
総合評価
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powered by ブクログ明治維新により、民衆の意識が明確に変化したこと実家した。 ・江戸時代まで士族以外は日本国民という意識はなかった。 ・維新後、民衆に国家感を持たせ、徴兵制等の国防体制を構築するツールが天皇絶対体制であり、機能した。 ・天皇絶対制を軍部が濫用した結末が太平洋戦争であった。
5投稿日: 2025.10.10
powered by ブクログ大久保と西郷が完全に決別した。 西郷+桐野vs大久保+川路という構図 だんドーンから興味を持ち始めた自分としては辛い。次巻は遂に戦争始まるのか?
0投稿日: 2025.04.06
powered by ブクログ教科書だけでは、西郷も大久保も木戸も岩倉も歴史上のヒーローだが、人間としての悩みがあり、駆け引きがあることがよくわかる。 特に西郷、大久保の二人は幼なじみのような関係性であったのに、維新後はその方針の違いによって袂を分かち、反目するようになる。そこに至るまでの逡巡が描かれていて興味深い。
0投稿日: 2024.12.24
powered by ブクログ西郷隆盛が東京を離れて薩摩へ帰る。 まだ政府組織が確立されていない中での重要人物の下野、様々な人間が自身の思惑で動き、 政府を強くしようとするもの、壊そうとするもの、作り替えようとするもの等… 激動の時代、明治になったら維新完了…みたいなノリで捉えてる人は読んで欲しい。 明治憲法の制定まではまだまだ長い…
0投稿日: 2024.04.29
powered by ブクログ三巻を読了。 西郷隆盛の征韓論が新政府に容れられず、鹿児島に帰郷する流れが描かれる。 西郷隆盛という巨人を、周囲の動きを繊細に描くことにより、リアリティもって読者を理解へと促してくれる。 いわゆる英雄豪傑的な時代から、知者が時代を席巻していく流れが読んでいて面白い。
0投稿日: 2024.03.23
powered by ブクログ「尊王攘夷」のスローガンで始まった筈の倒幕運動から、明治維新が為ってみたら、幕末からの開国方針が何も変わっていないという、この歴史の流れが、長らく釈然としなかったのだが、これを読んで、漸く腑に落ちたというか――当時の士族達も釈然としなくて、だからあちこちで士族の反乱が起きて、最終的に西南戦争に至ったのね、と。しかし、旧支配層の武士は既得権益を取り上げられ、庶民は税金やら兵役やら負担が激増した、この明治維新という大改革が、よく破綻・瓦解しなかったものだという、新たな疑問が湧いてきた。
0投稿日: 2023.09.10
powered by ブクログ※2008.3.15購入 2008.3.15読書開始 調布PARCOで購入、読み始めた。なかなかBookOffに入らないため、新書で購入。(HPの日記より) 2008.4.13読了 2017.5.6売却@Book Off
1投稿日: 2021.08.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
p.315 「上に向つて申述する器量なく、下に向つて上を非とし、下に人望を求むる者」というのもにせものだ、という。 いつの世の中も、人の有り様、捉え方は同じみたいですね。
0投稿日: 2020.04.04
powered by ブクログ「翔ぶが如く(3)」(司馬遼太郎)を読んだ。 『しかしながらひるがえっていえば歴史は現実の別名である以上、歴史において仮説は成立しえない。』(本文より) とはいっても『もしもあの時・・・』と思ってしまう歴史の転換点が数多あるのも事実でだよなぁ。
0投稿日: 2018.07.06
powered by ブクログこの小説は、西郷のほんとうのところを、事件を通して何度も何度も語り続けるものだとわかった。 だから、この巻は征韓論をめぐるやりとりになるが、全体の色調はほかと変わらないのだ。 つまり、この作品はよっぽど西郷に関心を抱くような人間でないと面白くはない。反面、司馬遼太郎の真摯さ・愚直さが伝わる作品なので、司馬遼太郎の研究にはかっこうだろう。 お話としては、征韓論をめぐる、非常にぬめっとした決着である。まだ「仕組み」が可視化されていない時代、ほとんどが「流れ」で決まっている。流れゆえ、歴史は物語になりやすいのだろう。
1投稿日: 2018.03.10
powered by ブクログ征韓論激論の末、西郷吉之助さんの東京退去に始まり、岩倉具視右大臣の襲撃事件が発生。山縣有朋や伊藤博文の台頭の様も描かれている。これを読むと今も続く長州閥がこの時から脈々と形成されたと思う。。
0投稿日: 2018.02.07
powered by ブクログ【感想】 大久保利通の若干の狡猾さはあるものの、彼とて親友の西郷を出し抜く事に心を痛めているような描写もあり可哀相だなと思った。 しかし、後年にも語り継がれる西郷の偉大さからは想像できないほど、晩年(というか明治時代)の西郷は愚鈍な人間っぷりだった。 それもそのはず、西郷には桐野利秋というフィルターがかかっていたからねぇ。 優秀な人材はもちろん、些細な情報からでさえ彼は蚊帳の外になってしまった。 YESマンで周りを固めた「お山の大将」になってしまえば、こうも愚かになってしまうのだろう。 そう思えば、自民党圧勝のこれからの日本がどうなるのか、先行きが怪しく感じてしまう・・・ あと個人的に、今の都道府県名が明治初期の官軍・賊軍に由来しているという事実を初めて知った。 いい勉強になったね 【あらすじ】 西郷と大久保の議論は、感情に馳せてややもすれば道理の外に出で、一座、呆然として喙を容るるに由なき光景であった―。 明治六年十月の廟議は、征韓論をめぐって激しく火花を散らした。そして…西郷は敗れた。 故国へ帰る彼を慕い、薩摩系の士官達は陸続として東京を去ってゆく 内戦への不安は、現実となった。 