Reader Store
翔ぶが如く(四)
翔ぶが如く(四)
司馬遼太郎/文藝春秋
作品詳細ページへ戻る

総合評価

49件)
3.6
5
20
15
3
0
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    西郷従道の行動力 ・心即理(しんそくり)は、宋明理学における命題の一つ。心こそ理であるとする[1]。中国南宋の陸象山や明の王陽明が定義した。 人間は、生まれたときから心と理(体)は一体であり、心があとから付け加わったものではない。その心が私欲により曇っていなければ、心の本来のあり方が理と合致するので、心の外の物事や心の外の理はない。よって、心は即ち理であると主張した。 ・君子は器ならず

    11
    投稿日: 2025.11.08
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    西郷が征韓論を覆されて下野した明治7年を中心にした卷。 佐賀の乱など不平士族の反乱を鎮圧しながら、西郷下野以降は薩摩士族が離脱して一旦弱体化していた政府軍は強化されていく。 一方征韓論を潰した政府の幹である大久保は離脱して国元に戻った薩摩士族のエネルギーを国外に向けるためにも「征台論」を推し進める。 領土や市場を求めていくのではなくあくまで薩摩士族の革命的エネルギーを削ぐという国内事情のために台湾へ出兵することについての「司馬遼太郎の講義」を堪能できる第4卷でした。

    0
    投稿日: 2025.10.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ここまでの4巻で1番読むのがきつかった。 勝手に西南戦争が始まると思って期待しすぎたのが原因だろう。 巻数が進むにつれて象徴としての西郷が肥大化していくのが面白い。日常生活でも似たようなことはあるが、国を巻き込んでというのはこの時代ならではなのだろう。 また西郷弟と大久保が征台政策を国民に周知せず夜襲のような形で行ったのも政府の形がまだ定まりきっていない明治初期でしかあり得ないことなのだろう。 こういう類の時代の違いからなる行動の変化が読んでいて1番面白い

    0
    投稿日: 2025.05.27
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    明治維新の立役者たちは誰一人として英雄などではなく、新時代を建て上げるために皆それぞれ自らの弱さに苦悩し、あるいは迷いながらことを進めていく感情を持った「人間」なのだということがよくわかる。 人間の感情が歴史を作っている、とも言えるかもしれない。

    0
    投稿日: 2025.02.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    個人的な仕事などの忙しさから読了までかなり時間を要してしまった。 歴史的な史実である、征韓論と征台、その流れがなぜ生じたのかを薩摩藩という独特な藩とそれを取り巻く人の繋がりをもとに見事なまでに著している。 ここからはよりテンポ良く読み進めていきたい。

    0
    投稿日: 2024.06.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    内乱(革命)を達成した後のエネルギーが行き場をなくして外征へ向かう…この歴史は何度も繰り返されており、明治維新における薩摩も同様と見える。。それを抑え込むための征韓論であり…というのが要旨。 10巻あるのでまだ西南戦争も始まっていないのだが、やや長い…

    0
    投稿日: 2024.05.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    維新達成後、有り余った武士(すでに元武士)エネルギーの発散と、廃藩置県による階級廃止及び、徴兵制度への不満解消は、重要な内治問題だった。そこで西郷は征韓論を発案し、大久保は征台策を発案した252

    0
    投稿日: 2023.11.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「尊王攘夷」のスローガンで始まった筈の倒幕運動から、明治維新が為ってみたら、幕末からの開国方針が何も変わっていないという、この歴史の流れが、長らく釈然としなかったのだが、これを読んで、漸く腑に落ちたというか――当時の士族達も釈然としなくて、だからあちこちで士族の反乱が起きて、最終的に西南戦争に至ったのね、と。しかし、旧支配層の武士は既得権益を取り上げられ、庶民は税金やら兵役やら負担が激増した、この明治維新という大改革が、よく破綻・瓦解しなかったものだという、新たな疑問が湧いてきた。

    0
    投稿日: 2023.09.10
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    p.219 「文明が極まれば神なきに至る。開化がきわまれば、戦争なきに至る。必ずそういう日が来るであろう。」 そういう日への道のりは、まだまだ遠そうですね…。

    0
    投稿日: 2020.04.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「翔ぶが如く(4)」(司馬遼太郎)を読んだ。 『結局、人はその古巣に還ってくる。その古巣の中の現実にまみれ、足をとられてゆくのが人生であるのかもしれない。』(本文より) 蓋し名言である。 しかしまあ明治政府がこんだけ迷走していたとは知らなかったよ。

