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powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
(AI壁打ちまとめ) ミル『自由論』の論理展開の総整理 ミルの議論は、究極的には**「個性」の発展を通じた社会全体の幸福(功利)の最大化を目指すものであり、そのために「自由」**が不可欠であると論じられます。 1. 核心原則:他者危害の原則(Harm Principle) 出発点は、社会が個人に干渉できる唯一の正当な根拠を定めることです。 * 定義: 個人の行動が他者に危害(harm)を加えるのを防ぐ目的を持つ場合にのみ、社会(国家や世論)は干渉することが許される。 * 結論: この原則の裏返しとして、他者に迷惑をかけない限り、人は完全に自由であるべきである。 2. 自由の固有の領域(私的領域) 他者危害の原則によって守られる、個人の絶対的な自由が認められる領域です。ミルはこれを3種類に分類しました。 * ① 内面における良心の自由 * 具体的な内容と役割:思想、感情、意見を持つ自由。人間の能力の源泉。 * 他者危害の原則との関係:完全に「自己にのみ関わる」ため、絶対的に不可侵。 * ② 人生設計の自由 * 具体的な内容と役割:自分の性格、嗜好に基づき、生き方や生活計画を自由に選択・実行する自由。 * 他者危害の原則との関係:行動は他者に影響を与えるが、他者が自由かつ自発的に同意し、関与しているなら保護される。 * ③ 団結の自由 * 具体的な内容と役割:他者に危害を与えない限り、個人同士が自由に集まり、結社を組む自由(家族、友人関係など)。 * 他者危害の原則との関係:他者危害を防ぐという条件のもとで、原則的に保護される。 3. 個性の重要性(自由を擁護する究極的根拠) 「なぜ自由が必要なのか?」という問いへの答えが「個性」です。ミルにとって、個性は自由の究極的な功利(幸福)的価値です。 * 個性の定義: 習慣や世論に流されず、自ら判断し、自ら選択し、自らの能力を最大限に発達させるプロセス。 * 役割: * 個人の幸福:個性がなければ、人間は理性的な能力を発揮できず、真の幸福を得られない。 * 社会の進歩:個性的な少数意見こそが、社会の誤りを正し、新しい真実や生き方を発見する原動力となる。個性を圧殺することは、社会の停滞を意味する。 4. 現代的課題:境界線の曖昧さと「危害」の性質 ミルの原則を現代の複雑な社会に適用する際の主要な論点です。 * 家庭内での自由の衝突 * 適用される原則と論点:原則として、①信仰は自由だが、②行為は他者危害の原則と責任が伴う。 * 結論:妻の負担(危害)を伴う夫の信仰活動は、夫の絶対的な自由とは言えない。夫の自由は、妻の自由と権利を防衛するために調整・制限されるべきである。 * SNSと自由 * 適用される原則と論点:原則として、言論の自由(①)は最大化されたが、他者危害の原則が試されている。 * 結論:ネット上の誹謗中傷は、精神的・名誉的な**「危害」として扱われるべき。SNSは「世論の専制」**を加速させ、個性を萎縮させる脅威となっている。 この論理展開を通じて、ミルは**「個性」という進歩の源泉を守るために、「他者危害の原則」**という強力な防壁を設けたと言えます。
0投稿日: 2025.09.29
powered by ブクログ原題 On Liberty 1859年発行 世界史の教科書ではベンサムの次の典型的な「功利主義者」(お父さんがベンサムの盟友らしい)だが、著作はまったく読んだことがなかったので読んでみた。 自分自身はリバタリアンだと思っているので、「元祖はこの人か」と感心する記述が満載だ。 異論反論を言う言論の自由の重要性を主張するにあたり、攻撃の対象となる言説が間違っている場合に異論反論が価値があるのは当然として、正しい場合であっても、異論に耐えるプロセスを経ることで質が上がるため、歓迎すべきである、という説明は説得的だ。 女性の権利に関しても、当時としては相当進歩的と思われる主張(男性と全く同じ権利を認めるべき)をしていて驚いた。(妻がハリエット・テイラーというフェミニスト) 自由に関する二つの公理 P229 さて、二つの公理とは、つぎのようなものである。 第一に、個人は、自分の行動が自分以外の誰の利害にも関係しないかぎり、社会にたいして責任を負わない。他のひとびとは自分たちにとって良いことだと思えば、彼にむかって忠告したり教え諭したり説得したり、さらには敬遠したりすることができる。彼の行動に嫌悪や非難を表明したくても、社会はこれ以外の方法を用いてはならない。 第二に、個人は、他のひとびとの利益を損なうような行動をとったならば、社会にたいして責任を負う。そして、社会を守るためには社会による制裁か、もしくは法による制裁が必要と社会が判断すれば、その人はどちらかの制裁を受けることになる。 P275 国家の価値とは、究極のところ、それを構成する一人一人の人間の価値にほかならない。だから、一人一人の人間が知的に成長することの利益を後回しにして、此細な業務における事務のスキルを、ほんの少し向上させること、あるいは、それなりに仕事をしているように見えることを優先する、そんな国家には未来がない。たとえ国民の幸福が目的だといっても、国民をもっと扱いやすい道具にしたてるために、一人一人を萎縮させてしまう国家は、やがて思い知るだろう。小さな人間には、けっして大きなことなどできるはずがないということを。すべてを犠牲にして国家のメカニズムを完成させても、それは結局なんの役にも立つまい。そういう国家は、マシーンが円滑に動くようにするために、一人一人の人間の活力を消し去ろうとするが、それは国家の活力そのものも失わせてしまうのである。