【内容まとめ】 1.西郷の征韓論は財政上きびしく、散々待たされた挙句、破談してしまった 2.幕末とは打って変わってしまった西郷。桐野たちの護衛の為、世論と触れ合う機会すら失ってしまった。 3.結果、西郷は江戸を去る事になったが、この時点では西南戦争を起こすつもりなどなかったとのこと 【引用】 p66 いちいちの能力論をもってしては、どうにも西郷という人間が出てこない。 西郷は単なる仁者ではなく、その精神を常に無私の覇気で緊張させている男であり、その無私ということが、西郷が衆を動かしうるところの大きな秘密であった。 p234 大久保と西郷は陽と陰 源頼朝と源義経、徳川家康と豊臣秀吉のときのように、一つの体制を作った人物が好まずにそこからはみ出て漂泊してしまう人物が好まれる。 陽気な人格というものは欠点でさえ愛嬌になり、失敗でさえ気の毒になるという効用を持っているが、陰気ということはいかに誠実で謹直であっても、得体の知れぬ肚黒さを感ずるということがあるらしい。 大久保はこの上なく謹直な男で、およそ栄達に驕るというところがなかったが、彼がのちに外国人を招待するために建てた粗末な西洋館の住宅さえ、薩摩人を激昂させ、歌舞伎における赤面のように驕りに驕った大久保像として流布された。 p274 新政府が熊本県と言わせなかったのは、一種の差別による。 大藩のうち、戊辰戦争に参加して新政府を樹立させることに功のあった藩は、その城下の地名をもって県名にした。 鹿児島県、山口県、高知県、佐賀県、福井県がそうである。 また、遅ればせながらも積極的に参加した旧藩地も、この待遇を受けている。 岡山県、広島県、鳥取県、福岡県、秋田県など。 これらに対し、若松(福島県)、仙台、金沢、米沢、松江といったものは成立せず、それぞれその旧藩地における小さな郡名などをとって県名とされた。 白川県もそうである。 戊辰戦争における「官賊」という色分けを、こういった形で烙印した。
4投稿日: 2018.01.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
征韓の如何を問う廟議の始まりから西郷が薩摩に帰り、大久保との決裂と、その大久保や川路利良らにおる近代国家の骨格作りと、混乱の兆し。より深く、丁寧に当時の人々の観念を考察し、作者なりの考えを断定する。物語の進行が遅く、読みずらいが知的好奇心を満たしてくれるし、再読により見えてくるものが多い小説という気がする。 由利公正による“五箇条の御誓文“の草稿は鼻紙に鉛筆で書かれたものとはね。 まだ3巻、いまだにタイトルのような豪快な展開にはならず、といっていい。地道に読みます。
0投稿日: 2017.12.27
powered by ブクログ来年のNHK大河ドラマは「西郷どん」幕末の主人公西郷隆盛を描くそうなので、司馬遼太郎さんの長編歴史小説「翔ぶが如く」を読み直し始めたが、流石の司馬作品。西郷と大久保の議論は征韓論をめぐって右往左往する。
0投稿日: 2017.12.11
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西郷を朝鮮に派遣するか否かを決める廟議が開催され、一度は派遣を決めるも大久保利通らの画策により否決され、西郷は政府を辞め鹿児島へ帰郷してしまう。西郷隆盛というカリスマを失い、明治政府はどうなるのか?。西郷というカリスマがいなくなっても、「亡き者として」政府を立て直そうとする大久保ら。幕末からここまでの歴史の流れをよく知っておくと話も面白く読めるかなという印象。事象の説明が詳し過ぎてややついていけない部分もあるが、ともかく一度最後までは読んでみるつもり。
0投稿日: 2017.03.16
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征韓論に敗れ、西郷隆盛さんは鹿児島へ帰りました。 それに合わせて、明治政府内にいたたくさんの元薩摩藩士たちが下野し、大久保利通さんは完全に薩摩色を失い、政府内にできた空白に長州が食い込んでくる…と。 西郷さんの征韓論は、朝鮮を支配したいというものではなく、ロシアの南下政策に対抗すべく、国防をイギリス支配下の中国に丸投げしてのうのうとしている危機意識のない朝鮮に明治維新の精神を「輸出」し、いずれは、中国・朝鮮・日本で連盟を組んでロシアに対抗しようとするもの…と司馬さんは解釈しているもよう。 いずれにしても、やっぱり西郷さんのキャラは愛せるけれど、長州の輩は愛せないなぁ…って思いました。 今の政府につながっているから、余計そう思うのかもだけど…。
0投稿日: 2016.10.19
powered by ブクログ征韓論は却下された(歴史だからネタばれじゃないよね)。。。東京を去る西郷隆盛(あっさりとです)。。。残された反新政府勢力(=旧幕勢力と、西郷好きな人たち)の、それぞれの思いと行動が混乱を招いて行きます。一方で、大久保利通(この時点までは、いやな野郎のイメージです)は、どんどんと専制官僚政治を突き詰めて行きます。。。その後の戦争に、、なんて司馬先生の考察も入ります。なかなか面白くなってきたのですが、2ヶ月で3冊とスローなテンポなので、一旦、休憩します(笑)2016/2読了。
0投稿日: 2016.02.21
powered by ブクログひとまず征韓論の是非に決着がつき西郷は野に下る。この決定こそが日本の今後の運命を決める一つであったかもしれない。 主要な登場人物について細かく考察されており、その人物の思想や大義、正義の背景なども少しはわかってくる。 江戸幕府が瓦解し明治は緒に就いたばかりであるが、自国の未来を創るという一人ひとりの正義が強く渦巻く時代であったのだと感じる。
0投稿日: 2015.10.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
