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故郷忘じがたく候
故郷忘じがたく候
司馬遼太郎/文藝春秋
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総合評価

55件)
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    読書仲間が鹿児島に帰省した時に読んで、強く感じるものがあったと聞いた。その話に触発されて久し振りに司馬遼太郎の世界に触れることになった。 若い頃、彼の小説にのめり込んで身につまされながらよく読んだがこの作品は題名が気になりながらもついつい読まずにきたものだ。 歴史的な紀行文とでもいうのだろうか、翻弄される 民族精神やナショナリズムについて考えさせる。 45歳頃の作家として乗りに乗った時期の作品で、 冴え渡る文章と独特の表現が心のひだを刺激する。 沈寿官は370年前秀吉の朝鮮出兵で、薩摩軍団に南原城の戦いに敗れて捕虜となり、日本に連れてこられた高麗人陶工の末裔である。彼は集団の代表家系の14代目を務める。 司馬ははじめて存命の人物を主題に物語を描いた。 彼らは島津藩から丁重に扱われ、誘われても裏切り者の住む鹿児島城下には住まず、70軒ばかりで苗代川の麓に居付き、陶磁器を作ることで一村をなした。 当初漂着した漁村の浜で故郷に帰りたさのあまり乗ってきた船に縋りつき海中に浮かべるが、小舟ゆえ風浪に押し返された時の望郷の悲しみ、それを彼らは伝承し家霊として家々に棲みつけた。 村には沈氏の他に朴氏・金氏・鄭氏や李氏漂着組17姓があり「朝鮮筋目の者」として礼遇された。 一部例外を除いて帰化して以来姓名を変えていない。地元の学校では朝鮮人差別の暴力洗礼を受けるが耐えることで凌いできた。当然戊辰戦争や西南戦争、太平洋戦争を薩摩人として戦ってきた。 薩摩の日本人という国籍に人一倍誇りを持つ。 明治までは一村ことごとく韓語を語ったが維新後はオノリソといわれる祭祀の歌謡や窯仕事の技術語だけに韓語が残った。 村の鎮守を玉山宮といい、日本の天照(アマテラス)のような朝鮮開国の神祖檀君を祀り、そこから海の彼方の故郷を望み折々に参ることを今も絶やさない。 島津義弘は朴平意に島津家御用のみの白薩摩を作らせ評判を上げ、黒薩摩は御前黒を除いて民間需要に供した。薩摩焼は薩摩、江戸、明治と日本を代表する重要産業となる。 沈寿官氏が招待されてソウル大学で講演をした。 「これは申し上げていいかどうかと前置きして、私には韓国の学生諸君への希望がある、韓国にきてさまざまの若い人にあったが、若い人のたれもが口をそろえて36年間の日本の圧政について語った。最もであり、そのとおりではあるが、それをいいすぎることは若い韓国にとってどうであろう。いうことはよくてもいいすぎるとなると、そのときの心情はすでに後むきである。あたらしい国家は前へ前へと進まなければならないというのに、この心情はどうであろう。‥‥ あなた方が36年をいうなら、私は370年をいわなければならない。」 聴衆は拍手をせず静まりかえった。 しかし沈氏に送る友情の気持ちに愛誦青年歌の熱唱で会場を湧き上がらせた。彼は薩摩人らしく振るまおうと涙を抑えて冗談を言おうとしたが、身を震わせて立ち尽すのみであった。 郷土意識の強い薩摩で日本人になりきった高麗人陶工たちの、長い年月で熟成した民族意識は人間が隔てをなくしてともに生きることの価値を教える。 歴史の荒波に晒された望郷の思いも司馬遼太郎が語ると爽やかな生きる希望に感じるから不思議である。

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    投稿日: 2025.12.26
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    あなた方が36年を言うなら、私は370年をいわねばならない 14代沈寿官氏 70余名の陶工たちを薩摩藩が拉致 1965年頃訪韓し墓参り、朴正熙大統領の前で麦と兵隊を歌う その一族朴家から東郷と改氏し東郷茂徳がでた

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    投稿日: 2025.10.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    2025/6/16 読了  短編3作品、いずれも面白かった。「故郷忘じがたく候」拉致してきた朝鮮の磁器職人を故郷の生活スタイルそのままで住むことを許容した島津義弘の心の深さ、それに答えるように世界の名品として作り上げた白薩摩、沈寿官の物語は胸を打つ。「胡桃に酒」の細川ガラシャ、細川忠興の異常なまでの悋気を見せられてキリスト教に入信するしかない、となった経緯が理解できる。

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    投稿日: 2025.06.16
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     「ちゃわんやのはなし」という薩摩焼の窯元を題材にしたドキュメンタリー映画を見て思い出して再読しました。  司馬遼太郎晩年のエッセイ(?)ですが、さすがでした。若いころに読んだ時には気づかなかった作家の眼差しの深さのようなものに気付き直した気がしました。  あれこれ感想は「ゴジラ老人シマクマ君の日々」というアホブログに書いています。覗いていたければうれしいです(笑)。  https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202407140000/

    9
    投稿日: 2024.08.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ドキュメンタリー映画ちゃわんやのはなし-四百年の旅人- 松倉大夏監督をみて、先代14代沈寿官氏のことを司馬遼太郎が想いも熱く書いた短編が表題。 民族とはなにか、 民族なんてものはない、ただその土地土地での暮らし方や言葉がありその違いがあるだけだ、と15代いまの当主がソウルで悩んだ時に司馬遼太郎からもらった手紙。 映画を見てから読んだ。深い洞察、400年にわたる日本での暮らしその薩摩人ぶりと記憶の伝承。 先代のソウル大学での、日本へのわだかまりを捨てよと諭す講演の最後、あなた方の36年をいうなら私は370年をいわねばならない、という言葉の重み。 巻末の解説は山内昌之先生。

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    投稿日: 2024.08.18
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    司馬遼太郎が、薩摩焼14代沈壽官を取材して書き上げた短編。秀吉による朝鮮の役で日本へ連れてこられた陶工たちの、歴史に翻弄されながらも、誇り高く生きる姿が描かれている。薩摩藩の心意気と司馬遼太郎の沈氏に向ける尊敬の眼差しも感じ、心温まる物語である。

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    投稿日: 2024.06.26
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    司馬遼太郎さんの言葉は古びることなく生き生きと今ここで語りかけているように届く。 1976年に刊行された文庫の新装版。 16世紀末の朝鮮の役で日本に連れてこられた陶工たち、そのまま鹿児島で生き続ける子孫たちとの出会いと交流。 幕末の世情に翻弄され奥州遠征した一人の長州藩の男の最期。 細川ガラシャの生涯。 歴史を語りながら、多くのことを考えさせてくれます。