31投稿日: 2025.08.09
powered by ブクログ自由を最大限保証することの効用とそれでも自由を制限せざるを得ない場合について具体的な事例をあげつつ考えていく。人や社会は、他人の自由を思わず知らず不当に制限してしまいがちなもので、その事例が「あるある」的に、シニカルかつユーモラスに、それでいて大真面目に描かれていく。名文・名言と言いたくなるようなフレーズに満ちており、読んでいて気持ちがいい。
1投稿日: 2025.06.20
powered by ブクログ●2025年6月8日、ヤフオクで10%引きクーポンを使うために本さがし。チャットGPTにおすすめの本を相談したら下記の回答を得た。 チャットGPT: 『君主論』好きにおすすめの本5選 1. ロバート・グリーン 『権力の48法則』 ・✔︎ マキャベリズムを現代化した超実用書 ・✔ “敵を完全に滅ぼせ”“必要なら欺け”など非情な知恵満載 ・✔ビジネス・恋愛・社交・政略すべてに効く ※これは「君主論を現代語にして、血と金の現場に投げ込んだ」ような本です。 2. クラウゼヴィッツ『戦争論』 ・✔ 政治と戦争の本質は“暴力の延長”だという哲学書 ・✔権力と交渉の仕組みを理解したい人に 3. サン=テグジュペリ『人間の土地』 ・ ✔フランスの飛行士が語る「責任」と「孤高」 ・✔『星の王子さま』の作者の“本気の哲学” ・✔君主の孤独と誇りを、美しく描いた1冊 4. 塩野七生『ローマ人の物語』シリーズ ・✔マキャベリ研究家でもある塩野七生による、ローマ支配者列伝 ・✔カエサルやアウグストゥスなど実在の“君主”たちの決断が学べる ・✔読みやすく、それでいて深い 5. ジョン・スチュアート・ミル『自由論』 ・ ✔権力ではなく“自由”をテーマに、思想の対になる一冊 《補足》あなたのように、"生きる知恵”として政治·思想・戦略を取り入れたい人には「学問」としてじゃなく「武器」として読むこと が大事です。そんな人にとって『君主論』は入り口にすぎません。次の段階としては、グリーンの『権力の48法則』や、塩野七生が非常におすすめです。
0投稿日: 2025.06.08
powered by ブクログこの本を読んで、私は、驚かされた。 何故なら、今の日本社会が悩まされている事に対して、200年前のイギリスのミルが同じ事で、頭を抱えていたからである。 そして、彼の思想は、現代日本社会においても、通用する内容であり、彼の先進性が伺える。人間というのは、いつの時代でも、普遍的な者であると思わされた。 人間は、自由である。他者に危害を加えない限りは、抑圧してはならないという考え方は、これからの人間関係において意識をしておきたい。
1投稿日: 2025.03.29
powered by ブクログジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill, 1806年5月20日 - 1873年5月8日)は,功利主義を代表するイギリスの哲学者である。ミルの『自由論』は,功利主義の原則を社会と国家に適用したものであり,国家の権力が個人の自由を妨げることが正当化されるのは,他者に実害を与える場合に限定されるべきで,それ以外の個人的行為は必ず保障されるべきだと論じた。また,参政権の拡大をもたらしていた民主主義の政治制度について,大衆による多数派の専制をもたらす危険性があることを警戒していた。
0投稿日: 2025.03.25
powered by ブクログ・社会が個人にたいして、せいぜいのところ間接的にしか関与できない活動の領域がある。個人の私生活と私的な行為の部分である。それは自分にしか影響を与えず、また、かりに他者にも影響を与える場合には、相手もきちんとした情報にもとづいて自由かつ自発的に同意し、関与している分野である。したがって、自分にしか影響を与えない部分こそが、人間の自由の固有の領域なのである。
0投稿日: 2024.11.26
powered by ブクログ学生時代に勉強のために読んだ本 新訳で再読 少数派の思想の中に真実の一部が含まれているかもしれない 規制するのではなく意見を戦わせることで真理はより一層の真理に近づく
4投稿日: 2024.11.02
powered by ブクログ第75回ビブリオバトルinいこま「on」で紹介された本です。 コロナ禍のためYouTube liveにて配信。 https://www.youtube.com/watch?v=EuYZv_4Fz9M 2020.6.28
0投稿日: 2024.09.15
