
総合評価
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powered by ブクログタイトルが、何となくカッコいいと思いました。でも、何のことやらさっぱり分からず読みはじめました。ただ、GATSBY(ギャツビー)といえば、洗面台に夫のヘアスプレーみたいのを見たような... 読み進めるうちに、ギャッツビーとは人物であることが分かりました。そして生い立ちや、人となりが分かってくると、かなり謎めいている男。実家はサンフランシスコ。育ちはアメリカ。オックスフォードを出ている。31、2才。人柄は悪くなさそう。 1920年代のアメリカが舞台です。ギャッツビーは元カノであるデイジーの未練(5年も思い続けている)を断ち切れず、盛大なパーティーを開き、彼女を引きつけて取り戻そうとします。その経過を隣人、ニックが語ります。 デイジーの夫、トムは不倫をしている。そんな状況ですから、ギャッツビーの恋心が再燃するのも分からないわけではないですが、デイジーはそんなにいい女性か?と思ったり。1人の女性を巡る男の争いはすさまじかった。 ギャッツビーの蔵書の余白に残されていた、自分のスケジュールと心がけの記載。心に残りました。彼は自分なりの目標をもって、懸命に生きようとしていた。それなのに... アメリカンドリームと相反する、彼の最期は悲しすぎる。 冒頭の、ニックが父に言われた言葉 「人のことをあれこれ言いたくなったら、ちょっと考えてみるがいい。この世の中、みんながみんな恵まれてるわけじゃなかろう」 お父さん、いいこと言うなあ。ホントその通りだ! 村上春樹訳も気になるところですが、本書の小川高義訳は、短文で読みやすかったです。
39投稿日: 2026.01.10
powered by ブクログこれを山脇が好きというところに山脇の人間性というか人間臭さがあると思った 自分は恋愛を忌避するきらいがあるから共感性も持てず没入が難しかったが、主人公の目線のまま一気に全てが崩壊に進む8~10章の描写には目を見張るものがあったと思った
0投稿日: 2026.01.03
powered by ブクログこの小説は村上春樹が人生で最も影響を受けたものらしく、いつか自分の手で翻訳したいと目標にしてきたということだ。 あとがきには、原作(英文)の文章の素晴らしさがまだ日本の読者の中で正当な評価を得ていないとの思いと、自分が四十年以上にわたってこの小説を宝玉のようにいつくしんできた理由を少しでも理解し、読者のみなさんと温かくわかちあい たい、との思いが綴られている。 私は、さして村上春樹の小説を読んでいるわけでもないが、この小説は私の好みになかなか合うものだった。 訳者の言うとおり、原作を読んでいないながらも、冒頭と結末の部分は名文だろうと思う。 本屋さんで立ち読みした冒頭部分ですぐに引き込まれ購入したのだから。 このタイトルになっているギャッツビーという人物が語られる形で物語は進んでいく。 彼は何年もの間、一人の女性を胸に抱いて、ようやく彼女のそばに辿りつくのだけれど…。 ストーリー自体は特に面白い、というわけではないが、人物描写が優れていて引き込まれる。 そして、静かな雰囲気を底流にたたえながら、全体的には流れるようにテンポよく進んでいく。 ギャッツビーの人生は数奇なものであり、どんちゃん騒ぎのパーティーや豪華な暮らしぶりがよけいに 彼の孤独や寂しさを浮き彫りにさせるようだ。もっともそれを象徴しているのは彼の最後だろう。 過去と向き合いながら、どう前へ進んでいくのか。過去の記憶は長い間自分の中で抱き続ける過程で、 自分の都合のいいように変形していくものなのかもしれない。 そして、自分の抱いた理想の過去に戻ろうとしたって、それは出来るはずもなく、 現在を過去と同じ状況に変えることもできない。 そんなことを考えさせられ、最後の結末部分が心に残る。 『だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、 絶え間なく過去へと押し戻されながらも。』
3投稿日: 2025.09.14
powered by ブクログ村上春樹が好きだと言っていたのでフィッツジェラルドを読んでみた なるほど村上節に通じるおしゃれさがあった 村上作品のアメリカっぽさはこうゆうのから影響を受けているのかな ついでにディカプリオ主演の映画も見た 内容としてはまずまずかなあ
10投稿日: 2025.09.12
powered by ブクログメモ ニック・キャラウェイ 語り手 ウエストエッグ住まい ギャッツビー ウエストエッグの豪邸住まい ニックの隣人 トム・ブキャナン 友人 イーストエッグ住まい デイジー・ブキャナン 親戚 トム婦人 ジョーダン・ベイカー デイジーの幼馴染 ジョージ・B・ウィルソン 車屋 灰の谷住まい マートル・ウィルソン ジョージ婦人 トムの浮気相手 T・J・エクルバーグ博士 灰の谷にある眼鏡屋の看板 ・頻出する「忘れた」「浮かれている」「ぼんやり」「意味のない」「いきなり」「立ち消え」「からっぽな」「あやふや」「あたりさわりのない」 ・宴会のお開き前に対立する男女 ・ちぐはぐな場面(ほかにもたくさん) 「名高いテノール歌手がイタリア語で歌い、評判の悪いあると歌手がジャズ風に歌っていた。」(第3章、78p) ・時系列が時々飛ぶ→回顧録の体裁 現在書いている私「当時の私「さらに過去の私」」 現在からだけでなく、当時から現在に向かうような表現も挟まる ・第四章の冒頭ギャッツビーの饗応を受けた人々の名前の羅列には背景となる物語の欠落を感じる。箇条書きみたい。 ・ギャッツビーがグレートであった理由。 言葉が途切れ、ギャッツビーは行ったり来たり歩きだした。パーティが終わったあとのことで、フルーツの皮、捨てられた景品、踏まれた花が、さびしい小径をなしている。 「デイジーに無理な注文をするのもどうだろうね」と、私はあえて口出しめいたことを言った。「過去を繰り返すことはできない」 「できない?」ギャッツビーには心外のようだ。「できるに決まってるじゃないか!」 そう言って、あたりを見やる。つかみそこなった過去が、まだ遠くへは行かず屋敷の陰にひそんでいるとでもいうのだろうか。 (第六章、179p) ・書き手は最後から最初へ戻ってループする。循環してしまう記憶。 ギャッツビーは緑の灯を信じた。悦楽の未来を信じた。それが年々遠ざかる。するりと逃げるものだった。いや、だからと言って何なのか。明日はもっと速く走ればよい、もっと腕を伸ばせばよい……そのうちに、ある晴れた朝が来て―― だから夢中で漕いでいる。流れに逆らう舟である。そして、いつでも過去へ戻される。(第九章、295p) まだ大人になりきれなかった私が父に言われて、ずっと心の中で思い返していることがある。 「人のことをあれこれ言いたくなったら、ちょっと考えてみるがいい。