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    投稿日: 2024.03.22
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    沈寿官、世良修蔵、細川ガラシャの司馬先生の講義。聴いているようで楽しかった。沈寿官、世良修蔵は知らなかったがとても興味深く、細川ガラシャと細川忠興の関係が思っていたのとは全く違う新解釈、司馬先生が正しい気がする。はちょっと驚く。

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    投稿日: 2024.03.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    故郷忘じがたく候 著者:司馬遼太郎 発行:2004年10月10日 文春文庫 *1976年文庫の新装 短編小説3編『故郷忘じがたく候』『斬殺』『胡桃に酒』 有名な小説だけど、読んでいなかった。鹿児島県日置市の苗代川焼(苗代川は川の名ではなく地名)の有名陶芸家、沈寿官のお話。現在の当主は第15代だが、4年前に他界した14代はマスメディアでも見かけ、知っている人も多い。2008年放送の「鶴瓶の家族に乾杯」では、たまたま鶴瓶がトイレを借りに入った家が沈寿官氏の窯で、14代が出てきて驚いた。ただ、番組上は〝たまたま〟としているが怪しい。 14代は著者、司馬遼太郎ともこの作品をきっかけに(?)交流があったという。 その沈寿官(先祖)が、秀吉の朝鮮出兵により日本に連れてこられ、今日に至った話を、14代の人生を中心に本人からのオーラルヒストリーで展開している小説が、最初の一編。さすが、至極の逸編だった。 『故郷忘じがたく候』 1948年ごろ、京都のあるお寺で、住持(住職)から紹介された男(大工ふうで骨董商と紹介されたが著者は疑っている)が、住持の渡した陶器の欠片を見て絶賛。薩摩焼で朝鮮の匂いがする、と言う。やがて、沈寿官のことを知る著者。それから20年後のある時、鹿児島の空港で飛行機に乗るまであと4時間となり、そのことを思い出してどうしても会いたくなった。車を飛ばして会いに行く。これが2人の交流の始まりだったようだ。 秀吉による朝鮮侵略は、文禄・慶長の役(朝鮮では壬辰・丁酉の倭乱と言う)だが、2度目の慶長の役(1597~98)中の秀吉の死により、和議が成立して撤兵、その時に陶工たちが連れてこられたとされているが、誰がどのように連れてきたのかが分からないという。薩摩の伝説では、帰りの兵糧船が空で、浮きを押さえるために乗せられたとのことだが、それなら博多に着くはず。しかし、彼らがたどり着いたのは薩摩半島の西岸。串木野の漁村の南にある、無人の浜だった。もっとも困難な東シナ海を経由してきている。日本人船頭が操船した形跡もない。しかも、着いたのは翌年、一体、彼らはどこでなにをしていたのだろう。 (以下、ネタ割れ。個人的メモにつき注意) この間、日本では関ヶ原の乱があり、徳川の世になった。 彼らは砂浜で死んだ人の碑(今も石碑あり)を建て、あたりを見回して見つけた丘のかげに小屋を築いて住み着いた。彼らに出来ることは陶磁を焼くことだけ。窯を作り、土を探して焼いた。今はもうその窯はないが、地名に「旧壺屋(もとつぼや)」が残る。 3年ほど生活。朝鮮風に轆轤を足で蹴りながら回す。地元の人たちは珍しがって見に来る、その内、無断で触って焼き物を壊してしまう。止めろと行っても言葉が通じない。怒ると徒党を組んで小屋を壊しに来る。 島津家役人は同情し、「留帳」に書き留める。1603年のことのようである。韓人たちはそこを離れざるを得ず、鹿児島の府城で泣訴することに。しかし、2里ほど行くと故山に似たところがあり、そこが苗代川(なえしろがわ)で、薩人は「ノシロコ」と言っていた。川がないのになぜ川がつくのかは不明。 島津の当主が聞き及び、同情して、鹿児島城下に屋敷も与え保護も加えるので住むようにいうが、長老はそれを拒否した。理由は二つ、一つは島津が攻めて来た時に裏切って道案内をした韓人が鹿児島にいるため、もう一つは、「故郷、哀シク候」だった。丘に登れば自分たちが来た東シナ海が見えるところから離れない。 島津は苗代川を藩立工場にし、白薩摩は島津家以外には焼くことを禁じ、一般には黒薩摩のみ供せられることを認めた。幕末、12代沈寿官を主任とし、コーヒー茶碗や洋食器などを白薩摩で焼かせ、長崎経由で輸出して巨利を得た。 流れ着いた韓人たちは、苗代川の村に住み着き、17の姓を変えずに朝鮮風で通した。明治以降は多少の例外があり、名家とされる朴は東郷と変え、大日本帝国最後の外務大臣である東郷茂徳(しげのり)を輩出した。 14代沈寿官は、中学に入ると呼び出され、朝鮮人だとして気絶しそうなぐらいに殴られた。言うまでもなく明治になり戸籍が出来る前から日本で暮らす日本人であり、日本国籍に違いなく、自らが朝鮮人だと思うことなど微塵もなかった。しかし、父親である13代に諭され、喧嘩に負けないように鍛えた。彼は早稲田大へと進学したが、美術を学びたいと父親に言った時、お前は生まれた時から窯を継ぐと決められた人間だから、せめて自由にできる大学時代ぐらいは別のことをやれと言われた。その父親(13代)は京都大学に学んでいる。 黒薩摩は民間に供されていたが、その中でも、ごく一部の上質なものは「御前黒」といわれ、白薩摩と同様に島津家御用となっていた。秘法は一子相伝。ただ、12代は13代に口伝を与えることなしに死亡したため、途絶えていた。14代が復活させることに。彼はその土が取れると聞いた山の地主のところに出かけたが、相手にされなかった。しかし、通いつづけるうち、ついに土を永代無償提供されることになった。条件は、お猪口でもいいから焼いたものを一つだけくれること。最初のうちはダメだしばかりだったが、ある時、やっと気に入ってもらえ、受け取ってもらえた。ここに、御前黒が復活した。 『斬殺』 戊辰(慶応4、明治元年)3月10日、奥羽二州(会津を筆頭に30余藩)を獲るため、京の新政府が大阪の天保山から船を出した。しかし、僅か4隻、薩長兵200人。4隻といっても筑前福岡藩と仙台藩の船が1隻ずつまざっている。数万から10万の兵を出すべき戦だった。 首座は、従一位・九条道孝(29)。添役(そえやく)が従三位・沢為量(ためかず)(50)、従四位・醍醐忠敬(19)。2人の参謀がつき、薩摩の大山格之助(綱良)と長州の世良修蔵。仙台藩領内に入り、九条道孝の名代に近い役割をしながら、なかなか動こうとしない仙台藩にいらだつ世良修蔵。彼が最後に仙台藩らに斬殺されるまでを描く。 京から錦旗を持ち帰った仙台藩。新政府側のはずだが、幹部連中は本音では保守的、佐幕派が多い。秀吉についたり、徳川についたり。権力者の顔色を見て立場を変えてきたのが伊達家の歴史。二十九代慶邦も同じ。九条道孝は黙ったままで、横から道孝の言葉として上からものを言う世良修蔵。修蔵は武家ではなく漁夫の家柄だということもあり、慶邦は我慢がならない。 なかなか動かない仙台藩。たった200の兵なので、仙台藩の兵力を使う以外に方法はない。苛立つ修蔵。本命の会津藩どころか、庄内藩をうちにいくも手こずる。その間に、仙台藩を含めて奥州のいく藩が世良に対する憎しみを募らせ、宴会をやってはもりあがり、彼を斬ろうと決める。 『胡桃に酒』 細川忠興のもとへ嫁いだ、明智光秀の娘、たま(細川伽羅奢)の話。細川家は丹後国を与えられていたが、長子の忠興は、京の南郊(長岡京市)にある勝竜寺城で仕えていた。丹後から嫁いだたまは、勝竜寺へ。忠興の父親である細川幽斎は忠興に家督を譲り、宮津へ。 たまは、比類無き美貌。忠興は2発被弾しても怯まず進む勇猛、優れた武将であったが、感情が高ぶると何をするか分からず、周囲から恐れられていた。悋気(やきもち)のため、たまを奥から一切出さず、誰の目にも触れさせなかった。父の幽斎が嫁を褒めるだけでも誤解したほどだった。 ある時、庭師が仕事をしていると、たまが廁から出て手を洗いながら庭師に「寒いなあ」と声をかけた。思いも寄らず高貴な人から声をかけられて戸惑った庭師が、平伏することも忘れ、焦って声を出して返事をしてしまうと、忠興が飛んできて首をはねた。しかし、たまは平然と手を洗い続けていた。 また、忠興とたまが食事中、屋根を張り替えていた職人が落ちてしまった。たまを自らの視界に入れたことで忠興が激怒し、首をはねた。その生首を膳の上にのせたが、やはりたまは平然と食事を続けた。 勝竜寺の南隣、摂津高槻城主・高山右近と親しかった忠興は、切支丹の教えをよく聞いた。それをたまに話すと、たまは非常に喜んだ。彼女は明智家でみっちり儒教を学んでいた身ではあったが。 たまは、やがて大阪にある細川の玉造屋敷に移る。秀吉の朝鮮ノ役により、博多へ下ると、銀の胡桃割と葡萄酒を送ってきた。胡桃は前田利家からもらうものが美味しく、たまは大好物だった。胡桃と葡萄酒をたしなんでいると、腹痛になった。医師は、胡桃と葡萄酒は食い合わせだと説明した(その後、胡桃と酒が食い合わせだと長く信じられた迷信)。たまは、食い合わせは、忠興と自分であると側近に言う。 秀吉が死に、今度は関ヶ原の戦いへと出る。たまは、石田三成から人質として大阪城に入れと言われるが、それを拒否して自害する。

