを物語っている。たとえば、謙二が戦前のように水道とガスのある生活に手に入れたのは1959年のことである。終戦から考えても15年近くの歳月を要しているのである。戦争とはかくも悲惨なものであるということは肝に銘じておく必要があるだろう。また、本書の主人公、小熊謙二の「ものを見る目」の鋭さにも注目して読むと面白い。
0投稿日: 2017.05.27
powered by ブクログ読む前は一時期話題となったフィリピンの密林から帰ってきた日本兵の話と思っていたが、本書はシベリア抑留から帰還した方の話だった。 私の母方の祖父もシベリア抑留からの生還者であったが、今まで全く知らずに生きてきた。本書を通じてその経験者の生の体験を知ることができ、その過酷さや当時の背景を知ることができた。特に終戦時に関東軍が労務の提供を申し出ていたというのは驚愕したし、憤りを感じた。 また、帰還後の生活にも多くの紙数を割いており、あまり知ることの無い庶民の戦後の生活を知ることができる。韓国人や台湾人なども強制的に日本兵として動員していたという事実も重い。昨今の軽々と在日排斥を叫ぶ人達はどのくらいこの事実を知っているのだろう。
0投稿日: 2017.02.25
powered by ブクログどんなに平凡に見える人にもそれぞれの人生があり、社会や時代といった背景を舞台にして語られる時、それは個人を超えた同時代のドラマにもなる。NHKにファミリーヒストリーという出演者の知られざるルーツをたどる番組があるが、これは父兼二の人生を中心に語られた社会学者小熊英二自身のファミリーヒストリーでもある。 以前、辺見じゅん著「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」を読みシベリア抑留の一端に触れ、過酷な環境を生き抜いた日本人捕虜の姿に感銘を受けた記憶があるが、今回この著書を通じてソ連全土に散らばった収容所ごとに環境は異なり、そこでの処遇も過酷さの中にも程度の差がかなりあったことを知った。歴史の多様性と複雑さに思いを致し、複眼的にそして謙虚に歴史に向き合うことの大切さを改めて感じた。
0投稿日: 2016.10.30
powered by ブクログ社会学者の小熊英二氏が、父親、小熊謙二氏から聞き取りを行いまとめた1925年(大正14年)から今日の記憶。戦争、シベリア抑留、結核療養所、高度経済成長、未精算の植民地支配。ひとりの、平均的ではないにせよ平凡な男の個人史を大きな文脈に結び付ける作業を通して、東アジアと日本の大きな変動、その中における都市下層商人の生活や意識、移動が浮かび上がる。 晩年には朝鮮系中国人とともに戦後補償裁判の原告にもなり、今も人権団体の活動を支援しているという謙二氏も興味深い人物だが、その人生と絡めて語られる社会事情の細かい話が知らないことが多くてとても面白い。たとえばホワイトカラーとブルーカラーの間には城詰めの侍と農民の間のような身分差別があったとか、結婚式が宗教化したのはつい最近のことであるとか。 本書のもつ大きな意味は、このように一人ひとりの人生がいかに異なる形で大きな文脈と結びついているのかを明らかにすることによって歴史を多様な視点から立体化することが可能であること、そして私たち一人ひとりが身近な人々を通して歴史と接近することが可能であることを示したことにあるといえるだろう。とはいえ身近な人が必ずしも謙二氏のように細部を鮮明に記憶しているとは限らないのだが…
1投稿日: 2016.09.02
powered by ブクログソ連の捕虜になって「生きて帰ってきた男」の体験記なんだけど、その戦前と戦後の生活をその社会情勢とを交えてよくわかる。 あまりにも淡々としていて、これがリアルなのか… 抑留と結核療養の思うままにならない期間を経て、食べていくためにさまざまな仕事をし、裁判や運動に係わっていく。 謙二にとっては下の下で生きてきたという一貫した姿勢。特別才能と幸運に恵まれていると思うが。 多摩に住む私には身近に感じる部分も多くあり、自分の記憶する事柄なども微かに思い出され、戦後は終わっていないという人も未だにいるのが腑におちた。
0投稿日: 2016.06.22
powered by ブクログ戦争から「生きて帰ってきた男」の話だと思って読んだのだけれど、そうではなかった。 「男」は社会学者である著者の父親。大戦末期に招集され、満州に送られるが戦闘はせずに終戦を迎え、そのままソ連軍の捕虜になって、収容所に送られた。戦争から「生きて帰ってきた」というよりはソ連の収容所から「生きて帰ってきた」というべきだし、あるいは帰国してから結核になって収容された療養所や、退所してからの職を転々とする食うや食わずの生活から、「生きて帰ってきた」というべきだろう。戦後の話のほうがずっと長いし。 戦争を知ろうと思って読むと目論見が外れる。そういう経験をした一人の男の人生をたどる旅。 人は歴史の断面を経験するに過ぎない。それは歴史というより個人的な経験に過ぎないし、ひとそれぞれ、千差万別なのは当たり前だ。 だが、逆を言えばある時代を生きた人の千差万別の経験は、いずれもその時代の流れに無関係ではありえない。 わずかな期間ながら日本兵であり、ソ連の収容所に収容された経験のあるただの「男」が、戦後を通して政治に冷ややかな視線を送り、無駄と知りつつ元日本兵だった朝鮮人の訴訟に協力する、ぼくはそちらの心情に興味がある。本題ではないらしく、あまり書いてなかったけれど。
0投稿日: 2016.06.19
powered by ブクログ「五色の虹」「模範郷」と立て続けに個人的な話の本を読んで来ました。どれも興味深い本でした。この本は、戦中に特別な地位や役割があった者ではない、表現の能力に長けている作家でもない、著者の父親の戦中・戦後の話の聞き取りという点で個性のある本でした。戦後、著者の父親が戦中のことが書かれた本を読むものの個人的な体験を語る本には違和感を覚えることが多い様子が伺えました。だれが、どんな立場で、どこで、どのように、なにを思って敗戦を迎えたかは千差万別で、歴史の上で、ひとつの出来事でもひとつの思いでもあり得なかった。このような本は脈々と繋がる現在を考えるときに無視出来ない内容であると思いました。
