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嵐が丘(下)
嵐が丘(下)
E・ブロンテ、小野寺健/光文社
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総合評価

39件)
3.7
9
11
14
2
1
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    このレビューはネタバレを含みます。

    閉鎖的な場所でアルバイトをしたことを思い出しました。 嵐が丘でロンドンから来た人がさっさと去って行くように、新しい人はすぐに辞めて行きます。 残るのは、この環境が普通と思える人だけ。ずっと不満を言い続けてるが、他に行ける所が無いので辞めない人達。 去年と全く同じことを毎年してる。 だから、今の経営状況。 何度も改革者を雇用しても、辞めさせてしまう。 環境と教育とお金の余裕は大事。 仕事の遅い女性社員と2人体制だったので、パートの私の方に皺寄せが来て迷惑だった。 勤務実態調査が時間記入のみ。 100の仕事量を1時間で出来る人もいれば、10時間かかる人もいる。 仕事量の記入欄は無かった。 なので、仕事が遅い人は仕事量が多いと思われてた。 変な人、会社には関わらない。 元はと言えば、その社員、病気で美人のキャサリンが手一杯だったから、私が手伝いますって言ってしまった事。 余計な親切心のせい。 他人の仕事は他人が処理することであって、私の仕事では無い。 自分の円の中だけに集中。 求められてないのに、余計な手助け不要。 美人だからってキャサリンと自分が結婚してたらとか考えたらダメよ、ロンドンの旦那! 嵐が丘、ちょうどハロウィンに読む恐怖の物語でした。次はフランケンシュタイン読みたい。

    2
    投稿日: 2025.10.30
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    語り手を通した事実の屈折は文学的に効果的とは言えず、メロドラマ的な展開が物語の強度を弱めているように思われる。しかしながら、ヒースクリフが抱いてきたさまざまな激情には、人間のありようを映す普遍性がある。もしこれを愛というのなら、人間とはなんと悲しい存在であることか。

    0
    投稿日: 2025.10.15
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    翻訳された本は苦手だけどこれはかなり読みやすく、内容もドロドロで面白いからか、すぐに読み終えられた。エミリー・ブロンテはこの作品を書き上げて30歳という若さで亡くなったそう。どんな場所でこの作品を書いたのか気になる。 マーゴット・ロビー主演の映画もたのしみ。

    0
    投稿日: 2025.09.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

    2025/2/7-2/9 うーん、1巻は面白かったけど、この巻は途中からは面白いと思えなかったな ヒースクリフとキャシーの恋愛は良かったけど、その子供世代のリントンとキャシーの恋愛は、いらないかなぁ。冗長な気がした ヒースクリフの生涯を語る上で必要だろうって言うのはわかるんだけど、子どもの恋愛を見せられても、感動はしない。最後ヘアトンに心変わりしてるし(これは親たちのしがらみなしで彼女たちが初めて純粋な恋愛をして、これが実は親ヒースクリフとキャシーの恋愛の形に1番似てて、、っていうのは分かるけど) リントンは依存しすぎだし、キャシーも依存してて共依存の関係は見てられない。共依存の話は読んでいても辛くなるだけで面白くない。リントンは嵐が丘に行って性格がすごく悪くなっているし、横着だし、キャシーも生意気だし、キャラクターとしての魅力を何も感じない 前半の親ヒースクリフとキャシーの恋愛はすごく良かった。また再会できて本当に良かったと思う。キャサリンとエドガーの娘キャシーを養うヒースクリフはスネイプ先生的立ち位置ってことだよね、、辛いな。でも途中からは全く共感できないDV男になってしまった。。 こんな感じで、ネリー以外の登場人物には共感できないんだけど、不思議と読み続けることが出来る。語り手がいない文学はそれでさもありなんみたいな状態で、当たり前に物語が展開していくけど、今回はネリーの一歩引いた冷めた視点があるからこそ、いいのかもしれない。「うん、やっぱりこの状況はおかしいよな」というフラストレーションをネリーを通じて発散できるから。だからいわゆる「不倫」というテーマでも共感できるし、応援できる(私は語り手がいない文学での不倫に対しては、共感できないどころか嫌悪感すら感じたから、、)。キャシーとヒースクリフの心の動きがよくわかる。 まとめると、語りの技法がすごく好きだった、秀逸だった、ヒースクリフとキャシーの恋愛もとても良かった。でもさすがに冗長すぎた。子どもたちの恋愛はいらなかった。。下巻途中から読まなくても良かったかな。

    0
    投稿日: 2025.02.09
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    分かりやすかったですが、やはり長かった割に驚きや感動は得られなかったのでそこまで面白さを感じられなかったです。