    0
    投稿日: 2018.07.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    【感想】 「竜馬がゆく」とは大きく異なり、現世に近いドロドロとした人間関係がエグイ・・・ 大久保と西郷、2人とも日本の将来を展望していると言う意味では同じ立場かつ同じ目線なのだろうが、 それぞれの立場やわだかまりがズレを生じさせつつ、それが日本全体に波及していっている。 いくら影響力がある者同士とはいえ、国家を揺るがすくらいの問題になるのが今では考えられないなぁ。 とは言え、今は爆発寸前で一点の揺らぎもない状態で物語は進んでいる。 たまに突き合いがある程度でハラハラする事もなく、少々読んでて退屈になってきた。 【あらすじ】 西郷に続いて官を辞した、もとの司法卿・江藤新平が、明治七年、突如佐賀で叛旗をひるがえした。 この乱に素早く対処した大久保は首謀者の江藤を梟首に処すという実に苛酷な措置で決着をつける。 これは、政府に背をむけて、隠然たる勢力を養い、独立国の様相を呈し始めている薩摩への、警告、あるいは挑戦であったであろうか 【内容まとめ】 1.征韓論の衝突は、西郷・大久保という両大関の衝突 2.大久保だから、行き詰まらずに彼流儀の日本国を作り上げるかもしれない。  その時はその時で、自分は故山で朽ち果てるだけのことだ。  西郷は気長に物事を見ていた。 3.征韓論は、所詮近衛軍人や士族たちの憤りのはけぐち  西郷としては、これ以上抑え続ける自信がなかった。その征韓論を、大久保が蹴った。 【引用】 p12 「思うて一なれば敵なし。」 若い者に、自分は何事かをしようと思うがどう心がければいいかと問われ、西郷が答えた言葉。 卵を抱いているメンドリの心境。 どんなにうまそうな餌を近づけても、また脅しても、メンドリは見向きもしなければ逃げもしない。 また猫がねずみを狙う境地も似たようなもの。 元来、猫というのは物事に過敏な動物なのだが、ひとたびねずみを狙う時は恐れもせず他を振り返ろうともしない。 p21 西郷の思惑 10年もすれば、大久保のあの専制的なやり方は行き詰まる。 そのとき東京から自分を呼びに来るだろう。 しかし一面、大久保ほどの男のことだから、行き詰まらずに彼流儀の日本国を作り上げるかもしれない。 その時はその時で、自分は故山で朽ち果てるだけのことだ。 気の長い政略計算があっただけに、佐賀士族がこぞって乱を起こした時に、「しまった」と失落感があったと思える。 p82 西郷と薩摩人という存在がなければ、江藤は死刑にもならず、まして「晒し首」されなかったに違いない。 p171 「海老原に聞けばどうか?」 と、高橋がいうと、村田は一笑に付した。 「そういう人間に聞いたところで仕方がない。」 物事というのは、人間の料簡によって見方が違うのだ。 海老原ごとき小器量の人物に聞いたところで何になろう? 「征韓論の衝突は、西郷・大久保という両大関の衝突である。」 p185 東京政権が確立したのは、廃藩置県のおかげである。 それを可能にしたのは薩摩系近衛軍人で、彼らは政府に騙されたとはいえ、その功績は大きかった。 しかし彼らはことごとく政府に対して激怒している。 大久保は、性格上それに対して冷然としている。 西郷はその大久保の態度に、配下の近衛軍人と同様、憤りを覚えただろう。 その西郷が、近衛軍人や士族たちの憤りを他に向ける為に征韓論を持ち出した。 西郷としては、これ以上抑え続ける自信がなかった。 その征韓論を、大久保が蹴った。

    5
    投稿日: 2018.06.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    感想は変わらず。 ただ、江藤の死と征台という二大事件が多少読む速度を上げる。 後者のお粗末ぶりは、同じ日本人として悲しくなるばかりである。大事なのは文明である。

    0
    投稿日: 2018.03.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    廃藩置県が、西郷さんに重たい十字架を背負わせ、それが西南戦争に繋がっていく要因になるんだなと感じました。西南戦争前の西郷さんは、革命を成就させるためだったとは言え、色々と辛かっただろうなと思う。

    1
    投稿日: 2018.02.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    佐賀の乱での江藤新平の暴発、晒し首から、征台に至る国内外の駆け引きまでの4巻。作者が文中に記しているとおり、西郷隆盛という存在が本人の意思とは無関係に周りに与えた影響を描いており、知識欲を満たすものと考えれば良書であるが、読み物といえば話が進まず退屈すると思われ、後者をやや重視する自分としては読後はなんだかホッとする気持ちになる。

    1
    投稿日: 2018.01.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    征韓論をめぐって西郷隆盛に続いて官を辞任した司法卿の江藤新平が突如、佐賀で叛旗を翻す。その際の西郷を恐れる大久保利通の迅速な決着とは。さらに征韓論に反対する大久保利通、西郷従道らは「台湾征伐」へと動き始める。これは・・・?

    0
    投稿日: 2017.12.24
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    西郷隆盛がいかに、明治維新の中で英雄だったかという点が事細やかに書かれている印象。この巻では、主に薩摩藩の志士の不満を解消するために、台湾に出兵する過程の話がかかれていた。幕末~明治維新の歴史の流れが頭に入っていないとちょっと文章中の事柄を理解するのは辛いかな。逆にその部分に興味を持ったりもする。こうして文章を読むといろんなことが知りたくなってくる。(そんな時間はあまり無いけれど)。感想はこんなところです。

    0
    投稿日: 2017.04.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    西郷隆盛さんが明治6年の政変で下野して、鹿児島につくった私学校は、かなり政党的色彩の強いものだったみたい。 てか、この頃は本当に行政が一部の薩長土肥の元下級士族に「私」されて、本当にズブズブだったんだね。 それと、征韓論はダメなのに征台論はOKって、対外的にも対内的にも何も言わずに4千人近い「軍人」を他国へ押し込ませるってダメだと思う。 明治初期ってのは、過激派サークルのノリで全体を見れない(見る立場にもない)兄ちゃんたちが勢いで政権を倒しちゃって、それまで手にすることができなかったお金と地位と高級な女性たちに入れあげてただけの時代だったのかもね~。 長く続いた江戸時代・徳川幕府の残像でしばらくは保っていたんだろうな~。 これじゃあ、昭和の戦争も流れだったろうな~。

