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翔ぶが如く(五)
翔ぶが如く(五)
司馬遼太郎/文藝春秋
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総合評価

42件)
3.5
5
14
15
6
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    この時期、ルソー・中江兆民の民約論が持つ影響力の大きさ。フランス・アメリカにおける革命において、ルソーの影響力の大きいことか。 日本における維新壮士たちのエネルギーが自由民権運動に向かうはずだ。 ・下級武士による幕府転覆(明治維新) ・維新政府への失望不満 ・有り余る革命エネルギーの矛先として  征韓論、自由民権運動 ・維新政府を支える大久保の孤独な先見性と独裁、  征台時の目を見張る行動力 やはり、戦前の日本の土台を作ったのは大久保だ。

    7
    投稿日: 2025.11.30
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    情報量が多すぎて、全部を咀嚼はできないが、志を持って江戸幕府をたおした志士たちが、いざ明治政府の役人になった時に、世界を知らないが故に途方にくれながらも一つ一つのことにあたっていく、ある意味のがむしゃらさを感じた。 「鎖国・封建の世に包まれているころは、社会的環境としては大通りから外れた袋小路の奥にいて、小路の木戸を閉ざしているのに似ている。その小路の奥で熱狂的に攘夷を叫ぶことは、政治心理としては病的ながらも快感に属するであろう。攘夷を集団で叫べば、より一層に快感は昂進するに違いない。が、その攘夷家たちが、半開国主義の幕府を倒して革命政権をつくるというはめになってしまったのである。」(p181)明治政府のゴタゴタは結局、こういうこところから始まったからなのか…、と腑に落ちた気がした。 後半、宮崎八郎のくだりは大久保、西郷ほどは有名ではないが、聞いたことのある人々が何人も登場し、様々な繋がりがわかって興味深かった。

    0
    投稿日: 2025.03.08
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    ここまで読み進めてきた中では一番面白かった。 特に大久保利通の外交シーン、ビジネスにもつながると思い同僚に勧めてしまった

    0
    投稿日: 2024.05.11
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    大久保の戦争の可能性も含む遺清案に、山県は陸軍の人員がとても足りぬ、と反対した。しかも旧各藩の武士たちは大久保を嫌っているので、参加拒否する可能性も高いとした(特に薩摩)。そこで大久保は「皇帝陛下というものがあるじゃないか」と説得して、成功した。つまり後の「天皇の名のもとに」の成り立ちである62

    0
    投稿日: 2023.11.05
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    「尊王攘夷」のスローガンで始まった筈の倒幕運動から、明治維新が為ってみたら、幕末からの開国方針が何も変わっていないという、この歴史の流れが、長らく釈然としなかったのだが、これを読んで、漸く腑に落ちたというか――当時の士族達も釈然としなくて、だからあちこちで士族の反乱が起きて、最終的に西南戦争に至ったのね、と。しかし、旧支配層の武士は既得権益を取り上げられ、庶民は税金やら兵役やら負担が激増した、この明治維新という大改革が、よく破綻・瓦解しなかったものだという、新たな疑問が湧いてきた。

    0
    投稿日: 2023.09.10
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    ※2008.6.5購入  2008.6.12読書開始  2008.7.13読了  2017.5.6売却@Book Off

    1
    投稿日: 2021.08.24
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    【感想】 西郷や反乱分子達への義理だて、ストレスのハケぐちの為とも思われる征台論を行なわざるを得なかったのか? 溜まりつつある大久保への不満は、彼にとっても辛い毎日だったに違いない。 ただ、、、読んでいる自分からすると、この靴の上から足を掻くようなこの物語の進捗に歯がゆい気持ちでいっぱいだな!笑 早いとこ、大久保vs西郷でドンチャンし始めないかと思ってしまう。。。 【あらすじ】 征台の気運が高まる明治七年、大久保利通は政府内の反対を押し切り清国へ渡る。 実権を握る李鴻章を故意に無視して北京へ入った大久保は、五十日に及ぶ滞在の末、ついに平和的解決の糸口をつかむ。 一方、西郷従道率いる三千人の征台部隊は清との戦闘開始を待ち望んでいた。 大久保の処置は兵士達の失望と不満を生む。 【引用】 大久保の北京における作戦の骨子は、英国公使に対しては儀礼のみであしらい、実は堀を設けて他人行儀でいる。 一方英国以外の各国公使に対してはできるだけ好み(よしみ)を厚くし、彼らの応援を得ようとするところにあった。 英国公使ウェードにとっては、これほど嫌な相手はなかったに違いない。 p129 大久保はもう一度、この談判を浮上させなければならない。 彼は若い頃から、何度か万策尽きたところへ自分が追い込まれるという体験を重ねてきた。 その時は、息を潜めて沈黙するか、それとも破れかぶれの一手に出れば自分の取り巻く状況の一角が崩れ、何とか道が通ずるということを知るようになった。 p145 ・征台論に対する大久保について 客観的にみれば大久保の粘着力を非凡とみるべきだが、しかし戦争によって外交の新局面を拓こうという西郷たち好戦派からみれば、大久保のこの態度は国辱的な生温さであるといえる。

