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街道をゆく 21
街道をゆく 21
司馬遼太郎/朝日新聞出版
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総合評価

7件)
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    三次は霧の町、川は大半が山陰に流れるものもある(江の川)(分水嶺) 栗本鋤雲(奥医師)は小栗上野介(主戦派)と共にあり勝海舟と対立;維新後は在野で新聞記者、勝 さがっとれと一喝 仏人カションと共に語学所 峠、河井継之助、横浜時計商ファーブル・ブランドの元に潜入 下関事件の際に幕府が払った賠償金をアメリカのみが明治22に何故か返却 それが横浜築港整備の資金になった(英、仏、蘭は知らんぷり) 氷川丸、太平洋航路、病院船、復員船 数奇な生涯

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    投稿日: 2025.05.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「いまの神戸市街地の原形は、居留地の造成にあるというより、むしろ生田川をつけかえてその旧河道を路幅の豪宕な道路に仕上げたてた明治四年のこの工事であるといってよ」い。

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    投稿日: 2024.10.23
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    以下抜粋~ ・(毛利が関ケ原で敗れた際に領土を没収され、一部が農民にならざるをえなかった) 幕末、長州藩が階級・身分をこえて結束がつよかったのは、江戸期に百姓身分であった者も先祖は安芸の毛利家の家来であったという意識があり、それが共有されていたためにちがいない。 たとえば幕末、この藩の高杉晋作が無階級軍である奇兵隊を組織したが、こういう組織は他の藩では考えも及ばないものであった。「もとはといえば安芸で同根だった」という百姓・町人の意識が、新藩軍であるこの組織に志願させるにいたるのである。 ・現在、旧生田川の西側の堤路に神戸市役所があるが、市役所の前の道路は、もともとは加納宗七(紀州人)がつくったものである。宗七についての神戸における痕跡は、かれが造成した一画に加納町という町名がつけられているぐらいである。 ともかくも、いまの神戸市街地の原形は、居留地の造成にあるというより、むしろ生田川をつけかえてその旧河道を路幅の豪宕な道路に仕立てあげた明治四年のこの工事であるといってよく、これによって神戸市街の骨格ができあがったといえる。

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    投稿日: 2024.08.18
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    本のタイトルには『神戸・横浜ほか』となっていましたが、「芸備の道」がよかったです。広島県の三次を旅したくなりました。予想通り、鉄穴流し・砂鉄が登場しました。奥出雲にたたらばを見に行ったのが懐かしい。 タイトルにある神戸は、次男が今春まで長らく暮らしていた街。この本を読んでおけばよかったと反省。

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    投稿日: 2023.11.21
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    司馬さんの街道をゆくも21巻まで来ました。今回は広島の奥地と神戸、横浜。表示の写真は横浜ですが横浜が一番ボリュームが少ないです。と言うか司馬さん関西の人だから、横浜に余り思い入れが無いようで書き方が神戸よりもあっさりしている気がします。 一番ページが多いのは広島ですが、広島の奥の方は毛利の出身地という観光物産が有りながら昔も今も宣伝せずにひっそりしているのは、真宗の影響もあるのかななどと思いました。

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    投稿日: 2022.08.26
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    大阪に住んでいて、大阪はもちろん大好きで、当然に阪神ファン。京都も結構好きで、よく行きます。しかし、神戸は機会がなかったのか、好きになれませんでした。これを読んで、せっかく近くに住んでるんだから、行かなあかんなぁ、という気になりました。まず甲子園より西へ。

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    投稿日: 2011.01.10
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    普段は何気なく歩いていた街並みが、十倍興味深くなれる本です。 昔歩いた街並みを歴史を深く考えながらもう一度歩いてみたいです。

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    投稿日: 2009.09.13