    0
    投稿日: 2016.10.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    西郷隆盛という人物その物が英雄視され思想となって、どれだけ強力な渦を巻いていたかがよくわかる。しかしこれは西郷が望んでそうなったのではないだろう。自分では望まなかった強烈な吸引力は、やがて西郷の最期へと向かってゆく。 この巻では、そのようなことに焦点を絞って書かれているような気がする。

    0
    投稿日: 2015.10.30
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    流れを抑えたい自分としては、冗長な話や、時系列が混乱する感じで、すごく読み辛く感じます。前回も、この巻あたりで挫折しているので、なんとか通して読了したいです。

    0
    投稿日: 2015.01.28
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    グダグダの台湾出兵。第二次大戦の軍部の暴走はこの時に倣っているようだ。歴史に学ばないとこうなるのだ。  台湾出兵は秀吉の頃とあまり変わらない海外遠征で、つくづく征韓論は時期尚早だったとわかる。  学校の教科書だと、台湾出兵なんて2行程度で、薩摩士族への申し訳程度の出兵だとしか書いてない。もちろん興味もわかない。こんなにもグダグダだったなんて、この本を読まなければ一生知ることはなかっただろう。サンクス。 ______ p28 佐賀の乱は大久保の餌食になった  江藤新平の起こした佐賀の乱は、政府の根幹を揺るがすどころか、却って政府の結束を強めることになった。この乱のために、臨時的に明治政府の権力が集中し、来る西南戦争へ予行演習になった。 p35 独裁官だな  佐賀の乱において、大久保は独裁のごとくになった。軍事統帥権のほか、行政権・司法権の一部を委任された。その結果、佐賀の乱の戦犯の裁判は大久保のために厳粛に行われ、明治新政府の独裁性が強まった。 p38 大久保の戦略  大久保は佐賀の乱に対して驚くほど迅速な対応をした。その結果、佐賀の乱を挑発して導くことができた。実質、大久保の掌の上で踊らされた形になった。 p53 庭役  西郷は斉彬のもとで、藩士としてではなく、庭役として雇われた。それは、当時の封建制のしきたりで藩士は格式ばった形でしか面と向かって話すことができなかったからである。庭役だからこそ自由に話し合いができ、斉彬の教育を受けられるというわけである。  当時の庭役は庭の手入れだけでなく、密偵などの役も仰せつかったある種特別な存在だった。 p68 実話  佐賀の乱で配送した江藤新平が西郷のもとに救援を求めにやってきた。しかし、西郷はこれを拒否する。  この密談は西郷が宿泊していた宿で行われたが、そこのおかみさんが長命で、当時の西郷の声を聴いている。 「わたしのいうようになさらぬと、当てが違いますよ。」と西郷が怒号をあげたらしい。西郷はあくまで反乱を起こす気はなかった。なのに勝手に佐賀では反乱を起こし、それが破れたら私を担ぎに来るなんて、当てが違うということである。 p102 私学校を作ったわけ  佐賀で沸き立っている壮士たちの怒気を抑えるために、収容所のようなものか? p125 集成館  薩摩の最新式工場。当時すでに薩摩は小規模な産業国家を形成するだけの力があった。ガラス工場や反射炉による製鉄工場もあった。が、斉彬の死後、これらは廃止された。藩財政の圧迫ということだったが、斉彬ほどの人物がいなければ運営できない代物だった。 p130 兵農不分離  西郷は商業志向を嫌い、あくまで農業志向の国家観を持っていた。「武士は百姓になっても商人にはなるな」  武士の源流は平安時代の農民である。商業は武士の精神を失わせるという。 p138 ビスマルクの器  西郷曰く「西洋人と言っても何も違ったことはあるわけではありません。聞くところによると、ドイツのビスマルクなる者は豪傑で、何の技能もない男であると申します。」西郷は君子器ならずという。君子は道具ではない。道具のような技能はない方が良い。君子は偉大なる徳だけがあればいい。そういう意味でビスマルクを喩えている。 p140 小人は…  小人ほど才芸があって便利なものである。これは大いに用いなければいけない。しかし、長官に据えて重職を授ければ、必ず邦家を覆す。これは薩摩藩の斉彬の後継者争いで感じたことだろう。 p142 斉彬の家督騒動  斉彬は42歳まで藩主でなかったのは、父である斉興が家督を譲らなかったからである。それは斉興のブレーンであった調所笑左衛門の手回しによる。笑左衛門は茶坊主あがりで、藩財政の立て直しのため家老に大抜擢された男である。彼は大阪の借金凍結やサトウキビ貿易と中国密貿易など無理をして財政を立て直した有名な男である。  西郷に言わせれば、調所に家老という役職の褒美を与えたのがいけなかったという。褒美は物の褒美を与えればよかったのだ。  調所は財政力という技能を持っていたため、政治にそれを用いて失敗したという。調所は斉彬の開明的政策を財政ひっ迫になるとして強く反対した。それゆえ斉彬はなかなか藩主に慣れなかった。しかし、時勢を見れば斉彬が正しかったはずである。技能があると小手先に囚われ、対局が見れなくなる。そのため、政治には不向きなのである。  これが西郷の理論。斉彬が藩主になれなかった理由。 