明治の政治家というのは偉大な人ばかりかと思ったら、とんでもねぇ奴ばかりだな。酔って奥さん斬殺とか、羽目外しすぎだろ。 この作品は登場する明治の偉人たちが偉そうに見えないからすばらしい。まさに人間を表現している。西郷隆盛とか大久保利通とかその人間の仮面をつけた姿を描いても、面白くない。人。そう、人を描いている。 んで、そうなんだよ!国家転覆を成し遂げた男たちが野蛮でないわけないんだよ! 今の政治家みたいに発言への責任に脅えるような、悪く言えば弱弱しい、よく言えば良識的な人間なんて一人もいなかったんではないか?? よく現在の政治家とこの明治期の政治家を比較して、礼賛したりするけれど、ぜっっっったいに現代の政治家の方が真艫だかんね。 ただ、昔の政治家には夢がある。 そんな男たちの夢を魅力的に描いていくのが司馬作品。 _______ p19 西郷がすべきだったこと 西郷の征韓論音の本質的意味を理解できた者はいなかったであろう。西郷も征韓論に臨まなければいけない、日本の現状について、戊辰戦争で燃え尽きなかった武士という階級を燃やし尽くす必要を、きちんと論ずるべきだった。 それは当時、日本においてそれを論じる術が乏しかったから、言いたくても言えなかったのではないか。当時の論述は、中国の政治的語彙を用いて述べるか、中国の典籍を用いて比喩によって意見を述べるかという手段が中心だった。いまだ西欧の市民的概念や啓蒙主義の概念がない日本では、西郷の国民の精神を啓蒙するという主張を説明できるだけの語彙が存在しなかったのである。 後進国のはがゆさよ。 p22 後藤象二郎は清と戦争すべきと言った 後藤が清国代表の李鴻章とあった時に「帰国と日本は戦争する必要がありますな」と発言し、李鴻章を驚かせた。真意は、”清と日本で互いに切磋琢磨して力を高め、ともに西洋に負けない亜細亜をつくるべき”ということだった。 p23 「待てない」で歴史が決まった 西郷のミスは征韓論自体にあるというよりも、その時しか機会はないと強情に持論を断行しようとした点である。 「国家は会計によって決まるものに非ず」ということを西郷は主張したかった。日本国民全員に気高い精神の国民性を育てるべきだと、そのために征韓論で武士の生き様を国民に示すべきだと言いたかった。 しかし、西郷の教養レベルではこれを言葉で語れず、自らの行動で示す意外に術を知らなかった。行動でしますには、今しかなかった。だから「待てない」だった。 p30 木戸のスタンドプレー 征韓論の廟議に木戸は二日とも欠席した。薩摩と長州のトップ同士が真っ向から反発することは、薩長で固めている明治新政府を真っ二つに分断しかねない。そういう最悪の事態は避けなくてはならない、だから独断で木戸は欠席していた。すばらしい政治行動だ。 p34 貴族の裏切り 大久保利通は公卿を信頼していなかった。昔から公家というのは裏切ることが当然の社会を生きてきた。だから大久保は、岩倉と三条からの参議に就任する依頼を受ける際、西郷の征韓論を受け入れないという念書を書かせて、裏切りを封じた。 しかし、第二回の廟議において征韓論が決まってしまった。この廟議では征韓論の賛成反対は5:5の引き分けで多数決でも決まらなかった。しょうがないので左右両大臣の三条と岩倉で決議することになり、三条の「西郷に反対すれば彼の背後の士族集団が明治政府に反抗し、新政府が転覆するかもしれない。」ということで、散々悶着があった割に、すんなり西郷の遣韓が決まってしまった。 結局、公家の二人は大久保を裏切ることになった。 p39 二流の伊藤博文と山県有朋が明治を作った 彼ら二人は処理家としての政治家であった。近代化した日本に山積する事務処理をバリバリ裁いていくだけの力はあったが、西郷や木戸のような哲学は持っていなかったようである。 この違いが、現代人が過去の政治家である西郷や木戸を敬愛する理由かもしれない。 p64 三条実美の願い 必死こいて、泣きながら西郷に征韓論を止まるように頼み込む。 国家とは財政によって成立し、国家商業が必要なのである。(重商主義)そのためには外国に負けない商業を国家に起こして、商略されないようにしなくてはならない。西郷のいう形而上的な理想論だけでは実質的な国家の自立は不可能だということを説いた。 結局、西郷を説き伏せることはできず、ノイローゼのようになってしまった。 p73 西郷の情報力 部下に恵まれなかった。この頃西郷を取り巻いていた桐野利秋・別府晋介らは武に長じたが、知に劣った。 三条実美が病気で休職するので、勅令によって岩倉具視を代理の太政大臣につけることが決まった。これを西郷は征韓派の副島種臣から聞き、本来この情報を真っ先に入手し西郷に届けるべきである桐野や別府に西郷の方から手紙で伝えるという体たらく振りであった。 p76 岩倉具視という男 公卿の伝統を受け継ぎ、日和見なところも多いが、小御所会議の時や征韓論の時のように、ここぞと決めたところでは度胸を据えて持論を通す、そんな男だった。 p86 西郷の失敗 征韓論の廟議で西郷の朝鮮使節の派遣は決まった。しかし、病気の三条に代わり太政大臣についた岩倉は自宅で西郷たちに「征韓論の無期凍結」を言い渡した。 桐野利秋のような血の気の多い者を護衛に付けておくのは相手を脅すという効果もある。しかし、今回は岩倉を逆に「脅しに負けるか」という意志を固める結果になり、逆効果になってしまった。 P95 西郷の引き際 西郷の推進する征韓論が中止になり、それでも西郷が東京に残れば血の気の多い輩が西郷を担いで都下を騒擾するとみて、西郷は速やかに故郷に退去することを決した。 P112 西南戦争なんて考えてなかった 西郷が故郷に帰るという段では、そののちに起こる西南戦争など考えていなかった。反乱も謀反も眼中になく、維新で終えた自分の役割を静かに田舎で終わらせようと考えていた。 P113 黒田清隆はクラーク博士を連れてきた男 明治九年にアマースト州の農科大学からクラークを招聘してきた。