0投稿日: 2016.06.19
powered by ブクログ戦争の様子を、戦時だけでなくその前後、現代に致までひとりの目を通して語られる自伝。当時の生活がありありと描かれており、重要な資料だと思う。普段、読書しながら気になるところは書き留めて置くのだが、箇所が今までに無く多く、色々な学びが有ったと感じる。 【学び】 戦前は親が「日雇い」「月給取り」かで生活様式が大分違った。 シベリアでの話。空腹時は、配給の雑炊を公平かで争い。 最初の冬は飢えと寒さとの闘い 二年目は共産主義思想に基づきお互いを凶弾 その中でも、人間的な扱いをしてくれる点ではソ連軍は日本軍よりまし 移動を頻繁にすると収容されている人達は団結出来ない。これは管理の常套手段 日本は殴れば終わりだが、反動にされると日本に帰れなくなるかもと精神的な苦痛があり、その方がきつかった。 農民や労働者出身の若くて素直な人が、自分の境遇を解き明かしてくれるものとして、マルクス主義をそのまま取り入れた。 アクチブになると労働免除、食料も左右、それからいじめが好きなもの。ソ連の働きかけがあったことは事実だが、日本人捕虜が過剰反応した部分も大きかった 実際に帰国が始まると反動の人も帰れると分かったが。疑心暗鬼でどうにも 帰国後(一緒に暮らした人、兄弟にもあえず)、「出てきたのは、ごく普通の食事だった。これにも失望した。夢にまでみた帰国がこんなものかと思った。」 天皇は自ら責任をとるべきだ、の意見も生々しい シベリア帰りだった為に警察に監視されていたて例も少なくない 日本の社会という物は、一度ならず外れてしまうと、ずっと外れっぱなしになってしまう 2012年非正規雇用の人達がどんなに頑張っても駄目な世の中になっている、希望が持てない。使う側のモラルが無くなった。若い人がかわいそうだ。との感想を残している。
0投稿日: 2016.06.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
とある一人のシベリア抑留者がたどった軌跡から、戦前・戦中・戦後の日本の生活面様が よみがえる。戦争とは、平和とは、高度成長とは、いったい何だったのか。戦争体験は人 々をどのように変えたのか。著者が自らの父・謙二(一九二五‐)の人生を通して、「生 きられた二〇世紀の歴史」を描き出す。 第1章 入営まで; 北海道から移住。高円寺で天ぷら屋を開く。戦争で材料がなくなり閉店。兄弟が結核で死んでいく。早実に進み。卒業が早められ軍需工場富士通信機に勤務。会社員となる。月給は全て家にいれる。徴兵され出兵。初めての空襲直後だったので送別会なし。たった一人の生き残りである息子をとられ祖父が号泣。中学卒なので幹部候補生試験を受けたが不合格。満州に送られ終戦。シベリアにおくられた。 第2章 収容所へ; 第3章 シベリア; 第4章 民主運動; 第5章 流転生活; 会社は闇市がらみ。一時はいいが、すぐおかしくなる 早実卒、富士通信機経理勤務のため、みてられない 第6章 結核療養所; 4年間の闘病。肺を半分切るが治らず。 以後、現在まで、重労働は無理 第7章 高度成長; 立川スポーツ株式会社 前の会社が不当たりを出す際に迷惑がかからないように 対応。銀行から信頼されていたので出資してもらった 三ツ藤に一戸建てを建てるが、連れ子の義理の息子が 事故死。マンションに引っ越す。妻は教育者の家だった ので息子の教育はしっかりしていた 第8章 戦争の記憶; 戦争の話はしない。愛国を書く時に初めて父をヒアリング。シベリアで死別した若者の親戚を会ったのがきっかけで戦後裁判の原告側に加わるようになった 小野田さんの時は、妄想につきあわされた部下の死に憤りを感じていた 第9章 戦後 裁判が負けた。国籍と戦争は違う。ドイツは国籍に関わらず軍人補償はしていた 日本は記念品(謝罪でなない)+10万円 シベリアで知り合った中国系捕虜、英語ができるのですぐに特務のため、いなくなった男に半分わたした これがきっかけで裁判がはじまった 補償裁判
0投稿日: 2016.05.13
powered by ブクログ400ページ弱、新書としては厚い方だろう。 「生きて帰ってきた」というタイトルの通り、ひと言で言えば、シベリア抑留を体験して帰国した元日本兵の一生ということになるのだが、本書はそれだけには留まらない。 地味な体裁、淡々とした語りの奥に、昭和初期以降の庶民の暮らしが詳細に活写されている。 大上段に振りかぶらず、地に足がついた、そして激情に流されることのない、一市民の人物史である。 主人公は著者の父。息子がインタビュアーとなって父の語りをまとめている。 このお父さんという人は、学があった人ではないのだが、観察眼があり、記憶力にも抜きん出たものがある。加えて、冷静で、自分に酔うようなところがない。 著者は歴史社会学者である。父の語りを補足する形で、その時々の政治状況、国際情勢の流れを解説する。 主体は庶民の生活ぶりを詳細に捉える「虫の目」、ときに社会全体を眺め渡す「鳥の目」といったところである。 父・謙二の生まれは大正14(1925)年、北海道常呂郡佐呂間村(現・佐呂間町)である。その父の雄次は新潟県の素封家に生まれたが、家が零落して半ば流れ者のようにして佐呂間の旅館に入り婿となった。やがて謙二の祖父母は旅館を手放し、東京に出てきて零細商店を営む。謙二もそこに引き取られることになる。 故郷に確たる根を持たない、上流階級でも知識層でもない、「表」の歴史に残りにくい庶民史が非常に興味深い。 昭和初期に各地に建設された公設市場。「月給取り」と「零細商店」の子供たちの間にあった見えない壁。娯楽としての紙芝居や映画。地方出身者が増えて以降、目立つようになった盆踊り。 時代は戦争へと向かい、経済状況が悪化していく中、物資の流通が滞り、人々の暮らしにも影響が出てくる。そうした社会情勢と庶民の肌感覚が複眼的に昭和初期という時代を捉える。 