    1
    投稿日: 2024.12.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    タイトルだけは知っていた古典作品を読むシリーズ。身分の違いに引き裂かれた恋に対する復讐の裏で生き続ける純粋な愛の話。かもしれないし精神的に不安定な一族とそこに訪れる外部の人間との交わらない生の模様なのかもしれず、荒野に佇む幽霊の話なのかもしれない。多様な側面がある物語。 舞台となるヨークシャーの寒村にある嵐が丘、スラッシュクロス、アーンショウ家、リントン家と家の外からやってくるヒースクリフ、ネリーをはじめとした使用人達。そして訪問者のロックウッド。一人もまともな奴がいない。あえていうならネリーが常識人に近いと言えるか。そのネリーは単なる善良な平民ではなく、物語世界を解釈して語る物語の進行者である。 ネリーによって語られる物語は恐ろしくも哀しいヒースクリフの復讐劇とその背景にある何人も立ち入ることのできないヒースクリフとキャサリンの間の絆。本当にネリーの語る物語としてのヒースクリフとキャサリンの言葉の通りに絆が存在したのか。それはわからない。それでも幽霊としてロックウッドやそこに住む人たちに現れるのであればその思いは確かに存在したのだろう。そして荒野の墓地はまだその余韻を響かせている。

    0
    投稿日: 2024.11.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ヒースクリフの執念、どこから湧いてくるのだろうと理解できないまま読み進めた。 最後の最後でそれまでにキャサリンの事を愛していたのかと、やっと少し腑に落ちた。 キャサリンの気持ちはどこにあったのだろうか。ヒースクリフとキャサリンの幸せはどこにあったのだろうか。

    1
    投稿日: 2024.08.04
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    面白かった。悲劇とか嫌だな、なんか陰鬱そうって敬遠していた時間が勿体ない。ストーリーも面白いし、語り手が聞き手でっていう又聞きの設定がいい。暴力に暴言に情熱に絶望にと凄まじい話だが、傍観者が一歩引いたうえに過去の話として語るものだから静かで、むしろ芯に響く。ヒースクリフって題名以上に有名なキャラだが、罵詈雑言と暴力と犯罪レベルのDVの酷さに加え、それを表現する修飾語が笑えるほど多様でよくぞここまでというほど突き抜けてる。登場から退場まで、初代キャサリン同様脳裏に焼き付くほど強烈だった。 教育や教養って大切なんだなと。ネリーも語っていたけど誰よりもヘアトンの結末だよ、大事なのは。ストーリー的に。

    0
    投稿日: 2024.02.10
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    狭い世界の中で、少ない登場人物たちがぎゅうぎゅうにせめぎ合っている。大自然にかこまれていながら不自然な環境。代々狭い人間関係で遺伝的な病もありそう…など無駄な想像か。誰が主人公とも言えず、誰も客観性を持ちあわせない、個と個の闘争。愛情にせよ復讐にせよ、何十年と熱意を持ち続けるのはものすごいエネルギー。読む側も覚悟がいる。

    0
    投稿日: 2023.12.16
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    ヒースクリフと二代目キャサリンがどうなったのか が気になってサクサク読めた。 物語を色に例えるならダークグレーかな。 重苦しくて辛かった。 なにしろベートーベンが生きてた古い時代に書かれた物語だから読みにくそうなイメージだったが、翻訳がとても自然で読みやすくて有り難かった。 訳者は真剣にこの作品と向き合った結果、相当疲れたらしく、自分もただ読んだだけで…疲れた。

    0
    投稿日: 2023.08.02
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    ヒースクリフの復讐は次の世代をも巻き込んでいく。ネリーの語る回想は、冒頭で青年が見た光景まで進むが……。 恋愛を扱っているのに恋愛小説っぽくなく、むしろ不気味なサスペンスを感じる下巻。しかしヒースクリフとキャサリンの愛にはすさまじいものがあり、そこだけは素直に感動した。キャサリンの方は上巻で本音を語るシーンがあったのでわかるが、ヒースクリフを突き動かしているのは何だろう?単に愛情からくる復讐心、だけでは説明がつかない気がする。徐々に子どもたち3人の話に移っていくなか、彼の圧倒的な存在感はさらに増していく。そしてラストは……。 訳者の解説で補助が得られたものの、初見では深い理解には届かなかったかもしれない。ヒースクリフの復讐が達成されていく過程に目を奪われがちになる……と書かれてあるとおり、筋書きを追うのに夢中で、この小説の底にある強烈なエネルギーについては漠然と感じるだけで終わった。他訳にもいつか挑戦したい。 作中で都合よく人が死にすぎじゃね?と思ったが、エミリー・ブロンテの年譜を見て納得。本人も30歳の若さで亡くなっているし。没後何十年もたって評価されるとかつらすぎる。しかし今後も読み継がれる力を持つ名作だろう。

    1
    投稿日: 2022.05.31
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    このレビューはネタバレを含みます。

    文学史上に残る世界的な傑作……とされているが、個人的にはそこまで評価したいとは思わなかった。理解が難しいこともあるが、そもそも内容が暗すぎるのである。とくにヒースクリフは、いまでいう「サイコパス」としか思えない。屋敷を2つとも手中に収め、両家の家族をバラバラにしてしまうその様は、人こそ殺してはいないが、「北九州一家監禁殺人事件」「尼崎連続殺人事件」を想起させられた。むろん、内容が暗いからといって文学として質が低いということはないし、実際このような物語を着想することはすばらしいと思うが、とはいえやはり1人の読者として、積極的に評価したい気持にはなれなかった。最終的にキャシーとヘアトンが結ばれたことはよかったが、キャシーもまたさんざん悪態をついていたので、すなおに喜ぶ気にはなれない。とにかく登場人物の誰もが「イヤなヤツ」で、誰にも感情移入ができないのである。そういうなかで延延と恋愛要素を描かれてもしらけてしまう。作品の舞台同様に、まさに荒れ果てた大地のような小説である。