その日本への船の中で、黒田とクラークは「宗教による徳育」を巡って激論した。明治新政府は江戸時代の切支丹禁制を引きずっていたし、官立学校において宗教教育を実施するという行為はいかがなものかと。しかし、クラークの正論に納得し、承認はしないが、大っぴらにやらなければ見逃すという容認を出した。 P114 黒田清隆の欠点 酒癖の悪さ。素面の時は謹直で謙虚な人物だが、一定量の酒がはいると豹変してしまう。居酒屋でも途中から黒田の酒は水増し酒が出されるほどだった。 この男の最大の酒の過ちは、妻を酔って斬殺したことである。西南戦争の翌年明治10年に、酒に酔って帰った黒田がささいなことから妻を斬り死に至らしめたらしい。現職の大臣が殺人を犯すようなことは史上最初で最後であろう。この時、大久保利通が隠ぺいしたことで切り抜けられた。 p121 黒田夫人の変死事件が大久保暗殺に繋がった 大久保は現職大臣の保身のため、殺人事件を隠ぺいした。大臣には法があたらないという恐怖政治の所業に対し、大久保は命を狙われる。 明治11年5月14日に紀尾井坂で刺客に会い命を落とす。下手人:島田一郎の斬奸状にも黒田夫人の変死の件が書いてあった。 黒田は結局、反征韓論を唱えたことで西郷を、自身のスキャンダルの煽りで大久保師を、師と仰いだ両人を間接的に殺したことになる。 p130 津田塾大学 黒田は北海道開拓使の予算で日本の女子5人をアメリカ留学させた、その中に津田梅子や大山巌の妻となる捨松などがいる。黒田なくして津田梅子はおらず、津田塾大学もなかったのである。 黒田清隆は明治政府で種々のスキャンダルを出したが、功績も大きかった。薩摩出身のこの頃の政治家で最も仕事をした人の一人である。 p145 西郷の明治30年3期説 西郷は明治が始まって30年は10年ごとに段階分けされると予想していた。最初の10年は乱世だろう。次の10年は休息養生だろう。その後の10年は立法政治の時代だろう。そのころまでは一蔵(大久保利通)が必要だ。 と予想したが、そのようになった。ただ、大久保はその時代まで生きなかったが、、、。 p158 西郷にとって国家・民族とは… 「正道を踏み、国を以て倒るるの精神無くば外国国際は全かるべからず」と言った。大国からの理不尽な圧迫に対して、あくまでも正道を貫き抵抗すべきだと主張した。 p175 長州の陸軍 西郷の帰郷を知って、陸軍の薩摩兵士が自分の軍帽を放り投げ次々に辞表を提出していった。 この頃から、陸軍は長州閥の勢力が力を強めた。 p180 天皇を利用した 大久保は西郷退去の混乱を天皇の権威を借りて鎮めようとした。天皇の招集で近衛将校を集め、事態の鎮静の勅語を出させた。 しかし、まだ天皇の権威が後年のように大きくなかったため、それほどの効果は得られなかった。 西南戦争後に軍を天皇の統べる組織とする「軍人勅諭」を出す必要性をここらへんから感じたのかな。 p206 政治 ポリチック 木戸孝允は政治のことをポリチックと英語であえて表現していた。政治という言葉は幕末からよく使われていたが、王が民を統べるという意味合いが強く、民主主義の精神を含まなかったため、あえて英語で言っていたのだろう。 政治とは、秦の始皇帝である政が民衆を治めたことが語源に来ているのかな。だから専制的な意味合いを強く含むのかも。 p241 伊藤博文の時代から江戸の雰囲気は薄れる 明治初期は多分に江戸時代の空気・風習が残っていた。例えば大久保は川路利良から後の自由民権運動に通ずるような建白書を受け取った時、それを読むに際してきちんと袴を着て正装して読んだ。これも江戸時代の武士の習慣が残っていた事例である。 この江戸時代の空気は伊藤博文が宰相になるころから p308 江戸の奉行は366人で治安を維持していた 明治4年に発足した首都警察の邏卒は3000人配属された。しかし、世間からはこんなに人手がいるのか懐疑の目を向けられた。というのも、江戸時代の江戸町奉行は366人の人員で100万人都市を警備していたからである。 世界史上最も稀有な治安状況だったとはいえ、それを知るものは少なく、警察の人員は実際3000人よりも少なかったらしい。 p315 岩倉を襲った刺客 西郷が征韓論を唱えるについて、人を朝鮮と清に送り込んだ。その一人が戊辰戦争では情報将校として活躍した土佐藩の武市熊吉であった。勇躍帰国したが征韓論は反故になってしまい、武市らは岩倉を国賊として暗殺を企てた。失敗したが。 p327 県名 廃藩置県で、戊辰戦争で新政府側に参加して功のあった藩は、名誉として城下のあった地名を県名にしてもらった。鹿児島県、山口県、高知県、佐賀県、福井県、がそうである。 逆に官賊になった藩である若松県や仙台県、米沢県、松江県、金沢県はすぐに改名されて、小さな郡の名前などをとって命名された。 こういった色分けをしたのである。 p335 西郷が英医ウィリアム=ウィリスを拾った 明治新政府になって従来のオランダ中心の外国知識の輸入を改める動きがあり、ドイツ式を中心に新たに取り入れ始めた。それに際して、それまで教えてもらっていたお雇い外国人はお払い箱になった。その一人である英医ウィリスを西郷が引き取って、鹿児島医学校・同附属病院を開かせたという。 しかも月給900ドルという東京でももらえないくらいの破格の待遇で。西郷には鹿児島の医療技術を育てたいというのと、新政府の勝手で捨てられたウィリスに対する申し訳なさからこうしたのではないか。 ウィリスは鳥羽伏見の戦い、戊辰の北越戦争や会津攻めにも従軍した。なかなか数奇な人生を送っている。 _______ この巻は薄くないか? 江藤新平も佐賀に帰ったし、そろそろ戦争がはじまりそうだ。 このシリーズを読むのにも慣れて、メモをとる量が増えてきてまとめるのが大変だ。
0投稿日: 2014.11.05