p156 沖永良部  おきのえらぶ島は西郷が二回目の島流しにあった場所。1862年に西郷は久光に「浪士を煽って武士社会の転覆を腹に含んでいる」という嫌疑で島流しにされた。 p171 空っぽの西郷、春日潜奄を訪ねる  大隈重信は西郷や板垣を馬鹿と思っていた。実際西郷は維新後の世の中で路頭に迷っていただろう。  西郷の新時代観は「堯舜のようなもの…」ていどのふわふわしたものだった。だから、勉強のために部下の村田新八を遣わした。 p173 横井小楠  この時代の新国家観の持ち主は、横井小楠、勝海舟、福沢諭吉、この程度だった。横井小楠は有名でないから調べたい。 p178 薩長の対比  長州は江戸時代から藩主を端に機関として扱い、君臨すれども統治せずを実施していた。  対して薩摩は、藩主がすべてを仕切っていた。「島津に暗君なし」といわれる奇跡の国家だった。  ゆえに西郷には天皇の存在がうまくつかめなかったようだ。 p191 西郷VS大久保 対立の原点  廃藩置県がその原点。大久保は廃藩置県を推奨したもののそれを決して表には出さないようにした。薩摩藩士でそれを唱えれば、殺されることは必至であった。木戸孝允ら長州人たちにこれを推進させ、島津久光の怒りはほとんど西郷にかぶってもらった。  このやり方から、二人の決別は始まった。 p222 台湾出兵  「薩摩の沸き立つ壮士たちが喜ぶであろう」という子供だましのために起こした対外戦争。  沖縄の漁船2隻が難破して台湾南部に漂着した。漂着者たちは高砂族に襲撃され66人中54人が虐殺され。残りの12人は中国の福州に逃れた。これに対する報復戦争である。 p224 尚氏は源氏、対馬氏は平氏  日本の武家らしく、源流を名乗っていた。 p229 鄭成功  鄭成功は日本の平戸藩の藩士の娘を母とする混血児で、明が清(ヌルハチら遊牧民族)に滅ぼされそうになった時に抵抗を続けた武将である。その対清の拠点としたのが台湾である。この当時の台湾はオランダの東インド会社に占拠されていた。鄭成功はゼーランディア城を奪取し、拠点を得た。  鄭氏の台湾は21年間続いたが、清の追討軍により破れ、清の植民地になった。 p233 グラント大統領はだめだった  アメリカ南北戦争の北軍の将軍グラントはアメリカ大統領になった。しかし、グラントは史上もっとも無能と言われるほどだった。 p243 客家  中国でも不思議な存在である客家。唐末の黄巣の乱の際に華北から南下した連中を祖先に持ち、そのうち全土に散った。常に反政府的気分を持っており、太平天国の乱なんかも彼らの仕業で、洪秀全なども客家だった。 p252 革命のエネルギー  革命のエネルギーは正義とか人権擁護とかキレイごとは並べていても、結局は殺意と反逆心のエネルギーでしかない。このエネルギーは革命が収束したら消えるというものではない。歴史ではしばしばそのエネルギーは外国に向けられる。  中国がいい例である。中国で国号が変わる革命が起きたのち、その強大な軍隊を解散させるわけにもいかず、北方遊牧民族などの外征や防衛などに用いられ、中央から遠ざけられることも多かった。ナポレオンの対外戦争もフランス革命のエネルギー発散だったということもできよう。 p254 台湾へぶつける  台湾出兵の理由。①出兵の兵を募れば、薩摩藩士の気も紛れるだろう ②台湾に出兵することで政府が外国に対して弱腰ではないということを示すため  結局、台湾はとばっちりを受けただけなのである。 p257 清ならまぁいっか  征韓論はダメで、征台論が良い理由。挑戦を打倒した後に出てくるのはロシアである。しかし台湾ならその後に出てくるのは清である。この時期、日本はロシア帝国に勝てる軍事力はない。しかし、清ならまだ何とかなるという希望があった。 p261 毛利元就から始まる長州の気質  元就は輔佐政治という家憲を残した。元就亡き後、輝元を支えるため、二人の叔父である吉川元春と小早川隆景が「毛利の両川」として本家を護るために補佐官に徹した。  この精神が長州藩の法人的国家観を生んだ。 p285 西郷の台湾出兵の反応  木戸孝允は「政府は征韓論を押した江藤新平を処した。それなのに、台湾出兵をするという。これは理に合わない。本来ならば、江藤をして台湾出兵の総大将にすべきである。」といって矛盾をついた。  しかし西郷は、「それはよろしい」と従道に言った。 p317 当時の明治政府軍の程度  台湾出兵と言っても猪狩りのようなものだった。日本の持つ銃器は火縄銃で、高砂族の者たちは日本軍が追えば山林に逃げ、それを追い落とす程度のものだった。  日本軍はマラリアでひどい被害を出し、それを含めれば日本人の方が被害が大きかった。 p319 台湾出兵の異常さ  台湾出兵は日本史上の珍事件と言える。兵三千以上の軍隊を国民に開示することなく、夜盗のようにこっそりと出兵するという近代国家にあるまじき一大事であった。そして、それは現代に至っても日本人に馴染むことのない不思議な事件である。  この台征に際する大久保の所業は詐欺まがいと言っていい。太政大臣の三条実美と岩倉具視の勅命だけで出兵の許可を得て、早々に西郷従道に出発させて既成事実として作戦を進行させた。ゴリ押しにもほどがある。  このやり方はのちの軍部のクセになる。このせいで昭和の大失敗が起きた。その起源とも言えそうである。 _______  この巻の中心は台湾出兵であるが、ここにも昭和の軍人の思考を絡めてくるところがさすが司馬遼太郎だ。  しかし、まだ4巻。半分いかない。スゴイ読みごたえを実感している。