進学率が上がりつつあった時代にあり、中学への進学を果たす。しかしさほど向学心に燃えることもないまま卒業・就職。時代が時代ならばそのまま「サラリーマン」人生を送るところだったのだろうが、ここで召集。父の本籍地だった新潟に配属され、満州に送られる。初年兵としてこき使われるうちに終戦。 このあたりの内側からの軍隊生活の描写も、一兵士の実感と観察眼が生きていて興味深い。いわく、軍隊生活ではとかく連帯責任が問われ、あるはずの備品が足りないと隊が罰せられるため、余所の隊からの盗みやごまかしが横行していたとか、「軍人勅諭」といったものを暗誦させられるが、大意を汲んでもダメで一字一句暗記していないと殴られる等。 敗戦時、体をこわしていた謙二は部隊から切り離され、あぶれものの集まりとしてシベリア行きとなる。この際、命を落としたもの、辛くも日本に帰ったもの、シベリアに行ったもの、収容所で帰国を待った年数は、それぞれの境遇でさまざまだったが、ちょっとしたことが運命を分けたようである。 シベリアでは極寒の地で厳しい収容所暮らしを送る。最初の冬は極限状態で、栄養失調から、人としての感情もなくすような日々だったという。その後は生活状態自体は徐々に改善されていくが、一方で「民主運動」が起こってくる。ソ連人に気に入られようという狙いもあってか、「アクチブ」と呼ばれる共産主義礼賛者が幅をきかせ始めるのだ。こうした運動に心底熱中していたものもいたが、冷静に距離を置いているものも多かった。 先が見えないと思われた収容所生活だが、帰国できる日がやってきた。 しかし、帰り着いて父の故郷・新潟を訪ねたが、極貧の暮らしで、食べるものも満足には食べられなかった。職を転々とするうち、戦中戦後の無理と栄養不足がたたり、謙二は結核になってしまう。当時、結核は非常に恐れられた病気で、特効薬も出てきてはいたが、貧しいものに行き渡るほどの供給はなかった。金がなかった謙二は病巣に冒された肺胞をつぶす、苛酷な外科手術を受ける。もう少し前であれば死んでいたかもしれないが、もう数年後であれば、薬の供給が改善され、大手術を受けずに済んだかもしれない。その境目にあったのが、1950年代前半だった。 何とか病棟を出た後、高度経済成長の波に乗り、謙二はスポーツ店の営業として、徐々に頭角を現してくる。時代の波に乗ったことに加え、冷静な観察眼が営業職には向いていたようだ。後には自身の会社も興している。 現役を引退した後は、ふとしたことから戦後補償裁判に関わることになる。このあたりの経緯も非常に興味深い。 全般として地に足のついた昭和・平成の庶民史で、読み応えがある好著である。 時代に揉まれたとも言える人生、シベリア収容所や結核療養所など先の見えないときに、何が一番大切だと思ったかとの息子(聞き手)の問いに謙二が答える言葉は重く深い。 必ずしも表の歴史に残ることはなくとも、人は生きていく。そのことの強さを思う。
2投稿日: 2016.04.28
powered by ブクログ小熊英二慶大教授の父の体験を子供である著者が聞いて再構成した、戦前から戦後にかけて、大きな戦争という時代の渦に巻き込まれた一個人の話。当たり前の庶民目線から見た歴史書といえる。その時の庶民がどのように時代を知り、あるいは知らずに、巻き込まれていたかわかるし、過去を美化する人たちが、事実は違ったりすることがわかる、貴重なオーラルヒストリーと思える。著者も肉親からの話を聞いてまとめる作業であり、感情を引いて淡々と記述しているが、時に愛情がほとばしる場面もある。淡々としながら、時に感動という、戦前戦後史を別の側面から知る良書と思う。最後に「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」という言葉が印象的だった。
0投稿日: 2016.04.27
powered by ブクログ読む本は全部図書館で借りて、洋書なら、OpenLibraryかProject Gutenbergで読むオレが、この本は買った。 いちおう図書館にも予約してはあるんだけど、25人待ち、かなんかだし。 小熊英二先生のお父さんって、客観的な見方ができる人なんだね。 日本の結婚式は、本来、無宗教で、神道の結婚式なんか天皇家がやった後付けの創作だ、っていうのも、歴史学者ならではの、ホントの話。
0投稿日: 2016.04.19
powered by ブクログhttp://blog.goo.ne.jp/abcde1944/e/dc893cc6fa3f14a69ea2f67ca1ad05e2
0投稿日: 2016.04.09
powered by ブクログ本屋でたまたま手に取ったのは帯に小林秀雄賞受章って書いてあったから。引き込まれて読んだ。戦争のことはあまり知らない。でも世界は確実にキナ臭くなっていて戦争に近付いているような気がする。この作品を小説じゃないけど、小説みたいに読んでた。主人公は作者の父で満州からシベリアに抑留される。シベリアから帰ってきて苦労をしながら、戦後から現在まで、とにかくまっすぐな感じで生きていて、何をしているのか、自分がどこに立っているのかきちんと見てまわりに流されず意見をもっているところがとても素敵だと思ってしまった。シベリアから帰ってきた人たちが冷遇されたりとか、日本はあかんとほんまに思った。間違った方向にいかないようにしっかり意見を言えるようになりたいと思う。
1投稿日: 2016.04.07
powered by ブクログ小熊英二さんが、シベリア抑留を経験されたご自分のお父様から聞き書きされたもの。 おもしろくないはずはない(「おもしろい」とは不適切か⁉︎)と思い、読んだ。 シベリア抑留について、もっと知りたいと思い、読み始めたが、その前後の人生にもじっくり触れられていて、その部分がまた良かった。 本の中にも書かれていたが、大体の体験記が、学徒兵など、ある程度知的にものを考える層によるものが多く、「庶民」の体験記が少ない。その「庶民」の体験記を小熊さんという知識人がうまく1冊の本にしてくださり、大変良かったと思う。 どうしても時代に流されざるを得ず、でも食べていくためしたたかに生き、数々の困難を乗り越えてこられた。そして、年をとられてからは、頭でっかちでなく、自分の体験を踏まえて、意識高く、社会と関わっておられる。さすが、小熊さんのお父様だ。