    5
    投稿日: 2018.08.13
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    「翔ぶが如く(5)」(司馬遼太郎)を読んだ。 『日本の明治維新そのものが、人類が共有すべき普遍的な思想を拠りどころにして成立したのではなかった。』(本文より) 明治維新というものに対して私は誤った認識を抱いていたのかもしれないな。 西郷どんも謎だけど大久保利通もまた謎である。

    0
    投稿日: 2018.07.06
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    台湾出兵の後始末から撤兵、民権運動の興り。 余談の多さ、重複のしつこさ、変わらず。 ただ、やっぱり微妙な文章表現は刮目すべき所多々あり。 また中江兆民が非常に魅力的だ。聖俗合わせもち、かつ無垢であるところが。

    0
    投稿日: 2018.04.08
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    大久保利通が北京に談判に行くところから宮崎八郎が評論新聞社に入社するまでの第5巻。相変わらず進行が遅く娯楽読み物というより歴史教科書といった体です。 前半の大久保外交は交渉力が凄いですね。ことを優位にすすめるには多弁にならず我慢する駆け引きも大事なのかな。胆力がかなり必要で常人には出来かねるでしょうけど。 宮崎八郎の話は余談かと思って読み進めるとルソーの民役論と中江兆民に繋がるのでもはや新展開の様相で、西郷隆盛は出番なし。 専制政治、共和制政治、元老院、三権分立と、終盤は政治の勉強モードとなりしんどく感じられたが、読後感は知的好奇心を満たして悪くないです。

    1
    投稿日: 2018.02.12
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    征台論の機運の高まりのなか、大久保利通は清国へ渡る、李鴻章との交渉を行わずに平和的解決を模索するが・・・。

    0
    投稿日: 2018.01.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    この巻のキーワード、台湾出兵・大久保利通と清国との交渉、宮崎平八郎・熊本に帰省・東京へ陳情のために出て海老原、千絵との出会い。話があちらこちらに飛んで非常に読みにくいのだが、歴史の出来事の過程が事細やかに詳しく書かれているのでタメになる。大久保利通の台湾出兵→清国との交渉は、国内事情はどうあれ、因縁をつけてお金を巻き上げるという風にしかとらえることが出来ない。読んでいて複雑な気分になる。国内は三条・岩倉・大久保寡占政府に反対する勢力が色々と出てき始める風潮。これからどうなるのか?。感想はこんなところです。

    0
    投稿日: 2017.04.10
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    このレビューはネタバレを含みます。

    一部のノリの良い下級武士出身者がフィーリングで運営していた明治政府がいかにテキトーであったかがわかる本。 一例を挙げると、各地に贅を尽くした高そうなお庭を作りまくった長州の山縣有朋さんは、やっぱり汚職しまくってるし、権力主義の成りあがりだったっぽい。 この巻は、西郷隆盛さんが征韓論で下野したあとに不平士族を慰安すべく台湾に乗り出した顛末記でした。 なので、西郷さんは全然出てきません。 メインは大久保利通さんの巻でした。 西郷隆盛さんの征韓論は潰したくせに、その弟の従道さんをトップに台湾に押し入る(名目は遭難した琉球人が台湾の高砂族に殺されたことに対する報復)だなんて、支離滅裂な政権運営がよくわかる巻だったよ。 日本は対外的には国際常識を知らない粗暴なガキの国だと思われ、対内的には不平士族の不満が今回の征台論の顛末でますます膨れ上がり、まさに「内憂外患幕末よりヒドいんじゃない?」状態になっていました。 まぁ、司馬史観に関してはいろいろ言う人もいるけれど、資料を精査したうえでの一説と考えれば良いと思います。 九州に石高の大きい大名が多いのは薩摩島津を押さえるためで、特に隣国の熊本はそのために54万石だったとか(それでなければ熊本城もなし?) 世界の紛争種まき国家のイギリスが、征韓論に関しても自分たちの利権がある清に手を出されたくないので協力するよとススメてきたとか…。 いろいろお勉強になるなぁ!