    1
    投稿日: 2014.11.20
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    読了。レビューは最終巻で。 西郷隆盛から離れ、私もあまり認識無い台湾渡航の話になり、物語の中に入り込めない感。 興味深い流れ 当初は脆弱だった政府の軍力も、佐賀ノ乱、前原一誠の萩ノ乱、神風連を経て強くなり、西南戦争を戦えるくらいに強力になった。 征韓論反対の大久保等が、戦争をするためではないにしろ、西郷隆盛、薩摩の気分を静める為に、征台を進めていく

    0
    投稿日: 2014.09.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    四巻はやや進行が淀む。 淀まざるえないほどに、明治日本にいろんなことが起き混乱する。 西郷下野、佐賀の乱、鹿児島私学校設立、台湾出兵…。 明治維新により一夜にして近代国家としての日本ができたのではない。 混乱を解決することにより少しずつ作られていく。 大久保利通の冷酷さが恐ろしい。 日本人必読の書だと私は思う。 どうして人気がないのだろう?

    0
    投稿日: 2014.07.19
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    第3巻は3週間ほどかかってしまったが、本巻はトータル4時間ほどで一気に読み切ってしまった。いや、普通は小説というものはこうして一気に読むべきものなのだろう。 本巻では、西郷隆盛の動きに特段の進展はない。ずっと薩摩にいて狩りに明け暮れている。せいぜい、私学校のボスに据えられたくらいである。その代わりに、時間潰しをするかのように征台論が急浮上。あれだけ西郷隆盛の征韓論を否定していた大久保利通と西郷従道が、旧士族の不満を発散させるため、として台湾への攻撃を思いつくのである。もちろん2人とも西郷隆盛を意識してと行動なのだが、非常に矛盾だらけの行動である。この辺りが政治史の面白さか…。 興味深く感じた点を幾つか…。二つとも藩に関するもの。どうも私は藩のカラーなどを論じた文章に興味を示すらしい。現代でいう、県民性に共通するものなのだろう。 ・島津家は日本で最も古い大名だったが、江戸末期から人材登用が活発になっていた。この点、大名家として古い仙台の伊達家が牢固とした門閥主義をとって幕末には鈍重な動きしかみせなかったのと対照的。 →人材登用の大切さが分かる一文である。これは現代では企業に相当するのだろう。実力主義を採用する企業と年功序列を頑なに固執しようとする企業、どちらに軍配が上がるかは自明の理。 ・どういう訳か、長州藩は代々凡庸揃いで一度も英気溌剌とした藩主を出さず、また自分に個人的忠誠心を強いる自我の強い藩主も出さなかった。これらの事情がこの長州藩を独自なものにした。 →なるほど、確かに毛利の殿様って、中世の毛利元就や輝元くらいしか思い当たらない。幕末の毛利敬親は名前こそ知っているものの、印象に残らない。しかし、そのお陰で下級藩士たちの伸びしろが出来たのだろう。

    0
    投稿日: 2013.12.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    大久保の宿敵、江藤の起こした佐賀の乱は簡潔に終了。力の入れどころは作者の裁量だから文句もないが展開がクソ遅い。 余談に翔ぶが如くと化している。