powered by ブクログ遂に西郷隆盛も下野してしまい、やっとできた政府はまた混乱の中に!それにしても現在の日本も昔はこんなだったんですね。早く西洋列強に追い付かないといけないと思ってやっているんだけど、このときのことが未だに尾を引いている事もありますね。
0投稿日: 2014.02.28
powered by ブクログ結構時間がかかってしまった。何せ、時間の経過が非常にスローなのだ。同時代の他の小説を読んだり、ドラマを観ると、征韓論が沸き起こり、それが廃案となり西郷隆盛が下野するという簡単な描き方をしているが、本作品は実に綿密にやり取りやバックグラウンドが描かれていた。そのため、時間が中々進まず「いったい何の話をしてんだ?」と感じることが多々あった。 いやはや、本作品は長い。全10巻だから、まだまだ半分も1/3も満たない。あまりの進んでいかなさに、苦行だとも思えてしまう。まぁ、本作品は司馬遼太郎氏にとって、「竜馬がゆく」と「坂の上の雲」の間を繋ぐ長編作品と言える。西南戦争は日本における最後の内乱と言われており、歴史好きを自負するならば詳しく知っておきたい出来事。苦行だが何とか乗り切ろう。
0投稿日: 2013.12.05
powered by ブクログ西郷の下野が主題。下野により彼に心酔する実力者が次々に、要職を辞職。 その中で薩摩藩出身ながら辞職しなかった川路。彼の警察制度構築にかける信念も読みどころ。 彼の様に、自分の人生をかけて挑める仕事があるのは、素晴らしいこと。この特性は、起業家にとっての必要条件。自分も憧れる部分があるが、誰しもがいきなり大きなことが出来たわけではない。一歩ずつ踏み出していけばいい。
0投稿日: 2013.12.01
powered by ブクログ征韓論が敗れる過程と西郷の下野を書く 西郷に人気があって、大久保が人気薄なのが良くわかる あと公家のだらしなさ 22 後藤象二郎、豪胆→粗大、細説にこだわらぬ→実務ができぬ 24 征韓論は革命の輸出 34 変節しない、公家から念書とる大久保 56 ナポレオンとワシントン好き、志士 77 人物批評の確かな勝海舟、西郷を高く評価 81 副島、江藤、板垣、寝技をやらない 94 西郷の退隠願望 101 西郷、大隈に教育だけは任せてならぬ 107 板垣「西郷の慢心、ついにここに至るか」 113 黒田、継道、大山巌=西郷的 114 実務上の仕事した黒田、でも酒乱 121 黒田婦人の怪死→大久保暗殺へ。川路、墓あけて検死 142 機知と諧謔、西郷一族に顕著 153 桐野、軍刀・香水に贅沢 161 西郷、大塩平八郎を尊敬 175 長州の陸軍の成立 183 忠君と愛国が不離、明治中期以降 187 山県、法制を作り事務処理に驚嘆すべき能力 198 木戸の西郷嫌い 200 足利尊氏と西郷、大村益次郎指摘 214 軍人はポリチックに関与するな、木戸 250 大久保の国家設計案。西郷、江藤、竜馬も国家案所持 273 西郷呼び戻し運動 279 大久保の執念深さ、権謀術数。奇跡の勝利 282 大久保=冷血、渾身これ政治家。冷血多し=福地源一郎 283 西郷の下野、天皇に一言の挨拶もナシ。 天皇の側近から女官を退けた西郷 286 大久保の密偵使用、征韓論から 313 新富町に新島原 341 スパイ 361 板垣の人の良さと、生涯を決定的にしている中途半端さ
0投稿日: 2013.08.30
powered by ブクログ昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。 坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。 ネット上での解説を少し転載します。 明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。 ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ 「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり 誰もその意見には反対しなかったという。 ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて 「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、 その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。 西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。 本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。 従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、 まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。 薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ その者に一切の業務を任せてしまう。 次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。 そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。 万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。 日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。 日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。 細かいところまで口を出す殿様は 家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。 でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。 世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。 スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王 ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も 部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。 古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?) 私も大きな組織で働いているが トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。 そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん! 1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。 いや〜〜長かった。 面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。 「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人物の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。 新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。 本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは? と思ってしまいました。 [読んで思ったこと1] 本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。 著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。 しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。 [読んで思ったこと2] 西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。 当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。 しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。 一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。 しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。 両者が激突するとどうなるのか。 短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・ 古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。 いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。 仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。 この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。
0投稿日: 2013.08.29
powered by ブクログ明治維新直後の不安定な時代を描いている。 征韓論から西南戦争にいたる5年間が舞台。 西郷隆盛を始め多数の人物のエピソードと緻密な時代考証にその時代を知る思い。
0投稿日: 2013.08.25
powered by ブクログ征韓論争の一面を見ると、西郷の哲学的論理に対して大久保の実務的論理が勝ったということになるのでしょうか。これが現在の官僚制度につながるかるかと思うと中々興味深いです。 小説的には岩倉具視が凄みを見せるシーンが迫力あっていいです。
0投稿日: 2013.02.09
powered by ブクログ【本81】征韓論決着。冷めた目でみると薩摩の私闘だが、それが国の運命を左右してしまう大事件に発展していく。しかし、公卿はいつの時代もこのようなのか。別視点からの考察が必要。
0投稿日: 2013.01.06
powered by ブクログいよいよ西郷が去る。しかし、誰が勝ったかもわからない状況で、維新は混沌としている。幕府は倒したが、明確なビジョンなく、混乱が続いている。今と全く変わらない。
0投稿日: 2012.06.10
powered by ブクログ明治は凄い。 理念を持ちそのために目的意識を持ち行動する人物にあふれている。 その人物一人一人の情熱が時代を動かし今に至っている。 さて、現代を生きる僕たちのなかに、芯のある理念を持つ人はどれくらいいるのだろうか。
0投稿日: 2011.10.20
powered by ブクログ太政大臣三条実美を称して「紙風船のようなひとだ」と切り捨てるところがある。この件を読んで一人大爆笑する。わたしはベットで腹を抱えて悶絶するのであった。引用文参照のこと。
0投稿日: 2011.10.12
powered by ブクログ【71/150】正直、ちょっとくどい。重複した説明が多いような気がする。まどろっこしい。テンポがない。 いつもは司馬さんの作品は、夢中になって夜更かしして読んでしまうのだが、この作品にはまだそんなことがない。なぜ???