    1
    投稿日: 2016.10.21
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    在野の不平分子を考慮した事実上大義のない征台を実施する。 しかし撤兵するためには、この征台を義のあったものと清国側に認めさせ、しかも派兵のための賠償金を清国側から出させるという力技をもってして外交に臨んだ大久保は、ある程度満足のいくかたちで終結させた。力技を建前上だけでも成功裡に導いた執拗さと周到さは見事といってよいだろう。 この明治がはじまって十年と経たない頃は、果たして維新の本来の目的は何だったのだろうかとも思わせられる時代だ。 国家が大きく動こうとするとき、大きく進歩しようとするときの舵取りは後の時代になってみないと正解は分からないのかも知れない。いや、もしかすると後の時代になっても分からないのかも知れない。

    1
    投稿日: 2015.11.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    くそつまんねぇ…。玄人好みにもほどがある。明治維新は巨大な氷山で、その一角しか見てこなかったってことだ。  もしかして、この巻は大久保利通のサービス回なのかも。彼一人にこれだけスポットライトが当たるのはもうないカモ。  後半の宮崎八郎は流し読みしてしまったが、この人スゴイ重要人物なんだろうな。でも、ちょっと読み返す気力湧かない。 ______ p9 強国が正義の時代  この時代、西欧の列強であるというだけで正義であった。清国も台湾征討を興したのが欧米だったら、何も言わず正当性を認めただろう。しかし、開国したばかりの日本というちっぽけな国が列強を気取り台湾に攻め込んだのだから清国も黙ってはいなかった。むしろ、ここで日本に台湾を譲れば、国内統治の危機になるのは必至だった。 p20 李鴻章という男  偉大な政治家であるが、愛国主義でもなかったようだ。清が列強に食い物にされていく様を横目に、買弁商人と手を組んで巨万の富を築いたようである。  もしかしたら李鴻章は淮軍を近代陸軍とし、北洋艦隊を創設し、清国の次なる国家の王になろうとしていたのかもしれない。そんな気もする。 p24 幕府  幕府はもともと中国の言葉。地方長官がその地で小朝廷なるものをもっていても幕府という。李鴻章も自前の幕府を持っていたといえよう。 p28 日本の人事  李鴻章は柳原前光との交渉で、日本の人事制度に不満を持った。李鴻章がまず交渉した全権大使は副島種臣だった、翌年の交渉では伊達宗成だった、そして、最初の交渉では卑官の地位にあった柳原前光が出世し、今度の交渉では公使として自分の前に対峙している。  毎年コロコロと役職が変わる日本政府はなんともインチキ臭い行政府であるとみられたのである。  とはいえ、現代の日本もコロコロ政権が変わる。これは日本人の体質なのかもね。 p40 統帥権  大久保が台湾に乗り込む前に、陸軍の山県有朋は対清戦争に絶対反対を表明した。しかし、大久保はそれを完全無視した。戦争も辞さないという強気で清との交渉に臨もうとしていた。  この時、政権に陸軍の意向が完全に無視されたという経験が、のちに統帥権を設けるきっかけになったと司馬先生はみている。  軍事を知らない文官が勝手なことしないための防波堤的な意味も内包していたのだろうか。それが逆に軍人の方が暴走するなんて、皮肉だね。 p43 字下手か  大隈重信は字が下手であった。  この一文すごい司馬遼太郎っぽい。ぜひ渡辺謙に声を当てて欲しい。 p53 東京の景観  維新後、東京の景観は樹木が激減し悪化した。というのも、新政府の行政官がみな書生上がりで都市景観の美しさに理解が全くなかったかららしい。都下の旧徳川家の直轄地の樹木はみな払下げて、材木や燃料にされた。 p85 ボアソナード  49歳になるフランスの法律学者ボアソナードが大久保の清行きに随行した。江藤新平がフランスから日本の憲法創考に際して日本に連れてきて、そのご東大で教鞭をとった。国際公法の指南役として大久保に同行したが、ここで大久保の一番の相談役になる。 p162 朝鮮を取れ  当時の清の英国公使ウェードは、日本は台湾から手を引き、むしろ挑戦をとるように勧めたいと思ったに違いない。南下政策を進める対ロシアの障害として日本が利用できれば一番良い。  この頃の列強の考えは、このような他の列強との足の引っ張り合いの所が強い。  