この世の中、みんながみんな恵まれているわけじゃなかろう」 (第一章、9p) 去年の秋、私は世の乱れを嘆くような心境になって東部から戻った。もっと襟を正して、まっすぐな姿勢を保つべきではないのか、という思いをした。浮かれた遠足気分で人の心をのぞきに行ったようなもので、そういう結構な立場には懲りて帰った。(第一章、10P) どこまでも絶望しない才能なのである。精神がロマンチックにできていた。あんな男には会ったことがないし、これからまた会うとも思われない。いや、結局まともだったのはギャッツビーだ。私があきれたのはギャッツビーに食らいついた側である。(第一章、11p) ・感想 父親の忠言を心に刻んでいるニックにしてみれば、ギャッツビーが夢破れる原因となったトムとデイジーなどは恵まれている階層の人々だったことは、受け入れがたい現実だったのではないか。 過去へ戻るために書かれた小説かと思う。ニックが意図せずにギャッツビーの志を引き継いだように見える。ギャッツビーだけを肯定するとはそういうことかもしれない。ニックは故郷へ戻ったにもかかわらず、いまだギャッツビーという夢に心が囚われている。だから書いたのかもしれない。
0投稿日: 2025.08.10
powered by ブクログ『グレート・ギャツビー』との接点は映画版(2013年)くらいで、観た当初は訴えたい内容が何も伝わってこなかった。 原作に挑戦した今でも掴みどころがないのには変わりないが、どことなく記憶に足跡を残す物語である気がしている。 舞台は「狂乱の20年代」と呼ばれた、1920年代のアメリカ。 自動車に映画館、ジャズ・ミュージックで彩られた豪華なパーティーと、作品の端々でギラついたアメリカが垣間見られる。タイトルの『グレート・ギャツビー』自体、まさに「ギラつき」の代表格ではないだろうか。 しかし、当の本人であるギャツビーさんは全くの謎に包まれた人物で、それこそ掴みどころがない。 誰も彼の出身や経歴について知らず、「夜な夜な屋敷で豪華なパーティーを開く謎の大富豪」としか認知されていない。そのパーティーに招待されるのは、よほど特別な人物とされている。(パーティーは、基本的に飛び入り参加自由) ギャツビー邸の隣に引っ越してきた青年キャラウェイは、ある日ギャツビーからの招待を受け、以降交流を深めていくことになるが… 「人間には四種類しかない。追われる、追う、動きたがる、動きたがらない」(P 130) 小説の登場人物というのは、ルックスや動向を通して、読者側に手に取るように伝わってくるものだ。一方でギャツビーは…映画版でギャツビーを演じたレオ様を何とか当てはめたものの、読書中はイマイチ手応えがなかった。 だが物語が進行するにつれ、実は意中の人を射止めようと、あらゆる策を講ずる情熱家であることが明らかになっていく。それまで大富豪の余裕をちらつかせていたのに、段々と落ち着きのなさも露呈していく…。(事故の後、かの女性の邸宅前に佇む場面が今も忘れられない) 経済も恋愛もイケイケどんどんな時代に、珍しく純情な男がいるもんだと妙に感心したし、ようやく実態という名の尻尾を掴んだ気分だった。 結局キャラウェイほか一部の人間(読者含む)を除き、誰も本当のギャツビーを知らないまま、彼は物語から退場する。 どことなく記憶に足跡を残したものの、まだ何か物足りないような感覚が残っていて、本編終了後はいささか不安になっていた。そんななか、面白い切り口の視点が訳者あとがきに書いてあったので、最後に引用したい。 ギャツビーのことばかり書いてきたけど、本書は彼のような富裕層と庶民階級との対比がはっきりと描かれており、特にそれぞれの立場によって自動車との関わりが違っているのだとか。 前述の通り自動車は20年代の産物で、ギャツビーもまたカーライフを謳歌している。現代のガソスタ的役割も果たす自動車修理屋のウィルソンは、ギャツビーらとは対極の位置にあった。当初サービスする側だった彼は、ある自動車事故を機に車に関わることを放棄する。 新興成金のギャツビーとはまた違う形で、ウィルソンも時代への反乱を起こしていた、という見解には、目から鱗がボトボト落ちたな…。 これで私のギャツビー考が終わったとは思えないから、いつかまた考察本を持ち込んでくるだろう。その時はどうか、ギャツビーのような温かい眼差しで見守ってください…。
49投稿日: 2025.03.11
powered by ブクログアメリカ文学の古典的名著ということで、読まずにはおれんだろうというミーハーな気持ちで手に取る。 ディカプリオの映画予告編のイメージが強いからか、乱痴気騒ぎのエンタメ小説かと思っていたが抒情的な栄枯盛衰物語でしたね。 後半の展開で徐々に明かされるギャツビーの人物像とその魂胆、終盤の展開とハラハラさせれたな。 ところどころの風景描写の色彩豊かさ、情景を想起させる名文であることが翻訳ではあるが随所に感じられる。名家として根っからの富豪に対するきな臭い成金のギャツビーという対比、もっと大枠の上流階級と一般市民のパワーバランス、作品構成として非常に引き込まれる練り上げ方をされている。時代も国も違うけど、根源的な人間の無常感を感じさせる。1920年代、第二次世界大戦前の不穏な空気感を味わえた気がする。 村上春樹訳もあるとのこと。本書に思い入れが強いようなので気になる。文体が全く異なるだろうし、再読にはそちらも読んでみたい。
1投稿日: 2025.01.11
powered by ブクログ2024.07.21〜2024.07.23 映画を一度観たことはあるが、細かい内容は覚えていなかったので新鮮な気持ちで読めた。 小川高義さんの訳がとてもわかりやすく読みやすかった。 ギャッツビーの行動力がありすぎるゆえの一途な不器用さが魅力的。 物語が動き始めてからは一気に読み終えてしまった。 村上春樹さんの訳もあるようなので、読んでみたい。
1投稿日: 2024.07.23
powered by ブクログうーんわからない 梟書茶房で買い、読んだ一冊 キャラウェイ、デイジー、トム、ギャッツビーだけはわかった。あんまり得意ではなかったため、ほぼ流し読み。台詞しか見てない。ギャッツビーが好きな人すみません…… もう少し大人になってからまた読んでみたい 他の訳で読んでもみたい 訳者によってはわかるものがあるかもしれない
0投稿日: 2024.05.15
powered by ブクログ読めば読むほど味がする最高の小説。好きすぎて英語版も買った。難解な文章が多くて、翻訳者のセンスが試される。 ギャッツビーの「ッ」が気になって仕方ない。 ぶつ切りな文章が多いが全体的に良かった。
2投稿日: 2023.12.15
powered by ブクログ誰の発言かがわかりにくくて読み飛ばしてしまった部分もあるけど、ギャッツビーのデイジーを思ってまた会えるシーンはドキドキした。 ギャッツビーがデイジーはトムを愛してなかったと思いたいとこだわる気持ち、わかるようなわからないような気持ち。あと、デイジーは最後ギャッツビーに会いにこなかった。 そんなものだったのかと思ったり。
