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純粋理性批判 1
純粋理性批判 1
カント、中山元/光文社
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総合評価

22件)
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    「カントの「コペルニクス的転回」」 https://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51719259.html

    0
    投稿日: 2025.06.29
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    なんとか入門書と本書の半分近くを占める解説を読んで、一巻を読み終えた。それでもわかってない箇所がたくさんある。 様々な入門書を読んで思ったこととして、これは訳が悪いわけではなく、カントがあまりにも前提を省いて色々なことを書いているのが原因であると判断した。 以下、自身のメモ。 大まかに本書は、アプリオリな総合判断はどのようにして可能か?という問いに答える試みであることや、当時の経験論vs合理論が問いの背景にあることはわかる。 また、人間の認識には、感性と悟性(知性)が必要であることもわかる。そして、本書では、感性を用いて直観するためには、時間と空間が前提として人間に備わっているという話が出てくるものの、これが本当にややこしい。本筋ではないとわかっているものの、本当かよ?と思う。 あと空間について議論する際の、ニュートンやライプニッツ、はたまた神学に関する背景知識の欠如があるため、何となくしかわからない。空間は物自体に付与されているのか、物自体の間の相互作用なのか、はたまたカントのいうように感性における条件なのか、どれが正しいのか判断できない。 とりあえず理解できない箇所はあるものの、次に進みながら考えたい。

    3
    投稿日: 2025.06.12
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    毎日20ページほど読んで、ようやく全7巻あるうちの1巻だけ読み終えた。 難解な書籍なので、以前の僕がそうだったように、深く考える癖のない状態だと冒頭で門前払いを食うかもしれない。 だけどめげずに読み続けたら豊饒な世界観の片鱗に触れられる。 1巻は有限な存在としての人間のそもそもの感性の形式と、その限界が語られる。 訳者のスタイルが前面に押し出された独特の翻訳なので、より多角的に把握したければ別の翻訳も読むといいだろう。僕は気に入っている。

    4
    投稿日: 2025.05.20
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    人間は事物をありのままの姿で認識できない。自分の五感を信じるな。事物の本質は分からないのに、分かると考えるから心の平静が乱される。あらゆる物事の判断を控えるように。ピュロン あらゆる知識は「たぶんそう」なのであり、絶対確実なものはない。自分は間違えるかもしれないという謙虚な姿勢と生活をより良いものにする改善の精神が大切。ヒュームHume『人間本性論』1739 人間はすべてを認識できない。人間を離れた世界、経験を越えた世界(死後に霊魂は残るか・神の存在)については認識できない。これらは認識の対象ではなく、希望や信仰の対象。人間は目や耳などの感覚を使って経験できる範囲の世界(現象)のみ認識できる▼私たちが外にあるものを認識すれば、それがまさしく私たちの主観や意識から独立してそこにあるもの、というわけではない。人間は五感で対象をとらえた後に、その対象を分析・判断している。事物を受動的に受け取るわけではない。自分の主観の枠組みに対象を当てはめて理解している。感覚的な印象に思考の枠組みを当てはめている。主観が先にあり、それに経験したことを当てはめている。イマヌエル・カントKant『純粋理性批判』 1781 イマヌエル・カントKant『プロレゴメナ』1783

    1
    投稿日: 2023.04.06
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    この本は色々な2つのことが対比して述べられている。アプリオリ(経験から独立)とアポステリオリ、分析的と総合的、空間と時間、知性と理性、必然性と普遍性、それらの違いは何かを抽象的に考えさせられる。そもそも本書は哲学書だからだ。先天的、超越論的、誤謬、デカルト、ライプニッツ、実在性とは何かを深く考えていかないといけないと感じた。

    0
    投稿日: 2022.12.25
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    長い解説のおかげでなんとなく理解できた。 アプリオリとアポステリオリ。 アプリオリとは、その事象を経験する前から、他の経験や知識を通じて、その経験を理解していること。アポステリオリは、経験しないとわからないこと。 時間と空間についてはアプリオリなものとして挙げられる。しかし、時間や空間は生まれたときから認識しているのだろうか。これには疑問を覚えた。 また、神の概念は避けがたいらしく、カントも持ち出してくる。神の概念を述べなければ、哲学というものは大きく違ったのではないだろうか。 それにしても面白い本だ。理解できたとはとうてい言えないが。思考の訓練に役立つ。