    2
    投稿日: 2022.04.15
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    実は去年もうとっくに読み終わっていた1冊。上巻はKindleUnlimitedで読了。新潮文庫の鴻巣友季子さんの訳も清新で好きだったけれど、こちらも読みやすい訳でした。 下巻はこの作品を理解する、本当の大事なところ。第1世代のキャサリン・アーンショウとヒースクリフの恋愛から、ヒースクリフの復讐→彼ら彼女らの子供世代の成人と、それ以降の大団円へと話が進んでゆきます。同じ名前を引き継いだ子供世代のキャサリンとヒースクリフと、第一世代との区別というか、人間関係を整理しながら読むと、俄然話はわかりやすくなり、面白さを増すでしょう。どんなに深い恩讐も、人間はそう長く抱え続けられず、どこかで忘却したり、許したり、変容していくものなのかもしれません。狂気の淵に沈んで、砕け散ったガラスのような第一世代のキャサリンも、独り残され、生きてきたヒースクリフの濃く巨大な影も、全てが過ぎ、嵐がさらっていったように、後には灰色から、いっそ白に印象を変えた空と、吹き渡る風と、ヒースの丘だけが、静かに残ります。激しく狂気と荒々しさに彩られたこの作品の結末は、私にとっては意外に静かで、長い時間をともに生きたな、という感覚が残るものでした。

    5
    投稿日: 2022.01.30
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    たまたま機会があってこの本を読み始めた 名作とのこと よくわからないまま読み終えた 誰が主人公なのだろう 何故そこまで 何故死を迎えた 読み方が不足しているのだろうか 外国文学はなかなかしっくりいかないことが多く、幼い頃は多数読んでいたが最近はずっと縁遠かった また暫く読まないかもしれない

    0
    投稿日: 2022.01.20
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    怒号や非難の応酬が飛び交う物語はまるで任侠映画だが主人公達は義理も人情もなくひたすら自己憐憫や恨みをぶちまける。突き抜けた自由さがこの小説の魅力の一つかもしれない。出生故とは言え異常に経済観念の発達したせこい復讐が長々と続き、アッシャー家の崩壊のような終わり方になるのかと思っていたところ、頑丈な彼が唐突に亡くなったと知らされるいよいよ終わりの部分で物語の雰囲気が切り替わった。次の世代では、負の感情が集約されたリントンが夭逝、つらい経験を経た、欠点もあるが優しい性格の2人が、復讐の呪いを振り切る結末は、それまでの話が暗かった分、大いに爽やかで心温まる読後感で、推理小説の意外な犯人がわかったようなカタルシス。

    1
    投稿日: 2021.09.13
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    愛か憎悪か。より深淵な感情が物語を衝き動かす。英国北部の広大な二大豪邸に道徳と教養を奪われた無法者が放たれる。禍いは明らかだ。自然美溢れる丘陵地帯を舞台に荒れ狂う魂が躍動する。獰猛な恋慕に終焉は無く、未だに奥底で燻り続けている。

    0
    投稿日: 2021.02.16
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    ヒースクリフがイザベラを含めたリントン家での平和をかき乱し始める所からの下巻。 ストーリーの大筋はヒースクリフのキャサリン(母)との恋愛と破局、その復讐の物語だが、聞き手となるロックウッドか家政婦ネリーから聞く形式となっており、このネリーがいかにも偏見を持った語り口なのでその内容を鵜呑みにできずに読むという状況を作っているところが読者の想像力を要求しており面白い。故に読み手の考え次第では評価は大いに分かれそうです。 終盤でロックウッドが聞き手から物語に参加する可能性が示されたときは少しときめいたが、残念ながら空白の数カ月は意外な方向に展開して、しかも主人公とも言うべきヒースクリフの死が予告され困惑する。読み終えて考えるに1番座りのよいところに落ち着いた印象もあるが、亡霊に取り憑かれて絶食して死するヒースクリフの末路は強靭な肉体と精神を宿す者のはずなのに納得がいかない。 とはいえ何か余韻の残る読み応えのある作品と感じるのは巧みな描写、繊細な感情表現、時代を感じる設定などを味わえたことです。1847年作品とのことで、その当時を体感できる感覚は古い小説の味わいですね。

    0
    投稿日: 2019.09.29
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    このレビューはネタバレを含みます。

    やっと読み終えた〜! 2時間くらいで読めるだろうと思ったのに、読み進めるのが辛くて時間が掛かってしまった。読了して、なんだか精神が削られたような気分です。 ただの恋愛物語、復讐物語ではなく、色々と考えさせられるものがありました。 キャシーとヘアトンの愛情が、幸せが、永遠に続きますように。

