
総合評価
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powered by ブクログ亡くなられた時に、書店に置いてあり購入したが、今まで本棚のすみにしまわれていた。連休に取り出したらページが進み2日で読み終えた。今まで何度か取り出しては読み進めなかったのが不思議だ。 渡辺京二は石牟礼道子の「苦海浄土」の編集者として世に送り出し、「ゆきし世の面影」の作者ですが江戸の昔は決して悪い時代ではなかったと田畑は庭園のように美しかったと書いてます。庶民の暮らしも近所付き合いも温かだった。中学生のころ体罰は受けたが暴力は決してよくないが良き思い出だとしてます。最近のイジメにもちょっと精神が弱いのではないかとも言ってるような。 水俣闘争を戦った人ですが、決して体制に反駁してばかりの人ではないようです。組織には上下の秩序は必要としてます。 180ページほどの本ですが、最終章の「無名のままで死にたい」項はたくさんの付箋と赤線を付けてしまいました。博学な多くの本を読まれた渡辺京二は先人として学ぶべきところが多いです。
0投稿日: 2024.09.24
powered by ブクログ本書はエッセイ集であるが、不思議な感覚を持った本だった。 「あとがき」に、この本の成り立ちが書かれているが、筆者がインタビューを受けたものを文章に起こして新書化したもののようである。インタビューがベースになっているので、書いてあることが「軽い」感じがする。また、筆者が「自分の話したいことを話す」ということで出来ていると思うが、従って、テーマが割と広範にわたる。 全部で6章の構成となっている。1章は、筆者の生い立ち。2章はどちらかと言えば「年寄りの繰り言」的な話。3章は幸福論とでも言うべきもの。4章は江戸時代、5章は国民国家についての内容。最後の6章は「無名のまま生きたい」という題名であり、本書全体の書名とも重なっており、筆者の人生観を示している。面白く読める部分もあれば、あまり面白くは読めない部分もある。 私が本書を手にとったのは、筆者が書いた「逝きし世の面影」という本を10年前くらいに読んだことがあり、それがとても面白かったからである。10年ぶりの渡辺京二であるが、その間、筆者の他の本を読まなかったのは、この方の本を書店で見かけることがあまりないから。 渡辺京二は1930年8月1日生まれ。本書は2014年の8月20日の発行なので、筆者が80歳代前半の時のものだ。この本は、特に面白い本だとは思わなかったが、80代になってこのような本を出版出来ること自体が既に驚異的なことであり、敬意を払わざるを得ない。 筆者は昨年の暮れ、2022年12月25日に亡くなられている。92歳であった。亡くなられたという報道を読み、筆者の作品を読んでみようと思い立ち手にとったのが本書。他の著作も続けて読んでいく計画。
12投稿日: 2023.03.27
powered by ブクログ渡辺京二著『無名の人生(文春新書)』(文藝春愁) 2014.8発行 2020.1.7読了 読友さん(読書メーター)のレビューを読んで購入した本。渡辺京二さんは1930年、京都生まれの人で、青春時代を当時の最先端都市だった大連で過ごしてきた。敗戦後、日本に戻ってくるが、1949年に結核を発症し、喀血。1953年まで結核療養所に施設入所していた。1948年から1956年のハンガリー事件の頃まで共産党に入党していたことがあり、水俣病問題にも熱心に取り組んでいた。一方で少年時代は大人顔負けの軍艦オタクだったそうで、本書を通読して得た私の渡辺京二像は左翼思想の愛国者である。この人の人生観は、戦時中の裕福な生活から敗戦後の凋落、そして結核療養所での間近な死の体験と切って離すことはできないだろう。「生きるとは、基本的には独りで生きていくことだ」という言葉の重みは、理不尽に命を奪われる戦争体験、結核療養所で一人また一人と黙って死んでいく仲間たち、水俣病で苦しむ市井の人々との関係を抜きにして語ることはできない。著者に尊敬の念を覚えるのは、そうした窮境にも関わらず、生きたいという強い意欲を失わなかったことだ。この娑婆世界は苦しいこと、辛いことだらけだ。それは今も昔も変わらない。むしろ、著者は、現在は社会福祉が充実して、却って人々から自立心を奪っているとさえ主張する。著者の楽天的とも言える江戸時代に対する時代感覚には、正直疑問を覚えるけれど、江戸時代の相互扶助を理想とし、分業化され、専門職化された現代のケアシステムが人間の共生する能力を奪っているという指摘は頷ける部分がある。