1投稿日: 2023.06.15
powered by ブクログ初読。村上春樹訳も読んでみたいがこちらもすごく良かった。文章が独特かつ非常に美しい。(原文読めないけど)これはフィッツジェラルドの技術でもあるし、訳者の小川高義氏の手腕でもあるのだと思う。語り手からギャッツビーへの目線は淡々として中立的なようで、彼なりにギャッツビーに寄り添っているのがわかる。父親に関係を問われてすぐ「親友でした」と答えるくだりがよい。ギャッツビーがただ一人愛した存在であるデイジーが、後書きで触れられているような「頼りない、不安定な夢」であることが奇妙な誤読感に繋がっているように思う。
0投稿日: 2023.06.11
powered by ブクログよくわからなかった 本当のところこの時代を生きた(あるいはこの時代を知っている)アメリカ人でなければ読み取れないことが多分にあるんだと思うんです でも「わからなかった」で片付けてしまっては古典を読む意味がないじゃないか!! …とは思わないんです 読んでみてわからなかった 立派な感想じゃないですか 「わからなかった」から自分なりにいろいろ調べてみてもよし、さらに深く考えてもよし、わからないままでもよし 「わからない」を始点にしてもよし、終点にしてもよし いいんですよ 古典なんてわからなくっても 「ああ、それならお父さん読んだことあるよ」って言いたいだけなんですから 「どうだったって?」て聞かれたら 咳払いのひとつもして「あ、そうだ植木の伸びたの切っとけって言われてたんだ」とかなんとか言えばいいんです それでもしつこく聞かれたら「いや〜グレートだったね〜、ギャッツビー、グレートだったわ」とか言っとけばいいんです 古典ってそういうことです(絶対違う)
46投稿日: 2023.06.02
powered by ブクログ『グレート・ギャツビー』の題名で村上春樹氏の訳が有名と思うが、Kindle Unlimitedにあったこの本を読んでみた。ゴールデンウィーク中の移動で読んだ本。 パーティーのきらびやかな様子、ニューヨークの都会的な様子が伝わってくる。でもそれでは満たされないのが、人。いつも人は恋愛で悩み、苦しむよな、と思った。
0投稿日: 2023.05.01
powered by ブクログフィッツジェラルド。大金持ちの男が過去の恋を取り戻そうとして、結局できなかった話。有名どころだから読んだが正直よくわからない。いわゆるロストジェネレーション世代の小説はわかりにくい。解説を読んでもう一度読もうと思う。
0投稿日: 2023.04.05
powered by ブクログギャッツビーは、ハンサムで、寡黙で、大金持ちで、一途なので、男性が思う「かっこいい男」のように思える。無論私もそう思う。(粘着質すぎるけど…)だからこそギャッツビーには人間らしさがない。説明こそあるが、ぽっと出の人物のようである。またイマイチ恋する理由も分からない。しかしながら、デイジー(ギャッツビーが思いを寄せる女性)と対話する時の彼の動揺っぷりは愛嬌たっぷりで、特に先走りすぎる会話をしてしまう彼の描写は、本当に良かった。 ギャッツビーとやたら平凡な話者以外にまともな人がいないので、読了後はただただ頭に?が浮かんだが、時間が経つにつれもう一度読みたくなる不思議な感覚が湧く。多分ギャッツビーに対する思慕か同情だろう。感情が大変なことになる作品だった。恐らく、原書で読む方が翻訳作品特有の言い回しが理解できるのだろう。機会があれば是非読みたい。
2投稿日: 2023.03.01
powered by ブクログアメリカンドリームに乗り遅れた男の話(乗り遅れたというより時代がすでに終わってた?)。乗り遅れたけど、とりあえず金持ちにはなれた。希望する形ではないだろうけど。 初めて読んだので、まだ飲み込みきれてない。今まで読んだ海外文学の中では、一番オシャレな感じがする。訳の影響もあるだろけど。 まるで関係ないんだけど、読んでいる最中、どうも頭の中に「アルジャーノンに花束を」がちらほらと浮かんでくる。理由は不明。あっちはSFだし。 ほとぼりが冷めたらまた読もうと思う。
0投稿日: 2022.12.22
powered by ブクログ古き良き時代のアメリカンドリームの悲哀をハードボイルドタッチで描いた粋な小説である。キザな男たちの人生が悲しくもあり、愛おしくもある。
0投稿日: 2022.10.31
powered by ブクログ何回目かわからないぐらい読んでいるけれど、今回は津村さんの世界文学の紹介をきっかけに再読。 フィッツジェラルド節満載で相変わらず文体がカッコいい。そして前回読んだ村上春樹訳とはまた違った味わいがある。こちらの方が読みやすい。 全員がどこかしら一癖ある西部出身の登場人物達が東部ニューヨークの風に馴染めず、それでもしたたかに生きるトム、デイジー、ベイカーに対し、やはり馴染めずに帰郷する語り手のニック、そして過去よもう一度とばかりに不器用ながら純粋に生きるギャッツビー。誰かに感情移入するということはなく、1920年頃の時代の雰囲気を感じることができる。 難しいといえばそんなことはないのだけれど、決して分かりやすくはなく、人生経験を積んでからこそ味わえる作品という気がする。とはいえフィッツジェラルドが執筆したのは29歳の時。人生の重さが現代とは違う。
3投稿日: 2022.10.10
powered by ブクログどう感想を書いていいのか難しい。私は単調な物語に感じてしまったが、読了後にむず痒い感覚が残った。もう一度読めば何かがわかるような気がした。
2投稿日: 2022.08.27
powered by ブクログあくまで平民出身の人は貴族には勝てない、、みたいに感じて辛かった。 トムとデイジーのいいかげんさがすごく苦手。その2人が貴族なのも気に食わない。貴族だからこそ取ってつけたような上辺だけの人間で、芯のない人なのかもしれないけど。 ギャッツビーはすごくまっすぐで自分にも他人にもすごく期待してる気がする。だからこそデイジーの理想像だけで鍛錬みたいなスケジュールを淡々とこなし、成功を収める。貴族への憧れみたいなものもあるんだろうけど、デイジーを目標にしたのが間違いな気がする。他人を目標にするの自体良くないし、人選も間違い。 下剋上は失敗する、みたいな話に感じた。 読み返したけど1回目より色々と発見があった。対比がわかりやすい。
0投稿日: 2022.08.17
powered by ブクログ過去の恋人との別れを白紙に戻すために犯罪めいた仕事に手を出して富を得、彼女を振り向かせようとする。そのいかがわしさは、誰も振り向かせない孤独の死という道化に至る。ひとりニックの思いやりだけが救いだった。2022.3.15