1投稿日: 2016.03.21
powered by ブクログ今、国内でもっとも読まれている社会学者の著作から選んだ。個人史に焦点を当て、日本社会を問う。 (松村 教員)
0投稿日: 2016.03.17
powered by ブクログとある一人のシベリア抑留者がたどった軌跡から、戦前・戦中・戦後の日本の生活模様がよみがえる。戦争とは、平和とは、いったい何だったのか。著者が自らの父・謙二の人生を通して、「生きられた20世紀の歴史」を描き出す。 シベリア抑留の過酷な体験談かと思ったら、引越と転職をそれぞれ10回前後繰り返した復員後の過酷な体験がメインだった。昭和天皇の戦争責任、横井庄一さんや小野田寛郎さんへの思いなど、意外な心境も綴られていた。戦後昭和史も大局観に立ったものだけではなく、こうした個人の体験を通して語られる歴史もあるのだと再確認させられた。 (B)
0投稿日: 2016.03.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
戦前、戦中、戦後と生きた男を、その驚くべき記憶力をもとに、「ドラマ」としてではなく「ノンフィクション」として描き出した作品。 筆者はその男の息子であるわけだが、父の客観的な言葉を踏まえつつ聞き取った内容に社会科学的な分析を加え、当時の一人の人間や家族の暮らし、考え方、政治・経済・社会制度などに具体性をもって迫っている。 一庶民をこのような形で詳細な具体性と考え方を含め息遣いを持って描き出した作品は稀有であると思う。
0投稿日: 2016.03.05
powered by ブクログ戦前、戦争、戦後を生き抜く1人の人間・小熊謙二のリアルな生活録。 謙二の息子であり本書の著者である英二が、謙二に対するインタビューや、様々な資料を基に描いた、純然たるノンフィクション戦争体験記であり、社会科学的な視点も随所に盛り込まれている。 「脚色のない、生きた歴史」を知ることができる。 文章も流れるように読みやすい。
0投稿日: 2016.03.02
powered by ブクログ1925 T14年生まれ 四大節 正月、紀元節、天長節、明治節 日常生活の変化 S11年の終わりからタクシーをみなくなった、 S14 価格等統制令 外米が食卓に上がるようになる S15 砂糖とマッチ配給制 宮城遥拝はじまる ドイツがフランスに勝つと勝ち馬に乗り遅れるなという風潮が強くなった S16 コメが配給制 庶民にとっては、いつ終わるかわからない戦争よりコメの配給制の方が衝撃 S18 旗を振って出征の見送りはなくなってきた 捕虜の中には敗戦間際に根こそぎ集められた在留邦人が多数いた 現地招集された在留邦人は敗戦直後に除隊、いったん家に帰っていた。除隊証明を出すから軍籍があったものは出頭しろという通知が来て、現地の警察署前に出頭したら武装したソ連へに護送された おかしいとおもって通知を無視した人もいた はじめはどこに運ばれるかわからなかった ソ連に連行された日本兵その他は64万人(シベリア、外モンゴル、中央アジア、ヨーロッパロシア) 死者は6万以上 WWII ドイツ軍の捕虜になったソ連軍将兵は570万 死亡率6割 ソ連軍の捕虜になったドイツ軍将兵 330万人 死亡率3割 日本軍の捕虜になった英米軍捕虜の死亡率は27% 頭で割り切る人は、そういう考えになるのだろう。しかし現実の世の中の問題は、二者択一ではない。そんな考え方は、現実の社会から遠い人間の発想だ 国立内野療養所 柏崎療養所 1939 傷痍軍人新潟療養所として設立 1945/2 厚生省移管で結核療養所 総力戦の中で整えられた医療施設が、戦後の結核療養所の起源 これといった産業がない土地の柏崎は、青森県の下北半島とならんで、その後に原子力発電所と自衛隊基地が誘致された(誘致されていない) 淡々としていた。お互い戦争体験者だから、多くを離さなくても見当がつく。激しく感動したり泣いたりするのは、何も知らない人がやることだ 人生の苦しい局面で、もっとも大事なことは何だったか聞いた。シベリアや結核療養所などで、未来がまったく見えない時に、人間にとって何が一番大切だったかという問いである 「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」
0投稿日: 2016.01.14
powered by ブクログシベリア抑留から生還した男の、戦前・戦中・戦後を、いきいきと描く。 「一人の人物という細部から」戦争に突入する日本、日本をとりまく東アジアの情勢、捕虜に奴隷労働をさせる「社会主義」ソ連、高額な恩給を支給される旧高級軍人と官僚たち、なんの補償もされない庶民、日本の復興と高度経済成長といった、大河のような流れが見渡せる。 謙二という一人の男が、生きるため、飯を食うために悪戦苦闘するそのさまが、悠久の歴史の中にくっきりと見える。 みごとな、大河小説を読むような感動がある。
0投稿日: 2016.01.13
