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生きる哲学
生きる哲学
若松英輔/文藝春秋
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総合評価

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    [BOOK]2023.12.5 若松英輔「生きる哲学」 2023年12月07日04:35全体に公開 みんなの日記28 view ちょっと読み応えのある本でした 彼の「考えて」「生かす」哲学は、とても多岐にわたり (^O^)にはたして、太刀打ちできるかと 最後までふあんでしたが 最後に「書く」「読む」ことの示唆を 与えてくださったので、 ここを礎に ちょっと、哲学ということを 考え直してみようかと 思います 皆さんも、ご参考までに(^^♪ smile(^O^) 若松英輔の究極の「生きる哲学」 「書く」とは、コトバを通じて未知なる自己と出会うことである。「書く」ことに困難を感じる人は、この本のなかで引用されている先人のコトバを書き写すだけでもよい。もし、数行の 言葉を本当に引き写したなら、その人は、意識しないうちに文章を書き始めているだろう。そして、こんなコトバが自分に宿っていたのかと、自分で書いた文章に驚くに違いない。  自分の魂を、真に揺るがすコトバはいつも自分から発せられる。人は誰も、コトバという人生の護符と共にある。コトバは見出されるのを待っているのである。  よく書けるようになりたいなら、よく読むことだ。よく読めるようになりたければ、必死に書くしかない。よく読むとは多く読むことではない。むしろ、一節のコトバに存在の深みへの 通路を見出すことである。  必死に書くとは、これが 最後の一文だと思って書くことにほかならない  たとえば、もうこの世では会えない人に、今日書いた言葉だけは届くに違いない、そう思って「書く」。本気でそう思えたら、文章は必ず変わる。心からそう感じることができれば「読む」態度も一変する。 「書く」とは、単なる自己表現の手段ではなく、永遠にふれようとする試みとなり、「読む」 とは、それを書いた者と出会うことになるだろう。そこに見出すコトバは、時空を超えてやってきた、自分に送られた手紙であることを知るだろう。 265ページ 2023/12/5tue

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    投稿日: 2025.12.14
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    さほど厚くない新書なのに、中身が重いので読むのに時間をかけた。さらっとは読んではいけない、と思いながら読んだ。再読しなければならない本、タイトルは知っていてもじっくり読んだことのない本がまだまだたくさんあることに気付かされた。積読本もまだあるというのに、是非読まねばと思う本に次々と出会える。幸せなことだが、一生かけても読みたい本を読み切るなんてことはできないのかしら、などと考えながら、やっぱり今年の夏は何としても、夏の花は読まねばならないと固く誓う。

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    投稿日: 2025.05.17
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    心に残ったところをピックアップします。 「生きるとは、自分の中にすでにあって、見失っている言葉と出会うための道程だとも言える」P12 「世界は人間に読み解かれるのを待っている」P13 「どんなに慄き、恐れても、死を免れることはできない。自分の思うように人生を生きようと、どんなに思いを描いてみたところで虚しい。結果は常に思いを裏切る。思うことに労力を費やさず、ただ、あるがままを見、生きよというのである」P166 「人間は、人格を宿しているという事実において平等であり、すべての人は、人格という不可視なものの働きによって、人間として存在している。別な言い方をすれば、肉体をもって在ることが、人格の実在を明示している」P208 「人は単に生きているのではない。生きることを人生に求められて存在している。人生が個々の人間に生きることを求めている。人生はいつも、個々の人間に、その人にしか実現できない絶対的な意味を託している」P211 「私たちが<生きる意味があるか>と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかなりません」P212