0投稿日: 2022.03.15
powered by ブクログディカプリオ主演の映画も観たが、原作そのまんまで、再現度はかなり高い。車で逃走するシーンなどがあるが、当時は車が登場して間もなく、車の所持は「アメリカン・ドリーム」の一種だったことも押さえておきたい。
0投稿日: 2022.02.22
powered by ブクログ村上春樹訳で読んだことのある本を、別の訳者で読んでみるという試み。ギャッツビーの純粋さというものが、自分の中にあるならそれを離さずにいたい。「あいつら、腐りきってる」「あんた一人でも、あいつら全部引っくるめたのと、いい勝負だ」というセリフが好き。
0投稿日: 2021.12.04
powered by ブクログトムとデイジーが大分クズ。特にデイジーは酷い。当時の恋愛事情がわからないけれどギャツビーと浮気したり、またトムに戻ったりふらふらとしていて好きになれないキャラ。ギャツビーはデイジーとトムの5年間をなかったことにすることに固執してしまったがためにうまく行かなかったんだろうなと思う。また新しく始めようとしていれば違った結果があったはず。あと情景描写がとんでもなく丁寧。
0投稿日: 2021.11.06
powered by ブクログ読み終わったら映画も観ようと思ってたけど、今はそんな気になれない。そんな、そんな、という暗い気持ち。直感的にくそデイジーと思ったけど、誰も責めたくない。
1投稿日: 2021.10.28
powered by ブクログ上昇志向の男が過去の女にこだわることによって起きる悲劇。事件後の周囲の冷ややかな態度が悲しいが、これぞ上流階級という感じを出している。
0投稿日: 2019.07.07
powered by ブクログディカプリオの映画をみて、原作を読もうと積ん読の本書をらひっばりだす。 ちょっと飽きがくるけど、村上春樹もおススメなのだから、読みが足りないんだな、きっと。いずれ再読しよう。
0投稿日: 2019.06.22
powered by ブクログその昔、村上春樹のエッセイかなんかで存在を知りながら読む機会がなく、存在も忘れてしまっていた小説。飛行機の中でディカプリオの映画を観たのを機会に手に取った。 結果、映画を観てから小説を読むのは、とくにキャラの立つ主人公の場合はイマジネーションをそこねると再認識。 でもとてもよかった。「読み終えた」ということに満足。 終盤が急ぎ足っぽいのと、デイジーがあほっぽいのが不満。
0投稿日: 2019.02.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
すごく好み。今読んで良かったと思う。 ディカプリオ主演の映画を見て、小説も読んでみようと思った。 何社かから出版されていたので、本屋で迷った。私が外国の本を選ぶ際に重視していることは、日本の小説のように文脈に違和感を感じずに読むこと。外国語に忠実に訳されたところで、回りくどかったり日本語として成り立たず理解できなければ意味がなく、そんなに細かい言い回しが知りたいなら原文で読んだら良いと思うので。 まず村上春樹訳を手にとってみた。装丁の可愛さから初めに目を付けていたけれど、中を見てみるとザ・村上春樹という文体で、「オールドスポート」がそのまま書かれている。次に手に取った新潮文庫は日本語が古くて読み辛いと感じた。 この二冊から選ぶのは難しいと思っていたところ、光文社文庫からも出ていることが分かった。何となく思い込みで、堅苦しそうなイメージを持っていたけど、パッと見ただけでもとても読みやすそう。オールドスポートは訳されていなかったけれど、この本に決めた。 光文社のポリシーが「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」らしく、私が求めているものだったので納得。 機会があれば村上訳も見てみたいなぁ。 読んでみると、既に映画を見た後なので話が入ってきやすい。アメリカの恐慌前の様子を知らなかったしそもそも考えたこともなかったけど、まるでヨーロッパ貴族のようなオシャレな暮らしをしていたり、街全体が好景気で浮かれていたなんて。 客観的に見ると「結局まともだったのはギャッツビー」だと言うのが分かる。彼はデイジーしか見えていないようなロマンチストで現実的ではなかったが、それが彼の全てだった。他の生き方や、デイジー以外の原動力なんてなかった。 トムやデイジー等、現実を生きて幸せであるはずの人々がそれに満足できず、ふらりと逃避してしまう。子供も自分で育てず家政婦に任せっきり。そりゃあ退屈で遊ぶ余裕もあるだろう。 それで不器用で真っ直ぐなギャッツビーが振り回される。 ニックも語り手として隠れているけれど、巻き込まれた側だろう。 トムやデイジーはきっとこの先も周りを勝手に振り回して、その結果起こったことには責任を取らず逃げるだけ。 ギャッツビーにとって、緑の灯は遠いままの方が良かったのか……? ギャッツビーが唯一得たものと言えば、ニックとの友情だろう。長い付き合いでもないニックが、葬儀に参列するように知り合いを訪ねて奔走してくれるほど、ギャッツビーには徳があった。本当はその他の薄情な人々に来てもらう必要などなかったのかもしれない。 個人的にはニックには全ての真実を関係者に明かしてほしかった。それが義務のような気がして。 読んでいると1920年代のアメリカの様子が分かる。エアコンがなくて夏は異常に暑かったこと、灰の谷と呼ばれる荒廃した地域とその周辺で住む人々、禁酒法と裏社会の稼業……作者がまさに生きていた時代だからリアルで興味深い。 T.J.エクルバーグ博士の目や、緑の灯火が何回も出てくる。視覚的にわかりやすく、はっきりした描写が楽しかった。 最後のシーンが特に美しくて大好き。 西部人が東部で暮らすのに違和感を感じるように、元々金持ちではないギャッツビーが生粋のお嬢様であるデイジーと一緒になるのは難しい。過去を取り戻すことも。 それでも夢を追うギャッツビーが素晴らしいということか。自分の意志を持って光に進んでいくことが。 20180909
13投稿日: 2018.11.25
powered by ブクログ題名だけは知ってるけど、実際にはどんなもんか全然知らん、みたいなやつ。ギャッツビーってどっかのムースかなんかであるくらいで、金持ちの鍛えたお兄ちゃんがぶいぶい言わせるような話なんかと勝手に思ってたけど、ちょっと違うような違わないような。ぶいぶい言わせてるけど、実はいろいろあるんやで・・っていう話だった。 しかしこの金を持って無双、しかし金を持っても愛は手に入れられないぜ、という流れは、100年前にはぐっとくるものがあったにせよ、今の時代にはやや微妙ではある。飽食の時代にはお金なんて!ってなって、その揺り返しがやって来て。 要するに馬鹿とお金は使いようって事やね。違うか。
0投稿日: 2018.07.01