powered by ブクログ社会学者である著者が、一等兵としてシベリア抑留を体験した実父へのインタビューに基づき、戦前・戦中・戦後の一貫した日本の歴史像を浮かび上がらせようとした意欲作。 それまでの歴史に関する言説が社会における上流階級(男性、白人、富裕層等)の人々によって生み出されたものであり、「語れない」人々によって紡ぎ出される別の歴史があるはず、これが90年代以降の歴史学が重要視するオーラル・ヒストリーの基本的な考え方であるが、本書はまさにその典型例といえる。著者の実父は経済的に決して恵まれたわけではなく、兄弟の大半が20歳前後で結核で亡くなり、自身は中学卒の学歴で一等兵として関東軍に徴収され、そのまま3年間シベリアに抑留される。無事日本に戻ってきてからも、十分な職業経験や誇れる学歴があるわけではなく、中小企業を中心に幾度もの転職を重ね、ついには自らがスポーツ店をほそぼそと経営することで何とか生計を成り立たせ、人並みの暮らしを送れるようになる。 例えば、シベリア抑留の話題では、いかに厳しい抑留生活を乗り越えたかが、日本軍捕虜に対して好意的であった一部のソ連軍将校との記憶なども交えつつ淡々と語られていき、その生活の内実を伺いしることができる。また、戦後日本の社会史において、「大企業のサラリーマン生活」が統計的には決して当時の一般的な日本人を代表していたわけではないように、むしろ彼のように中小企業を転々として、何とか食いつないでいくという生活こそがリアルな当時の世相であったことが理解できる。 オーラル・ヒストリーの典型的な労作としても、そして一人の市井の人間を媒介した戦中~戦後の日本社会を伺い知る材料としても、極めて有益な一冊。一気に読了してしまった。
0投稿日: 2015.12.30
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
昭和という時代が、淡々と語られております。戦前の学生時代、徴兵、そして敗戦と共に、シベリア抑留、数年を経て帰国をして、今度は、結核療養所に入所。 社会に復帰したときは、すでに30前。そこから、仕事を探し、家庭を持って、子供を育ててという一人の男の人生が語られております。シベリア抑留、結核療養所等の絶望的な状況であっても、希望があれば、生きられる、という最後のコメントが染みますです。著者、小熊英二の父の物語。一読の価値があります。
0投稿日: 2015.12.09
powered by ブクログ一昨年、僕は「日本國から来た日本人」という本を書いた。朝鮮へどのように日本人が移住し、戦争に巻き込まれ、どうやって引き揚げてきたのか。そして戦後どのような暮らしをしたのか。という内容。20人近くを登場させることで、その当時の世相とか空気とかそういったものを描こうとした。この本は著者の父親を題材に、似たようなアプローチで仕上げているのだが、アプローチの仕方が拙作に比べ、徹底していた。 個人史と当時の世相が行きつ戻りつ、話が進んでいくという複雑な構成だが、そのわりには読みやすく、著者の書き手としての力量に舌を巻いた。
0投稿日: 2015.11.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
大正14年生まれ 私立中学を卒業し、事務員として就職。 昭和19年陸軍に召集され、二等兵として満州戦線へ。ろくに武器をもつことすらなく終戦を迎える。 昭和20年12月、ソ連軍によって満州からシベリア チタ州に連行され強制労働に就かされる。昭和23年 帰国。 という、特筆すべき戦果を挙げたわけではなく、特攻で散華したのでもなく、特に文才があったわけではない、普通の庶民が、生まれ、育ち、兵隊に行き、シベリアで抑留され、帰国し、戦後の混乱期をなんとか生き延び、そして高度経済成長期を迎え、子を生し、年老いていった記録。 様々な視点から、フォーカスされている戦史・戦記は多くあるが、本書はその様々な視点からこぼれ落ちている、普通の兵隊の生きた姿。 筆者の父親からの丹念な聞き取りと、当時の社会、生活の背景を忠実に書き残した本書の意味は大きいと思う。
0投稿日: 2015.11.07
powered by ブクログ-2015.10.24 小林秀雄賞を取つた本。シベリアに抑留された著者の父親の半生を、戦前戦後の生活史を背景に描いてゐる。同時代の経済、政策、法制などに留意しながら書かれた「生きられた二十世紀の歴史」は、非常に興味深い読み物になつてゐる。 戦争を中心とする国策に翻弄された人物の物語であるため、国の政策に対する批判的な意見が多いが、説得的だと思はれる。 政府には政府の事情があつたのだらうが、それがどのやうなものであつたのか、明らかにされてゐない場合が多い。何を国益として考へ、どのやうな優先度を設定したのか、政治主導者は事後的にでも発言する義務があるのではないか。 戦前戦後の日本を庶民の立場から知るための好著。若い人にも勧めたい。
0投稿日: 2015.10.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
希望だ。それがあれば、人間は生きていける 戦争の被害は国民がひとしく受忍するべきもので、特定の被害者にのみ補償をすれば不公平になる
0投稿日: 2015.10.13
powered by ブクログ戦争は始まりがあって、終わりがない。 これまで いろいろな 戦争を経験された方のものを読んできた ものすごく 悲惨なことの連続であったり 妙に おもしろおかしく書かれていたり はたまた 極端に主観的に書かれたものであったり どこかで 自分の中で コトンと気持ちの中に落ちてくるものは なかなか 少ない 本書は その中の 落ちてきた興味深い一冊です 類い希なる 優れた 語り手 と 類い希なる 優れた 聴き手 がとが 打ち揃って 本書が生まれている あらためて 一人の古老が亡くなる のは 一つの図書館が無くなる のと 同じことだ という 言葉を 改めて 思い起こしました ※蛇足ですが、筆者の父上はまだご存命です。 あまりに面白かったので 一気に読んでしまった もう一回読んでみようと思っている
1投稿日: 2015.10.03
powered by ブクログ小熊英二の父親の話を聞き取ったものを本にしたものである。かなり詳細に書かれているので、個人史というよりも、その時代の大多数の人々の生活を描いている。 こうした聞き取りを卒論で書けるということはいいと思われる。
0投稿日: 2015.10.02