ドイツやフランスは日本が清と揉めることに好感を持っている。清が崩壊すれば、イギリスの既得権益は消滅し、新たな中国権益の獲得チャンスになる。 p203 嫌われた日本政府  当時のアジア駐在の西洋人は現地政府に好感を持たない。当然日本政府も外国人に嫌われていた。  武士の気質が残るからか、建前や面子が先行し合理性を欠く。合議の決定が先延ばし先延ばしにされる。  そりゃあフラストレーション溜るわ。 p223 薩摩の価値観  薩摩の価値観は、卓れた者に侚うのを良しとする。自分自身の考えや気持ちは二の次三の次で、自分の「先生」の言うことが最も正しいことであると考える。  ここでは肥後人と対比している。肥後人は議論をよくする質で、薩摩の正反対と言える。 p241 返金  日本は最終的に台湾遠征の賠償金として50万両獲得した。実際は2~300万両はかかっているが、清の内政事情との妥協でこの値段で是とした。  さらに、大久保はこの50万両のうち、内金の10万両以外の40万両は変換しようと考えていた。日本の義挙を世界に示し、清に恩義を売るという狙いが見え見えの策である。しかし、日本の財政事情も火の車だったため、これは実現しなかった。 p283 時習館  江戸中期、肥後に細川重賢という善政を敷く藩主があった。各藩で模範にされた藩校である時習館を創設したのもこの重賢である。  この細川は、戦国時代の細川幽斎・忠興の子孫である。彼らも頭良かったが、その気質がこの熊本に定着したんだな。 p285 清正の農政  豊臣の時代「肥後は難国」と呼ばれ、長く統一領主が出ないほど強い地侍が乱立する地だった。  この難国が加藤清正が封ぜられたことで治まった。  剛毅な清正は現地人を積極的に採用し、反旗を翻すものは自ら先頭に立って槍を振り回し誅伐する猛将ぶりを見せた。武勇を好む肥後人にこれが好かれたが良かった。また、さらに肥後人は地侍として農耕を好んだが、清正も農業土木を得意とし、積極的だったことが好感を得たと見える。  守護などただ年貢を取り上げるだけの無能者と考えていた当時の地侍にとって、農に明るい大名は新鮮だったし、信用できる存在だったのだろう。 p293 愛国公党  自由民権運動のため板垣退助が郷土土佐に作った日本最初の政党。当初は東京の銀座で「幸福安全社」という組織だったが、自由民権運動は地方で盛り上がり、議会創設の運動が起きなければ意味がないということで板垣は土佐に帰って党を作った。 p316 肥後の考え  肥後人は維新の主役を薩長土肥に奪われたという焦燥感がある。藩として平均的な教養が高く開明的な考えを多分に持ちつつも、維新の魁になれなかったために、薩長藩閥政府の支配に甘んじているという悔しさを持っているのが、肥後人の思想の根底にある。 p328 讒謗律  明治八年6月に明治政府が反政府的言論を規制する法律を施行した。それほど、反政府的な言論が横行していたのが明治八年という時代であった。  薩長藩閥政治への限界が見え始めた時期というやつ。 p330 森有礼  森有礼は維新の時代を欧米で過ごした。そのため維新を西欧の革命と同列のものと考え高評価したが、帰国後に見た明治新政府の実態が旧態依然とした行政府であることに、後進性をはっきりと見て絶望した。  そうした理由で彼は明六社を作る。 p344 中江兆民の学校教育  兆民曰く、「学校教育に必要なのは道徳の涵養である。」いかに外国語を教えても、人格が高くならなければ教育とは言えない。西洋ではキリスト教を以て道徳の教育としているが、日本は孔孟の教えを教えるべきだと言っている。 p349 ルソーの時代の江戸  ルソーの生まれた1712年は大岡越前が宇治山田の奉行になった年。ルソーが青少年の時代に江戸では、日本で最初の人文科学思考をした人物の荻生徂徠が活躍した。漢方の解剖図に合理的疑問を投げかけ、日本で最初に人体解剖を行った山脇東洋が活躍したのもルソーが生きた時代と並行している。  日本の合理主義的思考が開花した時代にルソーは生きている。フランスやアメリカの革命の根源になったルソーの考えと日本の思想がリンクしているのは、シンクロニシティ。 ______  クソつまんねぇって言ってる割に、チェックするポイントが多い。本当勉強になる。  明治維新は本当に氷山の一角しか知られていないな。この司馬先生の本のおかげで海の中の氷塊を目にできる。  だから読書メモが多いんだな。  つまらないが、次回が楽しみだ。