powered by ブクログ学生の頃、映画が唯一の楽しみだった私にとって、好きな女優の№1が、この前「サラバ!」に出てきたイザベル・アジャーニだったとすれば、男優の№1は間違いなくロバート・レッドフォードだったな。 「明日に向かって撃て!」「スティング」「追憶」、そして「華麗なるギャツビー」。 私にとって「グレート・ギャツビー」はフィッツジェラルドではなく、ましてやデカプリオでもなく、まあ、この映画だったわけですわ。 ところが「ノルウェイの森」を読んだらば、遅ればせながら本のほうも読みたくなったので、今度もブックオフで物色。 村上春樹さんの訳で読んでみたかったが、小さな店にはあろうはずもなく、棚にあっただけでも良しとして、この本にする。 実は「華麗なるギャツビー」は観ておらず、それでもしかし1920~30年代のアメリカの雰囲気は、昔は映画でもよく見た時代設定だし、読みながら絵柄を頭に浮かべるのはそれほど難しくない。 どこにでもあるような、ある意味、陳腐な物語ではあるが、確かに魅かれるものはある。 ギャツビーという男の謎めいた人物像。物語の語り手であるキャラウェイと、それを取り巻く登場人物。横柄で傲慢な友人・ブキャナン、天真爛漫なその妻・デイジー、デイジーの幼馴染みで女子プロゴルファー・ベイカー、素朴で実直な自動車修理屋の主人・ウィルソン、肉感的なだけが取り柄のその妻・マートル…。 多くの人物が俗物で虚飾の世界に生きる中、今や人妻のかつての恋人に胸を焦がし、過ぎた時間を帳消しにしたいギャツビーだが、思いつめた相手のデイジーがそこまでの女性ではなかったところに、この話の哀れさがあるよな。 村上春樹さんではない訳者(小川高義さん)による解説とあとがきが適切的確でした。 昔、この役がレッドフォードに似合うのかしらんと思っていたが、どんなに着飾っても田舎者の雰囲気が顔を出し、恋に対して時に臆病、時に傲慢ななんてところは、まさにレッドフォードだったよなぁと思える。 デイジーがミア・ファローだったことまでは覚えていたが、他のキャストまでは頭になかったので、今調べてみたが、 キャラウェイ=サム・ウォーターストーン(確かに実直そう) ブキャナン=ブルース・ダーン(なるほど) ベイカー=ロイス・チャイルズ(ちょっと美人過ぎ?) ウィルソン=スコット・ウィルソン(これはこれは) マートル=カレン・ブラック(うひゃ~、これはまたドンピシャ) いや、俄然映画も見たくなったぜぃ。
1投稿日: 2017.10.25
powered by ブクログアメリカ小説の古典。1920年頃のニューヨークを舞台とする謎の多い男ジェイ・ギャッツビー。日本でも有名でディカプリオ主演で映画化もされている。 正直全体を通して読みにくいと感じた。随所に上流階級と下流階級、東部と西部の比較が表現されている。当時のアメリカ富裕層の華やかな暮らしを垣間見ることが出来、一途な恋のせつなさも有り。 再読したい。
0投稿日: 2017.08.30
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
過去に縛られる男の話といえば、私の中ではやっぱり『秒速』だろうか。男は過去に、女は未来に。そんな二元論が嫌いなのは、それが幾分的を得ているのだという考えが自身の心の中にあるからなのかもしれない。 本作の主人公であろう「ジェイ・ギャッツビー」は、かつて愛した女性に再開したが、彼女にはすでに婚約者がいた。あとはもう当然起こるであろう出来事の連続で、当然起こるであろう結末を迎える。これはもう様式美なのではないだろうかと思うほどに。 主人公の名前だけのタイトル、冒頭の語り手の独白、物語序盤から始まるミステリアスな「ギャッツビー」像がだんだんとなくなってゆき、最後には実直な青年だった彼が現れる物語の運びが本当に上手くて、彼を終始疑問視していた語り手が最後まで彼に付き添うところは心憎い。 過去は取り戻せないと述べる語り手に対し、「できるに決まってるじゃないか!」と言ってのけるギャッツビー。「何言ってんだよ」と思いつつも、語り手のように彼にどこか惹かれてしまうのは、読み手もきっと同じだと思う。 解説では当時のアメリカにおけるこの小説の位置づけについて書かれており、また面白かった。
0投稿日: 2017.06.10
powered by ブクログ映画の『華麗なるギャツビー』の原作本。映画を見た わけではないのですが、アメリカといえばギャツビー みたいなところがあるし、ギャツビーっていう単語で なんとなく派手で、かっこよくて、繊細で、おしゃれ な感じがするような気がします。 ただこの本は初めて読みました。でもやはり面白く 読めました。個人的には非常に好きなタイプの小説であった と思います。
0投稿日: 2017.01.29
powered by ブクログ戦前に書かれた作品にもかかわらず、最新作のようなみずみずしさを感じるのは、新訳であるのが理由なのだろうか。 それにしても、第二次大戦前から、純粋な愛情とうものは既に廃れたものという風潮があったというのは悲しい。
0投稿日: 2017.01.09
powered by ブクログ訳文が自分にあっていたと思う。すっぽり入り込んで読めて、面白かった。ときどき、夏目漱石っぽいなと思う所もあった。
0投稿日: 2015.09.29
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
栄光というのは本当にはかないと思います。 それがある種の社会への復讐という 想いがあったギャッツビーにとっては。 (純粋な愛の裏には復讐もあったことでしょう) そして、終盤には美しい文体から 人間の醜さを浮かび上がらせてくれます。 そう「金の切れ目は縁の切れ目」 所詮それが人間というものなのです。 だけれども、これはあまりにもさびしすぎる。 名作で、静かさと華やかさが 素敵だけれども、デイジーは大嫌いです。 ただの尻軽でしょ。 空っぽの女なんか遊びにしかならない。 でもジョーダンはかわいいですね。 あの後、どうなったのかな。
0投稿日: 2014.12.14
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ディカプリオの映画を見たすぐ後に読んだ。 昔20代で読んだ時はこんなに面白く感じなかったはず。 前半、ギャツビーが対岸にある緑のライトを見つめるシーンで、思わずぐっと来たのは映画を見てギャツビーのデイジーへの想いを知っていたから。きっと一度読んだだけでは、良さはわからないのかも。
1投稿日: 2014.11.03