powered by ブクログ社会学者の小熊英二氏が、自身の父親である謙二氏の生い立ちから現在までを描いた作品。 謙二氏は1925年に北海道で出生、母親の死をきっかけに東京の祖父母に引き取られ、太平洋戦争ではシベリア抑留を経験し、帰国後は結核を患い5年間の療養所生活、幾度かの転職を経てスポーツ用品販売店を起業、引退後は市民運動に積極的に参加するなどなど。 たまたま息子の英二氏が執筆活動をしていたために、普段は知る由もない一般市民の人生を垣間見る事が出来た。一見すると波乱万丈の人生にも見えるが、もしかするとこの世代の戦争経験者の方にとっては、珍しくない生き方なのかもしれない。 旅先などで車窓から見える街並みには、きっとたくさんの知らない人達が暮らしていて、おそらく自分とは一生涯すれ違うことも無いのだが、そんな一人ひとりにも必ず人生のドラマがあるのだと思う。本書はまさしく、そんな一人に焦点を当てた作品であった。
0投稿日: 2015.09.27
powered by ブクログ歴史、特に第二次世界大戦の見直し作業が進められている。それも、修正方向に。 国家として共通の歴史を持つといっても、個々人の体験は共通ではない。 しかし、記憶は風化し教育される歴史の方向が一本になったとき、その歴史こそが共通認識になる。 例えば、400年前の江戸時代の話なんか、徳川幕府の下で平和な時代が続きました。くらいの認識でしかない。 疫病に飢餓、貧困に苦しんだ下層民はいるはずだが、彼らが歴史を紡ぐことはない。 個々人の体験は歴史には残らない。 本書のタイトルからは、戦争に行かされた男がどうやって日本に帰ってきたか。その戦中記を予想させる。 しかし、本書において戦争に行かされて、シベリアで抑留されたのちに日本に帰ってくるまでに割かれるのは全九章のうち三章だけである。 戦争に行くまでの生活状況、そして戦後の混乱と現代までの暮らしが描かれている。 戦争中の人々の生活、考えに非常に詳しい。まるで、まだその時代を生きている人の語り口だ。 さらに本書が他の記録と異にするのは、語り部が下層民の視点から語っている点だ。 たいてい、記録を残すのは将校や、もしくは戦中を美化してしまいがちな主張の強い人が多い。 個々人の体験、記憶が紡がれて歴史となるのではない。 一つの方向に固まった認識が歴史になる。 しかし、歴史の裏には無数の体験、記録が埋もれている。それらを発掘する作業は非常に困難だ。 戦争を生きた人たちは、すでに大半がこの世からいなくなってしまった。 丹念に聞き取り、記録として残す作業が必要になる。 その作業が必要なのに、自分はその作業をしなかった。 自分の祖父は戦争中、ミャンマーに行って帰ってきた。そして戦争を多く語らず、10年ほど前に逝ってしまった。祖父が現地で見たものは何だったのか、今となってはわからない。 本書は、戦前から戦後にかけての、ある一市民の歴史だ。下層民から見た戦争、という点において一級の資料だ。
0投稿日: 2015.09.26
powered by ブクログ戦争を経験された方の談が、特に最近いろいろな形で世の中に出てくるようになった。 戦争の語り部が減ってきている中で、世の中の動きに危機感を感じてのことだろうか。
0投稿日: 2015.09.20
powered by ブクログ1925年からの現実に生きた歴史。祖父から親、姉弟の死、学校と仕事、軍隊、満州、シベリア抑留、民主運動、帰国、仕事の流転と結核療養、高度成長、結婚、事業拡大、引退、戦後補償裁判。 慰安婦もそうだけれど、更に多くの兵士がひどい境遇にあったということを再認識。世の中の状況と切り離せないことだということも。
0投稿日: 2015.09.13
powered by ブクログ戦前、戦中、戦後、高度経済成長、そして現在。名の知れた方々の伝記は数あれど、無名の人の歩んだ時間をひと続きにみられる。 戦中が悲惨なのはもちろんだけれど、戦後も非常に厳しい。果敢に突き進める者がいる一方で、なんとか生還したものの、ハンディを負った者には過酷な日々が続く。 小熊英二の父謙二は現在89歳で、僕の存命の祖父は94歳。どのように戦後を乗り越えたのだろうか。苦労話聞いたことはないけど、昭和天皇を嫌うのは共通している。 平和な日常から戦場は想像し難い。けれど、謙二の記憶を通して、祖父の事を考えると、そんなに遠い昔には思えなくなる。
0投稿日: 2015.09.12
powered by ブクログ「戦争の記憶を経験者から聴く」必要性がずいぶん語られるが、この本は、著者自身の父・謙二から聴いた戦前・戦中の生活、召集と戦後のシベリア抑留、帰国後の苦労・結核での療養生活、そして高度成長の波で成功するまで。苦しみの人生が詳細に語られ、文章化されている。一人の人生を語りながら、庶民生活の目線を合わせた歴史的な記録、昭和平成の社会史でもある。高揚はなく、淡々とした記述の中に戦争の悲惨さが身近な視線で訴えられている秀作である。この著者の書籍はこれまでもその詳細な調査ぶりに圧倒されてきたが、このヒアリング能力の高さ、賢二氏の記憶の量には驚愕。著者を左翼学者と叩く人は多いが、父親の言葉を通して、著者が左も右も嫌いである!ことが自然と伝わる。著者のルーツを知ることができたことも興味深く、この人が今回監督として制作した映画「首相官邸の前で」(脱原発デモ参加者のインタビューが中心)はぜひ観賞したい。
0投稿日: 2015.09.11
powered by ブクログ著者の父親のライフヒストリー。この人の歩んできた人生が語られることで、当時の時代が浮き上がってくる。佳作。
0投稿日: 2015.09.10