    1
    投稿日: 2015.02.01
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    読了。レビューは最終巻で。 興味深い流れ 清国とのあわや戦争。東南地域での紛争を好まない、イギリス勢の仲介により回避。

    0
    投稿日: 2014.09.11
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    大久保利通の執拗さが、頼もしくも恐ろしい。後世からの不人気さは致し方ないところか。 明治維新後の日本が、いかに頼りなかったかが心に沁みる司馬遼太郎の名作。もっと評価されていい小説である。

    0
    投稿日: 2014.08.14
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    ファンの方には申し訳ありませんが、クソ面白くない維新史。 大久保の外交話よりも宮崎家の兄の話の方が若干興味深い。

    0
    投稿日: 2013.12.06
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    いやぁ、今回も時間を要した…。ひたすら、北京に駐在中の大久保利通の対外交渉に費やされているのである。これを見て楽しいと感じる人が信じられない。司馬遼太郎作品で最も楽しめない作品だと思う。原因は、司馬氏のせいではなく、この巻の主役たる大久保利通のキャラクターのせいなのだろう。親しめないし、愛着も湧かない。この当時の大勢が「西郷万歳、アンチ大久保」を唱えたのも理解できる。ま、私は西郷をもあまり好かないが。 だいたい、大久保が唱えた征台案がハチャメチャなのだ。西郷の征韓論のように巨大な対外政略から出発したものではなく、単に西郷を頂点とする国内の不平党の鬱気をこの策で晴らそうという内政上の対症療法なのである。この時期の大久保は病気にでもかかっているのではないかと思ってしまう。病的なのは西郷も木戸も同じ。それ故、私がこの時代を好まないのかもしれない。維新の三傑と言われる三人が三人、清々しいヒーローとは言えないからである。 ま、読み始めたことだし、あと後半の半分も頑張って読み切るか。 唯一嬉しかったのは、山川健次郎が一節限定で登場したこと。NHK大河ドラマ「八重の桜」に登場する、山川大蔵の弟役(演:勝地涼)である。ロシアとアメリカへ官費留学して帰った青年という紹介のされ方でしばらく振りに東京を見た感想を宮崎八郎と対比させて描かれていた。宮崎ら普通の若者にとっては明治の数年間で「激変した」と感じたのだが、山川健次郎は「少しも変わっていない」と。これを山川の資質に起因するものと説明されていたが、分かったような分からないような…。(つまり、分かっていない私…笑) 以下に、興味深く感じた点を引用したい。 ・家康の頃からか徳川幕府が最も警戒し幕府の敵として見てきたのは、薩摩島津家であった。幕府は薩摩抑えのために九州の大名にまとまった兵力を持たせるべくその石高を大きなものにした。福岡の黒田家が52万石、佐賀の鍋島家が35.7万石、久留米の有馬家が21万石、さらに薩摩にじかに接する肥後熊本の細川家が54万石といったふうに。細川家に対しては薩摩が出てきた時には熊本城でよく防ぐべしという内意で城普請も充分にさせた。 →なるほど、昨年訪れた熊本城のあの堅牢さ(長い壁など)は徳川幕府の薩摩島津家対策なのか。 ・宮崎長兵衛(宮崎八郎の父親)もこの頃、長蔵という名前に改名していた。そういうお触れが太政官から出ていたのである。何兵衛や何右衛門というのは上古の官名であり、それを一般の者が私称するのは公私を乱すことになる、ということだった。 →これはトリビア。

    0
    投稿日: 2013.12.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    長い長い 征台の出兵はまだいいとして その解決に北京へ行く大久保の交渉話が長い 11 戦火初の大久保、まったく平然 24 李鴻章=一種の幕府 43 大隈、政治家として奇怪&いかがわしさ 46 大隈、言うことが変わる。誠意がない。言葉に信用を置けない 65 李鴻章、自分の軍は使いたくない。でも政府軍は負ける 86 ボアソナード 141 裏工作しない大久保 172 西郷、和魂(平和好き)と大久保批判 182 大隈、独特の気の強さ。副島、外交団を呼びつけるように 186 琉球の扱い 190 大久保の漢文能力高い 201 北京の外国人、中国に同情せず 203 後藤象二郎、ちゃらんぽらんの大風呂敷 216 清国人、日常的に裸体見せるのは下層労働者 221 肥後人の理屈好き 228 家康、薩摩警戒。熊本の細川家は薩摩を防ぐため 252 谷干城、妻は不美人。でも仲いい。親友 256 板垣に薩長起兵を伝達、谷 273 兵衛、右衛門という名前禁止 283 細川重賢=時習館 285 加藤清正、陣頭で槍。武勇好みの肥後人に受けた。農業土木にも手腕 299 近藤斬首、龍馬を切られたと思った土佐人が断行。 339 三権分立、木戸へのエサ。大阪会議で大久保&伊藤 345 来客と寝転んで話す、土佐の真夏の習慣