    2
    投稿日: 2018.05.25
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    第一章、ネリーに手紙を預けたヒースクリフが実際にキャサリンを訪れるシーンには圧倒されました。 ヒースクリフの心情描写がものすごく濃ゆくて濃ゆくて。 お互いからすべてを奪い合うような恋ってこういうことなのか。正気の沙汰じゃない。 そしてキャサリンが亡くなってからの転がり落ちるようなアーンショウ家の悪夢。エドガーも結局一度もキャサリンは振り向いてくれず、報われない男でしたね…。 なにより母のいない幼いキャシーが可哀想でしかたなかった。リントンもヘアトンもみんな蔑まれながら生きていて、読み進めるのしんどすぎ。 でもきっと、この物語はヒースクリフが最も気の毒な話なのかもしれない。 ーー世界全体が、かつては彼女がいたのにおれはその人を失ってしまったという、恐ろしい記録そのものなのだ。 っていう彼の言葉が悲しい。 終盤には希望がさし光があふれるようで本当に救われた。 ヒースクリフ、キャサリン、エドガー。嵐が丘に安らかに眠れって感じです。

    0
    投稿日: 2018.01.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    途中で二代目のキャシーやリントンの振る舞いに辟易してしまい、読み続けるのがしんどくなったが…… それぞれに自分の境遇に対する不満や、それに伴う自己正当化があるのだろう。それをもとに展開される発言は、読み手に媚びずに登場人物たちを存在させる。(自分勝手で意地汚くて、結構ストレスにはなるけれど…) 人が人らしいのは、見られているという意識が感じられないからではないか。 はっとするほど印象的な、活き活きとした場面がある。多くはヒースクリフの熱のこもった多弁さが披露される時だ。この作品には、手放しで尊敬できたり好きになったりする好人物というのは存在しないが、すべての人物の運命を貫くヒースクリフが、やはり一番存在感がある。 結末にヒースクリフの血は残らない。幸福は彼を必要としなかった。同情の余地はないものの、さみしい。

    0
    投稿日: 2017.05.21
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    人間の心の底のマグマが描かれてはいる。ただやはり解説の内容から忖度しても、それは母国語で読んでこそ伝わってくるマグマであり迫力なのかもしれない。 非常にこなれた訳で読み易くはあるが、まどろっこしく無駄なセンテンスも多くあると感じてしまうのは、私だけだろうか…?傑作と呼ばれる小説ほど、長編であっても無駄なセンテンスが一切無く、繰り返し読めば読むほどに「この箇所はこういう意味、役割を担っていたのだなぁ…」といった発見があるものだ。 そして何より、初回に読み終わった時の衝撃といったら、計り知れないものがある。 そうした衝撃は、あまり感じなかった。

    1
    投稿日: 2016.07.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

    上巻が重かっただけに下巻はキャサリンの娘キャシーの天真爛漫さに救われた 前半 ヒースクリフの息子リントン ロンドン育ちのせいなのか、マジか?!ってくらい、虚弱すぎる キャシーの方が数倍たくましい ほんとうにヒースクリフの実子か? やっぱり荒野で育った子達はたくましいw 中盤 リントンのキャラが、もう、ひ弱とかいうレベルじゃない 段々とギャグに思えてくる キャシーはこの小皇帝のどこがいいんだ リントンのキャシーへの独占欲の強さは父親譲りのようだ   ネリーが仕えてるお嬢様に対しての口の利き方が乱暴すぎる 田舎のメイドだからなのか ずっと違和感があった なぜ、父親がヒースクリフを下男として育てなかったかずっと疑問だったが、実はよそで産ませた子だったとの解釈あり なのでキャシー達と兄弟のように育てたという説を読んで納得できた  ハッピーエンドだと聞いていたから、なんとか頑張って読んだ でなければ、とっくに挫折してたと思う 普段ロマ本に浸かっているせいか重厚な純文学に圧倒された 

    0
    投稿日: 2016.04.20
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    私は『嵐が丘』というのは、イメージで恋愛ものだと思っていたけど、読んでみて要素はあるけど、とんでもない!復讐なのだ。 狭い世界で数人しか知らない中で暮らしている。そんな中での復讐劇。 最初の方で、家系図があり、なぜこの3人が一緒に暮らしているのか、とても疑問に思った。組み合わせがおかしいではないか?しかも、人間関係が最悪の状態なのだ。 いったい何があって、こんなことになっているのか? その謎を家政婦ネリーの語る過去によってわかる構成になり、さらにその後が描かれている。 ヒースクリフはある出来事から憎しみや嫉妬を増幅させ、言葉の端々で、態度で、人をコントロールし、表に出し切っていく。みんなに感染する。 ブロンテ姉妹として取り上げられやすいので、比較されるのは嫌かもしれないが、姉のシャーロットの『ジェイン・エア』は何度も読みたくなると思えるけど、『嵐が丘』はもうごめん。どんどん読ませるので小説として面白かったのかもしれないけど、とてつもなく疲弊して爽快な気分にとてもなれないからだ。

    0
    投稿日: 2015.11.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    社会生活を送る上で普通の感覚の人間なら隠そうとする部分を全てさらけ出してぶつけ合う人間達の物語、という印象を受けた。意外なハッピーエンド。