    0
    投稿日: 2013.11.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    西郷の隠棲と佐賀の乱、征台論の行方 「葉隠」で有名な佐賀藩が実戦に弱かった、というのはいかにも。 佐賀の乱も、もっとページ数裂くのかと思ったらあっけなく終了 薩摩の私学校、行政の区長や警察官もやった 学校というより政党というべきもの それにしても長いなぁ 以下はメモ 10 西郷、ナポレオンとワシントンの絵 18 鰻丼、犬にやる。店主立腹 25 江藤も大隈も西郷を甘く見た。理解できない 29 慶喜、薩摩藩はにくい。長州は憎くない 33 板垣、新国家構想も行政技術もない。後藤象二郎は装飾物 37 佐賀藩、理屈多く実戦弱い 51 西郷、足はやい 55 久光、政治家というより精神美愛好者 66 「一蔵に聞け」 82 肥後、議論多く実行に容易にいたらない 85 江藤の惨刑、明治政府=弾圧者の最初 91 江藤の裁判、東京で開かれると皆思っていた 112 薩摩の私学校、漢学・兵書主体。孟子や大学中庸は排除 122 薩摩藩の火力重視、機械力重視。長州は田舎藩で火力軽視→陸軍? 123 西南戦争、死者の脇に英語やフランス語の単語帳散乱 126 西郷、斉彬が目指した資本主義理解できず 128 経綸の才乏しき西郷、板垣、と大隈 130 西郷の保守性。武士は百姓になっても商人になるな 133 下肥、自分で運んだ西郷 135 巡査が咎めることも。顔知られていない 145 横山正太郎、割腹して意見書、森有礼の実兄 147 太政官官員の虚飾好きと出世欲>旗本衆  153 村田新八、留学組みで西郷と呼応 171 西郷、太政官に弁当喰いにきていただけ←大隈。あと板垣と昔話 192 廃藩置県、長州の極秘作戦 199 村田、音楽好き。アコーディオン弾く 222 勅命で台湾外征。奇妙な癖を対外活動にまで拡大 233 米国の公使館関係者、能力・活動低い。グラント、無能大統領、軍人あがり 244 占領後の維持を考えない日本 253 従道が征台策を主導 255 木戸、人民のための政治 261 長州藩、補佐政治。官僚組織も洗練 263 大久保、徒道、ともに事務的な実務苦手 264 事務局長は大隈、財政家で楽観論者。井上馨は悲観論者 268 明治初期政府をまともな政府のように扱っていない、各国外交団 278 木戸、上申書と辞表 286 近衛仕官=上士、軍人に。郷士=警官に。雑居させると摩擦 292 対外政策、無配慮&粗暴 295 薩摩者、思いこんだら直線的行動 296 後藤象二郎、後進を引き立てない。一見壮大だが法螺話 314 マラリア、人夫500人中128人病死 315 当時の日本陸軍、輜重を出入り商人に任せる 317 徒道が正装で水番に立つ 324 大隈の対外政策、思想性に乏しく粗雑。でも利にさとい

    0
    投稿日: 2013.09.16
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。 坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。 ネット上での解説を少し転載します。 明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。 ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ 「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり 誰もその意見には反対しなかったという。 ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて 「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、 その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。 西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。 本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。 従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、 まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。 薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ その者に一切の業務を任せてしまう。 次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。 そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。 万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。 日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。 日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。 細かいところまで口を出す殿様は 家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。 でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。 世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。 スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王 ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も 部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。 古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?) 私も大きな組織で働いているが トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。 そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん! 1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。 いや〜〜長かった。 面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。 「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人物の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。 新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。 本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは? と思ってしまいました。 [読んで思ったこと1] 本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。 著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。 しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。 [読んで思ったこと2] 西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。 当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。 しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。 一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。 しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。 両者が激突するとどうなるのか。 短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・ 古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。 いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。 仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。 この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。

    0
    投稿日: 2013.08.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    明治維新直後の不安定な時代を描いている。 征韓論から西南戦争にいたる5年間が舞台。 西郷隆盛を始め多数の人物のエピソードと緻密な時代考証にその時代を知る思い。

    0
    投稿日: 2013.08.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    西郷隆盛、拗ねる 江藤新平、散る 木戸孝允、諦観する 大久保利通、翔けて空回る 三条・岩倉、狼狽える 話、余り進まず。

    0
    投稿日: 2013.07.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    江藤新平による佐賀の乱、それに対峙する大久保利通の独裁的強権が書かれている第4巻。 独立国家として存在する鹿児島、台湾出兵をめぐる迷走等、近代国家日本の道はまだまだ遠い。

    0
    投稿日: 2013.02.09
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    【本82】佐賀ノ乱から始まる大久保の対応は冷徹だが、西南戦争に向けた準備なのだろう。注目すべきは「勅許」という魔法が通用し始めたこと。

    0
    投稿日: 2013.01.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    征韓論から征台論へ移り変わる間のストーリー。多くは江藤新平が加わった佐賀の乱が中心だが、最終敵には、大久保利通が権力を握ってゆくこととなる。 この混迷ぶりを見るにつけ、幕末から明治維新にかけて起こった獅子の時代がウソのように感じられる。新しいものを創ることと、新しい物を積み上げてゆくための仕組みづくりでは、物事質の違いを感じさせたられる。ある意味現在は、民主党に賛成し、裏切られた気持ちになっているが、大久保利通ができるまでの過程なのかもしれない。

    0
    投稿日: 2012.07.14
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    2回目 やっぱりおもしろい。 筋の通ったシンプルでわかりやすい人ほど世間的な行動はややこしいもんやなあと。 文字で読むとかっちょいい人たちも現実に接するとややこしいんちゃうかなあ?とおもいました。

    0
    投稿日: 2011.11.27
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    西郷という巨人を中心に日本が歴史を転がっていく。 数多い明治の偉人を巻き込む西郷という人は本当にでかい。 やれやれ、スケールが大きすぎる。 現代にいれば良いのに。。

    0
    投稿日: 2011.10.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

     後半、にわかに征台論がクローズアップされ、西郷従道により強引に実行される。西郷どんは鹿児島に篭もり、政府に無言の脅威をあたえつづける。大久保利通とは征韓論で袂を分かち下野したのだった。この西郷兄弟について、長州人は全く理解できないとあきれ果てるばかりなのだ。薩摩人にも理由はある。江戸幕府が無血開場したことにより、江戸を焦土にすると振り上げたこぶしの下げ場所が無くなってしまった。この有り余るエネルギーのはけ口にされる隣国はたまらない。  行動があまりにもストレートすぎはしないだろうか。思考では理解できても感情が抑えきれないという場面は確かにある。確かにあるのだが、それでいいのかと苦笑せざるおえない。彼らの不満が政府に降りかかることを恐れ、大久保もこの案を了承するのだった。