powered by ブクログ去年野崎版を読んで、かなり原作に忠実なディカプリオ版映画も見た上での再読なのに、やっぱり相当読みにくい。 ブツ切れで衝動的な文章。「で、今何をしてるの?」的不親切な描写の数々。話がどこに向かっているかさっぱり分からないモヤモヤ感。意味不明の会話に無駄に多い登場人物。 よく分からないから半分読んだところでもう一度最初から読み直したけれども、やっぱりよく分からない。 結局はフィッツジェラルドがわざと分かりにくく書いてるわけだから分かりにくく読むのが正解なんでしょう。 後半、というか物語が終わってから、というか300ページ中の250ページ以降の文章はとっても素敵。初読の人は「目指せ250ページ!」です。 そんなこんなで海外の長篇小説第26位。
0投稿日: 2014.09.15
powered by ブクログ図書館で本を漁っていた時に映画化されたことで名前だけ知っていたので読んでみることに。 実際に読んでみると、CMで見ていた豪華絢爛なるギャッツビーの印象はどこへやら。かつての恋人を追いかけるがために成り上がったけれど、それは虚構でしかなかった。可哀相な人だったね、ギャッツビー。 結末の件は、あえて詳細が描かれていないことで、スッと虚無感が沸く感覚がした。 映画版やほかの翻訳本も気になる。ただ特に心に訴えるものはなかった気がして、星2つ。
0投稿日: 2014.05.14
powered by ブクログ久しぶりの海外文学。読みやすく訳されてるが、最近易しい日本小説に慣れ過ぎて、1行に凝縮された文が多く感じた。背景を理解しないと、置き去りにされる感。
0投稿日: 2014.04.30
powered by ブクログ慣れない海外文芸、たまには読んでみる。 これは今まで読んだ中で、最も「らしい」海外文芸だった。 馴染めぬ描写、とっつきにくい構成、作品にとって意味が有るのか無いのか分からない細か過ぎる説明。 開かれるパーティーの参加者をこんなに列挙しなくてもいいんじゃないか?そんなにいっぺんに挙げられても覚えられないし…。 などなどの理由で途中リタイア。
0投稿日: 2014.04.02
powered by ブクログ読んでいるうちに寂しさと悲しさが押し寄せた。 ギャッツビーに共感できてしまう気がしたからだろうか。元気な時にもう一度読み直したいと思う。
0投稿日: 2014.03.24
powered by ブクログしょせん、デイジーも含めお金に群がっただけの人達だったな、と。ギャッツビーはとても可哀想な人だったとおもう。
0投稿日: 2014.01.03
powered by ブクログ6月に映画を観たので、原作も読んでみようと思い読んでみました。 学校の図書館で見た野崎さんの訳は少し読みづらいなあと思ったので(翻訳小説が個人的に不得意なんです)、新訳と書いてあり、読みやすいらしいこちらに。 まず、訳の印象としてはだいぶ読みやすいです。 新訳シリーズ初挑戦だったのですが、これだったら中高生の読書感想文なんかにもおすすめできると思います。名作は先生ウケもいいでしょうし。ただこの「グレート・ギャッツビー」は内容的に感想文には難しいかな? 内容としては濃厚なメロドラマって感じでしょうか。個人的にはニックがビャツビーと関わりを深くしていくごとに絆が強まっていく様子に共感を覚えました。おそらくギャツビーの過去が分かっていくにしたがって読者にも同じ感情が芽生えるからではないでしょうか。
0投稿日: 2013.09.22
powered by ブクログ二回目。村上春樹の小説の主人公が好きな小説ということで読んでみた。が、一回目は面白さがわからなかった。二回目はイギリスからの帰りに飛行機で映画をみたせいか、面白かった。訳もわかりやすいが、綺麗な日本語で読んでいて心地よい。しかしデイジーになぜそこまで執着するのかはイマイチわかりにくかったように思う。それでも頑張るからギャッツビーは偉大なのかもしれないが。最後の殺される下りもあっさりしていて、もっと盛り上げてもいいような気もした。口癖のold sportsが訳にはないので、いつかぜひ英語で読みたい。
0投稿日: 2013.09.12
powered by ブクログ映画を見て原作が読みたくなった。 ニックの視点で描かれているので、直接見聞きしていないところはやや説明的だった。
0投稿日: 2013.08.25
powered by ブクログ村上春樹がご執心の小説というぐらいのイメージしかなかったが、映画化されたので、読んでみた。 アメリカらしい大味な小説だと思うが、どこまでいっても交わらない人々のやるせなさがある。解説にも繰り返し出ているが、ギャツビー邸、ブキャナン邸、そして下町(というか下級階層の町)とのコントラストが鮮やかであり、それゆえ、ハイソサエティーな登場人物たちの気だるさがより引き立っているように感じる。
0投稿日: 2013.07.24
powered by ブクログ映画を観る前に読んでみた。映画はほとんど原作に忠実で、なおかつ要所要所にメリハリをつけた脚色があり、分かりやすかった。フィッツジェラルドは他に同文庫「若者はみな悲しい」しか読んでないが、やはり短編作家という印象がある。
0投稿日: 2013.07.02
powered by ブクログアメリカ文学史の課題図書で読みました。村上春樹の訳は読みたくなくて笑 こっちにしたのだけれどすごくおもしろかった。
0投稿日: 2012.12.20
powered by ブクログ久々に読む海外文学にふさわしい一冊。和訳もすごく読みやすかったです。今度は村上訳でもぜひ。昔(?)の本て、たとえば今の日本小説みたいには親切でいてくれない。一回読んだだけでは到底理解しえない。だけどそこが素敵なところなんだろうな。ギャツビーもそうだけど、みんな悲しくて自分勝手。
0投稿日: 2012.10.17
powered by ブクログよく聞くタイトルだけど、未だ手に取ったことがなかった。そして読み終わり、なんて言うか、嗚呼、アメリカンだなぁ、と思った。 ギャッツビー氏は悲しい。大きな子どもにしか読み取れなかった。自分が信じてる世界が全てで、嘘も現実もまぜこぜになっている。彼が一途に(病的なまでに)愛しているデイジーもまた、大きな子どもだし、トムもまたしかり。 金の万能性と、それに群がる人々の繋がりの薄弱さを鮮やかに描いているように思う。 結局、ギャッツビー氏の葬儀に出席したニック、メガネの男、父親は、ギャッツビー氏の金には目もくれてない。ニックは彼の真実を、メガネの男は知性を、父親は出生そのものを体現化した存在として最後を飾る。逆に言えば、これら三つこそギャッツビー氏の隠し通したかったものとは言えないだろうか? 最後に。 情景描写と心理描写のリンクがとても巧妙で、美しいと思った。
3投稿日: 2012.08.07