powered by ブクログ小熊さんの本は読んだことがないが、ずっと気にはなる人である。本書もだから多くの書評がでる前に買っておいた。本書の「生きて帰ってきた男」というのは小熊さんの実の父親のことである。本書はその父親のシベリア抑留を含む戦前戦後の個人史、オーラルヒストリーを、政治史、社会史、そしてシベリア抑留の記録等々をはさみながら描いたもので、「平凡な」庶民が戦前戦後をどう生きていたかの貴重な記録となっている。小熊英二さんの父親謙二さんの記録である本書をぼくは自分が小さかったころの社会と重ねながら読んだ。謙二さんは北海道で生まれ、小学校へ上がるころ東京の祖父母の家に出される。これは謙二の母が結核で早く死に、父親の雄次には子どもの面倒を見る余裕がなかったからである。その後、謙二は次兄のすすめもあって中学である早稲田実業に進学する。この多少の学歴がその後の人生で役立っている。その後謙二は兵隊に取られたあとすぐ満州へ送られ、敗戦とともにシベリアに送られ、そこで3年を過ごす。シベリア抑留と言えば過酷なものと語られることが多いが、日本人の死者は60万の1割の6万。ドイツの捕虜になったソビエト兵は6割が死に、日本の捕虜になった米英捕虜の死は約3割弱だそうだ。生死の境は、精神力とかそういうものではなく、謙二の送られた部隊が混成部隊で上下の差がほとんどなかったこと、ソ連の待遇改善が早く及んだ収容所であったことが関係していると言う。収容所長次第で待遇が違ったということも読んだことがある。ある意味偶然が支配したのである。抑留時代での民主化運動、アクティブの活動は他の抑留記にも出てくるが、謙二はこうしたものに対しても淡々と語っている。もちろん、戦争に対しては怒りをもっていて、戦後東条が自殺未遂をしたことは馬鹿にしているし、天皇が訴追されなかったことには不満を抱いている。帰国後謙二は当時父がいた新潟にもどるが、その日にでた食事はあまりにふつうのものだったというのが印象深い。その後謙二は仕事を転々とし、引っ越しも何度となくするが、まったく失業状態とか住む家がなかった時はなかったそうだ。家はたいていだれか親戚の家をたよったりしていた。これはぼくの家でもそうで、ぼくが小さい頃は田舎の親戚がたよって出てきて、狭い家に同居したものだ。当時の人々はそういう生活を当たり前としていたのである。謙二は帰国後、25歳から30歳という青春を結核病患者として隔離されてすごす。その時受けた手術もすごいもので、骨を切り取っているから身障者の認定もうけている。結婚後、妻は謙二が風呂から出てくるのを見てぞっとするほどだったという。ぼくの小学校の恩師もそんなことを言っていた。あと少しすれば薬で治せたものを。結核が治癒し謙二は社会に復帰する。苦労はしたが、のちあるスポーツ商に就職することで、生活が上向いてくる。それは日本の高度成長期にうまく乗れたからであった。その後、謙二は子持ちの女性と結婚し、そして生まれるのが英二であるが、このあたり英二さんは淡々と描いている。謙二は最初公営住宅に住んでいたが、のちそこからでて持ち家を建てる。これもぼくの小さいころと重なる。ぼくが住んでいた公営住宅でも、お金を貯めた人たちは少しずつ家を建てて出て行ったからだ。新しく建てた家は上の生活を目指す奥さんのプランになるもので、謙二にはちょっと違和感があったように見える。その後、謙二は友人と自分の会社を持ち、定年後も仕事に少しかかわりながら地域の運動などに関わる。晩年には、日本人にされた朝鮮人の戦後補償にかかわるようになるが、ここはちょっと異質なような気がした。謙二もやむにやまれず加わっただけで、大きな政治運動をしようという気はなかったようだ。長々と書いてきたが、ぼくにとって面白かったのは、やはり戦後の庶民の生活誌である。400ページ近い本だから、読めるかと心配しながら読み始めたが途中からやめられなくなった。小熊さんの他の本も厚いがきっとすらすら読めるような気がしてきた。
0投稿日: 2015.09.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
☆5つ評価だが、7つでも8つでもつけたい、すぐれた個人史でもあり、戦前から戦後の日本史、および東アジア史でもある。 社会学者として著名な著者の実父の戦時体験を、その親の生まれからていねいに辿っていったもの。個人の伝記を超えた生々しさがある。著者が当時の社会状況などを丹念に調べた成果が活かされている。 母を失い父と別れ、祖父母のもとで育てられた青年は、きょうだいを続々と失いながらも旧制中学を卒業、富士通に就職するが、やがて終戦直前になって召集が下る。戦争の悲劇のみならず昭和の家族の物語でもある。 満州へ派遣、シベリアに抑留され、原始時代のような苛酷な労働を負わされる。やがて帰国するも、大企業の蜀を失い、療養所送りに。粗末な医療のせいで片肺を失いながらも、極貧の生活でのうちに、妻を得て家庭を築き、高度経済成長の波にのって、事業家になるが…。 実父だからといって、けっして英雄的に脚色して仕立て上げたオーラルヒストリーではない。最終章の戦後補償裁判は、従軍慰安婦や元日本兵の外国人へ補償がされない問題について切り込んでいる。 安倍談話の「いつまでも日本がアジア(というか韓国、中国だろうが)から戦後補償させられてはいけない」という宣言に支持率があがったらしいが、この本を読むと、「戦争被害は日本国民がすべて受忍せねばならない」という行政、立法、そして司法判断からも、日本がまだまだ戦後から抜け出ていないことを思わせる。 もし日本人が米国に占領され、強制的に米国籍にされ、米国の起こす戦争に駆り出され、そして戦後になって「米国人ではないから」という理由で、米国人のみに与えられる戦後補償を受けられなかったとしたら? 戦争に従軍慰安婦は必要だ、と訴える安保反対派の大人たち。彼らは自分の母親や姉妹、そして恋人や奥さんに同じことが言えるのか? この本は表立って、日本の現在の政治思想に関わっているわけではない。ただ、ひとりの良心的かつ平凡な、しかし、あまりに語るには凄絶な日本人の生き様を辿ったものである。その記述から、われわれ、後から歴史を追いかける者が汲み取る要素はいくらでもある。 この本を上梓してくれた著者と、その父に感謝したい。
0投稿日: 2015.08.26
