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虚弱に生きる
虚弱に生きる
絶対に終電を逃さない女/扶桑社
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総合評価

12件)
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    絶対に終電を逃さない女さん(以下、終電さん)の『虚弱に生きる』を読んだ。 「虚弱エッセイ」という、今までにないジャンルのエッセイである。 いや、まったくなかったわけではないのかもしれない。私はいろんな人のエッセイをちょこちょこ読むが、中年以上の文筆家の人などは、一冊のなかに何度かは体調不良に関するエピソードが出てくる。 ただそれはあくまで、デフォルトで平均的な健康さを有している人が、時たま自分の身に起こる体調不良を綴っている、という文脈だ。 終電さんのように、デフォルトで「虚弱」が搭載されてしまっている人が、日々のあれこれをどう乗りこなしているのか、というのとは確実に文脈が異なっている。 この本が革命だと思うのは世の中に当然のように蔓延しているエイブリズムへの抗いだと思うからだ。 エイブリズムの根底には「健康=完全な状態」という見方があり、疾患や障がいを「不健康」や「欠陥」とみなし、障がい者がその状態のままでも幸福や充実した生活を送る権利を否定したり、軽視したりすることにつながる。 虚弱であることでこれだけ食事や運動や通院をして自分の体調に気を配らねばならないのかといえば、それは社会のデザインがそもそも健康である人向けだからだ。 公共交通機関、自家用車、徒歩、自転車などで出勤ができる人、衆人環視に耐えうる人、1日8時間、週5日働けて、週の休みはだいたい2日ほどで気分転換も含めた気力と体力の回復ができる人などなど。 求められることが多いし、それができる人以外は普通ではない、欠陥があり、賃金や福利厚生も充分にする必要がないと判断される。 だからそうしなくても済むような方法で生きるためのお金を稼がねばならない、がそれも簡単なことではない。 終電さんのように金銭に換えられるほど価値がある文章や絵やモノを創造できる人ばかりではない。 これが、たとえば勤務が週5日でも1日の勤務時間は6時間だとか、出勤や登校の時間を1時間ずらせるとか、1日8時間、週5日勤務だとしても1日のどこかで15分ほど好きなタイミングで横になっていい時間があるとか、週に1日はリモートでいいとか、オフィスに仕切りをつけるとか。 そういうちょっとしたゆとりで、終電さんのような働き方ではなくとも、今よりも楽に働ける人はいるのではないか。 すべてが改善した、健康になったとはいかなくとも日々の苦痛が少し和らぐのではないか。 『虚弱に生きる』の感想をディグっていてもそう思わずにはいられない。 この社会が、あまりにも一本調子な働き方しか想定していないから、特定の人たちのためにしかデザインされていないから、そこにどうにか自分を合わせなきゃいけない、そうじゃないと生きられない人ががんばって、がんばって、がんばりまくっているのではないか。 終電さんのように健康になりたいと努力する人たちのことを否定したいのではなく、終電さんも書いていたように、少ない可処分時間と可処分所得を注ぎ込んでまで健康を目指すためにあれこれとしなくても、何となく生きていける、働けるほうが、それこそ健康になれそうではないかと思うのだ。

    0
    投稿日: 2025.11.24
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    卓球がうまくなってうれしかったのくだり ちょっと泣きそうになった。 よかったね!!!と。 なにもしなくても「健康」なひとと、 「健康」でいるための努力が必要なひと。 それぞれ悩みはあっていつだって ないものねだりなんだろうけど切実だな〜 ちなみに私は運動神経たぶんそんなに悪くなくて 体育はそこまで苦痛じゃなかった側だけど いまはてんでだめ。動く気力もあんまりない。 だからちいさな改善を繰り返して たとえ効果が薄れてきてもそこでやめずに、 これをやってるからこの程度で済んでいるんだと いう底上げしてるのもかっこいい。 健康とは地道だ。