    1
    投稿日: 2014.04.20
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    さて。 ヒースクリフとかって、もう最悪の人物のはずなのに、嫌悪感しか感じないか、というと、そうでもない。なんか、彼が抱えている心の闇ってだれにでもありそう。それが抑制されたり飼いならされたりしないとこんな風に発現するのは当然だよな、と納得させられる。まあ、きっとそういう普遍的なところがすごいんだろうなあ。最近の社会なんて、現実にも結構いそうだし…。 あ、そういえばヒロイン母娘、途中からあるアニメの登場人物がちらちらして、やや当惑。赤いプラグスーツとか着てて、「あんたばかぁ?!」とかいいそうな…。 で、このお話の時代って、エリザベスとダーシーの恋物語に重なるんですよねえ。ということは、ナポレオン戦争の最中かぁ。昔の社会って一枚岩ではないんだなあ…。 ともあれ、正直、疲れました。

    0
    投稿日: 2013.10.10
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    英文学の講義を取っている。課題その2。 『嵐が丘』は子供向けにリライトされたものを読んだことがあって、キャサリンとヒースクリフの恋愛小説だとずっと思っていた。 のだが。 これ、恋愛小説? 二人の間にロマンティックな感情が介在するようにはとても思えないのだけど。いや、確かに強靭な絆は存在していて、二人は互いに互いの片割れという唯一無二の存在なのだが、その関係性が「あらかじめ与えられている」ように見える。いつから、なぜ、彼らがこれほど強く結びつくようになったのかが全く不明なのだ。恋愛小説の重要なファクタとして恋人たちの関係性の発展を描くという面があるはずなのに、そこんとこはまるっとすっぽ抜けている。常人の理解を超えてどこまでも惹かれ合うキャサリンとヒースクリフは、なんだか人間のように思えなかった。 さて、一旦気づいてしまうと、ほとんどすべての登場人物が人間とはかけ離れた動きをしているような気がしてきて困る。聞くところによると、『嵐が丘』は登場人物の誰にも感情移入できない名作として名高いらしい。それも頷ける。これでもかとばかりに強烈な喜びや憎しみが描かれるのに、その感情の発生メカニズムがほとんど見えてこないのが不気味でならない。奇妙な隔絶感をずっと感じていた。 下巻に入ると、第二世代が登場する。第一世代と同じ名前と気性を受け継いだ子どもたち。相変わらず行動原理がよく分からないままに愛し合い、憎み合う。与えられた人格が永遠に固定している。持ち主のいない激情の塊がただ飛び交う様を見せられているようで、だんだんと当てられてくる。疲労困憊しつつ終わりを見届けた。 私には最後まで、ヒースクリフのことが分からなかった。ただ何か大きな恐ろしいものが滅びるのを見た。

    2
    投稿日: 2013.08.03
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    魂揺さぶる美しい散文たち。激しい愛と苦悩、美しい若い恋人たち。近代文学のスフィンクスと呼ばれるだけのことはある。久々に本当に読んでよかった一冊。

    0
    投稿日: 2013.05.24
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    永遠に続く愛が困難なように、永遠に続く憎悪もまた困難である。人は生涯を憎しみで染め切れるほど強くはない。ヒースクリフは愛するが故に憎み、憎む事でまた愛情を確認する感情の永久機関を手にしたのだが、それは感情を向けるべき相手の死と折り合いをつけるための必然的産物だったのではないだろうか。「あたしは死しか感じもしなければ、見えもしないわ!死んだような気持ちよ」嵐が丘を染める感情の暴風雨が晴れたその先の風景は、やり切れない程の死の景色が広がっていた。著者が本作を刊行した翌年に病没してしまうことも、無関係ではない。

    0
    投稿日: 2013.02.15
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    ラストがやや弱いかなと感じたけど、ヒースクリフの執念に感服。 愛のための殺人は小説でよく題材にされるけれど、情熱的な愛と冷静な法的手段を併せ持ったヒースクリフこそ、完全な復讐鬼だと感じた。