powered by ブクログニューヨークの証券会社で働くニックは、西部の田舎町の資産家キャラウェイ家出身。郊外の彼の家の隣にある豪邸には、ギャッツビーなる人物が住んでいて夜ごと豪華なパーティーを開いていた。そのパーティへ隣人として招かれ、ギャツビーと知り合ったニックはある日、ギャッツビーからある頼まれ事をして引き受ける。それが彼と彼の友人達を巻き込んだ悲劇の幕開けとも知らずに・・。 ストーリーとしてはそれほど凝ったものではありません。 やるせない感じの悲劇です。シェイクスピア的かも。 ただ、アメリカの上流階級の社交の様子を描いているだけのように思われる序盤も、後から見るとたくさんの伏線が張られています。 読み返したときにこそ楽しめるかも。 さらにいえば文学として楽しむ本なのかな。 たとえば、第6章の最後の1文・・ 「ある言い回しが出かかって、私は間抜け面で半開きの口になり、小さい乱気流のような息をしていたのかもしれないが、ついに声として出すには至らず、かすかに思いつきそうだったものはどこにも届かないままだった。」 ・・この文だけ読んだらなんのこっちゃ?って感じですね^^;。 比喩とかがふんだんに使われていて、何かを匂わすような表現とかも多いです。 この作品は「ノルウェイの森」で、主人公のワタナベが読んでいて永沢さんと知り合うきっかけになった作品。 永沢さん曰く、時の洗礼を受けた作品だそうで・・ふーんって感じ^^;。 私自身はもうちょっと分かりやすい作品が好きかな^o^;。
0投稿日: 2012.07.10
powered by ブクログこの物語を初めて読んでいた頃、巷では「シンデレラ・シンドローム(もしくはシンデレラ・コンプレックス)」な~んていう言葉が流行っており、ここに描かれている世界こそその心理の神髄だ!と思ったものでした。 と、同時に西部出身者であったニックやギャッツビーが東部の文明社会に強く憧れて出てきたのと同じように KiKi 自身も静岡県の田舎町から東京の文明社会に憧れて出てきたことに思い至り、「これは自分なりの明確な立ち位置というか、羅針盤のようなものをしっかりと持たないとギャッツビーの二の舞を踏むことになるかもしれない」という危機感を感じたりもしました。 そういう意味では「都会に出てきて浮かれ気分の KiKi に初めて冷や水を浴びせかけてくれた物語」と言っても過言ではありませんでした。 正直なところ、さほど面白いプロットのお話だとは思わないけれど、読むたびに「何か」を考えさせられる物語であることは事実です。 自分の手が届きそうにないものを目指し、精一杯手を伸ばし、何とか届かせる方策を必死で模索しあれこれ試してみる。 そうこうしているうちに、それが現実に手に入りそうに感じられるようになり、さらに頑張ってみる。 そんな努力の過程は本人にとっては充実感に満ちた時間であり、ある意味では幸せでもあるものです。 でも、実際にその「何か」を手に入れてみたらそれは己の憧憬の念が創作した「何物か」とは実は異なっていたりもする・・・・・。 初読の時からこの物語のタイトル「グレート・ギャッツビー」の「グレート」とは何なのか、ず~っと考え続けています。 昔はそれが「華麗なる」だっただけに絢爛豪華に見えた中身のないギャッツビーの暮らしぶりを皮肉的に指した言葉なのかとさえ思ったほどだったけれど、今の KiKi にはこの「グレート」はギャッツビーの上昇志向、楽観主義を貫いた生き様を形容する言葉だったのかなぁと感じられます。 言ってみれば「よくやった!」「あっぱれ!」ぐらいの意味合いで・・・・・。 葬儀には誰も来てくれなかったギャッツビーだったけれど・・・・・。 (全文はブログにて)
0投稿日: 2012.02.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
フィッツジェラルドの長編小説。 「グレート・ギャッツビー」 絢爛豪華な邸宅に贅沢な車を持ち、夜ごと盛大なパーティーを開く男。 ギャッツビーがここまで富を築き上げてきたのは、 すべて、かつての恋人を取り戻す為だった。 だが、異常なまでのその一途な愛は、やがて悲劇を招く。 過去は取り返せる。 そう信じて夢に砕けた男の物語。 村上春樹のノルウェイの森で主人公のワタナベがよく読んでいた小説でもある。 物語のあらすじからして哀しいお話というのは分かるかと思うが、 とにかく描写が美しい作品だった。 一昔前の欧米の雰囲気が日本訳でさえ感じることが出来た。 語り手であるキャラウェイ 隣人で毎週パーティーを開くギャッツビー キャラウェイに親戚で、ギャッツビーが愛した女性デイジー デイジーの夫のトム デイジーの幼馴染のベイカー これらの人物が主要な登場人物。 作中にでてきた、一文。 「地球が太陽から顔をそむける頃合いに、ますます明かりの色が濃くなって、楽団がカクテルに伴奏をつける音も黄色く染まる。」 これは凄く美しく素敵な言い回しだなと感じた。 ギャッツビーの一途な気持ちは読んでいて、異常な部分はあったものの、 とても素晴らしかった。 成り上がったギャッツビーよりも、名家の生まれのデイジーやトムの方が汚い連中だと思う。 一途なまでの強い気持ちは人を狂わせてしまう結果に陥る。 金さえあれば青春も取り戻せると言ったギャッツビーはどこか寂しさたるものを感じずにはいられなかった。 過去を取り戻すとはあまりにも無謀で儚いが、 それが出来ると信じて止まなかった哀しすぎるギャッツビーは親しみやすさを感じた。 一方のトムブキャナンは身近に居たら関わりずらいのだろうと思った。 悲哀なる一途な愛とは第三者から見ると美しくも悲しくもある物だと思う。 訳も読みやすく仕上がっていた。 物語の起承転結も章ごとに見事な盛り上がりを見せてあった。 物語の構成も上手く作りこまれているなと思う。 文学作品としても個人的にもおすすめの一作です。
0投稿日: 2011.11.03
powered by ブクログなんかちょっと…よくわからないというか…。妙に文学チックで感傷を引き出そうとする気取った文章が気になるのと、話運びが悲劇というよりかは不運だったねっていう感じで、主人公ギャッツビーがとりあえずかわいそうな人っていう印象しかない。村上春樹がこの本好きらしいんだけど、村上春樹を読む気なくしてしまう感じだ。ただ、デイジーみたいな人っているよね!大事にされているからすごくキラキラしているんだけど、そういう人本気で好きになると相手から得られる愛と自分から捧げる愛とのバランスがおかしくなるし結局対等に見られていなかったりナチュラルに算段で値踏みされていていつ捨てられてもおかしくない事に気づく。でもそういうのって、悲劇っていうよりは相手にとっては傷つけたとも思っていないから、それくらいで取り乱すんだったら最初からそこに行くなって話なんです。
0投稿日: 2011.08.21
powered by ブクログ主人公のニックが2年前の夏の出来事を回想する形式で書かれているお話。 小説のタイトルにもなっている「ギャッツビー」という人物についての回顧録。 場面の切り替えが多くて、少し読みにくい印象。 分かりにくくて読みにくいけれど、何度も読み返してみたくなるタイプの作品。 作品の舞台が暑い夏なので、いまこの季節に読んで良かったなと思いました。