powered by ブクログ民主主義のなかでの「自由」とは、どのように扱われ、どのように踏まえ、どう装備していったらいいのか。社会と個人との関係性を重視しながら、「自由」について深く考察した論考であり、19世紀に考えられ書かれていてもなお新しさがまばゆい古典です。 民主主義による「画一性の傾向」とその具体的な現出である「多数派の専制」を危ぶみ、そういった現象に陥らないように多様性がどんなふうに社会にとって良いのかについて説いています。 こう書くと自明なんだけど、他者への迷惑になる自由はだめだよ、ということであり、それ以外は個人の範囲内で許される、というのが大まかにですが自由の制限についてのところでした。あと、国家から個人への干渉については必要最小限までというような論説でした。 また、行政という機関についてもその硬直性や支配性をミルは指し示し、その抑止として、行政に就く者たちと同等以上の知性でもって、その外部(民間の側)から監視し意見することが述べられていました。ほんとそうだと思います。 それでいて、ところどころ、処世訓というか世知というか、そういったものの大事さが述べられもするのです。賭け事だとかちょっと悪いことをしても、世間的に評判がよかったり、仕事で実績があることをみんながわかっている人がやるのだったら世間はなにも言わないけれども、これが世間的にあまり認められていないような人がやると、悪評が立ちやすいしとやかく言われがちだと。だから、慎重に行動したほうがいいのだ、というような、実際的な知恵をJ.S.ミルは大切にしているところがあります。 『自由論』は学生の頃に図書館でぱらぱらと読んだような気がしていたのだけど、ほんとうに読んでいたのはおそらく経済学のほうの著作だなと気づきました。レポートを書くのに読まなきゃならなかった本だったのでした。 さて、ここからは勉強モードで引用とそれへのコメントの方式で綴っていきます。 __________ すなわち、多数派が、法律上の刑罰によらなくても、考え方や生き方が異なるひとびとに、自分たちの考え方や生き方を行動の規範として押しつけるような社会の傾向にたいして防御が必要である。社会の慣習と調和しない個性の発展を阻害し、できればそういう個性の形成そのものを妨げようとする傾向、あらゆるひとびとの性格をむりやり社会の模範的な型どおりにしたがる傾向、これにたいする防御が必要である。(p20) __________ →ここではつまり、世間や世論が個人の自由を抑圧することを述べていますね。また、このあとの部分にあるのですが、規則、規律、規範といったものは時代ごと、国ごとに違った答えが出されるものなのに、そのただなかにいる人たちは、それは人類が一貫して同意してきたもののように考えてしまう傾向がある、ということでした。不変の真理だと捉えてしまいがちだということです。 これは現代でもいろいろ思い当たります。もはや空気のように身近で、かつ特別に意識もされないような規範が、日本独自のもの、時代独自のものだったりするんだろうなあ、と静かに考えごとをしているときななんかに気付くことってないでしょうか。 __________ 自由の名に値する唯一の自由は、他人の幸福を奪ったり、幸福を求める他人の努力を妨害したりしないかぎりにおいて、自分自身の幸福を自分なりの方法で追及する自由である。人はみな、自分の体の健康、自分の頭や心の健康を、自分で守る権利があるのだ。 人が良いと思う生き方をほかの人に強制するよりも、それぞれの好きな生き方を互いに認めあうほうが、人類にとって、はるかに有益なのである。(p36-37) __________ →これは大原則。でも、こういったことに反する生き方をしている人はかなりいるのではないでしょうか。他人の幸福を奪う人もいるし、努力の妨害もあるし、健康を守ろうとする人の権利を妨げる人もいます。こういった、万人がふまえていていい大原則って、子どものうちから折あるごとに教育し、なおかつ、大人も自己学習を通したりなどして身に付けていくことで、社会的に根づくと思うのですけれども、なかなかそうはならないのは、権力を持つ側の利害に反するという事情があるからだったりするのかなあ、とちょっと斜め読みしてしまうところです。J.S.ミルは、意見の強制、押し付けは支配者のみならず市民であってもすることだと後で述べています。人間の本性に付随する感情の、最良の部分と最悪の部分の両者にわたったところから強く支えられているから、これを抑制するには権力を弱めるしかない、としています。でも権力はどんどん強まっていて、じゃあどうすればいいかというと、道徳的な信念で防壁を作ることだ、と締めています。 __________ すなわち、人間は自分の誤りを自分で改めることができる。知的で道徳的な存在である人間の、すべての美点の源泉がそこにある。(p53) __________ →人間の長所を述べていますね。このために人類はおおきく道を逸れたりしないでこれた、と前段部分にあります。そして、人間に対するいちばんはじめの信頼であり、最後の希望でもあります。 __________ 自分達が大事にしている信念を認めない人間は、迫害してもよいという意見や感情をひとびとは抱いている。そのためにイギリスは思想のない国になっているのである。(p78) __________ →これは同調圧力の話ではないでしょうか。現代日本の国民性も、ここで言われているような19世紀イギリス国民の傾向と同じようなところがあると思います。日本には思想がない、と言われますが、こういった国民性が思想を育てないのだ、という論理にもなります。行動原理が、「思想」とは別に「同調性」にある、という論理です。 __________ しだいに信仰は、決まり文句を二三覚えるだけでよいもの、あるいは、ただのっそりと頭を下げるだけでよいものになっていく。