    0
    投稿日: 2013.10.07
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    昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。 坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。 ネット上での解説を少し転載します。 明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。 ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ 「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり 誰もその意見には反対しなかったという。 ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて 「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、 その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。 西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。 本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。 従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、 まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。 薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ その者に一切の業務を任せてしまう。 次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。 そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。 万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。 日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。 日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。 細かいところまで口を出す殿様は 家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。 でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。 世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。 スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王 ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も 部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。 古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?) 私も大きな組織で働いているが トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。 そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん! 1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。 いや〜〜長かった。 面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。 「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人物の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。 新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。 本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは? と思ってしまいました。 [読んで思ったこと1] 本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。 著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。 しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。 [読んで思ったこと2] 西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。 当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。 しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。 一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。 しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。 両者が激突するとどうなるのか。 短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・ 古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。 いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。 仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。 この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。

    0
    投稿日: 2013.08.29
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    明治維新直後の不安定な時代を描いている。 征韓論から西南戦争にいたる5年間が舞台。 西郷隆盛を始め多数の人物のエピソードと緻密な時代考証にその時代を知る思い。

    1
    投稿日: 2013.08.25
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    大久保は火消しに大忙し 従道は台湾で我慢大会 八郎はルソーに触れる 西郷さんは.......畑仕事? ゆっくりと濃密に流れる明治7年から 徐々に反政府気分の地鳴りが高まる明治8年へ みんな必死なのに上手く行かないのがもどかしい。

    1
    投稿日: 2013.08.10
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    前半終了の第5巻。薩摩や西郷隆盛の出番はほとんど無し、大久保利通の外交交渉がメイン。この交渉での戦争回避が、この後の西南戦争につながるわけです。それにしても大久保利通の行動力、政治力は現在の政治家にも見習ってもらいたいものです。

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    投稿日: 2013.02.09
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    【本83】征台論決着。大久保の外交は圧巻だが、ちょっと強引。もっとも背景が背景なだけにしょうがないのだろうか。後半部分は宮崎に焦点が当たるのだが、これは著者の趣向だろう。

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    投稿日: 2013.01.07
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    征台が始まり、清から賠償を得るべく大久保利通の初外交も始まった。飽きてるばかりの状況だが、思わぬ粘り腰が展開される。 この巻の大半が、宮崎八郎の目線で展開される。反大久保政府ということになるが、あまり面白みはない。しかし、描かれている内容は的を得ていて、本懐を遂げられるのであれば、かはどおでもいいという、反体制派の中途半端さが、よく描かれている。

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    投稿日: 2012.07.16
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     琉球人が台湾に住む蛮族の手により殺傷された。武力解決を望まない大久保が、大清国に乗り込み外交により解決を図る。大清国と日本の両国の思惑と利害においてぎりぎりの決着だった。当時の情勢を見ると琉球は両国に貢ぎものを献上している関係から、自国民同士の争い事とだと清国が突っぱねることもできたのだそうだ。歴史とは不思議なもので、この事件後、琉球は日本の領土であることを暗黙に了解され、今に至るわけである。

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    投稿日: 2011.10.25
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    激変の時代だけに物語のボリュームが凄い。 種々雑多な人々をその人の思想の背景まで詳しく供述している。 もはや、小説でなく、大説です。。

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    投稿日: 2011.10.25
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    征台騒動終息。宮崎八郎評論新聞入社まで。明治政府のゴタゴタ、大久保利通の対清交渉など話の内容は面白いのだが、司馬遼臭が鼻について長く読めない。

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    投稿日: 2011.07.27
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    征台問題で大久保が清国へ交渉に乗り出す。その後、宮崎八郎に主軸が移るが、入れ替わり立ち替わり人物が登場し頭の整理がつかなくなる。ときには筆者現在の視点で書かれている箇所もあり、小説の体をなしていないかもしれない。 なかなか読み進める事ができず、まるで坂道を自転車で進むようでした。