    0
    投稿日: 2024.01.08
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    主人公である十四代沈寿官氏は、秀吉の朝鮮出兵で全羅道南原に攻め込んだ島津兵が撤退する際に、一緒に薩摩まで連れてこられた一族の末裔。 島津家は移民たちが定住した苗代川を藩立工場にし、薩摩焼の希少性を保つために、白薩摩を島津家御用以外では焼くことを禁じ、黒薩摩も御前黒は一般に流通することを禁じた。御前黒は、黄金の梨地が沈んだような玄妙な黒もので一子相伝の口伝とされていた。十四代沈寿官氏が御前黒の釉薬を探す話に触れられているが、山奥の人を訪ねて何度も足を運び、老齢のその人を背負って山へ登り貴重なその土を掘り当てるという、金脈を掘り当てるようなロマン溢れるエピソードだった。

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    投稿日: 2022.08.28
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    読書会の宿題 初の司馬遼太郎です 松山の坂の上の雲博物館に行った事があるのに笑 深い事なんてわかんないシロートの感想で言うと 歴史にそったノンフィクションのようなエッセイ という印象 内容は日韓の複雑な歴史だけど 中心人物に焦点を合わせることによって 同じ人間のルーツのノスタルジーがじんわり感動を呼びます 今度陶芸美術館に出かけたら韓国と薩摩の歴史を感じてみたいです

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    投稿日: 2022.07.23
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    『故郷忘じがたく候』 私が焼物が好きだからと母がこの本を勧めてくれた。薩摩焼が薩摩藩によって拉致された朝鮮人によるものとは知らなかった。パリ万博に幕府とは別に出展した薩摩ブースに展示されたあれもそうだったとは。自分には知らぬ事ばかり、と思う事しきり。本を読むとは、果てしなく面白い。 『胡桃に酒』 細川ガラシャについては色々知っているつもりでしたが、夫細川忠興の悋気(嫉妬心)の狂気たるや、凄まじい。たま(ガラシャ)が自らの容姿を罪という様に、忠興の狂気に触れ殺される罪もない人々も痛ましい。秀吉の『女房狩』も初めて知ったがおぞましい。 戦国の世に生まれた人たちは男も女も、身分の高低に関わらずその悲劇は数え切れない。その個々の人生を思うと、今の世が決して手放しで平和であると断定できないものの、『平和ボケ』と言う言葉を思い浮かべずにないられない。

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    投稿日: 2022.06.04
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    秀吉の朝鮮遠征で日本(薩摩)に連れてこられた朝鮮一族の、祖国や日本に対する思いに涙ぐんだ。(HPの日記より) ※2008.5.11購入@Book Off調布  2008.6.3読書開始@学会へ向かう新幹線の中  2008.6.15読了  売却済み