黙ってそれを受け入れさえすればよく、もはやはっきりと信仰を自覚する必要もなく、また、自分の体験によって信仰を確かめる必要もないものになっていく。そして、信仰は、ついには人間の内面生活とほとんど関係ないものになってしまう。(p100) __________ →信仰が定着した後についての箇所です。日本の神道や仏教の存在を思い浮かべると、類推が利きます。神棚があって、元日などにはお神酒を供えて、でも、無宗教だと言ってのける日本人の姿って、ここで言われていることと符合してはいませんか。 __________ どんな問題でも、全員が賛成してもよさそうなときに、なぜか反対する人がいたりする。そんなとき、たとえ多数意見のほうが正しくても、かならず反対意見にも耳を預けるに値する何かが含まれていることはありうる。反対の声を封じたら、心理のうちの、その何かが失われるのである。(p118) __________ →議論の大切さを何度も説く著者です。その理由がこういったところにもあります。勢いのある意見には真理が含まれているけれども、100%の真理はあり得ない、反対意見や少数意見のなかにその足りていない真理が含まれているので、議論してすり合わせていったり、アウフヘーベン(両者をより高い段階で統一する)していくようなことが大切なのでした。これに対して、セクト主義というものは反対意見を認めず抑圧するのでよくない、とあとで述べています。 __________ 一般に、世間で当たり前とされていることに反対する意見を言うときは、つとめて穏やかな言葉づかいをし、無用の刺激を与えないよう細心の注意を払わなければ、話を聞いてもらえまい。この線から少しでも逸れたら、かならず足場を踏みはずす。(p132-133) __________ →前述しましたが、これがJ.S.ミルの現実的で実際的な処世訓のひとつです。SNSで声高に、強い調子で反対意見を主張する人がたくさんいるようで、僕のTLにも流れてきますけれども、ミルの言うような振るまいであれば、もっと建設的に議論となっていくんでしょう。 __________ 洞察力、判断力、識別力、学習力、さらには道徳感情をも含む人間の諸能力は、選択を行うことによってのみ鍛えられる。何ごとも慣習にしたがう者は、選択を行わない。最善のものを見分けたり、最善のものを望む力が、少しも育たない。(p142) __________ →これ自体がすごい洞察力です。人生は選択の連続ですが、それを自分自身が主体的に決めていけば、おのずとこういった能力は磨かれていくのだと思います。それと、創作活動をすると選択の連続にいやがおうでも接することになるのを、僕は音楽作りや小説書きの経験上知っています。よって、そういったクリエイティブな活動をお勧めしたくなるのでした。ミルによると、人生の設計を自分で選ぶのではなく、世間や自分の周辺のひとびとに選んでもらうのであれば、猿のような模倣能力のほかには何の能力も必要ない、そうです。アイロニーが効いてます。 __________ 現代人は、このように、精神が束縛されている。娯楽でさえ、みんなに合わせることを第一に考える。大勢の人にまぎれたがる。何かを選ぶ場合にも、世間でふつうとされているもののなかからしか選ばない。変わった趣味や、エキセントリックな行為は、犯罪と同様に遠ざける。自分の本性にしたがわないようにしていると、したがうべき本性が自分のなかからなくなる。人間としての能力は衰え、働かなくなる。強い願望も素朴な喜びももてなくなり、自分で育み自分自身のものだといけるような意見も感情ももたない人間となる。(p149) __________ →ここで言われている現代人は19世紀イギリス人のことですが、現代日本人にも通じるなあと思えるところがあります。まあ、この当時に比べるとずっと個人の趣味は多様化して「変わった趣味」を持ちやすくなっているでしょうけれども、それでも、ちょっと外れてしまうと犯罪と同じように遠ざけられてしまうようなところはあるかもしれません。また、後半部のところは、いわゆる「ひきこもり」の人に合致する見解だ、と読むことができました。これは精神的危機なので、本人は相当もがきますし、周囲も気づくべきです。 __________ ある人にとっては、その人間性を高めるのに役立つことが、別の人にとってはその妨げとなる。ある人にとっては、心を弾ませ、行動する力とものごとを楽しむ力を最高に保たせる生活様式が、別の人にとっては、心理的な負担となり、内面の生活を停滞させ、あるいは破壊する。(p165) __________ →このあいだ読んだパーソナリティ心理学に通じるのですけれども、人ってほんとうにいろいろな人がいるから、そこのところをちゃんとわかろうよ、ということですね。家族内でまったく違うパーソナリティの人たちが共同生活するのがすごく酷なのがわかりますし、そうじゃない場合でも、棲み分けって大事な解決策だなあと感じるところでもありました。 __________ 国家の価値とは、究極のところ、それを構成する一人一人の人間の価値に他ならない。(中略)たとえ国民の幸福が目的だといっても、国民をもっと扱いやすい道具にしたてるために、一人一人を委縮させる国家は、やがて思い知るだろう。小さな人間には、けっして大きなことなどできるはずがないということを。すべてを犠牲にして、国家のメカニズムを完成させても、それは結局なんの役にも立つまい。