彼の主張の根本には、サナトリウムに4年間も入所させられていたことがあるのだろうが、我々現代人もそうした後戻りできない現実の社会システムを前にして、それでも強く生きていかねばならない。どんな時代、どんな社会に生まれてきたとしても、自分が自分の一生の主人になる。社会や制度のせいにしても何も始まらない。この世に未練を残して死んでいくとしても、それは自分の生き方がそうあらしめたのだから仕方がない。他ならぬ自分の命を、他者の手にゆずり渡して死にたくない。現代を強く生きるためには、逆説的ではあるが、過剰な自己愛、自己執着を捨てろと著者は言っている。現代人は自己顕示に汲々としており、見せびらかしの大衆消費社会になっていると説く。自分の人生の主人になるとは、むなしい自己顕示競争に勝つことではない。自分のマイナス面を含めたありのままの自分から目を背けてはならない。強がって恰好をつけたり、見苦しい自分から目をそらしたり、立派になろうとしたりなどせず、耐えて生き抜く。人間は一人きりでは生きていけないから、家族や国家や社会保障が生まれてくるわけだが、根源的には孤独を抱えた自分が原点に存在する。生きるということは、その裏で必ず死ぬ者がいるということだ。好むと好まざるに関わらず、他者の居場所を奪って我々は生きている。それでも、自分の一生に誇りを持ち、自分なりの生の旅を歩みたい。著者の理想の死に方は、「野垂れ死に」だそうだ。せめて死ぬときくらい、地位も肩書も何もかも一切を払い捨てて、大地に還っていきたいらしい。それが無名の人生という生き方なのだろう。 URL:https://id.ndl.go.jp/bib/025623172
4投稿日: 2023.01.29
powered by ブクログ「人間死ぬから、面白い」とは、言わなかったけど、 そういう本になってしまったという京二さん。 そう簡単に人生が進むわけもなく、 そう安楽に人生が終わるわけでもないことを、 渡辺さんはよくご存じだ。 自分の人生に主人公でいたい、というのは、 とても共感する。 たいした人生でも、たいした人間でもないけれど、 自分が感じる小さなうれしさを大事にしながら、 天寿を全うできたら、と思う。
0投稿日: 2020.02.12
powered by ブクログ菊ちゃんが最近興味あるってことで渡辺京二さんの本をひっぱり出して読んでみた。こういう本をちゃんと押さえて収拾しているから、なかなか蔵書を捨てられない。言い訳はそのくらいにして… なんだろ、戦前、戦中、戦後を生き抜いてこられたの言葉にはぐうの音も出ない。しかも、歴史に詳しい。時代を超える人間の本質を見据える考察がある。 ほんでもって俺の考えもまんざら間違ってなかったと勇気づけられた。若い人が読んでどう思うか?感想を聞いてみたい。
1投稿日: 2020.01.11
powered by ブクログ期待していたのと何だか違う本だった。たぶん読む前は、人生の先達たる著者からささやかでも達観して生きる方法や考え方を学べると思っていたんだと思う。(努力もせず)名なり功なり上げたいと思っている自分のモヤモヤを晴らしてくれることを期待していた。 ところが、旧弊なじーさんがよく言っていることをこの著者も言っているだけって感じがしちゃったな。その裏とか深読みができていないのかもしれないけど。
0投稿日: 2019.05.12
powered by ブクログ軽い語り口と思えば、インタビューを書き起こしたものらしい。もうお年だから、そういう本があって自分の来歴を語ってもらえるのも良い。 既に渡辺京二は無名の人とは言えまい。ただ、かなりの年になるまでは、そういう気概でやってこられたのだろう。ただ、有名無名が気になる時点で、普通の市井の人間とは違う物書きなのだとは思う。 飛行機の中で一気に読んでしまった。一種の精神安定剤として読んだ。
0投稿日: 2018.11.05
powered by ブクログタイトルに惹かれて購入。 作者のことは全く知らないので、前半の作者の生い立ちの話は正直退屈だった。 中盤の江戸時代の考察がすごく面白かった。 「説教がましいなぁ」と思うとこや、「そういう視点もあるかぁ」と思うとこが代わる代わる出て来る。ユーモアもあって吹き出すとこもあった。あとがきでは編集者に言いくるめられて作ったみたいなことも書いてあり、いいわけがましいところが人間臭くて作者が好きになった。
0投稿日: 2017.11.01