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    投稿日: 2011.04.27
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    善悪は別として、今の政治家に大久保利通のような信念と凄みを兼ね備えた傑物がいるだろうか。民主党の平成維新って言葉の遊びにすぎない。今の政治にはなにも期待できない。

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    投稿日: 2010.03.14
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    明治7年、大久保利通が清国で繰り広げた外交劇は非常に印象的だ。平行線の交渉の場をあらゆる手段を用いて粘り強く挑むその姿には感動を覚える。どのような辛い立場であっても糸口を見つけるために頑なに挑み続けている一面を劇的に描いている。 外交に限らず交渉において妥協をせずに自分の目標・目的に少しでも近づけるように努力することの大切さをしみじみと感じた。

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    投稿日: 2010.03.08
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    遅まきながらこの革命にやがて思想性を付加しようとする運動がおこるのだが、しかしすでに革命を遂げて権力を握った太政官政府にとっては、遅くやってきた思想などは、邪魔物か、敵でしかない(237頁)

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    投稿日: 2009.11.24
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    全巻通読後のレビュー。 全10巻という超大作であるが、もともと毎日新聞に連載された小説であるから、多々同じ記述が見られる。 しかしながら、明治維新後の日本の姿を鳥瞰的手法で世界史と関連付けて論じられている点で、日本近現代の始まりを理解する際の基礎理解には最適の入門書であると考える。 島津久光という超保守派の考え方から、維新を支えた革新派の面々の考え方が手に取るように分かる小説である。重要なのは士族の不満、百姓の不満がどのようなものであったか、であるが、それもこの小説では網羅されている。 物語は維新開始直後から、西南戦争(明治10年)を経て翌年の紀尾井坂の変(大久保の死)、さらに川路利良の病没までを描く。 明治維新は天皇の威を借りた王政復古という形でスタートした。それが後に軍の独走いうものを招くが、この時点ではそうせざるを得なかったということも、小説中で書かれている。 後の日本を支えていく山県有朋、伊藤博文、板垣退助、軍人で乃木希典、川村純義などが登場する。 西南戦争は8巻の半ばくらいから始まる。桐野、篠原ら薩摩隼人に担がれた西郷、悲劇のような最後の激闘である。西郷が桐野や篠原といった兵児(へこ)を最も愛し、彼らと生死をともにしたことは、西郷をうかがい知る上で、見逃せない点である。 西南戦争の中身についての描写は一流である。 時間がない方にも、8~10巻は読むことをお勧めしたい。

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    投稿日: 2009.11.01
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    司馬遼太郎に初チャレンジした作品。が、10作もあり読むのに2ヶ月超もかかってしまったww 舞台は戊辰戦争後の明治初期。西郷隆盛を大きな軸として揺れ動く日本政府の動向をあらゆる人物の観点から追っている。よくもここまで調べたなって感心してしまう

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    投稿日: 2008.05.11
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    大久保利通の外交術を主題として取り扱っている。 圧倒的に不利な立場で、征台の正当性を認めさせ、その兵費の賠償金を出させるという無理難題を呑ませるという離れ業をやってのける。戦争を掛け物にして、九割九部外交の果実だけを勝ち取る確信があったという。 西郷はあっさり諦め、大久保はひつこくくいさがる性質が比較される。 清国の実質的権力者である李鴻章を無視し、外交本部に直談判しにいくという出鼻のくじき方が爽快だ。 まともに行っても、うやむやにしてくるタイプには、相手の最終意思決定機関に飛び込み、 単刀直入に要件を切り出し、論点がずれないよう、また出た言葉について、一つ一つ言質をとり、つかんではなさない姿勢が大事だ。 会議は終始水掛け論だが、話を長引かせ、相手の矛盾をつき、自分の正当性を地道に訴えて、糸口を探るしかないのである。 そして、相手が折れたらすぐには飛びつかず、また拒否もせず態度をあいまいにして、話題をそらしてみるテクニックが使われている。 また、会議の当事者だけでなく、英国公使や顧問を裏で調整させ、仲裁させていくことも必要である。 メンツも意識しながら、相手を追い詰めすぎないよう信義も醸し出す配慮を見せている。 終始本音は言わず、遠回しに伝えることで、相手のペースに乗らないことも外交にここまで役立つとは思わなかった。 谷干城の宮崎八郎への言葉「旧幕府は変わりようもない政権だったが、いまの政権はたとえ百時よからぬことがあっても、変わる可能性のある政権である、君たちが変えてゆけばよいだけであり、転覆させたところでどうにもならぬ」 この巻より、宮崎八郎が主役になり、ルソーの民約論が出てくる。 古学「具体的・実証的」荻生徂徠・朱子学「抽象的」 肥後県令安岡良亮、新撰組近藤勇を斬首刑 植木学校。中江兆民、森有礼 安藤昌益、ルソーと近い思想。江戸中期 ミル自由論 評論新聞海老原穆