    0
    投稿日: 2021.10.16
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     まさかこの年でカントを読み始めるとは思ってもみなかったが、最近読む本読む本にやたらカントへの言及があり、そんなら一度読んでみようと決めた次第。訳書の中では最も平易だという触れ込みのこの光文社古典新訳文庫を選んだが、それでも僕には超難解。本文は全体の約半分しかなく、残りは訳者による頗る丁寧な解説が占めているという相当に親切な作りだが、それでも1回読んだだけでは殆ど理解できず。予め簡素な入門本を読んだ上、本書の本文と解説を何度も何度も行き来しつつ自分なりの読書ノートを作ってもまだよくわからず、最後に詳細な解説本を読んでようやく何となく、といったところ。通常の4、5倍は時間をかけ文字通り四苦八苦しながらやっと最後まで読み通した。  何がわからないといって、まず題名からしてよくわからない。理性を「批判」とは?普通に考えれば批判とは否定的に検証するといったような意味だから、理性の存在基盤を疑おうということか?と思えばそうではなく、理性そのものの本性を対象として純粋に(超越論的に)批評を加えよう、という意味らしい。  章立てもよくわからない。「感性論」などはまだいいが、「分析論」とか「弁証論」となると内容と章題とのつながりが相当に希薄であるため、読んでいてこの章がそもそも何を論じているのかすぐにわからなくなってしまうのだ。    本第1文冊は人間の直感がどのように成立するかを論ずる「感性論」だが、ここでいきなり爪づく。本書解説でも触れられているが、空間・時間の「形式」としての存在様式が、客観的普遍性を担保する経験的な「実在」でありながらも同時に(超越論的ではあるにせよ)主観的な「観念」でもある、というカントの論理は逆説的で極めて分かりにくい。これは「批判」内で何度も立ち現れてくるテーマでありながら、その度に混乱させられることになる。この直感を支えるパブリックなプラットフォームとしての空間・時間の実在性がカントでは曖昧に処理されているため、空間-時間を橋渡しして自己の意識をメタ的に意識するという「統覚」の所在も今ひとつピンと来ないままだ。確かに、アインシュタインを経由した現在では、空間と時間に絶対性はないが、その歪みが実体的に電磁波や物体に影響を与える実在だということになっている。ただそうなると、今度はその時空の実在性をアプリオリに把握して直感を受領してしまうこの奇跡的な人間の感性の正体とは何なのか、というカント的地平に容易に引き戻されることになるのだろう。なるほどこれは一筋縄ではいかない…  というわけでやっと7分の1。先は長い。

    3
    投稿日: 2021.07.11
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    001.経験なしでは何も始まらない 002.認識は合成されたものである 003.アプリオリとアポステリオリ 004.いわゆるアプリオリな認識 005.アプリオリな認識と純粋な認識 006.アプリオリな認識の二つの基準――必然性と普遍性 007.アプリオリな純粋判断の実例 008.経験を超越する認識 009.純粋理性の課題 010.理性の誤謬 011.二つの判断の定義 012.経験的な判断 013.アプリオリな総合判断の謎 014.数学的な命題と矛盾律 015.純粋数学のアプリオリ性 016.算術の命題が総合的であることの証明 017.純粋幾何学の総合性 018.幾何学と総合問題 019.自然科学とアプリオリな総合問題 020.形而上学とアプリオリな総合問題 021.純粋理性の課題 022.ヒュームと形而上学の不可能性 023.二つの枢要な問い 023n.純粋な自然科学の可能性 024.形而上学の問い 025.学としての形而上学の可能性 026.批判と学 027.学の課題 028.形而上学の目的とその必要性 029.純粋理性の批判のための準備学、超越論的な哲学 030.超越論的な哲学と批判 031.批判の課題 032.超越論的な哲学と道徳 033.超越論的な哲学の区分 034.直観の力 035.感覚と現象 036.現象の素材と形式 037.経験的な直観と純粋な直観 038.感性の理論(エステティーク) 038n.エステティークという語について 039.感性のアプリオリな形式――空間と時間 040.外的な感覚と内的な感覚の形式 041.空間のアプリオリ性 042.空間の必然性 043.空間――純粋な直観 044.概念ではなく直観としての空間 045.超越論的な解明の定義とその条件 046.幾何学の実例 047.主体の外的な感覚の形式としての空間 048.幾何学の可能性 049.空間と物自体の特性 050.感性の主観的な条件としての空間 051.人間の立場 052.空間とその他の主観的な像の差異 053.物自体は認識できない 054.時間のアプリオリ性 055.時間の必然性 056.時間は一つの次元をもつ 057.感性による直観の純粋な形式としての時間 058.時間の無限性 059.変化や運動の概念と時間 060.時間が主観的な条件でなければならない理由 061.直線によるアナロジー 062.現象が成立する条件としての時間 063.認識の条件と時間 064.時間の「実在性」と「観念性」 065.時間の現実性の意味 065n.時間の規定について 066.空間と時間の現実性と観念論 067.空間と時間の絶対的な実在性を主張する人々の誤謬 068.超越論的な感性に含まれる要素は空間と時間だけである 069.感覚的な認識の基本特性 070.空間と時間という条件の要約――物自体の認識の否定 071.概念と像の違い 072.ライプニッツ哲学の批判 073.ロック批判 074.感性論の役割 075.アプリオリで必然的な総合命題のための条件 076.知的直観と自己意識について 077.現象と仮象の違い 077n.仮象の発生 078.神は空間と時間のうちに存在するか 079.派生的な直観――天使が直観するとき 080.超越論的な哲学の課題のための第一条件 序文はすべてを読み終わったあとに読んで欲しいという訳者の言葉通り、序文は未読。 入門書とセットになっているお得な構成。 アプリオリな認識、空間と時間の必然性によって、我々は世界を直観することができる。というところがここまでの非常におおまかな認識。次巻も期待。