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    投稿日: 2025.04.11
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    若松英輔(1968年~)氏は、慶大文学部卒、「三田文學」編集長(2013~2015年)等を歴任した批評家、随筆家、詩人。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。2016年以降、NHK番組「100分de名著」で、 石牟礼道子の『苦海浄土』、内村鑑三の『代表的日本人』、神谷美恵子の『生きがいについて』、西田幾多郎の『善の研究』などの解説も担当している。 本書は、古今東西の14人を取り上げて、それぞれにとっての「哲学」をひとつの「動詞」に関連付けて捉え、洞察した随筆をまとめたものである。尚、初出は、月刊誌「文學界」の2013年6月号~2014年7月号。 なぜ、「動詞」が「哲学」なのか。。。著者は、序章で池田晶子の思想を引いて、「分るということは変わるということだ。ある出来事にふれ、真に分かったとき人は、どこかで変貌しているのである。これは素朴な理法だが、ときに厳しく迫ってくる。変わっていないのであれば、じつは分かっていないことが露呈してしまう。」と語り、須賀敦子の章で「本論を「生きる哲学」と題した。ここにおいての「哲学」は、・・・状態である。人間が自身を超える何ものかにむかって無限に開かれてゆく在り方を意味している。「哲学」とはそもそも、机上で学習する対象であるより、私たちが日々、魂に発見するべき光のようなものではないだろうか。人生の岐路に立ったとき、真剣に考え、誰に言うでもなくひとり内心で、これが私の哲学だ、とつぶやく。そうしたときの「哲学」である。」と書いている。 そして、「万人のなかに、「哲学」が潜んでいることを思い出させてくれる人物」、「迷ったとき、自らの進むべき道を照らす光は、すべての人に、すでに内在していることを教えてくれる人」として、14人を選んだのである。 その14人は、歩く~須賀敦子、彫る~舟越保武、祈る~原民喜、喪う(うしなう)~孔子、聴く~志村ふくみ、見る~堀辰雄、待つ~リルケ、感じる~神谷美恵子、目覚める~ブッダ、燃える~宮沢賢治、伝える~フランクル、認める~辰巳芳子、読む~美智子皇后、書く~井筒俊彦である。また、それぞれの章で、池田晶子、和辻哲郎、デカルト、ヴァレリー、高村光太郎、小林秀雄、白川静、ゲーテ、遠藤周作、マルクス・アウレーリウス、石牟礼道子、柳宗悦らについても語られている。 そして、著者は「あとがき」でこう締めくくる。「哲学を研究、勉強することなくても、深遠なる哲学を有する人は世の中に多くいる。この本で取り上げた人々にとって何かを語るとは、そうした市井に生きる無名の人々に宿っている、本当の意味での「哲学」の代弁者になることだった。・・・ここでの「哲学」は、哲学者によって語られる言説に限定されない。それは、人間が叡智とつながりをもつ状態を指す。このことは、「生きる」ことが不断の状態であることと深く呼応する。同時に、「哲学」とは、単に語られることではなく、生きることによって証しされる出来事だとも言える。」 一篇一篇がとても深い随筆集である。私はこれまで、取り上げられている少なからぬ人たちの著作を読んできたが、著者の洞察の中には消化できるものもあれば、消化しきれないものもあった。本書を頼りに、改めてそれぞれの著作に戻り、それぞれが体現した「哲学」とは何だったのかを考えてみたいと思う。 (2020年11月了)

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    投稿日: 2020.11.03
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    若松さんの数多い本の中でも、私の一番のお薦めの一冊で、何度も読み返した愛読書。 この本に出逢ってから、自分の中で大きな変容が起こりました。(じん)

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    投稿日: 2020.10.05
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    生と死が繋がる悲しみの豊かさ。 その一点、その一筋をどこまでも、何度も辿っていく。 石牟礼道子の苦海浄土が本書の頂点か。 読む側の態勢、状況、構えを問う著書である。 ある時のわたしならば、すごく震えただろう。 しかし、疲れ切った今、彼の言葉は遠くでしか響かなかった。 しかし、良心は感じた。 しかし、したたかさがなかった。一面的すぎるのだ。

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    投稿日: 2018.05.15
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    自分の生きている場所は狭い。しかしそこは全て自分の大切な人々のかけがえのない毎日とつながっている。 人間が手を広げれば、神はそこに豊かに恩寵をもたらした。祈りとは何かを年次、願うことではなく、神の訪れを待つことだった。 肉体という現象を支えているのは、魂という実在。 人格者に出会った時、あの人には哲学があるという。このときの哲学とは血肉化された叡智の異名である。

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    投稿日: 2014.12.05