    0
    投稿日: 2012.11.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    さて、この物語に関しても KiKi のこれまでの読書体験をちょっとご披露しておきたいと思います。  KiKi がこの物語を初めて手に取ったのは高校生の頃でした。  実家にあったハードカバーの新潮社(だったと思う)の「世界文学全集」の中の1冊として、そして高校時代に学んだ「文学史」の中の1冊として夏休みか冬休みといった長期休暇の間に読んでみよう思った物語の中の1つだったんですよね。   で、一応この時は当時の KiKi としては「かなりの忍耐力」を発揮して読了したんですけど、正直なところ読後感は最悪だし、何だか気持ちが落ち着かず混乱だけさせられ、「とにかく名作と呼ばれるこの作品を読了した」というレコードが残せたからまあよし・・・・という程度の印象しか残りませんでした。  ヒースクリフにしろキャサリンにしろ、その他どの登場人物にしろ「同じ人間とは思えない」という感想がやっとこさっとこ・・・・っていう感じでした。     次にこの本を手に取ったのは大学生の頃でした。  こちらも「高慢と偏見」と同じように「英文学を学ぶ学生の必読書」という感覚で再読してみました。  少しは成長した KiKi なら高校生の頃とは何か別の感慨を持つかもしれないという儚い期待を抱いていたんですけど、結果は最悪で「この病的なまでの暗さは何だ??」という印象しか残りませんでした。  ただこの時に高校時代とは異なって少しだけ魅せられたのは荒涼たる風景の描写の部分で、その部分だけは結構心に残って何度か読み返してみたりもしたものでした。 ただ、「紀行文」とか「自然描写」がテーマの小説ならいざ知らず、「小説」と名がつくものには「人間」を、それもどこか「共感できる要素のある人間」を求める KiKi にとってこの物語に登場する人物は悉く気に入らないんです。  で、その時点では「人がどんなに名作だと言おうが、KiKi には合わないし、良さがさっぱりわからない物語」として封じ込めちゃう道を選びました。  その後、今回の再読に至るまで KiKi はこの本を手に取ってみたことはありませんでした。 この決心は我ながらかなり強固なものだったみたいで、その後30年ほどの年月の間、ただの一度もこの物語を再読してみようという気にはなりませんでした。  このブログの読書カテゴリーの主軸を「岩波少年文庫」と「光文社古典新訳文庫」に定めていなかったら、そして「高慢と偏見」で満足感を得ていなかったら今回もこの物語に手を出してはいなかっただろうと思います。 そして今回。  正直なところ今回の読書でも KiKi はこの物語にさして感心することができませんでした。  やっぱりこの年齢になってもアーンショー家の誰一人(召使も含めて)として、リントン家の誰一人をとってもチラとでも共感できなかったんですよね~。  でもね、今回、ちょっとだけ大人になった KiKi は「気に入らないなりにこれは何を表現しようとした物語だったのか?」を考えてみたんですよ(苦笑)  そして、今感じていることを、このエントリーを書くことによって整理してみたいと思うんですよね。 まず初代キャシーを含むアーンショー家の面々ですけど、唯一 KiKi がご近所さんとしておつきあいしてもいいかなぁと思えたのは、ヒースクリフをリヴァプールの街角で拾ってきたご主人のみです。  でもそんなご主人にしても「どういうつもりで彼を拾って家まで連れ帰ってきたのか、今後彼をどんな風に育てるつもりなのか?」に関してあまりにも「考えなし」なのが気に入りません。 そうでなくても「人種差別」や「階級差別」の激しい環境(嵐が丘周辺はある程度隔離されているとはいえ)の中です。  肌の色も育ちも名家であるアーンショー家とは相容れない存在であることが歴然としているヒースクリフを「飢え死にさせるわけにもいかないだろう」という一見「お優しい心遣い」により拾ってあげたところまでは良いとしても、養子にでもして守ってあげる気がないなら、「下男見習いとして」育てるべきだったんだろうと思うんですよね。   恐らくそれまでの人生でも蔑まれて生きてきただろうヒースクリフのことですから、中途半端に扱われるよりは「下男見習い」として最初から扱われていれば、それなりの成長の仕方もあったように思うんですよ。  でも、彼のポジションってあまりにも中途半端で、結果としてアーンショー氏の息子のヒンドリーは自分の父親の愛情を盗んだ盗人として彼を蔑むし、我儘娘の初代キャシーはまるでペットか自分の所有物かの如くにヒースクリフを猫かわいがりするに至ったような気がするんです。 そしてそんな「自分を頭ごなしに否定しない」キャシーはヒースクリフにとって熱烈な思慕の対象となっていったし、男尊女卑の激しかった時代のアーンショー家のご令嬢、キャシーも彼との交友の中で育まれる「自由な空気」に溺れちゃって何か大きな勘違いをしちゃったようなところがあったんじゃないかと思うんですよね。  結局アーンショー家の人々は誰一人として「一人の人間としてのヒースクリフ」とまともに向き合った人はいなかったんじゃないか・・・・・そんな風に思うんですよ。 これは召使陣も御同様で、本来自分たちが仕えるべきアーンショー家の一族ではないし、人種的にも自分達より劣ることはあっても優れているとは思えない(というのが当時のジプシーに対する見方だったと思う)ヒースクリフが分不相応な態度をとる(但し、この時点でヒースクリフには別に悪意もない)ことを苦々しく思うことはあっても好意的には受け止めることは決してできなかっただろうと思うんです。  それを表立って表現せずに陰湿にチクチクやるのは偏に「旦那様」の目があるからに過ぎなかったんだろうと思うんですよね。 そういう意味ではヒースクリフはアーンショー家に引き取られてからというものの、どちらかというと不当(?)に甘やかされ、大人の裏表のある行為に晒され続け、ひょっとしたら彼の奥深いところには眠っていたかもしれない「謙虚さ」も「素直さ」も呼びさまされないまま「頑固さ」と「ねじまがった卑屈さ」だけが醸成されちゃったんじゃないのかなぁ・・・・・と。 だからアーンショーの旦那様の死後、ヒンドリーやキャシー、はてはエドガー・リントンに至る所謂「地主階級」と「持たざる者」である自分の差別に気が付かされた時にはもはやそれをどうしても受け入れることができなくなってしまっていたし、ヒンドリーの変貌ぶりは横暴としか思えずに「憎しみの芽」を育て始めるようになっちゃったんじゃなかろうか・・・・と。   恐らくどこかの時点で、自分と他の人たちが外見という点でも大きく異なることにも気が付いたんだろうと思うんです。  でも、「その違いが何なのか」を教えられることだけはなかったんですよね。  彼は「持たざる者」から「持つ者」に生まれ変わることだけがこの不当な世界から自分を解放してくれる唯一の方法だと信じ、ついでに自分を蔑んだ人々に復讐できるとも思ってしまったのではないかしら??  そしてその「持つ者」になった時、自動的に自分の手に転がり込んでくるはずのものは恋慕の対象だった初代キャサリンだったんだろうな・・・・と。  だから彼は嵐が丘を手に入れてもキャサリンを手に入れられなかった時、恐らく辛うじて残っていたかもしれない「人間性」みたいなものを失ってしまい、そこから先は現代的に言えば「偏執狂」的な凶暴さを増幅させ、その果てにキャサリンの幽霊に憑りつかれたかのような最期を迎えるに至ったのかなぁ・・・・・・と。 この物語は全編通してアーンショー家及びリントン家の女中だったネリーの口から語られているわけだけど、彼女のフィルタを通すことによって「客観的」な仮面を被った「主観的な物語」になっちゃっていると思うんですよ。  で、彼女のフィルタを作っている価値観は恐らくは当時の普通の感覚 もしくは「女中根性」とでも呼ぶべきものだったと KiKi は思うんですよね。   そんな彼女にとってヒースクリフみたいな「どこの馬の骨ともわからない、しかもどことなく斜に構えた小僧」は好感情を向ける対象にはなりえないし、逆に自分が仕える貴族のご子弟は崇拝の対象であるのと同時にある程度自分の力が及ぶ(影響力がある)存在でもあるという摩訶不思議な関係にあったと思うんです。  そうであるだけに、彼女が彼女の表現を借りれば「良かれと思って」やっていることの中にも、現代人の KiKi からしてみると「はぁ??  話をややこしくしてどうする??」と感じられることもあったりして、これが又、KiKi の読後感を混乱させる要因の一つになっていたりもするんですよね~。 いずれにしろ、この狭い世界の中でこれだけ多くの事件が発生しつつも、最後の最後、要するに「最後に立つ者」だったのが、アーンショー家の末裔であるヘアトンとリントン家の末裔である2代目キャサリンというのが暗示的だなぁ・・・・・と。  これにより結局、どこの馬の骨ともわからないヒースクリフは歴史の中に埋もれていくだけの存在と化し、見方によればアーンショー家 & リントン家はどちらも安泰なわけで、先々代のアーンショー家の旦那様の時代と変わらない(というよりも両家が合体することでさらに大きくなって)この地方の支配者階級を続けていくわけですから・・・・・・。 ま、てなことをつらつらと考えてはみるものの、やっぱり今の KiKi にもこれがどういう物語なのかさっぱりわかりません・・・・・ ^^;  はっきりと断言できるのは KiKi にとってこれは決して「恋愛小説」ではないし、「復讐劇の物語」でもないと感じられるということです。  どちらかというと「個人」がどんなに抵抗し、挑戦したとしても決して打ち破ることができない「何か」(しかもこれが「社会的な因習」といったようなものでもなければ「階級社会」「人種差別」といったような社会通念的なものでもないあたりが「何か」としか言いようがないんですけど)の物語だったんじゃないのかなぁ・・・・・と。 