    0
    投稿日: 2019.07.17
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    訳:中山元、原書名:KRITIK DER REINEN VERNUNFT(Kant,Immanuel)

    0
    投稿日: 2018.12.27
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    経験なしで認識ってできるんだろうか? 先験的な認識ってどうやって可能なのか? 神秘主義や聖書の啓示とどうやって付き合っていくべきか。 改めて問いかけられてみるとむむむ。

    0
    投稿日: 2018.03.09
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    「ビッグバンが宇宙の始まりだって言うけど、その前に何か原因がなければビッグバンも起こらなかったんじゃないかな?」 「神とは、完璧なものである。ところで、存在しないものは完璧ではない。つまり、神は存在するのだ!……本当に?」 「心ってなんだろう?心は脳とは違うの?」 考え出したら夜も眠れないような問題が、この世界にはたくさんあります。そうした簡単には答えが出ない(でも大切だと思われる)問いを探求し続けてきたのが、何を隠そう哲学なのです。こう言うと、カッコイイ気もしますが、実際には様々な主張が飛び交うばかりで決定的な解答は出ず、堂々巡りだったり単なる屁理屈に陥ってしまうこともしばしば。うーん、カッコワルイ。 このような哲学に特有の困難を自覚していた18世紀ドイツの哲学者カントは、私たちの「理性」という能力を吟味することで、人間の認識の可能性とその限界を見定めようとしました。その成果こそが、哲学史における最重要著作の一つとされる『純粋理性批判』に他なりません。本書において、カントはそれまで議論され続けてきた重要な哲学的諸問題に対して、一つの決定的な解答案を与えることになります。 そこで論じられることになるのは、時間と空間、心、世界に始まりはあるのかどうかという問い、神の存在証明などなど。こうした課題にカントは、「そもそも私たちは、どのようにして世界を認識しているのか」という観点から切り込んでいきます。難解な部分も少なくないですが、カントの思考過程・問題の解決は、きわめてエキサイティングで、面白い。そして何よりも、本書で述べられる思想は決して色あせず、今日においてもなお私たちの物の見方に影響を及ぼしうる意義を有しています。いずれにせよ、挑戦するに値する著作であることは間違いないでしょう。 最後に、翻訳について。カントの文章は難解なことで知られ、従来の邦訳は「ドイツ語は正確に訳してあるが、意味が分からない」というものが大半でした。しかし、今回紹介する中山訳は、徹底的に分かりやすさを追求したもので、「普通に読み通すことができる」という(カントの著作に触れたことがある人にとっては)驚くべき名訳となっています。カントの思想に触れたい、『純粋理性批判』に興味があるという方は、ヘタな解説書を読むよりもこの翻訳(解説も充実しています)をいきなり読むべきでしょう。そして、この翻訳が学問的に十分ではないと感じるようになったら、他の邦訳ではなくドイツ語の原文を読むことをオススメします。 (ラーニング・アドバイザー/哲学 KURIHARA) ▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1377576

    2
    投稿日: 2016.06.28
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    感性と理性の関係。 イギリス経験論とドイツ観念論と合流点。 コペルニクス的転回。対象が認識に従う。 物自体を知ることはできない。 あくまで(1)を経たに過ぎない。道程は長い。 (2)はちょっと後回しに。