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    投稿日: 2021.08.24
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    NHK『鶴瓶の家族に乾杯』の再編集版を見て手に取る。司馬遼太郎氏が唯一、存命中の人物を主人公にした小説という。運命とは、仕事とは、血とは、アイデンティティとは、色々と考えさせられる一作。 本書は表題作を含む3編で構成。その他も興味深く、細川ガラシャを主人公にした『胡桃と酒』は、細川夫婦の印象が変わる。どこまでホンマなのかは、しらんけど。

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    投稿日: 2020.08.08
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    司馬遼太郎による鹿児島の陶工、沈寿官についてのエッセイ的な小説。 沈寿官と言えば、鹿児島では有名な陶工として知られています。彼の祖先は、秀吉の朝鮮出兵時に朝鮮から連れてこられた(つまり日本に拉致された)陶工でした。彼等は鹿児島に焼き物の文化を伝え、薩摩焼などの工業製品製造に貢献しました。 当時の日本は、先進国であった朝鮮から技術を導入しようと躍起になっていた時代だったようで、彼らは或る意味その犠牲者でした。その優秀な製陶技術は、時間の経過とともに日本の文化として取り込まれ、現在に至っています。日本文化成立の立役者であり、現在も子孫達がそれを受け継いでいますが、かつて拉致された朝鮮人としての本国に対する想いは、今も昔も変わらないと思います。 歴史認識問題が話題になる昨今ですが、この本を読んで、日本にはそういう朝鮮の人達の悲しい歴史があることを認識しなくてはいけないと思いました。

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    投稿日: 2020.01.02
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    知らない言葉があって、なんか読みにくかった。 まぁ〜しかし、昔々、朝鮮から拉致してきたって…某北の国と変わらんやん! でも、某北の国と違うのは、薩摩藩はちゃんと生活を保障してきたんやねぇ。 焼き物は大陸から伝わったっていうけれど、人である職人が伝わってきたんかぁ。 方言とかもあり、読みにくかったけど面白かった。

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    投稿日: 2019.06.12
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    故郷忘じがたく候 これは思わぬ程の深い話。秀吉時代に朝鮮を攻めた朝鮮ノ陣からの縁から拉致された韓国民が島津義弘に徴用され、薩摩焼の源流となり、もたらされた利益が倒幕の資金の一部のなったとのこと。子孫である十三代沈翁が韓国での演説で日韓関係を憂いての公演で拍手ではなく青年歌の合唱で応えてくれたことが胸を打つ。 沈家のルーツである青松訪問で町民から厚遇されたことなど、故郷を去った先祖に思いを馳せつつ、まさに故郷忘るる如しですね。 この話のきっかけが20年前に京都の裡の隅に打ち捨てられた陶器の一片からくるところが作者の好奇心がなせる業と言えますね。 惨殺 奥州にたった二百人で討伐に行く無茶振りはダメもと思ったか、新政権の混乱ぶりは相当なものだっのでしょうね。 胡桃に酒 食べ合わせの悪さに例えて細川忠興とその夫人たま(ガラシャ)との半生をなぞる。仲睦まじい夫婦の印象だったが印象が改まりました。 嫁取り奉行の小笠原少斎の一途な生き方が悲しい。

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    投稿日: 2019.06.02
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    たまたま手にとってみたら、私の趣味である茶道の陶芸家の沈寿官の話だった。以前茶道の青年部のみんなで沈寿官氏のところに行ったことがあったので記憶の点と点をつなぎながら楽しく読めた。 「斬殺」とあと一作入っていたが、長州の世良とガラシャの話?だったようだが私にはちょっと難しくて最後まで読めなかった。

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    投稿日: 2019.05.15
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    現在でも、日韓問題で、日本は苦労している。 16世紀 豊臣秀吉の時代に朝鮮の役で、薩摩に拉致されて、異国の地で、望郷の念を抱きながら、薩摩焼の鋳物を良き続けた民の思い。 本を読みながら、これは、史実なのだろうか?と、、、 2話目の「惨殺」は、登場人物の長州藩の世良修蔵。 新政府が抱いた幻想、、、200人で、最強の藩の会津藩を討てと、、、の命で、動き出すのだが、、最後は悲惨である。 「胡桃に酒」食べ合わせについては、このことは、知らなかったのだが、細川ガラシャのあまりの美しさに、美人には美人の苦労があったのだと、、、、 史実に則って書かれているのか? それとも小説なのか?と、思いながら、なかなか読み終えるのに時間が掛かってしまった本の1冊であった。

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    投稿日: 2019.01.13
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    この作品を読み終えるたびに、Dylanの「Like A Rolling Stone」が頭の中に流れる。How does it feel? どんな感じだい? 一人で生きるって? 帰る家もなく 誰にも相手にされず ライク・ア・ローリング・ストーン…。切なく、そして力強い。

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    投稿日: 2018.02.13
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    「故郷忘じがたく候」のみ読了。 ・鹿児島に行きたくなる。 ・西日本の国際性。外国が近いんだな。 ・中学に入学した初日に受けた仕打ち、同じ経験をしていた父、「日本人とはなにか」をつきつめ、たどり着いた結論、「血というのはうそだ」。はかりしれない苦しみがあっただろう。

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    投稿日: 2017.08.20
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    中学生のときの読書感想文指定書籍。作文書いて先生に褒められたのをよく覚えている(のでこの本をよく覚えている)

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    投稿日: 2017.07.08
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    2016年3月1日読了。司馬遼太郎のエッセイ・短編時代小説集。官命を受けて奥州に赴き挙兵するよう訴え続けた愚直な志士の末路を描く「惨殺」、細川ガラシャの辿った人生を描く「胡桃と酒」などが印象的。大きな歴史の流れの中で、それぞれの人にそれぞれの使命や悲しみ、やるべきことややれなかったことがあるものだ。