    0
    投稿日: 2025.11.23
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    資本主義の限界、働くことと貨幣が必要不可欠である社会の脆さ、を再認識した一冊とでもいえようか。 彼女が勇気を振り絞って書き留めた彼女の現実、それをできる限り受け止めようと努力した訳だが、やはりどこかからふつふつと現れるのは、その現実を素直に読み進められない自分。その事実に、勝手に、もの凄く落ち込んだ。 虚弱であることを強制的に叩きつけられた人を、同時代を生きる社会の構成員として当たり前に支えたいと願う一方で、(とんでもなく底意地の悪い言い方をすれば)健康体として生まれてしまった自分は、働き、稼ぎ、納めることしか歓迎されないのだろうか、と思えてしまえなくもないのだ。働かない理由も、社会から離脱する理由もない健康な自分には、週5日フルタイムで動けるまで働き続けるしかないのでは、と。この思考は危険だろうか。歪んでいるだろうか。 健康だができるなら極力働きたくない身としては、極論、本当の意味で「働きたい人だけが働ける」社会に早いところ到達してしまわないかと思うわけだが、それは怠惰、ないしは責任の放棄でしかないのだろうか。 これからの社会の在り方について、是非建設的な話し合いを進めていきたい。

    1
    投稿日: 2025.11.22
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    自分も体力がある方ではないけど、想像を絶する虚弱さ(イボ2000個……!?)に圧倒され、共感ベースではなく終始驚きながら読んでいた。 身体の健康=副次的な心のケア=幸福という図式自体は、パーソナルトレーナーとか意識高い系の人たちも唱えているが、「良くなったり悪くなったりを繰り返す自分の身体に、裏切られていると感じていた」人が言うと説得力が違う。自炊をすることは自分の身体を作ること、運動や食事によって体重に変化が出てはじめて自分の身体をコントロール・所有できた気がしたというのも納得した。 洗濯や掃除に手間取る時間がもったいないと思ってしまいがちだけど、3日に1回はがんばろうと思った。たぶん「ちゃんとできてる」という実感が精神を健康な方に引っ張ってくれて、こまめにタスクをこなした方がむしろ余計なストレスを抱えずに済みそう…… 『カフネ』で、自分のためにご飯が作れないセルフネグレクトが出てきたが、このエッセイでは逆というべきか、ご飯を作って健康を目指すことで精神もケアされるという流れが書かれていておもしろかった。これってご自愛以外の言葉だと何と呼ぶのがいいんだろう?

    0
    投稿日: 2025.11.20
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    どうしようもなく制御の難しく、生きてゆくのにも不自由とも言えるじぶんの身体を、それでもなお何とか使って生きてゆこうとする物語。 すべてを曝け出して描かれる作者の渾身のエッセイとその姿勢に、感銘を受ける。

    0
    投稿日: 2025.11.19
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    私もかなりの虚弱体質&体力がない&毎日体調を崩している、永遠にスタートラインを目指している人間なので非常に共感しながら読みました。 元気がないからそもそも生きることや仕事のハードルが高すぎて、毎日がサバイバルなの、わかります…。

    1
    投稿日: 2025.11.17
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    理由のわからない、病名のつかない不調というのは不安でしかない。 虚弱というワードが最適解とも思える。 自分は割と体力があった方だから作者の悩み、苦しみに完全に共感…とまではいかないが、悩み苦しんでいるからこそ維持するために継続しているラジオ体操や食生活、私のように健康がデフォルトになっている人が健康を失って初めて取組むことを20代のうちから実施しているというだけですごいと思う。 これは凄まじい自己分析と努力のエッセイ。 今は他人事のように読んでいる人も、いつかわかる時が来るのかもしれない。 そして虚弱の人がいるという事実は周りと比べて普通を求める日本の在り方に一石を投じたような気がする。

    0
    投稿日: 2025.11.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    共感しきりの虚弱エッセイ。そうそう、虚弱ってハンデだよね…。一日数時間しか働けない、お出かけは週1程度、健康にいるための活動で時間を取られる…などなど、深く頷く。 著者は私より大変そうだし、年代が違うので軽々しく「わかるー!」とは言えないけれど、私も10代から薄々「健康だけど人より体力ない…?」と思い、20代前半で確信を持ったクチなので、「まだ若いのに」という周囲の無理解さにうっすら傷つくのは、大変よくわかります。 ほんと、自分の身体に合わせた活動量で生きていくしかないね、、多数派ではないけれど、自分だけじゃない。そのことに気づかせてくれてありがとう。 あと装丁が素敵。昭和レトロ(か分からんけど)な色合い、デザインで。