    0
    投稿日: 2011.10.16
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    佐賀の乱から征台出兵まで。小説なのか、歴史書なのか、明治政府論を書こうとしているのか判然としない。結果、冗長な講義録のようなものになってしまっている。人物描写は克明なのに、情景描写が殆ど無く、文章が退屈。

    0
    投稿日: 2011.05.08
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    序盤、江藤新平が佐賀ノ乱を起こし暴発。鹿児島では私学校ができる。その後、征台論が起こり迷走する。 文章が回りくどく、粘着力があり、遅々として進まない。進んでは戻りまた進む感じ。

    0
    投稿日: 2011.04.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    江藤新平ほどの頭脳を持った人でさえ、簡単に乱を起こす世の中というのは、やはり好戦的な風潮だったということだろうか。

    0
    投稿日: 2010.04.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    明治7年前後の日本が内政上の問題にかかりきりで外交にまで十分に力をまわせていないことが分かる。海外の政府やマスコミからは馬鹿にされつつも、国内の反政府分子の勢いを沈めるため征台論をかかげその実行に乗り出すところなど、内政のための外政であるとの筆者の指摘は確かかもしれない。これは今でもいえることだが、国内がしっかりしていないと、海外からつけいられうまいように利用されるリスクを負う。だからこそ、政権が変わって大変な時期といえども政治がしっかりして欲しいものだ。

    0
    投稿日: 2010.02.22
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    佐賀の乱。国権の確立。 征台の悲壮な滑稽。 無計画な反乱というものは、結局は政府の統制装置を強化させる以外のなにものでもない(27頁) 才芸のある人間を長官にすえたりすればかならず国家をくつがえす(131頁)

    0
    投稿日: 2009.11.08
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    全巻通読後のレビュー。 全10巻という超大作であるが、もともと毎日新聞に連載された小説であるから、多々同じ記述が見られる。 しかしながら、明治維新後の日本の姿を鳥瞰的手法で世界史と関連付けて論じられている点で、日本近現代の始まりを理解する際の基礎理解には最適の入門書であると考える。 島津久光という超保守派の考え方から、維新を支えた革新派の面々の考え方が手に取るように分かる小説である。重要なのは士族の不満、百姓の不満がどのようなものであったか、であるが、それもこの小説では網羅されている。 物語は維新開始直後から、西南戦争(明治10年)を経て翌年の紀尾井坂の変(大久保の死)、さらに川路利良の病没までを描く。 明治維新は天皇の威を借りた王政復古という形でスタートした。それが後に軍の独走いうものを招くが、この時点ではそうせざるを得なかったということも、小説中で書かれている。 後の日本を支えていく山県有朋、伊藤博文、板垣退助、軍人で乃木希典、川村純義などが登場する。 西南戦争は8巻の半ばくらいから始まる。桐野、篠原ら薩摩隼人に担がれた西郷、悲劇のような最後の激闘である。西郷が桐野や篠原といった兵児(へこ)を最も愛し、彼らと生死をともにしたことは、西郷をうかがい知る上で、見逃せない点である。 西南戦争の中身についての描写は一流である。 時間がない方にも、8~10巻は読むことをお勧めしたい。

    0
    投稿日: 2009.11.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    司馬遼太郎に初チャレンジした作品。が、10作もあり読むのに2ヶ月超もかかってしまったww 舞台は戊辰戦争後の明治初期。西郷隆盛を大きな軸として揺れ動く日本政府の動向をあらゆる人物の観点から追っている。よくもここまで調べたなって感心してしまう

    0
    投稿日: 2008.05.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    明治政府の迷走ぶりが記された巻。 西郷らが去った後、佐賀の乱、薩摩の独立国形成の様子、大久保の征台論への傾斜が詳述されている。 宮崎八郎の佐賀の乱への敏速な反応ぶり、私学校の設立で、鹿児島士族の憂憤をコントロールしようとした西郷。 鹿児島の漢学への執着ぶりを見ていて、 自分も漢学・兵書の類に手を出してみようかなと思った。 兵書例:孫子・呉子・六韜三略・春秋左氏伝 政治論:孟子・大学・中庸 鹿児島県令:大山綱良「島津久光の腹心・西郷の私学校設立への協力という矛盾した立場?」 水戸藩の藤田東湖「小人ほど才芸があって便利なものである。これを用いなければならない。しかしながら長官に据え、重職を授けるとかならず邦家を覆す。であるから決して上に立ててはいけないものである。」 数奇な運命の従兄弟:君子の才あり、外遊経験もあった上で、西郷派の村田新八・英学者で、日本発の英和辞書編纂、又後の日本勧業銀行総裁になるほど、経済の才がある、大久保派の高橋新吉、陽明学の春日潜庵・革新派の津田出、新国家構想の持ち主:横井小楠・勝海舟・福沢諭吉 などなど、個性的な人物が多々登場している。やはり、自分は司馬作品の凄みは、人物の描写であり、 特に明治以降の作品は現存資料も多く、ノンドキュメント性が高く、より精細な描写が多くて、 会ってもないのに、その人物の人柄に引き込まれていく感覚に陥った。 中でも大久保利通の心理描写は、度々引用される手紙の文書などで、非常に深遠な思考方法であり、 器は比較にならないが、慎重で言葉数が少ない、自分と似たタイプであるため、 むしろ西郷より、大久保を敬慕する気持ちが強くなってきた。