    1
    投稿日: 2016.03.01
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    2年ぶりに読んだ司馬遼太郎は、以下、中篇3篇を収録。 豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に祖国から連れてこられた朝鮮の民。彼らが抱く故郷への思いを哀切に描く「故郷忘れじがたく候」。 明治初年、会津討伐のため奥州に派遣された長州藩士/世良修蔵の悲劇を描く「斬殺」。 戦国時代、明智光秀の三女にして、細川忠興に嫁いだ明智たま(後の細川ガラシャ)の奇矯な生涯を描く「胡桃に酒」。 収録の基準はよく分かりません(落穂拾い的?)が、3篇のなかでとりわけ印象に深い作品は「胡桃に酒」。 なんといっても夫・忠興の嫉妬深いエピソードが過激。たまたまガラシャ夫人と目が合った植木職人の首を“目が合った”というだけで刎ねてしまったり、豊臣秀吉がガラシャを狙っているとの風聞が立つや否や、彼女の部屋の至る所に火薬を仕込み、秀吉が不義を働きに来れば彼女もろとも部屋を吹っ飛ばすことを画策したり…なんと狂人。こんな男と一緒に暮らすとなれば、とてもじゃないが耐えられるものではない…と思いきや、彼女自身の人柄もまた奇態で、時に忠興すら怖れるほど。とはいえ、2人の関係を「胡桃と酒」(=食い合わせの悪いもの)と捉えるように、やはりガラシャにとって忠興の存在は鬱屈の種であったよう。そんなガラシャの壮絶な最期は絶句するしかありませんでした。武士の嫁といえば彼女の行為は潔いのかもしれませんが、それまでの忠興との関係と道のりをみている限り、どうも彼女の心には諦観の思いしかなかったのではないかと愚察してしまうのでした。

    0
    投稿日: 2015.08.31
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    司馬さんの小説なんですが、半分は現代のお話。 そして、日本と朝鮮、戦争や民族意識という、デリケートなところに司馬さんの掌がそっと迫る一篇です。 短編集。と、言っても、3編しか入っていません。中編集とでも言いますか。 どれも相変わらず俯瞰的で皮肉めいて同時に人間臭くて、司馬遼節とでも言いますか。僕は大変に面白かったです。 ですが、まあ、何と言っても表題作が素晴らしかったです。 エッセイのような中編小説なんですが。 1590年代、つまり関ヶ原の戦いの直前に、豊臣秀吉さんによる朝鮮出兵がありました。 今から振り返ると、イマイチ良くワカラナイ無謀な出兵だった訳ですが、秀吉さんは本気で朝鮮半島そして中国大陸へ支配を広げるつもりだったみたいですね。 2度に渡る朝鮮出兵は、秀吉自身が渡海したわけではなく、部下というか傘下の大名が半島に渡って戦いました。 なんとなく膠着状態のまま、秀吉が死んだことによって日本側が撤兵、曖昧に終息します。 目的を達しなかったという意味では、日本/秀吉側の敗北なんですが、朝鮮側も被害は甚大だったそうです。 そして、このときに、多くの朝鮮人が、日本に拉致されています。 (と、言うと、とてもひどい話に聞こえます。もちろん、酷い話なんですが。 ただ、僕も最近知ったのは、戦国時代まで、日本国内でも戦争があった際には、敵国の住民を拉致してきて、自国内で奴隷として使っていたようです。 酷い話ですね。NHKの大河ドラマでは絶対に描けない(笑)。 まあただ、それに対して2015年の現在地から糾弾するよりも、 そういうコトだったんだ、という認識が大事なんだろうな、と思います。) この小説は、島津勢に拉致されて、不本意ながら薩摩で暮らすことになった朝鮮人の人々のお話。 というか、その人々は、朝鮮の陶工、焼き物を作る技術者の一団だったんですね。 そういう技術が欲しくて、恐らく島津が拉致しました。 色んなことがあって、その一団は薩摩内に集落を築いた。そして、白薩摩、黒薩摩という薩摩焼を作り続けた。 その一団の歴史の中の数奇な流転。 そして、執筆当時に司馬さんが出会った、その一族の末裔の男性・沈寿官さんの半生記ですね。 簡単に言うと、17世紀でも、20世紀でも、その集落のひとびとは、日本人(薩摩人/鹿児島県人)から、やっぱりそりゃ酷い差別を受けている訳です。迫害と言って良いです。 彼らはガイジン、チョウセンジン、という扱いなんですが、もうそれは何世代も前の話。 人並み以上に日本人、薩摩人のつもりでも、要所要所で差別を受ける。 それにそもそも、祖先にさかのぼっても、誰も好んで来てないんですね。戦争という暴力で、誇りも生活も家族も全て破壊されて、拉致されてきている。 でももちろん、差別されるばかりでもない。日本に薩摩に同化して、胸を張って生きている部分もある。 それでも結局、俺は何なんだ、日本人ってなんなんだ。そんなに日本人じゃないことは劣等なのか。 という…壮絶に重い主題につぶされるようにして思春期から大人になっていく。 昭和を生きている、司馬さんと交流した沈寿官さんの、少年時代からを振り返る言葉が、実に重い。 そして、何と言うか、上手く言えませんが、それを政治的に倫理的に白黒つけよう、という小説ではありません。 司馬さんですから。 ささやかにですが、大東亜戦争も含めて、被害者であることに拘ってはいけないのでは、と沈寿官さんが韓国の若者に向かってつぶやきます。 そして、沈寿官さんは、4世紀に渡って一族が憧れた、故郷に降り立つ訳です。無論、生まれて初めての、故郷です。 だからどうなんだ、という結論の押し付けは無く、最後は一幅の俳画を眺めてください、という感じでした。 とってもとっても、素敵な沁みる中編小説でした。 と、同時に。やっぱり日本は21世紀の今でも島国ですから。 住んでる場所によっては、ガイジンさんと会うことも滅多にないですし。ましては交流らしい交流なんて、したことないまま生涯を終える人も多いと思います。それが良いとか悪いとかは、別として。事実として。 そういうお陰で長所もあるんだと思います。 ただ、やっぱり外国籍の人、民族習慣歴史的に少数派として生きている人への、想像力というか寛容さというか、単純な認識が少ないこともあると思います。 (ま、多民族で暮らしている国民が寛容かと言うと、全く逆なので難しいところですが) (ま、あと、逆に国際的に活動されている人は、「俺は普通の日本人じゃないから」とすぐに周囲を見下す傾向があったりして微笑ましいですが) そういうことで言うと、とっつきが悪い小説かも知れません。 僕の読んだ感じでは、ほかの多くの司馬さんの小説と同じく、別段、右でも左でもありません。 誰かを何かを非難する訳でもありません。 ただでも、こういうことを、書きたかった。残したかった。知ってほしかった。そういうことなんだろうなあ、と。 司馬遼太郎さんは、東アジアの民族意識にはすごく鋭敏だったんだろうなあ、と。 若い日から、モンゴル語を学んだのに中国朝鮮を蔑視して戦うように言われ。 戦後は京都関西で仏教史、日本文化史を学んで。中国朝鮮の弟分のようにおこぼれで歩んできた日本史を知って。 そして、高度成長アメリカ万歳の時代を生きた人ですから。 ペンネームは、中国の司馬遷へのリスペクトですしね。 そして、この小説に感動した自分を振り返ると。 子供の頃に、自分の意思ではなくアメリカで暮らしたこと。 アメリカではアジア人・日本人として見下されたこと。やっぱりどうにも馴染めなかったこと。 そして、帰国した日本では帰国子女として異端視されたこと。やっぱりどうにも馴染めなかったこと。 そんな自分の過去が影響しているのかもなあ、と思ったりしました。 ##################### 他の2編は、 「斬殺」 幕末維新、戊辰戦争の頃。 新政府軍の末端分子として、わずか200ほどの手勢で「奥州を平定してこい」と送られた、長州の世良修蔵。 この人も小物で、勘違いや傲慢がはなはだしい。 この小物が、すったもんだして失敗して斬殺されるまでを描く。 「胡桃に酒」 戦国時代の細川ガラシャの一代記。 明智光秀の娘で、超超美人。そして細川忠興の妻となる。 この細川忠興が、実に異常、キチガイとも言えるやきもち焼き。ぞっとします。 ほとんど監禁されて暮らすガラシャ。キリシタンとの出会い。そして、関ヶ原の戦いの前に、敵軍に囲まれて壮絶な自殺。 両編とも、悲惨なように見えて司馬さん独特のユーモアにあふれた、読み易い好編でした。