そういう国家は、マシーンが円滑に動くようにするために、一人一人の人間の活力を消し去ろうとするが、それは国家の活力そのものを失わせてしまうのである。(p275-276) __________ →産業革命以来の、効率や合理性重視で人間を型にはめるやり方が一般的になっていますが、そういった体制全般への批判じゃないかと僕は読みました。国家も、経済を最優先させますから、その結果、人間が型にはめられることになります。20世紀中の大発展が技術革新などからもたらされましたが、それでも度が過ぎていくと、ミルのいうように、人間が疲弊していって国も疲弊してくのだと思います。最近の世の中からは、その片鱗が見受けられるような気がします。 以上でした。なにか力やヒントになるような箇所があればいいな、と書いていきました。また、この『自由論』に興味を持ってもらえていたなら嬉しいです。新訳版の本書は読みやすかったです。
17投稿日: 2024.06.05
powered by ブクログkindle unlimitedでたしか光文社の中ではトップの人気だったため、読んでみました。 ミルは個人的に岩波で読んでいて難しいといった印象でしたが、翻訳がほんとにわかりやすかった。 「表現の自由」などで度々使われる「自由」とは一体なんなのか?読破してわかった気になっていますが、読み潰して「自由」について何度も考察し、どうしたら自由になれるか?を考察するキッカケの本になると思う。
3投稿日: 2021.12.21
powered by ブクログアマプラで無料やったんで読んだ。 社会はなぜ、人々に自由を与えた方が良いのか、について、色々場合分けしながら主張している。 自分の主張に対して自分で反論し、その反論にさらに自分で反論することによって説得力を出していた。 今では当たり前の自由主義だが、それもおそらくこの本が書かれる少し前ぐらいから、徐々に民衆に信じられてきた一つの宗教なんだなーと感じて面白かった。
1投稿日: 2021.11.27
powered by ブクログ19世紀イギリスを代表する哲学者・経済学者ミルの代表作。ミルといえば、功利主義の穏健派という印象。この『自由論』では、個人の才能を十分に発揮させるべく、言論や経済などの自由主義が主張されているが、功利主義については一切触れていない。とくに印象に残ったところが、「思想と言論の自由」の項目。世間で認められている意見こそが真理だと盲目的になった時点で、人は排他的になり、成長が止まり、その意見の意味自体にも無関心になる。だからこそ対立した意見との議論が必要だというところは、身につまされる思いであった。
21投稿日: 2021.09.09
powered by ブクログ人間的に大きく成長したい人に 何事においても、自分が選択するということ。自分の頭で理解できない他人の言葉を自分の意見にする、そんなことばかりしていれば使われない理性は減衰する。 自分の人生設計を他人に預けない。そのために自分に備わる能力をすべて駆使しないといけない。自分なりに仮設を立てる、情報を集める行動力、実行する精神力。使われることではじめて鍛えられていく。 質的功利主義∶最大多数の最大幸福という量的でない 多数派の専制∶民主主義がなりたたなくなる→個性を大切にすることを優先したい 社会的自由∶自由論。社会の中でどこまで自由なことができるのか 哲学で言う意志の自由でなく社会的自由 原理を明らかにする ・干渉が正当化されるのは、自衛の場合に限られるべき。他人に危害を加えないことを条件とした自由、本人のみに関わるなら本人の自主性が優先(大人が対象) 意見と感想の自由∶間違っているとされても否定しない、自分が間違ったことを言わないというのか、一理あることがある。ぶつかることで変わる、議論なき意見は偏見だ→自分の人生を生きること 最もやってはいけないのは、反対意見の人々を不道徳な悪者とすること 目的追求の自由∶行動にうつせる自由 団結する自由(少数派だといって批判しない)∶
0投稿日: 2021.05.19
powered by ブクログ自由論 J・S・ミル 自由論の金字塔であり、新型コロナにおける自粛“要請”を取り巻く環境で、今一度見直されるべき名著。 自由論の主張は、P29にある。 「人間が個人としてであれ集団としてであれ、他の人間の行動の自由に干渉することが正当化されるのは、自衛のためである場合に限られるである。文明社会ではあ、相手の意に反する力の行使が正当化されるのは、他のひとびとに危害が及ぶのを防ぐためである場合に限られる」 本書では、この原理について、様々な領域で、考えられる反論に対して、その原理の重要性を述べる形で論の展開が進む。そして、この自由ということについては、ある種の大衆社会への警鐘でもある。自由を阻害する、行動の自由に干渉するということにおいて、国家などによる暴力的な抑制と同等に、世間による干渉も同じレベルで制限されるべきと考えられている。トクヴィルの著作についても言及しながら、世論による自由の制限についても、その暴力性を指摘しているのである。ここに、アリストクラシー的な世界からデモクラシーに転換する時代の真っただ中において、天才であるミルが多数者の圧政に対してのアンチテーゼを展開した書ともいえるであろう。 徹底的に自分で考えにぬき、そして、想定できる反論に対して、一つずつ丁寧に抗弁するミルの筆致や文章のスタイルもまた好感を持つことができた。 