    0
    投稿日: 2012.09.25
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    しばらく物語の世界から抜けられなかった。 "魂が一緒なの" 彼はわたしそのもの。 彼を失ってはわたしは不完全。 きっとその想いはヒースクリフもおなじ。

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    投稿日: 2012.09.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ■ほかの訳も読んでみないと最終的に結論を言うことはできないんだけど、でも、イメージしてたよりもずっと「恋愛モノ」じゃなかった。いま私たちが言うところの「恋愛」とは違う。さらに、キャサリンとヒースクリフの間には身分差があるけど、社会的な問題提起をした小説でもない。 ■キャサリンとヒースクリフの「愛」って、小学低学年ごろから二人で冒険や悪戯をしてきて、「こいつとは、同じことを同じように楽しめるし、同じことを嫌悪できる」っていう、ほんと「一体感」。この感じって、いわゆる恋愛とは違う。この二人の会話シーンも大人になってからも全然艶っぽくない。キャサリンが出産してそのまま死んじゃう前日まで、怒鳴りあってるし(笑)。 お互いにお互いが孤独にならないための最高の「伴侶」なんだけど、でも「ベターハーフ」ではない感じ。 生活とか社会とかそういうものの上にうまく乗らない。キャサリンの結婚相手の選択は順当だったのは確かなんだよね。ヒースクリフとキャサリンが結婚しても、のたれ死にそう。 ■私はこの物語って、閉じこもり気味の生涯独身の女性が、想像力(妄想力?)だけで描いた、恋愛ドロドロ劇…なのかと思い込んでたんです。でも違った。 これはむしろ恋愛(性愛)経験少ない人だからこそ描けるお話だ…。 ■あと、最後まで読んでみてはじめて、ケイトブッシュの同名曲がほんとに名作だとわかった。小説ではわれわれは語り手のネリーの主観からキャサリンとヒースクリフをうかがい知ることができない。(だからこそ、二人の絆が強調される)けど、この曲の歌詞はヒースクリフの目に映るキャサリンなんですよね。小説では入れなかった二人の世界に踏み込めるワクワク感とか感動があるんだ…と、ハラに落ちた気持ち。