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    投稿日: 2015.07.12
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    白薩摩の沈寿官十四代との対話を通じ、異国の地で生き続けた子孫たちの370年を、ただ静かに紡ぎ出す佳編。他に細川ガラシャを描いた胡桃と酒などを併録。名作です。

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    投稿日: 2015.05.22
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    先日、宮津を訪問した際に教会に細川ガラシャの銅像が有りました。絶世の美女であるために、細川忠興が他の男が見ることも許さなかった異常な愛を描いた「胡桃に酒」が収録された本書を再読しました。他に薩摩が朝鮮の役で連れ帰った陶工達の現代に続く物語「故郷忘じがたく候」と、もし読者が仙台人だと今でも殺意を抱くだろうと思える男の戊辰戦争の物語「斬殺」を収録。どれも秀作ですが、何の関連もなく、本としては残念です。

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    投稿日: 2014.12.11
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    収録の三作品はどんな基準で選ばれたのか?一冊として世に出す意味合いが今一つ掴み切れない。 表題作の哀切は何とも言えない(秀吉の罪は相当に重い)が、小説を書くのを止めたのかと思わせる作品。 一方、残り二作は如何にも司馬遼の小説。 『斬殺』の主人公のあまりの空気の読め無さ加減に苦笑するばかり、当人達にとっては堪らんでしょうが。

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    投稿日: 2014.01.26
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    司馬遼太郎著「故郷忘じがたく候」を読みました。  司馬遼太郎作品は久しぶりで、じっくり読み味わいました。  3編からなる短編小説で、タイトルの「故郷忘じがたく候」は、16世紀朝鮮の役で日本の薩摩へ陶器の技術を手に入れるために拉致された朝鮮の民の子孫の運命を描いた作品でした。  彼の作品の中では、現代に生きている人を扱った唯一の作品だそうです。  ちなみに、この子孫の方は健在で、先日テレビにも出ていて、この本を読むきっかけにもなりました。  この人の語った次のような言葉が載っています。  「あなた方が36年をいうなら   私は370年をいわねばならない」  この言葉はソウル大学の学生に語った言葉だそうです。  日本統治下の圧制をいうなら、秀吉の朝鮮出兵のときに日本に連れてこられた自分たちはどうなのかという重い言葉だそうです。  彼の言葉だからこそ、韓国の若者たちにも届いたのでしょう。  やはり歴史というものは、学ぶことに意義があるのだと改めて感じました。

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    投稿日: 2013.01.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    久しぶりに面白く読んだ本。 今も過去とつながる陶工の話はおもしろい。 伝統工芸やArts & Craftの観点ではなく、著者との出会いから始まるというのがいい。 そしてそれは歴史であり他国で民族をまもった一族の生き方であった。 そして短編2作目は空回りして解決方法を1つしか知らず、それしか信じられない男のはなし。 3作目は細川ガラシャ夫人の話。 歴史物は著者の観点により話が違って見えたりすることもあり、 それがとても面白い。 そこが歴史で人物を見ることの面白さだとおもう。

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    投稿日: 2013.01.02
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    【胡桃に酒】細川ガラシャこと"たま"の生涯。ガラシャは他の小説などで悲劇の女性と言われ出てきてはいたが、あまり知らなかったので。父は明智光秀だという事を知り合点。本能寺の変による謹慎生活。夫の細川忠興の常軌を逸する嫉妬深さからくる性格の不一致、食いあわせ。悲運としか言いようがない。切支丹大名の高山右近の伝道による切支丹への傾倒。名前だけは知っていたが歴史小説を読むことで頭の中で結びついていくとおもしろい。

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    投稿日: 2012.10.14
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    秀吉の朝鮮出兵の際に拉致され日本に連行された製陶家「沈壽官」氏の物語。以来鹿児島で代々製陶を続け、司馬氏取材時点で14代目。現在は15代目。一代たりとも養子を入れず脈々と血を維持し薩摩焼を焼き続ける。 http://www.chin-jukan.co.jp  他短編2編。

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    投稿日: 2012.09.07
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    2012/4/8読了。昭和初年代には、江戸時代とさして変わらぬ暮らしが草深い山村にまだ残存していたと思うと胸が熱くなるな。

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    投稿日: 2012.04.09
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    雨が壺を濡らしている。壺は、庫裡のすみにころがっている。 「朝鮮ではないか」 と、U氏は縁から降りて、壺をおこそうとした。が、起きなかった。てのひら二枚ほどの破片が、濡れた地面にかぶさっていたにすぎない。 冒頭の印象的な文章により始まる短編。 わずか二枚の陶器の破片から、話は安土桃山時代に遡る。 秀吉の朝鮮出兵時に、島津家により日本に強制的に連行された朝鮮人の子孫が400年経つ今もなお、故郷を思う気持ちを強く持ち続け、誇り高く生きる。 陶芸家の沈寿官氏との語らいを軸に、民族にとって故郷とは何かを語りかける。

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    投稿日: 2012.03.29
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    司馬さんの短編3作。 ちょっと飛び飛びに読んだので、 入り込みはしなかったけど、時に淡々と時に臨場感をもった 文を堪能した。 ガラシャ=たま、昔のおんなは大変だね