0投稿日: 2011.07.25
powered by ブクログ夜ごと盛大なパーティを催す隣人。その正体はドイツ軍のスパイとも殺人犯とも言われていたが、ある日主人公のニックはそのパーティに招待され、それがきっかけとなり、その風変わりな隣人ギャッツビー氏の欲するところを知ることになる……というストーリー。 書かれたのは今から80年ほども昔であるが、まったく気にならず数日で読み通してしまうほどのめり込むことが出来たのは、話の筋、描写の妙、そして何よりギャッツビー氏の奇妙な魅力によるものだろう。 努力を惜しまぬリアリストでありながら、一方でロマンチストな面を持つ氏が思い人と再会するシーンではその初々しさに思わず頬が緩み、一方で愛する女の過去までも自分のものにせんと欲し、それにより徐々に彼の夢に綻びが出てくる様にはハラハラさせられた。 何より印象的だったのは最後の二ページで描かれたニックの想像の中のギャッツビー氏の姿。緑色の照明を遠くから眺めるその背中にはぐっと胸が締め付けられた。 読了後、まず思い起こされたのは「一生を棒に振りし男此処に眠る。彼は無価値に生きたり」という高村光太郎が自らを指した言葉であった。なるほど、ギャッツビー氏の夢も生き方も或いは無価値だったのかも知れない。そして、ある意味ではそれに価値を与えたのは好意でも善意でもなく悪意だったのかも知れない。 それでも、それは決して無価値ではなかったのだと一読者である私は信ずるのである。
0投稿日: 2011.07.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
村上春樹の小説にはグレート・ギャッツビーがよく登場するので以前から気になっていました(『ノルウェイの森』、『レキシントンの幽霊』などに出てきます)。舞台がアメリカ、時代背景が第一次世界大戦後、登場人物がお金持ち…という自分に当てはまる設定がまったくない中でも、ギャッツビーの身の切れるような恋心は痛く伝わってきます。何かに向かって努力することが必ずしも正しいわけではなく、それがどんどん歪んで「こんなはずではなかった」という展開へ転がってしまうこともあるものです。懸命さと苦しさが詰め込まれた小説だと思います。
0投稿日: 2011.05.27
powered by ブクログ自分の中でどんどん膨らんでいくギャッツビー像と作品中のギャッツビーとの差が広がっていくことに何とも言えない寂しさを感じました。是非原書でも読んでみたいです。
0投稿日: 2011.03.27
powered by ブクログアメリカ西部に引っ越してきたニックは、隣に住むギャッツビーという謎めいた男からパーティに招待される。偶然出会ったギャッツビーと親しくなったニックだったが、彼には怪しい影もあって・・・。絢爛豪華な邸宅に贅沢な車を持ち、夜ごと盛大なパーティを開く男、ギャッツビーがここまで富を築き上げてきたのは、すべて、かつての恋人を取り戻すためだった。だが、異常なまでのその一途な愛は、やがて悲劇を招く。過去は取り返せる――そう信じて夢に砕けた男の物語。 ところどころいい加減な設定もあるし、勝手気ままな人間たちばかりの舞台にはウンザリしなくもないのですが、それでも後世まで評価されているのは、捨てがたい魅力が流れるような文章自体にあるからなのかなーと思います。特に綺麗なものを描写する表現が上手い。様々な比喩を駆使して読み手に想像力を働かせる感じはとても好きです。結果としてはバッド・エンドなんだけどあんまり深刻に感じないのは、ニックよりも私の目が冷めてるから・・・?どっちにしろ、結婚してから違う誰かを愛するような女にはなりたくないなぁ。お互いにとって不幸だとしか思えない。
0投稿日: 2011.03.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
本の内容についての感想は他にもあるのでここでは割愛。 読みなれたせいかこの本はとてもわかりやすい感じでした。 大貫三郎さんの訳を一冊目に読んだときの印象とはやっぱりまた違う感じがします。表現はそれの方が好きかなとは思います。ただ、こっちの方がわかりやすいのでは、と思うので初めてだとこちらをおすすめします。人物関係がいきなり名前で読んだりするのでごちゃごちゃになってしまうので注意が必要です。
0投稿日: 2011.01.29
powered by ブクログ再読すると、更に深い意図が読めそう 家柄を始めとする古い権威を象徴する馬と、革新と新時代を象徴する車など、伏線の絡まり合いが物語の深みを増す 過去をなかったことにしようとしたギャッツビーは未来までも失ってしまうことになった
0投稿日: 2011.01.19
powered by ブクログこれほど美しい小説があったろうか。構成の緻密さそれ自体も美しいが、それによって生み出される、あこがれと挫折、そしてアメリカへの思いもまた美しい。
0投稿日: 2010.12.21
powered by ブクログ2010.9.12 旅行に持ってこうと思ったけど、あっという間に読み終わりました。 東部と西部。 名門と成りあがり。 暑さにうだる場面があって、あれ、クーラーは?と思ったら、1925年の作品だった笑。 キャラウェイの淡々としながら、現実を受け止めながら、まっすぐさを失わない感じが好き。
0投稿日: 2010.09.12
powered by ブクログ20091209 衝動的に借りて一気に読む。 村上春樹の訳が有名だが、こちらの方が新たしいので。 読むたびに変わる、そこはかとない味わい深さは、この文学が青い証拠なのだろう。 成り金男は、滑稽なまでに夢を追いかけ、それを叶えた。 それこそ悲劇だったのだ。 1920年代にアメリカで起きた悲劇は、2000年代最後のいたる国で起きているのだろう。 語り手のニックが、ギャッツの親父さんに「親友でした」というシーンが頭から離れない。 やはり買ってこなければ。だが、村上春樹訳を読んでからにしよう。
0投稿日: 2009.12.09
powered by ブクログ金持ちのきらびやかかつ悲しい物語だと思い込んでいたら、ずいぶん印象が違った。 語り手含め、登場人物は皆心の内をさらけ出さないし、皆神話的でさえある。舞台や小道具、物語の構造もすべて何かしら象徴的である。 世紀末感ただよい、良いSFを読んだときのような切なさを覚えた。
0投稿日: 2009.11.15
powered by ブクログギャッツビーは恋に恋したまま大人になったみたいな人だと思った。なんだか憎めない人。 人間の心ってほんとに頼りない。
0投稿日: 2009.11.01
powered by ブクログギャッツビー アマレット1/427.57.715.0 カカオ・リキュール・ホワイト1/427.56.915.0 生クリーム2/4 シェイク
0投稿日: 2009.10.03