    0
    投稿日: 2014.07.27
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    店頭で目が合ったので、買いました。 読み始めました。 (2012年12月18日) 「解説」部分を読み終えました。 カントが分かった気にさせてくれるのが素敵。 (2013年2月6日) 深い森へと踏み行ってゆきます。 (2013年4月3日) カントが分かる、ということは、 ちょっとした出来事だ。 これは、大変な訳業です。 訳者と版元に最敬礼。 (2013年4月8日) 読み終えました。 よく咀嚼できたかな? (2013年4月18日)

    0
    投稿日: 2012.12.18
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    ああ、あと六巻... "対象は認識に従う"は、はじめてちゃんと読むとガツンと来た。 人は生まれながら持っている型のようなモノを頼りに外界と接しているのだろうか。。。

    1
    投稿日: 2012.08.13
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    読みにくい部分に訳者が、元の文を損なわないレベルで補足を加えているお陰でとても読みやすかった。また、解説もわかりやすい部分が多かったように思う。 強いて言えば、1巻1巻がそれなりに厚い上に全7巻という量はあまりに圧巻で読むのには根気がいるというのが問題か。

    0
    投稿日: 2012.06.16
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    「わたしたちのすべての認識は経験とともに始まる。」(序論より) 本質を傷つけないように、慎重に慎重に思考を繰り返しているように感じる。 訳者の解説があるおかげでなんとか読める・・・・・・??まだ、1巻。全7巻なのでまだ先は長い。

    0
    投稿日: 2012.05.07
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    岩波文庫版で相当昔読んだカント、再読しようと思っていたら、岩波版の訳は誤訳だらけと誰かさん(というか、中島義道)が言っていたので、やむを得ず新訳文庫でそろえ直すことにした。 こちらの訳者中山元さんは、私もこれまでいろんな翻訳を読んできたし、信頼している方だ。なるほど読みやすいが、「悟性」が「知性」になっていたり、昔の翻訳とはいろいろに変わっていて、ちょっと戸惑ってしまうかもしれない。 岩波文庫では全3巻に収まっていた『純粋理性批判』が光文社古典新訳文庫ではいきなり全7巻になってしまったのは、活字が大きいのと、各巻に1冊の3分の1強くらいの分量の「解説」を入れたからだ。 この「解説」は、きっと初心者用に、カントの言説をやさしくかみ砕いて説明してくれているのだろう、と予想していたが、まるでそういうものではなかった。 カントの本文には書かれていない背景や、他の哲学者との比較など、むしろ「知識を拡大するための解説」になっている。 本巻(超越論的な感性論)あたりはカントの本文も難しくなく、むしろ先を読みたい気持ちが強くて、この「解説」は余計なものに感じた。 大昔に読んだカント、なぜ「アプリオリとアポステリオリなんていう区別にこだわるんだろう」とかつて首をかしげたものだが、今回読み直してみて、確かにその疑問(「経験」なるものをキーワードにして人間の知的認識をふたつに分離しようという設定の不思議さ)は残らないわけではないが、このようにして厳密な哲学を、この時代にいきなり登場させたカントは、やはり抜群の存在だと思った。 さて続きをどんどん読もう・・・

    2
    投稿日: 2012.02.17
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    学生時代から何度も挫折したカントに齢37にして、再挑戦してみた。 長い日数をかけ、1巻を読み終え、知った事実。 全7巻!? 引くことも進むこともできない自分に気付いた。。。

    0
    投稿日: 2011.07.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    詳細に、正確に、簡素に徹底して。素晴らしい。 曖昧さのなさに驚く。 ほんとにはまった。 新訳、たしかにこれなら入門書要らずかも。 とっても親切。

    0
    投稿日: 2011.02.10
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    解説が豊富。訳も定訳に拘らず、大変わかりやすくなっている。それでも難解なのは仕様だし、書中の感想は省く。

    0
    投稿日: 2011.02.06
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    カントは天野貞祐訳で読んでそういうものかと思っていたので、この大胆な翻訳には関心もし感動もした。毀誉褒貶はあるだろうが、翻訳に新しい時代を切り開いたのだと私は感じている。

    0
    投稿日: 2010.10.28
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    読みやすい訳書である。序を後回しにしているのもよい。訳文は流れを意識していているので読みやすいのであろうが、カントの言っている内容じたいが抽象的なので、立ち止まって考えねばならない所もある。カントが純粋理性批判でやっていることは、人間に許される思考とは何かを明らかにすることで、物じたいは知り得ぬので、人間が知ることができるのは現象のみであるという観点が出発点になっているように思う。要するに現在の脳科学がやっているような人間の認識のフレームとか情報処理方法をさぐっているのである。第一巻では、感性が扱われ、空間と時間が人間の感性の先験的規則であることが示されている。

    0
    投稿日: 2010.06.04