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    投稿日: 2012.02.14
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    秀吉の朝鮮出兵のさいに薩摩の武将島津義弘によって日本に拉致された朝鮮人達がいる。かれらは陶器を作り生活している人々。茶器がある種のステータスとなっていたこの時代の日本にとって朝鮮の陶器は価値が高く、それゆえにそのために日本に拉致されたようだ。 彼らは現在の鹿児島県串木野あたりに漂着し、故郷を思って生活の場を求め歩き、故郷の風景に似た場所を選んでそこに住み着き 陶器を焼いて生活した。 薩摩藩からは厚遇を受けながらその苗代川という地においてその後代々生活し、白薩摩 御前黒といった素晴らしいできの陶器を作っていく。 その生活の中における日本人からの差別。世代を越えた故郷への思い。日本で生まれ日本で育ち、しかし朝鮮の血を受け継ぐ自分自身に日本人とは何かと問うアイデンティティの模索。世代を超えて、見たこともない故郷朝鮮に帰ったさいの感動。など。 そういった鹿児島の歴史と朝鮮との関わりのなかにおける一人一人の人間の繊細な心の機微を表した作品。 鹿児島に住む身として、いやそんなことは関係なくひとりの人間として 登場人物の心の動きをリアルに感じられた気がする。

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    投稿日: 2012.01.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    3編の短編集。 1. 秀吉の朝鮮出兵の際に強制連行された朝鮮人陶磁器職人の話 2. 戊辰戦争末期に、会津への攻撃を奥州各藩へ強要する官軍司令官の話。 3. 細川ガラシャの生涯

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    投稿日: 2012.01.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    表題は、秀吉の朝鮮侵略時代から日本に移り住んで、戸籍上は日本人であるが、朝鮮人のアイデンティティを守り続けて、自分自身に問い掛け続けた沈寿官氏の話。 ユダヤ人を連想させました。

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    投稿日: 2011.12.19
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    ー故郷忘じがたく候 友人の好きな司馬遼太郎の一作、と聞き大いに長風呂しながら拝読。 この作品が友人を何を惹き付けたのだろう?と思案を巡らせながら読む。 答えは出ないまま、私個人の感想。 一、薩摩人の魅力。 一、日本人の定義を考え続けた沈寿官少年の日本人以上の情熱。 一、見た事のない語り継がれる故郷の情景。   心象の風景、というのだろうか? それから、「あなたがたが36年の歴史を語るなら、私は370年の歴史を語らなければならない」という、身体から滲み出てきたような言葉。 司馬遼太郎自身は、この移住の経緯と移住当時の出来事などについて善し悪しを論じていない。 日韓のセンシティブなテーマを非常にニュートラルな視点で描いており、クライマックスのシーンとなる講演のシーンで、両国が前を向いて考えることが大切なのではないかと問いかける。 そもそも故郷への想いとは、実体がない想念であり、ひいてはナショナリズムや民族問題を引き起こすような、抗いがたく、複雑でとてもとても強い思いなのだろう。 自分自身が海外に移住したとして、自分の子や孫は日本という国へ強い執着を示すだろうか? もしそうであれば、それは人間が求め続ける「自分とは何か」という問いに答えるべく自分のルーツを辿るという、ごく自然な欲求なのだろう。 ー酒と胡桃 ひとりの知性あふれる戦国の女性が、時代に翻弄され、でも心を乱される事なく、醒めた目で自分の運命を見つめ続け最後には自分の運命を受け入れ短い生涯を終えるまでの話。 はじめて聞く言葉。 「悋気」 悋、という言葉の響きから、最初けちな気質を表すものかと思った。 吝嗇、という言葉があるが、本来やきもちというのは、恋や愛情から生ずるものというより、個人の性質からくる独占欲などの欲の強さからくるものではないのか。と、感じた。 異常に感情の起伏が激しく、自分の感情をコントロールできない幼稚な精神性への深い軽蔑の念には、共感を感じた。 純粋なところや美的センスなど、離れていれば好きな点もあるはずなのに、本人を目の前にしてそのあまりな性質を目の当たりにした時の絶望感。 幼稚で他者への配慮や愛情が欠落している事に対する、蔑みや失望、諦めなど。うんざりする気持ちがよく分かる。 作品中では「食べ合わせ」と表現されていたが、愛する男女が噛み合ない、ことは非常な悲劇だと思う。

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    投稿日: 2011.11.26
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    このレビューはネタバレを含みます。

    申すもはばかることなれど 日州どのがおんひめは 衣通姫もただならず   ―――胡桃に酒 秀吉政権下、薩摩軍により拉致された朝鮮人。望郷の念を抱きながら暮らす陶工を描いた表題作。 明治元年、奥州遠征をした官軍の悲しい結末を描いた「斬殺」 細川ガラシャの薄幸の生涯を描いた「胡桃に酒」 3作目が読みたくて買いました。 うーん、やっぱり凄惨な一生。 そして表題作が予想以上に良かった。

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    投稿日: 2011.10.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

    中編が3編。 表題作の反歌が荒山徹の「故郷忘じたく候」か。 朝鮮から連れてこられた陶工の話。 新鮮な題材だろうが、読む順番を間違えたな。 相変わらず、小説なんだかノンフィクションなんだか。 他の2編も含めて大して盛り上がらず。

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    投稿日: 2011.09.22
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    母が勧めてくれた標題の沈寿官さんの話が、良かった。特に、彼の講演の下りは、とても泣けます。 短編で読みやすいし、下調べが丁寧で一つ一つがよくできた小説になっていると思う。 あと印象的なのは、細川ガラシャの話。強烈てした。 やっぱり、司馬遼太郎さんはいい!