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    投稿日: 2008.03.30
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    台湾に侵攻した日本は、大久保に全権を持たせ清国との交渉を開始した。 交渉決裂すれば即戦争という状況の中、英国の奔走により、軟着陸する。 この外交が国内の不平士族には、弱腰に映り、また自由民権という思想も各処で芽生え始め、内乱の緊張感が高まる。 2008/03/18

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    投稿日: 2008.03.23
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    大久保の、台湾出兵に関する交渉が中国と行われ、非戦の結果となる。彼の交渉能力は抜群である。この結果を良しとしないのは、清との戦争を期待していた士族たちであり、彼らの鬱憤はたまるばかり。政府との軋轢は徐々に大きくなっていく。

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    投稿日: 2007.06.24
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    大久保利通がはるばる清国までいって李鴻章と談判する巻。もしかしたら清と戦争になっちゃうかも?ならないかも?やっぱりなっちゃうかも??果たして大久保利通の腹のうちは如何?教えて、大久保さん★ 大久保さんの寡黙さが周囲に不安を与えまくっている様子が可笑しい。結果から言えば戦争にはならなかったわけですが、台湾の先住民が日本人を殺害した件で清国(台湾の宗主国)から賠償金をゆすり取ろうとしてるヤクザな日本は無茶。木戸孝允は「清と戦争になったら日本は大挙して北京を攻撃できたとしても、その地にずっと拠有できるワケないよ」ということを仰っていますが、これは見事な予言です。のちの太平洋戦争までこの予言は常に的中することになるのですから。陸軍では谷干城が登場。台湾出兵にホイホイついてった宮崎八郎との邂逅。ルソーの思想の蔓延・社会主義に沸騰の兆し。中江兆民デターーー!!変人!変人!! 「明治八年・東京」の章では…大阪会議がおもしろすぎる!!必死に木戸孝允を政府へひっぱり込もうとする大久保さんが可笑しい。伊藤博文は媒酌人。木戸さんは良い迷惑。「大久保に待受けられ、直に突入、是には随分困り申し候……例のねばりづよく……」のコメントには爆笑した。

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    投稿日: 2007.05.21
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    小説で連載物は中身の要約するのがちょっと難しいので、感じたことを記しておきます。 徐々に明治維新を実施した人々の魅力というのに惹かれてきている。 このころの日本と言うのは、各自が大儀を持っていた。 これが、日本が日本であることの証拠なのではないだろうか。 西洋化が進むことで、意識の伝承はマニュアル化され、その奥に潜む信念というのが伝わらなくなってきていないだろうか。 この信念を教えるのが、倫理であり道徳であるはずだかが、今の日本の学校教育ではこういった授業は軽視している。 今は道徳って無くなったんだっけ? どちらにしても、道徳教育において、日本(中国)の哲学というのを教えるべきじゃないだろうか? 少なくとも、今の親の年代に、過程において信念を伝えるのを期待するのは難しいだろうから、塾代わりの教室が必要なのかな。

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    投稿日: 2007.03.20
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    幼馴染みであった西郷隆盛と大久保利通。その西郷は薩摩藩士をいたく可愛がり、大久保利通は新政府の明治政府を大切にし、その二人の思想の違いが二人を引き裂いたという感じでしょうか・・・。下手なドラマを見るより、二人の苦悩が感じ取れるこの本はとてもよく出来ています。

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    投稿日: 2005.01.26
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    議を言うな。 というのはかれらが少年のころから両親や郷中(少年組織)から薫陶される教育で、武士が自分の行動の言いわけをすることはもっとも恥とされた。 ところが熊本の場合は、およそ逆であった。 「肥後人の理屈好き」 というのは天下に知られた通癖で、肥後人が十人集まれば十人とも意見が違うといわれ、それぞれが他人の意見との小さな差を重大なものとし、その小差に固執する。(p.186)

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    投稿日: 2000.04.01