powered by ブクログ戦前に生まれ、戦争を体験し、戦後日本を生き続けている1人の日本人。彼は特に何かを成し遂げたわけではなく、極貧の生活を強いられたわけでもない。平凡な日本人だ。そんなありふれた人間の人生語りが本になるはずはないのだが、息子である著者はそんな父、小熊謙二の人生を明らかにすることで、日本社会の歴史を再現する。 戦争、敗戦、高度成長、民主運動を経た日本の中で、庶民の生活はしょせん庶民。そんな庶民、小熊謙二が考えることは生きることだけ。彼の人生に映画や小説のようなドラマチックなものはなく、東京オリンピックも復興特需も昭和の終わりも関係ない。そして、それが大多数の日本人だったのだろう。 小熊謙二は20歳で軍に招集され、シベリアで捕虜となる。帰国後は肺結核で数年間の療養生活もあり、職や住居を転々とする生活だ。3畳間に妹と同居することもあった底辺の生活の中で、掴んだ一筋の光明がスポーツ用品の販売業。 いくら父とはいえ、なんでもない平凡な男の人生をインタビューにより掘り起こし、それを歴史社会学術本のような、単なる読み物のような不思議な1冊にまとめた著者のセンスに感動。庶民、小熊謙二が生きた各時代の空気感が伝わってくる。
0投稿日: 2015.08.22
powered by ブクログ良書である。読み進むうちに、今までの歴史書にはない発見の喜び、語り手や著者への驚き、そして尊敬がひしひしと湧いてくる。 語り手は著者の父上、小熊謙二さん(現在89歳)。北海道に生まれ、子どものころは戦前の東京下町で育ち、終戦間際の満州に駆り出されてシベリア捕虜として3年を過ごす。戦後、職を文字通り転々として極貧生活を過ごし、朝日茂と同時期に結核療養所で5年を過ごす。片肺になって出所後に東京で貧乏生活をするも、経済成長の波に上手く乗ってスポーツ店の社長として安定した生活を得る。90年代から2000年代にかけては、ボランティアで環境を守る会や、元兵士のとしての平和活動に参加する。また、シベリア外国人捕虜の補償を求める裁判を支援した。 と、書けば何か特別な一生のように思えるが、要は普通の「都市下層の商業者」の一生であるに過ぎない。そういう人の、詳しく、時代との関連を明らかにした記録は、しかし珍しいだろう。私には新鮮な記述が幾つも幾つもあった。 戦前下町の地方からやって来てあっという間に、生活必需品が間に合う下町が出来る事情と店の経営者の記録。庶民の戦争の受け止め方。シベリア抑留の実態。戦後の生活。「共産主義は嫌いだが、戦争や再軍備はまっぴらだ」という信条。60年安保時の心情賛成派のデモの見方。昭和30年代の住宅事情。高度経済成長の雰囲気。そして、この辺りから私の体験とも合致する所多いのだが、誕生日ケーキやカラーテレビ導入時期、レジャー・娯楽体験、新築の家。 実は謙二さんは去年亡くなった私の伯母の夫、おじさんと境遇がとても似ている。伯父は歳も一歳上。7人兄弟の真ん中で、早くから家を出て様々な職業についた途端に戦争に出て、シベリア抑留。帰って水道管の工員として地道に生活。バツイチの私の伯母と結婚。その後肺気腫を患い、静かな年金生活。晩年は鬱で食事が出来なくなった妻の代わりに家事をこなしていた。しかし、大の共産党嫌いというのは、違っていた。この本にあるようにシベリアは場所によってかなり民主運動や監督官のあり方は違っていたのだろう。私は伯父から何も聞くことができなかった。著者も言っているように、もっと親や親戚から「聴き取り」をするべきだ。そのためにこの本はかなり役立つだろう。 謙二さんの記憶力の確かなことと、その観察力の鋭さには、驚くばかりである。学問的な裏付けがないのに、言っていることは、例えば加藤周一とあまり大差ない。人間を真っ正面から観察していたから出来たことなのかもしれない。これはもう「人間的な能力」と言っていいのだろう。小熊英二さんのルーツをしっかり見させて貰った。 2015年8月13日読了
3投稿日: 2015.08.19
powered by ブクログ戦前戦後にかけてきた著者の父の人生を日本社会全体の変化も踏まえながら書いた力作。なかなか文字には残らない一般庶民の生活の1部が垣間見えると同時に、やはり歴史というものは個人が生きた人生の積み重ねなのだなと実感させられた。自分のあるいは自分の家族の人生というものを文字に起こしておくのも自分自身の考え方の整理そしてもしかしたら後世の人にとっても有用かもしれないなと感じた。
0投稿日: 2015.08.17
powered by ブクログシベリア抑留者の戦前から戦後に至るまでの生活を描写した一冊。戦争がいかに無益で人々の生活を破壊してきたか、一人の人生を通して見えてくる。戦争法案を成立させようとしている自民党のお歴々に是非読んでもらい、本書の感想を聞きたい。
0投稿日: 2015.08.11
powered by ブクログ2015年8月1日、図書館から借り出し。8月16日読了。実質2日間で読み切った。小熊氏の日本語は読みやすいので、頭に入りやすくて助かる。内容的には、父謙二氏の個人史に、当時の生活史と客観的な社会情勢を加えた、新しいタイプのオーラル・ヒストリーといえる。私を含めて敗戦後第一世代が怠ってきた戦争体験を次代に伝えるという作業を、この新書本一冊で果たしている。しかも高学歴中産階級の手による戦争経験が多かったのに対し、これは都市下層階級の、むしろ平凡な市民の個人史を中軸に据えているところが、内容的な迫力を増している気がする。右傾化が進みこの国では、この本が大々的に読まれることは期待しがたいが、着々と戦争準備が進むいま、歴史修正主義に疑問を感じている若い人たちに読んでもらいたい好著。
1投稿日: 2015.08.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
あとがきにあるように「戦争体験だけでなく、戦前および戦後の生活史を描いた」ことと「社会科学的な視点の導入」が斬新であり、素晴らしい作品に仕上がっています。筆者が驚いたように、本書の対象である筆者の父の持つ観察力と客観性が、新進の現代史家林氏との共同の聞き取りにより巧く引き出されています。私の亡父は戦争体験はありませんでしたが、幼少時に父を亡くし母子二人で戦中戦後を生き抜いてきました。父からその頃の苦労談を聞いたことはありません。今から想えば残念であります。小熊氏の父を敬っていることが感じられました。
0投稿日: 2015.07.12
powered by ブクログ400ページ近くある。 急がずゆっくり読んだ。 それにしても・・・・、相変わらず「ひどい国・・日本」だな。
0投稿日: 2015.07.11