0投稿日: 2011.06.29
powered by ブクログ征韓論をめぐって二転三転するが、伊藤博文らの奔走によって最終的に西郷が敗れ、下野する。 岩倉具視の一言「わしのこの両眼の黒いうちは、おぬしたちが勝手なことをしたいと思うてもそうはさせんぞ」が印象的でした。 筆者の余談や人物評が多くて、なかなか話が進んでいかない。
0投稿日: 2011.03.15
powered by ブクログ・2/16 あっという間の読了.ほぼ一日で読みきってしまった.いよいよ話しが佳境に入っていく筈なのにまだ三巻ということは、もっと話しは複雑だということだろうか.ますます楽しみだ(といっていい(司馬遼太郎風に)).
0投稿日: 2010.09.13
powered by ブクログ全巻通読後のレビュー。 全10巻という超大作であるが、もともと毎日新聞に連載された小説であるから、多々同じ記述が見られる。 しかしながら、明治維新後の日本の姿を鳥瞰的手法で世界史と関連付けて論じられている点で、日本近現代の始まりを理解する際の基礎理解には最適の入門書であると考える。 島津久光という超保守派の考え方から、維新を支えた革新派の面々の考え方が手に取るように分かる小説である。重要なのは士族の不満、百姓の不満がどのようなものであったか、であるが、それもこの小説では網羅されている。 物語は維新開始直後から、西南戦争(明治10年)を経て翌年の紀尾井坂の変(大久保の死)、さらに川路利良の病没までを描く。 明治維新は天皇の威を借りた王政復古という形でスタートした。それが後に軍の独走いうものを招くが、この時点ではそうせざるを得なかったということも、小説中で書かれている。 後の日本を支えていく山県有朋、伊藤博文、板垣退助、軍人で乃木希典、川村純義などが登場する。 西南戦争は8巻の半ばくらいから始まる。桐野、篠原ら薩摩隼人に担がれた西郷、悲劇のような最後の激闘である。西郷が桐野や篠原といった兵児(へこ)を最も愛し、彼らと生死をともにしたことは、西郷をうかがい知る上で、見逃せない点である。 西南戦争の中身についての描写は一流である。 時間がない方にも、8~10巻は読むことをお勧めしたい。
0投稿日: 2009.11.01
powered by ブクログ司馬遼太郎に初チャレンジした作品。が、10作もあり読むのに2ヶ月超もかかってしまったww 舞台は戊辰戦争後の明治初期。西郷隆盛を大きな軸として揺れ動く日本政府の動向をあらゆる人物の観点から追っている。よくもここまで調べたなって感心してしまう
0投稿日: 2008.05.11
powered by ブクログ征韓論の是非について、廟議開始の岩倉具視の挨拶が巧いなと思った。 いきなり征韓論という本旨に入らず、現下の外交一般問題について、議したいとすりかえた。 相手の主張を認めながら、もっと重要な案件があると、議論をすりかえていくテクニックは、非常に参考になる。 岩倉が、江藤新平の追及に対し、三条実美から代理を頼まれたのではなく、君主より代理を命じられたのであり、三条の認めたという既成事実を継承するつもりはないという、屁理屈で言い逃れて、相手の主張や追求をそらす模様があり、これも面白い。 日本人の判官びいきに関する分析、陽気な人格とは欠点さえ愛嬌になるが、失敗でさえ同情を買える。陰気ということは、 いかに謹直で誠実であっても、えたいの知れぬ腹黒さを感じさせる。 大久保の「それはご評議になりますまい」という超婉曲的な発言も面白い。 川路のにせ人望家「上に抗して下に人望を求めるもの」「上に向かって申し述べる器量なく、下に向かって上を非とし、下に人望を求めるもの」肝に銘じたい。
0投稿日: 2008.03.24
powered by ブクログ西郷が鹿児島に帰ってしまった。 大久保は内務省を新設し、警察をその隷下に治め専制的国家に仕立てあげようとする。 2008/03/02
0投稿日: 2008.03.23
powered by ブクログ「己れを愛するは善からぬことの第一也」と西郷はつねづねいっており、人間に対する最低の評価基準をそこにおいていた。「人材を採用するのにあれは君子、これは小人といって厳密に分けすぎるとかえって害がある。なぜならば日本史の人物でみても十に七、八は小人である。・・・」小人という西郷の用語は己を愛する者という意味である。「・・・であるから相手がたとえ小人でもその長所をとってこれを小職に用いればよく、その才芸を尽くさしめればよい。水戸の藤田東湖先生もそのようなことをいわれた。小人ほど才芸のあるもので、むしろこれを用いねばならぬものである。さりとてこれを長官に据えたり、これに重職をさずけたりするとかならず国家をくつがえすことになる、決して上に取り立ててはならぬものである」
0投稿日: 2008.02.27
powered by ブクログ征韓論に敗れた西郷は、東京を辞去し鹿児島に下る。西郷を慕う薩摩系士官たちは、続けて西郷を追い東京を去る。政府と旧薩摩が完全に二分する形となり、今後の動静を大きく左右する形成である。