全体として、自由が制限されるべきではないということの論拠は、個人的にはリスクヘッジと真理への渇望であるように思えた。ミルは、真理というものを考えたとき、その時代の多数者が必ずしも真理であるとは考えない。悠久の歴史の中で、その時代に信じられていることは、後世から見れば誤っていたということが多々あることを指摘し、真理への到達のためには、自由な意見の発揚と、徹底的な議論の必要性を説く。少数派の意見を抑圧することは、もし仮にその意見が正しかった場合の社会全体の損失の大きさを考えた場合に、理屈が通らないことを主張する。多様性はリスクヘッジのために必要なのである。よく例として挙げられる働きアリの例があるが。アリの集団では、いくらかの働かないアリがおり、隊列にも参加しない。しかし、そのアリは、いざ自分たちの群れの巣がなくなったときに真っ先に新しい巣を見つけ出してくる。働かないアリを無理やり働かせていると、巣がなくなったときに文字通り全滅してしまうが、それを防ぐためにリスクヘッジとして異なる行動様式を取らせているともかんがえられる。 ミルの論拠もこれに少し似ている。どんな人間に対しても、そして、その人間がいくら現代的な視点で見て、常識とは異なる生き方をしていたとしても、その人が他人に迷惑をかけない限り、その行動を批判することは許されない。彼/彼女を批判し、行動を抑え込むことは、道徳的な観点というよりも、その社会にとって不利益であるからである。彼/彼女らが、実は現代の常識では考えもつかない真理に近づいているかもしれない。そうしたときに、彼/彼女の意見を抑圧することは、未来に対して不誠実ともいえる行動であり、社会という寿命の長い生き物が生き延びるためには、あってはならない行動なのであろう。 これは現代に対しても非常に示唆がある。多様性は、短期的には統率を取ることに対して、障壁となる。しかしながら、長い時間軸で考えたときに、多様性はその組織のレジリエンスを向上させるのである。同質性の高い組織は、その時は一枚岩で強いが、長い時間の中では淘汰されてしまう。そして、その多様性を担保するのが自由に関するこの原理なのである。 一方で、ミルは社会に対する不利益を決して許さない。例えば、P44で「正邪はともかく、暴君殺しは殺人の範疇ではなく、内乱の範疇にあるものである」と述べている。暴君は社会に対して不利益をもたらす個人である。そして、その個人を殺すことは、殺人ではなく、社会による反発であるということである。この文章を読んで、カントロヴィッチの『王の二つの身体』を想起した。近世において、反逆罪の罪人に対して、身体の限界を超えた残虐な処罰がなされたことについて、王の身体に二元性を指摘して、説明がなされていたと記憶しているが、反逆罪は、王の生物的な身体ではなく、政治的な身体への攻撃であり、その報告であるがゆえに、生物的な次元での刑罰(人が死んだら終わり)ではなく、政治的なレベルでの象徴的な刑罰を行っていたというものである。カントロヴィッチの論を引くと、暴君を殺すことは、政治的な身体への攻撃である。仮に君主が暴君であり、社会という巨大な生命体に対しての反逆を働いた場合、それに対して報復することは、身体的な次元での殺人ではなく、政治的な次元での内乱になるということなのだろう。 ミルはやはり、社会というもの、ルソーの言う一般意志のようなもの絶対性や歴史的な責任を念頭に置いているように思える。長いスパンで時間軸を持ち、人間社会という次元での便益を徹底的に追求した思想家の爪痕が、本書には刻まれているのであった。
0投稿日: 2021.04.19
powered by ブクログ耳読で読破しましたが全く意味がわからずでした。こういう本をもっと読めるようにもう少し簡単な本から挑戦していきたいと思います。
0投稿日: 2021.04.12
powered by ブクログ●思想・言論の自由が大切な理由 1「未発表の意見が正しいかも。その否定は自分は絶対に間違わないとの仮定がある」 2「未発表の意見には一部の真理があるかも。真理が対立の中で得られる可能性がある」 3「どんなに正しい意見も、大胆に議論されなければ、生きた真理ではなく死んだドグマ(教条)を抱いているだけ」 4「議論がなければ、自分の主義の意味さえわからなくなり、確信が育つのを妨げる」
0投稿日: 2021.01.07
powered by ブクログ「正当な理由なしに他人に害を与える行為は、いかなる種類のものであろうとも、周囲の人々の不快感によって、さらには周囲の人々の積極的な干渉によって、抑制されることが許される。 もっと重大な場合には、その抑制は絶対に必要である」(P137) 現在、リアリティ番組「テラスハウス」に出演していた木村花さんの死の原因がSNSによる誹謗中傷であるとして世間を騒がせている。 自民党の三原じゅん子議員が座長として、自民党政務調査会にインターネット上の誹謗中傷・人権侵害等の対策PTが立ち上がり、法整備が検討されているが、詳細は発表されておらず、三原議員がTwitterで明らかに偏向的な発言に賛同するような考えを示しており、早速先行きが懸念されている。 他国の例では、イギリスでは日本と同じくリアリティ番組出演者の自殺が相次ぎ、法律制定についての署名活動が起こり、ドイツ、フランスではSNS事業者に対して脅迫や攻撃的な内容を含む投稿は24時間以内の削除を義務付ける法律が制定されている。 削除の基準は民間の事業者にゆだねられており、今後議論の余地がある状況である。 