    0
    投稿日: 2025.11.15
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    読みはじめてすぐに、作者が自分の弱さをそのまま差し出すように語る姿に親近感を覚えた。 どうか名前がついてくれと、何度願ったことか。 理由のはっきりしない不調を、飾らずに書いてくれていることで、「自分だけじゃなかった」と静かに救われる。 虚弱であることを前提にしながら、それでも日々を回していく姿が淡々としていて、重さよりも不思議な安心感が残った。 努力が報われることは無くとも、努力を辞めない(辞めることで悪化するため続けるしかない)苦しみを抱えて生きていく作者に尊敬を覚えます。 やはり私は努力をする体力もないまま一生を終えそうです。

    9
    投稿日: 2025.11.14
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    虚弱対談がSNSで流れてきた時に、共感を覚えすぎていたので、書籍化されるのを知って刊行を楽しみにしていた 奇しくも久々の通勤でもらってきたインフルエンザで床に伏せている時に読んだため、作者の様々な不調に対して、より親近感を感じることができた(動きたいのに動けない、可処分時間が少ない など…) 作者は虚弱さとの戦いの結果、バリバリ働くことなどに対して折り合いをつけ、目指したい姿や優先すべきことを自分で決めようとしているように感じる SNSや実社会などにおいては、体力があり、家庭を持っており、社交的で…などの姿が良いものとされるように感じてしまうが、そうしたくてもできない人に優しく寄り添うエッセイだった

    2
    投稿日: 2025.11.09
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    わかる〜〜〜〜〜(27歳女) 著者ほどでは無いが、他人に対して思う感情が最近はほとんど、この人体力あるなぁ……な握力15以下な女なのでわかる…わかります……の連続と同時にこの人大変そう〜〜という自分を棚に上げた感想

    0
    投稿日: 2025.11.03
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    著者の「虚弱」と「健康」という二つのテーマをとことん深掘りしたエッセイ集。 私自身も「虚弱」を自覚しており生きづらくて仕方がないのだが、たまたま男性の体で生まれてきたため、身体面での虚弱さは著者よりは多少マシなのかもしれない。もし女性の体に生まれてきていたら、著者の抱える生きづらさや経験を、より深く身をもってなぞるように生きていただろうな…と思う。 梅崎春生「怠惰の美徳」、pha「パーティーが終わって、中年が始まる」といった著作を好んで読んできたことも重なり、すごく共感できる内容だった。 一方で、以下の健康ルーティンに関する記述などからは、同じようなことをしているのに、ストイックな性格の著者と、怠惰で呑気な性格の自分との間で対照的な向き合い方が垣間見えたことも興味深かった。 「毎日変わり映えのしない鶏胸肉を食べ、ラジオ体操と筋トレをし、カロリー計算と体重・体脂肪測定をし、湯船に浸かっている。何一つ楽しくない。全部めんどくさい。これで劇的に健康になれればまだやりがいもあるだろうに、微々たる効果しかない。そうしたストレスを解消する時間もない」 私も著者とよく似た生活を送っているが、食事管理アプリなどはゲーム感覚でわりと楽しみながら続けている。無理するとすぐ疲れてしまい、そうしないとやってられないから。効果の大小にかかわらず、「虚弱な体」という限られたリソースの中で試行錯誤して遊ぶこと自体がもはや趣味になっているかもしれないが。 私は努力が嫌いだし、そもそも努力するための体力も気力も無い気がする。どうなんだろう。 また、著者は「体力がない人のほうが意外と長生きすると思いますよ、などと声をかけてもらうことがある」とのこと。梅崎春生も医者から同様の言葉をかけられていたらしいし、我々虚弱族にもワンチャン希望はあるのかもしれない。まあ梅崎は極度のアル中で早死にしちゃったんだけど。 虚弱な自分を否定するのではなく、この体と真摯に向き合って生きていきたいと思える一冊。

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    投稿日: 2025.11.02