powered by ブクログ今の世の中を相対的に見る、その対比の一つとして江戸の暮らしというものを、懐古趣味ではなくフラットに見れば良いのだろう、明治維新賛歌は少し見直したほうがいい。
0投稿日: 2017.09.24無名の人生たち
軽い語り口と思えば、インタビューを書き起こしたものらしい。もうお年だから、そういう本があって自分の来歴を語ってもらえるのも良い。既に渡辺京二は無名の人とは言えまい。ただ、かなりの年になるまでは、そういう気概でやってこられたのだろう。
1投稿日: 2016.10.09
powered by ブクログ無名の人生というので、どのように、、無名の人生が 書かれていると思ったら、筆者の伝記に近い形で あった。少し、書かれていたが、無名の人生が どのようにいいのか、自分の経験で、自分の考えで 書かれていて、もう少し、掘り下げて、一般化して、 ほしかった。あるいは、掘り下げて、どこがいいのか、 論理的に、一般論的にもう少し書いてほしくて、伝記が ほとんどで、その部分をもう少し、掘り下げてほしかった。 これが、この作家の限界か
0投稿日: 2016.05.24
powered by ブクログ80歳を超えて、なお文筆活動をこなす著者が目の前に控える死を意識いながら、語る人生訓。戦後すぐの混乱期をを生きてきた人間の芯の強さが詰まっている。平和な時代だけを過ごした人たちにはなかなか達観できない境地だ。 著者のスタンスは、昔は皆が思うほど悪くないということ。といって、「最近の若いものは…」という結論ではない。古い時代、新しい時代、それぞれの良さを認め、到達した結論は「人間、死ぬから面白い」だ。 死があるから、生が輝き、生に喜びを感じ、生に執着する。生きてさえいれば、成功とか出世とかどうでもいいと、著者は語る。
0投稿日: 2015.05.11
powered by ブクログ「無名の人生」読了。 「逝きし世の面影」を以前に読み、同じ著者の新書なので興味を持って読んでみた。 著者の生い立ちから、「逝きし世の面影」の作成の過程、人生、国家、江戸の暮らしなどについて思いを語っている。 戦中戦後の話はおやじの話を聞いているようで面白い。 あるがままに生きるという生き様についての考え方は共感できるが、ふと、自分の人生が無駄ではなかったと思いたいがために自分の人生を肯定するというのであれば少しむなしい気もした。 とかくこの世は難しい。
0投稿日: 2015.04.19
powered by ブクログ隠者の風のある評論家がその生き様を語ったもの。著者は幼少期から京都、大連、熊本などを点々とし、老いて後、娘夫妻の家に身を寄せるまで借家ぐらしの流転の人生を歩みます。 心情的にどこにも属さない、あるいは故郷なるものを持たないそのマージナルな生きざまは、まさしく知識人の原点に沿ったものといえるでしょう。(サイードが"知識人とは何か"で語る知識人像をこの人が体現しているように思えます) 「成功」「出世」「自己実現」などくだらない、出世とは嫌々するもの、などシニカルな世界観が染みます。 ○だいたい部長になるのとヒラのままでいるのと、給料にどれほどの違いがあるというのか。大したことはないでしょう。それよりも、組織に身を置く置かないにかかわらず、清潔な生き方を目指したほうがよほどいい。 ○しかしながら、人間というのら元々肩書きのない存在だ。サルを見てみろ、サルに肩書きがついているか?職業人として肩書きにふさわしい仕事をすることも大事だけど、その一方で、肩書きのない自分が本当の自分であることを、いつも心の片隅に持っておいて欲しい。
0投稿日: 2014.11.23
powered by ブクログ20141123 生きるということの究極は足るを知るという事なのだと思う。江戸時代との比較でも結局は何を持って幸せを判断するかに落ち着く。歳を重ねるうちに実感できれば良いが。
0投稿日: 2014.11.23
powered by ブクログ今の世の中では氏の「無名に生きろ」はなかなか受け入れてもらえないだろう。特に若い世代の人々には。んっ、いやほとんどの人にとってもかな。私の偏見でしょうが、最近の作家に対しては、とにかく大袈裟で劇的なプロットで売っていくような印象しか持てない。素晴らしい作品を産み出すよりも、売文に走っているように思えてしまう。とにかく目立ちたいと思う人が多くなった。SNSを使って自分のことを頻繁に露出する人が増えてきた。無名どころではないのだ。ただ、読書メーターのコメント投稿はそのように捉えられたくはないのですが。