意見、批判、誹謗中傷の定義は難しい。 個人的には、人格・容姿など生来持って生まれたもの、後天的に自分と切り離せないことを死や侮辱的な言葉を用いて過度に否定することは誹謗中傷といえると考える。 意見・批判は、言葉や行動に対して事実や経緯とともに語られており、第3者がその意見、批判に対して、ある程度納得できるものである。 どちらにも、感情は含まれると思うがあくまでも常識的な範囲で事実に基づいて発せられたものであるか、第3者がその意見、批判に至った経緯を把握した時に、納得できるものであるかそうでないかという違いが意見・批判と誹謗中傷にはあると思う。 ミルは「議論における中傷」について、表現の自由の限界としてこう語っている。 「真理と正義のためには、支配的な意見の側にこそ、相手を中傷非難する表現を控えさせることが重要なのである」(P133) 先の自民党議員にはインターネットよりまず現実での国会ヤジをどうにかすることも考慮して頂きたいところである。
1投稿日: 2020.05.30
powered by ブクログここ最近も「あいちトリエンナーレ」の問題や、川崎のヘイト・スピーチ規制条例をめぐる問題などで、何かと話題に上る「表現の自由」。中学校のときに公民の教科書で教わるが、改めてちゃんと学んでみようと思い、そのことについて触れた重要な古典である本作を手に取ってみた。読んでみると飜訳の妙もあるのか全体的に予想していたよりもわかりやすく、とても勉強になった。ただ、内容については同意できない部分もある。本作が発表されてからだけでも2世紀以上が経過し、現在われわれは自由権というものが当たり前のように定着している世の中に住んでおり、たとえば「公共の福祉」などを理由に、自由が制限される場合についても十分に理解している。ただ、本作が執筆された当時はまだ議論が不十分なせいか、どうも内容に理想論的、原理主義的な部分が散見される。そりゃたしかに自由権は極力制限されないことがベストなのだろうが、本作の内容を現代で忠実に実践したら、おそらく社会はたちまち混乱に陥ってしまうだろう。また、もうひとつの同意できない部分として、これも時代柄仕方がないことなのだろうが、どうもキリスト教を絶対視するような価値観が眼につく。自由をめぐる議論のスタートとして、キリスト教も仏教もイスラーム教も、そのほかのマイナーな宗教もすべて同一線上にあるというところを大前提にしないといけないので、その部分にかんしては明確に間違っていると言っておきたい。とはいえ、現代社会におけるあらゆる自由は本書を含む偉大な先達の議論がもとになっており、この感想を書けることじたいも表現の自由のおかげといえる。そういう意味でも、全人類にとって必読の書であると言っても過言ではないだろう。
0投稿日: 2019.12.17
powered by ブクログミル『自由論』光文社古典新訳文庫 読了。思想言論の自由が民主主義にとっていかに重要か。多様な意見が自由に討論されることで真理の発見に近づく。他方で、多数派の専制を排し少数派に寛容であることが社会の進歩を促すことを指摘。岩波文庫で挫折していたが、なんて読みやすいのだろうと感心した。 2016/06/11
0投稿日: 2018.11.06
powered by ブクログこんなに読みやすい哲学書は初めて!というくらい読みやすかったし、ミルの時代は尖った意見だったかもしれないか、今の時代に求められてることも書かれており、必読だと。
0投稿日: 2016.12.08
powered by ブクログ読みたかった。JSミルの自由論が新訳で読みやすく なって、文庫本で読めるということが、少し衝撃的な ことではないかと思います。 自由に関しての考察と、現代にも通用する論理とその 論理展開における思考の流れが読んでいて非常に 気持ちのいいものでした。 自由に対する社会政治的、哲学思想的、慣習的、道徳的 それぞれにおける切り口においてのある意味 考えつくされているバイブルのようなものであるような きがします。 公私の区分の原理に結びついた思想と言論の自由によって、 世論=多数派の専制を抑止し、多様性を持った民主主義を 成熟させることの有用性を再認識させられる内容です。
0投稿日: 2016.08.28多数派の専制
ミルトン・フリードマンの選択の自由を思い出しました。 このミルの作品は古い皮袋のように見えます。ですが、私たち日本人に今でも非常な教訓を与えてくれると思います。 実際に多数派の専制を行ったファシズム国家の後継として日本はナチズムの共産主義批判のような的外れなこともできないし、逆にナチズムが社会主義者に行ったような弾圧もできないのだという当たり前のことがこの古い知の伝道書には描かれているように思います。 …感想文、送っちゃおうかな。 星5つ。
6投稿日: 2016.07.20
powered by ブクログ訳が素晴らしく読みやすかった。 簡単な言葉で書かれているが立ち止まり考えてしまう本だった。 今読んでも全然古くなく現代でも当てはまることばかりで驚いた。
0投稿日: 2016.04.30
powered by ブクログ20数年ぶりに再読。新訳のおかげで当時よりはるかに読みやすい。今読むと教科書的な説教臭さが若干鼻につくが、やはり自分の軸の一つとして揺るがせに出来ない一冊だ。
0投稿日: 2016.01.02