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    投稿日: 2011.08.23
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     表題作「故郷忘じがたく候」は、よかったです。。今まで読んだ、司馬作品の中でも、最もよかったものの1つです。。14代目が、中学校に上がった時の話は、なんだか泣けてきました。

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    投稿日: 2011.03.26
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     司馬作品ですが、偉人も英雄も登場しません。  秀吉の朝鮮出兵のさい、戦って破れ、鹿児島に連れてこられた人々の記録。朝鮮人としての姓を名乗りつづけ、製陶の文化と技術を日本に伝え、そしてその姓と技術を全うすることで、370年の永きに渡り一族の誇りを貫いた人々の物語であり、事実である。  我われが日常当たり前のように使う茶碗や皿の文化が、朝鮮半島から「伝来」したものとは誰もが知っている。だが、一言で「伝来」と語られてしまう事実の実相は、心ならずも連れてこられた人々の壮絶な歴史であったことを思い知らされる。  司馬の言葉ではないが、伊万里、薩摩焼などの九州の窯地では、焼き物・陶器を意味する、「ひばかり」という言い方がある。製陶の技術・土や釉薬といった材料・ロクロやヘラなどの道具など必要なモノはすべて、朝鮮半島から奪って持ち込まれたものである。だから日本の現地で調達したのはただ「火」だけだという意味である。必要なモノ、の中には技術者としての「人間」も当然含まれていた。酷い事実である。  『故郷忘じがたく候』と記して「ぼうじがたく」と読む。一読後その一言を改めて口にするとき、拉致被害者が北朝鮮で過ごした、あるいは現在も進行中の30年の重みを知る者は、この物語の主人公達の「370年」の重圧に押しつぶされそうになる。  この物語の深いところは、歴史に翻弄された一族の話で終わらないところだ。  薩摩人以上に薩摩的であり、日本人以上に日本人として、「ちゃわん屋」として生きてきた、あるいは生きざるを得なかった葛藤がまた、胸に迫る。  短編ではあるが、『竜馬が行く』や『坂の上の雲』を凌駕する司馬作品中の最高峰である。あくまで、ワタシ個人的には、ですが。

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    投稿日: 2011.02.27
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    「故郷忘じがたく候」は、薩摩焼にまつわる短編小説。 薩摩焼は、秀吉の文禄・慶長の役の際に、捕虜として連行されてきた朝鮮人が、藩主の保護の下に発展させたものであり、薩摩焼により、薩摩藩は財政を潤した。 その他にも、教科書では取り上げられない、きらりと輝く歴史の秘話を短編小説として取り上げられている。

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    投稿日: 2011.01.30
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    表題作も味わい深いが、細川忠興(というか中世という時代そのものの)狂気について触れた「胡桃に酒」が特に好きだ。

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    投稿日: 2010.09.30
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    ガラシャの生涯を描いた短編がとても心に残りました。 http://blog.livedoor.jp/maikolo/archives/51044415.html

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    投稿日: 2010.04.29
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    秀吉の朝鮮出兵で,薩摩軍により日本に拉致された朝鮮人技術者達は,数代と薩摩に住み,白薩摩という名磁器を作り,薩摩人として暮らしながらも,故郷を想い,焦がれた。その他,細川ガラシャが美しく博学なばかりに,自分の運命を納得し,悲しいがまっすぐな生涯を閉じた話と,明治初期の官軍の奥州征伐に関わった長州出身の将校の悲惨な生涯を描いた,短編集。

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    投稿日: 2009.12.03
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     司馬遼太郎を薦められたので読んでみる。  短編3作品を収録。  表題にもなっている「故郷忘じがたく候」は面白い。  なんでこんなにコンパクトに描写して情景が想像できるんだろう。  うっかりするとあらすじ小説になりかねないくらいの展開の速さなのに。  斬殺は読めなかった。目がすべる。  胡桃に酒のすさまじさは凄い。これだけの出来事を惜しげもなく短編に使ってしまうのは凄いなと思う。仕掛けの上手さからいって確かに短編なのだが怖い作品。  関係ないけど、本編の引用と蛇足だけしている解説には驚いた。もっと肉声はないのか。

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    投稿日: 2009.10.14
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    朝鮮の役で日本に連れてこられた人たちの子孫のお話と幕末の仙台藩の苦悩、そして細川ガラシャを主人公とした短編衆。ガラシャの話はごく一般的な内容です。 2009.6.23読了

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    投稿日: 2009.06.28
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    授業で新聞記者の女性の話を聞く機会があった。彼女は、小泉総理(当時)の訪朝が話題になっていた頃、拉致被害者とされている、横田めぐみさんのご両親を取材したそうだ。横田夫妻は川崎にお住まいで、さらに川崎には、在日朝鮮人が多く住まう地域があるらしい。彼女は、当然のように朝鮮を母国にもつ彼らにも取材した。日本人拉致被害者についてどう思うかという質問を投げ掛けると、「仕方がない」という思わぬ返事が返ってきたらしい。 この本を手にとったのは、この話を聞いた直後だったからかもしれない。内容は、豊臣秀吉の行った朝鮮出兵の時代に、日本に拉致されてきた数十名の在日朝鮮人の話であり、彼らの故郷への思いが客観的に綴られている。彼らは、顔や体つきは日本人と見分けがつかなくとも、内に秘める愛国心のようなものはしっかりもっている。 対象的に、日本について何も知らないに等しい自分が恥ずかしくなった。もっと日本について知りたくなった。

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    投稿日: 2009.05.27
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    薩摩焼の沈寿官家を訪ね、沈家のドラマティックな歴史と14代目のエピソードを紹介。 14代目さんの韓国へ行った時のお話には、14代目さんだからこそ言える言葉があった。 韓国の大学での講演で、韓国人学生を前に 「これからは前をみて行かねばならない。あなた方が36年を言うなら、私は370年を言わねばならない」 韓国の血を受け継いではいてもすっかり薩摩人である寿官さんは、陽気で冗談がお好きらしいのだが、このあとの韓国人学生から贈られた歌にはただ涙を流すしかなかったと。 細川ガラシャの話も収録されている。 「胡桃と酒」 細川忠興との結婚は食べ合わせが悪かった。

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    投稿日: 2008.10.30
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    at first imp/ …実は司馬著作の中で一番好きかもしれない。しかも父子揃って。 おもしろーい。とにかく!つか、モロ趣味!題材が素敵すぐるうううう

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    投稿日: 2008.09.03
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    申すもはばかることなれど 日州どのがおんひめは 衣通姫もただならず   ―――胡桃に酒 秀吉政権下、薩摩軍により拉致された朝鮮人。望郷の念を抱きながら暮らす陶工を描いた表題作。 明治元年、奥州遠征をした官軍の悲しい結末を描いた「斬殺」 細川ガラシャの薄幸の生涯を描いた「胡桃に酒」 3作目が読みたくて買いました。 うーん、やっぱり凄惨な一生。 そして表題作が予想以上に良かった。

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    投稿日: 2008.05.24
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    表題はとても感動的にうまくまとめられています。でも司馬さんにとっては韓国は物語であって、そのなかに入っていくものではなかったことを改めて確認しました。昭和の限界かな。

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    投稿日: 2004.10.29