    0
    投稿日: 2008.03.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    元司法卿の江藤が佐賀にて早々と乱を起こしてしまう。というより不平士族に簡単に担がれてしまったといっていい。 これに対して大久保は、徹底的に弾圧し江藤をさらし首にしてしまう 江藤は、西郷率いる薩摩が決起することに期待したが全く動かなかった。 征韓論の敗退で不平士族のエネルギーが一気に昂揚する中、この矛先を逸らすため大久保らは独断で台湾征伐を実行する。 2008/03/10

    0
    投稿日: 2008.03.23
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    西郷に続いて官を辞した江藤新平が、佐賀の乱を引き起こした。政府は大久保が全権を握り、これを完全にしずめる。薩摩との協力の可能性を恐れ、早めの対処である。一方、鹿児島では士族の集まりである私学校が設立され、のちの一大勢力となる。

    0
    投稿日: 2007.06.24
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    大久保利通のことが理由ナシに大嫌いな江藤新平は佐賀の乱を起こして大爆発。怒った大久保さんはナ、ナ なんと江藤さんを処刑したあげく晒し首にー?!!大久保さん…やりすぎです。 相変わらず鹿児島に引っ込んでブスブス燻っている西郷隆盛は薩摩ハヤトら「薩摩固有の元気」を維持するために私学校を興す。鹿児島県令・大山格之助綱良の許可を得て監督者は陸軍少将・篠原国幹。場所と人は変わって洋行帰りの村田新八はいとこの高橋新吉と語らって、自分は官職を投げ出し西郷のもとへ奔ることを告げる。まさに薩摩ハヤトの蛮性だなあ!そして副島外務卿は米国のアモイ領事リ・ゼンドルのすすめで台湾出兵を主張する。大久保卿も征韓論で下野した西郷のためとかを思ってそれに賛同するけど木戸さんは怒って下野しちゃう。西郷従道が計画を進める。そういえば大隈重信が自らの対外政策の思想書「海外出師之義」を太政官に提出した、とあったが、「兵は兇器であり、戦は危事であり、…」という内容を見ると、これは山田顕義が洋行のあと書いた「理事官山田顕義建白書」のような気がする。一時大隈の手に渡ったことは聞いていたが、まさか台湾出兵のときに引っ張り出されるとは。

    0
    投稿日: 2007.05.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    もはや、時代は誰かの手で止められるものではなくなっている。 明治維新後の政府というのは、幕末の志士を代表してはいるが、その実態はいわゆる武士ばかりで、政府向きの者はいなかった。 西郷隆盛を中心に回るこの書だが、中心に回っているはずの西郷が、実際には何も実施していない、というのが滑稽だ。 周りからおされ、回りには怯えられている西郷と言う人というのを大いにあらわしている。 こういうの読んでて思うのは、私は実務家なのか?と言う点。 こんな一流の武士や政治家や実務家と比べて劣っているのはともかく、今の立場なら、実務家として成果を挙げるべきじゃないだろうか? 建白書、ではないが、自分の将来に対する企画書でも作ってみようか。 テーマは、そうだなぁ、日本における実務教育論とか?

    0
    投稿日: 2007.03.20
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    大久保利通の推進する新政府に折り合いをつけられない西郷どんは、辞職して薩摩に帰ってしまいます。そして、江藤新平は佐賀の乱、そして処刑されます。幕末から続く政治的変革期はまだ落ち着きを見せません。さて、どういう国家をつくればよいのか…。

    0
    投稿日: 2005.09.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    この本を読んで初めて知ったのですが、明治政府へ不満を抱く人達と、明治政府を支えようとする人達。二方の考え方の人達が明治初期という時代を作っていたんだと分かりました。又、幕末では官軍のトップだった西郷隆盛という人物がどれ程大きな存在であったかという事も改めて教えてくれる巻となっています。

    0
    投稿日: 2005.01.26
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    どこかで西郷が、若い者に問われた。その若い者が、自分は何事かをしようと思うが、どう心掛ければよいか、と質問した。 「そいは、思ウテ一ナレバ敵ナシ、ちゅう事でごわすが、そいで遣んなさればよか」 と、西郷はいった。かれは「思ウテ一」というのは、ちょうどメンドリが卵を抱いているような心境だ、という。メンドリが卵を抱いているとき、どんなにうまそうな餌を近づけても、またおどしても、メンドリは見むきもしなければまた逃げもしない、そういう意味だ、という。 西郷は倒幕運動のころにそのことを体験した。そのただ一つの目的のために思いをこらし、怖れもせず、わき見もしなかった。(p.12) 江藤は、敗れてもなお西郷を相手に議論をしていた。西郷からいえば敗れればもうしまいであって、あとはどう死ぬかでしかない。しかし江藤は自殺を考えていそうになかった。(p.61) 大久保が佐賀で江藤を殺してしまったのは、江藤の東京における論陣をおそれたからであり、さらには内閣のたれもが江藤の死刑に賛成すまいと思ったからである。 大久保の凄味は、右のような大方の動向も無視し、また常識的慣習も無視して、権力をもって江藤の首を打ち落としたことである。(p.86)

    0
    投稿日: 2000.04.01