
街道をゆく 34
司馬遼太郎/朝日新聞出版
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総合評価
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powered by ブクログ億劫須臾(おくこうしゅゆ);非常に長い時間も瞬間も一緒 幡;竿からつり下がっているノボリ、旗;竿にその一片が括り付けられている 奈良時代(710~784)最盛期 天平 女帝孝謙天皇が重祚して称徳天皇へ(そこに道鏡が取り入る) 一向宗とは親鸞の浄土真宗 吉富製薬は中津にあり山国川の清廉な水が必要だった
0投稿日: 2025.10.05
powered by ブクログ以下引用~ ・鎌倉時代、絶対他力の親鸞念仏と、絶対自力の禅がうまれ、両輪相まって、日本文化にふかい影響をあたえた。 ・仏教の本質は、自分の力で自分を浄める道だ、ということにある。 ・日本人はよほど清潔ずきらしく、”きれい”ということばは、たとえば、よく洗った皿がきれいである、あるいは、このビンきれいですか、という意味と同時に、彼女、きれいだよ。という別義を持っている。 清潔と美が、一つのことばなのである。オランダ語もそうだそうで、オランダ人の清潔好きの説明によくつかわれる。 ・福沢には、沢がつく。沢のつく地名、苗字は信州に圧倒的に多い。諏訪湖の東南の茅野市の市域のなかに、福沢という小さな村があって、諭吉の祖はそこから出た、と福沢家の伝説にいう。 そのころ、中津は小河原氏の時代だった。この大名は室町時代にすでに信濃の守護だった家で、信州松本が封地だったこともあり、家臣に信州人が多かった。 ついでながら、中津はよき混血の地である。初代黒田氏の家来には播州(兵庫県)人が多かったろうし、つぎの細川氏には京都人がすくなからずいたろう。小河原氏の信州、奥平家の三河(愛知県)。 ・つまり封建制のもとでは、下級の家にうまれた者はいかに学問ができてもむだなわけで、僧侶になることがぬけ道だった。魚屋の息子が大僧正になったというような者がいくらもいた、と諭吉はいう。
1投稿日: 2023.06.05