    1
    投稿日: 2012.05.27
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    嵐が丘と言えば、ロミオとジュリエットのような、お互いの家柄とか立場とか国境とかが壁になって、心やさしい男女が、相手を思いやりながらの恋愛小説と思ってました。完全なるロマンス。甘々。 それがまったく違ってて、苛烈極まる小説で、恋愛小説というよりもサスペンスホラーみたいな感じです。サスペンスはさておいて、ホラーです。 下巻の途中あたりからやっと、ヒースクリフが好気になりかけてきました。 視点が第三者という事がこの小説のいい所でもあり、主人公を好きになれない駄目な所でもあると思います。ヒースクリフ視点だったらもっと違っていて、彼を好きになれると思います。 家政婦から見たヒースクリフは極悪非道の男としか映りませんが、最後あたりに見せる、キャサリンの影を見つめるヒースクリフの傷のような愛情を感じ取る事が出来て、やっと気持ちが分かるようになったというか・・・。 とにかくこの小説は辛い、ほろ苦い、切ない。つんけんばっかりした人ばかりだから、素直になってしまえばいいのに・・・という場面が多々ありました。 どうしてこの小説が出版された時、厳しい評価を受けたのか分かりました。これはあまりにも過激過ぎた。

    1
    投稿日: 2012.03.22
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    この訳が良かったのか、大人になってから読んだからなのか、子どもの頃なんだかよくわからなかった「嵐が丘」という小説が、非常によくわかりました。 大キャサリンとヒースクリフの決定的な擦れ違いが悲劇を生んだのですね。しかも結局キャサリンは何が悪かったのか生涯分からないまま死んでしまったわけで…… それと、個人的にはネリーとヒースクリフの間にも、お互いにしか分からない奇妙な縁があったのだな、と思いました。 そして、この本を人に紹介する時は冗談めかして「リア充爆発しろと滅茶苦茶やった男が結局リア充に負ける小説だよ」とか言ってます。いやすいません。実際キャサリン・リントンとヘアトンが仲良くなっていってヒースクリフが心かき乱される終盤は笑うとこでもないのについニヤニヤしながら読んでました。ほんとすいません。

    1
    投稿日: 2011.10.24
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    恋愛のない昼ドラ・・ 解説にもあったとおり、キャサリンとヒースクリフの関係が恋愛いう言葉とは全然違う、精神的に深いところで切っても切れない繋がりがあったんだろうなぁ・・と。 家のごたごたとは関係ない、第三者の視点で入っていったせいか、終わり方がすっきりしていて良かった。 もしこれが、当事者の誰かの視点だったら、読者側からしては後味の悪い終わり方になっていたと思う。

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    投稿日: 2011.10.03
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    暴君ヒースクリフ怖ー。でも閉ざされた環境でこんなに複雑で憎しみに満ちた人間関係が、ある程度すっきりと終わった事に感動。 登場人物全員が生き生きと描かれてる。

    0
    投稿日: 2011.09.20
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    ヒースクリフ怖!! 末代まで祟るとはこのことか・・・ キャサリンの想いを勘違いしたままのヒースクリフがかわいそう。 キャサリンの愛が分かっていれば話は全然違ったのに・・・

    0
    投稿日: 2011.06.17
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    下巻は親世代の三角関係がすこしずらした形で子世代に反復される。 ヒースクリフの悪辣ぶりには磨きがかかり、 家政婦ネリーの皮肉が冴えわたる。 それにしてもネリーはよくしゃべる。 要はおばさんの長話だというのに これだけおもしろいなんて、もう反則である。

    0
    投稿日: 2011.02.18
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    ヨークシャの荒野に立つ屋敷「嵐が丘」。その主人が連れ帰ったヒースクリフは、屋敷の娘キャサリンに恋をする。しかしキャサリンは隣家の息子エドガーと結婚し、ヒースクリフは失意の中失踪する。数年後、莫大な財産を手に戻ってきた彼はキャサリンの兄ヒンドリーから全てを奪い取りエドガーの妹イザベラと結婚。ところがキャサリンは精神の病にかかり、娘を産んだ後死んでしまう。ヒースクリフの復讐は後世にも続き・・・。 読後の後の気持ちを一言で表すなら、多分「疲れた・・・」だと思う(苦笑)訳者さんも後書きで訳すのがとても疲れる作品だと言っておられるが、この気迫と魂のこもった作品を、よくここまで訳してくれたなぁという気持ちです。キャサリンもヒースクリフも、結局は互いへの愛に縛られていたのかなと感じました。寄り添って歩むことはできなかったけれど、その愛だけを一心に見つめて生きたことはある意味本人には不幸でも幸せな人生だったのかもしれない。続く世代の幸せな風景を読んで、初めてそう思えました。過去に読んだけど、どうも堅い上に読みづらくて挫折した記憶の「嵐が丘」でしたが、トワイラをきっかけに読み直そうと考え、そして思ったよりはるかにすっと読めたのはやっぱり新訳の力が大きいと思う。感謝!

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    投稿日: 2010.06.20