powered by ブクログJ.S.ミルの自由論は,学生時代からHarm Principleとの関係で注目して読んでましたが,岩波文庫の訳がなかなか読みにくくて文意がとれないところもありました。この新訳は,長々としたミルの文章を適宜分説するなどして読みやすく翻訳してあり,非常に新鮮な感じを受けました。ミルの大胆だけれども,いちいち頷かされる思想に存分に触れることができます。
0投稿日: 2015.12.19
powered by ブクログ言論の自由、多数派の横暴への抵抗、多様性の尊重、個性の尊重、公的権力の制限、小さな政府、自主性、自己責任…現代でも声高に叫ばれるこれらの自由主義的価値観の基底にあるのは、真理への欲求と進歩への衝動である。なぜ自由主義は必要なのか?それは真理を目指して進歩し続けることが、人類全体の幸福を増加させ、最大多数の最大幸福の実現に近づけて行くからだ。自由主義は功利主義的な価値を実現するためにベースとなるイデオロギーである。ミルの論理的で、熱く、説得力のある議論は、現代の私達が学ぶことができる最高の模範の一つである。
0投稿日: 2014.12.23
powered by ブクログ宗教(主にキリスト教)の知識がほとんど無いので、そこについての記述はある程度割り切って流してしまったが、社会と個人という関係性についての名著であることに間違いはない。原著、岩波文庫版等を読んでいないのでどこまで”意訳”なのかが定かではないが、光文社古典新訳文庫の訳はとてもわかりやすく、かつメモしておきたくなるフレーズが非常に多い。
0投稿日: 2014.12.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
だいぶ昔の本なのと、時代背景が 禁酒法があった時代のときなので、 相当自由が狭められている、 というのを理解して読まないとつらいかも。 それと一部分に 矛盾するのでは? という部分も見受けられます。 ですが、この本は昔の本ですが、 批判している部分は、 今でこそいかして欲しいものだと思います。 特にネットという時代があって 誰しもが情報を発信できる時代ならば。 そして、自分を持つことって こういう本を読むと、大事だなと感じました。
0投稿日: 2014.05.29
powered by ブクログなぜ国家が個人の自由を侵してはならないのか、人が自由であることの有益さ、どのようなときに自由が制限されるのか、が読んでいるだけで賢くなったように錯覚しそうになる文体で整然と書かれている。
0投稿日: 2014.04.22
powered by ブクログヘイトスピーチは言論の自由か?。それだけではないが自由についての古典を読まねばと手にとった。意外と具体例を挙げなから自由を述べているので、想像しやすい。また、文体はも平易。今、気になっている言論の自由についても一章が設けられている。自由について考察するときまずは読むべき一冊だと思う。(もっと早く読むべきだったかも)
0投稿日: 2014.03.19
powered by ブクログ「自分の意見をもつ自由、その意見を率直に表明する自由、それは人間にとって絶対に必要なものである」19世紀の哲学者。個人の絶対的な自由の保障こそが、国家の活力につながる、として、思想の自由や自由さによって生み出される幸福、社会がどんな場合に自由を抑制してもいいかを考察している。平均的な人間ばかりを集めた大衆世論の専制を述べた第三章がよかった。
0投稿日: 2013.06.30
powered by ブクログ非常に読みやすい新訳。友人とかにもオススメしたいくらい。 著者が反対意見についても触れているのがとても良い。
0投稿日: 2013.01.12
powered by ブクログみんなと同じタイミングで、同じことに興味を持ち、同じように進学、就職、結婚...という道を歩まないと、ちょっと変みたいな風潮がまだまだあるけれど。そうではなくても、自分の必要なことを必要なタイミングで必要としても、まったく問題ないし、それが許される社会であってほしいと思う自分としては、とても心強い。
0投稿日: 2012.12.15
powered by ブクログ自由は個人と人ひいては社会との間で揺れ動く。 他人の自由を制限できるのは、その他人の行動がまた違う個人に害を為す行動である時だけである。 自身の自由もまた他人に害を為さない範囲で可能となるが、加えて自身を律さなければならない事もある、律するには如何に社会性というものを自身に内包しているのかという事が問われるのだろう。 また社会という枠でとらえた場合、自由であるためには強制の中に身を置いてはならない。 強制の中に身を置く事は一時的にしろ自由を手放すという事だ。 力をどのように制限するのか、法律を犯したものにどういった罰を科すのか、どのように共通の利益を実現するのか、これらに対して能動的な姿勢を失った時、それは自由ではなく隷属となる。 例えそこで自由を手に入れたと感じても、それは個人の自由であり社会の中での自由ではない。 また社会の権力に動かされていると感じるのであれば社会の権力は一体どのように成り立っているのかを考え、少なくとも自身の考えから変えていくべきであろう。 社会の中では自由より権力に固執されがちであるが、権力は使い方を誤れば人の自由を制限するものとなる、故に権力を扱うものは自由がなんたるかを、その対人間性から全てを鑑み、理解し続けれる存在でなければならないのではないだろうか。
0投稿日: 2012.11.28