0投稿日: 2014.10.18
powered by ブクログ【昔の日本人は幸福に暮らす術を知っていた】人の幸せは、生存の非情な面と裏合わせ。そのなかで「自分で自分の一生の主人であろう」としてきた孤高の思想家が語る珠玉の幸福論。
0投稿日: 2014.10.17
powered by ブクログ「来山は生まれた咎で死ぬる也 それでうらみも何もかもなし」小西来山の辞世の句が紹介されている。 けれど、そう簡単に達観は出来ないだろう。 自己愛がどんどん強まる現代のみなさん。極まった自己愛の裏側には、本当はもうそういうのはやめにしたい、ひっそりしていたい、という気持ちもあるのではないか。ところが社会はとにかく前に出ろ、顕示しろと急きたてる。 著者は集団に対する二つの思いの兼ね合いがあってよいという。所属したい気持ちと離れたい気持ち。極端なナショナリズムを常時持っている必要もない。 決して手を抜けとか逃げろとか、そういう話ではない。もちろん楽しみを放棄するわけではない。 生きるために精一杯やって、それが結果として有名になることもあるが、無名がベースだ。 (自分の基準で)清潔に生きて、無名で死ぬに限る。 ちゃんと読まないと誤解されそうな本であるし、自分も誤解しているかもしれないが、昨今、自分が目指そうとしてきた方向に光が灯ったようで、結構安心している。
0投稿日: 2014.10.16
powered by ブクログインタビュー形式ということで内容は取りとめがなく飛んだり戻ったり。著者の半生や死生観・仕事観・江戸についてなど。あまりにも変わり果ててしまった今の社会はもう江戸には戻れない。 自分は変わり者であるという疎外感には共感したがやはりそれは外の世界を知らないだけで別に珍しくない事なのだろう。
0投稿日: 2014.09.26
powered by ブクログ渡辺京二氏が、来し方を振り返り、人生について語った一冊。氏の立ち位置は、従来の「右か左か」という見方では、まことにとらえにくいものだ。それが一番よく表れているのが、5「国家への義理」の章だろう。 著者は、「ナショナリズムからの卒業こそ戦後最大の成果」とし、「この一点はしっかりと保持していかなくてはならない」とする。その上で、人は社会の中でしか生きられない(というより「人」になれない)のであり、家族・友・隣近所・同僚…と、共に生きる人たちが同心円状に広がるその最後に「国民国家」がある以上、「自分はそれとは無関係だ」という態度はとれない、と考えるのだ。 「ですから、土壇場ではその仲間たちと運命を共にする。これが最低限の倫理になってくる」「それが自分の意に染まないことであっても、ぎりぎりの場面においては覚悟を決める。それが国家と向き合う人間としての心の持ち方だと私は考えます」 さらにその上で、「それ以上は必要ないでしょう」というところに、戦争を経験し、「国家」というものに翻弄された人の強い芯があるように思った。集団や国に対して、両義的な気持ちを持つのは当然のこと。二つの思いの兼ね合いをいかにすべきか、それだけがわれわれに与えられた課題であり、それこそが難しいのだと述べられていて、ここは非常に説得力があった。
2投稿日: 2014.09.25
powered by ブクログ国家と個人との関係についてはいささか意見を異にしますが、あとはまったくその通りだと思いました。「無名の人生」、理想です。
0投稿日: 2014.09.21
powered by ブクログ流浪することこそ人間の本来のあり方。 地球システムは人間のために設計sあれたわけではない。むしr人類が自分を地球に合わせて生きてきた。人の生命というものは、地球環境の中で生み出されてきて、その環境に自分を合わせてきた。 人間とは言葉を話す動物。言葉を話すことが、自分が人間であることの内実を形づくっている。その言葉を自分に与えてくれたのは、自分の仲間たち。 言葉の能力が落ちると、文化も落ちる。
0投稿日: 2014.09.11
powered by ブクログそのままでいいのです 渡辺京二さんの著作にふれるたびに なんども うんうん これでいいのだ と うなづいている自分に気付く ことさら 難しい理屈が言われているわけではない でも ついつい人が陥りがちなちょっとした奢りを 鋭く指摘される 私たちのDNAにもきっと 潜んでいるであろう きちんと まっとうに 生きてきた人 を 改めて意識させてもらえる 「心のあり方」の民芸復興運動のような一冊です
0投稿日: 2014.09.08