0投稿日: 2007.06.24
powered by ブクログかくして廟堂は開かれ征韓派の勝利かのように思われた。三条実美と岩倉具視の変節に腹を立てた大久保は即刻辞表を提出、ひきこもってしまう。三条は周章の果てに昏倒、太政官代理は岩倉─反征韓派の手にゆだねられることに。形成逆転となった新政府、西郷隆盛はツムジを曲げて鹿児島へ帰ってしまう。それに連なって在京・薩摩ハヤトたちは連袂帰郷…しかし東京に残る薩摩人もいた。川路利良がそれであった…。一方、山県有朋は参議に昇格した伊藤博文にジェラシーして一人で何か運動を起こしているもよう…。この巻では大久保利通の政治観念がおもしろかった。薩摩人たち(桐野利秋の親友・有馬藤太とか、大久保さんに「大ばか者」呼ばわりされた海老原穆)…それに他藩出身者(宮崎八郎トカ)も顔ぶれが多彩でした。
0投稿日: 2007.05.21
powered by ブクログ第三巻。 西郷隆盛が政界から離れていく様子を描いている。 相変わらず明治維新を情熱持って実行している人々の熱が伝わってくる。 欧州諸国の歴史を基にして、新しい日本を作っている。 全く新しい世界に触れて、それを良い物だと認識して自国に導入するということが出来るのが、日本人らしい柔軟さだと感じる。 新しい世界を作る。 そんな思いもいいのかな。
0投稿日: 2007.03.03
powered by ブクログ時代は明治6年から11年、維新後の日本国新政府を運営する幕末の志士と公家たちは、未だ新秩序を模索していた、多事多難は続く…。余談、とは書いていないけれども、余談の如くストーリーはうねうねる。征韓論の決裂、西郷隆盛辞職、反政府思想勃発、岩倉具視遭難事件、卒才黒田清隆物語、ほか収録。
0投稿日: 2005.08.23
powered by ブクログご存知のとおり、西郷隆盛は征韓論が通らない事に腹を立てて、薩摩へ帰って行きます。その事が明治政府に不満を抱く人達にとって大きな意味を与えます。江戸時代から明治政府になり、明治政府が最初から機能していた訳ではなく、色々と悩みながら政府として成長していったんだと分かる巻でした。
0投稿日: 2005.01.26
powered by ブクログ国家は会計によって成りたつものにあらず。 ということを、西郷はさまざまな表現でいった。高き、見えざるもので成り立つ、これをうしなえば品位の薄い国家になる、そういう国家を作るためにわれわれの先人たちが屍を溝に曝してきたのではない、と西郷はいうのである。 西郷にとって困難なことは、こういう種類の思想を表現するための日本語が成熟しておらず、結局はこのおれを見てくれ、とみずからの人間を理解してもらう以外にない。口から出る言葉がたとえ片言隻句であろうとも西郷という人間から出ている、ということで他に理解してもらうほかなかった。(p.20) 「伊藤・山県程度の二流の人間が明治国家を作った。悲しむべきことである」 という、大げさにいえば民族的詠嘆ともいうべきものが、西郷の死からこんにちまで脈々として日本人のなかに流れつづけている。もっともなことかもしれない。 この時期の伊藤には軽快な政治処理能力はあるにしても、西郷や木戸が持ち、むしろそれによって苦しんでいる哲学は持たなかった。志士仁人の時代は過ぎ、すでに処理家の時代がきている。(p.33) 西郷とは何者なのであろう。 この稿によって筆者は、垣根を過ぎてゆく西郷の影をすこしでも見たいと思っているが、いまかれの片影を見て察するとすれば、かれにはどうにもならぬ神聖なものがあったらしいということである。 西郷は単なる仁者ではなく、その精神をつねに無私な覇気で緊張させている男であり、その無私ということが、西郷が衆をうごかしうるところの大きな秘密であった。人間は本来無私ではありえず、ありえぬように作られているが、しかし西郷は無私である以外に人を動かすことができず、人を動かせなければ国家や社会を正常な姿にひきすえることはできないと信じている男だった。(p.66) 「桐野にもし学問を加えるとすれば自分以上の人物である」 と西郷がいったということは、桐野の評価においてよく引用される。この論法は西郷のいわば癖で、最後はひとの長所をしばしば拡大するところがあった。たとえば長州人に会うと「貴国の久坂(玄瑞)先生が生きておられれば自分など大きな顔をしていられるものではありませう」といったりしたようなたぐいである。しかし久坂はそれほどの人物ではなかった。 ただ久坂にせよ桐野にせよ、およそ自己を愛するところがなかった点で、いかにも西郷好みであったともいえる。 「己れを愛するは善からぬことの第一也」 と、最後はつねづねいっており、人間に対する最低の評価基準をそこにおいていた。桐野はこの評価にはみごとに合格しており、その意味で桐野は暴客に似ていながら西郷の用語で言う君子の仲間に分類される人物だったらしい。(p.131)
0投稿日: 1999.06.01
